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2007年5月

2007年5月31日 (木)

先日のロシア 第4回・「家族宣言!」

 貧乏をすると病気が怖い。最近その日暮らしをはじめ、改めてそれを実感した。
 5月の陽気に風邪を引いた。帰路の途中で頭痛がし始め、満員電車で寒気を抑え、家に帰って熱を測ったら平熱よりも2度近く高かった。それから3日間寝込んだが、薬代がかかる一方で休んだ分のお給料は当然ゼロである。今まで、このまま死んでしまうのではないかと思ってインフルエンザに耐えていたことはあったが、いっそこのまま死んでしまいたいと思って布団をかぶっていたのは初めてだ。体が丈夫なのをいいことに体調管理にズボラであったが、これからは気をつけよう。うがい手洗いを迎行して、朝の5時には起きて乾布摩擦をしよう。日野原先生の本も読もう。そんな風に思った。

 が、その矢先である。つい先日、熱中症を起こして勤務中に倒れてしまった。太陽との勝負に、戦いの自覚もないままに負けたのである。気がつくとダンボールの上に寝かせられ、扇がれていた。情けない。「どうする?」と問われ、「やはり気分が悪いので帰ります」と答えたとき、ロシアの留学生が発した言葉を思い出した。「湿気が多いので帰ります」。帰る理由としては、ちょっと分かりにくい。彼女も、つまりは気分が悪かったのだろう。そう類推できるけれど、少々ショートカットのしすぎである。

 さて、今回はロシアの新聞メディア「ВЕДОМОСТИ」(「vedomosti」訳して「報告」これまたシンプルな新聞名)5月22日付の記事から。http://www.vedomosti.ru/newsline/index.shtml?2007/05/22/430622

 経済紙とあってお堅い記事が並ぶ中、病室で老齢のご婦人が横たわる画像に惹かれた。きっと先日の不健康で散々な記憶が脳に焼き付いていたのだろう。タイトルは「申告しない家族」。なにやら意味深げだ。本文は税金控除についての記事であった。冒頭をまとめると以下のようなお話。

 世帯を持つ男性は、離れて暮らす妻の実母の通院代や薬品代を支払うとき、そのぶんの税金控除を受けることができない。男性側からはこんな訴えが聞こえてくる、「俺あ自分の母親も、嫁さんの母親も頭数に入れて生活しなきゃいけないんですぜ!」(台詞脚色:臼利)。

 母親かあ。母親ね。……父親はどうしたの? と突っ込みたくなるが、ロシア人男性の平均寿命は59歳である。女性の平均寿命とは10歳も違う。おじいちゃんが見当たらないとまではいかなくとも、「老人」のステレオタイプは「おばあちゃん」くらいの図式は出来上がっているのかもしれない。

 ロシアの税制では、一家の医療費に5万ルーブルまでの控除が許可されている。1ルーブル4円で換算すると5万ルーブルはざっと20万円。ロシア男性の平均賃金が月に1万から3万ルーブル、4~10万円ということを考えると、妥当な額なのではと思われるかもしれないが、ロシアでは健康保険で診察を受けられるのは国立の病院だけなので、民間の病院はすべて自己負担なのだ。なお、薬品も輸入に頼っているために高価なものとなり、庶民には手が届きにくい。しかしロシア人とて人間だ。病気もするし、薬も必要だ。高齢になってくれば尚更のことであろう。先に「家族」と述べたが、これは文字通り世帯を共にするものとしての「家族」だ。離れて暮らす妻の母親を扶養したい場合、何の控除も受けられないのがロシアの現状なのである。

 世帯単位ではない扶養家族の申告ができるようにすると、何らかの効果も出てくるという記事内容なのであるが、そのためには、所得税の問題を解決する必要があろう。ロシアの個人所得税は一律13%、この税率は欧州で最も低い水準である。また、貧富の差を増大させない累進課税が一般的な世界で、フラット税というのも珍しい。 エリツィン時代に累進課税にしたところ、もともと税金を払うという意識に乏しい元社会主義国において、支払いは滞った。そこでプーチンが一律税を導入、一転して税収はアップした。しかしフラット税ではどうしても限界がある。税制導入後わずか6年で、福祉問題に引きずられるか否か。

 しかしこの「扶養家族の申告」…「семейной декларации」と表現しているが、普通に訳せば「家族宣言」である。「家族宣言」! 「健康家族宣言」、「エコ家族宣言」、「みんなで大掃除楽しいね ハッピー家族宣言」など、日本企業もこぞって使う表現ではあるが、なんとアヤしい響きだろう。そこはかとなく共産的な匂いも漂う。いつものことだが、資本主義国の仲間入りを完璧に果たしたいのなら、このネーミングセンスを何とかしてほしい。見栄えがよければ中身がともなってくる、場合もあるから。(臼利つくし)

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2007年5月30日 (水)

松岡利勝・阿南惟幾・栗栖赳夫

現職閣僚が自殺するなどということがあるのだと教えてくれたという意味で松岡農水相の行動は大変勉強になった。

2001年の省庁再編まで国土庁や環境庁など公的には「長官」と呼ばれてきた「大臣庁」のトップも含め、閣僚の自殺など聞いたことがない。最後の大臣庁だった防衛庁が省に昇格して呼称もすべて大臣となったが(国家公安委員長を除く)農水相は1881年設立の農商務省以来ずっと「大臣」であり続けた由緒ある格式である。

何しろ一般論として「大臣が自殺する」動機がまったく思い浮かばない。むしろ八つ裂きにしても生きていそうな役割だ。かつて東大法学部の学生の多くは官僚になった。課長より上になると悪名高き天下りで同期または2期まとめてのエース級だけが生き残って法務と外務を除く大半の役所でトップである事務次官まで上り詰める。その上に一応副大臣がいるけれど、やっぱり名実ともに「事務次官より上」は大臣だろう。
ふむ。名実ともには確かに言い過ぎか。でも主観的にはそうなはず。エリート中のエリートである事務次官が形だけにせよ頭は下げる。予算の最終折衝は大臣の出番だ。農水省の外局の官僚だった松岡氏にとっては至福の環境だったと容易に想像がつく。

大臣なんて改造や総選挙後、首相の交替時などでコロコロ代わるじゃないかとの突っ込みもあろう。でもだからこそ、短い期間だからこそ至福の度合いは濃くなる。八つ裂きにしても生きていそうとしたゆえんだ。

松岡氏は1945年の敗戦時に割腹した阿南惟幾陸軍大臣以来の現職閣僚自殺という。でも一緒にしたら阿南は怒って化けて出そうだ。宮城事件など一部の跳ね返りを身をもって防いだオレと一緒にするなと靖国から叫び声が……。そういえば阿南は戦死でないのに英霊だった。

それはいいとして、それほどまでに現職閣僚が自殺する動機は薄い。あるとすればどうしたって現職閣僚の逮捕を恐れて自ら相殺したと推測する誘惑に駆られる。
「現職閣僚の逮捕」もまためったにない。私の記憶が正しければ1948年の昭電疑獄(昭和電工事件)での栗栖赳夫経済安定本部(後の経済企画庁)総務長官以来いないのではないか。
恐らく現時点で松岡氏自身への捜査の手は具体的には伸びていなかったであろう。だが自殺したということは、これまで述べてきたような理由から一般論では到底あり得ない選択だから、そうせざるを得ない、これまた到底あり得ない理由があったと推理してしまう。むろんその理由が他にある可能性も否定できないが少なくとも私には想像できない。単に浅学非才ゆえの想像力の欠如なのか。故人の名誉を慮り、ここはきっとそうなのだとしておく。
ちなみに栗栖長官逮捕後、彼をすえた芦田均内閣はまもなく瓦解。それは片山哲内閣から引き継いだ非自由党系連立内閣の終焉でもあった。後を襲った吉田茂内閣が栗栖長官が就いていた安本の長官に据えたのは何と泉山三六兼蔵相。かの有名なトラ大臣である(首相兼務時を除く)。(編集長)

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2007年5月29日 (火)

イタリアのダンボール少女

 これまでさまざまな国へ行ってきたが、海外旅行というと防犯に気をつけねばならないというのが世の中の掟というか、常識になっている。
 旅行初心者だったころの私は、気流の乱れで揺れる機内で客室乗務員に「(落ちませんか)大丈夫ですか?」と聞いてみたり、旅行ガイドの安全対策を穴が開くほど読んだりもした。それなりに慣れた今も安全対策だけは暗唱できるほど読んでいる。
 どの国でも共通しているのが、スリと両替のレートについて。発展途上国から先進国までトップにくるのがこの二つ。
 経済的にゆとりがありそうな感じのする先進国でも「スリに気をつけましょう」という注意勧告がなされているのは非常に問題だ。先進国というのは経済や文化の面で比較的進歩した国という意味である。にもかかわらず、スリといった初歩的犯罪に注意しろというのは、恵まれた生活を送っている人たちの後ろに、スリをしないと「生活ができない」「富んでいる他者と同レベルになれない」といった人たちがいるからだろう。同様のことが万引きでもいえるけれど。

 なにはともあれスリに関しては自分で気をつけるしかないし、旅をよい思い出にするためには、旅行で心弾んでスキップしたとしても、絶対にスキをつくらないことが肝心である。 ……締めっぽいが、本題はここからである。長い前振りですみません。

 昨年、イタリアへ行った。とりあえず行く前にガイドブックを読み、相も変わらず安全対策のページを読んでいたところ気になるトピックがあった。
 ローマ市内でのスリの話題なのだが、手に段ボールを持った犯人がいるというのだ。布の場合もあると書いてあったのだが、布を持っているのはわかる。カーディガンかもしれないし、タオルかもしれない。その布や段ボールは犯行中の手元を隠すために持っているらしいのだが、いくらなんでも段ボール持ってるのは目立つし、不自然だしおかしい。さすがにもうそんなヤツいないだろうと思いながらローマのホテルへと向かったらいたのだ。私が滞在したホテルは大通りから一本入った裏通りにあり、人けがまばら。そこに女の子3人組(いかにも悪そう)がいて、そのうちの一人の腕には段ボール。広げれば一人座れそうな大きさの。
 さすがにおかしくて(一歩間違えれば犯罪に巻き込まれてしまうのだが)不謹慎ながらも笑ってしまった。
 罪を犯すのであればわからないように目立たないようにしないとうまくいかないだろうし、見るからに怪しいから避けられるはずだ。
 ある意味大胆ではあるが、犯罪にしろ世間の荒波にしろうまく生きていくには華麗に立ち回ることが成功の秘訣なのだと言うことをこの段ボール少女に教わった。 

みなさま海外旅行へ行くさいは、犯罪に巻き込まれないようお気をつけを。(奥津)

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2007年5月28日 (月)

東京のイスラム・雑居ビルのモスク

「雑居ビルの中にモスクがある」
 誰に、どういった話の流れでそれを聞いたのかは完全に忘れてしまった。けれど、モスクのことだけはずっと気になっていた。
 代々木上原の東京ジャーミィ、大塚にあるマスジド・モスクといった専用の建物がある規模のモスクではなく、ごく普通のビルの中にあるモスク。それも、東京だけでも30箇所近くはあるという。
 私が持つイスラムについての映像的なイメージは、主にニュース映像や『記録』で連載中の白川徹さんが撮ったアフガンの写真から手がかりを得て形作られている。しかしそのイメージは、当然だが日本からはるか離れた異国の地でのものだ。
 どうもイスラム教徒の像と東京の街の像がうまく結びつかない気がするのだ。イスラム教徒は全世界で10億人以上とも言われるのだから、彼らのうちのごくわずかが東京に移り住んでいてもなんら不思議ではないともいえる。だが、今やいたるところにあるカレー店や「IT技師」として認識されているインド人や中国人・韓国人に比べ、「東京のイスラム」はまだどこか輪郭がぼんやりしている気がする。

 動機は十分だ。自分の目で見てみればいい。しかし、本当にビルの中にモスクはあるのか。
 手がかりはない。ガセかもなあ、などと思いながらネットで調べてみると、こんなページにたどり着いた。

http://web.kyoto-inet.or.jp/org/gakugei/kanren/gaikoku/no12/ga12009.htm

 池袋! 家から近いので買い物などでたびたび訪れる場所である。こんな近くにあったとは。記事が97年のものであるということに若干、というかかなり引っかかるものはあるが手がかりにはなる。地図で示されている池袋の西口・北口あたりは確かにどこか雑然とした感じで、ああ、あの辺りだったらなんかありそう、簡単に見つかったなあ、などと「一気に楽観的男」になってしまっていた。

 次の日、地図にある場所を訪れた。何度も歩いたことのあるあたりだったので目的地の一角までは行くことができた。が、地図にはものすごくアバウトに「モスクのある雑居ビル」が示されているので、どの建物かが変わらない。
 いくつかの商店に入り、モスクがどこかをたずねて歩くうちに、「モスク」という言葉が何を意味する言葉か分からない人が多いことに気づいた。若い人ばかりに訪ね歩いたわけでもないのだが、40代あたりと思しき旦那さんでも分からない場合があった。その一角にあるにしろすでに引越しした後にせよ、地域の人たちからはほとんど存在が知られていなかったということになる。
 一角の雑居ビルの中まで入り探してみるが見当たらない。
「モス? ハンバーガーの? え、もすく? もすくって何?」
 と、こんな間の抜けた反応が続いたので、これはダメだと思った。どうせダメだろうな、と半ば思いつつも交番で聞いてみると、以外な答えが返ってきた。
「ああ、モスクね、あのイスラムの……。ええと、ちょっと待ってね……」
 オマワリさんがビニールでコートされた大きな地図を持ってきてある地点を指した。それまで探してきた場所とは違うが、やはり駅から歩いて2、3分ほどの一角だった。住所は西池袋である。
 住所をメモし、その足で向かった。その建物はそれほど迷うこともなく見つけることができた。その一角には他に、古本屋、ソープランド、大手予備校、個人経営の古着屋、韓国料理屋、マンション、と怖ろしく脈絡のない店などが出ていてそれがなにか独特の猥雑な雰囲気を生み出していた。
 ビルの入り口にはたしかに4階にモスクが入っていることの手がかりになるプレートが備え付けられてあった。特に名前は記されていないのだが、「am5:00~pm11:00」と白ヌキの文字で記されている。これは朝の礼拝から夜の礼拝までの時間を示しているに違いない。

