スチュワーデス殺人事件の現場を歩く

遺体は武川知子27歳、職業はスチュワーデス、今で言う客室乗務員である。イギリスの航空会社BOACが日本人として初めて採用したスチュワーデス8人のうちの1人で、同月13日からは香港行きのフライトで初乗務する予定だった。当時の毎日新聞には、フテキな笑みを浮かべ、ふっくらとして健康そうな武川さんの写真が載せられている。スチュワーデスというより八百屋のカンバン娘、という風情である。
死因は「やく殺」、つまり手で首を締めて殺されたと判明、ただちに高井戸署に捜査本部が設置された。
この事件が世を大いに騒がせたのは、捜査によって加害者として浮かんだのが保守・厳格で知られるキリスト教カトリック派の神父だったからである。神父ベルメルシュ・ルイズ(38歳)はサレジオ修道会で神父の資格を得て、宗教系の出版社ドン・ボスコ社に勤務していた。
武川とベルメルシュは仲が良かったようで、ドライブに出かけるほどだった。
ところで、事件が発覚してからベルメルシュに目が向けられるまでにしばらくのタイムラグがあるが、それは武川のオトコ脈絡が豊富だったために捜査が難航したからのようである。「毎日のようにダンスパーティーや映画の誘いがあった」と新聞にも載せられており、ある日などは極太ゴシックで「イブに泊まった男」などとデカデカと組まれているので、なんだかワイドショー的展開だけは捜査を差し置いて着々と進行していたようなのである。
閑話休題。犯人はベルメルシュであるとほぼ断定はできていたが、事件後3ヵ月後の6月、突然彼は帰国してしまい、捜査は事実上困難となる。そんな中でも本人は容疑を否定する手紙が新聞社に送るなどして若干の余裕を示す。6月20日に、未解決のまま捜査は打ち切りとなった。
カトリックの神父が殺人に手を染めるという日本では前代未聞の大事件となったが、逮捕にたどり着けないまま事件は葬られることとなった。
善福寺川の現場に向かった。
※ここから先の記事は…
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コメント
(○`・ェ・)ノ【こ】【ん】【に】【ち】【ゎ】
ビートたけしが映画化を考えたことがあるそうです。それでか知りませんが、数年前に新潮45はベルギーに記者を送り、突撃取材を敢行。本人の写真も掲載しておりました。
今も健在かは知りませんが。
取材に行くと、その神父はどこかの教会の司祭をしておりました。\(*`∧´)/
投稿: 李 隆 | 2009年6月21日 (日) 18時06分
小生がいわんでも皆さんご存知でしょうが、
http://www.shinchosha.co.jp/book/110913/
この本が小説です。
史実はどうだったかというと、ドンボスコは今も四谷にあります。
小生も知っています。
世界中にあります。世界中に出版社を持っています。ドンボスコというのは孤児などの教育に生涯をささげたイタリアの聖人。偉大な方です。彼の志をついで、世界中にあります。
上の記事の中では、サレジオ会が悪の巣窟のように描かれておりますが、それはない。本国に逃げた形になった神父は、警察内部の裏話はともかくとしても公式には「加害者」とも「容疑者」とも認定はされておりません。それが史実。
その神父は当時ルノーに乗って、そのスチューワーデスと間違いを犯した可能性がはあったとは思いますが、真実はわからず。
最後に裁くのは神。そのベルギー人神父にはどんな審判が来るのか。それは誰もわかりませんが、遠藤周作はエッセイの中で、「真相が究明されるまで、あの神父をとり調べるべきだった。あの神父は逃げたらいけなかった。堂々と取調べを受けて、潔白ならば証明すべきだった。あの事件のせいで、どれほどの悪イメージが日本の教会に当時広まったかが計り知れない」という趣旨の言葉を残しておりますし、小生もその通りと思います。
投稿: 李 隆 | 2009年6月22日 (月) 23時08分