« 原宿の女の子200人に聞きました | トップページ | 先週の安倍もひどかった »

2007年5月14日 (月)

三菱重工本社ビル爆破事件・現場の現在

Photo_34  1974年の8月30日午後0時46分ごろ、三菱重工本社ビル正面玄関を入ってすぐの柱脇に置かれた時限爆弾が爆発した。量にして約10kgもある火薬がもたらした被害は半径200mにも及び、8人が死亡、385人が重軽傷を負った。
 当時の三菱重工本社ビルは現在の丸ビルの隣、東京駅から徒歩1分のビル群の真ん中である仲通りで起こった惨事だった。
 事件発生後には機動隊員が約1600人出動し、設置された特別捜査本部では「過激派による防衛産業襲撃」「爆弾マニアによる犯行」の2方面から捜査が展開された。翌年、東アジア反日武装戦線のメンバーら8人が逮捕されており、「打倒されるべき帝国主義の手先」として三菱重工がターゲットとなったことが明らかになった。

 当時の新聞によると、この日本史上最悪の爆発事件と呼ばれる当時の現場では、耳をつんざく大轟音のあとビルに家具を運び込もうとしたトラックが「原型をとどめず変形し」、通りのあちこちにバラバラになった手足が散乱していたという。重工本社ビルの北側の窓は1階から9階までがすべて吹き飛び、向かいの三菱電機ビル(当時)からは「滝のようにガラスが落ちていった」様子が見られている。通りに面したビルのガラスも半径100mはすべてが吹き飛んでいる。

 現在、そのビルは文部科学省が仮の庁舎として使っている。03年から今年の12月までは「文部科学省ビル」という名称となっているが、ビルの持ち主は三菱地所である。今年の12月以降は文部科学省は霞ヶ関の新庁舎に移転し、ビルは三菱グループの手に戻る。

2_1  爆破事件が起きたのは午後0時46分ごろ、ちょうど昼休み時だ。
 三田線の大手町から徒歩2分ほど。実際にその時間にビルに足を運んでみると、かなりの人数がビルに出入りしていた。昼時で1階にはカフェなどの店舗も入っており、人の流れが途切れないので自動ドアは開きっぱなしである。
 正面玄関を入ってすぐ、爆弾が置かれていたと思われる場所には文部科学省に入るためのセキュリティで警備員が5、6人ほども配備されていた。

 手の空いている警備員に爆破事件のことについて聞いてみた。
 だが話しかけた2人の警備員が爆破事件について知らなかったので驚いた。
 それでも、「今年の4月に警備会社が変わったばかりでして……」との弁だから、たしかに事件についても知らなくてもしょうがないかもしれない。(前の警備会社になにか不都合が?)

 三菱重工ビル爆破事件においては警備員は幕の外の存在ではない。事件直前、犯行グループは管理人室に3度ほど犯行声明らしき電話をしている。グループ名を名乗り、「これは冗談ではない」と忠告をしたが、管理人には冗談だと思われてしまったのか、何度も電話を切られてしまっている。そして、爆発が起こった。
 当時と同じ場所にあるかどうかは定かではないが、地下1階にある警備室に行った。なにやら様々な設備が整った警備室に見えたが、なんとそこの警備員も事件のことを知らなかった。事件については喋らないようにと通達でもされているのかと一瞬思ったが、初老の彼の表情から察するには本当に知らないように思われた。
 国内の企業に次々とテロが行なわれていた時代があったを知る学生はほとんどいないだろう。国内最大級の爆破事件も、現場からは既に忘れ去られているようだった。(宮崎)

※ここから先の記事は…

『あの事件を追いかけて』(本体952円、アストラ刊)にてご確認ください。

|

« 原宿の女の子200人に聞きました | トップページ | 先週の安倍もひどかった »

あの事件を追いかけて」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/122338/15063638

この記事へのトラックバック一覧です: 三菱重工本社ビル爆破事件・現場の現在:

» ニトリ 商品情報 [ニトリ 商品情報]
家具・家電はいいものを揃えたいですよね。 多くのそういったものを取り揃えました。 参考にごらんになってください。 [続きを読む]

受信: 2007年5月14日 (月) 02時40分

« 原宿の女の子200人に聞きました | トップページ | 先週の安倍もひどかった »