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2007年1月

2007年1月26日 (金)

■ 煩悩からの卒業~♪(井上マー風にどうぞ)――(2)

いか~ん!!

せっかくの修行です(変な表現だな……)。
プールのシャワーが温水じゃないとスネる私が、
金払ってまで冷たいの滝の水を浴びにきたの。
しかも溢れる煩悩を洗い流すためだよ。
思い立っただけでも我ながらエライ! 

ならばせめて滝行の1時間ぐらいは修行に専念しなくては……。
ていうかしたい。
お願い神様、できれば専念させて。
だいたい邪心のおかげで、
ほうきが他の修行者に取られちゃったじゃないですか!
まあ、膝上ふとももアタックにやられた自分が一方的に悪いのですが……。

さあ、掃除、掃除。
修行の場を清めることで心を清め、
さらに滝できよ……って、オイ!

いけません!!

前屈みになって落ち葉を拾うのは。
着物ですから……。

見えてます。色白の谷間が

これは往年の雛ちゃんの技。
前屈み、上目遣いの胸元見せ。

イエローキャブ内ではやや消極的な胸だった
雛形あきこ渾身のエロポーズ

ここに完全再現 in 高尾山

20051111011111_1 

Photo by (c)Tomo.Yun

無理です。
これは修行なんて無理。
修行というよりED検査みたいなものだもん。

「はい、たろーさん、色白美人の膝上丈の着物はいかがですか?」
「はい、きちんと反応してますね」
「じゃあ、正面からの胸元は、はいはい大丈夫ですね。異常なしと」
てな感じですか……。

しかし、どうして他の参加者は整然と掃除に励めるのでしょう。
不思議です。

動悸がおさまらないままに、
ポーッと掃除を続けていると
男の参加者だけに集合がかかりました。
滝行の前にお経をあげるとのこと。
不動明王が祀られている広さ6~7畳の本堂に
20人ほどの男が入り正座。

アカ~ン、正座弱いんです ○| ̄|_

読経が始まって数分でしびれ始め、
脚を崩しそうと思って横を見たら、

インド・パキスタン系の外人が

見事に正座してるじゃないですか。

その姿微動だにせず!
この状況で気弱な日本男児が脚を崩せるはずもなく、

ひとり勝手に修行に突入~

板の間に痺れる脚、きしむ膝、そして思い起こすは白い胸元。
不埒で脆弱な私をご本尊の不動明王がガン見してます……。
ひぃー、すんません(T_T)

映画版『アキラ』のラストシーンのごとく
膨れあがる煩悩に悩まされつつ、
次号、滝行に突入。
(つづく)

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2007年1月19日 (金)

■ 煩悩からの卒業~♪(尾崎豊風にどうぞ)――(1)

煩悩だらけの生活でいいのか!
もっと清く正しく生きるべきではないのか!
そう思ったことありませんか?

家庭を持たず、寝坊さえ許される会社に甘え、
ダラダラと日々を過ごして良いのかと、
昨年秋、35歳の私は考えたわけであります。

で、思い立ったのが THE 滝行

場所は小学校の遠足で行ったこともある高尾山。
せっかくだからとケーブルカーを使わないで
ふもとから徒歩で修行場に到着しまスタ。

体力の衰えを危惧して早めに出発したので、
40分前には到着。
もちろん一番のりです。
いつも遅刻三昧なのに素晴らしい!
執着と煩悩を捨てまっとうな人生を始めるために、
滝に打たれたいと真剣に思っていたのでした。

ただ、滝行開始15分前にちょっとした暗雲がたれこめる。
次々と待合室に入ってくる参加者の中に、

すげーカワイイ娘がいたの!!

