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2006年11月 7日 (火)

中東と北朝鮮の「歴史のイフ」

「歴史のイフ」はやってはならぬ代名詞である。よって今回書く内容は突っ込みどころ満載となる。「それができなかった(あるいは「できた」)のが歴史の必然だ」と反論されたらお仕舞いだとわかっていて述べる。一種のおとぎ話として聞いていただきたい。

1)パレスティナ分割決議が履行されていたら
1947年に国連総会が採択した。ユダヤ人がパレスティナの地の約57%を、残りをアラブ人(パレスティナ人)に分割してとキリスト教徒の思惑もあるエルサレムは国連の信託統治制度下に置くという内容だった。人口は34%程度のユダヤ人は57%を得られたので過激なシオニストを除いて大喜び。委任統治を捨てて逃げるように去っていったイギリスの代わりにイスラエルを建国した。
だがアラブ側は逆の論理で決議案では収まらず、イスラエル建国以前から小競り合いを続けて建国後に中東戦争となった。どう考えても多勢に無勢でイスラエルの敗色濃厚だったのだがパレスティナ人のことよりも「この際オレの領土を増やしてやれ」と不届きな動機を抱いたエジプトやヨルダンの動きもあって全アラブの足並みがそろわずにまさかの敗北。結局イスラエル領は8割にまで拡大してしまった。
今になって当時の分割案を見るとエルサレムの件はともかく約4割のアラブへの割当地域は現在のパレスティナ国家建設の候補地と相当に重なる。ユダヤ側が分割決議を飲んだ時点で鉾を収めていれば「平和と土地の交換」以前に交換そのものが必要なかったのである。

2)2000年7月にアラファトが限定主権委譲に合意していたら
キャンプデービッドで任期切れ間近のクリントン米国大統領はイスラエルのバラク首相と徹夜の協議を続け①領土の大半をパレスティナ側に返還する
②イスラエル・パレスティナともに首都とするエルサレムではパレスティナ居住区にある程度の「主権」を認める「限定主権委譲」を行う
を飲ませた。②はとくにエルサレムを「永遠に不可分の首都」とするイスラエルとしては思い切った妥協だったが、とくに東エルサレムの主権の完全委譲を求めてきたパレスティナ自治政府を率いるアラファト議長は最終的に「限定主権委譲」を拒否し会談は物別れに終わる。
あの時にアラファトは何を恐れたのだろうか。これも諸説紛々であるが本当に東エルサレム問題だけだったのか。

3)ヤルタの密約がなければ
1945年2月に主にアメリカ大統領F.ローズヴェルト主導で「ソヴィエト連邦が」「連合国側において日本国に対する戦争に参加することを協定した」。現在の北方領土問題の源流であるが、同時に北朝鮮問題にも当てはまる。
1941年に結ばれた日ソ中立条約の有効期限は1946年4月24日。日本の敗戦は45年8月だから、ヤルタの密約さえなければソ連は対日参戦できなかった。密約に基づき45年8月9日に参戦したソ連は旧満州国から朝鮮北部にまでなだれ込んだわけで、それがなければソ連主導の「朝鮮民主主義人民共和国」樹立もまたなかったといい得る。
ヤルタ密約に関するアメリカ大統領の動機には体調不良説も含めさまざまな憶測がある。またソ連の参戦がなければ結局は本土決戦にまで至って中立条約期限切れまで変に頑張ってソ連はやっぱり参戦したと予測できなくもない。しかしポツダム会談に参加しながら対日参戦まで宣言に加わらなかったことから察してソ連は中立条約の存在をかなり気にしていたのは事実である。

4)チョ晩植が朝鮮信託統治を受け入れていたら
日本から解放された後の45年12月、米英ソ外相会議で朝鮮半島は5年間、信託統治下に置くと決められた。カイロ宣言で米英中が「朝鮮ノ人民ノ奴隸状態ニ留意シ、軈テ朝鮮ヲ自由且獨立ノモノタラシムル」とし、ソ連が会談に加わったポツダム宣言で「カイロ宣言ノ条項ハ履行セラルヘク」とあり、そのポツダム宣言を受諾して日本は降伏したのだから朝鮮の民が「自由且獨立」の代わりに5年間の信託統治と聞いて怒ったのはわかる。
すでにソ連の占領下にあった朝鮮北部にはソ連と親密であった金日成が活動を活発化させていたが植民地支配時代の抗日自治組織のリーダーでキリスト教徒のチョ晩植の影響力も大きく、一種の連立政権状態だった。だがチョが信託統治反対(反託)を貫いてリーダーの地位を下りてしまってからは金日成体制が次第に強固となり、チョは朝鮮戦争の頃に殺害されたとみられる。
李承晩とて反託だったのだから当時の民族主義的朝鮮指導者が信託統治に納得できる余地は少なかった。だから歴史のイフらしくいかにも結果論的な話であるが日本もまた敗戦国だから当然としても5年余の占領を経て独立を回復したのを考え合わせるとチョの選択が違えば……との想像の誘惑が絶ちがたい。
解放後、民族主義者から左翼まで李もチョも金日成をを包含した「朝鮮人民共和国」を否定したのは南部から上陸したアメリカだった。もし「朝鮮人民共和国」を承認していたら敗戦後に朝鮮半島は統一国家になれたのか。それともアメリカが懸念したように結局は左傾化したのか。でもそれはヤルタの密約でソ連参戦を求めたアメリカの自業自得ではなかったか。(編集長)

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