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2007年6月

2007年6月30日 (土)

『吉原 泡の園』 第23回/ソープ店・Rグループ内での駆け引き

 さて、店を創り、盛り立てていくのが男たちスタッフ、つまりボーイであることは分かってもらったと思う。
 ソープランドでは女の闘いが裏で繰り広げられてボーイたちは無視されがちだが、実はボーイの闘いはもしかしたら女の闘いよりもドロドロネチネチしていて、そんなボーイたちを、“女の腐ったの”と店長などは罵倒していたほどだった。
 店内だけの闘いならば、マネジャーの喝で全てが治まる。が、Rグループ全体の話になるとそうもいかない。 R店内では天下を取ったかのようなマネジャーも、姉妹店では駄目駄目R店で通っているし、そもそもここRはRグループで使えないと判断された者が最後に送られる所だと、ある女性が笑っていった。言った後、僕がそのR店のボーイだと気づき、
「いやいや、そういう意味じゃないよ」
 と励ましてくれたのだった。
 Rグループ内でも、それぞれの社長、店長が我こそが1番の社長、店長である。と黒幕の会長さんにアピールしたくて仕方がない。

 売上が全て物を言う世界で、故にE店の社長はいつもニコニコしていた。それも無邪気なニコニコではない。どうよボーイども、俺みたくならないといかんぞ。と言わんばかりだ。
 靴は常に5万以上のものを、ベルト、服、にもこだわり、社長だが絶対にネクタイはしない。白いベンツを転がしいつも声が小さいのである。
「俺なんか、あんたのその靴1つの金で、1ヶ月豪勢に暮らせる自信がある……」
 いつもベンツの話をしている姿が、どうしてもまぶしかったのだ。
 俺なんかなぁ、冷凍たこ焼きの話を死ぬ思いで考えているのに、彼はタバコも外国のブランドものを吸い、少し吸って捨ててしまうのだ。あれでおにぎりが食えたのに。
 マネジャーも自分の店がジリ貧である、そう悟られたくはないらしい。
「どうでもいいじゃん、こんな店、契約内容とまるで違うでー」
 と思うが、マネジャーは必死である。
 個人の背広屋でオーダーした銀色をベースにしたスーツ。たしかにカッコイイ。が、それは金を払える人がやればいいのだ。
 背広屋は、いつもいつも来ていた。そう、マネジャーからのスーツ代をもらいに、でもいつもいつも断りつづけていた。白髪で、禿げていて、背の小さな背広屋さん、かわいそうに、いくら位したのか知らないが、恐らくその代金はいつか踏み倒されてしまうのだろう。
「え、それこの前払ったやん」
 ととぼけられて。

 RD、B、D、E、R、G、K、と7店舗を抱えるRグループ。これほどまでに急成長したグループもない。そして、それにもかかわらず、あまりにも風俗関係者に知られないのだ。 知られないように展開しているからだ。そこには、知られざる経営のノウハウがある。
 決して大學では教えてくれない裏の経営学である。それは日本有数の暴力団直々に学んできたからこそ出来るとも言える。
 この7店舗はそれぞれ電話でやりとりし、常に相手方の現状を興味深く観察している。同じグループといえども、隙あらばよその店舗を乗っ取り、社長としても収入面での大幅アップをもくろんでいるのである。
 それぞれが織田信長といったところか。そして僕ら下っ端が足軽である。
 姉妹店から店に電話が来るときは、たいていアリバイとして立ち上げている会社用の電話にかかってくるのだが、
「はいHです」
 とマネジャーがアリバイ店の会社名をいう。
 相手が姉妹店の社長などだと、
「今どうや」
 などと聞いてくる。
「まだ口開きません」(口開きませんとは、風俗用語でまだ客が1人も来ていません。ということ)
「そっか、キビシイのぉー、何人でとるんじゃ」
 と姉妹店の社長。
「現在5名です」(待機している女の子の数)
 そしてこの時言う女の子の数も他人との駆け引きの1つであったりもするのだ。
 たとえば、ここで2名です。などと本当の事を言ってしまうと、(そうか、なら情報喫茶にそう言い、うちに客をぎょうさんまわしてもらおっと)となりかねないし、だいいち、舐められる。(フンッ、欠勤かいな、会長が必ず7人は出勤させとかなぁいかんいうとるがな)となるのだ。
 我がR店のマネジャーはKと呼ばれていた。そして姉妹店の社長さん方は、嫌味も込めてこう言うのだ。
「じゃあ、K専務。がんばってください」
 そしてガチャリと電話を切るのである。

 マネジャーもさすがに会長のような男には頭が上がらないというか、事実尊敬していた。
 それも普通でないのである。神というくらいにあがめている。しかしそれは非常に危険な思想に発展しうるし、それがいじめを引き起こす引き金にもなっていたのだ。
 マネジャーは実の親には恐らくあまり愛を受けなかったのではないか。だから、金もくれ、時にほめてくれ、叱ってくれる会長が好きなのだ。
 たまたまそれが暴力団だった。そういう感じだった。(イッセイ遊児)

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2007年6月29日 (金)

『あの頃』(小林高子著)出版にあたり編集部から

Ko_1  7月下旬に発行される小林高子さんの『あの頃』の編集を部分的に受け持たせていただいた。そんな宮崎からこの場を借りてこの本を紹介させていただく。
 小林高子さんはとにかくまあ実に様々なことを経験してきた人である。詳しい事は今月21日の小林さん自身による記事↓
http://gekkankiroku.cocolog-nifty.com/edit/2007/06/post_1fef.html
 にあるので省くが、物語は嵐の後にまた嵐。ときには出口としての自死を考えるほどだったが、どうにかして前方を見据えて足を踏み出そうとする。タフなのだろうか? いや、そうとも言えない。買い物依存症、恋人の死、離婚、その度に“どん底”を味わって打ちのめされている。立ち直る力は自分の強さだけではなく、周りの仲間や家族からの声から得たものでもあった。
 実際に小林さんの身に起こった出来事であるのに加えて出来事のひとつひとつが重みがある。しかも気分が重くなってしまう出来事が多い。ヒザつき合わせるようにしてじっくり作業に取りかかったが、文章を推敲し練り上げていく中で、この体験を最良の形で読者に伝えようとする、この本にかける気合いをビシビシ感じたものです。
 この本にはそんな小林さんが“どん底”を味わった状態から、ギラリと前方を捉え直し力強く歩き出すプロセスが書き込められている。

 編集作業を進めていく中で小林さんはこうも言っていた。
「ドラマとか映画でも、登場人物に大変なことがあって、それでもなんとか立ち直っていくストーリーってあるじゃないですか。それはそれでいいんだけど、私が気になってたのは、登場人物がその後どうなっていったかっていうのが分からないんですよね。作品が終わってしまうから。『あの頃』では、自分が立ち直った後に、具体的にどういう風にして生活していってるのかまでを書かなくちゃって思ったんです」
 鋭い意見だと思った。
 確かにこういった物語の多くは、物語が完結した時点で消費されてしまう。読み手は「あー、読んで良かったな」というところで本を閉じてしまう。でも小林さんの場合は違う。物語を物語として完結させるのではなく、現在の小林さんの姿の生活を書きながら、ちょっと執拗なほど「あなたは今、周りの人たち、そして自分自身のことをしっかり見ることができていますか?」と問いかけてくるのだ。
 これも小林さんに聞いたのだが、最初にガガガッとこの原稿を書き上げたとき、感想を聞こうと知り合いに読んでもらったところ、読み終えて「ありがとう」と泣きながら原稿を返してきたという。それだけ受け手にとっても力のある内容なのである。
 タイトルは『あの頃』でこれだけを見れば過去の物語のようだが、この本のメッセージはまっすぐに現在を生きる人たちに結びつく。
 本の形態としてはいわゆる「ブログ本」に近い。文字が横組みで少しばかり行間が広い。ただ、読者への迎合ではなく、より多くの若い人たちにこの本を手にとってもらえたらとの希望からこの形態を取っている。ブログ本は内容が薄そう? 否。嘘のない質実な内容だと編集部が保障する。

 ところで、小林さんはかなりの美人である。はじめ原稿を読んだとき、なんでこの人の身にはこんなに次々と災難が?と疑問に思ったりしたが、そういえば美しさゆえの受難と考えれば腑に落ちる箇所もある。何度か妹さんと編集部にいらしたが、部屋全体がなにか妙に晴れやかなので、「ここはどこだよ」と戸惑ってしまったものだ。

 小林さんは今、とても明るく元気である。
 沈んだ時期を経てなんとかやって来た過程を知っているから、余計に明るく強く見えるのだと思う。苦しい時期を乗り越えた小林さんだからそんな苦境を生きる人に伝えたいことがあるという。この本に詰まっているのはまさにそのメッセージである。気合が入った内容になっている。本屋でこの表紙を見かけたら、ぜひぜひ手に取っていただきたい。(編集部)

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2007年6月28日 (木)

先日のロシア 第6回/ロシアの気候事情

「今日、首都周辺では25℃まで気温が上昇するだろう。雲の量は変わりやすく、降水確
率はゼロパーセント。風は秒速2~7メートル…」
 何の変哲もない天気予報のように見えるが、去る6月12日、この記事がロシアの新聞メディア「ВЕДОМОСТИ」(「vedomosti」)のトップに躍り出た。
http://www.newsru.com/russia/12jun2007/pogoda.html 

いつもなら経済や国際ニュースが飾るトップ面に天気予報である。いったい何事かと読んでいくと、日本では考えられない予報が続いていた。

「今朝のモスクワは7℃から9℃、近郊は5℃から10℃。昼ごろまでには22℃まで上がり、地域によっては25℃まで上がるもよう。気象学者によれば、このような天候は6月2週のものとしては例年並み。(中略)13日には各地で短い雨が降る。14日には26℃から31℃まで上昇する見込みだ」

 気温がひとケタ台から真夏並みの温度まで上がることなど日本人としては信じられないが、これが例年並みの気候だという。「日本の湿気にやられて…」と授業をぼろぼろ休むロシア人留学生を数人見てきたが、この気圧の変化に耐えられるのならば湿気のひとつやふたつ、屁のようなものなのではないか。もっとも、「ロシアの気候」は括弧書きでくくって語るにしては土地が広大すぎる。北部から南部に向けてツンドラ気候から亜寒帯気候、湿潤大陸性気候、ステップ気候、黒海周辺の温暖湿潤気候まである。しかし首都モスクワについて言うならば、近年の気候は散々である。

 まず、2005年から2006年にかけての冬には「100年に一度の大寒波」に襲われた。モスクワでは昼間でも氷点下30℃、夜には氷点下37℃まで下がる驚異的な寒さとなった。氷点下37℃となれば家庭の冷凍庫よりも遥かに温度が低い。涙は瞬時に凍り、鼻の中まで凍結する。この大寒波に見舞われたのは1978年以来であり、「100年に一度」と言うには少し年数が足りないかもしれない。とにかくせっかちにもやってきたこの寒波でモスクワでは100人を超える酔っぱらいとホームレスが凍死した。酔っぱらいは路上で寝て、そのまま凍死してしまうのだ。

 そして2006年から2007年にかけては前年とは対照的に暖冬となった。しかも、ロシア気象台によれば「観測史上初めて」の歴史的な暖冬である。厳寒期にもかかわらず、モスクワではプラス気温の日が続き、自然界でも野生動物たちが冬眠できないといった影響が出た。記録的暖冬が、人間の精神面にも影響を及ぼしたという面白い報告もある。「冬待ち症候群」と呼ばれるもので、訪れるはずの寒波や降雪が来ないので、精神のバランスが崩れてしまうというのではという推測だ。COURRiER Japonのブログで見つけたので紹介しておく。
http://courrier.hitomedia.jp/contents/2007/02/post_101.html

 そしてモスクワは暖冬をそのまま春に引きずった。3月末には雪が消え去り、5月後半に入ってからは信じられないような猛暑が続いた。共同通信によると、5月29日までの最高気温は3日連続で観測記録を更新し、連日30℃以上。住民は「寝苦しい」と不満をこぼす一方、モスクワ川の岸辺には日光浴を楽しむ水着姿の人々が群がったという。ロシア気象庁によると、29日のモスクワの最高気温は32.5℃に達した。もちろん、同日としては観測史上初だ。28日は33.2℃で、5月としても史上最高。最近の気温は平年に比べて10℃ほど高く、7月の平均よりも暑いという。なるほど天気予報がトップに来るのも納得する。新緑も寒々しいはずの5月に経験したうろたえるほどの暑さ。国民にしてみれば天気予報が今、最大の関心ごとと言っても過言ではないのだろう。
「異常気象」の定義は、「過去30年ほどの気候と比べて著しく違う気象現象」(大辞泉)。日本でも連日「観測史上最高」「観測史上初」の記録が出て異常気象だと騒がれているが、ロシアの現状を見るとまだまだ生ぬるい気がしてきてしまう。

 ちなみにこの天気予報が載った6月12日は、「Еремей(eremei)」と呼ばれる祝日。「独立記念日」「ロシアの日」などと訳される。
 1990年6月12日、ロシア連邦の国家主権宣言が採択された。この宣言により、ソ連邦の崩壊の速度が速まり、その一年後、1991年6月12日には、バリス・ニコラエビッチ・エリツィンがロシア連邦初代大統領に選ばれている。そしてその半年後、ソ連邦はその存在を消すことになる。「まさに、ロシアにとっては始まりの日であり、終わりの日である」と、この記事は閉じていた。(臼利つくし)

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2007年6月27日 (水)

「ハンカチ王子」斎藤佑樹の将来は暗黒とのデータ

06年夏の甲子園大会をわかせた田中将大はプロで、斎藤佑樹は東京6大学でそれぞれ活躍している。今のところ斎藤の方が人気者で「リーグ始まって以来の1年生でのベストナイン」などと持ち上げられている。
ところで東京6大学出身の投手でドラフト指名されプロ入りしたのは何人いて、どれくらい活躍しているのだろうか。1998年から昨年までで調べてみた。なお卒業して間をあけたり社会人経由で入団した者は除いて計算した。

まず人数は20人で年に2人程度。したがって優勝投手の斎藤はこの調子でいけばドラフト指名される程度まではたどり着けそう。

大学別にみると
・早稲田……7人
・明治……6人
・法政……3人
・慶應義塾……2人
・東大……2人
・立教……0人
意外にも東大が2人もいる。ただ99年日本ハム7位の遠藤良平はすでに引退し、04年横浜9位の松家卓弘も実績を上げるにはまだまだの状態で、順位から推しても多分に話題性が大きい。ゼロの立教もスキャンダルさえなければ02年に多田野数人がドラフトされていたはずで実質1人。それでも最下位。
トップは早稲田だから6大学からのプロ入りを考えた場合に同大学へ進学するのも悪くはない。
次に実績をみてみよう。斎藤佑樹が望まれているであろう「エース」級の成績を残しているのは何といっても02年ダイエー(現ソフトバンク)自由枠の和田毅(早稲田)。次いで99年ヤクルト2位の藤井秀悟(早稲田)。どちらも早稲田だ。ここでも斎藤の選択がさほど間違っていないとわかる。
ただし20人のうち明らかな結果が出ているのはたった2人であるのも事実。つまり6大学でドラフトされる投手のうち「約5年に1人の逸材」でないと先発を任されるほどには至らないとの厳然たる事実がある。
中継ぎで活躍しているのが99年横浜2位の木塚敦志(明治)。「やっと中継ぎ」あたりで02年西武自由枠の長田秀一郎(慶應義塾)と01年日本ハム自由枠の江尻慎太郎(早稲田)。
98年中日3位の小笠原孝(明治)は年に1勝するかどうかで低空飛行中だったが07年は好調だ。似た傾向に00年ヤクルト2位の鎌田祐哉(早稲田)もある。
勝ち星こそあげたけれど現時点で戦力と呼ぶには微妙なのが00年近鉄(現オリックス)1位の山本省吾(慶應義塾)、03年横浜4位の牛田成樹(明治)、同年西武6位の岡本篤志(明治)である。
扱いに苦慮するのが04年楽天自由枠の一場靖弘(明治)であろう。入団に際していろいろあったが実力は折り紙付きのはずだったのに今シーズンは低迷。成功組となるかどうか不透明である。
悲惨なのは法政で3人のうち2人はすでに戦力外通告を受けてしまっている。残る1人は02年横浜自由枠の土居龍太郎。「横浜のドイって活躍しているのでは」と錯覚しそうだが頑張っているのは土肥義弘。ドイ違いである。
まとめると以下のようになる。

