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2007年7月

2007年7月31日 (火)

今月の洋楽-ケリー・クラークソン

 約3年振りにニューアルバムがでたKelly Clarkson。初代アメリカンアイドルグランプリで、2枚目の『Breakaway』が大ヒット、さらにアルバムからのシングルカットもすべて大ヒットしたので、知っている人も多いかと。ビデオクリップもなかなか。個人的には『Since U Been Gone』が気に入っている。
 ソファーの上で座りながら歌い始めるところから始まるのだが、歌いながらいろんなものを壊す壊す。たぶん元彼の部屋(たぶんでなく、絶対だな)で、その部屋のありとあらゆるものを破壊つくし、最終的に、写真立てをガラステーブルに勢いよく投げつけ割る。サビはライブハウスで凄い形相で『Since U Been Gone』と髪を振り乱し、飛び、激しく歌うのだ。そして破壊つくしたあとさっぱりしたのか、爽やかな顔で帽子を被り去っていく。その直後に仲むつまじいカップルが部屋に戻り愕然とし、ラストカットはKellyが『Since U Been Gone』とつぶやいて終わり。
 絵はロックだが、2枚目のアルバムはまだポップさが残っていた。とはいえ、なかなか聞き飽きないアルバムで良かった。
 さて、今回のニューアルバムである。タイトルは『My December』。髪色がブロンドから黒髪?ブルネット?になり、ドレス姿で座っているジャケット。ちなみにトレードマークの鼻ピアスはしていない。以前、MTV(アメリカの)のTRLという番組で、Kellyと同じところに鼻ピアスをするという企画があったが、ライブ放送でピアスをあけるのってすごいね。
 疑問なのだが、Ashley Simpsonもそうだったけれども、ロック歌手を目指す場合、ブロンドよりもロッカーぽく見えるから色を黒くするのだろうか。ブロンドの女の子じゃアイドルに見えるから硬派にするなら黒髪ということかしら。
 もうひとつ彼女の写真で気になったこと。裏足首にタトゥーが。やはりこれもロッカーには欠かせないアイテムなのだろうか。これに関してはロッカーに限らないんだけど、アメリカの歌手の入れ墨率は80%。
 あいかわらずボリュームのありそうな体型ではあるが、かえって声がよく出そうだし、歌唱力重視ならアイドル体型である必要はない……のかな。
 肝心の歌だが、おすすめは1曲目の「Never Again」。これだけでいい。もっと聞き込めば他にもいい曲があるのだろうが、やはり聞いていて気持ちいいのはこの一曲ぐらい。
 確実に前回よりもロック色が強くなっているので、これまでのアイドル色はなくなっている。初代アメリカンアイドルの肩書きを忘れ去らせることができるか、今後の彼女の活躍に期待したい。(奥津)

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2007年7月30日 (月)

実在した貧民窟・四ッ谷鮫河橋を歩く

Sa  明治期の東京には貧民窟が存在した。芝新網町、上野万年町、下谷山伏町、板橋岩の坂、四谷鮫河橋などが特に大規模なものだったが、小さいものまで合わせると東京全体で70にも及んだそうだ。
 今回は四谷鮫河橋付近、わずか約100平方メートル足らずの一帯に1370戸、5000人がひしめき合って暮らした場所に行った。

 鮫河橋は「さめがはし」と言う。今、地図を開いても鮫河橋は表記されていない。橋はすでに取り壊されてしまっている。鮫河橋の名の由来についてはいくつか説がある。江戸時代に日比谷あたりまでが海から続く入り江だったころ(これは事実)、四谷のこの橋にまで鮫が上ってきたことがある、というのがまずひとつ。同じく有力なのは、橋が跨いでいたのは水量が少ない川で、雨が降って増水したときにだけ使われる橋という意味で“雨が橋”と呼ばれていたのがいつの間にか“鮫が橋”になったというもの。いずれにしても定かではないという。あるいはその両方からきているのかも知れない。

 時代を問わず、ある場所での貧民窟の形成にはそこで食料を得ることができるという明確な理由がある。明治初期の鮫河橋の場合は食料の供給源として陸軍の士官学校があり、そこに隣接するようにして出来上がっている。陸軍の残飯を“残飯屋”が買い取り、それにマージンを乗せて住民に売りさばいていく。
 数少ない鮫河橋スラムに関する記述が収められた『四谷散歩』(安本直弘/みくに書房)によると、貧民窟があったのは鮫河橋坂を下った低い場所であり湿地でもあった。細民たちはそんな場所でバラックを建てて生活した。1370戸ものバラックである。
 何を糧にして暮らしていたのだろうか。『四谷散歩』によると人力車夫、土工、主婦はマッチの箱作り、たばこの紙巻きなどの内職に携わっていたという。

 四ッ谷駅を出てまっすぐ南に歩く。
 5分足らずで迎賓館を含む赤坂御所の広大な土地に至る。鮫河橋坂は赤坂御所の西側に沿うようにして走る坂で、現在新宿区と港区を分かつ境界線でもある。
 四ッ谷駅から向かうと鮫河橋坂を下ることになる。下りきった場所が貧民窟が存在していた地点である。
 ただ、それを匂わせるものは全く存在していない。おそらくバラック群があったと思われる場所には現在みなみもと町公園という公園がある。公園を道路一本はさんだ場所、最も低い場所に鮫河橋門という古びた門があるが、そこに地図上では皇宮警察という表記がされていて2人の警備員がいた。門は迎賓館に通じているようである。
 貧民窟があったことについて何か知っているかたずねようとすると、「ちょっと、その線から入って来ないで! なに、何の用?」と無意味に高圧的。それでも少しは取り合ってくれた。
「ここは鮫河橋門だけど、スラムがあったっていうのは聞いたことがないね。昔、小さな河があったっていうのは聞いたけど、それも今はもうないし……」
 警備員はこの辺りのことについてはそれほど知らないように思われた。
 いつごろにアスファルトで覆われたのかは分からないが、現在、鮫河橋の下を通っていた河は完全になくなったのではなく暗渠になっているという。そしてその小さな河にかかっていた橋もない。もともと5m足らずの板橋だった。
Sa2  貧民窟があったと思われるみなみもと町公園は半分がグラウンド、半分がベンチや遊具やモニュメントなどがありゆったりとしている。全体的にスペースにゆとりがあってこざっぱりとした公園で、木々も多く涼むのには丁度いい感じがする。
 赤坂御所と鮫河橋坂あたりは木が多く、セミの鳴き声がすごい。近くの会社にあるOLや会社員がぽつぽつ弁当を食べに来たりタバコをふかしにやって来たりする。だが、どの人にたずねてもスラムがあったことは知らない。
「10年ほどここで働いてますけど、そういう話は聞いたことないですねぇ」
 と30台くらいの会社員がじっくり考えたあと丁寧に答えてくれた。

 明治初期に貧民窟があったことは分かっている。さらにそれより前、江戸時代から「夜鷹の巣」としても有名だった場所である。ここでいう夜鷹とは私娼のことだ。通りかかる人たちに声をかけ、木材で作った粗末な仮小屋でことに及ぶ。鮫河橋あたりにいた私娼のスタイルはむしろを抱えた女だったそうだ。
 低い湿地に5000人以上の細民が暮らしていたが、どのようにして彼らがこの土地から消えていったのかは分かっていない。岩の坂や上野万年町は関東大震災でバラックが壊滅状態になったことがスラム街離散に繋がっているが、この貧民窟についていくつかの資料を残している新宿歴史博物館の資料でも、貧民靴の末期から離散の様子は分からない。
 鮫河橋付近にあった貧民窟の大きな特徴は、士官学校があったことともうひとつ、隣接するように赤坂御所があったという点だ。その場所に、江戸時期には徳川家の藩邸があり、明治期には徳川家から皇室に献上された。
 現在、赤坂御所には秋篠宮邸、三笠宮崇仁邸、寬仁親王邸があるが、明治期においても皇族の土地の目と鼻の先に貧民がたむろしているのは「きまりが悪かった」のではないかと想像する。

 ひとりの老人が通り過ぎた。貧民窟のことについてたずねると、
「いや、分からないね、分からない……。この近くに住んでるんだけども……」
 と照れた笑みを浮かべてそそくさと行ってしまった。しばらくベンチに座っていると、さっきの老人が遠くで蛇口をひねり、水浴びしているのが目に入った。クソがつくほど暑いとはいえ、シャツを脱いで上半身全部を水に浸した。もしかして公園に住んでる人なのではないか。水浴びした後に移動した先に荷物があるのでそう確信した。
 小学生がひとりで公園に遊びに来てグローブを取り出し、ひとりで壁打ちをしはじめた。ポコン、ポコン、という軟球の間の抜けた音が聞こえてくる。老人は公園の奥の影が濃いほうに移動していった。

 鮫河橋坂には皇宮警察とは別に交番があり、交番の脇に鮫河橋の「江戸名所図絵」が掲示されてあるが、もちろんここに貧民窟が存在したことについては触れられていない。
 鮫河橋スラムがどのような経緯で消えていったのかは分からないが、とりあえず公園には現代の貧民が住み着いている。(宮崎)

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2007年7月29日 (日)

■月刊『記録』8月号発売!

『記録』8月号が発売。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~astra/link/test0708.html

■ [特集]  《特集》参院選・異色候補吠える!/本誌編集部
  参院選が近づいてきた。各候補者の主張や動向が新聞などにも掲載されている。しかしマスコミの多くは「主な候補者」しか扱おうとしない。そこで、少数者の味方である本誌が「異色候補」の主張を皆様にお届けする。フリーウェイクラブ会長の和合秀典さんと、ネット選挙の実現を目指す神田敏晶さんが登場。また巻頭インタビューでは埴谷雄高氏や花田正輝氏の書籍に長年携わった名編集者、松本昌次さんに出版を中心としたこの国のありようについて聞いた。

 

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2007年7月28日 (土)

『吉原 泡の園』 第27回/天国で逢いましょう

 20歳から25歳位までの女性、1番女性として魅力的な頃の人が、そんなことも、あんなこともしてくれる。
「ねえん、今度いつ来てくれるのぉ」
 などとシャワーの口を持ちながら、オッパイを揺らしながら言われたならば、男は大体
「うーん、ら、来月くらいには」
 と頑張ってしまうのである。大した給料ももらっていないのにである。嫁さんにばれない様に、こっそりへそくりから持ち出してくるのだ。
④ マットプレイ→さて、体を洗い、浴槽に2人で入り、お口でおち○ちんをまたまた綺麗にしていただいた後、そのままゴールしそうだが、そこは女の子がうまい具合にまだ終わりにしないでーという男客の思いを裏切り、そそくさと風呂を出る。
 中には浴槽でいちゃいちゃしたい客もいるだろう。もちろんそう言えばいいのだ。きちんと。そうすれば、さすがに大体の子はその要望に答えてくれる。
 ただ、10人に1人くらいは、どこの店にも6万5千円払ったにもかかわらず、(ありえねー)という叫びが自分の心に刺さるサービスしかしない人もいるのは事実である。
 浴槽に取り残された客は、女の子を目で追うのだが、女の子がなにをそんなに急いでいるのか、それはマットの準備をするためなのである。
 畳2畳くらいの広さのエアーマット、デコボコに高さが違っている。そこにお湯をかけ、ローションと呼ばれる液状のヌルヌルしたものを流すのだが、ローションをそのまま流しても固いので、1度お湯で割って、クチュクチュと混ぜる。その音が実に滑稽なのである。
 たまに、お笑い芸人が受けを狙ってその光景を真似る事があるが、たしかに非日常的光景で、浴槽で1人湯につかり、目をつぶると、そのクチュクチュ混ぜている音が心地よく、眠たくなってくることもあるのである。
「ではどうぞお風呂からあがってください」
 そう声をかけられたら、
「はい」
 といってビンビンなおち○ちんを見せ付けるようにマットに向かっていくのである。
「滑りますから気をつけてください」
 お決まりの文句を言われるのだ。そこで
「はい」
 と言うのだが、大体はツルリンとなる。
「おっとっとと」
「大丈夫ですか」
 となるのだ。
「いやーすべるね」
「ではうつ伏せで」
 と言われ、うつ伏せになると温かいローションが背中、内もも、首などにかけられる。
 そのほんわかした温かさが気持ち良いのだ。
 目をつぶってまっていると、太ももあたりから温かい何かがツーット腰、背中と上がってくる。それは女の子が舌で舐めているのだ。
 脇の下、耳、とにかくどこからどこ中舐めてくる。しまいには、ア○ル。つまりうんちがでる穴まで舐め舐めしてくるのである。それがまた吉原流なのである。
 僕は先ほど病院での待合室のような雰囲気だ。と言ったが、ア○ルをいじられるとは、まさに病院感覚なのだ。ただ、病院でケツの穴に指を突っ込まれる話は良く聞くが、ケツの穴に舌を入れるなんて聞いたこともない。
 そこはやはり吉原だけのものなのである。
 マットでは、足から始まり全身くまなくリップ攻め、プラスオッパイ攻めなのである。秀吉の兵糧攻めとは違いますよ。
 とにかく、ここまでくればもうお金のことなどすっかり忘れているのが男なのである。
 そのままマットの上でローションまみれになりながら、ゴールインするもよし、濡れた体でベッドまで移動してからでもよし。
 とにかく、普段妄想ばかりしている男子にしてみたら、まさに天国である。(イッセイ遊児)

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2007年7月27日 (金)

爆烈アカギ(農相)麻雀――絆創膏編――

「ロンだ。平和ドラ1で2000」
 マスコミからの差し込みで国民が上がった。南3局でもう逃げ切りの体制を堅め始めた国民。アカギはたしか原点よりマイナスのはず。3万5000近い国民を追うのはツライ。アカギと国民のサシウマが5万点。つまり事実上の一騎打ち。通しによる差し込みが当たり前の勝負で、オーラスにマンガンで追いつけない点差は絶望的。
「フフフフ、一応ラスの局に入る前に点数の申告でもしておくかな。アカギ君が点棒を入れる場所を間違えているのか、持ち点がいっこうに表示されないしな。ちなみにワシは3万4800点だ」
 国民に続き、「私は2万5400」とマスコミの声がつづいた。そして俺も小さな声で「1万8000」と申告する。
「じゃあ、2チャだな。2万9800」
 アカギの声が卓に響きわたった。

ざわ… ざわ… ざわ… ざわ…

「アカギ君、何かの間違いじゃないかな。君はほとんど上がってない。ワシの記憶では配給原点にも届いていなかったはず」
 国民の疑問は当然のこと。これまでほとんど上がっていないのは自明。にもかからず、いけしゃーしゃーと自分が2着だと申告するアカギの神経はおかしい。
「だいたいすべての点数を合計すると10万8000点になるぞ。8000点は、お前がどこからもってきたんじゃないのか」
 マスコミがアカギをにらみつけた。
「クククク…。ズレている…すべて……。8000点多いのは事実。しかし、どうして点棒が増えているのかは不明。証拠がないのであれば犯人を捜すことなど無理。むしろ怪しいといえば、一度点棒を床にばらまいた、じいさん、あんたじゃないのか」
「国民さんもご高齢なんでしょ」
 アカギのお引きとして精一杯彼をフォローしたつもりだったが、場の空気は一気に重くなっていった。
「好調に上がり続けていたワシが犯人じゃと」
 国民の顔が怒りで真っ赤に染まっていく。
「じいさん、俺はあなたが犯人だとは言ってない。むしろ逆。証拠もないのに、じいさんを犯人だと決めつける論理に無理があると言っただけだ。それは俺もじいさんも一緒。
 むしろ、いま注目すべきは不明な点数の総額。ここにポイントがある」
「ポイントだと!」
 マスコミが脅しつけるような口調で迫る。
「そう、ポイント…。ちょうど4で割り切れる8000という数字は神の行幸。各人が2000ずつ捨てれば勝負は再開できる。それが嫌なら、この局を初めからやり直すしかない……。やるだろ、じいさん。続きを……! トップだしな」
 そう言いながらアカギは全自動卓の中央を持ち上げ牌を落としていく。しかしアカギの動きに合わせて、牌を穴に落とす者はいなかった。
「ククク…。考える時間が必要か? ならばオレは便所に行ってくる」
「俺も便所」
 アカギに遅れまいと俺も席を立った。

