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2006年11月

2006年11月30日 (木)

続 この際、綿貫先生をほめてやる!

郵政民営化に反対した離党した衆議院議員12人の自民党復党問題でスポットライトを浴びたのは平沼赳夫代議士で黒いスポットライトを浴びたのは、つまりまるで注目されなかったのが当ブログ一押しの綿貫民輔先生である。何だか平沼氏が信念の人みたいに扱われているが本物は綿貫先生だ。そこで前回(http://gekkankiroku.cocolog-nifty.com/edit/2005/08/post_49ce.html)に引き続きほめちぎることとする。
だいたいだ。民営化反対の牙城だった郵政事業懇話会の会長は綿貫先生で盛期には100人以上の国会議員が参加していたんだぞ。今回の復党劇はいわば小泉劇場のエピローグなわけだがカウンターパートには綿貫先生がいてしかるべきなのだ。

復党劇に関しては「情だ」か「情においてはしのびないが筋だ」で自民党内は割れたもようだが綿貫先生への扱いは「情ですらない」だった。それが衆議院議長まで務めた長老に対する態度か。自民党の「情」なぞしょせんはその程度である。
先生さぞかし寂しかろうと思いきや復党問題に関するコメントは「私にも我が党にも関係ないことだ」「(06年11月28日読売新聞)とあっぱれな潔さである。
そればかりではない。綿貫先生の公式ホームページには「小泉内閣総辞職にあたって」という素晴らしい一文があった。
「小泉政権が本日、幕を下ろしました。月並みですが、まずは小泉君に『お疲れさま』と申し上げたい。小泉君とは彼の初当選以来、非常に親しく、いわば弟分でした。しばしば一緒に外遊にも出かけました。彼が首相に選出されるとき、私は衆議院議長の職にありましたが、『純ちゃん、頑張れ』との思いを込め、『本院は小泉純一郎君を内閣総理大臣に指名する』と宣言したものです。その後も議長公邸などで酒を酌み交わしたりもしました。
しかし、友情とは別に……」
こ……これを涙なくして読めるかライオン!綿貫先生は自分の方から友情すなわち「情」を断ち切ったのだ。にもかかわらず刺客まで送り込んだ小泉首相の去り際に「お疲れさま」の言葉を贈る奥深さ。

政治部の記者には「最近の綿貫先生の記者会見は同じ内容ばかりで……」と軽く見る風潮があるが同じことを繰り返してこそ信念の政治家である。確かに先生はいまだ民営化の見直しを訴えている。
見る人は見ているもので今年5月21日に開催された全国特定郵便局長会の会合では来賓の先生の演説に万雷の拍手が鳴り響いた。まさに水たまりの中の錦鯉だ。結局は水たまりだろうよなどと皮肉を飛ばしてはならない。どこであろうと先生は錦鯉だ。

と感心していたら今日(29日)の朝日新聞に綿貫先生が政治資金で堂々1位の収入を得ているとわかった。バックにT社がついているからさと混ぜっ返してはならない。借入金もすごくある。借金までして同士とちょっぴり(と信じたい)自分のためにがんばったのだ。
朝日の記事によると「離党した自民党と新設した国民新党の政党支部や政治団体の両方に資金が集まった。それぞれに資金移動が確認されていないため、すべての団体の収入を加算」した結果という。なんたる不透明さ……いや違った……清濁併せのむ英雄のあり方をここにみる。
政治資金収支報告は確か記者でも閲覧はできるがコピー不可だったはずだ。今は違うのかな。まあいい。朝日は書き写した数字を綿貫事務所に確認しなかったのか。いやそんなはずはない。確認してもわからなかった結果の記事であろう。なんたる杜撰さ……また間違えた……大物は些事には見向きもしないのが常である。

綿貫先生はしばしば民主党の渡部恒三元衆議院副議長とキャラがかぶって損をしているという指摘がある。ちなみにそうした指摘をしているのは目下のところ私だけである。だが本当は綿貫先生の方が格上なのだ。副議長ではなく議長だったし、何たって公党の代表だ。
綿貫先生は戦い続ける。小沢一郎民主党代表におだてられて……今日は間違えてばかり……小沢代表と共闘して次期参議院議員選挙では国民新党から10人以上当選させると勢いは天を突かんばかりだ。10人立てるのではなく10人当選を目指しているのがすごすぎる。
どう勘定しても凡人の私には無理な算段だ。北陸と亀井ブラザーズの中国の比例区で5人ずつなのか(制度上不可能としかいえないはずだ)。ま、まさか1人区富山と広島の選挙区の2つも狙っているのか。不可能としか思えないが何しろ綿貫先生であるから深謀遠慮は凡人の及ぶところではない。