①エース級……和田毅(早稲田)
②おおよそエース級……藤井秀悟(早稲田)
③中継ぎエース……木塚敦志(明治)
④今後に期待できる……小笠原孝(明治)、鎌田祐哉(早稲田)、長田秀一郎(慶應義塾)、江尻慎太郎(早稲田)、一場靖弘(明治)

つまり6大学で鳴らしたといってもプロの壁は相当厚いとわかる。その理由は簡単に推測できる。6大学リーグのレベルがプロより相当低いということだ。斎藤佑樹はその範囲内で大学選びなどの点で最良の選択をしたとはいえるだろう。だが低レベルのリーグで勝ちまくってもプロですでに勝ち星を積み上げている田中将大とは直面する敵の格が大違いである。
もう1つ興味深いのはセリーグの人気球団である(あった?)巨人と阪神に生え抜きで活躍中の6大学出身投手が見当たらないこと。これをもって斎藤佑樹も巨人・阪神はやめておいた方がいいと判断するか、逆に6大学出身投手がやたら活躍する特定球団も存在しないので単なる偶然とみなすか、もっと進んでいないのは穴場ととらえるか。

不吉なデータもある。夏の全国高等学校野球選手権優勝チームの主戦投手で6大学へ進んだ後にプロで投手として活躍したというストーリーを歩んだ選手は皆無という点だ。
いわゆる「甲子園優勝投手」でそこそこ以上の記録を残した真田重蔵(旧制中学)、尾崎行雄、桑田真澄と大リーグでも大いに期待される松坂大輔はいずれも高卒(尾崎は高校中退)でプロ入りしている。なお池永正明は夏は優勝していないし、やはり高卒でプロ入りしている。
だいたい夏の甲子園優勝投手のプロ活躍が珍しいのに6大学を経てとなると驚くほど見当たらず戦前の野口二郎(法政)までさかのぼる。この野口でさえ大学中退でプロ入りした。「ハンカチ王子」のキャラで中退は予想しにくい。高校野球約90年の歴史で皆無というのは不吉以外の何ものでもない。(編集長)

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2007年6月26日 (火)

Wiiを買った。

 昨日、有楽町の某ビックカメラへ行った。本来の目的は、いらなくなったゲームソフトを売りに行くこと。
 夫婦ともどもゲームが好きで、買いまくってプレイしまくっていたら増えてきたので売りに行った、というわけだ。私は三度の飯よりゲームが好きで、平日は極力プレイしないように心がけている。やり始めたら10時間は軽くいくので。
 さて、ゲームを売って、合計24000円くらいになったので、ホクホクしながら地下のゲーム売り場へ行った。売ったばかりだが、そのお金でプレイステーション3のソフトと、最近発売したDSのソフトを買う予定だった。 だった……というのは、ほかのショップへ行っても売り切れているWiiをそこでは売り出していたからだ。
 めざというといと言われればそうだが、いつもはショーケースの前に「完売しました」の張り紙があったのだが、その日はなんと「レジにて発売中」とあったのだ。 先週の記事でWiiが欲しいと書いたが、私のその切なる願いに普段は信じない神が味方してくれたのね! と思いながらプレステ3の画面に夢中になっている同行者を引っ張りとにかくレジへ向かった。
 向かったのはいいが、レジに並んでいる人はそれぞれ手に何かしら持っていて、本当にあるのか疑わしくなり同行者を並ばせてレジへ偵察へ向かった。
 そしたらなんと、Wiiがあるではないか! 残りはわずかだったが前に並んでいるのは3、4人で買いそうにもなかったのでとりあえず一安心。本来ならばプレステ3に夢中になっている人は呼ばないが、なにせ財布のなかの所持金が1000円しかなく、25000円が出せないことがわかっていたからである。クレジットカードを出せば事は済むが、後払いで商品が手にはいるのはあまり好きじゃない。というわけで、同行者に支払ってもらった。 あっという間に売ったお金がパーになったが、ひとあし早い私へのバースデープレゼントということで彼は納得したらしい。26にもなるのに、プレゼントがゲーム機というのは切ないかもしれないが、ゲーム好きとしては非常に嬉しい。
 買ったことだし、さっそくプレイしたいが肝心のソフトは買っていない。私の誕生日の日に激しくプレイしたいソフトがでるので、それまで押し入れに封印することにした。
 はやく遊びたいな。(奥津)

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2007年6月25日 (月)

東京大気汚染訴訟問題・トヨタ東京本社前の座り込み現場に迫る

So1  東京大気汚染訴訟公害裁判原告団が国、東京都、首都高速道路公団、トヨタはじめ自動車メーカー7社を相手取る控訴審で、22日に東京高裁は原告と被告の双方に和解を勧告した。

 高裁は和解金の支払額として12億を提示したが、原告側の「何十億」の要求額とは大きな隔たりがあるのが実際のところである。96年の第1次提訴から06年の第6次提訴まで原告のべ633人、11年もの歳月がかけれた大訴訟がいよいよ大詰めを迎えているのだ。
 被告別に見ると、東京都は02年の第1審判決で控訴せずに約6000万円の賠償金を支払っている。国としては先月5月に安倍首相が公害対策の基金から60億を都に拠出する方針であることを示した。また、それを受けて首都高速道路公団もそれまでの「払いません」から、都が提案する医療費助成制度のための財源を一部負担する姿勢へと方針を変えた。
 前置きが長くなったが、つまり22日の高裁の和解勧告まででは、自動車メーカー7社以外は原告団にそれぞれ賠償金、または負担をする姿勢を固めているのだ。

 さて、大気汚染訴訟のことは知っていても、東京大気汚染訴訟公害裁判原告団(以下、原告団)が今月6月5日からトヨタ東京本社の正面玄関前で座り込みを断行していたことを知る人は少ないのではないか。
 トヨタ東京本社は最寄り駅でいえば水道橋駅と飯田橋の間に位置する。その座り込みの現場に駆けつけた。
 JR水道橋駅から首都高速5号線沿いに3分も歩くとトヨタ東京本社の高層ビル、そしてその正面玄関前で座り込みをする人たちおよそ30人ほどが見えてきた。座り込み行動は今年3月にも行われたが、今回はなんと「エンドレス座り込み」だという。気合いが違うのである。
So2  トヨタ本社ビルに見せつけるようにして、「トヨタ・渡辺社長は正当な解決金を決断せよ」とデカデカと書かれたメッセージが「カンバン方式」で掲げられている。11年もの長い訴訟のうちに亡くなっていった原告メンバーたちの遺影もズラリと並べられており、怨みのオーラが本社ビルに向けて放たれているような雰囲気がある。
 玄関前に座り込みを続ける人たちは通行人にビラを配ったりしているが、連日の座り込みにさすがに疲労の色が濃く浮かぶ。それもそのはずで、座り込みメンバーの何人かは3日に1日の割合で本社前に設置した青いビニールテントで夜を過ごしているのだという。さらに驚くのは原告団の弁護士も寝泊まりしているという。まさに身を投げ打っての行動だ。熱意が伝わっているのか、通行人の中には「どうすれば原告団に入れますか!?」と話しかけてくる人もいるという。
 原告団事務局の大越さんに話を聞いた。
「通行人の人はけっこうビラを受け取ってくれたりします。トヨタの人はどうかって? 社員さんでなく、パートの人なんかは『ごくろうさま』と声をかけてくれたりしますよ。やっぱりトヨタに非があると分かってる部分もあるんでしょうね。社員さんは……はじめのうちは無視でしたが、日が経つにつれて会釈をしてくれる人なんかもでてきました」
 原告団から渡辺社長(トヨタ)に向けて手紙を送られたそうですが、なにか反応はありましたか?
「手紙はですね、本社ビルで確かに職員さんに渡しました。交渉の中で『社長には渡してある』ということも確かに職員さんから聞いている。ただ、まだ返事はない。安倍首相は手紙を渡したその日のうちに記者会見を開いて、この訴訟についてコメントをしてくれましたが、渡辺社長については音沙汰ナシですよ。被害の実態を見ようともしない。被害の深刻さ、健康の被害、それを伝えたのに……。遺憾ですよ」
 確実な裏付けはないが、手紙を受け取った渡辺社長は「心外だ」とも漏らしたという。
 大越さんは続ける。
「02年の地裁判決ではつまり都民の健康よりも自動車メーカーが果たす社会的な貢献度が優先されてしまいました。しかし私たちはディーゼルガスによる汚染の因果関係なども科学的なしっかりした根拠に基づいて述べ立てているんです。社会的な貢献度はあるにせよ、それを優先してに喘息を蔓延させるようなことは、あっちゃならんでしょう。汚れた空気による三疾病である慢性気管支炎、肺気腫、喘息、これらが常態化してしまう世の中になってしまいますよ」
 原告団の多くは自身が喘息などの疾病を抱えるが、大越さんはもとは病院の職員であるという。
「喘息の患者などを見ててね、こんなことはあってはいかんだろうと思いましてね……」
 表情には疲労が浮かぶが、ロクな対応をしようとしないトヨタに対する怒りは深い。

 高裁の和解勧告に対し、原告・被告はそれぞれどう対応していくのか。11年に渡る訴訟がいよいよ大詰めを迎えている。注目すべし!(宮崎)

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2007年6月24日 (日)

千代田図書館に古い縮刷版が置かれた

 先月リニューアルされた千代田区役所に行った。訪れるのは2度目だ。区役所にしてはどうも立派過ぎるような建物で、9階に図書館がある。図書館で目当ての本を探していると、新聞の縮刷版がズラリと並んでいるのを見つけた。
 リニューアルされた初日に図書館に来たときは縮刷版はここ10年分くらいしか置いておらず、係員は「すいません、縮刷版は置かないことになりました……」と申し訳なさそうに言ったのだった。それが2ヵ月足らずで大正時代のものから置かれるようになったということは、私と同じように「あると嬉しいんですがねぇ……」など漏らした人が多かったということだろう。
 リニューアルされる前は図書館は九段会館の近くにあり、日が当たらずなんとなくうらぶれた感じの場所に収まっていた。それでも2階の新聞コーナーにはたいてい縮刷版を開いている人が少なからずいた。古い新聞記事になぜそれほど用があるのかと思われる人もいるだろうが、あれは目的なくパラパラやっていても楽しいものだ。熱心に何かを調べている人もいたが、多くは現役引退後、興味ある事件を追い返したり在りし日の思い出などを探しているよう見えた。
 縮刷版には需要があった。それが再び置かれたことで、私や引退後の人たちなどは再び通うことになりそうだ。新しいものに限っても、縮刷版は一冊5800円。一冊は1ヵ月ぶんなので1年では5800×12=69600円。スペースの問題もあるし、ちょっと手が出ない。
 リニューアル後、図書館としては珍しく平日は夜10時まで営業するようになった。映像コーナーも設置され、書き物ができる机も格段に増えた。編集部が騒がしいときなどはここに避難して作業を続けようかと思っている。キレイな図書館なので一度訪れてみてはどうか。新しい千代田図書館には“コンシェルジュ”なる要員が配置されていて、図書館のことを何でも教えてくれるそうだ。

 編集部から図書館に容易に避難できるのは、とにかく「近い」からだ。不謹慎だが、ビルがまっすぐこちらに倒れてきたらちょうど9階の図書館あたりが編集部に直撃するのではないかというくらいに近い。
 縮刷版を発見し編集部に戻ると、寝巻きを着た大畑氏がエネルギーはもう枯れた、という感じでテープ起こしをしていた。小林高子さんの本、『記録』の入稿が同時に迫っているので忙しい。寝ずに根を詰めてずーーっと文字を追っていると、ビルが倒れてきて縮刷版のカタマリが編集部ごと押し潰してくんねえかな、などと楽しい妄想が浮かんできたりする。(宮崎)

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2007年6月23日 (土)

『吉原 泡の園』 第22回 R店を司る者

■これまでボーイを紹介してきたが、店の中心に座するのは他でもない鬼のマネジャーと店長である。吉原に櫛比するソープランド、その中でも最凶R店を司る2人にはある共通点があった。(編集部)

        *      *      *

 次に紹介するのはこのソープ話の登場人物の中でもっとも勢いのある男。
 常識知らず、学校や社会に見捨てられた男、マネジャーである。
 ある日、韓国焼肉屋に付き合わされた。僕は看板娘がどうも気になり、
「あの子どこの国の子?」
 と僕が言うと、
「そんな小せえ事、気にすんな」
 とマネジャーに言われた。
 マネジャーはKという苗字だった。
 しかしそれは偽名だった。実は、マネジャーは在日韓国人だった。それで韓国家庭料理Tの看板娘をかばった。今考えると、なんと恐ろしいことを言ってしまったのかとぞっとするが。
 親はパチンコ屋を経営していたらしい。もちろんヤンキースの松井の故郷である石川県でである。スカイライン箱スカ(スカイラインという車)に参連竹やりマフラーをつけ暴走する、暴走族兼愚連隊だった。
 警察に追われ、仲間の1人が事故死したそうだ。それを僕に熱く語ったこともあった。
 地元で喧嘩をし、マネジャーは素手、相手はドス(短刀)で、刺してきたので、
「おい、やめろコラ」
 と思わず手をだしたら、親指の所がバッサリ切れ、そのところには大きな傷跡が残っていた。
「皮1枚で繋がっていて、ブラブラしていた」
 と言っていた。
 結婚暦も実は3回ほどあり、その3回とも離婚し、そのうち娘もいて、幸せな家庭を築いたかのような時期もあったそうだ。
 建築会社でクレーンなども運転でき、自分では、「花形、スターだった」と豪語していた。今だって十分花形ですよ、と言ってやればよかったかな?
 が、その建築会社で死亡事故があり、仕事は中止、そして請け負う仕事もなくなり、会社がつぶれたそうだ。それまでは花形ゆえか相当な給料をもらっていたが、突然会社が潰れ収入は激減、すると嫁との喧嘩が絶えなくなった。
「嫁ってのは、金がなくなると必ず喧嘩になっぞ」
 地元に嫁と子を残し、地元に吉原のようなソープランドをつくることを夢見て、3度の離婚でこれしかないと思ったらしく、ソープランドでノウハウを勉強するために吉原に来たという。もともと裏社会のエリートコースを歩んできたでもなく家がヤクザでもない。
 ただの叩き上げである。が、その叩き上げだからこそ、マネジャーの厳しさは生半可ではないのだ。
 ヤクザが相手であろうと一向に引かない。殺されてもいい、いや、殺されることなど頭にない。あるのは社会に対する強烈な恨みだけ。だからヤクザでもなんでも自分に歯向かうものは潰す。それがモットーなのである。
 狐のような瞳には、韓国の血が流れていたのだ。南でこれだけ狂暴なのだ。そう考えると、よりキツいと噂される北の在日を考えるとぞっとする。