年の頃は25歳ぐらい、色白で整った目鼻立ち、
眼がちょっとどこかに行ってしまっているのも、
妙に色気を感じるではありませんか。

カワイイ娘と一緒に修行できてラッキー

はい、洗い流すはずの煩悩がまた1つ増え109個になりました。

でも、まだまだ気分は修行僧。
まず白装束の着物に着替え、
僧から簡単な滝行の説明を受ける。
御本尊である滝に自分の体を入れる神聖な行為こそが滝行
との解説に深く納得。

「では、行の場所を清めるために掃除から始めましょう」
との僧のお言葉にもメチャクチャ頷きまくって
生まれて初めて掃除に猛烈なやる気を感じたのです。
猛然とほうきを取りに行こうとした時、
不意に視覚に飛び込んできたモノあり!

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Photo by (c)Tomo.Yun

ここ、コスプレキャバクラですか~!?

いや、膝上ミニはヤバイでしょ。
しかも白い着物だよ。
これまでの合コンなどで眼にしたどの勝負服よりもそそります。

絶対、彼女の私服よりいけます、明らかに

めっちゃ、タイプっす。
眼の自動追尾システム作動。
あー、修行魂が溶けていく~。
(つづく)

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2007年1月18日 (木)

今月の香港その2

 香港にはトラムが走っている。走っているといっても香港島の九龍サイドより東西に走っているだけだが。
 一律2ドルで、始発から終点まで乗ろうが、一駅のみだろうがワンコイン。走っているほとんどが冷房なしのトラムで、高温多湿の夏場はただの罰ゲームでしかないような状態だが、それさえ我慢すれば非常にお得な乗り物である。
 香港の交通事情はかなりよく、バス、ミニバス、トラム(香港島のみ)、タクシー、フェリー、地下鉄、電車と多種多様。しかも全体的に料金が安い。
 日本ももう少しやすくならないだろうか。(奥津)

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2007年1月17日 (水)

またメンテ……

昨晩、ブログを更新しようと原稿を書き終えたら、メンテ!

何をメンテナンスしたのかわからんが、よくいじるところがあるなと感心。

というわけで、本日の掲載予定だった原稿は金曜日にアップします。

とにかく会社が忙しく、

ブログに時間を費やせない日々が続いておりますが、

今後ともよろしくお願いいたします。

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2007年1月16日 (火)

香港日記

 今月の香港を少し書きたいと思います。
 先月末の台湾沖地震の影響で、年末年始は対日本へのネット接続率ががくんと落ち込んでいました。
 国際電話もそうでしたが。
 今月の2日あたりから本格復旧にむけての工事が開始したらしい(たぶん)んですが、昼や週末はつながりにくく、10分経過しても完全に表示されないことがままあるというのが現状です。天災が原因なので仕方ないのですが、株式投資をしている方や、企業などは大変だっただろうな、とつくづく思いました。
 最近はようやく繋がりやすくなってきたので、そろそろ完全復旧か!? といったところです。(奥津)

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2007年1月15日 (月)

■月曜ということで勢いよくいきたいところですが

■月曜は『あの事件を追いかけて』ですが、なにかと立て込んでおりアップができない状態のため今週は休載させていただきます。

 まったく関係ないですが(本当に関係ないんです)、歯が痛くなったので歯医者にいったところ、歯科医さんにアッサリと「コレ、抜いたほうがいいですね」と言われました。月曜日に歯医者で親知らずを抜くことになっています。待合室でいろんなポスターを眺めていると、歯の磨き方のガイドやインプラントの案内に並んで、こんなポスターがあって驚きました。

「デンタルエステ」

 なんというか、要約すると歯の外見から健康までをトータルでケアするプランだそうです。世の中は隙間産業で溢れている、ということを今更ながら感じた瞬間でした。50年前の人がトリマーやオーラソーマを見たらどんな顔をするのか見てみたい、と思ったことはありますが(決してトリマーなどの職業をバカにしてるわけではないです)、このいま現在でさえ、職業の系譜が日々更新されていく過程でもあるのだな、と思うのです。超雑文ですが今日はこれにて!(宮崎)

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2007年1月14日 (日)

