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2007年5月 9日 (水)

安倍能成の普遍的価値観と愛国心

「戦後レジーム」とは何だろう。おそらくそれは男女平等、機会均等、教育の自由主義化、政党政治、国民主権、表現の自由、天賦(基本的)人権、法の下の平等といった憲法に並べられている今やありふれた価値を尊重するところから始まった。普遍的価値観を共有すると言い換えてもよかろう。これがあるから今の日本は北朝鮮や中華人民共和国の政体を批判できる。
普遍的といっても本当は近代スポーツと同じく実はイギリス、フランス、米国などが共通理解とした価値観にすぎない。共産主義は思想的にはこうした価値観を持つはずだが実際に誕生した国家の大半はそうでなかったかそうでない。好む好まざるにかかわらず日本は敗戦によってこの価値観を了解した。戦前から唱えた先人があるも獲得したのは敗戦によってである。
戦後の平和と豊かさの達成を憲法9条のお陰という人がいる。いや日米安全保障条約があったからだとみる向きもある。だがこの2つもまた普遍的価値観の共有に含まれよう。第二次世界大戦後の「世界的戦後レジーム」に戦争を基本的に悪とみなす国連憲章がある。と同時に冒頭の普遍的価値観を持たない(とみなされた)ソ連を中心とする陣営に対応する必要もあった。

となると普遍的価値観は敗戦によって棚ぼたのように与えられたのか。その代表的な例である1947年の教育基本法成立までの経緯をたどると占領下でありながら日本側も相当の覚悟と意欲で取り組んでいたとわかる。
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)で教育を担当した民間情報教育局(CIE)の要請で米国から46年3月、教育使節団が来日して6・3・3・4制や男女共学などを提起する報告書を提出して帰国した。ただしこの報告は米国の押しつけではなく共に協議した日本側の「日本教育家の委員会」の意見も反映されたとみられる。日本側の主な当事者は安倍能成文部大臣、南原繁「日本教育家の委員会」委員長(東京帝国大学総長)、田中耕太郎委員(文部省学校教育局長)などである。
この報告書をたたき台にして46年8月、教育刷新委員会が発足する。安倍能成委員長、南原繁副委員長でスタートしたから「日本教育家の委員会」の流れをくむといっていい。ちなみに文部大臣は田中耕太郎が就任していた。
この委員会は文部省ではなく「内閣総理大臣の所轄」で首相に直接建議できた。教育基本法は委員会内の第1特別委員会で主に審議され、首相への建議で基本方針を確立し、CIEの了承を取り付け、大日本帝国憲法では主権者だった天皇の諮問機関である枢密院を経て帝国議会の審議に至る。そこで可決、成立した。一連の過程を政府で推進したのは田中文相とみられる。

安倍、南原、田中という得がたい人材によって教育基本法は敗戦直後の日本側の意見をGHQに率直には言いにくい環境下で日本人のペースで成立させた誇っていい経緯があったのが忘れられがちである。南原繁は政治学者。田中耕太郎は商法を専門とする法律学者、安倍能成は哲学者。いずれも決して「左」ではない。
その安倍文相が米国教育使節団を迎えた際のあいさつが残っており、一連の過程を思い返すにあたって実に多くの示唆を与えてくれる。安倍能成著『戦中戦後』(白日書院刊 1946年発売)から抜粋(219ページから231ページ)してみよう。

安倍は使節団に対して「敢えて失礼を申せば」と前置いた上で「(米国側が)よき戦勝国たり戦勝国民たることも中々困難であります。我々は戦敗国として卑屈ならざらんことを欲すると共に、貴国が戦勝国として無用に驕傲(きょうごう)ならざるを信ずる者であります」と気概を打ち明けた。
その上で戦前の教育者の誤りを「政治を支配すべき教育が却て政治の奴隷になったこと」とみなし、具体的には「正しい世界観に基づいた教育の手薄、人格の確立、個性の尊重の欠乏」を指摘した。その順番は「普遍人間的な世界的な教養という理念を地盤としてこそ、各人の個性も各国民の国民性も始めて健全に成長してゆく」である。
ここにあるキーワードはやはり普遍的な教養であろう。自国だけで通じる「国民的迷信」ではなく「先進国」国民ならば共通に持って当然の価値観を「地盤」とすべしとの決意だった。それを教育使節団という「新来のフレッシュな客の感覚に依り」「永遠の使命を果」たしたいと結んだ。また「政治を支配すべき教育」と言ってのけたのも注目に値する。旧基本法にあった「不当な支配」とは本来、政治が教育へ干渉する行為ではなく、政治を教育が支配していない状態を示すのであろう。
こうした精神が教育基本法へとつながっていったのだ。自ら敗戦直後の日本の現状を「苦しい試練」「八方塞りの状態」と現状を認識しつつも「卑屈」を戒めた教育者がかつていた。あえていればこれほど愛国的なあいさつも当時の状況を推量すればあるまい。「愛国心」の鏡である。

その流れをくむ法律を06年、我々「普遍人間的な世界的な教養」を持っているはずの「先進国」国民が選んだ国会議員によって構成される議会で改正したのである。なお教育刷新委員会の後身が中央教育審議会である。(編集長)

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