 そして最後に紹介するのは、マネジャーですら言い返すこと不可能な男、R店を落とした張本人こと店長である。
 Sというお笑い物まねタレントの名前と同じ名前でよくそれを自慢していたが、実はこの店長も在日韓国人で、そのSという名刺も偽名だったのだ。
 恰幅がよく、子供もいる。パンチパーマでタバコはピースを吸う。マネジャーをも手玉に取る様を目の当たりにして、スッゲーと正直に思ってしまった。
 先輩Tは、「数あるグループの各店舗のどの社長よりも、うちの店長が1番男前ですね」などと持ち上げて、どうにか店長にだけは好かれようとしているのだ、それもそのはずである。もし店長に目でもつけられ、いじめられようものならマネジャーとの鬼の共演になる。せめて店長だけは味方につけておきたかったのだろう。
 どうにか気に入られようと、僕を悪者にすることでどうにか話題を作り、店長を飽き指せないようにTさんは勤めていたが、百戦錬磨の店長には無論そんな嘘は通用しない。
 いつしか彼も鬼の共演でWいじめを受けるようになるのだった。(イッセイ遊児)

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2007年6月22日 (金)

「おフランス」的文化の壁は高し

『ちびまる子ちゃん』の漫画を英語に翻訳していた知り合いが、キザな花輪くんの雰囲気を伝えるためにセリフの一部をフランス語にしたと話してくれた。なるほど英語圏でもフランス語はキザな印象を与えるんだと感じたものだ。
 
 じつはフランス料理も、この「おフランス的」高級イメージに頼っていた時代が長かった。典型は結婚式などの演出としてフランス料理を食べることだろう。ただソースに使う野菜や料理用のワインの問題もあり、1980年代のホテルのフレンチでさえ本場の「まかない飯」クラスだったとも聞く。まさにイメージ先行である。

 これがバブル時代となると、高級イメージが女性を口説くための道具に変わる。バブル期はイタリアンがブームだったが、クリスマスなどはフランス料理を食べて一流ホテルに向かうというコースが絶大な人気を誇っていた。ホイチョイプロダクションの『東京いい店やれる店』にも、けっこうフランス料理店が入っていた記憶がある。

 しかし、ここ5年ほどの間にフランス料理は大きな変化をとげた。その要因となったのは安価なプリフィクス制だ。前菜2品、メイン、デザートあたりを、何品もの皿から選べるシステムでありながら、計3000~6000円の値段。
 庶民感覚からほど遠い値段を請求されないし、ちょっとおしゃれ。しかもうまい!
 もう、うまくないフレンチに5万円も払うようなことはなくなった。ただ、もっとカジュアルでおいしい、いわゆるビストロのようなフランス料理店はさすがに少ない。
 特に居酒屋クラスの気軽なサービスを提供する店がない。なんとなくフレンチというだけで敷居が高くなってしまう国民性によるのだろう。その点、フランス人シェフがオーナーの店「ル・プティ・トノー」はスゴイ。サービスを担当する2人の外国人はまるで漫才師のよう。皿を置いては奇声をあげたり踊ったりしてくれる。とにかくお客を笑わせたいようだ。

 袖が触れそうなほど詰め込まれた席で、このサービスを受けると、もしかしたらパリの街角のビストロはこんな感じかもと思えるから不思議だ。もちろん料理はおいしいが、この店の雰囲気も楽しみの1つではある。

 で、ふっと思ったのが、このサービス、日本人にできるだろうか?
 なんとなく無理そうな……。鴨のコンフィーの皿を運びながら、客いじりする給仕。客が引くかも……。
 居酒屋の大将がそんなんでも楽しく笑えると思うのだけど。

 つまり、ここ数年の価格破壊でいくらフレンチが身近になったようでも「おフランス」そのものはまだまだ遠いわけだ。だからどうしたと言われても困るのだが、ちょいとそんなことを感じてしまった。(大畑)
 

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2007年6月21日 (木)

■小林高子『あの頃』出版によせて

 みなさま、今回本を出版することになりました小林高子です。
 本のタイトルは『あの頃』で7月下旬に書店に並びます。どうぞよろしくお願いいたします。
 私は18歳で大切な彼を亡くしました。その時の言葉に出せなかった思いを鮮明につづったのがこの本です。
 今までに起こった寂しさを埋めようとする買い物依存症、どうしても止めさせたかった元カレの薬物、どこに心をぶつければいいのか分からなくなったレイプ、逃れることのできないほどの悲しみが次から次へと襲ってくるような友人の死、何もできない自分をどこまでも攻めたウツ、先が見えない時期の結婚、そして離婚、今までに味わったことなどない男の人の大きな愛、さまざまなことがあり、乗り越えてきました。
 私は死にたいと思ったこともありましたが、いろんな人たちに支えられてこれまで生きてきて、今では感謝しています。そんな愛を持った人たちに出逢えた私も、最初は自分が立ちあがることに必死で周りなど見えていませんでした。それでもいつしか、今まで自分のことを心配してくれた人たちに何かを返したい気持ちになってきました。
 何かをしたいというより感謝を伝えたい。今の世の中はテレビを見れば愛の花も咲かないほど枯れ果てたおぞましいニュースばかり。時計が止まっていた私は今の時代の状況を放っておくことはできないと思い至ったのです。
 私の今までの経験をムダにしたくない、活かして誰かの力に少しでもなれると。立ちあがるためのキッカケなんてほんの小さな事なのかもしれませんが、当時の私の中では自分の身を削るほど本気モードだったのは確かです。この時代でも、まだまだ温かい人や愛がたくさんあると、これからの未来の子どもたち、大人の人にももう一度考えてもらえたら。そんな純粋な気持ちだけです。
 本が苦手で読まなかった以前の私がここまで人に何かを伝えたいと取った方法が、字を書くという手段でした。もし歌で伝えられるならそれでも良かったでしょう。でも私は本を出版することを選びました。
 読んでくださった方々が少しでも笑顔を取り戻し、何か心に変化があったら嬉しく思います。(■小林高子)

        *      *      *

■目次

はじめに 本当に大切なもの
1章 欲しがり
2章 中退
3章 運命の出会い
4章 伸くんの死
5章 空っぽのココロ
6章 変な宗教
7章 キャバクラでNo.1
8章 結婚と……
9章 親友の死
10章 レイプ
11章 戻らない関係
12章 年下の彼
13章 前を向こう
14章 受け取った愛
15章 目が覚めて
16章 そして今
まとめ 1人じゃない

■タイトル:『あの頃』
■ISBN:978-4-901203-37-1 C0095
■値段:1000円(本体952+税)
■出版社名:アストラ
■7月下旬発売

(編集部)

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2007年6月20日 (水)

スパムトラバはティシュ配り

連日のように我がブログにスパムがやってくる。気高き読者に迷惑をおかけせぬよう削除をせっせと行っているも減る気配が一向にない。「ニフティに通知して削除」しているのに押し寄せるスパム。そこでニフティなど主だったプロバイダーに事情を聞いてみた。

それによるとスパムは毎日毎日新種が誕生して撲滅隊とイタチごっこの様相らしい。今年は5月の大型連休に大発生し撲滅隊も奮闘して、その頃につかんだIPアドレスはもちろんキーワードやら何やらで捕縛するアルゴリズムを構築して当時のスパムは8割方跳ね返せているのだという。
でもでさえ、スパムらが攻め寄せる図が改まらないのはスパム側も巧妙になっているからだ。部分的には明らかにまずい文言が盛り込まれてあっても全体としては問題ないように装う。何しろ偽装にかけては粉飾決算から姉歯まで世界に冠たる日本人ゆえ専らにそれを行う者の能力は高いようである。
それにしてもなぜ大型連休なのか。どうやらそのころはスパム作成者も大型連休で(当たり前だ)ヒマだから。次は夏休みが危ないと各社すでにZ旗(メンテ)掲げて臨戦態勢へ突入している。
ところでスパムには英文も多い。スパム作成者は英語が得意なのかというのは愚問で単にネーティブが送り付けているという。原発地の多くはアメリカらしい。そこで疑問。アメリカには大型連休はないはずだ。なのになぜ日本のお休みに攻め寄せるかと。どうも海外の「スパマー」は日本の大型連休を知っていてねらいを定めるらしい。日米スパマー同盟軍ではやそうというわけだ。
大型連休などまるドメ(まるでドメスティック)の極致である。死んだ天皇の誕生日と子どもだけをたたえる日と制定日がやはり死んだ天皇の誕生日だから施行日を無理やり祝う憲法記念日と……。それを知るアメリカ人がいるだけで彼ら彼女らの執念を感じる。

ここで根本的な不可解を問うてみた。そこまでして削除されるのが分かり切っているスパムを知恵を駆使して作り出し情報を捕捉してばらまきまくるエネルギーは何ぞやと。最良の解答は「いたずら」。
ホイジンガの論を援用するならば、こうした遊戯はもうけを度外視するというかもうけとの概念自体を嫌うから十分楽しかろう。また自発的に行い日常性を排除する傾向があるとの定義通りだ。そうか。スパム作成者は合目的的行動を指向するホモルーデンスだったのか……なんて無論まじめに考えてはいない。
プロバイダーによると作成者の当初は迷惑メールを目標としていたが各社の迎撃態勢強化により大部分が捕虜になる事態となり作戦変更。トラックバックやコメントに遊び場を移したというのがことの真相に近いようだ。
それでもなお釈然としない。しがない我がブログにまで押し寄せるほとんどが「遊びをせんとや生まれけむ」とは到底信じられない。この「遊びをせんとや……」は梁塵秘抄にある有名な歌だ。この歌にある「遊び」「戯れ」を遊女が自らを投影したと解釈すれば見過ぎ世過ぎの売春を嘆くとも読める。このように遊びの裏側に実利的動機は潜んでいないか。重ねて取材するとあるという。

構図はサラ金(消費者金融なんて言い換えたくない)がやっているティシュ配りと似ている。その効果はまったくわからないし実際に「○○です」(○○にサラ金会社の名が入る)という連呼とともに受け取るも、その大半は勧誘自体はムーディー勝山ばりに右から左へ受け流す。
このティシュ配りはムーディーが受け流し始めたよりずっと前から存在していて今もある。広告業でしばらく生計を立てていた経験から推しても費用対効果は万分の一以下であろうし、その辺が採算分岐点のはずである。多分果たせていない。
それでもティシュは配られる。ということは配るだけの価値があると信じている者がサラ金会社にいる。現に某社の元トップは固い信奉者だったと聞く。スパムの行き先はたいてい出会い系とか押し売りとか後ろ暗い。その点でサラ金と同じである。すると「スパムでもばらまけば効果がある」と信じている後ろ暗い業者がいて、それらがサラ金会社がティシュ配り隊に払う程度の資金を用意する。ばらまく者はそれに群がって収入となる。

「幻の効果を信じている後ろ暗い組織が用意するみみっちいカネを目当てにスパムを半端なくまき散らすオタク」

という意味不明な構図がどうやら確固としてあるらしいのだ。ビジネスモデルが成り立っている。いや成立していない? でもそこで得たいくばくかでコンビニ弁当を買った瞬間に実体経済へ組み込まれる。となるとGDPとの関連はどうなるか。微々たる誤差か。にしてはスパムは多すぎる。

人は必ず死ぬ。したがって人生は無意味である。ならば無意味な行動を人生のなかで取るのは合理的だ。そして何より驚くのはそうやって生きている=死んでない人がいるという不条理である。バカバカしいほど毎日くっつくスパムには遊びの深さと妄想のやっかいさが同居しているのだ。(編集長)

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2007年6月19日 (火)

プレステ3ってどうよ?

 家から近いヨドバシカメラアキバ館へ行くと、ニンテンドーDSとWiiはいつでも完売しているのに、プレイステーション3は絶賛発売中である。
 SCE(ソニーコンピューターエンターテインメント)といえば、1994年に初代プレイステーション(以下プレステ)を出し、セガが出したセガサターンとの次世代ハード対決を制したハードだ。セガはその後ドリームキャストを出したものの売れず終息。8ビット機のファミリーコンピューターや、ディスクシステム、16ビット機のスーパーファミコンなどで一世を風靡した任天堂は、ニンテンドー64やゲームキューブを出すがいまひとつ。現在の快進撃が嘘のような状況だった。
 そのようなハード戦線で一人勝ちを続け、新しくなるたび進化し、アニメグラフィックの美しさは言うことなしのプレステの最新機種が昨年11月に発売されたのは周知の通り。
 ちょうどプレステ2も壊れたので、破格の値段ではあるものの必要なので買ってみた。
 売れれば売れるほど赤字が出るらしいプレステ3は値段ほどの価値があるのかを考えてみた。
 まずゲームハードとしてだが、まだソフト数も少なく我が家にあるのは「ガンダム無双」だけだが、グラフィックはまあまあ。はっきりいって特別すごいかといったらそうでもない。ちょっとなめらかかな? という程度。電機店でのデモ画面はきれいに見えるけどね。
 プレステ2でもじゅうぶんだし、新しいソフトも3ではなく2でじゃんじゃん発売されている。制作コストがかかるということでゲームメーカーが敬遠しているという話があるが、ファイナルファンタジーやリッジレーサーのデモを見て納得した。いかにも時間がかかりそうなグラフィックだし、手を抜いたらアラが目立ちそうだ。 一ユーザーとしては、美しいグラフィックが見たいわけではなく、おもしろくてやりごたえのあるゲームが欲しいので2と3のどちらで新作がでてもいっこうにかまわない。全シリーズとの互換性もあるので何も困らないし。
 それに売れすぎても困るSCEとしても都合がいいのではないか。プレステ2の新色も出しているし、まだまだ現役続行という意思が表れている。
 あえてほめるなら、コントローラーがワイヤレスなのと、初代から3までのセーブをメモリーカードではなくハードディスクにできることくらいか。それはよい。
 もう一つ、プレステの売りというか、ソニーの売りであるブルーレイディスク再生機としての役割だが、これに関してはなんともいえない。ブルーレイディスクとは次世代光記憶ディスクのことで、ちょっと前にHD DVDと小競り合いをしたアレである。ベータとVHSの戦いを彷彿とさせるが、まだ流通も始まったばかりで軍配がどちらにあがるかわからない。とある雑誌などでは、プレステ3も再生機だと思えば安い! というようなことが書いてあったが、再生機にしては高いし、もしシェアがHD DVDにとられてしまったら……。ベータの悪夢再びということになりかねない。
 録再兼用のレコーダーがあれば、プレステで再生する必要もないし、そのうちブルーレイのレコーダーも値が下がるだろう。そうなったとき、再生しかできないプレステ3の価値は一段と下がるかもしれない。
 ファイナルファンタジーの最新作は3で発売だが、任天堂機からくら替えしたドラゴンクエストシリーズの最新作はDSで発売され、体感ゲームもWiiで発売される。 快進撃が続いたプレイステーションも、商機を逸してしまい、さらにシェアを再び任天堂に奪われてしまった。プレステファンとしては残念でしょうがないが、正直なところWiiいちばん欲しかったりする。(奥津)

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2007年6月18日 (月)