日曜ミニコミ誌! 東電さんに物申す!/『脱原発東電株主ニュース』

Datugen こんな立場から意志を伝える人たちがいるのか、と感心してしまった。
『脱原発運動ニュース』ならば他にもありそうだが、『脱原発東電株主ニュース』である。
発行元の脱原発・東電株主運動事務局のホームページによると会員数は約450名、会員には国家議員や都議員などもいるという。発足のきっかけは1989年に起きた福島第2原発3号機の循環ポンプ破損事故。チェルノブイリのわずか3年後であり、住民の不安は相当なものだったことが想像されるが、市民の情報公開の要求を当時の東電側は拒否。
そこで、東電と対話する手段として市民側が協力し、同社の株式を得て株主総会に出席することを決めた。91年には株主提案権を得て、以降は多くの質問と議案を提出してきた。
 脱原発・東電株主運動事務局は原発という手段の撤廃を目標に掲げるが、ここ数年の日本の状況はその方向には動いていない。去年にはとうとう青森県六ヶ所村の核燃料再処理工場が稼働し、新たな原発の設置も検討されている。
供給が不安定という最大の弱点を抱える風力発電は、代替エネルギーとして注目はされていたが普及は拡大していない。
 同事務局では頭を抱え込む事態、のはずなのだが、妙に誌面は明るい部分があったりする。なぜか「ビバ・メヒコ道中記」なる記事が現れ、メキシコの旅行記が綴られたかと思えば、「これだけは言いたい!」というコーナーではFA宣言したものの最後にはカープに残留した黒田を褒める記事が載ってたりする。そして、それらの記事にはミョーにカラッとした潔さのようなものが見て取れるのだ。うーん。つまり、色々抜き差しならない事態が進行中だが明るく行こうよ、ということなのだろうか。きっとそうだろう。
 ともかく、なぜか(他の問題より切迫していない事態という意味で)環境問題のような扱われ方をしているが、電力に関する問題はそれがないと社会生活が立ちゆかない問題だ。
 バカの一つ覚えのように「原発反対!」を唱える気はない。原発の機能と恩恵と危険性を十分に把握しておく必要があると思うのだ。(宮崎)

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2007年1月13日 (土)

『吉原 泡の園』 連載第9回 「勘違いで大食い」

■寮の部屋に戻ると、先輩ボーイの姿は消えていた。初日に、同部屋の先輩ボーイが飛ぶ(誰にも言わず辞めてしまう)という事態が待ち受けていたのだ。うろたえるイッセイのもとに、マネージャーがやって来た。

   *   *   *

Yo9  やさしそうな先輩ボーイがいなくなった事件が勃発して、ボーイ達が深夜2時過ぎの店で話し合っていると、鬼マネジャーが来た。
「Fがいないそうです」
Eさんが、マネジャーに言った。
「あ?飛んだか」
 薄ら笑いながらそう言った。
 いじめられて、飛ぶという決断しか出来なくて、飛び、それをざまあみろと笑う。
「これであいつに今月の給料やらんですむわい!」
 鬼だ! 人間じゃあない! しかし何も言えない。
「イッセイ、初日ご苦労やったな、飯でもいこか?」
仕事初日だったためか、僕にはやさしい言葉をかけてきた。
「おいT、お前もこい!」
坊主頭のTさんも付き合いで一緒に行くことになった。