 外見も玄関を入ってからも殺風景なビルで、雑居というよりは入居者がいないように思われる4階立てのビルなのだった。
 4階のドアの近くにはひっくり返ったゴキブリの死骸がある。本当にここにイスラムの人たちが出入りしているのだろうか。相変わらずまったく人の気配がない。どこにでもあるクリーム色の鉄製のドアで、表札は出ていない。インターフォンがあるだけだ。
「おし、」などとひとりで呟いてから、インターフォンを押した。3度押したが誰も出てこない。物音もない。ドアの向こうにいるのがイスラム教でもかなり過激な一派で、中で異教徒禁制の儀式が行なわれていたらどうしよう、「見たからにはもう帰れぬ」などと言われ袋に詰められたらどうしよう、と極端な想像が一瞬アタマをよぎったけれど、意を決して一気にドアを開けた。■つづく(宮崎)

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2007年5月27日 (日)

■月刊『記録』6月号発売! 《特集・テキ屋日記》

『記録』5月号が発売。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~astra/link/test0706.html

■ [特集]  《特集》実録! 的屋エリート「極東会」での日々 /イッセイ遊児
  ここ数ヶ月、暴力団組員の発砲事件が頻発している。4月に起こった長崎市長の銃殺も組から「リストラ」を迫られた暴力団幹部の犯行だった。さらに先日、愛知県の住宅街で家族を人質に立てこもり、警官を射殺した犯人も元暴力員である。4月末には指定暴力団極東会の組合員が「先輩」を射殺し、拳銃を持ったまま町田市にある自室に立て籠もった。この事件の背景には警察の取り締まりによる資金源の減少があるという。この極東会が仕切る的屋の店員として数ヶ月働いた著者が、実際に見た極東会の現状をリポートする。

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2007年5月26日 (土)

『吉原 泡の園』 第18回/「風俗店を盛り上げるのはボーイだ!!」

 僕はたまたまその時日本で一番と言われるソープランド街吉原にいたのだが、街によって、行われるサービスも雰囲気も料金さえも大きく異なる。
 東京近郊でいえば、もっとも近くて過激さを売りにしているのが西川口である。
 料金的に高くもなく安くもなく。サラリーマンでも学生がバイトなどで稼いだ金でも十分に遊べる。遊びにも、エッチなサービスを受けるだけで終わりでなく、本番まで出来るというのが西川口流なのである。もちろんそれは非合法だ。
 また、西川口は性風俗だけでなく、キャバクラやニュークラブと呼ばれる飲み屋も多数あるのだ。
 一般に、風俗というと裸の女のいるお店、あるいはまたエッチなサービスを受けるところ、などと大きくまとめられがちだが、本来「風俗」という法律的な枠組にはキャバクラなども含まれるため、ここで話しているのは「性風俗」のことである。
 ピーク時ほどではないが、韓国人、中国人などの学生を中心に、韓国エステなどと謳い、本番なども行っている店も多い。
 ピンサロ、ヘルスはもともと法的にも元来国には認められていない。よって、警察が本腰をいれれば、いとも簡単につぶれてしまうのがピンサロ、ヘルスなのである。 今、都内で箱型(店舗型の風俗店営業)を開業しようとして許可がおりるのは、吉原と歌舞伎町くらいだろう。僕は以前、吉原では一度更地にしてしまうと2度とそこに建物は建てることができないと書いたが、それも場合によっては建築可能である。場所によっては駄目だが。
 また、吉原などは一代家業で、その代が亡くなれば次の代に継がせることはできないとされているが、それもあの手この手で切りぬけているのが現状なのである。
 歌舞伎町は、東京のみならず、アジア最大の風俗街と言われるが、その中で生きる風俗の住人なども、吉原は数が多すぎる、といい、またあそこは厳しいからなぁ、とため息を吐く。それくらい確かにソープランドの経営に関わるのは厳しい。

 店は女の子の質の良さで繁盛するのではない。マネジャーが血管を切れそうにしながらいつもそう言っていた。(多分上からそう言われていたのだろうが)
 だが、それは確かにある。女は男によって変わるなどというが、風俗店の女も、店の経営方針によって変わるのだ。
「店は女がつくるんじゃねえ、店をつくり、盛り上げるのはボーイの仕事じゃ」
 とマネジャーはいつも言っていたのだ。(ただ、それを1番ぶち壊していたのもマネジャーだが)
 それはさておき、R店を盛り上げ、女にやる気を出させ、客に「なんだか良いね、この店」と言わせるべく奮闘しているスタッフは、
「ハンサムで金持ち」
「高学歴で背が高い」
「女にもてる」
「イタリー製の車に乗っている」
 きっとこんな奴らがやってるに決まっていると読者からは思われるかもしれない。業界の中にはたまに当てはまる人もいるが、R店の現実は違う。
 R店の主力だったボーイは、
「元ヤクザのEさん」
「色恋がすきで、好き者のEちゃん」
「坊主頭のTさん」
「ヤクザの下っ端としてちょこちょこ動いているC店長」
「チンピラのマネジャーKさん」
「ソープは遊びしか知らない僕」
 この面子である。ひどい、ひどすぎる。
 R店が一応本店になり、Rクループなる名前まである立派なグループなのだ。実にソープランドだけで7店舗を抱える以外と大きなグループなのである。
 そして、その大きなグループの使えないやつの吹き溜まりとしてR店がある。
 もともとソープランドには社会での劣等生が多いのに、その中でも劣等生がR店に飛ばされるらしい。
 つまり、落ちこぼれのエリート集団なのである。(イッセイ遊児)

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2007年5月25日 (金)

頼りないけど、さわやかな安倍晋三!?

 わからん??? さっぱりわからん???
 いや、安倍晋三首相の世論調査である。どうやら数字は好転しているらしいのだ。ただ、その数字が妙だ。

 朝日新聞が5月19、20日に実施したアンケートでは、支持率44%で不支持率は36%。2月の調査結果より支持率が7ポイントも上昇している。首相の仕事ぶりにいたっては「期待はずれだ」が10ポイントも減少し27%、「期待通りだ」が5ポイントもアップして30%となっている。ただし「もともと期待していない」が2月に32%、今回は35%もいるので、前回の7割、今回の6割が「期待はもてない」と考えていることになる。
 個別の仕事についても高く評価する声は少ない。
 教育改革への取り組みを「評価する」が47%で、「評価しない」を6ポイント上回ったが、外交は「評価」が1ポイント多かっただけ、憲法は「評価しない」が1ポイント下回った。(評価されている教育改革には、あのぽしゃった「親学」も含めるんだろうな……)

 さらに難解の朝日新聞と同じ日に調査した読売新聞の結果だ。
 3月の調査から支持率が5.8ポイント増え49.6%に復活。不支持の36.8%を大きく上まわった。
 ただし首相のイメージについては、「看板倒れで、あまり実績を上げていない」が59.1%と、「発言通り、着実に実績を上げている」30.1%のほぼ2倍。指導力についても、「発揮していない」と答えた人が64.8%にのぼる。
 ならば首相を支持した人にイメージはどんなかというと、「清新なイメージがある」が40.2%、「政治姿勢が評価できる」が33.4%だという。

 つまり両方のアンケート調査から浮かび上がるのは、「仕事はできないけどさわやかでいいんよな」って感じなわけだ。

 おいおい首相だぜ、彼は!
 
 よく安倍首相への支持率上昇は実績のない強気ポーズだけが受けている。実のある政治をしているのか、きちんと国民も考えろというような批判がある。しかし国民は、あの怪しげな仕事ぶりに騙されているわけではない。どうせたいしたことしてないでしょ、と思いつつ支持していると。

 恋人だったら「仕事はできないなくても優しいの」なんて評価もあろう。でも首相に「頼りないけどさわやかなんだな」なんてことがあるのか? そもそも「清新なイメージ」、つまり「さわやか」で「新しみ」があることが首相に重要なのだろうか。

 母性本能をくすぐるのか、判官びいきの庶民感情か、新鮮さだけがウリの首相が示せもしない行動力をアピールすべく右手を振り上げ、国民は「まあ、若いからね~」などと言いながら初老のオヤジを笑って応援する。そんな不気味な構図が永田町を席巻している。

 こりゃ、安倍のポーズに騙されているより重症だぞ、たぶん。政策の善し悪しが判断されない政治家の暴走を、いったいどうやって止めるのだろう。
 あー、誰か教えてくれ~。(大畑)

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2007年5月24日 (木)

レーシックの安全性と「神の領域」

 レーシックが普及するのは当然であるような気もする。
 メガネはダサいかもしれないし、コンタクトはお金と手間がかかる。それならば初期費用はかかるけれどもプチ手術で簡単に視力を手に入れよう。日々のケアも必要ない。
 最近気づいたのだが、自分の回りにもレーシックで視力矯正した知人がぽつぽついる。知人によると、手術自体は何十分かで終わり、その日のうちに帰ることができるのだという。
 レーシックとは具体的にどんな手続きを踏むのか。何でも知ってるWikipediaに教えを請うたところ、「角膜屈折矯正手術の一種で目の表面の角膜にエキシマレーザーを照射し、角膜の曲率を変えることにより視力を矯正する手術」だという。さらに、「マイクロケラトームとよばれるカンナのような機械で角膜の表面を薄く削りフラップ(ふた状のもの)を作り、めくる。そこにエキシマレーザーを照射し、角膜の一部を蒸散する。その後フラップを元の位置に戻し、フラップが自然に接着するまで(約2~3分)待つ。」
 角膜の一部を蒸散する。などと簡単に書かれてあるが、それは大丈夫なのか。なんというか、失敗してまったく見えなくなったなんていう可能性が1%くらいありそうじゃないか。
 レーシックの手術は今は10万円台で受けることができるようである。アンチメガネ派でコンタクトレンズを使っている人の場合で、1ヵ月にかかるコンタクト代が約6000円としよう。1年で6000円×12ヵ月=7万2000円。多めに見積もって3年で元はとれることになる。さらに、わずらわしい毎日のコンタクトの取り外しとケアから開放される。替えのコンタクトやメガネを持ち歩く必要もない。
 おまけにWikipediaで引用したページの下のほうには「プロゴルファーのタイガー・ウッズ選手が手術を受け成績が向上したのを皮切りに、多くの視力に悩むスポーツ選手が手術を受けた」などと書かれてあるではないか。本当かどうか知らんが、なんか手術を迷ってる人の背中を一押しする文句になってそうな気が。だってあのタイガーだもんな。

 ただ、どうも引っかかります。ていうか他の人は引っかかってないのか疑問です。ここは考えどころです。
 日本では2000年の1月に厚生労働省が「エキシマレーザー装置」(混合ガスでレーザー光を作り出す装置)を認可して以来レーシックが急速に普及したようだが、それだけ歴史が浅いということなのだ。世界的に見ても手術が普及しだしたのは90年代。
 これはつまり、二十歳でレーシックを受けて現在70歳である、という人がまだ存在しないということだ。日本においてはまだ「解禁」から7年しか経っていない(「エキシマレーザー装置」を使った場合だが)。なんだろう、この出所の分からない不安は。
 いずれ、「実はレーシックには重大な欠陥があることが分かりました」という発表がされるないとも限らないではないか。そんなことを考えていると、机の向こうに並んだ背広で沈痛なおじさんたちが一斉にアタマを下げて「欠陥を知りつつも公表しなかったことを、深くお詫びいたします」などとノタマう場面まで想像できてしまうではないか。

 私だって、目はよくなりたい。「コンタクトから解放される」と何度か書いたのは自分がコンタクトのケアをわずらわしいと思ってるからだ。小学生のころからどんどん目が悪くなっていったので、草野球でボールが見えなくなっていくのがたまらなく嫌だった。少年ジャンプで毎号のように載っていた広告「視力矯正術」は穴が開くほど眺めたのでレイアウトさえ覚えてる。
 ただ、だからといって即「レーシックOK」でいいのだろうか。
 今では信じられないことだが、60年代、車が普及しだしたころは車社会を受け入れるべきか否かの激しい論争が起こったそうだ。過渡期にはそういうものがつきものだとは言わないが、知人たちにもあまりにも抵抗感なくするりとレーシックを受け入れている印象があってちょっと引っかかる。眼球にメス(レーザーだけど)を入れ、失われたはずの視力を強制的に掘り起こすのである。メガネやコンタクトとはちょっと事情が違う。すでに「神の領域」。神を信じてるわけではないが、人間の手を入れていい部分とそうでない部分の境界線を越えて、足を踏み入れているような気がしてならない。

 それならば歯の矯正やプチ整形や、一般的な外科手術や体外受精はどうなのだという声が聞えてくる。考えるまでもなくそれらもすでに「神の領域」ではないか。そう言われてしまうと……ぐうの音も出ない。どうやらすでに人類は神の庭に足を踏み入れまくってるらしい。
 もし遠くない未来に娘などができ年頃に育ったとき、「整形したい」などと言われたらそのとき私はどうするのだろうか。なにか断る理由を探すことになる気がする。やっぱり「お金ないから」がスタンダードだろうか。
 とにもかくにも、遠い未来、レーシックにおける集団訴訟が起きないことを祈ろう。(宮崎)

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2007年5月23日 (水)

ビル・ゲイツを日本出版界は待っている

ゲイツよ。私はあなたの会社が嫌いである。OSはともかくアプリケーションまで支配下に置くやり方が。現にこの原稿も「一太郎」で書いているし、データベースソフトは「桐」を使い、メーラーはベッキーである。
その私が伏して、本気でひれ伏してお願いする。どうか日本のDTP環境にあなたの「サウロンの目」を向けてほしい。早い話が支配下に置いてほしいのだ。
今月の大型連休中、小社の弱体DTP環境は滅亡の危機に瀕していた。起こった問題は順に以下の通りである

1)アップルコンピュータの不可解な永眠
というか小社の歴代マックは常に不可解であり続けた。別に安物買いもしていないし純正のアプリケーションをインストールし、DTP以外のソフトは念のため入れていない。ネットにさえ接続しない念の入れようである。なのに購入当初からクラッシュが続発した挙げ句にGWで永眠である。サポートはまったく役立たず。付属のソフトでも再生せず、真ん中に死去を告げる「?」のアイコンが出続けてお仕舞いだ。
もう「君は何代目?」と聞きたくなるくらい代を重ねて死んでいる。まだ15代は数えないも徳川の代が15代で約260年続いたのに比して早世しずぎる

