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2006年12月10日 (日)

日曜ミニコミ誌! モツ煮を検証し、味わう。/『モツ煮狂い』

Motu  いよいよ寒くなってきた。朝、布団から出るのがツラい。よし、寒い季節には鍋だ、とのスーパー安直な思考から、久々に大学からの友人を集め板橋の我が家で寄せ鍋をした。
 久しぶりに会っても全然久しぶりじゃない感覚、という感じではなかったが、全員で同じ鍋を囲み、「もっと春菊入れたら」とか「オタマとって」とか「そろそろカキいく?」みたいなことを申し合わせつつ箸を進める状態は、どことなく共同作業に近いものがあり会話も徐々に熱を帯びていくのだった。
 同じ席でも1人で1人で別々の料理を食べるのとは違う感覚が鍋にはあるが、それは鍋だけに言えることでもない。居酒屋でいうモツも、それにあたるだろう。
 今回のミニコミは神保町・書肆アクセスで見つけた『モツ煮狂い』である。「東京『都市郊外』のフォークロアという意味深長なサブタイトルにもなにか引きつけられるものがあったが、ストレートすぎるタイトルのほうにやられました。奇しくも「今度はモツ煮でいく?」みたいな話も出ていたし。
 さて、『モツ煮狂い』だが、このミニコミを単なる「ちょっとグルメっぽい内容」だと勘違いしてもらっては困る(誰が困るのかはよく分からないが)。
 このミニコミの制作者であるクドウヒロミ氏(ホリエモンと同じ年で専門学校教員との自己紹介)が書いた、本書の導入にあたる「モツ煮の歴史と荷風が見た東京」にある1文が、このミニコミの性格を端的に表しているように思える。
「私は美食家でも食通でもなく、酒のうんちくを語りたいわけではありません。やきとんやモツ煮の旨い飲み屋というのは、これまで江戸からの下町情緒を残した生活感と雰囲気に結びつけられて語られることが多かったわけですが、私はむしろ『最暗黒の東京』でつかまえられた近代都市の周辺部の風景、都市論や郊外論との接続で理解したいのです。」(中略)「今日、ハイモダニティ下の東京に浮遊する人々が、荷風と同じ陰影に引き寄せられており、彼らのシンボリックな存在がモツなのだといえます。この陰影が、ちゃんと後世に伝えられていくのか、それともテーマパーク的に消費されて終わるのか。そのあたりもきちんと見届けなければと思っています」。
 引用が長くなってしまったが、つまり、著者は過去と現在の東京、それぞれのおいてのモツ煮の位置づけを検証しながら両者の存在を浮かび上がらせようとしている、という社会学的な試みをしようとしているのではないか。しかし、それとは別にモツ煮へのストレートな愛情も感じさせられる文も他に見られる。

 いろいろ書いてきたが、まあやはりメインはモツ煮屋の紹介である。「串煮込み伝統スタイル」「歴史的名店」「モツ煮バラエティ」、それぞれの章では写真付きで多くの店のウマそうなモツ煮が紹介されている。各店、駅からの道順まで詳細に説明されているのはサービス精神からだろうか。味や値段についての印象について、各店くわしく書いてあって、なかなか読み物としても面白い。
 これは東十条の「新潟屋」についての紹介。
「はじめて東十条駅に降りた人は、ここが京成立石に次ぐもつ焼きの宝庫だとは、とても思わないでしょう。かつて工場労働者が多く住んでいたこともあるのか、十条~赤羽~東十条の城北トライアングルには、味も雰囲気も最高の飲み屋が目移りするほど集中し、その日の一軒を選び出すのも一苦労です。」
 何をもって雰囲気が最高というのかは個人的趣味の領域だとは思うが、それにしてもこんな情感ある文章を久しぶりに読んだ気もするので、ふと、行ってみようかな、と思ったのだった。(宮崎)

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