 店から歩いて約3分の場所に、焼肉T店はある。朝まで営業している店で、ボーイやソープ嬢をターゲットにしているため、かきいれどきはソープ店が終わってからだと言う。
 座敷の1番奥に陣取った。生ビールが運ばれるとマネジャーも少し饒舌になる。
「見ろよイッセイ、このT、こいつ裸の大将なんだぜ!」
 マネジャーがそう言うと、Tさんも裸の大将の真似をする。間の抜けた表情と“どもり”である。けれどもTさんはどう見ても裸の大将には似ていない。
「おいT。いままでみてえにふざけてると、このイッセイにぶっ飛ばされるぞ!」
 酒が入ると今度は勝手にTさんを脅している。
「僕は暴力は振るいましぇ~んよ!」
 Tさんを横目でチラッと見ると、裸の大将の顔を真似た状態で固まり、青ざめていた。そしてそれが1番おかしく見えた。
 しばらくすると。
「あら、いらっしゃい」
 30代の女性が、マネジャーに挨拶してきた。
「おうK子!」
 知り合いのようだ。妙に親しげで、でも特別恋人でもなさそうだ。
「あのコ、出身国どこですかね?日本人じゃないみたいですね」
 恥ずかしいことに、興味本位で少し差別視して聞いてしまった。
「どうでもええやろ、そんな小さなこと」
 さすがはソープの世界のマネジャーさんだ。心がでかい。でかすぎる。こりゃその心意気に応えねばと思い。
 カルビ、ハラミ、ビール、ご飯とどんどんおかわりした。そのほうが。
「食いっぷりも良く、期待できる新人だわい!」
 そう喜んでもらえると思ったからだ。だが、何だかマネジャーの顔色が赤くなってきた。お酒のせい?それともお怒りのせい?
「おまえ食うな~」
「ええ、まあ、でもまだまだ序の口ですから」
 つい喜ばそうと、それだけの思いで言った。こうした任侠の人は、人を世話するのが好きに違いないと思い込んでのことだ。
「ほーそんだけ食ったら、仕事もそれなりにやってもらうぜ!」
 僕の箸が止まった。
 この焼き肉屋Tには、他店のボーイ、ソープ嬢や店の幹部クラスなどさまざまな組み合わせの客がいて、悩みを聞いたり、客の話、恋の話などで盛り上がっている。それなのに、僕らのテーブルは、いつ“マネジャーという爆弾”が爆発するかと気が気ではなく、葬式のような雰囲気だった。その後、重い空気の新人歓迎食事会は、メチャクチャ嫌な雰囲気で幕を閉じたのである。(イッセイ遊児)

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2007年1月12日 (金)

耳たぶよりちょっと柔らかいウンコ(後編)

 さて、残ったは元凶の靴。けっこうな量の “ご本尊” が残っているため、このまま履いて帰るわけにはいかない。とりあえず手にペーパー巻き付け拭き取ることに。
 力を入れてゆっくりとペーパーを動かすと 靴の裏が段々と平面になっていきやす。若干拭き残しが出るものの7割方現状復帰! 白い靴底も見えるようになってきた。

 ん? 

 でも、靴の先に残った黄色い縁どり何? 白い靴底にクッキリ残る半円。 はい、ウンコで埋まった幅3ミリ深さ5ミリほどの溝でした。
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←実物です(ウンコなし!)

 皮とゴム底を縫い付けた糸が収まる溝。 これ、ファッションなのか……。
 って、よくみると靴底中央に彫られたHawkinsの文字と Hを丸で囲ったロゴも黄色くないっすか!
 本来なら丸洗いしたいところだけど、 水道はみんなが使う洗面所のみ。(お茶を飲むための水もココからね)

 いやー、バイトさんがいなけりゃ、洗っていたけれど、 さすがに見てる前でそこまで不潔なことはできません。残った手段は掻き出すのみ……。
 バイトさんにどうしたらいいかを相談すると、
「爪楊枝はどうでしょう?」と。
 おー、グッドアイデア! さっそく使っていないコンビニの箸袋から爪楊枝を取り出し、便所で靴の溝からウンコを掻き出します。細かい固まりとなってそっと便器に落ちていくウンコ、鼻を襲う強い刺激臭。
 それでも丁寧に爪楊枝を動かすと、さっきまで黄色だった「Hawkins」も真っ白に。あ~、幸せ

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 なんてことあるか~!

