ホームレス取材のこぼれ話②
新宿などでは多くのボランティア団体が活動し、ホームレスの人々に食事や毛布などを提供している。しかし取材に行くと、ホームレスの人々がプレゼントをくれることも少なくない。
ホームレスの取材を始めて、僕が最初にもらったプレゼントは貯金箱だった。猫をかたどった黄色い貯金箱は、小銭を放り込むと短い曲を流す仕掛けが付いていた。
「お金は大切にするんだよ。若いの。俺にはもう貯金箱なんて必要ないからやるよ」
上野公園で暮らしていた男性は、そう言って僕の手に貯金箱を握らせた。
その貯金箱は、編集部の机の上で2年近くお金を集め続けた。最後には音楽が止まらなくなり捨てることになったが、2000円近いお金を僕に残してくれた。アルミ缶で同じだけの金額を得ようと思ったら、23キロも缶を集めなくてはいけない。そう考えるといやに大金に思え、すぐに銀行に行った。
今回、記事を掲載した沖縄出身の男性からは、ゴーヤとナーベラーを2本ずついただいた。河原で作ったとは思えないほど立派な大きさで、味も素晴らしかった。特にナーベラーは絶品。なすに近い味わいがあり、味噌炒めで食べるとごはんが進む。
わざわざテントから脚立を持ってきて、ちょうど食べ頃の実を選んでもいでくれた彼が、どういう気持ちで故郷の野菜を育てていたのか。ナーベラーを食べ終わった後、少し考えさせられた。
「いや、ホントにうまいんだから。ゴーヤは、売ってる店もあるけれど、ナーベラーはまだまだ出回っていないから食べてみてよ」
楽しい思い出が詰まっているわけではない故郷。それでも彼の心の根っ子には、沖縄があった。沖縄への思いについて、それほど詳しく語ってくれなかっただけに、ナーベラーとゴーヤを手渡してくれたときの笑顔が、強烈な印象として僕の中に残っている。
荒川のほとりでは、一杯のコーヒーをご馳走になった。気を遣ってくれたのだろう。わざわざ新しい湯飲みを箱から出して、パック入りのコーヒーを注いでくれた。
「氷がないのは勘弁してくださいね」
暑い日だったからだろう。そう言いながら、彼は湯飲みを手渡した。河原には自動販売機もなく、数時間、何も飲んでいなかった僕にとって、そのコーヒーは何よりありがたかった。
古本屋に拾ってきた本を売って生計を立てている彼にとって、パック入りのコーヒーを買うのは、それなりの贅沢であるに違いない。そんな貴重なコーヒーを、初対面の僕に振る舞ってくれる。その気持ちに頭が下がった。
どうして彼らがホームレスにならなければいけなかったのか。やはりわからない。いや、ホームレスを美化するつもりは毛頭ない。とんでもなく性格の悪い人や、本当に怠け者の人だって、ホームレスの中にはいる。
だが彼らの大半は、やはり善良で大人しい人である。仕事仲間としても悪くないように感じる。いきなり職を失う原因を、性格から探しだすことは難しい。
彼らからのプレゼントについて考えても、やはり同じ疑問が頭を駆け巡る。彼らの運命を不運と片づけたくない。でもホームレスになる明確な理由など、彼らから見つけることはできない。そんなことを考えている。(編集部)
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 【謹告】当ブログにおける私(編集長)の立ち位置について(2008.10.22)
- 一日が30時間あれば(2008.07.09)
- キーボードが打てません。(2008.06.30)
- 私は神である(2008.06.25)
- お休みします(2008.05.28)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント