« 『吉原 泡の園』 第21回/弱い者が押し潰される世界 | トップページ | 小平事件の現場を歩く »

2007年6月17日 (日)

東京のイスラム・ビルの中のモスク/神と家族と仕事

 イケメントルコ人のファートさんと、初老の男性とめがねの男性にとってアッラーは絶対である。ともすれば排他的な宗教として認識されがちなイスラム教だが、彼ら3人は他の宗教を認めないわけではないと考えている。
「キリスト教は、もともとユダヤ教から流れがきてるでしょう。イスラムもユダヤ教の影響を受けてますでしょう。宗教は違っても、神は同じ、呼び方が違うだけです。だからキリスト教はダメだ、なんては言わないですよ」
 戒律が厳しいという点では厳格なイスラム教だが、簡単にイスラム教徒になることができるという点では寛容な宗教でもある。証人の前で「アッラーの他に神はなし」を含むシャハーダ(信仰告白)を済ませればそれで教徒になれる。
「イスラム教徒になりたかったら、誰でも、すぐになれるんですよ」とファートさんの目がキラリと光った。

 単に彼らの人柄がそう感じさせたのかもしれないが、夕暮れに現われた突然の来訪者を迎え入れてくれるあたりから敷居の低さのようなものは感じていた。礼拝に使われるマットは使うたびに片付けられるようなことはなく、常に部屋の床に敷いてあるようだった。これをだらしがないと言うのか寛容と言うのかは人によって感じ方が違うところだろうが。
 なんといっても、彼ら3人からはカリカリしたものが感じられない。非・神経質人間とでも言うべきか。常に陽気である、ということではない。じっと黙ったりもするのだが、わたしの存在をまったく負担に感じていないような空気がある。ざっくばらんに言えば「勝手に来て勝手に帰ればいいよ」という雰囲気だ。それでいて客人に対する気配りも見せてくれるのである。一見、矛盾しているように思われるかもしれないが、この空気を表現するのはちょっと難しい。
 現に、「これ、みんなで食べましょう」と初老の男性が、器に盛った、というかそのまま載せたバナナを持って来てくれた。早速、4人でもりもりとバナナを食べる。
 ところで、ファートさんはどういうきっかけで日本に来て暮らすようになったのだろうか。
「私は日本人と結婚しています。仕事は、トラックの運転手をしています」
 ファートさんが財布から1枚のカードを取り出した。外国籍の者には常時携帯が義務付けられている外国人登録証の一角にはたしかに日本の女性の名が記載されていた。
 毎日、トラックの仕事を終えてからお祈りにやってくるという。わたしにはトラック運転手の知り合いがいるが、そうとう体力的にキツい仕事であることを彼から聞かされている。「トラック、大変でしょう」とファートさんに言うと、
「けっこう大変。でもなるべく家族のために時間を作るようにしてます。日本人はね、働きすぎですよ。毎日毎日、仕事だけっていう感じでしょ。トルコではそうはならない。1番目に神様がきて、2番目に家族。仕事は3番目だよ」
 冗談めかしてでもなく、言葉を選び選び、しっかり話す。
 もしイスラム世界の人々の多くが実際に同じような考え方をしているのであれば、たしかに「まず仕事ありき」の現代日本人とは生活の根本の考え方が大きく違っていると言わざるを得ない。
 私が一時期アルバイトをしていたデザイン事務所では、社員は朝9時から夜11時半までが標準の勤務形態だった。「デザインの仕事はどこもこんなもんだよ」とその職場の人間は言っていたが、彼らはデザイン業界より外のこと、さらには日本より外のことを知らない。
 遠い国から来た、神と家族を重んじるファートさんたちにとっては日本の生活は奇異に見えたに違いない。(宮崎)

|

« 『吉原 泡の園』 第21回/弱い者が押し潰される世界 | トップページ | 小平事件の現場を歩く »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 東京のイスラム・ビルの中のモスク/神と家族と仕事:

« 『吉原 泡の園』 第21回/弱い者が押し潰される世界 | トップページ | 小平事件の現場を歩く »