 ただ自信を持って言わせてもらうけど、溝からの掻き出しは職人レベルになったね。無心で20分ぐらいやっていたから。昔、祭りの露天でやった「切り抜き細工」みたいです(ガムの板から針で絵を切り抜いて景品をもらうヤツね)

 まあ、つまりは次踏んでも大丈夫ってことだな。

 バッチコイ! (大畑)

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2007年1月11日 (木)

耳たぶよりちょっと柔らかいウンコ(前編)

 いやはや非常事態である! あまりの忙しさに今月中は編集長もブログの更新が不可能に。私自身も長い記事を書く余裕がない。しかし、せっかく定期的に読んでくださる読者がいるのに、プロのライターが更新しないなんて情けないです、はい。

 というわけで、私個人のブログで書いた記事を今日明日と再掲したく存じます。読者層の違うブログでもありますので、「ゲェッ」と思った方はそもままページをお閉じ下さいませ……。

 ―― ※ ―― ※ ―― ※ ―― ※ ―― ※ ―― ※ ―― 

 あれは1年ほど前、たしか午後8時ぐらいのこと。
 喫茶店で原稿の執筆を終え、 電気を消したまま会社の階段を鼻歌まじりにのぼっていたときでした。
 最初に異変を感じたのは鼻。何だかツーンとくる匂いが……。
「あー、また猫が小便したか」と雑居ビルの宿命(?)を感じつつドアを開けようと足を止めたら、ん!?
 2度目の違和感。

 足がねっぱる。

 でも勢いのついた中年の身体は止まらん、止まらん。 一気にドアを開け、中に1歩、2歩。そのときステゴザウルス並みに反応の遅い鼻が、刺激臭の分析結果を脳に伝えたのでした。

 ぎゃー、ウンコ!

 振り返ると編集部の床にもウンコの靴跡が1つ。
「助けて、動けない、そこのサンダル取って、早く~」
 オヤジ大畑、かわいい学生バイトさんを涙声で呼んだのでした。

「どうしたんですか? そんなに慌てて」

「いや、ウンコ、ウンコ。 右足がウンコなの~」

 もう、パニクっている私の話はわけの分からん状態ッス。
 ただ異様な雰囲気を察したのかサンダルを私の前に置いたバイトさん、若干後ずさりしました……。
 しかし、そんなことにかまってはいられない。 まず、そっと靴を脱ぐ。 幸いなことにデッキシューズは脱ぐのがラクだった。 これが踵を持って引っこ抜くブーツだったらどうなっていただろうと、ホッとしつつ脱いだ靴をひっくり返したら!

 ど~ん!

 直径7センチほどに引き伸ばされたウンコが……。
 ちょうど半乾きだったとき踏み潰し、 歩きながらこねたウンコは適度な硬さと粘りをもってひっついてるのでした。 少し水気が多めのパン生地みたい。ねっぱります!

 ふふ、いわゆる耳たぶより ちょっと柔らかい硬さかな。

 しかし仮にも千代田区だよ。 昼間にウンコをみかけることすらほとんどないのに、 どうして夜踏む?
 いや踏むだけならまだしも、どうして事務所まで  「Take Out」 するの!
 我ながら情けない……。
 とにかく靴を新聞紙に乗せ、外に出すため階段の電気を付けたら、
予想通り階段にもウンコの靴跡が! ただし、ご機嫌だった私は1段抜かしで階段をのぼっていたので足跡は4段に1つでした。
「やっほー!」とか言ってる場合じゃねー。
 さっそく掃除ッス。
 洗剤をぶっかけ、ペーパータオルで拭き取り、すべて捨てるという地球に厳しい掃除方法で一気に清掃!(大畑)  〈つづく〉
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2007年1月10日 (水)