小平事件の現場を歩く

Zou  増上寺は浄土宗の七大本山のひとつである。酉誉聖聡(ゆうよしょうそう)上人によって開山され、1622年、「元和」という聞きなれない年号の時代に江戸貝塚(千代田区紀尾井町)から現在の所在地である港区芝公園に移されている。徳川家康が増上寺を菩提寺としたため6人の徳川将軍の墓所が設けられおり、日比谷通り沿いに堂々とした佇まいを見せる三解脱門をはじめいくつかの所蔵が国の文化財に指定されている。
 1946年8月、増上寺境内の笹ヤブで女性の遺体が2体発見される。遺体の緑川柳子という当時17歳の女性。彼女が職を斡旋してくれる男に会いに行くと言い残して外出したこと、その男の住所などを伝えておいたことから捜査は進展し、小平義雄が逮捕された。
 全部で10件以上の殺人を自供し、被害者は若い女性ばかり、動機が殺人目的の殺人であったため戦後最初の快楽殺人犯として世間を驚かせた。

 地下鉄芝公園駅から5分も歩けば増上寺にたどり着く。殺人現場である西向観音の周りには現在笹ヤブはない。増上寺は戦災によって多くの財を消失した寺で、当時遺体の残された西向観音付近も例外ではなかった。

※ここから先の記事は…

『あの事件を追いかけて』(本体952円、アストラ刊)にてご確認ください。

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2007年6月17日 (日)

東京のイスラム・ビルの中のモスク/神と家族と仕事

 イケメントルコ人のファートさんと、初老の男性とめがねの男性にとってアッラーは絶対である。ともすれば排他的な宗教として認識されがちなイスラム教だが、彼ら3人は他の宗教を認めないわけではないと考えている。
「キリスト教は、もともとユダヤ教から流れがきてるでしょう。イスラムもユダヤ教の影響を受けてますでしょう。宗教は違っても、神は同じ、呼び方が違うだけです。だからキリスト教はダメだ、なんては言わないですよ」
 戒律が厳しいという点では厳格なイスラム教だが、簡単にイスラム教徒になることができるという点では寛容な宗教でもある。証人の前で「アッラーの他に神はなし」を含むシャハーダ(信仰告白)を済ませればそれで教徒になれる。
「イスラム教徒になりたかったら、誰でも、すぐになれるんですよ」とファートさんの目がキラリと光った。

 単に彼らの人柄がそう感じさせたのかもしれないが、夕暮れに現われた突然の来訪者を迎え入れてくれるあたりから敷居の低さのようなものは感じていた。礼拝に使われるマットは使うたびに片付けられるようなことはなく、常に部屋の床に敷いてあるようだった。これをだらしがないと言うのか寛容と言うのかは人によって感じ方が違うところだろうが。
 なんといっても、彼ら3人からはカリカリしたものが感じられない。非・神経質人間とでも言うべきか。常に陽気である、ということではない。じっと黙ったりもするのだが、わたしの存在をまったく負担に感じていないような空気がある。ざっくばらんに言えば「勝手に来て勝手に帰ればいいよ」という雰囲気だ。それでいて客人に対する気配りも見せてくれるのである。一見、矛盾しているように思われるかもしれないが、この空気を表現するのはちょっと難しい。
 現に、「これ、みんなで食べましょう」と初老の男性が、器に盛った、というかそのまま載せたバナナを持って来てくれた。早速、4人でもりもりとバナナを食べる。
 ところで、ファートさんはどういうきっかけで日本に来て暮らすようになったのだろうか。
「私は日本人と結婚しています。仕事は、トラックの運転手をしています」
 ファートさんが財布から1枚のカードを取り出した。外国籍の者には常時携帯が義務付けられている外国人登録証の一角にはたしかに日本の女性の名が記載されていた。
 毎日、トラックの仕事を終えてからお祈りにやってくるという。わたしにはトラック運転手の知り合いがいるが、そうとう体力的にキツい仕事であることを彼から聞かされている。「トラック、大変でしょう」とファートさんに言うと、
「けっこう大変。でもなるべく家族のために時間を作るようにしてます。日本人はね、働きすぎですよ。毎日毎日、仕事だけっていう感じでしょ。トルコではそうはならない。1番目に神様がきて、2番目に家族。仕事は3番目だよ」
 冗談めかしてでもなく、言葉を選び選び、しっかり話す。
 もしイスラム世界の人々の多くが実際に同じような考え方をしているのであれば、たしかに「まず仕事ありき」の現代日本人とは生活の根本の考え方が大きく違っていると言わざるを得ない。
 私が一時期アルバイトをしていたデザイン事務所では、社員は朝9時から夜11時半までが標準の勤務形態だった。「デザインの仕事はどこもこんなもんだよ」とその職場の人間は言っていたが、彼らはデザイン業界より外のこと、さらには日本より外のことを知らない。
 遠い国から来た、神と家族を重んじるファートさんたちにとっては日本の生活は奇異に見えたに違いない。(宮崎)

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2007年6月16日 (土)

『吉原 泡の園』 第21回/弱い者が押し潰される世界

 さて、ソープランドの店の善し悪しを左右するのは男性スタッフだと言ったが、R店のスタッフではなかったのだが、僕と入れ替わるように飛んだボーイの代わりに、EちゃんがR店に来て、R店の寮に入る、すなわち僕と同じ部屋になったのがそのEちゃんなのである。
 メガネをかけているが、それでも伺えるギョロットした目、真中分けの髪型、身長はわりと高めだが、少し変態チックな性格で、自分自身で変な顔をしているとコンプレックスを抱いているようだ。
 マネジャーからは泣き虫野郎と裏で言われていた。
 どうしてだろう、マネジャーも他の人の悪口をたまに言う。しかし、それらはみんな僕に話してくるのだった。僕には面と向かって言うのだが、それが少ししゃくでもあった。
 そして、そんな時、中嶋みゆきの詩を思い出すのだ。
「悪口を言われない人生を送る人がいる。私は悪口を言われる人生だ」というものなのだが、言われている本人は悔しいのだが結局は問題なく生き、言われない人は、一見幸せそうだが実は死んでしまったという詩である。
 僕はいつもそうだった。子供の頃からそうだった。そしてその中島みゆきの詩は僕に衝撃を与えたものの一つだった。
 同じ事を考えている人がいる。そう思えただけで少しは救われた気がしたものだった。
 さて、Eちゃんは始め僕にも心を閉ざしていた。いつも口を尖らせて、すれ違う出勤途中のどこかの女性をじっと眺めていた。
「この変態野郎」
 と僕はどこかでEちゃんを馬鹿にしていた。僕もEちゃんを言えた義理ではないのだが、あいさつしても軽く馬鹿にするかのようにフンッとされる始末だ。
 どうしてこんなに心を閉ざしたのか、後になって知ったのは、幼稚な話だが、トイレに入っていたEちゃんを当時店長の親戚の悪ガキとマネジャーでトイレのドアを壊す勢いで叩きちらし、
「E、てめえ早くでろボケ、クソがもれるだろうがてめえー」
 とEちゃんをたたき出したそうだ。もちろん、Eちゃんは涙をボロボロ流していた。本当に幼稚な話だが。
 それで、マネジャーから泣き虫と渾名されるようになってしまったのだった。
 マネジャーも店長の親戚の悪ガキというだけで、店長の面子もあり、その悪ガキには何も言うことが出来なかったらしい。
 つまりマネジャーもそれにたいしては少しは被害者だったのかもしれないが、Eちゃんは、その事件後心を閉ざしたらしい。
 マネジャーに相当金を借りたままその悪ガキは飛び、叔父さんにあたる店長も金のことは知らず、店ではおおいばりし放題である。その点はマネジャーも被害者なのかもしれないという同情の余地はあるかもしれない。

 初日、一緒に焼肉屋に行ったのが坊主頭のTさんである。当時、僕も坊主頭だった。何故か? 理由はない。でもこういう店柄、坊主にしなければいけないと僕もTさんも思ったのだろう。Tさんはもともと長野の生まれの人だった。僕よりも3歳くらい上の人だ。
 地元長野ではトラックの運転手をしていたそうだ。そして幸せな結婚も控えていた。
 そう、婚約者がいたのだ。が、仕事中大事故を起こしてしまったらしい。死亡事故まではいかないものの、大変な損害賠償を背負い、地元長野を去り、東京に逃げるように出てきたのだ。はじめ、屋台のラーメン屋やパチンコなどいろいろやってみたらしいが、すぐに飽きてしまう。やはり婚約解消が相当の心の傷になったのは想像に難くない。
 ふらりふらりでとうとう行き付いたのがここ吉原だったそうだ。
 寮ではマネジャーと同じベッドである。しかも、Tさんの部屋は僕の部屋の半分程度の四畳半くらいだ。
 昼怒られ、夜もいじめられている。それは目撃したから間違いない。ベッドの上にTさんが寝ているのだが、したから足でドッカンドッカン蹴り上げられているのだ。
 凄まじい光景だった。Tさんが、蹴られる勢いで数十センチも宙に浮くのだ。
 いじめ。リンチ。暴力。Tさんは宙に浮く姿を僕に目撃され、きっと恥ずかしかったに違いない。僕は見てはいけないものを見てしまったと悔やんでいた。
 それがめぐりめぐって僕にめぐってくるとは、そう、やさしいTさんだったが、人は変わるのだ。特にいじめを受けると、人はさらに立場の弱いもの、社会的弱者に向け、その牙をむくことで、どうにか自分をごまかすのだろう。陰湿かというとそれほど計算されたいじめでもないが、僕に対しての責任転嫁などでどうにか憂さばらしをしていたのだった。だが、僕はそれにたいして腹も立たなかったし、今でも別に仕返しをしてやりたいとも思わない。それにはおいおい理由があるのだが。(イッセイ遊児)

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2007年6月15日 (金)

安倍、サミット大活躍の大ウソ

 さすがに安倍晋三首相の必死なパフォーマンスも国民に通じなくなってきているようだ。
 サミット終了後の記者会見では、地球温暖化問題での合意について鼻息荒く語っている。
「ブッシュ米大統領に温暖化ガスの排出量削減の重要性を説明し、メルケル独首相にもコンセンサス(意見の一致)を得ることについて突っ込んだ話し合いをした。私の提案を軸として議論が行われ、日本の提案が首脳文書に盛り込まれた充実感を感じている」
 しかし新聞報道では「EUと日本と提案」が文書に盛り込まれたと表現されている。不思議に思って調べてみると、「2050年までに二酸化炭素を半減」という方針を日本が定めた2007年5月には、まったく同じ目標をすでにEUが定めていたのだ。しかも当初、この目標数値の設定に日本政府は批判的だったという。

 つまり日本は、政府の意見すら統一してなかったのに、EUの方針をパクッてサミットでも提案。それを我が国の首相は「私の提案を軸として議論が行われ」と表現したわけだ。よくもまあこんなデタラメを堂々と話せるもんだ。この日本の首相の発言をEUの面々が聞いた大笑いするに違いない。
 ちなみにこの二酸化炭素半減の提案でもっとも活躍したのはメンケル独首相である。26ヵ国の首脳に電話して説得したというのだから。これこそリーダーシップ「充実感を感じ」られる活躍である。
 ただし幸か不幸か、安倍が世界の笑いモノになることだけはない。
 ドイツ地元紙のサミット特集号では、各首相の横顔を紹介するページに赤城農水相の顔写真が誤って使われた。『朝日新聞』の取材によれば、この新聞の編集責任者は「小泉首相なら間違いは絶対にしなかった。彼は長く首相を務めていたから」と発言したという。実際、ドイツ読者からは一件も苦情がなかったから、我が国の首相がどれほど注目されていないかがわかる。おかげでサミット終わった後で大ボラを吹いても誰からも批判されることはない。
 よかったね、安倍さん。

 この程度の人物が日本の首相なんだという思いは、私だけじゃなく日本中に広まっている節がある。つい先日、麻生外相は首相になる条件として運だと強調した。そりゃ、内閣の一員として安倍を見てれば、政治家としての能力や実力が首相に必要だとは思えないだろう。
 また内閣支持率の浮揚のカギはどこにあるのかという朝日新聞の記事では、社会学者の橋爪大三郎教授は「参院選はあくまで通過点と考えればいい。ルックスや人柄を考えると、党内に後継者は育っていない」とズバリ指摘している。
 まあ、行動をともなわないパフォーマンスを繰り返す首相など俳優やタレントと同じ。「ルックスや人柄」が判断基準になるもの当然か。

 年金問題でも安倍のアピールは空回りしている。
「年金記録の問題が起こってしまった、この今の仕組みを作ったときの厚生労働大臣は誰だった?菅直人さんじゃありませんか?」と発言し、年金記録の管理問題で歴代の厚相や厚労相に責任があると、自分の責任を棚にあげて菅直人氏になすりつけようとしたが、国民からはブーイング。さらに小泉前首相の政務秘書官だった飯島勲氏からも「実務問題でなんの責任をとるのか、理解に苦しむ」と言われる始末。
 飯島氏が慌てるのももっともだ。菅氏の次の厚相は小泉前首相なのだから。基礎年金番号が実際に導入されたのも、小泉厚相の時である。ぜひ責任を追及してもらいたいもんだ。
 また「消えた5千万件の年金記録」の調査費用についても、尾身財務相が補正予算を検討するとした発言を「予算の範囲内ですべてできると思います」と打ち消した。しかし予算10億円は記録が消えた人の半分にも満たない2000万人にハガキを出すとなくなる金額である。全員に通知さえできない調査費用で何をするというのだろう。

 久しぶりに「今週の安倍」を書いてみたが、調べてみると参院選対策に走り回っている首相の空回りぶりがきわだっていた。すごいトップの下で暮らしていると、改めて感じ入ってしまった。(大畑)

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2007年6月14日 (木)

先日のロシア 第5回/ロシア人の長い名前を分析する

 表題から少しずれてしまうが、今回は日本人なら皆が違和感を持っているであろう、そしてそんなに知りたいわけでもないから放置しているであろうロシア人の名前について少し書きたい。
 というのは、先日友人に「ロシア人の名前って何であんなに長いの? 覚えられん」と憤慨されたからである。私に怒りをぶつけられてもどうしようもないのだが、ウラジーミル・ウラジーミラヴィッチ・プーチン、フョードル・ミハイラヴィッチ・ドストエフスキー、イリーナ・エドゥアルドヴナ・スルツカヤ、マリヤ・ユーリイヴナ・シャラーパヴァ(シャラポワ)……確かに長い。日本人の名前と比べると確実にひと分割多い。これは名と姓の間に父称が入っているためで、日本でも「三郎さんとこの息子のツトムくん」などと言うことがあるが、「三郎さんとこの息子の」がそのまま正式名称に入っていると言って良い。基本的に名+父称+姓で構成されているのだ。

 まずは名前について。伝統的な名前から貴族風の名前、外国より取り入れたものまでさまざまだが、基本的に男性の名前は子音、もしくは硬音-и、-й(イ)で終わり、女性の名前は-a(ア)、-я(ヤ)で終わる。聖人アレクサンドルの名を娘につけたいときには、最後に母音をもうけてアレクサンドラとすればよい。
 冒頭に挙げた名前に関して言えば、ご存知プーチン大統領のウラジーミルは、本来スラヴ人特有の名前だ。ただ、聖人にウラジーミル公がいることを考えるとキリスト教名と考えることもできる。ヒョードルは聖人ペトロから来ているし、イリーナは伝統的な農民の名前。マリヤは当然聖母マリアから来ている。なおアナスタシア、エレオノーラといった貴族名になると高貴な雰囲気が漂う。聖人名をつけるか、伝統を重んじるか、響きの好みで名づけるかはお好みだ。