2)OS問題
近日永眠したマックはOS10と9がどちらも動き、9のクラシック環境で使っていた。なぜそんな面倒をしたかというと購入(動機は先代の死亡)当時すでに10が出回っていたものの9とはまったく異なる点が多く、印刷屋さんに相談したところ「10では保障できない」と脅されたからである。といって市場に9の新品はすでになく「10も動くが9で動かす」選択をせざるを得なかった。
いうまでもなく我々が10にしてくれと頼んだ覚えはない。MSのOSはDOS時代から使っていて、それはそれで不満たらたらではあるも、少なくともOSが一新されたのでアプリケーションも……という記憶はない

3)アドビ社問題
DTPはかつてアドビ社のイラストレーターとフォトショップにレイアウトソフトのクオークという組み合わせが一般的だった。ところがクオークはバカ高い上に1台限りのプロテクトがかかっていた(今は違うとのうわさも聞いたが)ので使わなかった。
別に1つのソフトを何台もにインストールしようなどと不穏な考えを持っていたわけではなく上記の如く「1台限り」のマックそのものが死にまくるので、その都度買い換えるのがバカらしいからだ。結果としてややマイナーなページメーカーを使っていた。
このページメーカーがアドビ社に吸収されて「やれやれアドビ社で統一環境を作ってくれそうだ」とMSオフィスみたいな風景を待望したけど果たされず。アドビは新レイアウトソフト「インデザイン」を発表する。
だからその時点でインデザインに切り替えればよかったとの批判には反論がある。登場時点でアドビ社はインデザインは初歩向けでプロユーズはページメーカーと棲み分けるとの方針を示していたからだ。やせても枯れても当方はプロの端くれだから切り替えなかっただけの話である。
ところがアドビ社は01年のバージョンアップを最後にページメーカーを放置し、いきなり「プロもインデザインへ」と統合を発表してしまった。小社はページメーカーである。OS9で動いている。今やインデザインの時代である。インデザインはOS10で動く。ページメーカーはOS10での動作確認をされていない。ページメーカーのデータはOS10上のインデザインで読めるらしい。「らしい」では過去の膨大なデータが読めない恐れが出てくる。事実としていくつかの不都合もある「らしい」。
ここで救いだったのはデータはすべて外付けHDに保存してあった点だ。我々も過去に学ぶから突然死の危機をはらむマック本体にデータを入れておく危険は犯さない。というか過去に犯して本体ともども死にかけた(何とか一部救出)経験からそうしていただけだけど。
ここで悩んだ。大枚はたいて最新のマックを買って最新のアドビ三兄弟を入れてもいい。その結果として過去や現在作成中のページメーカーのデータさえ読めれば。でもその保障が何もないのだ。止むを得ず、自らも他からも愚かな選択とわかっている「中古でOS9」を秋葉原で探し出してデータ救出マシンとした

4)モリサワフォント問題
「中古でOS9」でデータを正確に救い出すには多くを依存しているモリサワフォントが必要だ。だがモリサワはクオークと同じく1台限りのプロテクトがかかっている。念のため「中古でOS9」でインストールを試したが拒絶。
ネットで調べてみるとそうした妥当な理由に対してモリサワは対応してくれるらしいとわかったが何が悲しくて、どういう頭を下げてモリサワに頼まなきゃあアカンのだと嫌になる。ついでにいうとOS9対応とOS10対応では同一のモリサワフォントでも違う。同じリュウミンL-KLでもタイプが異なるのだ。むろん別売。
ここに至って「いっそゲイツに屈するか」と悪魔の選択がよぎった。どうせ最新のマックを買っても、これまで通りの早世を繰り返すのだ。アドビ三兄弟もモリサワフォントもウインドウズ対応版がある。印刷屋も少なくともPDFならばWINでもOKという。ハードの選択肢がマックより段違いに広く(無数vs1社)少し待てばすぐに値下がるウインドウズ機の方がはるかに買い得である。何よりマックOSだポストスクリプトだなどにもう悩まされずに済む!

5)WINとマックの互換性
後はこの壁だ。同じアドビ三兄弟でもデータ互換が今のところ極めて不安定である。版元にとって過去の版下は宝物であるから引き出せないと困る。そこで冒頭の願いだ。
ゲイツよ。あなたとあなたの膨大な資金力でアドビ社とモリサワと、ついでに私が願って止まない写研も買収してくれないか。写研を買ってくれるならばモリサワはあきらめるというところまで譲歩してもいい。マックに至ってはすでにMSの資本が入っているのだから吸い込んでくれ。アップル自身ももうパソコンへの情熱は失っているそうじゃないか。
何でも欲しがるゲイツ君が例外的に見落としているのが我々の生業である日本のDTP環境というのが残念でならない。ビジネスにならない? だったらゲイツ様お得意の社会貢献とみなして実行して下さい。
小社はすでに最新マックを買わず、ウインドウズ環境でDTPに踏み込もうと決意しつつある。これがいかに危険か同業者ならばお分かりだろう。でもウインドウズ環境で仕事をするのが危険という自体、他の業種ではほとんどあり得ないくないか。重ねてゲイツ氏に頼む。そうしてくれれば一太郎をワードに、ベッキーをアウトルック・エクスプレスに換えるから!(編集長)

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2007年5月22日 (火)

THE BIG ISSUEを買ってみた。

 交差点の角や駅前でホームレスが雑誌を売っているところを見たことがあるだろうか。
 彼らは、「THE BIG ISSUE」(ザビッグイシュー)という200円の雑誌を売っている。『ホームレス自らを語る』を連載している月刊「記録」編集部員としては買って読んでみなくてはならないだろうということで早速買ってみた。
 買ってみた……とはいいつつも、実際はお使いの帰りに神保町駅付近の交差点でたまたま売っていて、さらにニューハーフのような性別不詳の人が買っていたのを見て「ちょっと買ってみるか」と思ったからなのではあるが。
 お財布から200円を取り出し、販売員のおじさんに渡す。「ありがとうございます」の声とともに雑誌が手渡されたので、「がんばってください」と声をかける。
 表紙は女性歌手グループBENNIE K(ベニー ケー)。目次のページに、ビッグイシューについての説明と行動規範が書いてあった。
 1991年ロンドンではじまり、雑誌販売者はホームレスか自分の住まいを持たない人。最初に10冊を無料で受け取り、その売り上げを元手に、以後は90円で仕入れ、200円で売り、110円が収入になる。顔写真と販売員番号の入ったIDをつけて雑誌を販売しているそうだ。
 行動規範は8個条に渡って明記され、キチンとした雑誌だということを謳っている。
 今月の特集は「荒野を歩む女たち」で、派遣で働く30代独身女性についてや元祖シングル女性たちについての記事が。なんだかアエラを思い出すが、特に「派遣・30代独身OL」が最近のはやりなのかそんな見出しの特集をよく目にする。派遣ドラマも放映されたし、いつまで話題にのぼるのだろうか。
 全31ページでカラー。記録よりも安いし、200円の割りには内容も充実。これならまぁいいか、という感じである。2003年9月の創刊から2006年8月の55号までで、実売数169万冊。販売員へ1億8950万円の収入をもたらすことができたそうだ。にもかかわらず、ビッグイシュー日本は多額の累積赤字を抱えているそうだ。
 ホームの大阪より東京での販売場所が多いにもかかわらず、東京での売り上げをさらにのばすことを目指している。情に厚い大阪の人はよく買ってくれるが、人に冷たい東京人はそういったことに関心を持たないということなのか。
 200円でできるノーブレスオブリージ。街角で見かけたら一冊買ってみてはどうだろうか。(奥津)

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2007年5月21日 (月)

歌舞伎町ビル火災事件・「明星56」の現在

Myo  01年9月1日。東京都新宿区歌舞伎町の「明星56ビル」で火災がおき、44人もの死者と3人の負傷者が出た。出火は3階のエレベーターホール付近とされており、3階のマージャン店「一休」で16人、4階のキャバクラ「スーパールーズ」で28人が一酸化炭素中毒で死亡した。
 戦後の火災事故では5番目の死者数に上る。明星56ビル火災よりも多くの犠牲者を出した火災事故はこれまでにもあったわけだが、それらの火災事故はデパートやマンションなど規模の大きい建物で起きたものだった。
 明星56ビルは4階建てで1階あたりの床面積がわずか83平方メートル前後の建物である。それにも関わらず44人もの死傷者が出たのは、避難経路が確保されておらず、避難階段にもロッカーなどが置いてあり消防活動に支障が出たからだとされている。3階、4階にいた人の生存率はわずか1割だった。翌年に東京消防庁は火災事件を放火と発表したが、犯人はいまだ確定されていない。マージャン店で、賭博に負けたことに怒り、ドアを蹴って店を出て行った人物などが目撃されているが、犯人は断定は断定されていない。また、タバコによる出火との可能性も残されている。

Myo2  火災事故が起こった場所はいまどうなっているのだろうか。
 JR新宿駅側を背にして、映像にもたびたび表れる「歌舞伎町一番街」のアーケードを通り100mほど歩いてその場所にたどり着いた。
 ビルはすでに取り壊されており、白い衝立でさえぎられているため敷地には入ることができなかった。06年にビルは解体されていたのだ。敷地について掲示などはまったくされていない。
 建物同士の間隔はほとんどなかっただろうと思われるが、明星56ビル跡と隣接する焼肉店の従業員によると焼肉店には火災時に被害はなかったという。少なくはなったが今でもたまに花がそなえられてることがあるという。隣はあの火災が起きたビルだろうと聞いてくる客がたまにいるそうだ。
 衝立の隙間から敷地をのぞいてみると、惨禍の記憶を根こそぎ取り去ろうかとするような、ぽっかりとした穴が開いていた。

 事件後、東京都が都内の雑居ビル2800棟に検査を行なったところ、消防法や建築基準法に反し防災設備上問題のある建物が8割以上に上った。避難経路に物を置かないなどの義務付けをする防災予防条例や消防法の一部の改正といった動きにつながる事件ともなったわけだが、明星56ビルが過去に消防違反容疑を新宿消防署に指摘されていたにも関わらず改善されていなかった事実などを考えると、法や条例の改正が現在に活かされているかというと疑問である。

 被害者の多さや事件性の高さから連日のようにこの火災事故についての報道はされていたが、事件から10日後に2機の旅客機がニューヨークの世界貿易センタービルに突っ込んだ後は、報道は完全にそちらにシフトした。

 火災事故の死者の遺族33人がビル所有会社である久留米興産や当時の店の経営者に対して損害賠償を求めていたが、被告側が計8億6800万円を払うとして、今年3月1日付で両者が和解に至っている。(宮崎)

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2007年5月19日 (土)

『吉原 泡の園』 第17回/借金にまみれた男たち

 毎日朝になるのが早かった。11時30分には店に行き、くだらない話を聞くのだ。それが、僕らや店に本当にためになるならばいいが、マネジャーの憂さばらしに付き合わされるのだ。起きるのも嫌になる。
 それだけではない。故郷の知人、親などに、吉原のソープランドで働いていることが知れるのではないか、と気になったものだった。
 中学生などが、エッチな本を隠すのに似ている感覚である。周りからすれば笑い話かもしれないが、当事者にとっては大問題なのだ。
 ソープランドの求人欄には、「アリバイ万全」などと謳っているが、ボーイの親だって、「そんなところで働くためにそだててきたんじゃない」と悲しむだろう。そんな思いがあった。
 ただ、現在では風俗の仕事を恥じる気持ちは無い。当時、親に知れるのを恥と思っていたのは、ソープランドの従業員、ソープランド自体を馬鹿にしていたからだ。
 たしかに、風俗の職場環境は特殊だ。特に、風俗で働く女性の仕事は、一般的な仕事と大きく異なる。ただし、みんな一生懸命働いていた。生きていた。本当に恥ずかしいのは、働く意欲も無く、あるいは傷つくのが嫌で、それらから逃げていることだとのちのち気づいた。今、思い出すと恥ずかしい話だが。
 さらに僕には大きな問題があった。借金である。当時、毎月7~8万の金を返済にあてていた。返せども返せども一向に生活はよくならない借金地獄だ。
 先週働いた分はここに、今週はここに返済という具合に賃金が減っていく。当時、給料が手取りで10万前後だから、月に使える金はわずか2万程度だった。
 家賃も食事もただの吉原で、「どうにか『逆転』してやろう」と考えていたのに、前に書いた通り食費すら出ない。楽天家の僕も、さすがに焦りを感じた。

 類は友を呼ぶという諺がある。しかしうまいこと言ったものだ、と感心する。
 借金のある僕には、どうしてだろう、借金まみれのやつが自然に分かるし、そんなやつが自分の周りを囲っているのだ。
 そんなやつらに借金の相談をしても仕方が無い。そいつらも苦しんでいるのだ。
 僕が堅気の仕事をしていたころ、職場の上司は借金の苦しみを話すと露骨に嫌な顔をした。
 が、ここのスタッフは暴力団まがいの愚連隊連中である。きっと借金の悩みにも的確な解決方法を熟知しているのではないか、と思ってしまった。
 マネジャーにそっと胸のうちを話した。
「フンッ、借金てぇのはな、30万以上膨らんだら、相当まとめて返さねえ限りてぇへんで、まあおめえじゃ無理だな」
 と笑い、馬鹿にされ、見下されて笑われたのだった。
 当人は意地の悪い冗談のつもりかもしれないが、僕はもう放心状態だった。藁をもつかむ思いで相談したのだから。
 そして思った、もう節約しかないと。まず削れるのはタバコ代だ。店の前で客引きをしていると、ほかの店の客引きがタバコを吸いながら立っている。その姿が実に羨ましかった。
「いいな、タバコが吸いえて」
 とわずか数日の禁煙でそうつぶやくようになっていた。
 あとの問題は、残った金で飯を食えるかどうかである。漫然としているわけにもいかない。ニチレ○本社のお客相談室に電話する。
 冷凍たこ焼き1袋の値段を聞く。なんと450円。1日1袋ならなんとかいけそうだ。
 寮はタダ、たばこはやめる。ようしいける、いけるぞー。
 ところが僕は禁煙に失敗し、冷凍たこ焼き生活も結局実行しなかった。そして返済が滞りがちになった。金がないのに、さらに追い討ちをかけるように店ではスタッフ全員が朝、「お付き合い」で近所の酒屋が来ると、店長が「あつまれぃー」の掛け声で皆を集め、ジャンケン大会を始める。5~6人は毎回いて、負けたものが全員にジュースを奢るのだ。
 そして、これに僕は結構負けるのである。
 ヤクザ顔負けの店長に、ヤクザそのもののマネジャーがいては、「お付き合い」を断れるはずもない。
 負けると当然僕は落ち込む。落ち込むとマネジャーが本気で苛立つのだ。
「なんや、えらい景気の悪い顔しおって」
 と。
「吉原のボーイは借金地獄で来るもんがぎょうさんおるんや、それくらいでガタガタするな、ボケ」
と締める。
 実際、ほかの借金を抱えているものは、一千万、一億と桁が違う。が、そんなもの自慢しあっても意味はないのである。
 日々一向に光が見えない暮らしの中、僕の思い描いていた東京ライフは音を立てて崩れていったのである。(イッセイ遊児)