そしてキャスティングボードを握って日本の議会制民主主義を立て直すのだ。逝け逝け……まただ……行け行け綿貫先生。その双肩に民主主義の命運がかかっている。(編集長)

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2006年11月29日 (水)

格差社会を不動産で逆転だ~!

 関西の友人に家賃相場を聞いて驚いたことがある。京都駅から電車で30分ばかり田舎に引っ込めば、一軒家が4万円で借りられるという。小社の事務所のある千代田区では、4万円で駐車場すら借りられないのに!
 僕が30代前半だったときには「住宅ローンを組むなら、ここ数年で決断しないとダメだよ。定年までの年数を考えるとさ」と、大学時代の友人から真顔で言われたことがあった。退職金もままならない最近の賃金状況を考えるなら、数千万にもなる借金を早めに背負っておいた方がいいのだろう。まあ、僕の場合は「ここ数年で決断」したとしても、中小出版社の社員に金を貸すような銀行はないとも思ったが……。
 
 やはり東京近郊に住むとなると、給料に占める家賃や住宅ローンの割合が一気に跳ね上がる。といって会社は都心にあるのが普通だから、不動産相場の安い場所で住宅を探すと通勤が大変になる。月刊『記録』の著者の中には群馬県から千代田区に通い、通勤電車を利用して大量の書籍を読破している強者もいるが、通常は寝過ごしてしまうのがオチだろう。結局、時間を有効に使い、なおかつ経済的にも得するなら穴場物件を探すしかないのだ。
 実際、穴場物件を見つけられれば、月々相当な額のお金が浮く。東京で働いているなら、会社で働きながらこっそりアルバイトなんぞをするより、不動産にかかる料金を抑える方が効果的だ。

31807792  と、えらく枕が長くなってしまったが、穴場物件を探すなら『格差社会を逆転するライフプランニング』鳥海耕二 著 アストラ 定価840円)を読むしかない、という話である! 不動産会社社長が自らの経験に基づき、穴場物件を探すコツを徹底解説している。
 例えば幹線道路沿いの格安マンションでも騒音がほとんどなく、排ガスのススに困らないような物件があったりする。といって幹線道路沿いの物件を手当たりしだい見学しても、そうそう穴場物件が見つかるわけではない。ただし、いくつかのポイントを抑えれば状況は違ってくる。
 そのほか北向き建築でも自然光で明るい物件を探すポイントや、品川駅まで1時間圏内なのに50坪で8000万円以上得する方法など、さすがに不動産を仕事として扱ってきた人ならではの視点が全編に感じられる。指摘されればどれも納得のポイントだが、素人ではなかなか思いつかないだろう。

 というわけで、千代田区で高い家賃を頑張って払い続けている小社を応援するためにも本書をぜひ手に取ってみてください。お願いします。
 あっ、オチはないです。本気でお願いしているので……。(大畑)

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2006年11月28日 (火)

教育格差こそ「下流」が勝つメカニズム

①少ない子どもに集中的に投資する。個室を与え、塾に通わせ、「いい先生」がいる環境の整った私学に進ませる。

②多い子どもに最低限の投資しかしない。3人の兄弟姉妹は同室、塾に通わせるお金はなく、「デモシカ先生」ばかりの公立小中学校に放り込む。子の数が少なくてもカネがなくては結局同じ。「3人の兄弟姉妹は」が「3人家族が」に代わるだけ。1人の子どもでも最低限の投資しかできない

どちらがより高いリターンが期待できるのか。ふつうに考えれば前者のようだが、ある研究者と話したら後者の方がいいらしい。優秀な人材は生物学的には少産少死の少子型よりも多産多死の側に輩出が期待できるようだ。