 トイレの扉を開け中に入ってすぐ、俺はアカギの肩をつかみ振り向かせた。
「オイ、いくら何でも強引すぎないか、あのサマは!?」
「ククク…。安倍さん、別に無理な話じゃない。国民が点棒を落とした時点でアヤが付いたのは向こう。証拠がない以上、俺の2案からどちらかを飲むしかない」
「でも、この局を無効にすると国民が選択したら……? お前の運は明らかに落ちているし、東1から打ち始めたらもっと負ける可能性が…」
 俺の不安にタバコを火を付けながらアカギが答えた。
「安倍さん、それはない…。
 国民は俺たち政治家にトコトンしゃぶり尽くされてきた。今回の俺よりひどいサマに文句さえ言えず……。だから政治家に勝っている時点で、じつは有頂天。差がわずかに5000といえども、『勝ってオーラスを迎えた』という興奮を抑えられない。
 あと、わずかな時間を乗り切れば勝てる。そう思えるところが国民の希望だ…。国民の希望を切っちゃいけない…! 焼かれながらも人は…、そこに希望があればついてくる……!」
 煙を天井に向けて吐きながら、アカギが俺の目をのぞき込んだ。
「安倍さん、先に卓に戻っていてくれ。俺は奴らをもう少し焦らしたい。考える時間が長くなればなるほど、得たモノを捨てる勇気がなくなる……それが人間。わずか5000点のアドバンテージが奴の背中を押す。あと数分でな」
 
 俺が卓に戻ってから、きっちり3分後。アカギは便所の扉を開けて出てきた。顔に大きな絆創膏を2つも張って。

ざわ… ざわ… ざわ… ざわ…

 客が帰ったばかりの卓の横を通り過ぎ席に着く。
「決まったかい、じいさん。俺はどちらでもいいんだぜ」
「続行で結構。ただし、これからは上がった点数を必ずメモさせてもらう。そのメモと点数が違う場合は今日の勝負すべてを無効にする。前5ゲーム、貴様が勝った分も含めてな」
「なるほど妥当だ。俺もフェアにやりたいし、それでいい」

 親のマスコミが西を切り、南4局、オーラスが始まった。
 一萬を切りながらマスコミがアカギに詰め寄る。
「その絆創膏は何なんだ? いきなりトイレから戻ったら絆創膏ってのは変じゃないか?」
「ご心配なく、大したことありません」
「まさか、トイレでケガをしたとでも言うのか? 新しいサマだったりするのか」
「何でもありません」
 アカギは絆創膏を張った理由を話さない。その様子を疑わしそうな目で国民が見つめていた。ただ、捨て牌自体は順当だった。各人が次々に一九字牌を処理していく。そして7巡目、アカギが動く。
「リーチ!」

ざわ… ざわ… ざわ… ざわ…

 国民とアカギとの点数差は5000。つまり40符3翻、5200点以上なら逆転が可能になる。直撃なら2600。
 テンパイとしてベストな形はダマで5200点以上の手を作ることだ。ダマなら国民にも警戒されず、逆転を狙うことができる。基本的にはリーチをかけるのは邪道。リーチをかける時点で点数が足りないことが明らかになり、他の打ち手も警戒する。ただ俺に差し込み要請がないのが不思議だが……。
 俺が捨てた三索にアカギが牌を倒さないのを見て、「フー」と息を吐いた国民が言った。
「ククク…。差し込みさえできないリーチとは、ずいぶんと追いつめられたなアカギ君。よほど待ちが悪いか、それとも直撃じゃないと逆転できないか…。いずれにしても、リーチしている君に勝負する必要はないな」
 そこから国民とマスコミのベタ降りが始まり、結局、ノーテンの3人がノーテンのままこの局が終了。アカギが自分の牌を倒した。
「ククク……。リーのみ。カンチャン・ドラ待ちではさすがにでないだがな。さあ、ノーテン罰符をもらおうか」
 国民が目を見開いてアカギの牌を見つめている。
「まさか、ノーテン罰則狙い? だから差し込みもしなかったのか……」
「もともと、この局はじいさんの勝ちだった。流れはじいさんにあった。しかし臆病風に吹かれて、わずか5000点の差を守ろうと殻に閉じこもれば、負けは目前。何を恐れているんだか……。ククク…意外に臆病だな、国民」
 リー棒こそ放出したもののノーテン罰則が3000点。これでアカギと国民の差は2000点まで縮まった。リー棒と一本場の300点を加えれば、30符1翻1000点でも逆転できる差である。
「これで勝負せざるを得なくなったな、国民」
 アカギがニヤリと笑った。

 そして南4局の2本場。勝負はあっさりと終わる。
「ロン。タンヤオのみ、ジカ取りの1300。逆転だな、じいさん」
 わずか3巡目、アカギの速攻だった。
「勝負あったな。勝ち分は税金という形で徴収する。じゃあな」
 アカギが席を立ち、俺もその後に続いた。放心状態の国民は一言も発することなく、俺たちを見送った。
 雀荘を出ると、すでに夜明けの気配が漂っていた。ほの明るい道ばたで、アカギが絆創膏を取っていく。
「ひとつだけ聞いていいかな、アカギ。なんで絆創膏なんか貼ったんだ? ケガなんかしてなかったのに」
 一番気になっていたことを質問する。
「ククク…。
 もともと南4局1本場は勝負の時じゃなかった。あの局で国民に向いている流れを止め、あわよくばノーテン罰則を吐き出させたかった。そのためのリーチ。ただし流れをつかんでいた国民が遮二無二向かってくるのは分が悪い。だからあきらめるための『幻の兵』が必要だった。それが絆創膏。
 絆創膏の不気味さに、新しいサマかもしれないとも考える。だから運のあった国民が序盤からベタ降りに転じたんだ。これは大きい。しかも絆創膏のおかげで、点数が合わなかった疑惑も吹っ飛んだ。そしてもっと重要なことは便所からの帰り、顔に視線が集中したこと。おかげで隣の卓から牌を持ってくるのが楽だった」
「じゃあ、1本場の上がり牌は、あの客が帰った直後の卓から持ってきたのか?」
「いや、あそこでは使ってない。使ったのは勝負を決めた2本場。このサマが利くのは早い段階だけ。いくら暗刻で持ってきてないとはいえ、牌がめくられてくれば4枚以上牌があるとバレる可能性は高まるからな。
 つまり1本場で差を詰め、2本場でサマの速攻勝負する計画だったわけだ」
 まさか、2本場までサマだったとは思わなかった。
「アカギっ…! 死ぬぞっ…! あまり国民をなめると、あっさり死ぬことになるぞ」
 思わず叫んでしまった俺に、アカギは笑って答えた。
「ククク…。死ぬときは死ぬ。落選するときは落選する。それは仕方ない…。生き血のように…金を吸うのが政治家という生き物だ。最後の一滴までな…」

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2007年7月26日 (木)

先日のロシア 第8回/金縛りで病気告知

 先日来の涼しさはどこへ行ったのやら。東京では昨日、最高気温31度を記録した。洗濯バサミの金属部分も触れなくなるほど熱を持ち、私は休みなのをいいことに一日中部屋でダラダラしていたが、梅雨は終わったのだろうか。あまりちゃんと来た感もなかったが、今年の梅雨は仕事をしたといえるのだろうか。大雨と快晴の繰り返しのみ、しかも湿度ばかり底なしに上げるようでは、梅雨としてあまりテクニックがあるとはいえない。じとじとと降り続ける持久力こそが、日本人の不快指数を上昇させるのに必須の条件なのではないか。はたして後を引き継ぐべき台風にきちんと顔向けできているのだろうか。

 はじめから話がそれた。暑い季節になりましたね、という話をしたかったのだ。そして暑い季節になると、私には困ったことがありますよ、と、あくまで私事路線で話を振る予定だったのに、なぜ梅雨の職場における立場のことまで心配しなければならないのだ。
まったくおかしい。
 困ったこと。私は、寝苦しい夜にはたいてい金縛りにあってしまう。寝る前から大体兆候があり、なんともいえないのだが「ああ、来るな」という予感がする。足を軽く押されるような感覚だ。そして、うとうとしていると、突然全身を上から踏まれるように押しつぶされる。呼吸が辛くなり、目は開くのだが声が出ず、文字通り手も足も出ない状況に追い込まれる。そのまま寝てしまって金縛りにあっている夢を見るのだが、夢の内容がまた疲れる。金縛りが解かれて「ああ、辛かった!」と思い、起き上がって水を飲みに行き、トイレを済ませて布団に入る。するとまた金縛りにあい、また解かれて起き上がり、今度は気分を変えようと居間のソファで寝る。するとまた金縛りに……とスパイラルに陥って、本当に起きた頃には汗びっしょりになっているのだ。
 さらに目を開けながら金縛りにあっているとより辛く、幻覚まで見えてくる。実際動けないのに頑張って手を動かそうとすると、手が透き通って分離して、意思の通りに動いているように見えるのだ。幽体離脱する日も近い。

 ロシアの新聞メディア「Правда」(「プラーヴダ」)の健康面を見ていて、興味深い記事を発見した。「予知夢で病気の予告を受ける」というもの。表題に似つかわしくない、おぞましい画像がことさら目に止まる。
http://www.pravda.ru/health/prophylaxis/prof/23-07-2007/232508-veshison-0
 この女性はいったいどんな予知夢を見ているというのか。そしてどんな恐ろしい病気を予言するのか、画像についての説明は何も記事に出てこないのだが、同メディアの健康面はこういったやりすぎ感あふれる画像が多い。中でもこちらが近日中一番のヒットだ。怖すぎる。
 肝心の記事内容、さわりを訳すとこうなる。

 ――精神医学の権威、ウラジーミル・レベーデフ医師はある種の夢が病気を予告する「予知夢」である可能性を研究している。研究室にいる一人の学生がある夢に悩まされていた。その夢を見ている最中、彼は胸部を押しつぶされ、指先から足の先まで動かすことが出来ないと訴えた。その時点では、健康面において何も問題は見つからなかった。しかし1年後、彼に脳腫瘍が見つかったのだ。――

 要するに金縛りにあっていると脳障害になる危険性があるということだろうか? 金縛りは、それ自体は病気ではない。ごくまれに低カリウム性麻痺などの内科的な病気の症状のひとつとして出現することもあるようだが、脳腫瘍のせいで金縛りになるんなら、金縛りなんて暢気な症状じゃなくて、痙攣なのでは……。
 面白かったのは、金縛りにあって夢を見るのではなく、金縛りの症状まで含めて夢だと言っているところ。そして調べてみたが、ロシアには「金縛り」にあたる固有名詞はないようだ。英語でも「sleep paralysis」(睡眠麻痺)と、そっけないくらい科学的なこの現象、眠りから独立させて霊障に結び付けている日本のほうが稀なのかもしれない。
 さらにこの記事、「予知夢」というからには心理学的な要素が入ってくるのかと思いきや、「脳腫瘍になる危険性をはらんでいる夢」くらいの意味だ。ロシアのロマンはどこへ行ってしまったのやら、なんだか少なくとも日本人よりは眠りや夢に妄想を抱いていないようだ。

 夢へのロマンに関係しているかどうかわからないが、ロシア語の「夢」はあくまでも一義的で、日本語や英語のように様々な意味を持たない。日本語で「夢」といえば寝ている間に見る夢はもちろんのこと、「将来の夢」など、未来への展望(小さなものから荒唐無稽なものまで幅広く)を意味する。英語の「Dream」もまた然りだ。しかし、ロシア語では、寝ている間に見る「夢」(Сон,[son])と将来の目標などに使われる「夢」(Мечта,[metita])は完全に意味が分かれている。このあたりに、寝ている間に見る夢に関するロマンの可能性を遮断しているところがあるかもしれない。ロシアで、寝る間に見る意味での夢がどのような位置づけをされているか、今後注目してレポートしてみたい。
(臼利つくし)

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2007年7月25日 (水)

君は「綿貫代表・ビシッと」編を見たか!

ココログのメンテナンスがあって更新が遅れました。

国民新党のCMで尊敬する綿貫民輔先生が80年の人生最大のパフォーマンスを見せてくれる(http://www.kokumin.or.jp/tv/)。私はこれを深夜に偶然テレビのチャンネルをいじっていて目撃し驚倒した。何はともあれご覧下さい。なかなかこれほどすごいモノはありませんよ。

ヒップホップ風のいかにもいそうで実はなさそなファッションの若者数人がたむろしている。そこに我らが綿貫先生がスカイブルーのスーツに黄色いネクタイという謎の姿で登場する。どうしてこんな服装になったのか。最先端のスタイリズムなのか。
そして先生はちゃらけた若者どもを指さして「ビシッと」言い放つのである。そしてノーリアクションの若者を後に悠然と去っていく。その間に「戦う、愛」という不可解なコピーをはさみ、最後は国民新党お気に入りの「私たちは抵抗勢力だ。悪いか!」と開き直る。郵政総選挙であれだけバッシングされた「抵抗勢力」という言葉がこの党ではキャッチフレーズなのだ。

見終えてしばし茫然とする。こ……これは何なのか。誰に対して何をどう訴えかけているのか。まったくわからない。ロックなのか。いやパンクか。アクセル・ローズのパフォーマンスに近いか。いや近くない。表現を仕事とする私でも「何と表現していいかわからない」と言わざるを得ない。
文字による表現をはねつける作品ということは、このCMは幻術……じゃなくて「芸術」なのであろう。
とにかく脈絡がつかめない。風景、意匠、コピー、展開、発言いずれも。ヨハネの黙示録とかウルトラQなどのベースがあるのか。あるわけないか。いやもしかして。ダメだ。言葉が見つからない。サグラダ・ファミリアに取り組んでいた際にガウディへ寄せられた冷たい視線のような何か。それに近い印象を与えはしないかという危惧と同時にガウディが今日賞賛されている先進性へ賭けたのかもしれない。理解できない自らの不才をこれほど残念に思う機会はめったにない作品だ。
ただ1つ明らかなのは綿貫先生はやはり偉大だということである。非才ゆえ意味はくみ取れなかったもののCMのなかで綿貫先生の存在感が抜群なのは間違いないから。

何かに似ている。何だ……? そうだ!喪黒福造である。「笑ゥせぇるすまん」の。
綿貫先生に指さされてダーッとやられたらあらゆる人生は変転する。構成の不可解さは不可解なのではなく先生のこのCMには収まり切らない人智を超えた能力を人間が表現しきれないだけなのだ。綿貫先生の格好も尊顔も発言も全部、この世のものとは思えない。もしかしたらこの世のものではないのかもしれない。
確か森喜朗元首相は先生を「神主が神様になる」と表現していた。そうか。森発言の真意はそういうことだったのか。愚かな新聞記者は「神様」を自公過半数割れに陥った際に国民新党の勢力で補える、そのキーパーソンとして比喩的に用いたと解釈していたけれども、本物の神様へ近づいているとCMは雄弁に物語っている。
ただ心配もある。綿貫先生が喪黒福造的存在だとしたら彼のセリフ「ココロのスキマ、お埋めします」をどう解釈していいのかわからない点だ。まさか「与野党のスキマ、お埋めします」じゃあないだろうか。おっとこれでは愚かな新聞記者と同じ地平へ立ってしまう。

私は綿貫先生の大ファンなのである。どうも先生のことを書くと肝心のこの点をしばしば忘れる癖があって困る。このCMで世情が騒然としないのが不思議でしょうがない。最近のNHK大河ドラマは、その惹句らしからぬ作りである。むしろこのCMにこそふさわしい。「あなたは歴史を目撃する」のだ。(編集長)

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2007年7月24日 (火)

やはりゲームの歴史は任天堂が変えるのか!?