建築が危ない!を詳細解説/『建築紛争』

Ken  昨日、一昨日と、ハッキリ体感できるほどの地震が続いた。半月ほど前に引越したばかりの今の家が軽量鉄骨でできているからなのか、やけにゆらゆら揺れているような気がした。まあ、崩れることはないだろとは思っていたが、何となく落ち着かなかった。
 そういえば、不動産屋さんと物件を見てまわっている車の中で、その時点で住んでいた家が3階建ての軽量鉄骨であることを伝えると、「あれぇ、軽量鉄骨の3階建てなんて珍しいなァ」と不動産屋さんは言った。そのとき私は自然と、「耐震強度、というやつは問題ないのだろうか」と思ったのだった。
 耐震強度などという硬質な言葉が瞬く間に知れ渡ったのだから、やはりあの一連の事件というか偽装発覚の連鎖は「日本中を揺るがせた」という表現に足るように思える。たまたま「グランドステージ藤沢」に入居が決まっていた知り合いは一家で祖父の家に移ることになり、「買った家が危険だから住めない」という意味不明な事態に怒る、というよりはその状況にただぼんやりしてしまっているようだった。
 未だに「あぁ、あの姉歯っていう人の事件ね」という認識がされているのを耳にして最近驚いたが、当然だがこの耐震強度偽装事件は「姉歯の事件」などではない。
『建築紛争』ではまず05年11月に問題が発覚してからの一連の動きを改めて追い、民間検査確認機関、国土交通省、建築業界、建築士などが取ってきた行動と発覚後の対応を描き出す。
 読み進めるうちに、98年の建築基準法改定による「仕様規定」から「性能規定」への変化により安全性のワクがぼんやりしはじめ、検査機関の民営化により建築業界自らが安全性のジャッジを下す構図があぶりだされてゆく。建築業界の制度的な側面や建物の評価の規定などに触れるため多少複雑な部分もあるが、その側面が問題の核心にあるのだから当然だろう。(宮崎)

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2007年1月 8日 (月)

上野・万年町のスラムがあった地で(後編)

Mannen  四谷鮫ヵ橋、芝新網町と共に、明治期に東京3大スラムと呼ばれた上野・万年町。
 松原岩五郎によれば「一種得ならぬ臭気」が長屋群に満ち、「蒸気客車をびっしり連ねた」とも表現されたこの界隈だが、関東大震災(1923年)と直後の不良住宅改造計画によりスラムとしての面影は無くなった、ということが『東京の下層社会』やいくつかの資料にも書かれてあった。しかし、ある神社の職員によると40年前くらいまで“そういう雰囲気”が残っていたという。

 東上野3丁目にある東上野区民館に行ってみた。区民の公共スペースを提供している典型的な公民館だ。区民館ならば土地に関しての古い資料を持ち合わせているだろうと思ったが、どうやらそういうものはないようだった。しかも、直接職員さんに聞いてみても「30~40年前にこのあたりにスラム…? そんなに古いことは分からないね。聞いたこともない」とのこと。この時点で“そういう雰囲気”があったことが私の中では少し疑わしくも思えてきた。
 しかし、職員さんは地域の歴史などについて調べたいのなら台東区役所に行ってみてはどうか、と教えてくれた。
 3Fに台東区の古い地図などを保管する資料室があるのだという。
 
 資料室には、区役所が発行してきた台東区に関する書籍、昭和38年から42年にかけてこの地域で行われた住居表示変更を分かりやすく地図上で表したものなどがあったが、なによりありがたかったのは台東区役所に40年間勤務しているという男性がいたことだ。資料ももちろん役に立つだろうけど、この場合は“雰囲気”という微妙な問題なので、実際の土地の空気を知る人に合っておきたかったのだ。
 まず、住居表示変更の前後の名前を同時に表記した地図で、当時の、万年町が現在のどの地名にあたるのかを改めて確認してみた。昭和40年8月の「第三次住居表示変更」で万年町一丁目が現在の「東上野四丁目」、万年町二丁目が「北上野一丁目」に改められた。地図を見ていて、台東区役所自体が東上野四丁目にあるのに気づいた。区役所が建てられたのは昭和48年とまだ古くはないけど、それよりもっと前、区役所があるこの場所にはかつて棟割長屋群がひしめき合い、最下層の人々が生活するスラムがあったのだ。