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2007年5月18日 (金)

イタリアワインで心ホクホク

 わたしは下戸である。
 とにかくビール中ジョッキ一杯で、場所がどこであろうと寝てしまう。レストランでテーブルにつっぷして寝てしまい、サービスが飛んできたことも1度や2度ではない。歩いているとき信号待ちで寝てしまい、ツレに置いていかれたこともある。

 というわけで酒の味なぞさっぱりわからないのだが、どうしてもワインを頼みたい店がある。代々木上原にあるイタリアン「カーサ・ヴェッキア」だ。

 そもそもイタリアワインはフランスワインほど厳格に作られているわけではないらしい。A級のの畑とBの畑の値段が違い、それがしっかりと値段に反映されるフランスなら、その年のブドウの状態を把握すれば昨年の実績に従ってワインを選べばいい。
 ところがイタリアワインになると、年によってラベルが変わったり、どれがA級の畑で何がB級なのか分からなかったり、同じメーカーのワインなのに味がガラッと変わったりすることがあるそうだ。つまりよく言えば大らか、悪く言えばいい加減。

 もちろん超有名なワインならしっかりしているのかもしれないが、さまざまなイタリアワインから美味しいモノを見つけ出そうとすると大変だ。特にレストランのソムリエは苦労する。なんたって前年の実績が通用しないのだから。一本ずつ味わい、その年の味が気に入れば購入して客に勧めていく。そんなことを毎年繰り返していかなければならない。
 下戸にとっては考えるだけで頭の痛い作業だが、カーサヴェッキアのソムリエにとって、その仕事の楽しさは格別らしい。

 まず、カーサ・ヴェッキアに行ったら、おすすめのワインを何本が持ってきてもらい1本ずつ説明してもらう。どんな環境でブドウが育ち、味はどうなのか、昨年と何が違うのか。ソムリエの女性が、そのワインを買い付けるにいたった根拠と情報を丁寧に教えてくれる。
 その話がすこぶる面白い。言葉の端々にそのワインを見つけた喜びと、そのワインへの愛情が感じられる。しかも、そのワインから見たイタリアの風土も知ることができる。ただし、連れはワイン一本を一人で開けなくちゃいけないけど……。

 何かを偏愛している人の話はたいてい面白い。
 友人にさまざまなフェチの話を聞くのが好きな人がいて、フェチを見つけると話を聞きに行っていたが、その気持ちは分かる。自分には理解できない好みでも、その惚れ込んでいるワクワク感はこちらに伝わってくるものだから。

 少し遅め、あるいは早めの時間にカーサ・ヴェッキアに出かけ、3本分ぐらいワインの説明を聞くと、3日感ぐらいはけっこう幸せだ。心がホクホクする。
 今、元気のない人がいたら、ぜひ。(大畑)

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2007年5月17日 (木)

先日のロシア 第3回 「地中海ダイエットは裏切りを許さない!」

 前回、ロシアの健康法について記事にしたが、集中してよく見てみると、ダイエット記事は3日にいっぺんは見かける「Правда」(「プラーヴダ」ロシアの新聞)の常連記事のようだ。特に女性を対象としているわけではない大衆紙であることを考えると、結構な頻度ではないだろうか。しかも今回は、「地中海ダイエットは裏切りを許さない!」という深刻なタイトルの記事を見つけた。地中海と言えばラテン系、一体なにがそんなに狭量なのだろうなどと思って読んでいたら、なんのことはない。食材だけではなく、調理法まで地中海式でなければ、ダイエットとしては十分な結果が出ませんよという警告なのであった。

 パスタ、トマト、オリーブオイルを代表選手とする地中海式ダイエット。日本でもワイン人気とあいまって数年前に大流行した。一般に肥満、高血圧、血糖値の上昇などの代謝
 症候群に効果的であるといわれている。そして「痩せる」ことが第一の目的ではなく、「地中海沿岸で採られているような食材と生活習慣に倣うことで内側から健康になる」ことをうたっているのが特徴だろう。
 地中海沿岸の料理と言えば、簡単に想像できるのはイタリアン。トマトソースのパスタ、色鮮やかなサラダ、もしくはオリーブオイル漬け、素材をのせて焼き上げるピッツァ等が思い浮かぶ。素材の味を生かし、シンプルに仕上げることが多いようだ。たしかに、地中海沿岸の野菜の成分は、ピーマンの水溶性ビタミンなど、生に近い形で食べたほうが格段に栄養吸収率が高まるものが多い。例外なのはトマトのリコピンくらいか。リコピンは、油に溶けやすく、熱に対して安定していることから油でいためたりすることで吸収がよくなる。くつくつと煮込んでソースにしても問題ないということだ。よくできている。

 イタリアンの素材だけを持ち込んで、ロシア風に調理したらどうなるか。
 ロシアの代表料理といえば、何はともあれボルシチ。「ニホンといえばゲイシャ」という間違った先入観とは一線を画し、ロシア人自身もこれにはうなづくであろう。いぜん、ロシア料理の教室に参加したとき、その調理法を教わった。ここにその時のレシピを、そのまま引用しよう。ロシア人が慣れない日本語を使って、一生懸命書いてくれたものだ。

材料
ビーツ  5缶
キャベツ 3玉
玉ねぎ  5個 など
水    5リットル
油    1リットル
塩    適当
ブイヨン 一袋
ローリエ
サワークリーム

 以上。いかにも適当である。「玉ねぎ5個など」ってなんだ?! と思い聞いてみたところ、「野菜があったら何でも入れましょう」とのこと。水を5リットル、という大胆さの前には、「塩 適当」と書くしかないのであろうが、驚くべきは「油 1リットル」のくだりである。何かの間違いだろうと思い、料理教室当日、ロシア人の手元を見ていた。まず、キャベツと玉ねぎを刻んでからそれを炒めるのであるが、そのときに使った油の量は、確かに1リットル――いや、計量しようという姿勢も見られなかった。
「ここで、油で炒メマス」
 そう説明しながら躊躇せず、真水のように食用油を鍋に注ぎ込む姿は圧巻であった。炒める、というか…油で煮ている! キャベツの素揚げって!!

 そうやって哀れ煮られてクタクタになったキャベツと玉ねぎは、もうこれ以上は煮込めそうもないのに、大量の水によってスープへと彩られていくのであった……。そしてまた大量のビーツを刻んで投入。5缶も刻めば、俎板まわりは真紅に染まり、大量虐殺でも行われていたかのような有様。そして気づけば、そのレシピには獣肉も魚肉も見当たらない。たんぱく質の補給は?
 たっぷりの水のおかげで、予想よりは油っぽくなく自然に仕上がったボルシチだったが、2時間煮込んだ結果、野菜は自然と形を消していた。これが本当のボルシチなのか?
 後日ロシア語教師に確認したところ、「間違いでもなんでもなく、たくさん油を使い、さらにくつくつと煮込むことで、体が温まるスープがつくられるんです」とのこと。保温効果を期待しての料理法だったのだ。

 ほかにも数多あるロシア料理、ちょっと思い浮かべてもピロシキ(これも中身の具を一生懸命油で煮た記憶がある)、カーシャ(日常的に食される固めのお粥のようなもの)、塩漬け肉など、「じっくり、ゆっくり」調理・加工されているというイメージが強い。ぷりぷりのパプリカを、新鮮なルッコラを、そのままロシア人に渡したら、あっという間にくたくたに煮てしまうのであろう。

 だからこそ「地中海式ダイエットは裏切りを許さない」などと、厳しいタイトルの記事が書かれるのであろう。素材を生かして、生に近い形で――暖かい食事や保存食に慣れてきた北の国の主婦たちには、なかなか馴染まない料理法なのかもしれない。(臼利つくし)

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2007年5月16日 (水)

家庭から教育を奪ったのは学校だ

教育再生会議の「親学」「道徳の教科化」などの議論を知るたびに義務教育や家庭教育のあり方をそもそも理解しないまま思いつきを並べているように思えてならない。

そもそも義務教育とは家庭教育から学校へと教育機会を収奪した結果である。1872年の学制頒布の際に子を学校に通わせようとした親は非常に少なかった。教育費が受益者負担だったのも手伝っていようが当時の発想では「親が子を教育するので何が不足なのだ」であろう。

およそ学校教育は2つの流れが同床異夢で存在する。1つは教育を国家の管理下に置いて愛国心や集団での規範意識を刷り込む「都合のいい国民の育成」だ。日本の場合、1871年に文部省を設置した上での学制頒布だったのがその面を意味する。
もう1つは貧富差など家庭の事情にかかわらず平等に教育機会を与えるという当時ならば自由民権主義的な、後には社会主義的な色彩も加わった一種の平等主義に基づく。学制は国家主義的要請がありながらも福沢諭吉のメンタリティーを多分に取り入れている。同床にあった二つの潮流は自らの側面を強めようと葛藤しつつ、同時に家庭教育が担っていたかなりを奪い取ったという点で奇妙な一致をみる。
その後、自由教育令、改正教育令をはさんで学校令が出され義務教育が明確化されても女子の就学率は5割に満たない。これは家庭教育がとくに女子においては「それで十分」とする国民が多数いたのを示す。女子就学率の急速な向上は1900年の小学校令改正で授業料は廃止されてからだ。「ただならばやってもらうか」に傾いたのである。

要するに国民の多くは子の教育は親の務めないしは権限だと強く認識し、その傾向は女子においてより高く、国は立身出世主義や授業料廃止というアメでそれを崩してきた。
その間、江戸時代から重視されてきた儒学的な倫理観を道徳として据えようとの試みがなされ、福沢は強烈に反発している。にもかかわらず教育の方向性は次第に福沢的自由主義から離れていった。
およそ女子就学をこばんだ親の精神構造には家庭での儒学的教育でいいとの発想もあったろう。それを引き離して学校で儒学的道徳を教えるというのは二度手間のような気がする。ただ教育勅語を頂点とする戦前の規範意識には近代天皇制と儒学との融合がある。
「近代天皇制」というのも妙な言葉で近代とは欧米の普遍的価値観を、天皇制は神道という復古的価値観を、それぞれ合わせ持つ。そこに維新で否定したはずの徳川の倫理意識そのものである儒学を混ぜ合わせた。ほとんどヌエのような概念が修身の名で登場し、教育勅語は暗記させられ、神聖化されていった。しかし以上のような矛盾を知ってか知らずか戦前の子ども達は陰では「朕惟フニ我カ皇祖皇宗……」を「朕惟フニ我カコソコソ……」とからかいの合図にもしていた。

いずれにせよ家庭教育は元々親がやる気満々だったのをこっちの水はただだよと引きはがし、いくつもの価値観をごった煮したものを与えてきた。時が移り大学進学率が男子を女子が上回る時代となっては学校が「そこまで収奪する気はなかったのだよ」と手を焼くほど家庭教育がおろそかになる逆転現象が起きても仕方がない。
しかしそれは自業自得なのだ。家庭から奪っておいて、奪われたんだから全部やってくれと家庭が考えるのは自然であり、それを押し戻して「親学」だ何だと要求する以上、学制以来の収奪もまた間違いだったと認めざるを得ないはずだ。(編集長)

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2007年5月15日 (火)

先週の安倍もひどかった

 風邪で倒れていた先週、安倍晋三首相にかんして「いかにも」という報道が相次いだ。

 まず政治資金法改正案で5万円以上の経常経費に領収書の添付を義務づけたものの、過去にさかのぼっての適用はしないと表明。「真実一路」を信条とする松岡利勝農水相の「過去」を葬り去ることを決めた。

 8日には靖国神社の例大祭に、首相の肩書きで「真榊」を奉納していたことが判明。記者団からの質問には、「靖国神社にかかわることが外交、政治問題化している以上、私が参拝するしない、お供え物を出した出さないについて申し上げないことにしていこうと思います」と回答。
 記者から「奉納の事実は否定しようがないのでは」との質問にも、「否定はしていません。否定も肯定もしなかったということで申し上げているわけです」と、人をくった答でけむにまいた。こんな発言をしておきながら、「私は今こう申し上げているわけでありまして、国民の理解をいただきたい」だって。
 保守系の人たちにアピールするために、参拝に変わる何かを靖国にしなくちゃいけない。だけどアピールし過ぎると政治的にヤバイ。ならアピール用に供物でも奉納して、あとは何にも話さないことで通せばうまく誤魔化せるだろう、と。

 9日には長崎市長射殺事件をめぐる週刊朝日の報道に対して、首相の秘書たちが訴訟を起こす。当人も「私の秘書にも人権があるし、家族もいる、まったく関係ない暴力団とあたかも関係があったのかのように報じられている。まったく事実無根で捏造だと思う」と、記者団に怒りをぶつけている。ところがネットではもっと詳細な記事を書いた週刊ポストを提訴しない首相に、疑問の声が巻き起った。
 
 11日には集団的自衛権について「いままでの憲法解釈で良いのか真剣に議論する時がやってきた。解釈にのっとって自衛隊が行動する場合に、根拠となる法律も必要になる。有識者会議でしっかり議論していかねばならない」と語りながら、「私は内閣法制局長官に憲法解釈を見直せとはいってない」とも述べた。
 つまり「憲法解釈を見直せとは明言できないけど、雰囲気を察して変更しろよ」と言いたいわけだ。

 同日、首相が参院選の争点にしたいとの理由で審議を急いだ国民投票法案が参院憲法調査特別委員会で採決された。改憲派からも拙速とい批判されるほど問題が山積となった。

 そして12日には4月末の日米首脳会談の新たな「真相」が明らかになった。会談に同席したライス国務長官が北朝鮮に対する「テロ支援国家」の解除について、「米国民が直接(拉致の)被害に遭ったわけではない。(拉致問題は解除の前提条件にならない」と述べたことが報じられたのだ。
 じつは同じ日の『朝日新聞』でジャーナリストの上杉隆氏が、安倍首相の訪米に米政府が大きな敬意を払わなかったとも書いている。
「ある外務省職員が語る。
『同盟国の首相の初訪米であるにもかかわらず、かなり早い段階から「国賓待遇」から外されることが決まっていた』。エルビス・プレスリー記念館を訪れたあの最後の小泉訪米が国賓待遇だったのにである」

