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2007年6月 7日 (木)

彼らのポケットにはナイフがある? イスラムへの偏見

 イスラム教に対する誤解は、欧米や日本を問わずに強いものがあると思う。その「誤解」にはたわいのないものもあるが、イスラム教徒に対する差別を助長する類のものがやたらと多い、というのが私の実感だ。
 日本ではそれほどでもないが、欧米では「右手にコーラン、左手に剣」のイメージはすさまじいものがある。私がオーストラリアに留学中、学校でリビア人の友人ができたことをホームステイ先のホストマザーに話したところ、「彼らは一見優しく見えるけど、いつでもポケットにナイフを仕込んでいるのよ」と、真顔で諭されたことがある。彼女は、オーストラリアでもかなりリベラルな思考の持ち主で、積極的に異文化交流を行おうと、ホームステイを多く引き受けている。その彼女をして、イスラム教徒全員が、ナイフを隠し持っていると言い張るのだから、誤解の根は深い。
 イスラム教徒は、異教徒だからといって改宗を迫ったり、危害を加えたりすることは行わない。なぜなら、それらの行為はコーランで明確に禁じられているからだ。イスラム教の成立は7世紀であり、キリスト教やユダヤ教の成立より遅いため、それらの異宗教との関わりを無視しては、イスラム教自体の存続が不可能である。異宗教に出会う度に攻撃していては、身が持たないし、物理的に不可能である。
 コーランというのは、キリスト教徒にとっての新約聖書、ユダヤ教徒にとっての旧約聖書だと思われがちだが、その性質は大きく異なる。コーランでは、信仰者の規範だけではなく、断食の時期から、食事作法、商売においての契約方法まで、儀式や生活においての殆どの行動が事細かに規定されている。これらを守ることは、イスラム教徒にとって大切な信仰の表現であり、簡単に違反をしていい類のものではない。よって、コーランによって禁止されている、改宗を迫る行為は、信仰に背くことにもなるのだ。
 もちろん、私の友人はナイフなんて持ち歩いていなかったし、改宗を迫られたことなどは、一度としてない。どちらかとえば、彼は周りの人々の宗教や文化を尊重することに、熱心すぎる方だった。もしかしたら、彼は、私たち日本や欧米の人間が「右手にコーラン、左手に剣」のイメージを持っていると考えていて、それが真実ではないことを必死に示そうとしていたのかもしれない。もしそうならば、それは悲しいことだし、彼に何ら非のあるものではない。
 今日、日本で暮らすイスラム教徒は少なくない。先月もアミネ・カリルさん一家が長女のマリアムさんを残して、イランに強制退去になったことはまだ記憶に新しい。イスラム教徒に対する理解がまだまだ欠けている日本では、差別も依然として強く存在する。私は、もしカリルさん一家がイラン出身のイスラム教徒ではなく、アメリカやイギリス出身のキリスト教徒であったら結果が同じであったか、と難じずにはいられないのである。(白川徹)

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