史学でも身分制度よりも民主制の方が人材が育つとされる。志村けんで有名な「バカ殿」だが、身分制社会に生まれた「殿」の後継者は①である。跡継ぎ教育を幼少より徹底的に行っても、むしろそれがゆえに「バカ殿」が生じる。
もっとも身分社会でも文字通りの「バカ殿」は陰に陽に排除はされてきた。「陰に」は毒殺などで大名家の家系を調べていると時折奇妙な死者がみつかる。「陽に」は「主君押し込め」だ。「殿」は企業のオーナーの如き存在だから改易など食らえば藩士は路頭に迷う。そこで限られた条件下で「押し込め」は江戸時代になかば黙認されてきた。
しかしそれでも主君の血脈に他に代わる者がいなければ逆に改易となってしまう。あまりに範囲を広げると今度は御家騒動に発展する。よって身分制度の下での「バカ殿」出現は防げない。

身分制の弱点は下層にいくほど人口が多いという点に発する。優秀な人材はより多くのオーディション参加者から選ぶのが望ましい。しかし身分制は優秀な人材が就くべき重要な役割を世襲できる参加者は重要度が増すほど減少するという宿命を抱える。
この難問に取り組んだのが徳川吉宗だった。彼の将軍就任は初代家康が死んでちょうど100年後。家康が論功行賞で、いわば実力と親疎の関係で選んだ家柄も上記の過程が進んで「バカ殿」「バカ重職」が生産されつつあった。
そこで吉宗は足高制という人材抜擢手段を室鳩巣の進言を容れて断行する。能力ある者が身分不相応に高い役職に就く場合には在職中だけ禄高を相応に足すという手法だ。
しかしいかなる方法を用いても身分制を前提とする限りは限界がある。田沼意次の政策も「封建制のしきたりを一部崩す手法で封建制を守る」ものであったが論理矛盾が最終的な失敗を呼び込んだ。

そして今「勝ち組」「負け組」論争が盛んである。教育において親の経済力が出発点で違うと生まれながらにして格差を生むと。「生まれながら」ならば身分制も同じである。
そして「勝ち組」の多くは冒頭の①を選択し「負け組」は②を選ばざるを得ない。
ポイントはここにある。「だから……」と多くの識者がつなげる論法は「格差が固定して勝ち組の子が勝ち続け、負け組の子は負け続ける」である。だが生物学的にも史学的にも案外とそうはならないのだ。
資本主義経済下で「負け組」の方が「勝ち組」よりも圧倒的に多いのは必然である。彼ら彼女らの子は「勝ち組」ではあり得ないような粗末な設備と低レベルの教育と「いじめ」などさまざまな闘争に放り込まれる。「だから……」本当はその中から次の「勝ち組」は出てくるに違いない。何度か引いている言葉であるが薄田泣菫は「貧乏人は何でも知っている」と喝破した。
逆に「勝ち組」の親は案に相違して「バカ殿」を育ててしまう危険があると気づいていない。わが「負け組」仲間よ。そこに付け目がある。「勝ち組」がどんなに立派な校舎の私学に通わせても豪華な自宅の個室よりは劣る。「いい先生」がそろっていても所詮は教員だから子はより高い地位にある自分の両親より下に見る。もともと金持ちだから投資されている有り難みもわからない。①の選択はスキだらけなのだ。(編集長)

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2006年11月27日 (月)

ビーイング系アーティスト・その後

音楽プロデューサー・長門大幸が設立した音楽グループの総称をビーイング系、と言う。90年代から現在に至るまで音楽シーンにおいて大きな影響力を持つが、いつの間にかヒットチャートに姿を表すことがなくなったアーティストもいる。その後、いったい彼らはどうなった?