 従軍慰安婦問題を沈静化してから渡米するため、外務省職員をまで動いて米メディアの記者を接待しようと頑張った様子まで報じられて赤恥をかいたものの、ブッシュから拉致問題解決に協力するような言質を取ったかのように騒いでいた。その本当の結果がこれである。

 そして12日にはクールビズの初日の閣議は、沖縄のかりゆしを着用するように言いわたした。沖縄振興のためだと……。

 結局、先週も安倍首相は意味のないアピールに費やしたわけだ。政治資金をきちんと規制するわけでもなく、各所から叩かれそうな靖国問題ではだんまりを決め込んでやり過ごし、朝日には強持てに訴訟をぶち上げ、内容を詰めないで国民投票法案成立に動いた。
 で、同じくアピールのためだけに行った日米首脳会談が何の意味もなかったことがバレた、と。

 安倍首相の動きは腰の引けたパンチしか撃てない弱小ボクサーのようだ。踏み込まない、強打しない、でもパンチが相手に触れる。こんなボクシングをしていても支持率が上がるから不思議だ。やっぱり試合内容よりも、かりゆし着用みたいなコスチュームでのアピール方が大衆受けするのか……。(大畑)
 

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2007年5月14日 (月)

三菱重工本社ビル爆破事件・現場の現在

Photo_34  1974年の8月30日午後0時46分ごろ、三菱重工本社ビル正面玄関を入ってすぐの柱脇に置かれた時限爆弾が爆発した。量にして約10kgもある火薬がもたらした被害は半径200mにも及び、8人が死亡、385人が重軽傷を負った。
 当時の三菱重工本社ビルは現在の丸ビルの隣、東京駅から徒歩1分のビル群の真ん中である仲通りで起こった惨事だった。
 事件発生後には機動隊員が約1600人出動し、設置された特別捜査本部では「過激派による防衛産業襲撃」「爆弾マニアによる犯行」の2方面から捜査が展開された。翌年、東アジア反日武装戦線のメンバーら8人が逮捕されており、「打倒されるべき帝国主義の手先」として三菱重工がターゲットとなったことが明らかになった。

 当時の新聞によると、この日本史上最悪の爆発事件と呼ばれる当時の現場では、耳をつんざく大轟音のあとビルに家具を運び込もうとしたトラックが「原型をとどめず変形し」、通りのあちこちにバラバラになった手足が散乱していたという。重工本社ビルの北側の窓は1階から9階までがすべて吹き飛び、向かいの三菱電機ビル(当時)からは「滝のようにガラスが落ちていった」様子が見られている。通りに面したビルのガラスも半径100mはすべてが吹き飛んでいる。

 現在、そのビルは文部科学省が仮の庁舎として使っている。03年から今年の12月までは「文部科学省ビル」という名称となっているが、ビルの持ち主は三菱地所である。今年の12月以降は文部科学省は霞ヶ関の新庁舎に移転し、ビルは三菱グループの手に戻る。

2_1  爆破事件が起きたのは午後0時46分ごろ、ちょうど昼休み時だ。
 三田線の大手町から徒歩2分ほど。実際にその時間にビルに足を運んでみると、かなりの人数がビルに出入りしていた。昼時で1階にはカフェなどの店舗も入っており、人の流れが途切れないので自動ドアは開きっぱなしである。
 正面玄関を入ってすぐ、爆弾が置かれていたと思われる場所には文部科学省に入るためのセキュリティで警備員が5、6人ほども配備されていた。

 手の空いている警備員に爆破事件のことについて聞いてみた。
 だが話しかけた2人の警備員が爆破事件について知らなかったので驚いた。
 それでも、「今年の4月に警備会社が変わったばかりでして……」との弁だから、たしかに事件についても知らなくてもしょうがないかもしれない。(前の警備会社になにか不都合が?)

 三菱重工ビル爆破事件においては警備員は幕の外の存在ではない。事件直前、犯行グループは管理人室に3度ほど犯行声明らしき電話をしている。グループ名を名乗り、「これは冗談ではない」と忠告をしたが、管理人には冗談だと思われてしまったのか、何度も電話を切られてしまっている。そして、爆発が起こった。
 当時と同じ場所にあるかどうかは定かではないが、地下1階にある警備室に行った。なにやら様々な設備が整った警備室に見えたが、なんとそこの警備員も事件のことを知らなかった。事件については喋らないようにと通達でもされているのかと一瞬思ったが、初老の彼の表情から察するには本当に知らないように思われた。
 国内の企業に次々とテロが行なわれていた時代があったを知る学生はほとんどいないだろう。国内最大級の爆破事件も、現場からは既に忘れ去られているようだった。(宮崎)

※ここから先の記事は…

『あの事件を追いかけて』(本体952円、アストラ刊)にてご確認ください。

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2007年5月13日 (日)

原宿の女の子200人に聞きました

Har  編集部のある業務で原宿をぶらぶら歩いてる女の子200人ほどに調査を行った。そのことについて少しだけ書こうと思う。

「アンケート調査を行え」と命令が下り、原宿に向かう。行きの電車の中ではユーウツである。なにせ知らない人に声をかけるのである。
 キャッチや風俗の勧誘やナンパなどと見られるに違いなく、世慣れた女の子はそういう人たちへの冷たいあしらい方をしっかり体得してるわけで、そういう風にあしらわれてしまうのが嫌なのである。傷つくから。

 まあしかしそんなことを言っていてはメシは食えんのも事実なので、発起してアタックを続けたのである。

 調査の内容はいくつかの本の装丁の見本から気に入ったものを選んでもらうというもので、その見本を片手に竹下通りを延々と歩き回った。
 思っていたよりもちゃんと受け答えしてもらえるものである。話しかけた途端に蜘蛛の子がナントカのように女の子たちが四散するようであれば、ニセの調査結果を書き込んで家に帰ろうと思ってた。

 だが、目をキリリとさせて「ちょっといいですか?」と話しかけてみると、「はい、何ですか?」などと返してくれるではないか。もちろん「あー、いいですいいです」とそそくさと去っていってしまう人もいるが気持ちが分からないでもないので、特にこちらも悪い気もしないようになる。
 ねらい目は2人か3人連れである。1対1だと女の子の警戒度が高い。2、3人であれば、「なんだろうこの人は」という感じで答えてくれる確率が高い。

 いわゆるゴスロリ系の女の子にも話しかけてみた。しばらくいろんな人にアタックし続けると、興が乗るというのか、おし次いくか、というモードに入るのである。そして次はゴスロリいってみようか、などと自然になってくるのである。勿論好奇心もある。
 ゴスロリの子はフツーな感じだった。黒く縁取られている目で鋭く睨まれた、と思うのは最初だけで、しばらく話してみるとフツーの高校生なのだった。

私:「今日はどこから来たんですか?」(あくまでデスマス調で適正な距離をとるのがコツである)
ゴスロリさん:「イバラキからです」
私:「原宿にはよく?」
ゴス:「えーと、私こういう服好きなんですよ、で、イバラキにはこういう服、ほとんど売ってないんです。だからたまに来ます」
私:「外出するときはいつもこの格好なの?」(この辺からデスマスが崩れてくる)
ゴス:「いや違います、パンクのときもあれば姫のときもあります」
私:「姫、というのは何なの?」
ゴス:「姫、というのは○○○○が××××で△△とかになってるやつです」(服飾用語がよく分からない)
私「なるほど。パンクとかの音楽は好きなの?」
ゴス「いや、実はパンクの音楽はまったく聴かないんです。ファッションだけです。CDも1枚も持ってません。パンク系の服の店はラフォーレの回りとかに集まってるんですよ」

 こんな風にして、ゴスロリ的にアツい場所など知ることができたりもして興味深い。
 ただ、チョーシに乗っていかにも学校帰りの女子高生(1人)に聞いてみようとすると、体を強張らせて、
「こここここここここ困ります」
 と脅えたように返されてしまう。別に困ったことはしてないんだけどな。

 見た目で人を判断してはいけないということも改めて実感した。髪を明るく染めて、「だって楽しく暮らしたいもーん」風の女の子(?)に、試しに「どんな本をよんだりする?」と聞くてみると、「うーん」としばらく考えた後、
「最近はブライハ系っすね」
 などと答える。
 ブライハって何だっけ、と一瞬考えてしまったが、つまり無頼派である。
「無頼派って坂口安吾とか?」
「安吾好きですね。だけど『堕落論』読んでると受験勉強やる気が起きなくなるんで、最近は封印してます」
 誰だ、最近の若い人は本を読まないって言ったのは。
 原宿の女の子の傾向など、結局分からなかったというのが結果だろうか。十人十色とはよく言ったもので、他に増してカラフルな原宿通りではそれ以上の色に見えた。ここここここ困りますからブライハ、ゴスロリ、修学旅行生、宝塚好き、品種改良の研究をする農学部生、ロースクール生、フリーター、IT関係勤務。
 原宿の女の子というカテゴリーは始めからなかったのだ。(宮崎)

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2007年5月12日 (土)

『吉原 泡の園』 第17回/花魁がくれた消化器のキーホルダー

 さて、ボーイが始めのうちに任される仕事といえば、とにかく体力勝負なことがほとんどで、買い物にしても時間が勝負だし、掃除も体力と早さが勝負。そして1日中専門にやらされるのが、ドリンクつくりと、ドリンク運びである。
 ここでもまた超一級のマネジャーのいじめが待っているのだ。そしてこのいじめは半年くらい続くことになる。
 プルルルとインターホンが鳴り、ランプのついている部屋からかけているのが分かる。そのランプの部屋のボタンを押すと話せる仕組みだ。
「はいフロント」
 メチャクチャ怒った口調でマネジャーが出るのだ。そして何か話してあーでもない、こーでもないとないとやる場合もある。
 電話をおく。さ、来るぞー。まあ1番新人の僕が聞き、僕が作って持っていくのが筋だろうから、と毎回じっとマネジャーの発言に耳を傾けるのだが、
「%&お00!K#“21と水」
 へっ?
 これはマネジャーがテンパッて、慌てていうから分からないのではない。毎回なのだ。暇でも忙しくても、
「あのーすいません。今なんと」
 などと聞いてしまうのが新人だが。
「今いったべ、ボケ、ねむてーな」
 と机をバンバンとグーで殴り始めるのだ。
 ヒェーなんなんこの人、南無阿弥陀仏、もう聞きません、いえ聞けません。
 仕方なくはいはいと流しに向かい、うーんと唸りながら、そしてドキドキしながら恐らくこれだろう、とアイスティなどをつくるのだった。
「3号室オーダー入ります」
 といいフロント前を横切る、マネジャーの怒っている目を見ないようにと急いでいく。3号室のテーブルにドリンクとストロー、シロップとミルクを置き、また1階に戻り、
「3号室オーダー入りました」
と楽しそうに言う。そう、いかにも楽しそうにいうのがポイントだ。
 フーッ、やっとオーダー完了したか、と安心していると、
 プルルルルー
とインターホンが鳴ったりする。
「はいフロント」
 と出て顔がだんだんフグのように膨らみ始める。
「おい関口、てめえアイスティなんか持っていったんか、 ボケが、アイスコーヒーだって言ったべ」
「ひーはいはいただいま」
 と作り直してまた置いてくる。オーダーを持っていき、あまりに長い時間表に置きっぱなしのドリンクは、グラスの表面に水滴がつく。そうなったものは、回収するのだが、大体流しまで持ってきて、捨てる振りをして、ボーイがいただくのだ。
 ただでさえ飲まず食わずなのだ。どこかで水分補給もしないとまじやばい。
 
 怒られないように注意し、それでも新人のボーイはお約束のように間違いをする。
 各部屋のドアは、火事などの際の避難のために、鍵をかけてはならない決まりになっている。さすがは火事を経験している吉原の歴史。と思うが、これが事件の元なのだ。
 オーダーを持っていき、ずっと手をつけずに置いてある部屋がある。中から喘ぎ声一つない。もしや誰もいない部屋に置いてきたのかな、とそっとドアをあける。これくらいでもアウトである。それがマネジャーにでもしれたら、おそらくリンチにされるだろう。
 その日、1番奥の部屋は確か使用されていないと思いこんでいた。ドリンクを運び、ついでに奥の部屋のチェックというか、まあ確認でもしてみるか、とものすごい勢いでドアを開いた。中は暗闇だった。
「へっ、何故に暗いの」
 暗闇に目が馴れ、ベッドに人がいるのが見える。それも二人いる。女と男。合体中であった。
「うぉー、ここ、殺される」
 頭が真っ白になり、ドアを閉めればいいのに、なぜか見てしまっていた。
「ねぇぇん、ドアぁん開けないでェン」
姉さんの色っぽい声で、僕にそう言っている。お客さんが上だった。それは確かだ。腰を必死に動かしている。突然、あれの最中に、店のボーイにドアを開けられるなんてあってはならない。自分が逆の立場ならそう考えれば、どれくらいのことかがわかるだろう。
「すす、すいません」
 ドアを閉めた。が、もう遅かった。
 ため息一つ。あーどうしてこうも駄目なんだ。隣の部屋からはアンアンアンとこぼれる大音量の喘ぎ声が。これくらい大きければ、僕だって開けずにすんだのに。
 もう遅いのだ。姉さん、きっとカンカンに怒ってるだろうな、客もしかりだろう。
 あー、きっとマネジャーに報告されるぞ、もし客が金返せ、とかいったらどうしよう。
 それくらい恐ろしいことだった。当時の僕には。結局姉さんはマネジャーに言わなかったし、客もそれからもきてくれたのだ。
 後日姉さんが僕を覚えていてくれたのか、消火器のキーホルダーをくれた。
 頭の熱を消化しろと言いたいのか、とにかく、姉さんの懐深さに僕は救われた。がんばって仕事をしていれば、見ている人は見ているのだろうか、だから言わなかったのか。なぜかはわからない、が、頭の熱でも消火しろ、とでも言いたかったのか。(イッセイ遊児)

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2007年5月11日 (金)