 次に順を追って父称について。これも男女で分かれ、ウラジーミルの息子ならウラジーミラヴィッチ、娘ならウラジーミラヴナと、それぞれ息子をあらわす「вич」(ヴィッチ)、娘をあらわす「вна」(ヴナ)が父親の名前の後につく。ちなみに「ウラジーミル」は、字面だけ見れば「ウラジット」→「ウラジバット」→「カタをつける、まとめる」+「ミル」→「世界」で、「世界征服」の雰囲気を醸している。プーチン大統領は「ウラジーミル・ウラジーミラヴィッチ・プーチン」、父親も子供もダブルで「世界征服」。ぜひ次の代も世界を目指してほしい。その他、それぞれ「ミハイルさんとこの息子のヒョードル」、「エドワルドさんとこの娘のイリーナ」、「ユーリイさんとこの娘のマリヤ」となる。

 最後に姓について。昔は貴族しか姓を持たなかったため、庶民は住んでいる通りや家長の名前からとって姓としているようだ。姓の最後によく「-ов」(オフ)、「-ский」(スキー)、もしくは「н」(ン)がつくのを見かけるだろうが、これらは文法的にすべて前の単語を生格にする。つまり「~の」という意味をつけるのだ。女性ならば「-ова」(オワ)、「-ская」(スカヤ)、もしくは「на」(ナ)となる。よって「アレクサンドル・アレクサンドロヴィッチ・アレクサンドロフ」または「アレクサンドラ・アレクサンドロヴナ・アレクサンドロワ」という名前も可能だ。
 例えば「ドストエフスキー」家の由来であるが、ドストエフスキー家の先祖がピンスクの公爵よりドストエーヴォ村の一部を拝領し、それ以後、彼がその村「ドストエーヴォ」を借り、姓を「ドストエフスキー」と名乗ったことによる。よって、正確に日本語でその名を訳せば「ドストエーヴォ村のミハイルさんとこのフョードル」となる。なんだか田舎くさい。

 また、プーチン大統領の祖父が本来の「ラスプーチン」という姓を嫌って改姓したという話は有名だ。かの悪評高き怪僧ラスプーチンと同じ姓では、今の地位はなかっただろう。「ラスプーチン」は「ラス」(ひとつの)+「プーチ」(道)で「一筋の道」。しかし俗語「ラスプーチェ」では「分かれ道、岐路」となり、「ラスプーチニイ」は「放蕩者、自堕落」と散々だ。こんないじめられ方ではただ「プーチ」(道)としたほうがたしかに潔い。プーチンさんは祖父に感謝しなければならない。でもまあ、現在ラスプーチェに立たされている気がしないでもないが。(臼利つくし)

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2007年6月13日 (水)

残虐ゲームをプレイして。

 先日とあるゲームを買った。値札を見たら1900円と、いわゆるクソゲーでもいいかな……という価格。ついでにパッケージを見ると赤い三角マーク(「このゲームにはグロテスクな……」という注意書き)と、CERO(ゲームソフトの倫理審査機構)のランク(このゲームはD)。このCEROのランクは5段階あり、Aは全年齢対象、Bは12歳以上、Cが15歳以上、Dが17歳以上、Zが18歳以上となっている。さらに、パッケージ裏にはコンテンツアイコンというものが表示されていて、対象年齢決定の根拠となる表現を示すものらしい。恋愛だったり、暴力だったり、恐怖だったりと9つのカテゴリーに分けられている。
 私が今回買ったソフトは暴力のカテゴリーだった。ちなみに、ゲームボーイアドバンスで発売され、最近新シリーズが発売された『逆転裁判』のDSリメイクソフトはCEROがBでカテゴリーはセクシャルと暴力だった。
 逆転裁判はその名の通り、法廷で依頼人を無罪にするというゲームで、基本的に(いや全部?)殺人事件の裁判が舞台だ。なので暴力はわかる。しかし、セクシャルがわからない。ある登場人物のおっぱいがでかいところが引っかかっているのか? プレイしていてこれはキワドイというところがなかったような気がしたので改めてプレイしてみたがわからなかった。ちなみに『逆転裁判2』はAで全年齢対象だ。ますますわからない。ホームページを見ると、審査員には誰にでもなれるようなので、その疑問を解消するべく応募してみることにする。
 ところで購入したゲームをプレイしてみたのだが、これがまたすごい。
 Zに格上げした方がいいんじゃないかって思っちゃう内容。グロテスクなシーンを和らげる機能はあるのだが、やはりそれを抑えるとつまらない。かといってそのままだとめった刺しのうえ、血しぶきドバー(『サイレントヒル』『バイオハザード』『メタルギアソリッド』などの迫りくる敵をやっつけるゲームに多い)。
 ゲームをプレイしていて、「人を殺してみたくなった」という犯罪者の気持ちがなんとなくわかった気がした。ゲームの中で殺される人はあっけなく殺される。ボタン一つで殺せる。しかも、自分が殺されてゲームオーバーになってリプレイすることで生き返ることもできるし、殺した敵も生き返っている。ボタンだけでいろいろなことができてしまう簡単な世界。
 そういったゲームをたくさんプレイしていれば、命に限りがない、殺しても生き返るという価値観が芽生えてもおかしくはない。
 楽しいはずの娯楽なのに、突然刃を向ける危険をはらんでいる遊びだということに気づいてからはゲームをする気が失せてしまった1枚だった。(奥津)

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2007年6月12日 (火)

モリサワからの挑戦状

というのは少々大げさ。株式会社モリサワの課長さんから書体見本などがドンと送られてきた。同封されていた手紙には私のブログ記事(http://gekkankiroku.cocolog-nifty.com/edit/2005/08/post_75e7.html)を見たと告知された上で「その中でお取り上げいただきました弊社書体についてより理解を深めていただきた」いとの趣旨が書かれてあった。
上記記事のタイトルは「写研書体が使いたい!」で05年8月に書いて2年近くたった今でもアクセスが途絶えないものの1つである。そこで私は写研の書体を「文字の並びや一つ一つの文字の完成度などで他の追随を許さなかった」とした後で「あえていえばモリサワがライバルだったが基本的に写研で作ってモリサワはタイトル文字で遊びに使うといった補助的な要素が特に雑誌では強かった」と述べた。
モリサワに関する記載は他にもある。「反転攻勢をかけてきたのがモリサワだ。初期のDTPは書体にろくなものがないために商業印刷にはためらわれたがモリサワは写植時代にすでに『写研の次』の地位があった。そこで人気書体を中心に次々とDTPフォントとして売り出したのだ。値段が高いのには閉口したが(今もそう)モリサワならば読者に届けても恥ずかしくはない。今やリュウミンやじゅんといったモリサワ書体を持たない出版社はないであろう」と。

モリサワの課長さんがこの記事で「お取り上げいただきました弊社書体について」はこの辺である。「より理解を深め」よというのは理解が足りないとの示唆であろう。当事者に成り代わって推測するに「こいつは理解してないぞ!」と感じるとすれば「(写研は)他の追随を許さなかった」「『写研の次』の地位」あたりであろう。要するに写研より劣るというのはどーよとの思し召しと読んだ。

だとしたら。「より理解を深め」させたかったら、モリサワ様よ。“MORISAWA PASSPORT”使用の永久ライセンスぐらい下さいよ。年間52500円は高すぎるって。「モリサワのすべてのフォントラインナップがPC1台につき」の「PC1台につき」がせこいかどうかはともかく、写研も含めて「すべてのフォント」が欠かせないデザイナーや編集者はまずいないから。
考えてもみて下さい。写研は写植機がないと実物を打ち出せないから私の手元には例の青い表紙の見本帳があるのみである。対するモリサワが“PASSPORT”を提供してくれれば実物だ。見本帳と実物で比較すればさすがにモリサワ勝利の目も出てくる。もちろん見本帳同士でも勝ち目ありと踏まれたのであろうが、元来『写研の次』とみなしている人物に「理解を深め」させるには少々甘い戦法ではないか。
何やら“PASSPORT”を結果としてタダでずっと使わせろと要求した形となってしまったが、もちろん本意ではない(本意だったりして!)。せっかくだから見本同士を比べてみよう。

手打ちの時代から写研とモリサワに決定的な差はこれだ!というのがあったわけではない。それは今も変わらない。1つ1つを比べて優劣はつけがたいのだ。明朝は明朝らしい、ゴシック系もそれらしい強弱のあるなしや太い細いなどのメリハリが効いていると字面からはわかる。
ところが全体をザァーと見比べるとモリサワの書体から「くびれ感」(明朝系の場合)のようなインパクトが写研より伝わってこない。明朝はとくに流動性がほしいのにぼってりした感じを受ける。ありていにいうと子どもっぽいのだ。

具体的に考察しよう。まず代表的な書体である写研のLM-NKLやLM-OKL(石井細明朝)とリュウミンL-KL、MKLなどのリュウミンを比べてみる。手元にある写研の見本帳をコピーして、つまりいくぶんぼかしたらリュウミンに転じるような、そんなボンヤリ感がある。
したがって石井細明朝で心配がない画数の多い文字だと「つぶれないか?」と不安となるのだ。とくに9ポイントを下回ると「どうよ」との気がする。もちろん実際につぶれるわけではない。紙質や解像度など他の要素も大いに関係しよう。そうとわかってなお以上のような気になる弱さがある。
ゴシック系はどうだろう。写研の代表書体であるゴナとモリサワのじゅんの違いは何だろうか。単にゴナの無敵感にじゅんやBBBはかなわないという先入観かもしれないけど小社は字ビッシリ本を多く出しているせいかモリサワの方が読み手が疲れる懸念を抱いてしまう。
子どもっぽさの対極を求められる書体で説明するとわかりやすいか。写研のRAやBRAといった隷書体とモリサワの隷書101や陸隷を比べてみる。隷書は印鑑にも使える高級感、優美な美しさが最も求められるはずなのにモリサワの幼さはかなり明確というのは私だけの思い込みか。これで印鑑を作ろうとの気になる人はいるか。反対にオモチャのパッケージならば使ってみようと思いつく者はいるかもしれない。

特長ある文字としては写研のLKRM(キッラミン)のような手堅さもポップ感も出したくないという際に好もしい書体がモリサワに見当たらなかった。強いていえば「わんぱく」だが明らかにポップ系に傾いていて、それでいてしゃれているともいいにくい。写研はナカミンダというレトロ感を正しく表現しうる書体を持つもモリサワだと何か。カクミンファミリー? ちょっと及ばない。

でも素敵なのもあった。フォークと丸フォークは明らかに子どもっぽさを脱していてシャープ。これらは楽しく使えそうだ。
何となく厳しいことを書いた風になったけどモリサワがDTPに対応してくれなかったら日本の本の書体は明らかにDTP以前に比べて悪くなったに違いない。実際に私も少なくとも本文書体にモリサワ以外を使う気にはなれない。その意味でディフェクト・スタンダードであり出版文化を救った大功労企業と賞賛する思いは満々だ。
今でも時折写植で出力する機会がある。すると写研でもモリサワでもきれいなんだなあ。印画紙で見るとなおさら。とにかく力強い。ということは「写植時代の写研」と「DTP時代のモリサワ」とを上記比較考察を含めて知らず知らずやっているのかもしれない。
本当は「DTP時代の写研」と「DTP時代のモリサワ」を比べてこそ正しい評価ができるのだ。でも「DTP時代の写研」はアウトラインサービスなどの回りくどい手法以外に存在しない。私見ではアウトライン化してまで写研に似せようとは思わない。その意味でモリサワは不利な条件でも良い書体を提供しようと踏ん張っているといえよう。
今さらリュウミンやじゅんをどうこうするという話でもあるまい。それがもしあるとすれば……の話だがDTPだからこそ写植では表現できなかったコレ!というのをモリサワは追求したらどうだろうか。というか既に追求中かもしれない。だったらその夢に乗る。乗れた時に初めて写研という夢幻は消滅するに違いない。(編集長)

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2007年6月11日 (月)

ルポ・第116回日商簿記2級検定試験

 日商簿記2級の試験を受けた。日本商工会議所が主催する検定試験である。
 簿記とは簡単に言えば、企業や商店の経営活動をお金の計算による面から整理し、損益計算書や財務諸表を読み解き、作成する手続きのことである。事務・経理のための資格だと思われがちだが、それ以外にもコスト感覚を養うために営業や経営管理など広い分野の人が受けるそうだ。
 3級、2級、1級の順に難易度が増し、06年度の受験者数は全国で50万人に達する日本最大規模の検定試験である。
 私は事情あって今年の4月から大原の夜間の講座に行きながら2級の勉強を始めたのだが、始める前は「たかが簿記」と思っていたものである。しかし取り掛かってみるとそれなりにボリュームはある。3級は独学でとりあえず「抑えた」つもりだったが、3級の商業簿記の内容がより深くなる。学習内容としては、現金預金や売掛金の仕訳など初歩的なことから、繰越利益剰余金の配分、複数仕分帳制、手形の不渡り、社債の発行や償還などいよいよ実務的な内容に踏み込んでいるという感じである。それに加え、2級からは工企業における原価計算などを内容とする工業簿記が入る。
 この工業簿記の最初の講座で「仕掛品」という用語が出てくるのだが、工業簿記では空気のように当たり前の存在であるこの「仕掛品」の意味が分からずに「え、仕掛品て何? なんでみんな平然としてるの? それって一般用語なの?」とひとりで焦っていたものである。
 そんな感じで暗中模索でありつつも、なんとか本試験1週間前には合格点をクリアできるかどうかの境界線上にまではこぎつけることができた。

 そして昨日6月10日に第116回、簿記検定試験が行なわれた。
 私が割り当てられた受験場所は大きな体育館のような場所。集合時間30分前には到着したのだが既にびっしり並べられた机にはほとんど人が座って最後の追い込みをかけている。机の数からすると300人は入りそうである。男女比はおよそ5:5。二十歳前後から60代のおじさん、おばさんまで本当に幅は広い。その中でも最も多い層はやはり20~30代の女性である。
 自分の受験番号の机は前から3列目だった。隣にはすでに良きお父さん風の受験者が問題集を広げて追い込みに入っている。受験場には緊張感が漂っていて、いたるところから電卓を叩く音が聞えてくる。
 集合時間である1時30分になると注意事項の説明が始まり、問題用紙と計算用紙の配布がはじまった。問題用紙を開けてはならない、とは言われなかったがなんとなく皆開かずにいる。が、お構いナシにペラペラめくる者も遠くで見られた。
 開かなくても問題用紙の中が透けて見えた。部門別原価計算と標準原価計算の差異分析が問われている。得意分野だ。いけるかもしれない。試験は100点満点で70点合格。20点の配点が5問である。そのうちの2問が工業簿記なのであるが、工業簿記のほうが難しいと一般的には言われる。その工業簿記に得意分野が出ているのだ。
 ただ、私には「地雷」があった。復習の時間が足りず、「本支店会計の内部利益計算」と「伝票会計の変則パターン」という2つの項目を「捨てた」のだ。「地雷があるかないか、それが問題だ……」などとハムレットにかけてクフフフと忍び笑いしてるうちに試験が始まった。我がマシンガンでこの簿記戦場を生き抜けるだろうか?