■T-BOLAN
 1987年にボーカルの森友嵐士とドラムの青木和義で前身のバンド「プリズナー」でビーイング主催のオーディションでグランプリ獲得。1991年にT-BOLANとしてデビューし、数々のヒット曲を飛ばす。セールス的にも絶頂期にあった95ごろから、森友の体調不良が原因とされる活動休止状態に。散発的にシングルをリリースするが、99年にとうとう解散。
 2001年からラジオ日本で『森友嵐士のアラシを呼ぶぜ!』という番組のパソナリティを現在に至るまで続けていて、05年にはプロデュース活動を始める。
 最近では今年の8月2日、ボクシングWBA世界ライトフライ級王座決定戦(亀田興毅vsファン・ランダエダ)で突如森友が国家斉唱の場面に現れ、『君が代』を歌っている。
 青木和義はDOGSTARというインディーズバンドで活動中。12月にもライブの予定アリとなかなかに精力的だ。

■WANDS
 1991年にデビュー。“中山美穂&WANDS”としてリリースされた『世界中の誰よりきっと』で知名度が急上昇し、以後、リリースする曲がことごとく大ヒット。95年あたりから音楽性がガラリと変わり、デジタル・ビート的なものからグランジ色の強いものに変わってゆく。こんなに急に音楽性が変化するものなのか、と当時思っていたが、96年にボーカル上杉昇と柴崎浩が脱退。3人のうち2人が脱退したにもかかわらずWANDSは活動を続けるが、2000年に解散している。上杉の後にボーカルとなった和久二郎が、先代の声質と余りにも似すぎていて、私のまわりでも「あんなことってあるのか?」と話題になった。
 脱退した上杉と柴崎はal.ni.coを結成、シングルを4枚、アルバムを1枚リリースするが、1回目のツアー後に解散。
 最近の上杉昇について調べてみると、かなり精力的に活動していることが分かった。WANDS時代の、どことなくストイックな感じの(そうでもない?)上杉をイメージしてからこのページに行ってみると結構驚く。少なくとも私は「おおっ!?」と身を乗り出してしまった。http://www.ongen.net/domestic/artist/feature/wesugi_show060125/index.php
 うーん、すごい。人は変わるものですね…。今年の12月にはカバーアルバムをリリース。WANDS、al.ni.coで自らが歌ってきた曲のほか、ニルヴァーナや中島みゆきもカバーする。なにやらスゴい組み合わせだ。

■BAAD
 92年に結成。3枚目のシングル『君が好きだと叫びたい』がアニメ版『スラムダンク』のテーマソングに使用される。(同アニメのテーマソングには代々ビーイング系のアーティストがタイアップされ、大黒摩季『あなただけ見つめてる』、WANDS『世界が終わるまでは…』など多くが大ヒット)。BAADの最大のヒット曲もこの曲だった。95年からビーインググループから移籍、99年に解散。ビーイング後から解散までの数年間では主にアニメのテーマソングなどを歌っている。まだオフィシャルホームページは残されていた。メンバー紹介のページで、大田紳一郎(ボーカル)の笑顔をバックに載せられた「イマ、新曲つくっています。待っていてください。」というコメントが99年から更新されておらず、なにかものすごく寂しい。だが、大田は解散後もZARDやB'zのサポートメンバーとして活躍、現在ガンガンCMで放送されている上木彩矢(ビーイング系のGIZA studio所属)のアルバムでは作曲も担当している。

■ZYYG
 ボーカルの高山征輝はビーイング主催のオーディションでビーイング入り。1993年にデビューし、パンクロック色の強い音楽作りを展開。99年に活動休止していたが、なぜか突然去年になりラストライブを行なうことが決定、今年の2月に解散している。

■相川七瀬
 95年、織田哲郎の作詞・作曲による『夢見る少女じゃいられない』でデビュー。以降、織田の曲提供で大ヒットを量産、ファーストアルバム『Red』は売り上げ270万枚を突破。パワフルな歌声と不良っぽいイメージで中高生層に絶大な人気を得る。
 歌手活動も続けているが、なんと現在カラーセラピストの養成機関「ORENDA」を設立し、講師としての活動も行なっている。相川七瀬は7年ほど前からカラーセラピストに本格的に興味を持ち、2004年には書籍も出版している。「ORENDA」ではイギリス発祥で発祥し、徐々に市民権を得つつあるというオーラソーマの体験もできる。(こんな文章を書いてるけど、オーラソーマというものについては今回ネットで調べて初めて知った。マイナーな世界だろうと思ってたけど78万件もヒットしてびっくり。)
 オフィシャルサイトでは10日に2、3回くらいのペースで日記風のメッセージを更新している。10月13日には「元コンビ」織田哲郎のライブに行った下りがあり、「織田さんの声にはいつも魂を揺さぶられてしまう」とのコメントも。(最近はアーティストのウェブサイト用日記も多く、織田哲郎も書いている。しかもけっこうフランクな文体。)
 これを書いてから気づいたのだが、織田哲郎が曲を提供しているが、相川七瀬の所属はエイベックス系のCuttingEdge。つまり、織田哲郎はビーイングだが、相川はエイベックスなのだった。