 さて、肝心の30~40年前の“そういう雰囲気”だが、勤続40年の男性によるとそのころには「もう、そういう面影はほとんどなかったよ」ということだった。
 男性が台東区役所に勤め始めたのは東京オリンピック(昭和39年・1964)で東京中が活気付いている頃だったという。かつて万年町があった場所に少し重なる現在の昭和通りも、当時の一大イベントにあわせて大幅に拡張されていった。いろんなものがどんどん新しくなっていく感じがした、と男性は言う。
 ただ、スラム的な空気は、ではそのころにはまったくなかったのか、と聞くと、「うーん、そういえば、昭和通りに面した場所じゃなくちょっと路地を入ったところには、マムシ入りの焼酎を並べた店とか、炊き出しみたいな感じのちょっとした食べ物屋とか、そういうのはあった気がする。人によっては“貧民窟的な雰囲気”と取ってもおかしくなかったかもね」ということだった。

 男性に、こんな本もある、と言って勧められた『下谷浅草町名由来考』という書籍の中に、昭和40年に万年町の名が消えることになったときに万年町に住む人たちは喜んだ、というくだりがあった。
「細民地区であったという印象が払拭されるから」という理由だ。
 区役所を出て、かつて万年町だった場所を歩いてみた。当たり前だけど、鉄筋のビル、鉢植えを置いた民家、ごくフツーの町並みが広がっているだけだ。(宮崎)

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2007年1月 6日 (土)

『吉原 泡の園』連載第8回 「僕は身代わり?」

Yo8  どうにか、初日の仕事を終えた。足が超痛かった。吉原デビューしたものの、ソープ街で働いていることが知り合いに知れたら? 借金は? この後の人生は? 悩みは尽きなかった。体の痛みと精神の苦悩でボロボロになっていた。しかし仕事が終われば、マネジャーや客に気を使わない自由時間だ。
 店は24時で閉店というのは表向きで、実態は違っていた。閉店は毎度2時過ぎなのだ。労働法違反だと騒ぎ立てる者もいない。労働法を知らないことも理由の1つだが、こうした職場しか受け入れてもらえない人種という奴もいる。
 深夜2時過ぎ、ようやく寮に帰れる。潰れたパチンコ屋の3階部分がR店の寮であった。3階までの階段は急勾配で、足が痛くて上るのも一苦労。1階、2階には、裏業者が入っている。それも数ヶ月単位で入れ替わる。2002年当時、1階が闇の携帯屋、2階がカメラスタジオだった。3階にあてがわれた寮の部屋は6、7畳で、2段ベッドがあり二人部屋。狭いのに、私物をたくさん持ってきたので、相部屋にも関わらず、自分の部屋のようになった。冷暖房完備で、押し入れがある。窓を開けるとベランダがありゴミの山が悪臭を放つ。ネズミの巣になっていてもよさそうな感じで非常に不潔なのであった。

 初日の深夜、部屋に戻ると二段ベッドの上を使っていた優しそうな先輩ボーイの姿が見えない。彼には荷物などなく、体ひとつで吉原に来たそうだ。固定されたスポットライト型照明がついたままで、コンビニでもいったのかと思った。同部屋になる人には、早く挨拶をしておきたかったのだ。1人でいると不安になり店に戻った。ほかの先輩ボーイがまだ店にいて勝手に客用の缶ビールを飲み、つまみを食べ、待合室のテレビを見ている。
「あの~同じ部屋のボーイさんいませんが、知りませんか?」
 ほろ酔い気分の先輩ボーイにそう尋ねると、Eさんというベテランボーイが立ちあがり、真剣な面持ちで言った。
「飛んだか!」
「飛ぶ?なんすか」
 初めて聞く業界用語だったが、なんとなく察しはついた。代わりが入ったから消えたの? これからは、僕がいじめられる代わりなの? やさしそうに思えたボーイさん。うまく身代わりを入店させて、そのままドロン! 体1つで来るということは、“飛ぶ”のにも有利なのだとそのとき知った。荷物が多いと、飛ぶに飛べない。坂上次郎の「飛びます、飛びます」というギャグも、吉原ボーイには笑えないギャグなのだ。ましてやその時の僕には尚更だった。(イッセイ遊児)

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2007年1月 5日 (金)

年賀状を書くのはヒマ人だけ!?