 問題用紙をめくった。駆け出してすぐに、恐怖の対人地雷・クレイモア(伝票会計の変則パターン)が仕掛けられているのが分かった。すでに避けるできない体制になっていた。

「あ、終わった」

 イセエビのヒゲのようなセンサーに右足が触れてクレイモアが弾けたように見えた瞬間、中に収められた小さな鉄球が爆散して、わたしは蜂の巣になってしまった。(つまり解答用紙に穴が空いてしまった)
 70点以上を取れば合格。そのうちの1問で蜂の巣になってしまえば残りの80点のうちで70点を取らなければならなくなる。もはや絶望的だ。それでもなんとか他の問題に取り掛かる。20分過ぎには早くも隣のお父さんの手が止まり、ため息が聞えてきたのだった。
 会場中に電卓の音が響いている。30分経ったが途中退室する者はほとんどいなかった。
 2時間の試験時間終了後、5枚の解答用紙を1枚づつ集めるという効率の悪い作業の後、ようやく解散となる。安堵の表情、失望の表情、再チャレンジを誓う表情などがみな一緒になって出口に向かったのだった。

 付け加えておくと、私の自己採点は60点だった。言い訳無用、次は受かるぞ。(宮崎)

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2007年6月10日 (日)

東京のイスラム・ビルの中のモスク/経典はただひとつ、神はアッラーのみ

 トルコから日本に来たという男性が、熱心なお祈りを済ませてからこちらに加わった。まず、ビルの中にあるこの場所について聞いてみた。
「実は以前ここに来たことがあるんですけど、そのときは誰もいなかったんですよね。この部屋はいつも鍵がかけられていないのですか?」
 トルコの男性は名前をファートさんという。ファートさんは相手の目をじっと見て誠実な態度で話す。
「そうです、ここはいつでも空いてます。朝からお祈りに来る人もいますから。お昼ごろに来ると、誰もいないときもあると思います」
「このビル、というかこの部屋はいつごろ、どうやって借りたんですか?」
 何となく、住居でもない物件をイスラムの人たちに対し、不動産屋が簡単に貸すものなのだろうかと思っていたのだ。
「ああ、この部屋はですね、前にオフィスとして使われてたんです。借主がイスラムの人で、彼がオフィスを引っ越してからも、ここを礼拝所で使うことに決めたから、こうやって使えます」
 なるほど、そういうことだったのか。
 ファートさん以外の2人の国籍をたずねてみると、若いメガネのほうがパキスタン、初老のほうがファートさんと同じトルコだ。どこの国の人でもここには来れるのですかと聞くと、「モスクに来る人の、国は関係ないです」と、キマジメな態度でファートさんは言う。
「というか、どこの国の人だということは、よく知れば言い合うこともあるかと思いますけど、だいたいは別に『構わない』という感じです。自分からもどこの国からだ、なんて言いませんし……」
 国籍より気になっていたのは宗派の存在だ。イラクではスンナ派とシーア派が血の抗争を繰り広げている。その2大宗派以外にもイスラム教にはアラウィー派やイスマーイール派などがあり、それぞれバラバラな宗派の人たちがうまくやっていくことは可能なのかと思ったのだ。
 もしかしてそのあたりには敏感になっているのだろうか、などと思ったが、ファート一同はこともなげに「関係ない」と答える。
「ここではどの宗派かなんて、国籍と同じでまったく気にしない。なぜなら、私たちはみな同じコーランを読んでいるから。信じている神様も同じ。宗派が違ってもそれは同じなんですよ」
 承知ではいたが、彼らに問うてみた。
「神とは……」

「アッラー」
 初めて3人が声を揃えて答えた。にわかに3人の目が確たるものになったのだった。(宮崎)

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2007年6月 9日 (土)

『吉原 泡の園』 第20回 我がソープの黒幕

 さて、R店の主力スタッフの話の続きだが、ここで黒幕の会長と呼ばれる人に触れておこう。

「普通のおっさん」とEさんに言われていたので、興味は抱いていたが、いつ来るのだろうと頭のどこかにはありながらも仕事(といってもドリンク運びが主だが)を始めると、中々そんな余裕もないのである。
 ある日、僕が1階でいろいろ仕事をしていると、マネジャーがおっさんと話をしていた。
 うるさい客が、何か言っているのかな、と思っていた。本当にぱっと見は普通のおっちゃんだったからだ。
 しばらくして、Eさんが、さっきいたのが会長だよ、と教えてくれた。
「ええー普通のおっさんじゃん」
 眼光は鋭いが、少し禿げかけている髪型はシチサン気味で、黒い皮パンを好み、ダイヤモンドの指輪をはめている。左小指がないものの、ぱっとみ普通のおっさんだった。
 当時、僕も指輪2本、髭を伸ばしていたが、店長にそれは駄目と釘を押されたのだった。会長を凌駕する恐れのある分子は、すぐにつぶすのだ。
 しかし、たまに着て来る薄手のシルクシャツなどから、桜吹雪の袖近くまである立派なモンモン(入れ墨)を見ると、やっぱり山○組だ。と怖くなる。
 当時僕は太っていた。それを普通の人はデブと言う。でも会長などは「ええ体しとるのぉ」と喧嘩に利用できるものは利用しようとするのだ。よって、僕が会長に好意的な態度を示すと、きっと何か利用できるものはないかと、利用されそうだったので、できるだけそっけない態度をとろうとしていた。
 7店舗のソープランドを有し、そのほかにも浅草通りの方に闇金の事務所をもっている。よって、年間黙っていても1億は固いという。そんなだからこの方、海外によく出かけるのだ。そして、その自慢話をする。
 さすがにこのR店は、この会長さんの原点の店で、7店舗を持とうとも、なぜかよくR店に顔をだす。来るたびに僕はベンツのドアをあけるドアマンにされていたのだ。
「この前ハワイで3Pしたで」
 そっけなくしていなければ、と思っていた僕も、それを聞いて思わず「わはははっ」と思いきり好意的に笑ってしまった。
 会長は何人もいる中から笑い声の僕をパッと見て、
「ほほーっ、ワシの話で笑うとは、ええ。ええボーイやないかい。んで、名前はっと」
 といわんばかりの視線を僕に浴びせていた。
(やや、やばーい。僕の馬鹿。なんで笑うの)
 僕はひやひやしてしまった。
 ベンツのほぼ最高クラスベンツブラバス。半ドアも自動的に車が直すというすばらしい車で、数千万するそうです。
 もう一台はブルーのフェラーリでした。たまに女性を乗せて、吉原の店の前を疾走していくのです。ああ、あの車一台で、恐らく僕の夢は全て叶うのだろうな。そんな思いで見ていました。
 その会長のありがたいお言葉が、フロントの中には堂々と掲げてあった。

 1 人のことを羨むな
 2 やる気の無いものはされ
 3 まずは行動しろ
 4 人の気持ちを考えろ
 5 人生は賭けである

 僕はその全てをまあ実行しているつもりではいた。それでも一向に暮らしはよくならない。
 どんなにがんばっても報われない人生の人もいるのだ、とひがんだものだ。
 人生は賭け。まあそうだけど、僕にはヤクザになってまで人生を物にしようというまでの思いもない。そんな当時の心理の僕では会ったが、信じられるのはやはり本であったし、松山千春だった。
 ところで、街を歩いていて、若い男で指に緑色で指輪のように色のついた人を見たことは無いだろか、実はあれ自分で指に墨をいれているのだ。
 少年院にいった子が、お互いに友達などとの誓いと称して行うちょっとした儀式らしいが、ヤクザのおっさんなどは、刑務所でやることがない。暇なので、大事な大事な男性のシンボルであるお○○○んに真珠を入れ、加工する人もいる。もちろん、刑務所に本物の真珠はない。代用品を使うのだ。
 会長さんはやはり本物の真珠をいれていた。
体中加工されていて、肌の色なども真っ青で、人間のものとは程遠く、正直気持ち悪いと思った。
 しかも、その入れ墨は体には当然よくはない。皮膚呼吸の妨げになり、どうしても早死にするケースが多いそうだ。
 また、上半身のみでも、全体を色濃く墨をいれると、実に700万以上もかかるという。
 改造費700万。自分で払うものもいるが、中には組が立て替えてくれるところもあるらしい。(イッセイ遊児)

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2007年6月 8日 (金)

死闘! 松岡麻雀――発ホンイツ、緑を集めたカラクリは――

東3局一本場

東 検察          2万8000 点
南 小沢一郎       表示なし
西 松岡利勝       3万3200 点
北 安倍晋三       3万2500 点

「ノミキックでしかあがってない松岡君が、どうして3万2千点も持ってるの」
 僕の質問に松岡は青ざめた。
「いや、ナントカ還元水のようなもので符ハネしたし……。だ、暖房とかのご祝儀が別途、含まれているから」
 しどろもどろだ。
「そんな説明じゃ、誰も納得しないよ!」
 ちょっと怒鳴ってみた。松岡のそぶりを気にしている安倍への牽制球だ。安倍の麻雀仲間・佐田玄一郎が雀荘に来るのを辞めたことだし、ここは一気かせいに攻め込むでしょ!
「小沢さんの点数自動表示だって、ずっと表示されないままじゃないか」
 神経質そうにしきりとまばたきを繰り返しながら、安倍がこちらを睨んだ。
「いや、いいですよ。じゃあ、表示しましょう。1000点棒が1万点用のしきりの中に混ざっただけなんだから、すぐに分けますよ」

 マズイ方に話がむかってきた。
 でも、とにかく点棒を表示させないと話は収まらん。僕は雀卓の点棒入れを開け、左手で点棒を整理しながら右手でイスの横に置かれている点数の集計表とボールペンを探った。
 1000点棒を隣の仕切りに入れ、1万点棒9本をそろえて点棒入れを閉じる。
 全員に表示された点数を見て、安倍が大げさに騒ぐ。
「10万6300点! こんな点数が許されると思ってるの?」
 あー、ヤダヤダ。最近の安倍が連発する質問型の「ご意見」だ。聞くたびに腹が立ってくる。
「これは個人所有じゃないんです。私がハコってご迷惑をかけてはいけないと、雀荘の店主からお借りしたものですから。雀荘の主人から借りたという書面もありますよ」
 対面の安倍に2つ降りにしたペーパーを放った。紙が薄すぎるためか、ヒラヒラと舞って安倍の前に落ちた。
「小沢さん、『8万点貸しました 雀荘 国会』なんて点数表の裏紙に走り書きした書類を信じられるワケないでしょう!」
「いや、不審だというなら雀荘に戻しましょう。でもね、重要なことは説明したことですよ。ディスクロージャー、オープンにすることでしょ。松岡君は説明できるの、その点数!」
 上家(カミチャ)の検察がチラっと「書類」に視線を飛ばしたのが気になったが、内訳を説明できそうにない松岡に話を振り替えした。途端に安倍が松岡の耳に口を寄せた。
「架空のものだとか、付け替えというのは一切ございません」
 安倍に指示された通りなのか、暗ーい表情で松岡がワケの分からない説明をする。

「そうじゃなくてね。僕が言っているのは内訳をきちんと説明しなさいと言ってるのよ」
 松岡に向けて怒鳴ると、何か言いたそうな松岡を手で制して安倍が答えた。
「松岡君は妥当な処理をなさっていると思う。法律上適切でしょう」
 このやり取りを止めたのは口数の少ない検察だった。
「もういいでしょう。麻雀を進めませんか?」
 サマかどうか、チョンボかどうかを決めるのは自分だ、といわんばかりの態度に腹が煮えくり返った。しかし僕の投げた「書類」をチラ見していたことを思い出し同意した。
「そうだな。じゃあ、一萬」
「あっ! ツモだ」
 次順の松岡が久しぶりに明るい声を出した。こんな明るい声を聞いたのは、3時間前に雀荘に集まった時以来かもしれない。サマをするからと、雀荘に誘われても、ずっと抜け番。そんな扱いがこたえていたのだろう。「初入閣だー!」と入り口から雀卓に走ってきたのが思い出された。
「ツモ発ホンイツでマンガン! 4千、2千ね」
「ちょっと待った。僕ね、1索をアンコってるの。それなのにどうして1索が頭なの?」
 僕も自分の手をさらす。
「ちょっとおかしいよね、松岡さん。あなたずっと索子で染め続けているでしょ。前の半チャンでも、あわや緑一色かっていうチンイツだったし」
 いきなり検察のボルテージが上がった。
「松岡さんの右後ろで打っているは松岡さんと親しい緑資源機構の人たちでしょ? 本当に、この卓の牌なの? 見せて!」
 検察がいきなり松岡が倒した牌に手を伸ばした。しかし松岡の牌を握りしめた検察の両手は、いきなり安倍が持ち上げた全自動卓の真ん中、サイコロの回る部分にぶつかった。
「イテ!」
 ぶつかった衝撃で検察が手を開き、洗牌の穴へと証拠の牌が落ちていく。
「おい、検察どうするんだよ! 普通、サマの証拠を穴に落とすか!? しかも14牌全部だぞ。お前も松岡とグルなのか」
「やめろよ。そんなことあるわけないだろ。安倍君がいきなり洗牌用のボタンを押すし……。でも、もう牌が穴に落ちたんだから洗牌するしかないんじゃない。さいわい親が僕だったから4000点払うのも僕だし」
 そう言いながら検察は次々と穴に牌を落としていく。
「そうですね。牌が多いなら積めば分かることですし」
 安倍も検察に同調し、対面から手を伸ばして僕の牌を真ん中の穴に落とした。松岡は血の気の失せた顔で下を向いたままだ。
「小沢さん、大丈夫、怪しいのは右後ろの卓の連中でしょ。呼び出して話を聞くから」
 検察が僕の耳元で囁いた。
「おい、山崎君。ちょっと聞きたいことがあるんだ、僕の横に来てくれないか。大事な話なんだ!」
 検察が横柄な態度で隣の卓の山崎を呼んだ。一瞬けげんな顔をした山崎だった、振り返って呼んだの誰か分かったのだろう。慌てて検察の隣に立った。

「さあ、小沢さんの親だよ。振って、振って」
 これ以上問題が大きくなるのが嫌だった安倍が僕にサイコロを振るよう催促する。そのときボソッと松岡がつぶやいた。
「もう、俺も随分と負けが込んでいるから、ここで打ち切るのはどうかな。途中で辞めた責任として、多めにカネを払うからさ」
「いやいや、松岡君、君は優秀なんだから辞めてもらっちゃ困るよ。せめて次の半チャンが終わるまでは居てもらわないと。周囲の反対を押し切って、この麻雀に誘ったのは、この僕だろ」
 安倍がまばたきを止め、松岡をねめ付ける。
「そうだよ。ここで帰るとなれば、安倍の任命責任にも発展するぜ」
 ここで松岡に帰られると、僕がどうして8万点も持っていたが改めて問われる。ここは安倍に同調だ!
「だめかな……」
 消え入りそうな声で松岡がつぶやいた。
「高木君! 君も来て」
 検察が隣の卓に向けて大声で怒鳴った。
「ヒッ!」
 検察の声に驚いた松岡がイスから体を浮かせた。
「いや、もう全部謝るから、ここで麻雀をやめさせてくれないか」
 涙目の松岡が安倍に頭を下げた。
「ダ・メ・だ・よ! 君は優秀なんだから!! それより君の番でしょ、捨てて」
 安倍の声は冷たい。松岡は発を震える手で牌を切った。