 ニンテンドーDSが売れている。それも並の売れ方ではない。7月19日付の毎日新聞まんたんウェブによると累計1800万台を売り上げているらしい。
 ゲーム機というと一家に一台というイメージがあるが、ゲームボーイ発売以来、一人一台持つというのも珍しくなくなってきた。任天堂のゲームハードといえば1983年発売の8ビット機ファミリーコンピューター(通称ファミコン)や1990年発売の16ビット機のスーパーファミコンといったものを思い出す方が多いかもしれないが、他者の追随をものともせず任天堂の一人勝ち、さらにゲームボーイ(1989年発売)と黄金時代を築いた。
 しかし、1994年にSCE(ソニー・コンピュータ・エンターテインメント)が出してきた次世代ハードのプレイステーションを発売(その少し前にセガからセガサターンも出ている)し大ヒット。その要因には、ドラゴンクエストやファイナルファンタジーなどのモンスターソフトと、3Dの特性を生かしたソフトの発売が功を奏したのは言うまでもない。
 さて、その頃の任天堂はというと、バーチャルボーイという機械のついたゴーグルをはめてプレイをするという文字通りのハードを出す。売り上げは……。その後、ニンテンドー64やゲームキューブなどを出すが、プレイステーションシリーズの前には一世代を築いた老舗も歯が立たなかった。
 バーチャルボーイのあたりから任天堂の栄光にかげりが見え始めてきたもののそれは据え置きタイプのハードの話だ。携帯型ゲーム機に関しては、徐々に進化を遂げ、弁当箱ぐらいの大きさの初代から、徐々に小型軽量化され、さらにはカラーに。携帯機とはいえ初代は大きいし、その割に画面が小さい。ゲームボーイポケットという名の通り小さく持ち運びも便利になった。だが、しょせんは8ビット。しょぼい。
 しかし、2001年に発売されたゲームボーイアドバンスは、携帯ゲーム機なのにCPUが32ビット(プレイステーションと同じ)。さらに従来のゲームボーイソフトとの互換性もあり、通信ケーブルを使えば最大4人まで対戦することもできるというものすごい進化を遂げた。しかし、ライトが内蔵されていないという欠点があった(上からランプを照らせるすごつい装置を買った記憶がある)。アドバンス用のソフトも据え置きとは違い充実していたため一人勝ち。
 そしてその2年後、ゲームボーイアドバンスSPというさらにコンパクトになったものが発売された。折りたたみ式で、ライトも内蔵。従来の携帯ゲーム機を一言でいうとコントローラーを少し大きくして画面をつけたデザイン、というのが私の印象だが、SPは折りたたむと長方形の小さな箱になる。いまでも覚えているが、このSPもDSlite同様、なかなか買えない状況が続いた。ゲーム機が売っていなくて買えなかったという経験はこれが初めてだった。
 そして、その翌年2004年ニンテンドーDS(初代)が発売される。まだこの時点では持っている人の方が少なかった。しかし、ダブルスクリーンでタッチペンを使って遊ぶというのは画期的で、CMキャラクターに宇多田ヒカルが採用されていた。その頃はお金がなかったので買えなかったが、ゲームの体験コーナーへ行くと子どもたちが必死になって遊んでいた。ソフトもまだ充実していないことと、この頃はまだゲーム機は一部のゲーム好きな大人と大半の子どもたちが売り上げに貢献していたため、印象としてはあまり売れていない感じ。初代は結構ごつくて、なんとなくセガサターンを思い出させるデザインだった。
 タッチペンで遊ぶというのは画期的だったが、同じ頃に発売されたPSP(プレイステーションポータブル)のほうが注目されていたような……気がしただけ?
 2005年になり任天堂はなんと、DSのリニューアル機ではなく、ゲームボーイミクロという手のひらに収まるくらいの大きさのゲーム機を出す。縦5センチ、横10センチ、厚さ17センチなのに高画質。たしか妻夫木聡がCMをやっていた。非常に欲しかったのだが、手元にアドバンスSPがあるので購入は控えたが、圧倒的にミクロの方が画質がよいと思う。
 そして、2006年3月。ニンテンドーDS liteが発売。初代がどういったデザインかを忘れさせるようなかわいい作り。色も白、水色、ピンク、紺、黒で、同じ折りたたみ形式のアドバンスSPのようなハードさはない。値段は16800円と少々高いが、一時は完売状態が続きどこへ行っても売っていないほどの社会現象を起こした。
 DSソフトで思い出すのは、いわゆる脳トレゲームやレシピ集といったゲーム性のないどちらかというと実用ソフトだが、調べてみると『しゃべる!DSお料理ナビ』(2006年7月発売)以前はそういったソフトは少なかった。少ないだけであって皆無ではない。今では、実用ソフトとゲームソフトは同じくらいの比率で発売されていて、ガイドブックがソフトになったもの(制作はスクエア・エニクス)や、女力アップをするというソフト、クラシックを聴くソフトなど、ゲーム機という枠組みからはずれるソフトがたくさん発売されている。
 その背景には、中年層や、「ゲームぅ?」と半ば軽蔑していた感のあった20代以降の女性など本来ならばゲームはあまりやらないであろう層もDSユーザーになっているに他ならないが、ゲーム好きとしては「なんだかな」というのが本音だ。
 ゲームは楽しむものだから文句を言ってもしょうがないが、このDSの大ヒットがマンネリ気味だったゲームの世界に、新しい風を吹き込んだということは紛れもない事実だ。Wiiの遊び方や販売台数を考えると、なんだかんだいって任天堂がゲームの歴史を変えていくことに変わりはないのだろうか。今後のゲーム市場がどうなっていくのかは非常に興味深い。ついでに、ヒットタイトルの続編だけじゃなくて、新しくておもしろいゲームもでないものか(いくらなんでも手を抜きすぎな気もする……)。
 そういえば、先日、アキバのヨドバシへ行ったところ、スーツ姿の中年オヤジがDSlite用のケースとともにソフトを買っていた。ケースはシステム手帳の表紙のような形状で、そこそこ値段が高いものなので彼のDSにつけるのだろう。しかし、しかし、彼の買ったソフトを見て驚愕した。『いまさら人には聞けない 大人の常識力トレーニングDS』を買っていた。おっさん、あんた平日の真っ昼間から何買ってんだ。常識力の前に、仕事はどうした?(昼間にゲームコーナーにいる私に言われたくない?でもゲームは休日にしかやってないよ!てへっ///)←いいわけ。 
 そのおじさんの姿をみて、少々センチメンタルな気分になったのは言うまでもない。(奥津)

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2007年7月23日 (月)

18歳のライフル魔・渋谷で起こった銃撃戦の現場を歩く

Aa 「狂うライフル魔 宵の渋谷の恐怖」
 この衝撃的な見出しが新聞に載ったのは昭和40年(1965)7月30日のこと。
 7月29日午前11時ごろ、神奈川県大和署に「猟銃を持ち歩く人がいてあぶない」との通報が入った。同署派出所の田所巡査が現場に駆けつけたところ、背が高くボサボサ頭、黒のシャツに網の目の手袋にライフルといった出で立ちの男が巡査のピストルを奪い、巡査を撃ち殺した。
 男の名を片桐操という。当時18歳である。
 片桐は巡査を撃ったあと制服も奪い、警官になりすまして通りかかった民間人の車を乗り継ぎ座間→町田→川崎→調布と移動。同日午後6時前に渋谷区北谷町にあるロイヤル銃砲火薬店に押し入った。片桐と店員は顔見知りでしばらくは凶暴なそぶりも見せずにふるまっていた。だがパトカーのサイレンが聞こえたと同時に女性店員を人質に取り、ライフルの弾を補充して銃砲店に立てこもった。
 内気で目立たない性格。知人からは「素直でおとなしい」との印象を持たれていた片桐は中学を卒業後に自動車修理工場で働いたがすぐに船舶会社に職替え。ただ、そのその職場も長くは続かずこの年の4月に辞めていた。おとなしくやさしい気質だったが、ライフルには異常な関心を持っていた。同年4月には満18歳になったのを期に貯金の3万円でライフルを買い、所持許可を取得。八王子の射撃訓練場には毎月通っていた。
 片桐についてある友人はこうも証言。
「人前に立つことは嫌いだが“オレはなんでもやる力があるんだ”という秘かな自身を持って目立たないところで腕を組んで笑っているやつだった」

 渋谷のロイヤル銃砲火薬店に片桐は立てこもり、店を取り囲んだ渋谷署員と武装した機動隊員の計600人ほどとの間で銃撃戦が起こる。片桐は150発以上を撃ちまくり、16人の重軽傷者が出た。近くを走る山手線に向かっても発泡、渋谷から池袋区間の運行がストップ。
 8時間に及ぶ市街戦の後、催眠ガスであぶり出されたところを取り押さえられた。当時の新聞によると「警察からも、報道陣からも、見物人の群れからもウズのような拍手が起こった」。

 当時18歳の少年と機動隊員が繰り広げた銃撃戦の現場に足を運んだ。
 昭和43年の住居表示変更があり、当時の北谷町は現在の渋谷区神南1丁目がそれにあたる。
 現場は渋谷駅から歩いてわずか3分の距離にある。当時ロイヤル銃砲店があった場所の近くで、50年も店を営んでいるきれいな白髪の女性に話を聞いた。小さな店舗で、現在は衣料雑貨を扱っているが以前は喫茶店だったという。
「40年も前になるんですか。まだその頃はこの辺りなんて全然店がなかったんですよ。この店がポツンとあって、あとは空き地だった。今では考えられないでしょう」
 現在、神南1丁目には目の前にマルイシティやタワーレコード、電力館をはじめ衣料雑貨店などが櫛比する。空き地だった時代というのは想像しにくい。
「あの事件、ライフル事件のこと、覚えてますよ。だって、ライフルの音がどんどん聞こえてきたんですもん。で、警察が急いで走り回ってて、危ないからシャッターを閉めて下さいって言ってきました。怖いからすぐ閉めました」
 ロイヤル砲弾店があった場所には現在、空調関係の小さな工務店が入っている。
 工務店の50歳前後と思われる女性は、35年前からその場所で営業していると言う。事件が起こったのは42年前なので、事件後7年ほどしてから移ってきたことになる。
「よくねえ、『弾を買いに来た』って言うお客さんがいましたよ。最近でも、4、5年前までは来てました。ここで商売始めたときにはまったく事件のことなんて知りませんでしたよ。でも、そういうお客さんがよく来たし、そういう話も聞くし、ここでそんなことがあったんだなあって思うようになりましたよ。砲弾を売るお店はここから移っていってまだこの近くで営業してると思いますよ」
 工務店にいたもうひとりの女性は、この話を聞きながら、ええ、そんなことがここであったの、と薄気味の悪そうな表情を浮かべた。

 砲弾店の向かいには当時から渋谷消防署がある。数年前に外装の改修工事が行われる前までは、片桐が撃ったものと見られるライフルの弾痕が消防署の壁にあったという。銃撃戦の跡は最近まで残っていたということになる。

 片桐操は昭和44年に死刑が確定、47年7月に刑が執行された。
 地裁、高裁において片桐の弁護側は心神耗弱を主張したが、本人は死刑を望んだ。地裁で片桐は「再び社会に出ることがあればまた銃を乱射しない、という自信はない」と述べた。(宮崎)

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2007年7月22日 (日)

多忙につき

『記録』締め切り間近につき身動きがとれず今日はブログの原稿を書くことができない。現在アフガニスタンのカブール近郊で約20人の韓国のNGO職員が身柄を拘束されていている。また、報道によると共に身柄を拘束されていたドイツ人2人は殺害されたという。タリバンによるものとの見方が強い。そんな混乱のアフガンから白川さんには原稿をおくってもらった。今日の朝、メールで届いた。これから編集作業に取りかかるところである。(宮崎)

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2007年7月21日 (土)

『吉原 泡の園』 第26回/解説・ソープのサービス!

 ソープランドに言った事のない人のために、一通りのサービスの流れと言うものを説明しなければなるまい。

① 案内→これはまずどの子と遊ぶかが決まってからの話だが、A子と遊ぶと決めたとする。少し、時にはしばらく待合室で待っていると、お呼びがかかる。
「○○様、お部屋の準備が出来ました」
まるでどこかの病院で、診察待ちをしている患者を呼ぶかのようである。
 シーンとしている待合室には、テレビが流れ、ドリンクを飲みながら優雅に新聞や雑誌を読み、ボーイの呼ぶのを待っているのだ。
 呼ばれると客はそそくさとタバコを消したり、新聞を投げて、落ち着きのない表情をしている。
 それもそのはずである。6万5千円もの大金を払う遊びである。それも、どこかの金持ちばかりではなく、がんばって貯めた人や、あぶく銭を得た人など。普段から吉原にはそうそう来れない。常連でさえ理性を失うくらいに、自分を見失うくらいに頭を洗脳させられる女の子達の牙城で遊びなれていない若者は、舞い上がってしまうのである。
② 部屋にて即尺サービス→吉原は、基本的には即サービスを売りにしている。即サービスとは? 聞きなれない人も多いと思う。
 つまり、風呂にもシャワーも浴びず。部屋に入るなりいきなりズボンを下ろし、うんちのついているかもしれないパンツをずり下ろされ、おち○ちんにかぶりつく=尺サービスである。
 何も知らない人、特に普段は貧乏な若者には、目がさめるようなサービスである。
 大体、普段モテない男は、この1発目の即サービスで頭をガツンとやられて、以後のめり込むのだ。金? そう、金がなければここの世界の女性達は、きっとあなたには見向きもしないだろう。だから、そこでガツンとやられた若者は、何としてでも金をこしらえて、またA子ちゃんに会いに来よう。それも、なるべく早く。あまり間を置くと、忘れられてしまうかもしれない。と借金などに手を染め、あるいはまた、カードを持ち合わせているものには、それを使わせる甘い誘惑が忍び寄るのである。
 リボ払いで大丈夫だから、お客さん、カードで遊びませんか? と。悪の誘いに負けるのである。
 即サービス→即、即、即。吉原はヤクザ者が経営しているパターンが多く。またヤクザ者は面倒くさいのが大嫌いである。
 だからかどうかは定かではないが、吉原のソープランドもまた、即サービスが多い。即尺のあと、フラフラに酔いしれた男は、そのまま下着をつけて本番に入る。
 女の子だって、あまりソープや風俗になれていない子ならば、この辺で濡れるのである。
 もし、この僕の説明だけで興奮をしてきた男がいるならば、十分に君はカード破産予備軍である。
 こんなボーイの説明に、興奮し、ソープにはまり、全てを失うものも多いのである。
 それはボーイにしてみれば、仕事が出来るという意味であり、これ以上の事はない。が、お客にしてみれば、そんなボーイにつかまり、いろいろとのせられて、破滅の道を行く者もまた多い。若者だけではない。むしろある程度社会的な地位があったり、金などがあるような中年者や、会社を定年した医師など、金に余裕のある人間もまた、そうした常連として女の子にはまりやすいのである。
④ 風呂に入る→さて、1回戦(本番1度目)を終えると、大体「ふーっ」となるのが男である。これはもう仕方がない。動物としての遺伝子がそうさせるのだから。1回戦を終えると何だか冷めてしまう。6万5千円。もったいなかったなー。ああーこれで1ヶ月飯でも食ったほうがよかったなーとなるものだ。だが、そんな思いも、
「体を洗いますか」
という女の子の誘いにより、あっという間になくなってしまうのである。
 どちらが本当の気持ちかといえば、どちらも本当の気持ちなのが恐らく男だと思う。
 スケベイスと呼ばれる一風変わった椅子に座る。真中が空洞になっている。なぜか、女の子が泡をたて、手をタワシ変わりにして、おち○ちんを洗ったり、あるいはもてあそぶためである。
 もちろん、体を洗ってあげながら、キスをしたり、男が女性の体を触ったり、要するにいちゃついたりするのである。
 シャワーで体の石鹸を落とす際、ビンビンに元気なおち○ちんをいきなりガブリと口に含んだりもする。ここまで来るともう男はノックダウンされるだろう。傍らの床には、色っぽい下着が無造作に脱ぎ捨ててあるのだ。(イッセイ遊児)

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2007年7月20日 (金)

