ホームレス取材のこぼれ話
自慢じゃないが酒にはめっぽう弱い。ところがこの手の取材で酒を勧められたら、まず断れない。貴重なお酒を分けてくれるのだから、ありがたく、そして豪快に、ただし彼らの酒を減らし過ぎないように飲むのが礼儀である。
昨年の秋にホームレスと飲んだ酒は、なんとカクテルだった。
「おー、取材なら飲んでいきな」と笑顔で迎えてくれた彼は、テントから1.5リットルの焼酎ボトル、そしてテント脇に積み上げてあった食器類から湯飲みを2つ取り出した。もちろん湯飲みがいつ洗われたかなんて聞けるはずもない。湯飲みの底が黒いのは茶渋だと思うことにして、とにかく乾杯する。
「あ、そうだ、グレープフルーツがあるぞ。それで割るか」。焼酎を口に含んだ途端、彼が言った。焼酎を湯飲み1杯飲んだら、私の肝機能では間違いなく倒れてしまう。アルコールが薄まるなら、水でもグレープフルーツでも大歓迎だった。二つ返事で答えると、河川敷に転がっていた青いリュックから2つのグレープフルーツを取り出し、例の食器の山から少し錆びた包丁を抜き出してきた。
「米国の学生は、カネがないからウォッカをグレープフルーツで割るんだよ」と言いながら、半分に割ったグレープフルーツを思いっきり絞る。真っ黒い手を伝わり、果汁は湯飲みに溢れるほど注がれていく。
「塩を付ければ、ソルティードッグだろ」と、彼は豪快に笑った。
よく飲み、よく話す人だった。米国に留学した話、大学の広告研究会で大儲けした話、そして大学時代の友人がいかに立派になったのか――。2時間ほど話し続けただろうか。
酒の肴につまんでいた鳥のささみを、欠けた歯列のすき間から飛ばしつつ、陽気にまくし立てる。酔いが回るまでは、その白い弾丸を私も避けていたのだが、1時間もたつころには、さすがにどうでもよくなっていた。
「もっと飲んでけよ。暇なんだろ」と言われたとき、私は取材を諦めていた。彼の話には整合性がない。どこかに、あるいは全部に大きなウソが交じっている。これまでの取材経験がそう告げていた。
「編集部に帰らなくちゃいけないので、これで失礼しますよ」と言って立ち上がると、「おー、これからオレも女がくるからな」と彼も立ち上がり、川へと歩いて行った。
夕日を映した川面に向けて、彼の小便がキレイに放物線を描く。いつも独りで飲んでいるんだろうな。ふとそんな思いがかすめた。彼の背中には、先ほどまでの陽気さが消えている。人との会話に飢えていた反動が、あの陽気さを生みだしていたのだろうか。
コンクリートで固められた護岸を四つん這いで登り切り、金網を乗り越えたところで私はダウンした。街灯の傍らに座り込み、河川の夕日を見たところまでは覚えているのだが。
1時間ほどのささやかな睡眠は、無機質な携帯電話の音で破られた。
「今、何してんだ」
大学時代の友人からだった。
「川で夕日を見ながら、塩抜きのソルティードッグを飲んで、うとうとしていた」
「本当にお前の商売は気楽だな。羨ましいよ」
確かに返す言葉もなかった。私の意識はホームレスと一般人のどちらに近いだろう。取材中、よくそんなことを考える。言うまでもなく、私はホームレスに近い。大学時代の友人より、ホームレスの話に共感を覚えることも多い。数十年後の私はどうなっているだろう。(大畑)(『記録』01年2月号掲載記事)
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