今月の洋楽~EVANESCENCE 後編~

※諸事情により今週の首相ウォッチングは火曜日に変更いたしました。楽しみにしていた読者様(いたら)にお詫び申し上げます。

前回とりあげたEVANESCENCEの後編。
2作目の『The OPEN DOOR』は、前作よりさらにゴシック調の曲が増えた。
ファーストシングルの『Call Me When You Sober』のPVは、赤ずきんちゃんをテーマにしてるのかなんなのかよくわからないが、ロック色はさほど強くはなかった。
なんていうか、情念系がさらに増した感じがした。
日本で情念系の頂点といえば中島みゆきだが、なぜか私が思い浮かべるのは犬神サーカス団。なんともいえない粘っこさがにている。
だから聞いていて疲れる。
どろどろと渦巻く何かがスピーカー越しに現れ、精神的に安定していないとあっという間に浸食されつぶされてしまうほどの破壊力を持っているのだ。
それもこれもあの声が悪いのだ。
曲の世界観と、力強い声。
か細い高い声では、ロックは無理だし、破壊も無理。。残念なことに、犬神サーカス団のボーカル犬神凶子は声はロック声だが、Amyと違ってメイクをしなければ破壊力が生まれないという欠点がある。
なんというかあの顔も反則だ。なんてロックが、メタルが似合う顔なんだろう。
ゴスファッションしても、ピアノ弾いても、笑顔を見せても、そこにはロックの匂いが漂う。
だからこのPVで男優との絡みが少々あったことに違和感を感じたし、ダンサーとともに現れ宙づりになったのにも違和感を感じた。
PVは格好よくてかなり気に入っているのだが、彼女の場合はドラマ形式よりもパフォーマンス形式のが似合っているのではないだろうか。 (奥津)

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2007年5月10日 (木)

ホームレス取材のこぼれ話③

 体質なのだろう。飲むと必ず寝てしまう。わずかなアルコールで、すぐ深い眠りにすぐ落ちる。横断歩道で信号が青になるのを待ちながら眠り、一緒に歩いていた友人から置いてきぼりをくったことがある。1次会の途中で眠り、ケツにバラを生けた恰好で写真を撮られたこともあった。写真の出来は、起きている間に撮ったものより上品な仕上がりで特に驚かなかったが、ズボンを下ろされても目が覚めないのにはビックリした。せいぜいビールをコップで2~3杯飲んだだけなのに。
 そんな僕でもけっして眠くならない宴会場がある。山谷の路上だ。1998年春、山谷で初めてご馳走になったの酒は、日本酒だった。紙コップになみなみと注がれた酒など、僕にはとっては致死量に近い。しかし杯を空けなければ話を聞けそうにもなかった。
「酒好きなんだろ、兄ちゃん」と話を振られたら、「いやー、嫌いです」とは答えにくい。「好きですよ」と答えて杯を空け、後で酒の差入れでもするしかない。しかも、その日の取材は荒れも模様。5人の宴席にお邪魔し、1人のホームレスの取材を始めたのだが、しばらくすると飲んでいた1人がクダをまき始めた。「お前のカメラを川に沈めてやる」と呪文のようにブツブツ唱えながら、「どうせカネはねえさ」と空の札入れを地面に叩きつけていた。
 そうした状況にはお構いなく、酒は2杯、3杯と注がれていく。僕にしては結構なハイペースで日本酒を体に流し込んでいったが、いくら時間がたっても眠くならない。むしろ飲めば飲むほど、目が冴えていった。
 寝たら何をされるのかわからない。なんせズボンを脱がされても起きない体質なのだ。飲みながら、そんな思いにとらわれた。なけなしのカネで買った一眼レフを隅田川に捨てられてはかなわない。今、酒を飲んでいる場所は、あの「山谷」で、飲んでいる連中はホームレスなのだ。どんなに恰好のいいことを言っても、体が山谷やホームレスを拒否している。だから眠くならない。それが僕にはハッキリとわかった。
 身体の拒否反応は、これだけではない。数ヶ月間、ホームレス取材を休むと、僕はホームレスに声をかけられなくなる。踏ん切りがつかなくて、中央公園を2時間近く歩き続けたことさえある。多くのホームレスが善良な人だとを知っているのに、なぜか躊躇してしまう。理屈で説明できない偏見を持っていることを、僕は認めざるを得ない。
 そんな自分を棚にあげ、単行本のあとがきでは、ホームレスへの視線が変わるようにと訴えた。ウソをついていたわけではない。ホームレスへの偏見が事態を悪化させていると今でも感じているし、少しでも偏見が解消されればとも思っている。ただ自分自身が、その壁を崩せない。
 だからこそホームレス関連のボランティアには関わらないようにしている。ボランティアとしてホームレスに顔が売れれば、確かに取材はしやすくなる。声を掛けにくくて悩むこともなく、自分が偏見を持っていることを感じる機会も減る。また、ホームレスが時に見せる一般市民への敵愾心を感じることも少なくなるだろう。
 僕も偏見を持ち、ホームレスも偏見を持っている人を嫌っているという事実は、僕にとって重要だ。そうした現実が、ホームレス問題の難しさを教えてくれる。
 会社を維持するための仕事が終わり、集中的にホームレスの仕事をすることになった。また声を掛けられない時間を経験するのだろう。自分だっていつ失業するのかわからないのに、こんな偏見持ち続けているアホさ加減を再確認することになる。あー、情けない……。(編集部)

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2007年5月 9日 (水)

安倍能成の普遍的価値観と愛国心

「戦後レジーム」とは何だろう。おそらくそれは男女平等、機会均等、教育の自由主義化、政党政治、国民主権、表現の自由、天賦(基本的)人権、法の下の平等といった憲法に並べられている今やありふれた価値を尊重するところから始まった。普遍的価値観を共有すると言い換えてもよかろう。これがあるから今の日本は北朝鮮や中華人民共和国の政体を批判できる。
普遍的といっても本当は近代スポーツと同じく実はイギリス、フランス、米国などが共通理解とした価値観にすぎない。共産主義は思想的にはこうした価値観を持つはずだが実際に誕生した国家の大半はそうでなかったかそうでない。好む好まざるにかかわらず日本は敗戦によってこの価値観を了解した。戦前から唱えた先人があるも獲得したのは敗戦によってである。
戦後の平和と豊かさの達成を憲法9条のお陰という人がいる。いや日米安全保障条約があったからだとみる向きもある。だがこの2つもまた普遍的価値観の共有に含まれよう。第二次世界大戦後の「世界的戦後レジーム」に戦争を基本的に悪とみなす国連憲章がある。と同時に冒頭の普遍的価値観を持たない(とみなされた)ソ連を中心とする陣営に対応する必要もあった。

となると普遍的価値観は敗戦によって棚ぼたのように与えられたのか。その代表的な例である1947年の教育基本法成立までの経緯をたどると占領下でありながら日本側も相当の覚悟と意欲で取り組んでいたとわかる。
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)で教育を担当した民間情報教育局(CIE)の要請で米国から46年3月、教育使節団が来日して6・3・3・4制や男女共学などを提起する報告書を提出して帰国した。ただしこの報告は米国の押しつけではなく共に協議した日本側の「日本教育家の委員会」の意見も反映されたとみられる。日本側の主な当事者は安倍能成文部大臣、南原繁「日本教育家の委員会」委員長(東京帝国大学総長)、田中耕太郎委員(文部省学校教育局長)などである。
この報告書をたたき台にして46年8月、教育刷新委員会が発足する。安倍能成委員長、南原繁副委員長でスタートしたから「日本教育家の委員会」の流れをくむといっていい。ちなみに文部大臣は田中耕太郎が就任していた。
この委員会は文部省ではなく「内閣総理大臣の所轄」で首相に直接建議できた。教育基本法は委員会内の第1特別委員会で主に審議され、首相への建議で基本方針を確立し、CIEの了承を取り付け、大日本帝国憲法では主権者だった天皇の諮問機関である枢密院を経て帝国議会の審議に至る。そこで可決、成立した。一連の過程を政府で推進したのは田中文相とみられる。

安倍、南原、田中という得がたい人材によって教育基本法は敗戦直後の日本側の意見をGHQに率直には言いにくい環境下で日本人のペースで成立させた誇っていい経緯があったのが忘れられがちである。南原繁は政治学者。田中耕太郎は商法を専門とする法律学者、安倍能成は哲学者。いずれも決して「左」ではない。
その安倍文相が米国教育使節団を迎えた際のあいさつが残っており、一連の過程を思い返すにあたって実に多くの示唆を与えてくれる。安倍能成著『戦中戦後』(白日書院刊 1946年発売)から抜粋(219ページから231ページ)してみよう。

安倍は使節団に対して「敢えて失礼を申せば」と前置いた上で「(米国側が)よき戦勝国たり戦勝国民たることも中々困難であります。我々は戦敗国として卑屈ならざらんことを欲すると共に、貴国が戦勝国として無用に驕傲(きょうごう)ならざるを信ずる者であります」と気概を打ち明けた。
その上で戦前の教育者の誤りを「政治を支配すべき教育が却て政治の奴隷になったこと」とみなし、具体的には「正しい世界観に基づいた教育の手薄、人格の確立、個性の尊重の欠乏」を指摘した。その順番は「普遍人間的な世界的な教養という理念を地盤としてこそ、各人の個性も各国民の国民性も始めて健全に成長してゆく」である。
ここにあるキーワードはやはり普遍的な教養であろう。自国だけで通じる「国民的迷信」ではなく「先進国」国民ならば共通に持って当然の価値観を「地盤」とすべしとの決意だった。それを教育使節団という「新来のフレッシュな客の感覚に依り」「永遠の使命を果」たしたいと結んだ。また「政治を支配すべき教育」と言ってのけたのも注目に値する。旧基本法にあった「不当な支配」とは本来、政治が教育へ干渉する行為ではなく、政治を教育が支配していない状態を示すのであろう。
こうした精神が教育基本法へとつながっていったのだ。自ら敗戦直後の日本の現状を「苦しい試練」「八方塞りの状態」と現状を認識しつつも「卑屈」を戒めた教育者がかつていた。あえていればこれほど愛国的なあいさつも当時の状況を推量すればあるまい。「愛国心」の鏡である。

その流れをくむ法律を06年、我々「普遍人間的な世界的な教養」を持っているはずの「先進国」国民が選んだ国会議員によって構成される議会で改正したのである。なお教育刷新委員会の後身が中央教育審議会である。(編集長)

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2007年5月 8日 (火)

mixiについていけない

 一言でいえば気持ち悪いのである。
 最初の報道はソーシャル・ネットワーキング・サービス「mixi」の「踏み逃げ」報道だった。mixiでは自分の持つページに他人が訪れれば、「足あと」(アクセス履歴)が残る仕組みになっている。この足跡を残しながら、つまりページに公開している日記などを読んだのにコメントやメッセージを残さない行為が「踏み逃げ」や「読み逃げ」と呼ばれる。

 もう2ヵ月以上も前になるだろうか、この「踏み逃げ」に怒る人が増えているという報道に、正直ゲッソリした。僕自身mixiに入ってはいるが、もうほとんどアクセスすることはない。異業種の友人が集まるときの掲示板にもなっているが、僕が読まないのを知って携帯に連絡が来るほどである。
 もともとマメに連絡を取るのが苦手だ。携帯メールでさえ面倒くさければ返さない。着信履歴が残っていても折り返さない。業務連絡すら吹っ飛ばす。
 そんな性格だから友人の日記にいちいちコメントを付けるなど耐えられなかった。ましてよく知りもしない人の日記にコメントを残さなくちゃいけないなど驚天動地の出来事だ。

 おそらく僕はルーズなのだろう。でも、それでいいと思っている(おかげで友達も少ないが)。携帯が鳴っても取らない自由ぐらいあってもいいし、緊急でなければメールを放っておく自由があってもいいと感じるからだ。

 次にいやーな感じがしたのはmixiの日記で飲酒運転を告白した人が職場を解雇されたと報じられたときだ。日記を読んだ人たちが騒ぎ出し、しまいには職場にまでメールを出す人が出て解雇にいたった。
 さらについ1週間ほど前にも「モーニング娘。」の熱狂的なファン、いわゆる「モーヲタ」が大挙して訪れたファミレスの店員が持つmixiの日記で彼らを「キモイ」と罵倒して炎上。この店員のいるファミレスが特定されて、mixi退会に追い込まれた。

 もともと下戸なので、マスコミが先導した飲酒運転追放キャンペーンに異を唱えるつもりはない。もう十分にオヤジとなりオタクじゃなくても「キモイ」と言われるようになっただけに、罵倒された「モーヲタ」の気持ちも分からんではない。

 それでも、この不寛容さは耐えられない。正論をたてに個人にワッと群がる様子はアリの攻撃を思わせる。飲酒運転は悪いが職を奪われるほどの犯罪なのか? 特定の集団を「キモイ」と書くのは、個人が吊し上げられてコミュニティーから排除されるほどの行為なのか? 

 おそらくネットは私的な要素と公的な要素を同時に持っている。というより公的な要素が強いわりに、私的に見えるというべきか。特にソーシャル・ネットワーキング・サービスは、その傾向が強い。自分だけの日記のつもりで書いたつもりなのに、日本中から非難を浴びた。それがネットでの炎上を経験した人の本音だと思う。

 その一方「踏み逃げ」に怒る人たちにとっては、自身のページが思いっきり私的な空間になっている。私道を無断で歩くぐらいなら許すけど家に入ってくるなら声ぐらいかけろ、てな感じか。

 私的な気軽さと公的に発言できる力がネットの面白さだと感じている。どちらかに傾けば、とても居心地の悪い空間となる。これはmixiだけの話ではない。ネット全体にも通じることだ。

 そろそろ、そんな転換期なのかとも感じている。(大畑)

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2007年5月 7日 (月)

奨学金制度の現在に迫る(後編)

人気シリーズ「あの事件を追いかけて」「ホテルニュージャパン 火災後の廃墟」は、2010年4月に書籍化されます。
ただの書籍化ではありません。大幅リライトのうえ関西事件記事を加え、ニュージャパンのカラー特大写真も豊富にとりそろえています。
ブログでは明かされない新たな事実満載!!

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astra0911@gmail.com

 06年度、支援機構における奨学金の事業費総額は7810億円に上る。
 第1種(利子なし)と第2種(利子つき)では実は財源の質が少し違う。第1種は政府からの貸付金と返還金。第2種は財政融資資金と財投機関債、そして返還金。一般の投資家に向けた機関債が組み込まれているのは意外だ。
 大別すれば国の財源と返還金に分けられる。つまり返還金があってこそ奨学金が毎年回転していくことができる。
「奨学金は『循環運用』なんです。返還金が正常に集まらなければ、本当に経済状況が苦しくて就学が難しいという学生を支援できないという一番悪いことが起こってしまうことになりかねませんよ。ここが基本なんです。憲法でも保障されている誰でも教育を受けることができる権利を制度の面からフォローしていかなければならない、これが奨学金の根本です。私たちが適切に貸与していくためにも、なんとかして回収は行っていかなければならない。ただ、それが難しい人もいる。難しいところですね」

 日本学生支援機構が運営する奨学金以外にも、日本には数多くの奨学金制度(スカラシップという名がつけられていることも多い)がある。
 地方自治体が運営する返済の義務がない給与型の奨学金、新聞配達を続けることを条件に学費の支払いを支援してくれる新聞社の奨学金制度、中には日本とハワイの大学院生を互いに派遣し、「相互理解」と「友好親善関係の推進」が目的である皇太子奨学金などというものもある。
 一般企業が運営するものもいくらでもある。松下電器産業株式会社がアジア諸国から日本の大学院などへの私費留学生を経済的に支援する「パナソニック・スカラシップ」がその一例。
 海外へ渡るといえば、アメリカの政治家ジェイムズ・ウィリアム・フルブライト(1905-1995)が創設したフルブライト奨学金が最も名を知られている。優秀な人材の交流を目的に、日本で約6500人、全世界で約20万人がこれまでに制度を利用している。

 実に様々な奨学金があるが、多くは返還の義務があるものである。もし返済の滞納が大幅に増える日本学生支援機構のようなケースが常態なのであれば、奨学金制度そのものが危機に瀕していると言えるのではないか。

 交通事故や病気、自殺などで親をなくした子どものための奨学金制度を運営するあしなが育英会は前身である「交通事故遺児を励ます会」を経て93年に発足した。「交通事故遺児を励ます会」は共に交通事故で肉親を亡くした岡嶋信治(当時24歳)さんと玉井義臣(当時32歳)さんが中心となって1968年に立ち上げた団体だ。
 あしなが育英会の職員の方は言う。
「たしかに、以前に比べると返済が若干滞りがちなのかなという感じはしますが、それでも返還率は94%前後はあります。寄付金が中心となって運営されている奨学金へのありがたみからなのでしょうか、ちゃんと社会に出た後にちゃんと返済はされていますよ。」
 あしなが育英会の最新の収支報告(05年度)を見ると、年度収入28億円のうち20億円が寄付金収入である。さらに内訳をたずねたところ、「あしながさん」と呼ばれる支援者が8億円、同育英会が運営する阪神大震災の遺児のケアのために設立されたレインボーハウスに向けての支援者である「かけはしさん」からの寄付金が1億2000万。他に、年2回の街頭募金で2億6000万円が集まっている。意外といえば失礼なのかもしれないが、街頭募金でそんな大きな額が集まっているとは予想だにしなかった。
 寄付金収入には企業からの寄付もあるが、割合としてはやはり「あしながさん」のような会員、そして一般からがほとんどを占めるという。まだまだ世の中捨てたもんじゃない。
 ただ、やはり見通しは明るくない。高校生以下の奨学金制度が自治体に移管されたことは書いたが、06年度の神奈川県では高校生の奨学金申請が急増したため、奨学金を受け取ることができなかった学生が相次いだ。もちろん背景には低迷する家庭の経済状態があるのだろう。
 支援機構の吉田さんがこう強調していた。
「学生は、これからの日本をしょっていかれるわけですから。彼らの生活を支援するのが奨学金。奨学金が回っていくためには、その恩恵を受けた人たちがあとの世代のことを考えてしっかり返還してほしい」
 景気が回復したといえるのはまだまだ先である。(宮崎)

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2007年5月 6日 (日)

奨学金制度の現在に迫る(前編)

人気シリーズ「あの事件を追いかけて」「ホテルニュージャパン 火災後の廃墟」は、2010年4月に書籍化されます。
ただの書籍化ではありません。大幅リライトのうえ関西事件記事を加え、ニュージャパンのカラー特大写真も豊富にとりそろえています。
ブログでは明かされない新たな事実満載!!

↓↓空メールを送れば読者プレゼント情報が届きます!↓↓
astra0911@gmail.com

「いざなぎ越え」などと言われる一方で、多くの自治体で生活保護の申請が増えるなど、苦しい生活状況を伝えるニュースが耳に入ってくる。
 生活の豊かさを端的かつ正確に表す指数があるわけではないから一般市民の生活が「豊か」に向かっているのか「貧しい」に向かっているのかどうもハッキリとは分からない。
 今年1月の朝日新聞にこんなタイトルの記事が載った。「奨学金返還、督促を強化 法的措置予告1万件」。記事は奨学金の返済が滞っている人が急激に増え、それを受けて滞納者に対する「取り立て」が強まっていることを伝えている。
 国民全体の生活を表すまでには及ばないが、今や大学生の25%が利用するという奨学金制度に注目することによって、ちょっと変わった角度から現代ニッポンの豊かさが見えてきそうだ。

     *     *     *

 一般的に「奨学金」という言葉が指すのは旧日本育英会、現在の日本学生支援機構(以下、支援機構)が運営する奨学金制度である。先に「大学生の25%」と書いたが、正確には支援機構が奨学金を扱う対象は政令で定められており、列記すると大学、大学院、短期大学、高等専門学校(高専)、専修学校(専門学校)である。旧育英会時には高等学校(高校)の奨学金も扱っていたが、現支援機構の創設時に各都道府県に移管された。ただ、奨学金の制度そのものは基本的に旧育英会のものを踏襲することになっており自治体ごとに特色などは出ないようになっている。

 新宿区市ヶ谷にあり、防衛庁の施設に隣接する支援機構で話を聞いた。
 支援機構の建物の中では人が慌ただしく歩き回っていた。聞いて納得したのだが、支援機構が1年のうちで最も忙しくなるのは新しい年度を迎える3月から4月にかけてであるそうだ。
 平成18年度に支援機構が奨学金を貸与した合計人数は約100万人にのぼる。
 学種別の統計で最新版である平成17年度では、全大学生約272万人のうち59万人以上が貸与を受けている。これは3.9人に1人が奨学金を受けている計算になる。大学院生に至っては2.5人に1人が貸与を受けている。
 さて、奨学金の延滞者だが、尋常ではない増え方をしている。「支払い督促の申し立て」を予告した件数が06年度は1万件を超えたそうだが、これは前年度の2倍、2年前に比べてなんと20数倍であるという。
 支援機構・制作企画部の吉田さんが言う。
「ものすごい件数の滞納なので驚かれるでしょうね。支援機構では返還を送らせることができる返還猶予制度がありますが、この制度を利用しようとしている人たちから、返済が滞る理由について01年と06年にアンケートを行いました」
 アンケートの結果を見せてもらいすぐ気付いたのは、01年度に比べて06年度では「無職・失業」を理由としている人の割合が6.5%から20.3%へ格段に上がっているということだった。
「私たちは社会の状況について語る立場の者ではないですが、奨学金を利用された人に限って言えば、社会に出た後でもなかなか生活が厳しいという実態が浮き彫りになったのではないかなと思います。滞納している人たちが悪いと決めつけるのではなく、返したくても返せない人たちにしっかり話を聞いて、その内容に基づいて返還の猶予をとりながら返していただきたいと思っています。ただ、返せるのに返せないという場合。それはこちらとしても厳格な態度で臨んでいかなくてはいけません」。 支援機構内部には返還促進課という取り立て専門の部署がある。ただ、約500人の所帯である支援機構だけではすべての返還を管理することはできない。なにしろ返還中である人は現在200万人にも達する。
 滞納金を集める業務は民間のサービサー(債権回収会社)に委託している。電話で催促をする業務や口座引き落としができなかった人のデータをまとめたりする業務である。クレジットカード会社の手法とほぼ同じだと考えていい。
「支払い督促の申し立ての予告を聞いて慌てて連絡してくる人は多いですよ。実際に督促手続きで裁判所で会ったとき、支払い能力があるという人もいます。でも、ほとんどは返還金を支払うことができない人が多いんです。厳しいんです」
 日本中の所帯のフトコロ事情が透けて見えるような何とも重苦しい結果と吉田さんの言葉である。(つづく)

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2007年5月 5日 (土)

『吉原 泡の園』・続・店の内部

 階段を上がると2階、一度短い廊下を歩き、曲がったところに客用と女用のトイレ。
 これがまた小さく、狭く、古い、でこれでも高級店かよ、といつも思ってしまうのだ。トイレの横にはテーブルがあり、そこには常に何十本もおしぼりがある。2階の廊下の絨毯も、ドリンクのシミ、長年の汚れでほんと汚いのである。トイレまでの短い廊下にも、スポットライトがあるが、たまに電球がきれていて、だれも気づかなかったりもする。
 トイレを過ぎると各部屋があるが、5号室手前に小さな階段があり、そこが3階に続くのである。行くと、いきなり左に曲がるし、天井は突然低くなるし、意外と大変なのである。
 3階が女の子のロッカールームになっている。冷房もあるし、テレビもある。女の子は、仕事をしていないときは基本的にその日あてがわれた部屋にいてもいいのだが、R店の女の子は3階に集まることが多かった。
 ちなみに、その店の女の子の質というか良い悪いは、マネジャーの影響が多分に大きいといえる。
 店長や社長はそのへんのところはあまりタッチしないからだ。マネジャーが日々の管理や相談、仕事のやりかた、アドバイスをする。
 僕はR店の女の子達の稼ぎから、給料としてもらい、そして女の子が働きやすい環境をつくってあげて、また稼がせて、お金をもらうのだ。があえていうなら、もし当時の僕の店の女の子を紹介されたならば、客として、1人の男として受けるとしたら、100パーセント断るし、お金を払わないだろう。
 それは女の子が悪いのではなく、マネジャーのアドバイス、教育によって何か悪いことを吹き込まれていることによる点が大きい。
 たとえば、客なんて一回いかせればちょろいんだから、など、恐らくそんなことを吹聴していたに違いない。
 当時、そのときはそうは思わなかった。客に、女の子を説明しても、わかってもらえないのは、ボーイの責任。と思っていたし、そう教育された。もちろん鬼マネジャーにだ。が、それはのちのちわかるが違うのだった。
 この花魁の控え室には下着も平気であり、風俗をしらない男が、いや、女性をしらない男や、興味津々のチェリーボーイなどがこの部屋に入ったら、興奮しすぎで危険かもしれない。かくいう僕も、その類の男だが、現実を知らされている分、まだどうにかなったのだ。
 ○○フェチ、なる言葉が最近流行った。若い子だと枕がないと駄目とか、男なら水着などがあるだろうか、芸能人のタモリはオッパイ星人である。といったりしているが、ハイヒールフェチも多いのではないだろうか。
 いわゆる臭いが好きな人、汗臭いのがいいとか、あるいはハイヒールをふんずけるように履く様がいいとかであるが、備品庫奥には、ハイヒールの山である。別にいらないけれど、何個かなくなっても分からないくらいあった。しかしそれが暗闇の中に浮かんだりすると、少し怖かったりもするのだった。(イッセイ遊児)

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2007年5月 4日 (金)

米国を働きかけられない安倍首相

 よく言われることだが、かつて米大統領はヒーローだった。正義を貫き、スーパーマンのように強い。そんな大統領像に陰りが見え始めたのがクリントン大統領だろう。モニカ・ルインスキーとの「不適切な関係」が米国民から許されたことは、古き良き米国の価値観を大統領が体現する必要がなくなったのだとも報じられた。
 それでもまだ大統領は特別の存在であることには変わりがない。クリントンは取材した記者を必ずファンにしてしまう人物として知られていたし、ブッシュでさえ演説ともなれば大歓声で聴衆に迎えられる。
 2003年11月のブッシュ大統領のバグダッド電撃訪問でも600人の兵士が大歓声をあげたという。

「鳴りやまない拍手に、大統領も感無量の面もち。『君たちがイラクでテロリストをうち負かしているから、母国は(テロに)直面しないですむ』などとたたえた。(『読売新聞』03年11月28日)

 で、安倍晋三首相である。
 1日にクウェートの空軍基地を訪れ航空自衛隊を激励した。この視察に首相はかなりこだわっていたようで、日程が過密になるとの周囲の心配を振り切って駆けつけたそうだ。

「イラクにおける治安情勢は依然として厳しく、特にバグダッドをはじめイラクへの運航は予断を許さない。500回近くにのぼる運航を無事故で達成できたのは、全隊員が一丸となった努力のたまものだ」と訓示した。(『朝日新聞』07年5月2日)

 なるほど「訓示」だ。前職で月に1回聞かされた社長の訓示を思い出した。ブッシュ大統領が感謝祭のディナーに登場し、兵士と一緒に夕食を食べたのとはえらい違いだ。自衛隊の士気ははたして上がったのだろうか? 
 ブッシュ大統領のバグダッド電撃訪問はパフォーマンスだとして批判も起こったが、逆にいえばパフォーマンスとしての意味はあった。一方の安倍首相の激励は本人以外の誰が喜んだのだろうか。

 安倍首相が考える「成果」と世間の「評価」との間に、かなりの開きがあるのではないかという不安を抱くのは私だけではないだろう。
 例えば次の発言。

「官房副長官、官房長官として築いた私の広い米国人脈は、米国との関係がブッシュ大統領だけだった小泉さんにはなかった」(『読売新聞』07年5月1日)

 本当か!? 