『あの頃』発売記念・ケータイ小説麻雀 ブラフなんかに負けない

東1局

東 赤い糸       3万5000 点
南 あの頃       3万5000 点(私)
西 恋空        3万5000 点
北 あおぞら      3万5000 点

「やっぱり、ダメだよ。三筒とは一緒に入られないよ。仲間だと思っていたのに…」
 恋空が騒いだ。
 1巡目で「来たー! 三筒。つながった!」と大はしゃぎでツモった牌を次順で切る? その理解不能な打ち筋に思わず、恋空の顔を覗き込んでしまった。 しかし『オペラ座の怪人』ファントムが付けるような白いマスクに阻まれ、彼女の素顔は見えない。
 ネット麻雀で敵なしといわれる恋空だけに不気味だ。とりあえず私は字牌を切って様子をみた。

「あー、被った…。三筒に裏切られた気分だよ。でも、まだ私は三筒を信じたいから字牌からだよね」
 落ち込んだ様子で、時順に恋空が白を切った。雀荘「魔法のIらんど」で一緒に打つことも多いであろう赤い糸は、恋空の言葉にうなづくことすらない。どこか寒々しい雰囲気が雀卓を覆った。しかし、そんな状況を気にすることなく、彼女は次のツモでリーチをかけ、そのまま一発ツモ。牌を倒した。

「リー即ツモ、ドラ1で7700でしょ。で、割れ目だから1万5400! なんか、つらい配牌だったけど、報われたってかんじ~」
 さすがにネット麻雀の女王、手が早い!
 5巡で1万5000。5日で15万部売り切ったという伝説の勢いを麻雀でも再現した。しかも割れ目でキッチリ上がる攻撃。上下巻に分けて発行し、刷り部数を2倍にした方式そのままだ。

「なんで二筒も四筒も手にないんですか?」
 恋空の手の速さに驚いていた私の耳に、いきなり冷たい声が飛び込んできた。あおぞらだ。彼女も恋空と同じような白いマスクを付ており表情はうかがえないが、恋空をにらみつけているのは間違いなかった。
「えっ? だって実話を元にしたフィクションだもん」
 悪びれる様子もなく、恋空が答える。
「つまりシャミ、ていうかブラフってことですよね。嘘をついて内容を美化してしまいそうなるのだけはダメだって、私は書くことと戦ってきたのに!」
 恋空もあおぞらも私も、実際に彼を失ったはずだ。そのうえ私の場合は妹が、恋空とあおぞらは本人がレイプされたことになっている。
 同じような体験をしたからこそ、過去を引きずることなく、いきなり前向きに立ち上がる恋空に私は違和感を抱いていた。
「『三筒を信じたいから』なんて悪質な誘導だよね」
 この携帯小説系の書籍で、唯一、実名・顔出しで出版を決めた私もだんだん腹が立ち語気が荒くなる
「仕方ないじゃん。『魔法のIらんど』って競争激烈なんだから。展開すごく速くしなくちゃ、読者から見放されちゃうし。レイプされても、すぐ立ち直って恋に戻らなくちゃダメでしょ。だから恋空も完全なフィクションだって認めちゃえばいいのよ。どうせ実名や顔なんて、いっさいわからないんだから」
 小説だと公言している赤い糸が、青臭いこと言うなとばかりに言い放つ。
「許さない! 過去とまだ戦っているのに、適当にでっち上げて商売の道具にするなんて」
 はき捨てるようにあおぞらが言った。

 しかし誰が文句を言おうと恋空の勢いは止まらなかった。風牌や白発中などドラを組み合わせ、しかもシャボ待ちと、河にテンパイまでのストーリーがきちんと描かれる手は作らないが、割れ目とドラで点数を積み重ねていく。
 その恋空の立て続けの上がりをとめたのは、同じ雀荘を根城にしている赤い糸だった。
「リーチ」
 赤い糸が高らかに宣言した。
 順当に字牌からの切り、中張牌(チュウチャンパイ)へと移っていく河のストーリーは、恋空よりはるかに読みやすい。やっと筋や裏筋での読みが可能になりそうだと思った途端、隣の卓で打っていた面子がいきなり楽器を持ってバラードを歌い始めた。
「うるさい。あんたたち誰なの?」
 思わず声をあげると、赤い糸が笑いながら答えた。
「コラボだよ! 人気インディーズバンドとのコラボ。リーチかかったら応援してくれることになってたの」
「麻雀と関係ないじゃない!」
 もともとは私もタレント。友達の芸能人を知らないわけじゃない。でも、あえて帯にものせず、本の中身だけで勝負した。私が経験した事実だけを武器に出版した。それなのに…。
 同じように本の内容だけで勝負し、口コミで50万部を売ったあおぞらも呆れたように首を振っている。
 しかし音楽のリズムに乗るかのように、あっさりツモ。倍満をもぎ取っていった。
 高い点数のツモが続き、さすがにあおぞらもうなだれている。

 でも私は負けない! 彼や親友が死んだこと、妹がレイプされた事実だけを書いたんじゃない。そこからの再生が私のテーマだった。
 だから、こんな勝負に絶対に負けたくない!! 何かが私の中ではじけた。

 7月19日、本日。

 都内では早ければ夕方から書店に並ぶだろう。

事実だけが持つ言葉の重さに期待して、私は闘う。

 私は今日から書店で待ちます、実名、顔出しで!(大畑)

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2007年7月19日 (木)

小林高子さんの妹・りなさんから/「私の見てきたお姉」

■小林高子さんの『あの頃』発売が近づいている。今回は高子さんの妹であるりなさんに登場いただいて、失意から抜け出した姉について書いてもらった。妹さんも高子さんに似て明るい人柄、心底楽しそうに笑う。
冒頭から出てくる「のぶくん」は病気で亡くなった小林さんの恋人である。(編集部)

     *     *     *

 のぶくんがいなくなってからのおねぇは、脱け殻のように生きていました。
 のぶくんが病気に打ち勝つことを信じてできる限りのすべてをかけた後、大切なものが失われてしまったショックの大きさは言葉では言い表せないものでしょう。
 なにをしても誰といても満たされないその思いをかかえながら、ただ亡くなった人の分まで生きなければいけないという思いと、心配してくれる周りの人がいることだけで生かされるように、生きてるように見えました。
 のぶくんが亡くなってからはその苦しみを、一番心を許せる私によくあたる日々が一時ありました。
 ある日おねえは私に怒鳴った後に少し無言になり「りな……ゴメンネ……」といきなり一言言って涙を流しました。
「いんだよ、おねえ。あたしでよかったらいくらでもあたって」と、おねぇの苦しみも悲しみも分かってははあげられない私は精一杯の思いでそう言いました。
 大切な人を大切にできない自分を責めてるおねえを見て「あたられる人より、あたる人のほうがどれだけ辛いんだろう?」と思い、胸が痛みました。
 もがいて、あがき、10年以上がたって、本という形のおねえの魂を込められるものをやっと見つけてからは、まるで愛する人に接するのと同じように本気で向き合ってきたと思います。

 興味があった歌手を目指したり、モデル事務所にも入って芸能界を目指すこともありました。
 夢を見つけようともがくことが唯一普通に生きるための手段だったのでしょう。
 でも立ち直っていない中では本気になれるものなど見つからず、すべて中途半端でした。
 しかし本だけは、違いました。
 歌手も芸能界も確かに本気でかけた夢ではなかったけれど、何か自分が生きる意味をあきらめず探し続けた結果、本という本気になれるものに出会えたんだと思います。
 ビデオの予約録画すら覚える気がないほどの機械が苦手なおねえが、本だけのためにパソコンを覚えて打つ姿は、私の中では今でも信じられないくらいの違和感があります。
「何をやっても中途半端に見える人でも、これだと思う本気になるものに出会えたときは変われるんだ」ということを、私は目のあたりにしました。
 同情される、する事が嫌いだったおねえは、無理して笑い続けてきたときも多く、いつか本当に心底から笑いたいと思っていたんだと思います。
 相手にどう見られるかより、いつも本心でぶつかってきたのは、いつも「自分と同じように苦しんでる人はいる。自分だけじゃない。そういう人の力になって動きたい」と正直に思うからだと思います。

 普段は、ポーっとしてて、「人の話を聞いてるの?」と誤解されることが多々あるけれど、どんなときでも大事なポイントだけは聞き逃さないそのアンテナは、心で人をわかろうとしてるからでしょう。
 ありのままの感情で動くおねえを見て、私はいつも「それだと、周りに心配かけすぎじゃん?」と思っていたけれど、傷ついた人をのためになるにはいつも素直でいること、正直でいることが、人を本当に大切にすることだと信じていたんだと最近私は気付かされました。
 今、生き生きとしているおねえを見てると、今まで辛さも悲しみもあったけれど「本当に生きててよかった」と私を癒してくれます。
「人は一人だけで何ができるんだろう?」ということを、おねぇの今までの経験が無駄じゃなかったと証明するためにも、今挑戦しています。
 私が周りの人に誉められたり大切にしてもらえるのは、そんことをおねえがいっぱい教えてくれたからです。

 笑いたいときは笑う、泣きたいときは泣く、怒りたいときは怒る、そんなおねえだからこそ、この本で多くの人の力になれると私は信じています。(■了)

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2007年7月18日 (水)

スパム?「seesaa」と「さくらのブログ」について教えて下さい

このところseesaaブログと「さくらのブログ」からのトラバが急増しています。内容は明らかなスパムではありませんが当ブログの記事を読んでのトラックバックとは到底思えない程度です。くわしい方がいたら是非以下の点をご教授下さい。コメント欄にてお待ちしています

①ズバリ!「seesaa」と「さくらのブログ」はスパムなのか。その理由は
②やたらと「seesaa」と「さくらのブログ」がトラバされるメカニズムはどうなっているのか
③「seesaa」と「さくらのブログ」を一律にスパムとして受信を拒否していいのか
④同じような状況(トラバ殺到)にある方はどうなさっているのか
⑤一読して害はなさそうな「seesaa」と「さくらのブログ」の内容だが、実はそこから変なサイトへ読者を誘っていくといった危険があるのか

①から⑤までは逐一お答えいただかなくとも、ご存じの情報があれば自由にお示し下さい。なお当記事は「seesaa」と「さくらのブログ」の運営母体を中傷する意図で書いているわけではありません。現実に前述のような問題が当ブログで発生しているのでご意見を募集しているまでです。したがって運営母体からのご説明もお待ちしています(編集長)

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記号としての肩書きと何様でもない者の真実と

例えば「日本にも政権交代が必要だ」というタイトルで私のような民草が論じても高名な大学教授が書いても内容はさして変わるまい。出版をやっていてつくづく感じるのは内容ではなく著者の経歴で部数がしばしば変わるという現実だ。
芸能人の出産・育児となると講演の依頼が来るが民草は演者に呼ばれない。では前者にわざわざお金を払って聞くほどの価値があるかというとたいてい違う。あるとすれば芸能人の講演を聞いたという満足感だ。満足とは満ち足りるを意味する。では聴衆の心をどう満たしたかというと何も見当たらない。
それでも旬の芸能人ならば興味を満たす理由は忖度できる。不可解なのは一発屋のまま懐メロ歌手へたどり着いて久しい者や今やVシネマにチョイ役という俳優でもありがたがられる点だ。
もっとも芸能人はまだ実力の世界だから責める気はない。皆が皆必死なのであろう。問題なのは肩書きや過去の栄光(露出)をかさに高説を垂れる側にいる人々である。大学教授、医師、政府の要職にある(あった)、法曹といった「ありがたい」社会的地位をありがたく思わせる側とありがたがる側。キルケゴールの言葉を借りれば「ひとは人生を享受すべきであると教えながら、そのための条件は個人の外部で見つけようとする人生観」の持ち主が威張るの図である。

大学教授はマックス・ウェーバーによれば、その職に「なるためには、ただ僥倖を待つしかない」そうだ。そう『職業としての学問』で告白した動機をウェーバーは自らそうだったからとする。僥倖すなわち「まぐれ当たり」で得られる肩書きへひれ伏すのは本来愚かしいのである。
それでもなお「僥倖」へエントリーできるレベル自体が民草より上という反論もあろう。そうかもしれないけれど、だからといって僥倖が支配しているとの事実は曲げられない。いわゆる社会的地位があり、それゆえのご託宣と民草の思索で前者が必ずしも上位にないのはネット社会で明らかになりつつある。

ある時点で永久有効の地位を得て漫然と暮らしていても、その地位があれば信じる一定数がいる以上は出版社が地位を記号として使用し文章は限りなくゴーストという例はごまんとある。「あの先生すごいね。本業の激務を縫って年に何冊も書くなんて」と他愛なくだまされてはいけない。その疑問へ素直になるべきだ。書けるはずがないという疑問に。新聞の論壇は肩書きを確認してから読んではいけない。予断が生じるからだ。
ストレートな記号でなく過程を「外部」で披露して地位に似たものを創造するパターンもある。例えばヤンキー先生というのがいる。ヤンキーだったのに先生へ転身した。立派だと思う。だが「ヤンキーじゃなかった先生」より立派な理由はない。「元極妻の弁護士」も「元極妻じゃなかった女性弁護士」より偉大ではない。
やや中島義道的な見方をすればヤンキー先生とヤンキーじゃなかった先生は結局同じ。むしろヤンキーを続けて85歳まで生き抜いて老衰で死んだとの人生の方がよほどすごいはずである。
月刊『記録』および私個人はそうした「無名」の声こそ尊いと信じている。僥倖で地位をつかんで久しくスタッフのスピーチライターが書いた可もなく不可もない論説よりホームレスのホラ話の方がよほど残しておく価値があるはずだ。

前出のキルケゴールは自ら「大地震」と名づけた私生活の不幸を抱えたまま30になる頃から次々と著作を発表し、当時の論壇を席巻した。その多くは罵詈雑言であった。今度小社から発売する小林高子著『あの頃』の内容もまた高校中退に始まって彼の死やレイプ事件など身に起きたレベルとしては「大地震」である。彼女はある日突然それらをまとめて世に問いたいと意を決した。
シンナーでふらついたり気ままな恋愛に走ったりと到底ほめられた内容でない事実も満載である。しかもその大半がニュースではない。普通の少女から大人になる過程で誰にでもとはいわぬまでも起きておかしくない出来事ばかりである。文章も稚拙であるかもしれない。
しかし私は出そうと思った。小林高子当人が赤裸々に反発覚悟でさらけ出す覚悟があったというのも大きいが、より引きつけられたのは彼女が現在「何様」でもないという点である。「こんなお痛もしたけれど今は弁護士」といったカタルシスがない。ないをもってよしとしたのだ。
社会的地位を得た者の回想はわざとらしい。「お痛」でさえ今日の成功への何かへつながる。本当はそうではなかったのに成功という立ち位置から過去を再構成してしまうのだ。その点で「何様」でもない人の回想はリアルである。しかも実名・顔出しでいいという。何でもないアンタがしょうもない昔話を出版して何の意味があるのかとの批判が聞こえてきそうだ。そこが私の決断をうながした。「何の意味があるのか」を知りたいという好奇心が勝ったのだ。

『あの頃』には「そして弁護士になった」といった水戸黄門の印籠は出てこない。水戸黄門すら現れない。でも大半の人の人生に印籠はないのではないか。もがいてもがいてもがいているの連続。そこから得た教訓も次の大波には通用せずまたもがく。水戸黄門かと信じた人物がニセ黄門だったり、自身も黄門様に助けてもらえるいたいけな少女でもなく、むしろ半分は黄門様から罰せられるような小悪党の部分を秘する。そんな生き方を隠し立てせず公にしてほしい。小林高子の作品へ願ったことである。
6・3・3・4制を曲がりなりにも通り抜け、就職らしきを果たし、結婚・出産・育児も経験する。そんな人生もむろんすばらしい。少なくとも肩書き屋よりは美しい。でもそうした時計の論理にしたがえなかった生き方は醜いだろうか。すべては気高き読者の判断を待つしかない(編集長)

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2007年7月17日 (火)

