« 練馬一家5人殺人事件の現場を歩く | トップページ | 記号としての肩書きと何様でもない者の真実と »

2007年7月17日 (火)

小林高子さんの「あの頃」について

 今月、小林高子さんの『あの頃』が出版される。
『あの頃』は、小林さんがこれまでに体験してきたことが書かれている。彼氏の死や親友の死、妹のレイプなど、このように挙げればはやりの携帯小説を思い浮かべる人が多いかもしれない。やはり最近売れている携帯小説のほとんどが、まだ中学生、高校生なのに、妊娠してしまったり、すぐ終わる恋愛を本気の恋愛と言ってしまったり、恋人が白血病で死んでしまったりといった内容がほとんどで、フィクションとノンフィクションを混ぜ合わせた構成になっている。
 さらに言えば、売れても作者が出てこない。やはり読者の思いとしては、どんな人が書いているんだろうと興味がわくのが自然だ。
 しかし、小林さんは、高校時代から現在に至るまでの出来事を隠すことなく書いている。同じ女性として、もし私が小林さんと同じ立場だったらノンフィクションとして書くかといったら、私には無理だろう。誰しも言いたくない過去、秘密にしたい過去があるが、身近な人に語るのとはちがい、本として世の中に出すということは姿もわからない第三者に自分の過去を知られることになる。しかも、彼女は自分の写真も載せている。
 これには相当な覚悟が必要だ。世の中に自分の過去と自分の姿を出すのは、自分の裸を見せるのと同じだ。最愛の恋人の死や親友の死など思い出したくなかったかもしれない事を思い出し、それを文章にする。それは長くつらい道のりだっただろう。
 『あの頃』の編集当時、私はまだ海外にいたので小林さんがどのような人かはわからなかった。本の内容は聞いていたので、小林さんのことをいろいろ想像していたのだが、実際に会った彼女は本文中で語られている過去からは想像できないほど明るい人だった。自分の過去と対峙し、その過去を消化した人にしか出せない明るさなのかもしれないが、ひたすら明るく前向きな彼女を見てなぜかほっとしたのを覚えている。ちなみに著書には彼女の過去とともに、読者に向けてのメッセージも折り込まれている。そのメッセージ一つ一つも力強く心に響いてくる。読み進めるごとに勇気をもらい元気づけられ、恥ずかしながらいつの間にか泣いてしまった。一人でも多くの人にこの感動を味わってもらいたいので、書店で見つけたら是非手にとってください。(奥津)

|

« 練馬一家5人殺人事件の現場を歩く | トップページ | 記号としての肩書きと何様でもない者の真実と »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 小林高子さんの「あの頃」について:

« 練馬一家5人殺人事件の現場を歩く | トップページ | 記号としての肩書きと何様でもない者の真実と »