 あけましておめでとうございます。
   今年もよろしくお願いいたします。

 ということであっという間に正月が明け、もう自分の番の金曜日が来てしまった。まだ正月気分も抜けてないので、その手の話題を。

 ミュージックビデオやCMを撮っているフリーのディレクターに会ったとき、「年賀状はいっさい出さないよ。出すと『あいつヒマかな』とか思われたりするから、かえってよくないんだ」という驚愕の話を聞いた。彼も6~7年前には「面倒臭いけど年賀状出すか……」とか言っていたように思うのに。

 友人同士ならメールを年賀状代わりにするのは当たり前。その手の「流行」に鈍感な私ですら、ここ数年そんな感覚になってきている。ただ仕事関係となると、年賀状をメールに代える勇気がない。メールなら一気に送信でき、文章も書くのもラクなのだが……。
 しかし、こんな感覚も出版界ではということらしい。映像業界の一部では年賀状に違和感を感じるようになっているのだから。たしかに大掃除(これもやす人が少なくなっているかもしれんが……)やら、クリスマス(彼女もいない独り身には関係ないが……)やら、年内に済ませなければならない仕事やらでハチャメチャな時期に年賀ハガキを書くのはツライ。こんな時にしなくても、とも思う。それでも出しているのは慣習だからである。これが「当たり前」でなくなれば、「この時期、そんなことしているヒマ人に仕事をふっても大丈夫か?」と思われても、たしかに仕方ないのかも。

 うーん、驚きだ!
 しかしメールが電話や郵便の機能を代行するようになってから、人々の意識は大きく変わった。おかげで私の悪評が、また1つ増えた。
 私は急ぎではないプライベートのメールは気が向かないと返信しない。携帯メールでも放っておく。これがとにかく評判悪い。「ルーズだ」とか言われるのだ。
 だいたいメールをやり取りしていると、行ったり来たりと終わらないことがあり、けっこう面倒くさい。なら、返すのよすかってな具合となる。こうした感性を世間は許さないらしい。
 もともとルーズな性格で、そのことに反論する気はないが、メールを返さないのがルーズと言われると「ちょっと違うんじゃない」と言いたくなる。携帯メールだって、サービスが始まった頃にはここまで即答を要求されなかったように思うのだが……。

 そんな感覚の変化は理屈で説明できないだけに難しい。
 先日、ひょんなことから、女性から手編みのマフラーをもらうのは怖いという話になった。一編み一編みに念が籠もっていそうで重いと。だいたい30代後半ともなれば、手編みのマフラーに合う服装など持ってない。まあ、そんなプレゼントを贈る女性に会うことも珍しいが……。
 ただ、20年近く前には手編みのセーターやらマフラーが流行った時期があったように思うのだ。フィッシャーマンズセーターあたりと一緒に流行していたような気がする。そのときは手編みをプレゼントされた友達を見ながら、うらやましいなーとか感じていたのだから不思議だ。
「うらやましい」がどうしたら「怖い」に変わるのか、私自身でも説明できない。ただ間違いないことは、今は手編みのマフラーをもらった人を見ても「うらやましい」と思わないことである。

 となれば数年後の出版界でも、年賀の主流がメールになっているかもしれない。
 たしかに楽だが、その変化が何となく怖い。時代に振り切られているオッサン・ライターはそんなことを考えているのでした。(大畑)

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