小林高子さんの「あの頃」について

 今月、小林高子さんの『あの頃』が出版される。
『あの頃』は、小林さんがこれまでに体験してきたことが書かれている。彼氏の死や親友の死、妹のレイプなど、このように挙げればはやりの携帯小説を思い浮かべる人が多いかもしれない。やはり最近売れている携帯小説のほとんどが、まだ中学生、高校生なのに、妊娠してしまったり、すぐ終わる恋愛を本気の恋愛と言ってしまったり、恋人が白血病で死んでしまったりといった内容がほとんどで、フィクションとノンフィクションを混ぜ合わせた構成になっている。
 さらに言えば、売れても作者が出てこない。やはり読者の思いとしては、どんな人が書いているんだろうと興味がわくのが自然だ。
 しかし、小林さんは、高校時代から現在に至るまでの出来事を隠すことなく書いている。同じ女性として、もし私が小林さんと同じ立場だったらノンフィクションとして書くかといったら、私には無理だろう。誰しも言いたくない過去、秘密にしたい過去があるが、身近な人に語るのとはちがい、本として世の中に出すということは姿もわからない第三者に自分の過去を知られることになる。しかも、彼女は自分の写真も載せている。
 これには相当な覚悟が必要だ。世の中に自分の過去と自分の姿を出すのは、自分の裸を見せるのと同じだ。最愛の恋人の死や親友の死など思い出したくなかったかもしれない事を思い出し、それを文章にする。それは長くつらい道のりだっただろう。
 『あの頃』の編集当時、私はまだ海外にいたので小林さんがどのような人かはわからなかった。本の内容は聞いていたので、小林さんのことをいろいろ想像していたのだが、実際に会った彼女は本文中で語られている過去からは想像できないほど明るい人だった。自分の過去と対峙し、その過去を消化した人にしか出せない明るさなのかもしれないが、ひたすら明るく前向きな彼女を見てなぜかほっとしたのを覚えている。ちなみに著書には彼女の過去とともに、読者に向けてのメッセージも折り込まれている。そのメッセージ一つ一つも力強く心に響いてくる。読み進めるごとに勇気をもらい元気づけられ、恥ずかしながらいつの間にか泣いてしまった。一人でも多くの人にこの感動を味わってもらいたいので、書店で見つけたら是非手にとってください。(奥津)

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2007年7月16日 (月)

練馬一家5人殺人事件の現場を歩く

Neri  1983年(昭和58)6月27日、朝倉幸治郎(当時48歳)という名の不動産鑑定士が練馬区大泉学園町にある1軒の家に乗り込んだ。

 旧知の間柄とはいえ強引に家に入り、一家の母親をハンマーで撲殺、さらに1歳、小学校1年、小学校3年の子どもを次々と殺害。風呂場のバスタブにまとめて遺体を隠して家の主である白井明の帰りを待ち、帰ったところをナギナタで斬り殺した。その後、一家の死体をナギナタやノコギリでバラバラに分解。作業中に親族から連絡を受けた警察に踏み入れられ殺人容疑で逮捕された。
 長女を除く1家5人が一夜のうちに殺された。長女だけが偶然2泊3日の林間学校で家から離れていたため殺されることはなかった。

 犯人である朝倉幸治郎はかねてから「カッとするか何をするか分からない男」と言われ、実の兄弟を出刃包丁で刺したこともある一方、事件の近年では近所に住む主婦に「あいさつを欠かさない腰の低い人」とも見られていた。また、付き合いのあった人からは「筋を通さねばならない」性格とも言われた。

 白井一家が住んでいた土地624平方メートルは事件から25年前の1958年(昭和33)に白井妻の父親が地元の地主から買い取ったものだった。父親がこの土地と白井家の木造2階建ての家屋約140平方メートルを担保にして共栄信用金庫など銀行から借金。その借金を返すことができず土地は共栄信用金庫により競売にかけられていた。
 朝倉は1億600万円でこれを落札。すぐさま1億2950円の転売契約を結んで内金を受け取っていた。白井一家が立ち退かなければ転売契約不履行になり、違約金に加えて朝倉が払わなければならない銀行からの借金の利息が100万円に上る見通しだった。
 要するに、朝倉は白井家が立ち退かないことに相当な焦りを感じていた。逮捕後、動機については「建物の転売がうまくいかず、破産宣告されるのが怖かった」と述べ、また「白井に対しては骨まで粉々にしてやりたいと思っていたのですっきりした。しかし、女、子供まで巻き添えにしたのはすまないと思っている」とも述べた。
 白井側にも妻の父親からの借地権をタテにして引き渡しを拒み続けるなど落ち度はあったがその代償とはまったく釣り合わない惨事となった。

 現場は東京都練馬区大泉学園町6町目。1km圏内には陸上自衛隊朝霞駐屯地や大泉中央公園などがあるが、事件のあった家付近まで来ると国内どこにでも見ることができそうな、ごく普通の匿名的な民家が続く。若干、1件1件の敷地が広く思われたくらいだ。
 白井一家が住んでいた家を探すのに少し手間取った。行き止まりで繋がっていない道が少し多い。一軒の家を通りかかったとき、40~50歳くらいの良き父親風の人が出てきたのでたずねると、やはり一家殺人事件のことは知っていた。昔からここに住んでいる人だという。
「あの家はね、事件の後しばらくして取り壊されて駐車場になったんですよ。でも最近家が建ったんだっけなあ……。ちょっとそっち側に行ってないから。この区画の反対側だよ」
 言われたあたりを探すが駐車場は見つからない。しばらくして自転車に乗った初老の男性に話を聞いたが、この男性がはっきりと事件のことを覚えていた。口調もカクシャクたるものだ。
「こっちに来てみなよ。これがあの事件があった場所だよ」
 示された場所には見るからに新しい家が建っていた。よく見られる今どきの民家があった。
「当時はね、もっと木がワーーッとあったんだ。事件のあと、ほら、土地の権利とかそういうものが絡んでたのがあったからなのか、しばらく放って置かれてたよ。それが駐車場になって、つい何年か前にこの家が建ったんだ」
 もちろん今住んでいる人は事件を知らないだろうと言う。
 この男性が事件について明確に覚えているのは、白井明が殺される日、朝通勤時に彼に会っていたからである。
「朝、会社に行く途中、白井さんに会ったんでちょっとだけ話をしましたよ。何を話したかは覚えてない。どんな人? 温厚そうな人だったよ。次の日、会社から帰ってくるとき、ヘリが上空をバタバタ飛んでるし何となく雰囲気がいつもと違う。報道のヘリだったんだね。帰って妻に聞いて白井さんとこの事件を初めて知った。そりゃ驚いたよ。言葉もなかった」
 話を聞いてる間にも、家の中から楽しげにはしゃぐ声が聞えてきた。子どもがいるらしい。偶然、洗濯物を取り込む母親が出てきた。健康で明るそうなそうな人で、想像だが豊な家庭に思われた。

 犯人・朝倉には2001年に死刑が執行された。小泉政権下での初めての死刑執行だった。
 林間学校に行っていたため凶刃から免れた長女は現在母親になっている。1審判決は法廷で傍聴したが、最高裁での判決は育児で忙しいため来ることはなかった。(宮崎)

※ここから先の記事は…

『あの事件を追いかけて』(本体952円、アストラ刊)にてご確認ください。

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2007年7月15日 (日)

台風「マンニィ」に踏みにじられる休日と日本列島

せっかくの3連休を直撃した、なんとも罪つくりな台風である。しかも3連休の最後は「海の日」であるのに。何万人のスケジュールをブチ壊しになったのかを台風自身は知るはずもなく東京を直撃すべく日本上空を進んでいるが、そんな悠長なことを言っている場合でもない。
台風の当たり年とも言われた04年の台風23号は94人もの死者・行方不明者を出し多くの自治体で避難勧告が出されたが、今回は雨量でいえばその2倍が予想されるのだそうだ。7月に発生する台風では1951年の観測開始後、最大の勢力であるという。アジア太平洋諸国で構成される台風委員会では今回の台風をマンニィ(MAN-YI)と命名。

国内での影響はどうか。この時点(15日午前2時)で分かっている時点でのものを大まかにジャンル分けした。
・【交通機関】……飛行機は今のところ654便が欠航、フェリー、新幹線等もいくつかストップ。
・【政治】……党幹部級の遊説のキャンセルが相次ぐ。小泉元首相の九州での遊説が中止、麻生太郎も大分入りをキャンセル。
・【商業】……九州では「宮崎山形屋」や「ボンベルタ橘」などの百貨店が臨時休業。休日の売り上げがゼロになる。
・【農業】……沖縄タイムスによると、出荷目前のマンゴー、サトウキビやパパイア、バナナなどに大きな被害をもたらす可能性大。
・【暮らし】……九州を中心に7県約2万8000世帯に避難勧告。大分、宮崎、鹿児島3県で計約7000世帯が停電。大分県別府市では土砂崩れで民家が被害。三重県で倒木・土砂崩れで国道が通行止め。
・【スポーツ】……J2の試合がいくつか中止。九州の小倉競馬が中止。
・【イベント】……静岡県掛川市での「ap bank」が中止。同イベントは昨年7万5000人を動員していた。気の毒なのは沖縄県伊江島でのイベントで、「IE SOUND JAMBOREE」は2年連続で台風で中止になった。埼玉県川越の小江戸川越花火大会、約50万人の人手が見込まれる横浜・山下公園の第52回国際花火大会は56年に始めて以来、初めての中止。
・【祭り】……香川県三豊市の仁尾マリーナフェスティバルが中止。
と、ここまで書いたが、やはりネットだけでも調べるとキリがないことが判明。何十分おきに新しい情報が追加されてくる。
ウェブ2.0的なものを感じさせるのが次の「ウェザーニュース」のサイト。全国1万2000人の「天気記者」が、実際の台風の様子を文章や写真、動画でレポートするのだそうだ。
http://weathernews.jp/typhoon/
昼であればライブカメラなどでもかなり鮮明な映像が、街によっては観ることができるようになってきた。

外はずっと強くなったり弱くなったりの雨が続いている。くれぐれもお気をつけて。

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2007年7月14日 (土)

吉原 泡の園 第25回/無理矢理カラオケツアー

 在日朝鮮系のマネジャーとKちゃんは本当に仲が良かった。常に日本語で話はしていたが、本当に恋人のようだ。(ちなみにKちゃんは女ですから)
 テーブル席と畳があり、絶対に畳に座る。生ビールを頼み、トン足やらカルビやらをドンドン頼む様は本当に男らしい。
「ご苦労さんだな、飲めよ」
 全部自分が払うかの勢いである。始めはそう思うのだとおもう。が、最後は決まって、
「よーし、今日は1人いくらだ、ゲップ、ワハハハ」
 となる。皆もきっと思っていただろう。
「ええっ、あんだけ勝手に頼みちらして、1人いくら? あんたの奢りちゃうん? 彼女ではないが、Kちゃんの前で大物振りして、影で僕らが泣いてさ、金とるんかい」
 ドンちゃん騒ぎをして、ちっとも楽しくない僕らだが、たまに同じグループの他店舗の社長などが隣りの座席などで、女の子などを一同に集め、静かに飲みながらミーティングなどをしていると、そっと帰り際マネジャーの所に来て、
「お代はもう済んだから」
 などといってさっそうと店を出る。その後ろには女の子が10人くらいぞろぞろ後をついて行く。
「お、男や」
 と思ったりしたもんだった。
 マネジャーといると、たまにそんなおいしい場面に遭遇して、ただになるという利点は確かにあるが、それも10回に2、3回くらいだ。
 これから寮に帰っても、寝れるのはせいぜい4時間くらいか。毎日毎日焼肉屋Tにいるときはそう思っていた。 
 たまに、
「よし、カラオケいくか」
 とマネジャーが言うこともある。
「ええー、もう4時ですよ、明日も仕事だし、それにもう僕足の筋肉がつりまくってますよ、だめですもう」
 という気分の時でも、1度いったらきかないのだ。ワンタクじゃー(タクシー1台)とだだをこね、タクシーをつかまえる。

 浅草国際通り、浅草に近い場所は24時間ネオンは消えない。その昔、東京も繁華街は浅草しかなかった時代がある。その名残は今もなお残っている気がする。
 どうして、浅草に暴力団事務所が多いのか、それは浅草しか繁華街がなかった時代があり、繁華街に群れてきたヤクザが、今なお済みついているからに他ならない。
 人情の下町。そんな言葉が1番ピッタリする街である。さて、我々を乗せることになったタクシーの運転手はもうガチガチにビビリまくっているのだ。
「うおーやばい客ひろっちまった」
 と顔に書いてある。
「どや、景気ええか」
 とマネジャーが運転手に聞く。ここで僕なんかが普段話しても、なんやこのどこぞのガキは、くらいにしか話してもらえないのに、マネジャーが話すと、
「ええ、ははい。悪いですねぇー」
 となる。
 そして目的地に着くと、ほっとしたかのように安堵した表情になるのだった。
 カラオケ屋の店員も、すこし深夜だったりするとガラが悪かったりもする。
 酔った店員が命知らずにも「このボケが」という勢いでマネジャーにつっかかってくることがあるが、
「ああ、この方堅気さんでなくてね」
 と気づくのか青ざめた表情になる。
 関わって失敗した、という感じだ。が、一緒にいる僕らも同じように思われているのかと思うと、僕は内心恥ずかしかったのだった。
 そして、カラオケ店に行く日はたいてい2時間くらいしか寝れない。
 翌日は足をつりながら仕事をする羽目になる。当然、マネジャーからはボロクソ怒鳴られて、である。(イッセイ遊児)

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2007年7月13日 (金)

安倍政権の終わりをあの女性も予言!

 ここ1週間も安倍政権はボロボロだった。
「ナントカ還元水」という迷文句を残して自殺した松岡利勝前農水相の後釜・赤城徳彦農水相に事務所費問題が発覚したからだ。母親まで「事務所の実態がない、光熱費は受け取ってない」と証言しているのに、9000万円近くが事務所費や光熱水費、人件費などとして計上している。もう心証真っ黒である。どう考えても、何かしらのごまかしがあったとしか思えない。

 それでも安倍首相は大臣をかばうこと、かばうこと。
「私も祖父の代から政治家だが、祖父の代に拠点だったところは大体自宅なんです。自宅に事務所を置くのはよくあること」
 民草ごときに代々政治家の俺たちの慣習なんぞ分かるわけないぞ、とばかりに鼻息荒く語るかと思えば、後援活動が実家で行われていなかったと証言した両親には、ズバリ「お父さんお母さんもご高齢なんでしょう」。
 おいおい、他人の親をボケ老人扱いか!