 今回の首相会談で懸案とされた北朝鮮の拉致問題への対応について、確かに大統領はテロ支援国指定解除について「拉致問題を考慮に入れる」と語っている。
 しかし首脳会談3日後に発表された06年の国別テロ報告書では、日本人拉致問題への記述は3分の1に削られた。
 読売新聞はこの記述の縮小について、「今回の報告書の拉致の記述が簡素化されたのは、北朝鮮に対し柔軟路線をとっている米政府が、テロ支援国指定解除に踏み出す一歩との見方もある」とも分析している。

 こうした見方を裏付けるような報道もある。
 6者協議の初代米政府代表を務めたケリー前米国務次官補への取材した朝日新聞は、彼から次のような言葉を引き出している。

「ただ、北朝鮮の核の脅威に最もさらされているのは韓国でも中国でもなく日本だ、という現実も直視する必要がある。非核化の実現には日本の貢献が欠かせないだけに、拉致問題で日本の政治家が厳しい決断を迫られる時期が来るかも知れない」

 ブッシュから叱られた軍事機密情報の管理には躍起になって取り組もうとしている安倍首相だが、日本側の懸念である拉致問題などさして真剣に取り組む気がないようだ。

 趣味の悪いピンバッジをおそろいで着けて笑っている場合じゃないかと思うが、「広い米国人脈」が自慢の首相は気に掛けることもないのだろう。
 
 毎週、彼の報道を一気に目を通すたびに本気で気分が暗くなる。日本は大丈夫だろうか……(大畑)

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2007年5月 3日 (木)

編集部合作! ワールドワイド・トイレ事情

●インド編
 インド・カルカッタのサダルストリートは安宿が集まる地域として世界中のバックパッカーに有名である。その中でも名が知れた安宿のうちのひとつ、パラゴンに私は泊まっていた。
 近くには『深夜特急』で沢木耕太郎が投宿していた安宿・サルベーションアーミーがあった。
 私が5年前にインドに旅行したときはこの宿に滞在していた期間がいちばん長かったから、いまでもパラゴンのトイレのことはよく覚えている。インドの他のトイレと比べて特に変わった点はない。つまり、インドにおけるスタンダードなトイレだ。
 私が泊まっていたのはドミトリー(何人かとの相部屋)だった。他には日本人ばかりが集まってるドミトリーがあったが、インドにまできて日本人とつるむ心境がまったく分からなかったので、欧米系の人が集まってるドミトリーを選んだ。
 水にあたったのか体調を崩している太った女がいて、夜中に何度もトイレに駆け込んでいた。
 トイレは水洗ではなく、蛇口をひねって出した水を手桶にため、排したものを流す。トイレットペーパーはもちろん持ち込み。灯りがあったのがラッキーだ。
 トイレの広さは日本のものとは特に変わらないが、インドのどのトイレにも共通していたのは、妙な簡潔さのようなものだった。
 洋式の便座があるわけでもなく、水をためるタンクもない。ただ中央に和式とほぼ同じ便器と水道、便器の横に手桶があるだけだ。今でもこの国の人たちはトイレットペーパーを持ち歩くわけでもなく手で尻を拭くのだろう。ふと思ったことがあるのは、それはトイレの進化系ではないのかということだ。
 いつか資源が枯渇したとき、手で拭く方式がグローバル・スタンダードになる可能性は誰にも否定できない。(宮崎)

●中国編
 忘れられないトイレといえば15年前の中国だ。よく知られている中国のトイレといえば、水の流れている溝をまたいで「大」をするもの。「川上」からは当然のように他人のものが流れてくる。
 この形態がキツイという人もいるが、僕はそれほど違和感を感じなかった。ボットン便所ほど大量の「大」を見るわけでもないし、前にケツがあるとはいえ、それは銭湯でも同じこと。
 ちょっと面白いのは銭湯と同じく「裸のつきあい」がうまれることだろうか。日本からトイレットペーパーを抱えて行ったこともあり、「川下」の人から背中を叩かれ「ペーパーくれない」と頼まれたことがたびたびあった。
 これはこれでけっこう楽しい。

 むしろ衝撃的だったのは北京にあった水洗便所だった。
 中国では珍しくキレイな水洗の洋式便所に大喜びで便器に座った。そのとき一瞬目の入ったのが壁を伝う配水管だった。変わっているのは新聞紙が挟んであること。さして気にもとめずスッキリ出して自分で持ち込んだトイレットペーパーで拭いた。
 そのとき不思議なことに気がついた。

 ペーパーホルダーがない!? 
 
 みんなどうやってケツを拭いているの?? そのとき、やっとシナプスがつながった。配管に挟まれた新聞紙はトイレットペーパー代わりではないか。
 グロイものほど見たくなるのが人情。僕はそっと顔を新聞紙に近づけた。随分と長く放って置かれたのだろう黄ばんだ新聞紙に付けられた黒い筋。中にはシミのように一部が黒くなっている紙も。
 間違いありません。使った後の新聞紙でした。

 それが地面から天井近くまでズラリ。壮観ッス!

 便所が詰まるから流せない。でもゴミ箱は置いてない。仕方なく使い終えた新聞紙を折って配管に挟んでいったに違いない。この便所の光景だけは今でも忘れることができない。万里の長城の景色なんかは、けっこう曖昧になっているのに……。(大畑)

●香港編
 SARS以来、香港のトイレは清潔を保つように指導されているのか、それとも自主的に行っているのかけっこうキレイらしい。
 らしいというのは、SARS以前に行ったことがなく、どんだけだったかがわからないので言明を避けただけである。
 さて、香港に住み始めてすぐにあるデパートのトイレへ行った。旧正月前で大混雑する店内とトイレ。日系デパートのトイレだからキレイだろうと思っていったら、入り口をはいってすぐのところで入る人みなトイレットペーパーを少しずつちぎっている。どういうことだろうと思いながら真似してちぎって個室へ入ったらあらびっくり。便座が空いている。そしてそこには黒い靴のあとと、床には液体(たぶん水じゃないと思う)。便座をおろすとなぜか表面がぬれている。一体どういうことだ……。さらにペーパーもないし、すぐ近くにあるゴミ箱には使用済み生理用品やら紙やらが捨ててある。とにかく汚かった。 以前一度だけ、黒い靴のあとに好奇心を抱き、洋式便器の上に乗り、和式スタイルで用をたしてみたのだが、はっきりってしずらい。
 それが初めてのトイレ体験in香港であった。
 それからいろいろなトイレへ行ったが、明らかに汚いトイレはその頃に比べて減っていったようにも思える。ここでも思えるって書いたのは、トイレ自体が少なくあまり行く機会がなく比較できなかったからである。ホントね、少ないんだよ、香港のトイレ。
 香港のトイレで興味深いのは、掃除のおばちゃんが必ず1人は在駐していることと、場所によって鍵がないと使用できないということ。
 おばちゃんはセカセカ掃除したり、話したり、掃除したりしている。ガイドブックによると、このおばちゃんにティッシュをもらったらチップ払うとかなんとかって書いてあったのだが、今まで払った経験はない。特に請求もされないし、そもそもカモられたこともない。場所の敷居によって掃除のされ具合が違う(それともおばちゃんの熱心度?)ような気もするのだが、たいがい高級なところはキレイ。
 次の鍵がないと使えないというのは、主にレストランのフロアーしかないところや、オフィスビルに多い。場所によっては、曜日によって鍵が必要なところ、不必要なところもある。急に催したときなんかは特に困る。トイレへ走るも空かない。個室どころか、トイレという空間にすら足を踏み入れることができない。
 さらにこの鍵が厄介で、だいたい一つの店に一個しかないことが多い。かち合ったら先に行った人が戻るまで待つか、ドアの前で出てくる人を待つかのどちらかしかない。トイレの数が少ない上に、輪をかけ鍵問題。多少の我慢ならできる大人ならまだしも、子供にはあまり優しくないが香港のトイレ事情ということだろうか。(奥津)

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2007年5月 2日 (水)

アメリカ民主党は「戦後レジームからの脱却」を許さない?

安倍晋三首相が唱える「戦後レジームからの脱却」。キャッチフレーズのようだからまじめに考えるとした。
まず、ほぼ同義で自民党の議員が「レジーム・チェンジ」というのに驚く。本来この言葉を肯定的に使うのは革命勢力のはずだから。
改めて記すのも気高き読者をからかうようで何だが「レジーム」は「アンシャン・レジーム(旧体制)」に由来するであろう。となるとフランスの大革命を指す。では大革命と比較すると変な部分がある。

第一に「アンシャン・レジーム」は大革命後に「以前」を示す言葉であったが、「戦後レジーム」の方は安倍首相が「からの脱却」を訴えているぐらいだから脱却していない、すなわち今も続いている体制を意味する。
第二に「アンシャン・レジーム」は終着点はほぼ1789年でいいとして始まりがどこからか議論があるのに対して「戦後レジーム」は出発点は「戦後」というくらいだから1945年の敗戦後でよかろう。逆に終わりがわからない。

「第一」で述べたごとく「戦後レジーム」は今も続いているならば、この原稿を書いている2007年5月2日もまた「戦後レジーム」である。安倍首相が継承するとしている小泉構造改革路線も、自民党の存在もまた「戦後レジーム」となる。それらをすべて「脱却」するという使い方でもない。
だいたいの了解事項では敗戦からサンフランシスコ講和条約発効による独立回復までのGHQによる占領期に決まった体制を指すらしい。現に安倍首相は自民党解体も構造改革路線否定もしていないのだから。すると正確な言葉遣いをするならば「占領期に決められたレジームからの脱却」である。となると結構刺激的だ。
なぜならばGHQとはほぼイコール米軍であり、米軍は文民統制を受けているから米国の意思決定下にある。日米は太平洋戦争で戦って日本が敗れて米国に占領された。その結果として日本が「押しつけられた」とか「嫌も応もなかった」とする向きもある政策が指令・勧告などの形で米国の意思に沿うよう実行された。
日本を倒して戦争を勝利したのも、その日本を占領下で民主化したのも米国側からすれば「その通りだ」と定まっている評価である。そこから「脱却」するということはこの「その通りだ」からも「脱却」するという意味になる。それで日米関係は大丈夫なのか。

日米開戦から占領に至るまで米国は民主党政権だった。すなわち戦勝から民主化のプロセスは民主党の誇るべき果実なのだ。現に中間選挙勝利後にわかに米議会でクローズアップされてきた従軍慰安婦問題を言い募るのは同党だ。08年大統領選で民主党が勝ち、ほぼ同一時期に日本側が憲法改正を俎上に乗せた時、強い反発を招く恐れが十分にある。
「戦後レジーム」の頂点が憲法で、そのまたコアが9条であるのは改憲・護憲問わず一致した見解であろう。安倍首相は「ダブルトーク」と批判されたが「ダブルトーク」は米国のおはこでもある。在日米軍再編を要求しながら果実である9条改正を「歴史と平和に反する」と激しい非難を浴びせてきておかしくない国なのだ。
そこで憲法は米国の押しつけだったなんて反論したら火に油を注ぐ。短期間で国の骨格たる憲法を決めたのはおかしいといってもダメだろう。先に挙げたフランスの大革命ではバスティーユの決起から人権宣言採択まで1カ月強。合衆国憲法に至ってはほぼだまし討ちのような形で開催したフィラデルフィア会議で約4カ月で「大妥協」した結果だ。元々「レジーム・チェンジ」を必要とする場面は切羽詰まっているから、暴動・非合法・だまし討ち・妥協・押しつけなどの要素が入り込みやすい。フランスもアメリカもそうだった。

不思議でならないのは「戦後レジームからの脱却」派は、それで米国の意に沿うと、反対派は「アメリカの言いなりだ」と批判するばかりで「戦後レジームからの脱却」で米国が突如怒り出す可能性をほとんど議論しない点だ。
米国とともに戦争ができる態勢を米国の暗黙ないし公然とした要求から整えようとしたら当の米国から非難されるのは私だっておかしいと思う。では戦うか? 中国との関係がよくないなかで米国を反日に追い込んだら「いつか来た道」だ。クリントン民主党政権を思い出せばいい。貿易面で日本を叩き、政治的に中国と接近した。
米国は右手にライフル、左手に人権のたたずまいを自らおかしいと感じない稀な国家である。アブグレイブであんなことをしても日本要人の従軍慰安婦に関する発言は許さない。今は右手が優勢だが民主党政権に交代すれば左手が伸びてきそうだ。そこに米民主党の歴史的果実である日本の「戦後レジーム」を「脱却」しようなどとしたら……空恐ろしい。

これは良い悪いとか右だ左だの問題ではない。良くも悪くも日本は米国とケンカしてはならないのだ。だって中国と組んで米国とやり合おうなどと現実的に考える人は、それこそ「脱却」ご推奨の右にもいないでしょう。左にはいるかも知れないけど到底大勢になるとは思えない。間の悪い話で終わればいいが、それ以上の泥沼に陥る危険は十分にある。米国が突然「護憲」になったらどうする安倍さん?(編集長)

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2007年5月 1日 (火)

「ボラセーラ」系イタリアンに引いた

 先日、イタリアン・レストランに入った瞬間、「ボラセーラ」とサービスから声をかけられた。10年近くぶりに聞いた「挨拶」だった。
 バブル期に終わりぐらいだろうか、「ボラセーラ系」と呼ばれるイタリアンが流行った。レストランに入ると、サービスの人たちが口々に「ボラセーラ」と声をかけてくれるのだ。そんな店にはたいがい白人(イタリア人かどうかは分からん)が1~2人いて、片言の日本語で客を笑わせながら給仕をしていた。

 当時は「イタリアぽくてカッコイイ」と「ボラセーラ」のかけ声に違和感などなかったはずだが、久しぶりの「挨拶」にかなり引いた。コテコテの日本人が、どうして「ボラセーラなんだ!」と。
 
 レストランで異国情緒を楽しむのはよくある。
 バブル時代には外国人客が多いというだけで評価されていた店もあったほど。バブル後期には内装で異国情緒を表現しようとした店もけっこう出現した。店内がモンゴル民族の住居であるパオを模した店なんかもあったな~。味が本格的すぎたのか、一瞬にして消えたけど。
 当時は内装で驚かせることだけを狙った数多くできた。動く橋のある居酒屋とか。人形が「紙使って~」とトイレットペーパーを持ってくるトイレとかね。水族館のようにデカイ水槽がセールスポイントの店もあった。その傾向が突き進み、98年には刑務所の雰囲気を味わえる居酒屋までできた。

 でも、もうそんなものにみんなすっかり飽きちゃった。
 かつて刑務所やら病院やらの居酒屋をいくつも作ってきた会社も、奇抜なコンセプト勝負の店は刑務所の病院が楽しめる1店舗しかない。メイド喫茶に行く人も少数派だし。異次元を味わうならディズニーランドぐらい徹底してないとダメなのだろう。

 異国情緒も、味わいたいなら大久保辺りに日本語の通じない本格的なエスニックレストランが山ほどある。また海外旅行が安い。数万で韓国に行ける時代なのだ。サービスが「ボラセーラ」と大声をあげればいいという時代はとっくに過ぎた。
 それよりも価格や味が問われる。

 イタリアンで最近流行っているのは地方だろうか。シェフが修行した地域の料理がしきりに宣伝される。これも一過性のものかもしれないが、少なくとも内装や外国人定員にこだわるよりかは意味がありそうだ。(大畑)
 

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