 
「へー、今度は発の出が早いですね。もう緑一色は狙わないの?」
 ニヤニヤしながら検察がたずねた。
 その途端、松岡はいきなり卓の山を右手ではじき飛ばし、イスを蹴って立ち上がった。
「安倍総理、日本国万歳」
 絶叫しながら雀荘の出口に走っていく。その姿を僕らは唖然として見送った。
「慚愧(ザンキ)に堪えないな!」
 安倍が松岡の後ろ姿を見ながら吐き捨てた。そうとう松岡の行動を恥ずかしく映ったのだろう。
「ご本人の名誉のために申し上げておくけど、『緑資源機構』に関して捜査当局が松岡君や関係者の取り調べを行っていたという事実もないし、これから取り調べを行う予定もないという発言があったと聞いているよ。そうでしょ、検察さん」
 安倍が検察に同意を求めるかのように話を振る。
「そうですね。山崎君や高木君とは世間話でしたから」
 さすが官僚。上を見て話を合わせるのはうまい。

「しかし、これじゃあ3人麻雀になっちゃうな。誰か呼ぶか。言うことを聞く、官僚上がりとかがいいな。赤城君にするかな」
 安倍が携帯電話を取り出した。卓から逃げ出したヤツなど構っている暇はない。それが雀士の心得だということか。
 こうして安倍の「美しい麻雀」は続くのだった。(大畑)

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2007年6月 7日 (木)

彼らのポケットにはナイフがある? イスラムへの偏見

 イスラム教に対する誤解は、欧米や日本を問わずに強いものがあると思う。その「誤解」にはたわいのないものもあるが、イスラム教徒に対する差別を助長する類のものがやたらと多い、というのが私の実感だ。
 日本ではそれほどでもないが、欧米では「右手にコーラン、左手に剣」のイメージはすさまじいものがある。私がオーストラリアに留学中、学校でリビア人の友人ができたことをホームステイ先のホストマザーに話したところ、「彼らは一見優しく見えるけど、いつでもポケットにナイフを仕込んでいるのよ」と、真顔で諭されたことがある。彼女は、オーストラリアでもかなりリベラルな思考の持ち主で、積極的に異文化交流を行おうと、ホームステイを多く引き受けている。その彼女をして、イスラム教徒全員が、ナイフを隠し持っていると言い張るのだから、誤解の根は深い。
 イスラム教徒は、異教徒だからといって改宗を迫ったり、危害を加えたりすることは行わない。なぜなら、それらの行為はコーランで明確に禁じられているからだ。イスラム教の成立は7世紀であり、キリスト教やユダヤ教の成立より遅いため、それらの異宗教との関わりを無視しては、イスラム教自体の存続が不可能である。異宗教に出会う度に攻撃していては、身が持たないし、物理的に不可能である。
 コーランというのは、キリスト教徒にとっての新約聖書、ユダヤ教徒にとっての旧約聖書だと思われがちだが、その性質は大きく異なる。コーランでは、信仰者の規範だけではなく、断食の時期から、食事作法、商売においての契約方法まで、儀式や生活においての殆どの行動が事細かに規定されている。これらを守ることは、イスラム教徒にとって大切な信仰の表現であり、簡単に違反をしていい類のものではない。よって、コーランによって禁止されている、改宗を迫る行為は、信仰に背くことにもなるのだ。
 もちろん、私の友人はナイフなんて持ち歩いていなかったし、改宗を迫られたことなどは、一度としてない。どちらかとえば、彼は周りの人々の宗教や文化を尊重することに、熱心すぎる方だった。もしかしたら、彼は、私たち日本や欧米の人間が「右手にコーラン、左手に剣」のイメージを持っていると考えていて、それが真実ではないことを必死に示そうとしていたのかもしれない。もしそうならば、それは悲しいことだし、彼に何ら非のあるものではない。
 今日、日本で暮らすイスラム教徒は少なくない。先月もアミネ・カリルさん一家が長女のマリアムさんを残して、イランに強制退去になったことはまだ記憶に新しい。イスラム教徒に対する理解がまだまだ欠けている日本では、差別も依然として強く存在する。私は、もしカリルさん一家がイラン出身のイスラム教徒ではなく、アメリカやイギリス出身のキリスト教徒であったら結果が同じであったか、と難じずにはいられないのである。(白川徹)

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2007年6月 6日 (水)

新聞社はなぜ自己PRしないのか

大方の見方は違うかもだけれども私の知る限り多くの高校生や大学生は驚くほど社会や世界の情勢に興味を持っている。高校生として学校にきちんと通いつつボランティア活動をしたり講演会を聞きにいったり大使館を訪ねたりしている。大学生となるとせっせとアルバイトで貯めたお金で難民キャンプを訪れるとかストリートチルドレンを助ける活動に参加したりしている。特に女性が顕著だ。
こうした傾向は少なくとも私がその時分であったよりずっと強い。そして彼女ら彼らの大半は胸に強い問題意識を抱き、自分が対象とした弱者や少数者に対する無関心に憤っている。そしてそうした人々の現状を発信して無関心を打破したいとこいねがっている。
だから……と彼女ら彼らは目を輝かしていう。そうした願いをかなえられる職に就きたいと。そこで出てくる結論は第一に「国連職員」。次にテレビ局。ここで私はずっこけるわけである。
まず国連職員というものが何であるか。いかなる権限を持つのかまるで知らない。テレビ局はマスに影響力を与えられる存在であるというところまでは正しいけれども「だから私が入社してシエラレオネの窮状を訴えるドキュメンタリーを作りたい」と目を輝かされると、その輝きが痛いのだ。
君達は因果関係を間違えている。無関心が原因でそうした問題がテレビ局から発信されないという結果が生じているのではなく、多くのテレビ局関係者がすでに試み、視聴率が取れないとわかっているのが原因で報道の少なさは必然的結果だから君が入局してどうこうなるわけでないと言っていいのか悪いのか悩むのである。
「NHKならば……」あたりが穏当な答えだろうか。でも彼女ら彼らはNHKを見ていない。知らないものに関心を持てといわれても無理である。

そもそも民放地上波に取材力などないに等しい。何に比べて「ない」かというと大新聞や共同・時事である。大新聞や通信大手の取材力や取材網は民放地上波を1とすれば10はあると控え目に告げると彼女ら彼らはぼう然とする。シンブンってそんなにすごいのと口あんぐり。理由は簡単。彼女ら彼らのほとんどが新聞を読んでいないから。
親と同居している場合は宅配で新聞は取っている。「何新聞?」と聞くと問題意識の高い人の一般的傾向として日本経済新聞と答える率が高い。でも読んではいない。当たり前だ。そういう新聞だから。
「朝日」という人は恥ずかしそうだ。「朝日なんですけど私は読んでませんから」と東大生が自分の学校を東大というのを恥ずかしそうに言うのと似たような口調になる。何やら偏向していると思われたくないらしい。シェアから推せば読売が一番多いはずだが信じられないくらいその名を聞かない。

先ほどの文章を繰り返す。知らないものに関心を持てといわれても無理である。

無関心に憤る若者はこれまた口をそろえて「日本では伝えられていない」という。でも彼女ら彼らが苦労して見聞してきたあらましのほとんどは新聞で伝えられている。その程度は朝・毎・読とも同格といっていい。私は読んでいるからわかる。でも読んでいない人にはわからない。
そこで素朴な疑問。新聞社はこうした実態を知っているのか。私は毎日新聞のことしか知らないし、それも若干だけれども、私の及びもつかないものすごい能力の持ち主が大勢記者として在籍していて毎日毎日壮絶な量の情報を盛り込んだ紙を何度も印刷して販売している。そうした人の集合体がまさか知らないとは思えないのだけど……でも、きっと知らない。そこが空恐ろしい。
間違いなく現在の30代より若い人は役人や広報といった必然性のある職種を除いて新聞を読んでいない人が圧倒的多数だ。では読んでいない人が新聞にある情報を欲していないかというと全然違う。要するに新聞社は欲している情報を載せているのだから(ここまでは正しい)読んでくれるに決まっていると思い込み、読まない世代は新聞に欲している情報が載っていると知らないから読まないのだ。
記者になりたてのころ、速報性のあるニュースはTBSにファクスするようにいわれていた。ただ特ダネはラテ禁だった。今でも民放地上波の多くは系列の新聞社や共同の取材源に頼っている。ちなみにいわずもがなを申し上げるとテレビの系列に新聞があるのではなく歴史的には新聞がテレビを生んだのである。

早朝のめざまし何とかみたいな名が付いているテレビ番組をたまにみると(あれは報道?娯楽?)朝刊早読みコーナーがたいていある。私は何であれを大新聞が許しているのか不思議でならない。統合版からの完全特ダネを掲載しても午前5・6時には他紙と平行して紹介されてしまっている。泊まり明けが抜き抜かれをチェックする前に皆ばれているのだよ。
特殊指定云々よりよほど……とまではいわぬが相応のダメージがあるはずだ。「あれ」を放置していたら特ダネから何まで全部「伝えるのはテレビ局」になってしまう。確か以前は特ダネは隠して放送していたような記憶もあるけど今もそうなの?それはそれでどうかと思う。
「あれ」がすごいのは主な新聞記事を解説する点だ。傍線を引いて主だった部分を読み上げ、内容をまとめてコメントまで付ける。それは取りも直さず新聞の記事が読みにくい、ないしは誰かが読んで解説してもらった方がわかりやすいという意味である。
記者は認めたくないだろうけど新聞の文章は一般的には読みにくい。ズバッと書いてあるようでズバッと読者に落ちない文体だ。エロい表現で例えれば「前戯なき挿入」といえよう。下ネタ嫌いの私があえて使ってみた。こういう例え自体に記者は嫌悪感を催すだろう。例え素顔が下ネタ好きだとしても。

ここまでを新聞批判に読まれたら「やんぬるかな」である。ありていにいえば私は新聞大好きである。せっかく問題意識の高い若者が生まれていて彼女ら彼らの「伝えたい」を曲がりなりにもかなえられるのは新聞だとわかっているのに当の本人が読んでさえいないというのは悲劇以外の何ものでもない。その結果として広告代理店いうところの媒体訴求力が落ちて新聞が消えるのが心配でならない。だって30代より若い人は読んでいないんだから順番でお迎えが来れば近い将来「やんぬるかな」に陥るのは確実だ。
イメージとして「ジャーナリスト宣言」などしても魅力はわからない。その圧倒的な情報収集能力をまざまざと示す大宣伝をしたらいかがか。それが毎日の紙面そのものだとの声が聞こえてきました。でもそれが読まれていないんだからどうしようもないじゃあないですか。(編集長)

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2007年6月 5日 (火)

香港で健康の秘訣を学ぶ

 突然ですが、私は病弱です。
 よく母から「食べることが健康につながる」と言われるが、あまり食事が好きじゃないし、偏食気味なので20歳の時に体を壊してしまった。
 その後、徐々に回復して健康を取り戻したが、あいかわらず食事嫌い。さらにたばこも吸っていた(今は禁煙)ので、南国暮らしの私はバテることが多かった。
 しかし、食の都・香港に移り住み、いかに食べることが健康にとって重要なのかを思い知ることとなった。

 香港人はよく食べる。本当によく食べる。一日中なにかを食べているんじゃないかというほど。
 街中にある軽食スタンド前にはいつでも人がいるが、夕方くらいになると黒山の人だかりができる。そこで香港の人たちは、揚げたなすやピーマン、ソーセージ、焼売、揚げワンタン、魚団子、ピーナッツバターを塗ったワッフル、たこ焼き……などなどバラエティーに富んだものを食べている。
 老若男女問わずそこら辺の道ばたで食べ、さっさと帰って行く。
 以前、香港関係の記事を読んだとき、「香港人はレストランの列に並びながらも何かを食べている」と書いてあったのだが、さすがに信じられなかった。
 食べ物屋の列に並んでいるならば、おなかがすいているのは当然だし、時間がかかるときもあれば、すぐに入れる時もある。いずれにしろ並んでいる最中は食べ物を口にしないのが当たり前だと思っていたし、今もそう思っている。
 なので、さすがによく食べる香港人を揶揄したネタだろうと思っていたら実際にいたのだ。
 ワンタン麺の店の列に並んでいた若い女の子が、たこ焼きを食べながら待っていたのだ。
 麺や食堂などは特に回転が速くあっという間に席に着けるのだが、休日は食べにくる人数が増えるので若干回転が遅くなる。とはいえ、ふつう食べるか!? というのが、正直な感想だ。
 しかし、香港の人からすると並んでいる最中に食べているものと、これから食べようとするものは違うことのようで、よく女性がいう「甘い物は別腹だよ」というのと同じことらしい(どこがどう違うのかは私にはわからない)。
 お腹がすいているんだから行列に並んでいようと食べるし、中に入ってもきちんと食べる。たしかに、それを習ってたくさん食べるようになった(並んでいるときは食べてはいない)ら、体の調子もよくなってきた。なれもあるだろうが、香港は日本以上に湿度が高く気を抜くとバテてしまうのに、バテなくなった。
 とてもよい傾向なのだが、体調がよくなると同時に太り始めてしまったのだ。食べるだけ食べてあんまり動かなければ太るのは当然だ。
 しかし、香港人は太っている人が比較的少ない。どうしてあんまり運動してないように見えるのに、どういうこと? と思っていた矢先、たまたま通い始めたスポーツクラブでその疑問が解消した。
 日本では敷居の高いスポーツクラブだが、香港では比較的リーズナブル。おじいちゃんおばあちゃんから学生くらいの若い子まで、たくさんの人たちが通っている。 パーソナルトレーナー(料金が高い!)をつけている人も多く、これで食べた分のカロリーを消費しているのかと思うくらいトレーニングにいそしんでいるのだ。
 一時間ランニングしたり、自転車をこいだり、筋トレをしたり……。触発されてトレーニングにいそしんだらやせた。嬉しかったしかし今は、太ってきている。
 汗を流し、一生懸命努力しているたくさんの香港人を見て、食べるだけでなく体を動かすことも健康の秘訣なのだということを切に感じたのだった。 (奥津)

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2007年6月 4日 (月)

スチュワーデス殺人事件の現場を歩く

Zen  1959年の3月10日、東京都杉並区、善福寺川で若い女性が死んで横たわっているのが発見された。場所は宮下橋付近で、当時このあたりは川底が浅かったので遺体は沈むことがなかったのだ。
 遺体は武川知子27歳、職業はスチュワーデス、今で言う客室乗務員である。イギリスの航空会社BOACが日本人として初めて採用したスチュワーデス8人のうちの1人で、同月13日からは香港行きのフライトで初乗務する予定だった。当時の毎日新聞には、フテキな笑みを浮かべ、ふっくらとして健康そうな武川さんの写真が載せられている。スチュワーデスというより八百屋のカンバン娘、という風情である。
 死因は「やく殺」、つまり手で首を締めて殺されたと判明、ただちに高井戸署に捜査本部が設置された。

 この事件が世を大いに騒がせたのは、捜査によって加害者として浮かんだのが保守・厳格で知られるキリスト教カトリック派の神父だったからである。神父ベルメルシュ・ルイズ(38歳)はサレジオ修道会で神父の資格を得て、宗教系の出版社ドン・ボスコ社に勤務していた。
 武川とベルメルシュは仲が良かったようで、ドライブに出かけるほどだった。
 ところで、事件が発覚してからベルメルシュに目が向けられるまでにしばらくのタイムラグがあるが、それは武川のオトコ脈絡が豊富だったために捜査が難航したからのようである。「毎日のようにダンスパーティーや映画の誘いがあった」と新聞にも載せられており、ある日などは極太ゴシックで「イブに泊まった男」などとデカデカと組まれているので、なんだかワイドショー的展開だけは捜査を差し置いて着々と進行していたようなのである。

 閑話休題。犯人はベルメルシュであるとほぼ断定はできていたが、事件後3ヵ月後の6月、突然彼は帰国してしまい、捜査は事実上困難となる。そんな中でも本人は容疑を否定する手紙が新聞社に送るなどして若干の余裕を示す。6月20日に、未解決のまま捜査は打ち切りとなった。
 カトリックの神父が殺人に手を染めるという日本では前代未聞の大事件となったが、逮捕にたどり着けないまま事件は葬られることとなった。

 善福寺川の現場に向かった。

※ここから先の記事は…

『あの事件を追いかけて』(本体952円、アストラ刊)にてご確認ください。

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2007年6月 3日 (日)

東京のイスラム・雑居ビルのモスク/イスラムとの出会いなのである!