 死にものぐるいの防戦に、かつての「スター安倍」の面影はない。
 ただ、この問題で唯一救いなのは参院選が近いことだ。すでに釈明会見から涙目だった赤城大臣が、国会やマスコミでの疑惑に追及に堪えられないはずもない。内閣を維持するためにかばっている安倍首相だが、自らの内閣が選挙後に崩壊してしまうなら無理に留任することもできない。黒い疑惑に慣れていた松岡氏でさえ疑惑発覚から数ヶ月で自殺してしまったのだから、悲劇を続けないためにも早めの「救出」が必要だ。

 改めて思い起こせば、安倍氏の首相抜擢は「選挙に強い」からだった。しかし支持率は下がる一方、「選挙に強い党の顔」という印象は完全に払拭された。ところが当人はいまだに「自分はスターだ」と思っている節がある。
 選挙公示前の大量のテレビやラジオの出演など、その最たるものだろう。6月下旬から7月10日までに7番組に出演という過去に例のない露出ぶり。報道によれば、公示前に国民にメッセージを伝えたかったらしい。
 おそらく、「年金問題は昔から続いてきたことで僕のせいじゃないし、大臣の不祥事といっても僕とは関係ない。高々と『戦後レジームからの脱却』をうたいあげれば、国民もついてくるさ」などと考えていたのだろう。このメディア連続出演で一気逆転を狙っていたというのだから。
 しかし「消費税を上げないとは一言も言っていない」というテレビでの増税容認発言が、国民どころか党内からも大反発を受け、「(消費税を)上げなくても済む可能性は十分にある」と火消しに追われる結果となった。そのうえ赤城農水相の問題が噴出し、先に書いたような怪しい説明を繰り返している。
 反転攻勢どころか、火に油を注ぐ対応としか思えない。彼の空回りする姿を見ていると、「ビック発言」で人気が急落したあとの田原俊彦を思い出す。しょせん人気は水もの。引くときは、一気に後退していく。まだ人気がまだあると思って動けば、どんどん墓穴を掘っていく結果に。その姿は悲しい。

 ところで、安倍首相が訴える今回の選挙の争点って知ってます?
 なんと「今後も改革を進めることができるかどうか」らしい。「改革か逆行か。成長か逆行か。ぜひ、皆さんが答えを出していただきたい」と発言している。
 この発言には驚いた。
 郵政民営化に反対した議員たちは今回の選挙をにらんで党に取り込み、小泉政権でにらまれていた日本医師会とも和解。小泉前首相の「抵抗勢力づくり」による政治を評価してはいなかったが、さすがに安倍首相の「改革」となると、何が改革で、誰が逆行しようとしているのかサッパリわからん。
 選挙結果についても「数ということではなく、めざす政策が実行できなくなった時に力尽きる」と負けても首相の座に居座ることを言明。国民の審判ではなく、党内状況によって自分の地位が決まると解説した。もともと政治家としての発言に重みもない人物だったが、人気なくなった今だけに発言の軽さが際だつ。

 じつは現首相の権力がどれぐらい保つのか、参院戦の結果がどうなるかを如実に示したメッセージもある。時の権力者に取り入り、次々と大臣の座を獲得してきた小池百合子防衛相の言葉だ。
「私はもう刺客にはなれない」
 選挙の顔として期待されているとの取材に、彼女はこのように答えている。つまり05年の総選挙のときのような活躍はできない、期待してくれるなということだ。女性初の防衛大臣という選挙対策ミエミエのポストについているのに、この発言。権力に流れにもっとも敏感な人物の発言は、世論調査や出口調査以上の迫力を持つ。
 恐るべきは女のカン。安倍政権に合掌。(大畑)

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2007年7月12日 (木)

先日のロシア 第7回/冬季オリンピック、ソチに決定

 まさに先日、2014年冬季オリンピックの地がロシアのソチに決定した。どこにあるのかイマイチピンと来なかったけれど、調べてみると黒海のすぐそばのよう。冬といえば極寒というイメージが付きまとうロシアの中でも最南端、ソ連時代から保養地として整備されたリゾート地帯ということだ。
 これだけではイマイチぴんとこないが、ソチのポータルサイトを見てほしい。かなりリゾート色を出してきている。

http://www.sochi.ru/

 ロシアとは思えないお気楽な南国風のイラストが印象的。中を訳したいのに、見れないページがいくつも。どうしてだろう。皆さんには見えるだろうか。見えたら教えて頂きたい。

 そもそも今回の五輪誘致について、ソチにはあまり勝ち目がなかった。ライバルのオーストリア・ザルツブルグと韓国・平昌(ピョンチャン)が、IOCから(五段階評価で言う)“優”と評されているのに、ソチは“良(とても良い)”の評価しか得ていなかったほどである。しかし、プレゼンにはもっとも力が入っていた。

 日本のロシア情報誌、JSNによると、ソチのPR活動を企画・実施したのは、2012年の夏季五輪のロンドン誘致に成功した実績があるWeber Shandwick社。それ以外にも、IOCの委員を驚かせた競技施設の模型の製作者は、ウェールズのMillennium Stadiumを作った建築家である。スキー場計画は、カナダのEcosign Mountain Resort Planners Ltd.が作成した。さらに、ソチのキャンペーン映像“Russia. The Door is open”を制作したのは、Media Art Groupの代理店FCB MAとStudio DTV-MA Production House。この映像の目的は海外におけるロシアのイメージを向上させることだが、制作監督を務めたのは世界的に有名なRupert Wainwright氏と、大変豪華なキャスティングでPR活動を行った。ちなみにキャンペーンソングはこんな感じだ。

http://www.youtube.com/watch?v=Iq-MBxtJtj8

 そして決め手は、プーチン大統領の登場である。めったに見ることができない大統領の英語とフランス語を駆使した演説は、選考にかなりの影響力を及ぼしたはずだ。ただそれだけで、意気込みが伝わったのだろう。2016年の夏季オリンピックに日本が立候補しているが、プレゼンの際にはぜひ現東京都知事と安倍総理に英語でプレゼンしていただきたいものである。本当に本気ならね。

 ソチ五輪決定のあと、ロシアの新聞は連日大賑わいだ。ロシアのニュースサイト「Новести(Noveschi)」を検索すると、決定から5日しか経っていないのに、関連記事の掲載がなんと14件。

http://www.newsru.com/search.html?qry=%D1%EE%F7%E8&tpc=0&d1d=&d1m=&d1y=&d2d=&d2m=&d2y=&sort=2

 決定の瞬間から調印、そしてソチ整備の方向性まで盛りだくさんの中、斜め読みしていくと、「モスクワからソチまで、24時間以内で移動できる幹線を整備する」という意気込みたっぷりの記事が。モスクワからソチまでは南南西に1500kmほど。今でも空路を使えば2時間くらいで行ける。間は山ばっかりだけど、陸路もがんばってほしいと思う。道路環境整備には40億ルーブルをつぎ込むとのこと。グレフ経済貿易発展相は、さらに下水道整備にも力を入れていくと発言。競技設備も、オリンピックに使えるようなものはまだ何もなくイチからつくっていかなければならない。ロシアの景気は絶好調とはいえ、いったいいくら投資することになっちゃうんだろう。プーチン大統領はプレゼンで「120億ドル(約300億ルーブル)を投じる」と述べたようだが、足りないとすら思えてしまうのは私だけだろうか。
 しかしグレフは冷静で、長い目で見て効果を考えれば、10年後には大幅な黒字に転じるだろうと推測。「お金の問題じゃなく、オリンピックは全国民を一つにするという大きな意味がある」と発言している。「お金の問題じゃない」って、言いたいことはわかるが、一応経済相なのでは。

 しかもこの勢いにのって6日、サンクトペテルブルクのマトビエンコ市長が2020年の夏季五輪開催を招致するとの方針を明らかにした。ラジオ局"Эхо Москвы"(そのまま訳すれば「モスクワの反射波」となるが…「モスクワのミミヨリ!」みたいな感じかな?)で語ったとのこと。すごい勢いだね。サンクトペテルブルクは、モスクワに次ぐロシア第2の大都市。ロシアの経済基盤を山間のモスクワではなく、海沿いでヨーロッパにも地理的に近いサンクトペテルブルクに移行する計画があるとのうわさもある。このオリンピックが実現すれば、さらに開発が進み、このうわさも現実味を帯びてくるのではないだろうか。

 そしてこれは個人ブログで見つけた情報だが、モスクワではもうチェブラーシカが五輪の旗を持つTシャツが売られているらしい。西部ライオンズの優勝セールばりの準備の良さだ。これから正式にキャラクターが決まってゆくのであろうが、とりあえずチェブラーシカ。日本での長野五輪の際には、こんな騒ぎになっていただろうか? ドラえもんやサザエさんが旗を持ったりしていただろうか? 覚えがないが、ノリの良さでは明らかに負けていると思う。
 これに乗じて7年後にはロシアに行こう。
 一緒に行ってくれる人募集中。(臼利つくし)

http://www.jsn.co.jp/index.html
http://www.rosianotomo.com/bbsvce/vceboard.cgi?mode=res&no=28585

グレフ経済貿易発展相:2014年のソチ冬季五輪は黒字になるだろう(要旨)
ロスビジネスコンサルティング 2007/07/05

グレフ経済相は、ソチでの開催が決定したことを受けて、取材陣に次のように述べた。
「我々はまだ、収益がどの程度になるか試算はしていない。だが、経済省が策定したソチの特別発展プログラム案では、ソチを保養地として整備することで、10年間で3000億ルーブル(約1兆4100億円)もの税収が見込まれる。これに加えて、五輪関連の放映権販売や大型イベントの開催による収入も期待できる。ただ、重要なのはお金ではない。五輪開催は、全国民をひとつにするという意味において大きな意味を有する」
 経済相はさらに、ソチが誘致合戦に破れていた場合でも、計画されていた五輪用施設の90%を建設し、次回の2018年に立候補するつもりだったと明かした。

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2007年7月11日 (水)

参議院選挙を前に恒例の綿貫民輔先生絶賛

ついに綿貫民輔先生が「自民党には戻らない」と宣言した。

綿貫先生の大ファンとして公式ホームページ(http://www.watanuki.ne.jp/)のチェックは欠かせない。開けばわかるが若き日の綿貫先生、くつろいだ綿貫先生、陛下をしたがえる綿貫先生、破顔一笑の綿貫先生と垂涎のスライドショーが見られる。リニューアル前の神主姿の綿貫先生もすごかったけれど(本当にすごい写真だった)今のは心躍る。
もっともいかに感動しても「画像・文書など全ての権利は 綿貫事務所(C) に属します」とあるからここに転用できない。皆さんも勝手に貼り付けてはいけません。携帯の待ち受け画面に使いたい?わかる。その気持ちはわかるけど権利関係があるから衝動と感動が押さえきれない方は綿貫事務所へご一報。
しばしば拝見していても綿貫先生のHPはめったに更新されない。当然だ。綿貫先生ほどの大物に更新によるアクセス数アップなど必要ない。地盤をがっちり固める地上戦が綿貫先生を支える「美しい富山3区」なのだからネットで左右される1票などないのだ。
「棺を蓋いて事定まる」と晋書に曰く。綿貫先生の80年は右顧左眄することなく信念を貫いたと誰もが評価する生き方であった。スライドショーを見ながら今しみじみと懐かしむ。

しかし。ここがちょっと問題なのだが綿貫先生はまだ「棺を蓋」っていないのだ。しかも05年の郵政選挙で刺客を送られ「10歳若返った」と年々老けていく人類の常識を覆して今日ある。実存する。したがって先生が率いる国民新党が参院選で自公過半数割れに至った際に与党へ付くのではないかとの観測がしきりになされてきた。
それをついに打ち消したのが冒頭の言葉である。さすがだ。もう「棺を蓋」ったも同然である。こうした発言は記者会見などで複数示されているなか、今回は7月7日付け朝日新聞4面「党首に聞く」を出典として紹介する。

記事によると「自民党と連立を組むこともないですか」との問いに対して「組まない。餌によだれを垂らして、大臣をやるから自民党につくことはしない」と格好いい。大臣病に取りつかれた某や某女に読ませてやりたい。
ただ「政界筋」的な文脈では、この発言を大臣抜きの協力つまり閣外協力ならばありうるとも読めるらしい。実際に先生のHPにある「綿貫民輔の履歴書」には衆議院議長時代以降を単に「国会活動」としか示していない。どこにも「国民新党代表に就任」と書いていないのだ。だから今の境遇が本当は不本意なのではないかとの憶測もできなくない。共闘している亀井静香氏はもう自民党に帰る余地がないから戦うしかないけど綿貫先生の輿望はいまだ自民内でもあろうから戻る余地がある。
しかも現在の河野洋平衆議院議長の次のなり手が意外といない。順番からすると森喜朗元首相となるも首相経験者が議長とは異例だ。だったら綿貫先生再登場を「餌」に自民が赤絨毯を用意する可能性もあるのではないか……などと綿貫先生ファンたる私は夜も眠れない。議長ならば「大臣をやるから」でもないし。
もしや首相職を「餌」にしないだろうか。何しろ自民は政権維持のためならば何でもする。社会党と組んだこともあった。忘れがちだが細川護煕非自民連立内閣の際には事実上「自共」の野党連合だった。それより穏やかだよね綿貫首相は。首相は「大臣をやる」側だから矛盾もしない。綿貫首相やら綿貫議長再任など思うだに悪夢である……いや「悪」じゃないか。そうだった。私は綿貫先生大ファンなのだから「悪」なんて言ってはいけない。

なんて民草の小さな心配を前記インタビューで先生は痛快に否定していた。「最も訴えたいことは何ですか」に対して「小泉・安倍内閣を総決算する選挙だ。今度の国会のように議会を蹂躙して官邸主導で政治を行うのは見たことがない」と喝破したのだ。
そうだった!綿貫先生は衆議院議長経験者だったのを忘れていた。数行前に書いているじゃないかって? そんな細かい突っ込みはやめなさい。05年郵政総選挙で綿貫先生は議会制民主主義を守ると小泉政権を激しく批判した。安倍内閣の07年通常国会最後の強行採決連発がその闘志に火を付け、ついに憎むべき小泉政権と同一視するに至ったのだ。あっぱれ綿貫先生。「小泉・安倍内閣を総決算」とは何と素晴らしいフレーズだろう。

綿貫先生は郵政事業に利権のある政治家と見られてはいなかった。では清廉な井戸塀政治家かというとそうでもないとの見方が強い。ここが綿貫先生の重厚なところだ。富山に高速道路と新幹線を持ってくる先生でもある。しかしそんなこんなを二番手以下として議会制民主主義守護の鬼と化す綿貫先生と国民新党を応援しましょう。参院選挙後に絶対に与党へ転ばせないためにも(編集長)

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2007年7月10日 (火)

やおいってどうよ

 世の中には「やおい」というジャンルがある。男性同士の愛を描いたものである。現在は、ボーイズラブ(BL)だとか言われて市民権を獲得(?)しつつある(ホントか?)。
 私が初めてやおい本を読んだのは、中学生の時だ。たまたま部活のメンバーが持っていたので読んだ。アニメのキャラクターを使ったもので、きちんと製本されていたのに驚いた。肝心の中身は、同性愛にも興味はないし、知らないアニメだったので覚えていない。なのでそれ以来読んではいない。
 やおいの話に戻すが、やおいの世界で重要なのはカップリングだそうだ。カップリングというのは文字通りカップルを作ることだ。基本的にカップルは実在の有名人やアニメキャラクターなどがその対象にされる。たとえば、ドラゴンボールだと悟空×ベジータ、遊幽白書だと、飛影×藏馬などなど挙げればきりがない。しかし、世の腐女子(腐男子というのもいるらしい)の方々はその巧みな想像力でさまざまなものをやおらせてしまうのだ。
 さて、私が驚いたカップリングがある・それは「えんぴつ×消しゴム」だ。日々使うものまでやおいの素材にする精神はすごい。エロ本やAVを見ている男性諸氏と同じように、やおい本を読んでいる方々が「はぁはぁ」としながら書いたり読んだりしているかはわからないが、仮に興奮しいているとなると、世の中にあるものすべてに対して興奮するということになる。そんなんで日常生活を送れるのだろうかとよけいなお世話だが心配になる。
 鉛筆×消しゴムに好奇心を刺激されたので、カップリングを作ってみることにした。
 ①頭皮(または毛根)×毛髪。一つの毛根から一本の毛が生えるが、そこから2本目が生えてきてラブラブだった二人が三角関係に。そして脱落者は抜け落ちるというストーリー。
 ②スポンジ×洗剤。スポンジが受けで洗剤が攻め。
 ③肌×化粧水。肌が受け、化粧水が攻め。肌が「早くたくさんボクに注いで……」「そんな簡単にあげるわけないだろ……」という感じでSM系ストーリー。
 この原稿を書いているのは深夜。こんな真夜中にやおいのカップリングを考えている自分がほとほといやになった。やはり想像力が豊かではない私には、カップリングを作るのは非常に難しいということがわかった。

 なのでカップリングとは関係ない話をさせてもらう。
 初めてやおい本を読んだときから非常に意味がわからないところがあった。男性同士のセックスの場合、基本的にアナルセックスになる。私が中学生時代にたまたま読んだものはスムーズに挿入行為がなされていたのだが、それが不思議で仕方がない。挿入する側のあれが濡れに濡れまくっている描写があるのだが、男性であれほど濡れている男性なんているのだろうか。とはいえそれは男性向けアダルトコミックにも言えることで、女性が毎回毎回多量の潮を吹くわけがない。世界人口を考えればもしかしたらいるかもしれないが、いたとしてもマイノリティーの中のマイノリティーだろう。さらに以前何かで聞いたのだが、妊娠してしまう物語もあるらしい。男の妊娠と聞いて、ダニー・デビートとアーノルド・シュワルツェネッガーの『ジュニア』という映画を思い出してしまったが、男が妊娠してしまうという奇想天外、摩訶不思議な世界である。人体のメカニズムを無視した壮絶かつ壮大な世界がやおいの世界にはあるのだ。
 普通、鉛筆と消しゴムが受けか攻めかなんて考えない。しかし。腐女子の皆様はそういったことを一生懸命(?)考えている。そういった想像力があると、日々楽しそうな気もする。ゲームをやりながら、頭の中でこれとこのキャラをカップルにして……とか、主人公は総受けにさせてみよう……などと、一つで二つの楽しみ方ができる。そういうこと考えているだけで一日が過ぎそうだし、人生も愉快なものになりそうだ。やおいの楽しさに目覚める女子がいる限り文化は衰退しないだろうし、『となりの801ちゃん』や『腐女子彼女。』といった本を筆頭に、そういった嗜好を持つ人をテーマにした書籍がさらに出版されればますます認知されていくだろう。ただその認知のされ方が、彼女たちにとってよい影響をもたらすのであればよいのかもしれないが、電車男のような注目のされかたにならなければよいと切に願う。  (奥津)

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2007年7月 9日 (月)

朝霞市の米軍基地「キャンプ・ドレイク」跡が公務員宿舎になる(下)

人気シリーズ「あの事件を追いかけて」「ホテルニュージャパン 火災後の廃墟」は、2010年4月に書籍化されます。
ただの書籍化ではありません。大幅リライトのうえ関西事件記事を加え、ニュージャパンのカラー特大写真も豊富にとりそろえています。
ブログでは明かされない新たな事実満載!!

