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2006年11月10日 (金)

反グローバリゼーションをロシア料理で考える

 グローバリゼーションについて考えると、必ず思い出すのが2003年7月末に閉店した渋谷ロゴスキー本館だ。創業1951年。ロシア料理屋の老舗中の老舗として、この店は多くの人々から愛されてきた。そして、ここの最大の魅力はロシアらしさにあった、と私は感じている。

 店内には赤絨毯の敷かれたギシギシと音を鳴らす階段、古色蒼然とした内装、ランチ時などに出没するボーっと突っ立ち無愛想に注文を取る中年女性給仕、変わりばえのしない定番料理とその割に高い値段設定、どこか懐かしく安定した味。項目ごとに採点したなら、けっして高得点が付けられることはない。新しく、キレイで、おしゃれで、もの珍しい料理にあふれた最近はやりのレストランを基準にするなら、ダメな店にカテゴライズされるとも思う。

 でも、皮肉抜きで僕には素晴らしい店だった。
 東京ディズニーランドのように不自然なほどの笑顔で迎えるのがサービスの基本とも思っていないし、客が気恥ずかしくなるほどデザインに凝った店舗設計が食事場所に必要とも感じていない。一般的な意味での「良さ」がトータルの魅力を決めるわけではないのだ。店それぞれが独自の魅力を放っているところにこそ、文化的な深みがあると考えるのは、私だけだろうか。
 コストを削減するためにボーッと立ちつくすサービスをきり、より集客するために店内改装を施し、なんて“標準化”を行えば味もサービスもそこそこのレストランと区別がつかなくなってしまう。使い勝手のよい“標準的な”レストランを年5回使うとしたら、ロゴスキーを使うのは1回かもしれない。そうだとしても、なくなっては困る。競争原理の働かない、いかにもソ連といった感じのロゴスキーは、私にとって重要なアクセントだったから。
 
 系列店が渋谷に残っているので、本館の閉店が経済的な理由とは限らない。ただ、50年以上続いた個性的な店がなくなったことで、市場原理を錦の御旗に進むグローバリゼーションの平坦な世界を実感した。東京ディズニーランドの軽薄さに、たまに深いため息をついてしまう感じと、どこか似ている。

 同じ渋谷にある東急プラザ店は味や値段こそ変わらないものの、サービスや店の雰囲気がきっちりし過ぎており、本館が閉店してから系列店のロゴスキーに足を運ぶことはなかった。
 ところが1ヶ月ほど前、たまたま立ち寄った東急プラザ店の認識を改めることになった。いや、食事終盤まで「ロシアっぽさ」を感じることなく、ある意味順調に食事が進んでいたのだ。異変が起きたのはデザートが出てから。
 8時過ぎぐらいに入店したため、最後のデザートが運ばれてきたのは閉店時間の10分ほど前だった。これは、どの店でもよくあること。たいがいは食べ終わってから、サービスが会計をお願いしに来る。長話しないで退店してくださいよ、という意味を込めて。
  ところが東急プラザのロゴスキーは閉店時間の5分前に蛍の光を流しだしたのである。
  
  イヤーやられた! レストランでコースの最後に蛍の光を流されたのは初めてだった。もうデザートなんか食べた気にならない。だって、慌ててかきこむことになったから。
  
 それでも私はこの「攻撃」にすっごく満足した。ロシア的だな~と(ロシアに悪いかも……)。こんな店があってもいい。良いか悪いかは別にして、個性のある店が営業を続けているのは社会がどこか健全な証だと感じる。
 
 まあ、ウチの会社もかなり個性的だと言われてますが……。(大畑)

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