 ようやく池袋で雑居ビルの中にあるモスクを見つけたが、インターフォンを3度押しても何の反応もない。人が出てこないばかりか物音もしない。
 思い切って鉄のドアを引いてみると、ドアはいとも簡単に開いた。けれど、中に人はいないようだった。
 20畳くらいの部屋がひとつあり、小さなキッチンとトイレがついてるようだった。カーテンが吊るされていない窓からは午後3時にふさわしい日差しが差し込んでいて部屋の中は明るい。
 その縦長の部屋の真ん中に、タタミ半畳くらいの大きさのじゅうたんが5つ6つほど並んで敷かれている。この上で礼拝をするのだとなんとなく分かった。全体としては閑散とした部屋なのだが、入り口から最も遠い部屋の隅には大きな本棚があり、コーランと思われる分厚い本が並んでいる。

 誰もいないと思い込んで勝手に上がりこんでしまうと、奥のキッチンからひょっこり人が出てきたときにバツが悪いよな、などと思いながらしばらくボーゼンとしていたが、やはり人の気配はない。
 それでも、そうしているうちにも好奇心が這い出てきたので靴を脱いで勝手に上がり込んでしまった。こんなに無防備にカギをかけないままでいいのだろうかと思われたけれど、礼拝は1日に5回も行なわれるから、いつ人が来ても勝手にここで礼拝できるよう開放されているのかもしれなかった。やはり部屋は閑散としていて、盗まれる心配のある物といえばコーランと礼拝に使うと思われるじゅうたんくらいだった。
 しばらくウロウロしていたが、ここでおもむろに人がイスラムの人がやって来て「ああ、お前は誰だ!!」などと言われたらなんて返せばいいんだろう、と急速に臆病化してこの日は帰ることにした。

 5月の半ば、もう1度ビルの4階のドアを引いた。今度は4時半ごろに訪れた。夕方から日没にかけての時間帯ならば、4回目の礼拝の時間にうまくぶつかるはずだった。
 来るのは2度目だったが、やけに静かで不思議と通路が曲がりくねったビルで、どうも勝手に緊張してしまう。
 クリーム色の鉄のドアを引くと、フロアに人が2人座っているのが見えた。
 それぞれ日本人ではない20代くらいの若い男と60歳前後と思われる初老の男で、当然のことながらバッチリと目が合ってしまった。若い方の男はメガネをかけていて多少神経質な感じがし、初老の男は全体的に柔らかい雰囲気で泰然としたものである。5メートルくらいの距離を隔てて、2人がこっちを見ている。こっちも、2人を見ている。初老の男は薄くぽかんと口が開いたままだ。名状不明、空気凍結、どことなく間の抜けた時間帯がしばらく流れて、「あ、どうしようかな」と少しばかりアセってきたとき、後ろのドアが再び開いて、若い男が入ってきた。
 私の顔を見て、印象のいい会釈をして、何事か聞き取れないあいさつをしてさっそうと部屋の中に入っていった。ここに来るのは明らかに慣れている感じである。
 ようやく初老の、イスラム風の帽子(そんな説明ってどうかと思うが)を被った男性が、何か用ですか、という意味のことを話しかけてきたので、ビルの中にあるモスクについて興味がある旨を伝えた。すると、中の3人は、なんだそれならば早く言ってくれればいいのに、というように急速にリラックスした感じになり、どうぞ中へ入ってくださいと促してくれた。

 さて、聞きたいことは少なからずあった。モスク以外のことでも、イスラム教のこと、東京でどんな生活を送っているかということ、どんな仕事をしてるのかということ、彼らから見た東京について、などなど。
 私がカクカクした落ち着きない動作で部屋に入り、適当な場所で腰を下ろすと、なんとなく周りににモソモソと彼らがやって来て車座のようになった。
「ここのモスクについてなんですけど……」と後から来た男にたずねてみると、「あ、すいません、」と彼が言う。「先にお祈りだけ済ませてしまうので……」と言い、カバンを置いてから少しばかり厳かな動作でマットの上に立ちヒザで上がった。
 トルコから来たという彼は、ホリが深くて端正な顔だちをしている。けっこうイケメンである。どうも彼ら外国人の顔を見ると、日本人というのはノペっとした能面のような顔の人種なのだな、と思わざるを得ない。ホリが深い顔は眉から目のあたりにかけてのカーブが大きく、ちょっとした陰影ができるせいなのか全体としてミステリアスな感じがする。
 マットの上で夕方のお祈りをする彼をしばらく眺めた。真剣そのものである。まわりの空気がすっと冷えていくような感じがした。額を地面にこすりつけんばかりにして熱心に祈りを捧げている彼を見ているうちに、私の知る多くの日本人が持たないような、なにか静かなものを彼らが持っていることを、このとき肌で直接的に感じ取ることができた。■つづく(宮崎)

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2007年6月 2日 (土)

『吉原 泡の園』 第19回/Eさんの背中を上る鯉

■マネジャー曰く、「店は女がつくるんじゃねえ、店をつくり、盛り上げるのはボーイの仕事じゃ!」。ボーイがいて、それでいてソープは回る。イッセイの働くR店で日々蠢き、苦楽を共にしたボーイの面々を紹介する。(編集部)

        *       *       *

 Eさんは、元極道であるが、声も小さく、スラリとした体型で、40代後半くらいに思われた。意外といい男なのだ。
「俺は今までに、遊びで1億は使ったな」
 暇さえあればそれを自慢するのである。またEさんは、実は推薦されてこのR店を救うべくスカウトされた優秀なソープマンなのである。
 Rグループナンバー2のパンチパーマのおとなしいおっさん、O社長率いるエメ○○○○○という店がある。つくりもしっかりしていて、我がRグループの中では最も値段の高い8万円の店である。
 そのO社長に引き抜かれ、R店のボーイとして、店を頼むと言われやって来たすごい男なのだった。
 O社長は白い上から2番目くらいのクラスのベンツに乗っていた。僕から見れば、あのベンツを売れば、僕の未来もすぐにでも開けるくらい、アパートやらなにやらが揃うだろうなという存在だ。
 靴もベルトも最高級のものを身につけ、金があるからおとなしいのか、おとなしいから金持ちになったのか、どちらでもいいがとにかく「金持ち喧嘩せず」といった男だった。
 Eさんはこんな話もした。
 以前チンピラだった頃、暴走族の喧嘩があり、数百人も集まったそうだ。相手の頭はドスを抜いてやる気まんまん。そんな時、Eさんが車で駆けつけ、皆の前で止めた。車には2人しか乗っていない。そのうちの1人が懐から拳銃を出した。それを上空に向け一発発砲したらみんな逃げていったという話だった。
 つまり、拳銃の威力はすごいと言いたかったのだろうが、Eさんは、拳銃の扱いも話してくれた。
 ドラマのシーンのようだが、もしかしたらドラマのシーンを見ていて覚えていたから話したのか分からないが、Eさんにとって銃の試し撃ちは河川敷で、しかも電車の通るときだったそうだ。
 ある日、そんなEさんが
「わりぃ、関口さ、背中にこれ貼ってくんねえかな」
 といい、シップを渡された。
「いいですよ」
 と僕はまるで親父ほど年の離れているEさんに対し、自分の親父にでもシップを張ってやるかのつもりでいた。そして、Eさんがシャツをめくると、そこには鯉が滝を懸命に登っている刺青がドーンと登場したのだった。
「いやーっ! 親父と違う!」
 そう思ったのはいうまでもない。
 R店は、僕に対してだけ給料が悪かったり、あるいは飯代も出ないのではなく、Eさんに対してもそうだった。ナンバー2のO社長がじきじきにスカウトしてきて、女房、子供がいて、高いマンションに住むEさんにとって、これは笑い話では済まされない問題なのだ。
 僕だって笑い話では済まなかった。なにせ、借金を抱えているのだから。が、まだ僕の場合自分だけが苦しめばいい。だがEさんの場合家族をも苦しめることになる。
 R店の業績不況と店長の悪行が全ての元凶だったのだが、それにしても1億は使ったなあ、といっていたEさんが、何だか日に日にやつれていくように思えたのは、恐らく僕だけではなかったはずだ。
 この店のいろいろなことを始めに教えてくれたのもEさんだった。
「英会話に行きたくて、実は入会したんですよね」
僕がそう言うとEさんは気の毒に、などというそぶりは一切見せずに、
「ああ、それ無理」
 と言い、僕が仕事についていろいろ聞いていると、
「まだまだ覚えてもらうことはたくさんあるから」
 と軽く言うのだ。そしてRグループ会長の黒幕の方を、
「普通のおっさんだよおっさん」
とばっさり斬ってのけたのだ。もちろん僕だけにだが、まだ会長さんにお目にかかったことがない僕はどんな人だろうと気になってEさんにたずねる。
「見た目は普通。でも現役バリバリの山○組」
 ややや、山○組といったらちとヤバいんちがうん。
 どうやら英会話もダメになり、借金もヤバくなるばかりの僕は、山○組で完全に肩を落とした。
 でも、現役バリバリで普通のおっちゃんって、どんなんだろう。それから数日して、その答えが分かる事になる。(イッセイ遊児)

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2007年6月 1日 (金)

池内ひろ美が語る「市橋容疑者への推理」を嗤えるか?

 最近、このブログに「池内ひろ美」で検索してたどり着く人が増えたことを、アクセス解析が教えてくれた。トヨタの期間工を差別した彼女のブログを批判したものだ。昨年の12月1日に書いた記事だから、読み返すにはずいぶんと古い。きっと池内氏がネット上で叩かれているのだろうと調べてみたら、その通りだった。
 
 今回の騒ぎの発端は5月24日『東京スポーツ』に寄せた彼女の文章だ。
 英国人女性リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害容疑で指名手配されている市橋達也容疑者が、どこで何をしているのかを推理した内容だった。
 彼女の結論は「ネット上で知り合った協力者の元で潜伏生活を送っている可能性が高い」というもの。しかし、この結論にたどり着くまでの推理がひどい。あまりに杜撰だ。

「書き込みが多い人ほど英雄になれる掲示板で、一橋容疑者はある種の“オレ様的”発言をして、支配下に置くようなネット友人がいたとしたよう」
 これが池内氏の推理の前提である。
 こんな友人がいれば、一橋容疑者は友人に通報されることなく過ごせるはずだというのが彼女の推理である。
 なぜなら「一般の人ならその時点で通報も考えるが、ネット友人の場合、報道よりも妄言を信じてしまう人もいる」からであり、「常識で考えればそんな妄言は信用せず通報するものだが、容疑者が自信たっぷりに語るために信じてしまう。そのうち、巨悪に立ち向かう革命家を支援しているような感覚にさえ陥る」からだと。

 この記事を読んだ人が笑いのタネとしてネットで取り上げた。「トヨタの期間工問題で自身のブログが『炎上した』恨みを果たすためのだけの記事だ」、「完全に妄想だ」といった批判が多かったように思う。

 さて、問題はこの文章が本当に「恨み」や「妄想」の産物なのかである。
 池内氏のブログが炎上してたとき、一部のネット住民が彼女の過去を洗い出した。その結果、いくつかの疑惑らしきものが浮かび上がった。この「疑惑」が本当かどうかは分からない。池内氏に反論の場が用意されたわけではないからだ。
 ある事実を組み合わせれば、それらしく見えることはいくらでもある。だからこそ新聞社や雑誌記者は裏を取るために走り回るのだ。過去の著作やネット上の発言だけで真実に行き着くのは易しくはない。
 しかし真実かどうかはネット上ではあまり関係ない。その「悪事」を根拠として、どんどん「制裁」がエスカレートしていくからだ。

 池内氏の場合、彼女の自宅の写真を撮るというネット上での予告があった後、300ミリレンズを付けたカメラを抱えた学生が警官に事情聴取された。さらに娘の留学先がネットに流れ、その友人にも嫌がらせが起きた。

 また池内氏の公演先や出演先、彼女が登場する番組のスポンサーにも抗議メールや電話が殺到し、出演依頼がキャンセルとなる事態にまで発展。しまいには彼女が受け持つ講座に対して、「教室に火をつける」「血の海になる」とネットで予告した犯人が逮捕されるにいたった。

 発端は彼女の職業差別である。成功した者の高みからの発言、あるいは、そうした批判に対する言い訳にもならない強弁が「炎上」を拡大させたのだろう。しかし家族が脅され、圧力で仕事が次々にキャンセルされるほどの発言だったのかは疑問だ。
 第三者から見ても気味悪い盛り上がり方なのだから、当事者にとっては恐怖そのものだったと思う。不特定多数の者が自分に悪意を持ち、その何人かは自宅にカメラを抱えて来るなど「実力行使」に及んでくる。
 そのうえネットで殺人予告をして逮捕された人物は45歳の会社員だったりした。自分と同年齢、しかも社会人。彼女が信用しにくい期間工やフリーター、あるいはギャップを感じる若い世代ですらない。そのショックはかなりのものだったに違いない。

 このような経験をした池内氏にとって、「ネット友人の場合、報道よりも妄言を信じてしまう人もいる」や「巨悪に立ち向かう革命家を支援しているような感覚にさえ陥る」というネット住民に対する感想はかなり率直なものではないか。

 彼女は20冊近い著作を持つ評論家である。他人を納得させられないような言論を繰り返していたら、出版以来は確実に途絶える。つまり「妄想」だとネットで一蹴されるようなものを書き連ねてきたわけではない。事実、トヨタの期間工問題の原稿も賛同こそできないが、論旨は通ってはいた。

 精神医学の第一人者である小此木啓吾氏は、ネットが万能感を引き起こすと指摘している。たしかに、そういった側面はあるだろう。池内氏のネット炎上事件でも彼女の講演などが中止になり、そうした「成果」に満足した人が攻撃をエスカレートさせたのだと思う。ネットから現実を動かせたと感じたのかもしれない。
 しかしネット上の匿名を捨て、自分の素性を明かして彼女を攻撃した人はいない。ネットから動かせる現実から万能感を感じることはあっても、現実の自分にその能力が備わっているとまで勘違いしている人は滅多にいない。だからこそ今回の池内氏のプロファイリングは一般的に「妄想」だと感じてしまう。しかしネットから攻撃された経験のある人にとって、ネット世界から抜けだし現実的な犯罪行為を行う人物など、けっこういるように感じるのだろう。

 1996年、池内氏は『素敵な女性は今、インターネット』を書いている。アマゾンの紹介によれば、「インターネットという空間の中に“オリジナルな自分”を感受した女性たちが語る奔放で瑞々しい仕事観、家庭観、恋愛観」という内容らしい。わずか10年ほどで、池内氏にとってのインターネットは「希望」から「モンスター」へと変わった。
 その振り幅の激しい変化を、ネットで攻撃を受けたことがない自分は嗤えない。(大畑)
 

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