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astra0911@gmail.com

33  はじめ国の公務員宿舎移設案では米軍跡地のうち15ヘクタールを用地にあてるという話もあった。しかし朝霞市の反発もあり、現時点では約3ヘクタールを使うことになっている。
 今回の計画以前の国の方針としては跡地を民間に売り渡すという案もあったが、結果的には公務員宿舎に落ち着いたということになる。

 住民の反応はどうか。かつて基地として使われていた土地で、米軍撤退後には公園として使われることになった青葉台公園でベビーカーを押した主婦2人連れに聞いた。1人は宿舎の計画を知っており、1人は知らなかった。
「あ、それ知ってますよ。なんか、公務員の宿舎ができるっていう。まあそんなに関心があるっていうわけじゃないけど、どうせ使うんならこの辺の住民が使えるようなものにしてほしいっていうのはあるかな」
「せっかく緑があるんだからもったいないっていうのはありますよ。できるならば残してほしい」
 美しい緑、というよりは鬱蒼と生い茂っていて中にあるものが見えないアヤしい雰囲気なのだが、それでも住民にとってはそれも慣れきっていて当たり前のものであるという。

 公園にほど近い商店の主人。
「今は国の土地だからね。僕らがどうこう言ってもしょうがない。ただ、できるのは公務員宿舎でしょ。建設が予定されているのは駅からかなり近い場所で立地がものすごくいい。そして新しい建物。公務員宿舎だから僕には入ることができないものであるわけ。だから、地元の人にしてみれば、あんないい場所にっていうやっかみみたいなのはあるかも知れないよね」
 なるほど、地元民ならではの意見である。さらに主人は続けた。
「グーグルアースで首都圏や朝霞の辺りを見れば分かると思いますけど、こんなに緑が残されている場所っていうのは東京近郊ではそんなに多くないんですよ。環境がどうこう言うわけじゃないけど、せっかく残っているんだから、これを切り崩すのはもったいないと思うよね」
22  改めてキャンプ・ドレイク跡のまわりを歩く。やはり広大な敷地で1周するのに30分近くはかかる。跡地に隣接する朝霞第一中学校の学生が部活のランニングで「ファイトー、ファイトー」と周りを延々と走り回っている。どうやら生徒たちは跡地の周りを走るのが日課になっているようだ。
 青葉台公園のテニスコート近くに来たとき、鉄柵の中に何か錆び付いたような金属の建物の一部と思われるもの(本日の1枚目の写真)が見えた。あれは何だったのだろう。このまま公務員宿舎の計画が進めば、あの謎の建物も消えていくことになる。25階と26階立ての高層官舎が朝霞に出現するのは遠くない。(宮崎)

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2007年7月 8日 (日)

朝霞市の米軍基地「キャンプ・ドレイク」跡が公務員宿舎になる(上)

人気シリーズ「あの事件を追いかけて」「ホテルニュージャパン 火災後の廃墟」は、2010年4月に書籍化されます。
ただの書籍化ではありません。大幅リライトのうえ関西事件記事を加え、ニュージャパンのカラー特大写真も豊富にとりそろえています。
ブログでは明かされない新たな事実満載!!

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11  朝霞市にあるキャンプ・ドレイク跡地に国家公務員宿舎が建設されることが国、県、市の3者の間で大筋で決定した。
 06年には市民から選んだ100人のメンバーによる基地跡地利用計画市民懇談会が発足し、「自然を体験するための場所として活用」「防災の場合の避難地」などの意見が出た。また以前から市民を集めてのシンポジウムが開かれるなどあったが、それらの意見よりも朝霞市は最終的に国が提案した国家公務員宿舎移設案を選んだ形となる。国としては財政的な負担軽減のため23区内にある宿舎を郊外に移設したい方針であるという。朝霞市ははじめ公務員宿舎が近隣住宅に近すぎることなどから公務員宿舎移設に反対していたが、当初の超高層ビル構想が縮小されたこと、公園用地取得の財政負担が軽減できることなどを考慮し富岡市長曰いわく「苦渋の決断」の末、受け入れを決めたとみられる。
 計画通りであれば来年にも工事がはじまる見通しである。

 もともと米軍基地となる前のこの場所は、皇族・朝香宮鳩彦が名誉総裁を務めた「東京ゴルフクラブ」のゴルフ場閉鎖にあたり、1941年に市ヶ谷から陸軍予科士官学校が移設、また赤羽から陸軍被服廠が移設された土地だった。(「朝霞」はこの「朝香宮」にちなんでつけられた)
 1945年、敗戦直後の9月には日本軍に変わって米国第八軍第一騎兵師団の司令部、米陸軍第43師団が移駐、キャンプ・ドレイクと命名された。当然米兵たちが街に出ることもあったのでキャバレーなどができ朝霞の街の印象も変わった。1953年には在日米兵向けのラジオ放送、FEN(Far East Network/米軍極東放送)放送局がNHK第二放送から移設され、20年以上この場所を中心としてFENが運営された。
 ベトナム戦争時には野戦病院として膨大な数の傷病兵を受け入れ、多くが同キャンプ内の死体処理場へ運ばれていった。

 現在は国の所有地となっているキャンプ・ドレイク跡は朝霞駅から歩いて5分の距離にある朝霞市役所に隣り合うようにして残っている。といっても、何十年も放っておかれたのが一目でわかるほど野生的に生い茂った木々に阻まれて、中の様子はまったく分からない。
 広さは全体で16ヘクタール。広大である。それでも、米軍が撤退したあと少しずつ市が跡地を買い取ってきたという経緯があるから、米軍基地時代はさらに広かったということになる。
 それにしても、鉄柵に囲まれた基地跡地はなんともオドロオドロしい。日が沈んでからは絶対に入りたくない。廃墟マニアのウェブサイトに登場することもあるこの跡地だが、その写真も外観だけにとどまっている。
 朝霞市役所の職員によると、鉄柵の中には今でも米軍司令部があった建物の残骸があるという。
 基地跡にすぐ隣接する中学校の生徒ならば、侵入して探検してみたというタダシイ少年がいるのではないかと考えた。できるだけヤンチャそうな男子生徒2人を捕まえて、跡地に入ったことがあるかと問うてみると、
「……いや、ないっす、スイマセン。だって、立ち入り禁止なんで」
 という野心溢れない返事が返ってきた。中になにがあるのか、そういう話題もほとんど上らないのだという。もっとワイルドに生きろよ!(■明日につづく)【参考資料:『朝霞、そこは基地の街だった。(中條克俊)』】

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2007年7月 7日 (土)

『吉原 泡の園』 第24回/吉原ソープ従業員集団焼肉宴会

 Rグループの店は、揚屋町会通り、角町町会に多くあった中、江戸ニ町会通りに1店舗のみあった。それがKという店だった。
 店は男が創る。それは幹部クラスならば誰もが知っているのだ。Kの社長はRにブラリと入ってくると、
「どう」
 とフロントを覗き込む。そこには客の入り、いくらで入ったのかなどを記した大事な店の帳簿がある。それを見られるのは、すなわちマネジャーがチンチンを無理やり見られているようなものである。さすがにマネジャーもカチンときて、今にもKの社長を怒鳴りちらしそうである。
「いや、駄目ですね」
 と煙草を吸い落ち着かせて言うのだ。
 このように、吉原の中は女も当然だが、それと同じようにボーイ達の熱い闘いの場でもある。下っ端のようにゴミ同然の扱いを受けていれば、怒鳴られても怒鳴られてもなんとも感じないが、幹部同士のやりとりは、実際見ていてはらはらしたものだ。
 もしかしたら抗争事件に発展しかねない圧力を感じたからだった。

 ソープランドで働くボーイは、たとえるならば全員が主役を気取っている者の集団。悪く言えばワガママな人の集団とも言えるかもしれない。
 ただ、誤解のないように言えば、社会の中では、固いといわれるような堅気の仕事ですら、絶望はあるし、政治ですらそうなのだから、格別ソープランドだからどうのこうのという話ではないのだ。が、キャラは濃く、非常に暑苦しい人間達だというのは間違いない。
 そんなただでさえ暑苦しい者たちを、1番暑苦しいマネジャーは近所のTという焼肉屋に皆を誘うのだ。誘うといっても優しく言うのではない。
「おい行くぞー」
 皆、仕事が全て終わるとクタクタである。1日中この人(マネジャー)にさんざん怒鳴られて、しかもきちんと理由があるならば、明日から直すことも出来るが、何の理由もないのに怒鳴り散らされているのだ。それでなお飲みにいくぞ言ってくる。寮に住んでいる僕などは逃げるところがないから仕方がない。が、家族持ちのEさんなどはまいったなーと言った具合の顔をする。
「おお、Eもいくかー」
 Eさんを見てマネジャーがそう吐く。
「関口てめえ先いって席を確保しておけ」
 と僕を見るなり、行く行かないではなく、行くものとしてそう言われる。嫌な顔をすると、殴られるし、
「関口、一緒に行こうか」
 Tさんがそう声をかけてくれるのだ。さすがに婚約まで破棄してここ吉原に流れてきた男だ。とても気がやさしい。
「T、てめえいつもいつも金魚の糞みてえによ、関口といつも二人してよ、気持ちわりぃ」
 と僕とTさんが仲がいいのが、どうもマネジャーには気に食わないようなのだった。
 自分には真の友が今までいなかった。それなのに、入ってきたばかりの僕に、優しく声をかける行為自体が気に食わないのだ。それだけではない。Tさんが、密かにマネジャーを悪く言っているのを、このマネジャーという男はカンで感じ取っているのだ。この男はそう言った感覚に鋭い。それで余計にTさんをいじめるのだった。
 焼肉屋Tに行くと、いつものKちゃんと呼ばれる看板娘が元気一杯に迎えてくれる。
「あーこんばんはー関口さん」
 この人と接して始めて、その日普通の会話も出来るし、世の中は吉原だけではないのだ、普通の生活や、法律なんかもあるんだ、と再認識できるし、人間にも少しは戻れるのだった。
「みんなは?」
 Kちゃんがそう聞いてくる。ここでいう皆とはマネジャーのことだ。実はこの二人、恋人ではなくて、(こんな冗談もタブーでした)同じ在日朝鮮系だから仲がいいのだった。
 そして、在日の朝鮮系の人は、全体でも相当な部分において、日本人には絶対に負けないというプライドを持ち、喧嘩などをする際も、殴りつづけ、自分の手がボロボロに鳴っても殴りつづけるそうだ。
 そんな恐ろしい在日朝鮮系の親玉が、なんと店長のSだったのだ。
 もうR店は、在日朝鮮系の人が乗っ取り、そこで働く日本人をとことんまでいじめるという構図が出来あがってしまっていた。
 マネジャーがいじめるのは、僕らが日本人だからという事が一番大きかったのではないかと思う。
 親はパチンコ屋を経営していた。いつも殴られ、マネジャーは育ってきたそうだ。学校にも行かされたが、義務教育の時点で、  
「もう私の手には負えない」
 と総スカンを受け、子供の頃から通信教育を施されてきたそうだ。
 だから、僕のような甘ちゃんがマネジャーのことを理解しようなどどう考えても10年早かったのだ。(つづく)

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2007年7月 6日 (金)

強気でボロボロ安倍政権

 久しぶりに安倍首相の1週間の動きを丹念に追ってみたら、自民党幹部から「死に体」だといわれほどボロボロになっていた。

 年金問題を指摘されると「年金不安をあおる危険性がある」と反論してひんしゅくをかって支持率が下がり始まると、「最後の一人まできちんと払う」と大転換。それまで一切の問題を放置してきたのに該当者不明記録の照合を1年以内にやると明言。あのサメ頭と名高い森元首相にまで「(実現できるか)心配だ」と言われる始末。

 国会の会期を変調して、ほとんど国会で話し合う時間を設けなかった公務員と年金の法案を強行採決。ところが支持率はさらに悪化。毎日新聞の調査によれば、不支持率が52%で、5割を超えた不支持率はあの森内閣以来だと報道された。しかも無理に通した年金関連の法案も評価されず「年金対応評価せず」が63%となった。
 で、この支持率を調べていた1日に起こったのが、久間防衛相の「しょうがない」発言である。米国の原爆投下を「しょうがない」などと、どうして長崎県が地元の政治家が発言したかサッパリわからないが、当人曰く「しょうがない」は口癖らしい。
 しかも、安倍首相はここでも世論を読み間違え、「アメリカの考え方を紹介した」だけだと防衛相をかばった。1日に防衛相の謝罪会見。2日には首相が防衛相を呼んでしかり、完全に事態が収拾するはずだったらしい。少なくとも首相の頭の中では。
 ところが陳謝のあとのに「政治家がこういうことで、いちいちストレスを感じたらやってられん」というコメント報じられるなど、反省の色のない久間大臣に世論の反発は高まる一方となる。各種報道によれば、それでも首相は彼をかばおうしていたらしいが、公明党が引導を渡すことになった。

 公明党の会議への久間大臣の出席を断り、その会議の後には浜四津敏子代表代行が「久間さんには辞めていただきたい」とバッサリ。
 その日の午後には久間氏も大臣を辞めることを決断せざるを得なかった。もっとも謝罪する気はないが参議院選挙への影響を考えて辞めるという趣旨の辞任会見は、状況をさらに悪化させることになったが……。

 しかし首相なる前は、あきらかにスターで「選挙に強い」との理由で首相持ち上げられた男が、そうしてここまでズタボロなのだろう。
 就任当初のつまずきは彼の優柔不断な姿勢だった。その弱腰に批判が集まると、強気で突破する作戦に変更。そのおかげで一瞬支持率が回復したものの、年金問題あたりから「強気の判断」が裏目に出て支持率を下げることになった。
 久間氏といえば失言の多いことで知られた人。「しょうがない」発言を聞いて、即座に辞めさせていれば、ここまで事態は悪化しなかったはずだ。

 結局、彼は政治家としてのセンスがわるいのだろう。
 強気だとか弱気だとか言う以前に、事態にどう対処すべきか適切な判断だができないのだ。政治センスだけはずば抜けていた小泉首相とは、そこが違う。
 しかし考えてみれば、小泉や森などの近年の歴代首相と比べれば、安倍首相が個人的には「イイ奴」かもしれない。恩を忘れない論功行賞ぶり、「戦後レジュームからの脱却だー!」と己の理想にもえる無邪気さ。強気と決めたら方向転換できない不器用さ。
 友達なら「イイ奴」で通りそうだ。
 その性格がアダになるのだから、政治家なんかになるもんじゃない。(大畑)

