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2006年12月 4日 (月)

タイの9月クーデターを振り返る

そろそろ06年を振り返る時期になった。タイから帰国して間もない知り合いに「今年一番のニュースは何だ」と聞いたら「やっぱりタイのクーデターでしょう」と返答。なのでタイの今年を振り返る必要があるといきなり切羽詰まった。そういえば丹念に追ってなかったなあ。考えてみればクーデターが起きたんだからもっと気になっていてよかったはずなのに。

昨年からくすぶっていたタイのタクシン首相の長男など親族が通信会社株を2000億円以上の売却して利益を得たにもかかわらず税を逃れたとして反対勢力が首相辞任を要求する大集会を開くなど不穏な動きの機転をを制する形でタクシン首相が05年2月に与党タイ愛国党を率いて大勝利したばかりの下院(定数500人)を解散したのが2月。総選挙は4月上旬に行われたが野党有力3党が異例のボイコットをする姿勢を固めた。しかし当初タイ国民はボイコット戦術に極めて否定的で首相は選挙参加を呼びかけるなど余裕だった。
結果は与党が得票率57%を獲得して首相は続投を表明したが直後に退任すると覆した。プミポン国王(ラーマ9世)と会談した後の退任の弁だったので暗に国王の意向が働いたとみられる。
ところがこれで一件落着とはいかなかった。国王がさらに与党だけが占める国会のあり方を「民主主義ではない」と批判して裁判所を巻き込んで選挙のやり直しをするとかしないとかの大騒ぎとなった。それでも一応11月再選挙の運びとなったが、野党ボイコット選挙の結果、5月にも開かれるはずだった議会での首相指名を受けないという形での退任を想定していたタクシン首相は結果として議会自体が開催されないのを奇貨に居座る風となった。

そしてついに国軍によるクーデターが9月19日に起きた。憲法は停止され、内閣も国会も効力を失った。代わりに軍を中心とした「民主改革評議会」が全権を握ると主導したソンティ陸軍司令官が発表した。
22日には国王がソンティ司令官を「民主改革評議会」議長と正式に承認。10月1日には軍の最高司令官だった経歴を持つスラリット枢密院議員を首相に任命して「民政移管」をした。
首都バンコクでの世論調査で84%が「クーデターを支持する」と回答したとの報道があったようにクーデターは無血なのはもちろん笑顔でさえあった。国連総会出席のために渡米していたタクシン首相は留守を襲われた形にはなったが、それゆえに生命に危険は及ばなかった。
一見すると平和な政権交代にさえ映るが「民主的なクーデター」などあるはずもなく多くが支持したクーデター後の政権には批判の声もあがっている。

タクシン首相は警察官僚から携帯電話やコンピュータなどを扱うIT(情報通信)産業で成功したビジネスマンだった。01年に政権につくと経済の近代化を推し進め発展をなしとげ、トップダウンのスタイルは「タイのCEO(最高経営責任者)」と称された。
その一方で予算を貧しい地方に重点的に配分するなど社会民主主義的な政策も取った。反対派からはばらまき批判を浴びたが地方は強く首相を支持した。
トップダウン型ゆえに「将来的に王制を廃止して自らが大統領になる野望を抱いているといううわさ」がたったのかもしれない(06年9月20日毎日新聞東京夕刊)。だが根本的に誤ったのは親族の不透明な株取引である。IT長者という今日風の出自でありながら古風なネポティズム(身びいき主義)に陥って国民の反感を買ったのは皮肉であった。

一方で古風の極みである王政がネポティズムにはまった権力を、これまた古風なクーデターという手法を取って追い払った軍を権威付け、その目的が「民主改革」だというのも実に皮肉である。これをタイ式の知恵と呼ぶか限界とみなすか意見が分かれるところであるが、改めて国王の政治力を証明した出来事だった。

プミポン国王はこの年6月、即位60周年。6月からは世界中の王族や日本の天皇皇后両陛下も臨席した交流会が開かれた。クーデターの最中に市民や兵士にまで見られたTシャツやリボンの黄色は国王のシンボルカラーである。
プミポン国王の「凄さ」を内外に示した有名な事件は1992年のスチンダ陸軍最高司令官の首相就任に対する騒乱である。前年にスントーン最高司令官らが軍事クーデターを決行して民政のチャチャイ政権を転覆させておりスチンダ首相の就任は民主化を求める市民の大規模なデモに発展し軍と衝突した。軍はデモ隊に発砲して44人が死亡。
国王は双方の代表格を招いて和解を促した。王の前にひざまずいた軍と政治家は謹んで承り騒乱は一気に沈静化、4カ月後に総選挙が無事に行われて文民政府が誕生した。この場面は世界中のテレビで報じられたが、今回の一連の混乱の過程でも2度ほどタイのテレビ局が放送した。
だから06年のクーデターも国王が事実上容認していたとの観測が強い。強権に走る文民政治家を民主的でないとたしなめる国王と、その意をくんでクーデターで民主化の歯車を回そうとする国軍。やはりどこか変わっている。

確かに無血ではあった。用意も周到であったろう。ただ何か手順が一つでも違えばクーデターは流血の惨事を招く危険な手法であるのは疑いない。「さすがタイ式」と無邪気にたたえるのは安易であろう。(編集長)

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