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2007年7月 5日 (木)

月刊『記録』とはこんな雑誌である

 今回は、月刊『記録』に連載する執筆者について少しずつ紹介させていただく。全国の書店に手広く置かれている雑誌ではないからwebに毎月ラインナップを掲載しているが、タイトルだけでは内容が分からない。
『記録』の特徴として挙げられるのがまず文字ビッシリ。ノンフィクション色が強く、執筆者の年齢層は20代から70代まで幅広い。創刊は1979年、一時休刊を経て94年に再刊。歴代執筆陣は本多勝一氏、石川文洋氏、松井やより氏に始まり多数。毎月の掲載記事は約8~12本である。
 パッと見、昔の運動機関紙を思わせるコワい印象だが、特に支持政党や支持思想はない。コワ面が原因で新規読者が寄り付かず損をしているのでは、という指摘から最近はクマのイラストなどをムリヤリ載せたりするけれど(名を「キロクマ」と言う)、どうもまだ間違った場所に連れてこられたようで、クマも居心地が悪そうな感じである。

 前置きが長くなった。
 まず鎌田慧氏。説明不要だがもう、この人は、すごい。戦後ルポライターの草分けのような存在で、決定版『自動車絶望工場』はじめ数多くの著書があるが、まだ筆は衰え知らず。年齢でいえば60代後半だが担当の大畑氏が電話をかけると常にどこかへ飛び回っているバイタリティの持ち主である。生命力がルポを書くとでも言わんばかり。『記録』で連載の「現代を斬る」では時事ニュースを分析。特にトヨタに対する舌鋒はますます磨きがかかる。

 中村一成氏、「『国民の歴史』の外で」。現役新聞記者である氏が京都府・ウトロの在日一世たちの戦後史を聞き書きを中心にまとめる。在日一世たちにとっては終戦は「解放」であるが、その後も朝鮮には帰らず日本で暮らし続け、日本人のための日本史には描かれることのなかった彼らの戦後を、じっくりと聞き取り記事にまとめている。食べるものがなかった、働き詰めだった、貧相な家だった、語りを通してその情景が見えてくるようだ。

 鍋元トミヨ氏、「チェチェン、死と瓦礫を乗り越えて」。鍋元さんはチェチェン人の難民キャンプがあるアゼルバイジャンの首都・バクーで難民の支援を続けるNGOの代表を務める。94年の第1次チェチェン戦争以来、国を負われることを余儀なくされた人々の現在の生活を捉える。アゼルバイジャンの強烈なインフレ、兵隊になろうとする息子とそれを止める母親、崩壊した教育制度、そしてチェチェンを叩き潰したロシアの姿などはここでしか読めない。

 神戸幸夫氏、「ホームレス自ら語る」。タイトルの通り、毎月ひとりのホームレスに神戸氏が取材し、普段は聞かれることのない彼らの過去と今の生活が一人称形式で綴られる。衒うことのない誠実な手触りの文章を通して、読者はホームレスの人たちの人生を「読む」。連載回数は100回を超えており、これまでの取材をまとめた『ホームレス自らを語る』『新・ホームレス自らを語る』がアストラから出版されている。

「忘れられた国内避難民」、白川徹氏。まだ23歳の氏が、というか白川君がアフガニスタンの難民取材を書く。2年間のオーストラリア留学語、昨年始めてアフガンに渡った。若いが文章の力強さと「読ませる」力は十分。なによりもこういったものを書く人にあるべき狂気のようなものが備わっている気がする健全な青年で、これからに大いに期待が持てる。 現在アジアプレスに所属。今月5日、再びアフガンに飛んだ。地方によっては現在連合国の空爆が行なわれているアフガンは現在も戦禍にある。

 奥津裕美「靖国神社」。もうすぐ奥津嬢は26歳の誕生日を迎えるそうだ。最新号7月号のタイトルは「靖国デートはこう回れ!」。その筋の人からは「ナメとんのか靖国を!」とスゴまれそうなタイトルだが、実際近年の靖国は小泉前首相の起こした波風の効果で観光スポット、デートスポット化しているのである。日中関係に影響を与える存在と伝えられはしたが、日々、靖国には中国人を満載した観光バスがやって来る。実は楽しく矛盾いっぱいの神社である靖国を、他の気合の入った執筆者に比べるとややチェンジアップ風の力が抜けた文章で綴られている。

 塩山芳明氏「奇書発掘」。エロ漫画編集者。時には名誉毀損スレスレ、執筆陣のジョーカー的存在である塩山氏が毎回「奇書」を取り上げて分析(といっても発行されたばかりの新書なども取り上げます)。「書評」でもなく「紹介」でもない。好き嫌いがハッキリ分かれそうな筋金入りの本読みの視点と直截な塩山文体でガガーン!と奇書にアタック。驚くほどハッとする切り口で本を切り開く手腕は見習うべきものが多い。ファン多し。

 斉藤典雄「サイテイ車掌のJR日記」。現役JR車掌。「昇進を諦めてJRを告発する」がキャッチフレーズの『車掌に裁かれるJR』含め3冊をアストラから刊行。ユーモアと温かみある文章で車掌のお仕事や職場の雰囲気が書かれている。が、なんと言ってもメインは民営化時に起こった旧国鉄職員1047名の不採用事件から20年以上続く闘争の行方である。不正とは断固戦う姿勢、温かみのある人柄から「人間、斉藤」と呼ばれる。最近は山形に住むお母さんの様子を見にたびたび帰省。お体に十分気をつけて下さい。

 と、駆け足に著者と内容を紹介させていただいたが、これに毎月特集記事が入る。これがラインナップである。記事の持込み等は随時受け付け中。たびたび送られてくる原稿すべてを掲載するわけにはいきませんが、間違いなく目は通しております。(宮崎)

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2007年7月 4日 (水)

エアコンから大量の水漏れ

本当は今日、綿貫民輔先生について書こうと思っていたが家で災難にあったため、その災難の方を書くとする。適当な気分で綿貫先生を書くわけにはいかないので。

日曜日の夜、突然エアコンから水が滴り落ち始めたのだ。我が家はいろいろな理由が重なって夏はエアコンなしではとても寝られない。1分もすれば汗びっしょりになってしまう。部屋は6畳ほどで寝床と仕事場が一体化している。エアコンの真下が寝床の末端に当たる。要するに放っておけばびしょぬれになってしまうわけだ。
布団が濡れるのは一大事である。学生時代、快晴だったので干したままアルバイトに出かけたら一天にわかにかき曇り、ポツポツと降り出してあわてて死ぬ思いで引き返した記憶がある。しかもエアコンの下部から万遍なく漏れるのでバケツでは間口がしのげない。布団の下は畳である。畳に水を直撃させるは布団以上に危険である。万策尽くして水漏れは止まらず、やむなく消した。水漏れは当然止まる。
それで一件落着とはもちろんならない。前述の通り止まったら最後とうてい寝付けないのだ。扇風機の風を顔に直撃させたままならば何とか眠りに落ちて行けそうだけれど、それでは睡眠ではなく永眠になる危険がある。私は死をも恐れぬが、そうした死はごめんだから隣にあるやっと三畳はあろうかという小部屋に避難するとした。
そこにはエアコンがある。だが同時に山ほどの書籍や書類がうなっている。書庫というのでは生やさしい。本棚が地震で倒れた直後のような状態といえば多少は近い。しかも本棚自体も壁一面に天井までぎっしり詰まっている。「寝て一畳」というけれども、もとが三畳弱だから無理やりにこじ開けてとにかく寝て月曜を迎える。

これで仕事のない身ならばともかく、月曜締め切りの依頼原稿が2本ある。悪いことは重なるもので今週は準備が遅れていた。環境は会社の方がはるかに進んでいるので出社して何とかする。ほかにももろもろあって結局は終電で帰った。
家での仕事は補助的にせよしないと間に合わない。しかしその主たる武器であるパソコンと、それを搭載するパソコンラックは水漏れエアコンの部屋にある。そこで仕事にならないのは寝られないのと同じ理由。よってそれもまた無理やりに三畳部屋に押し込んでみた。
急な用があっても面積は変わらない。三畳いっぱいに展開していた書籍類をそのままにねぐらとパソコン環境を確保するのは容易ではなく3日午前6時頃までかかった。

その光景は壮絶である。多分かなりの規模の地震が発生したら大量の書籍が上から石つぶてのように私を襲って生命に関わるであろう。写真をとってアップしたいぐらいだが恥知らずにもほどがあるのでやめた。本を床に均等に並べて、その上で寝るという実験もしてみた。何だかベッドみたいな基盤ができたものの寝心地最悪。というより本はもとよりベッドの役割を期待されて作っていないので床が崩壊するような形で実験は失敗に終わる。バカみたいだが本人(私)至って真剣かつ深刻である。

本日(3日)は電気屋さんが来てくれて「直してくれるかも」と淡い期待をした。ダメだった。エアコンが目詰まりしていて本来は外へ輩出されるはずの水がしたたるそうだ。フィルターのゴミなどマメに取っていたし、時々外から掃除機で吸ったりしていたのに。
「時々分解してクリーニングしていますか?」と電気屋さんに聞かれて「そ、そんなことを皆さんなさっているのですか?」と反問すると「電気屋でないと無理でしょう」。じゃあ無理なんじゃないか。一瞬、分解できない自分が情けないと落ち込んでしまった。
結局どうなるかというとその分解とやらをするか取り換えるしかなく、いずれにせよ4~7日はかかるとのことだ。その間、私は狭すぎる部屋でヤドカリのように過ごすしかない。

商売(出版)である意味、本は私の生命線だ。家に帰ると物理的に生命を脅かす。あと一週間ほど地震がないのを祈るのみ。それにはどんな神様がいいのか誰か教えて下さい神様!(編集長)

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2007年7月 3日 (火)

迷惑メールを研究しよう! その1 

 最近やたらと迷惑メールが来る。いわゆるスパムメール、バルクメールというやつだ。
 普段は読まずに削除してしまうが、業者もせっせと送ってきてくれるので、その誠意に報うべく研究してみることにした。
 読んでいるとだいたい同じ業者から同日に何通も送られてきていたり、差出人は女なのに、内容は「俺はこれで彼女できちゃいました」といった矛盾に満ちた内容、さらには「お金を振り込ませてください」といったタイトルで、疲れた生活を送っている人が読んだら即URLをクリックして逆にお金を振り込まされてしまいそうなメールまである。
 基本的に出会い系サイトのものが多いが、中にはウィルス付き、ネズミ講、ダイエット薬販売(中身は英語)などセックスに付随するメールばかりではないことがわかる。しかし、そんなメールは少数で、大多数が出会いに直結するものばかりで少しウンザリしていしまう。肉体関係を結びたいと欲する男女が存在するのはテレホンクラブ(テレクラ)が栄えた時代が象徴するようにいつの時代でも変わりがない。テレクラのチラシが入ったティッシュや、電話ボックスの中に無数に張られたチラシなどの代わりに、そういったメールに取って代わっただけという印象が私にはある。
 さて、今回は第一回ということで、送信者の名前について研究してみた。
 メールの送信者を見ると、やたらと変な女性の名前が多い。いくつかに分類してみた。
 その1、芸能人の名前をもじる。思わず苦笑してしまったのが、「リア・クリステル」。これは、最近人気のリア・ディゾンと、これまた人気アナウンサー滝川クリステルをとった名前だと一目瞭然。ほかには、浜崎まゆみ。そっくりさんAV女優名(昔いた加護あいりとかくらもとまいとか……)じゃないんだからもう少しひねりを加えて欲しいものだ。
 その2、名前だけ。美咲、いくみ、さとみ、まさこなどなど。この場合、漢字かローマ字のどちらかだ。
 その3。適当ないかにもいそうな名前か、源氏名にありそうな名前。石田初鈴、西森千果子とか。迷惑フォルダに入らなければ、普通に友人にいてもおかしくない名前である。もし夫や恋人のメールボックスにいたら間違いなく浮気を疑われるだろう。
 業者はこういった名前をがんばって考えているのだろうか。いずれにしろ迷惑フォルダに振り分けられてしまうのだからもっと適当ないい加減な名前、たとえば六条院麗華とか、三十院光とかね。内容もばかばかしいのだからすべてばかばかしくしてみたらどうだろうか。
 第一回目は送信者の名前を研究したが、次回はどういった内容なのかを研究してみたい。今日はスパムトラバが嫌がらせのように貼られそうだが、そのうちそういったものも研究してみようと思う。 (茎崎カリナ)

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2007年7月 2日 (月)

唯一無二のケンカ極道・花形敬が刺された場所を歩く

Hana 「渋谷で一番強い男」。1930年(昭和5)生まれ、戦後の混乱期を暴力でのし上がった花形敬はヤクザ者から畏敬の念をこめてこう呼ばれた。小学校の頃から他の追随を許さない腕っぷしで知られたが、いっぽうでケンカがらみで怒鳴り込んできた相手の親を感心させるほど弁が立ち、頭も切れた。
 花形敬の実像を描いた本田靖春著『疵』によると、本書執筆段階(1983年)に渋谷を根城とした石井組の組長・石井福造が学生時代に花形とケンカで対峙したときの印象を語っている。
「あいつ、縁なしの眼鏡をしていたでしょう。それをかけていると品がいいんですけど、喧嘩するときにすぐはずすんです。すると、凄い顔になる。顔見ただけでびっくりしちゃった。もの凄いんだものね」
 花形の顔には学生時代で既に大きな“疵”がいくつも刻まれていた。その道の組長にまで上り詰めた男からそうまで言われるほどの顔とはいったいどんなものだっただろうか。それはともかく、ズバ抜けてケンカが強かった。相手がナイフや銃を出してきても、花形は大胆にも常に素手で闘った。それでいて負けない。拳を交えることは現実とならなかったが、用心棒時代の力道山にもサシで睨み合って互いに一歩も引かなかったことなど逸話も数多く残している。また、格闘漫画『グラップラー刃牙』に花形をモデルにしたキャラクター「花山薫」が登場することからも、やはり型破りな強さを持つ人物像は伝説的となっている。
 花形敬は後に前述の石井の紹介で“戦後の最強愚連隊”として恐れられた安藤組(正式名は東興業)を設立した安藤昇と引き合わされる。大幹部にまで上り詰めるが、1963年(昭和38)午後11時15分、自宅近くで2人組の男に刺されて死亡。33歳だった。刺したのは東声会の組員。花形はこの時点で前科7犯、逮捕されること実に24回に上った。
 刺されたのは東洋郵船社長・横井英樹を襲撃し、殺人未遂で2年6ヵ月の刑期を終えたすぐ後だった。

 刺された当時の毎日新聞を開くと、ソフト帽を被り笑みを浮かべる花形が認められた。眼鏡をかけているが、顔を被っている“疵”はハッキリとは分からない。四角い顔は猛々しいというよりもむしろ紳士的な雰囲気な印象。

 花形敬が刺された場所に向かった。現場からの最寄り駅は二子新地。現在の住所では二子1丁目にあたる。
 刺されたのは料亭「仙寅」の前だった。当時料亭があった場所を歩くが見つからない。2人連れの女性(60~80歳くらい)に「仙寅」についてたずねた。

※ここから先の記事は…

『あの事件を追いかけて』(本体952円、アストラ刊)にてご確認ください。

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2007年7月 1日 (日)

■月刊『記録』7月号発売!

『記録』7月号が発売。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~astra/link/test0707.html

■ 《特集》“親学”を検証する。 /本誌編集部
  教育再生会議の第二次報告から省かれた“親学”。そのクダらない内容について日本中で批判が上がったのだろうと思いきや、若い世代では一方で内容への「賛成」が「反対」を上回ったという新聞社の調べも。そこで今回は実際に子育てを担う女性に“親学”について聞いてみた。

 

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