 ビーイング系のアーティストで、いつの間にか聞かなくなったアーティストは他にもいる。しかし、今でもテレビを見ていると、新しいアーティストでも「あ、ビーイング臭い!」(や、バカにしているわけではない)と直感的に思い、調べてみると実際にビーイング系だったというアーティストがどんどん現れているから、血の入れ替えのようなものなのか、とも思えてくる。
 40社以上とも言われているビーイング・グループ。日本の音楽シーンで大量の楽曲を放ってきたが、同時に大量に忘れ去られている、ということでもある。(宮崎)

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2006年11月26日 (日)

■月刊『記録』12月号発売!

『記録』12月号が発売。今月号のラインナップはこちら。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~astra/link/test12.html

■今月の特集は、「私は偽悪者・山崎晃嗣と堀江貴史と」

 戦後間もない頃、「人より数学を信用せよ」の信念で高利貸し会社・光クラブを爆発的に成長させた山崎晃嗣。彼の自伝的著作『私は偽悪者』が今年の4月に牧野出版から復刻された(オリジナルは1950年に青年書房から出版されている。編者は山崎の愛人・佐藤静子)。牧野版『私は偽悪者』では、オリジナルの内容に加え、ライブドア元社長・堀江貴文との比較・検証という新しい視点が盛り込まれている。なぜ、今になって山崎晃嗣なのか。「堀江貴史は本当に悪者なのだろうか?」と考える牧野出版代表・佐久間憲一さんに聞いた。

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2006年11月25日 (土)

『吉原 泡の園』 連載第3回目 職場の流れについて行けない!

■吉原のR店で働くことになり、「ソープ業界入り」を果たしたイッセイ。極悪人風の店長とマネージャーにビビりつつも、引っ越してきた寮に荷物を置き終えて、再び店長の元へと急いだ。

   *   *   *

「お前、汗だくでくせえな、フロ入って来い」
 まあソープとはフロ屋である。空いている部屋に案内された。一人で部屋の中で裸になり、鏡にうつる自分を見た。不安そうな男が一人、そこに立っている。シャワーを浴び、また店長の元へ戻る。2002年当時、僕はアゴ髭、ハナ髭を伸ばしていた。店長がギョロリと僕を見る。
「喧嘩ばかり…してたんか?」
 そう聞いてくる。僕の頭の中は、?でいっぱいになっていた。
「目の上に、キズがある」
 確かに僕の右目の上にはキズがある。でもそれは昔、ドラえもんの映画を見に行き、そこで転んで切ったキズだった。
「あ、いえ、これはですね、その…」
 ぐずぐずしている僕に。
「スーツはねえのか?」
「ハイ」
 答えると、店長はマイカーに僕を乗せた。日本車で、特別高級車ではない。ただ、運転に関してはソープ関係者はどういうわけかあらい。あらい=カッコイイ。とでも言わんばかりのあらさである。

 あっという間に、洋服のA山店に着く。
 スーツと靴を買ってもらう。店に戻ると、マネージャーが天にも届くような大声で、
「ハイ、お供一台!」
 明らかに、僕に向かってそう言ったのである。
 僕の頭の中は?でまた一杯になる。
「おいテメェ、どういう了見しとるんじゃい」
 やはり僕に向かっていっていた。いきなりお供と言われ、グズグズしている僕に。
「もういいわい」
 そう叫び、マネージャーは、両手でバシッとカウンターを叩くと、自分で店を出て、タクシーを停め、女性をそれに乗せた。
 お供をおおともと聞こえたので、おもわず。 
「タクシーのことをおおともというのですか」
 と聞くと。不機嫌にフンッと鼻を鳴らし、行ってしまった。
 入ったばかりだと言うのに、ボーイのイロハも知らないというのに…。洗礼を受けた感じだった。 
 早くも、うすうす気づき始めていたが、このR店、吉原ソープの中でも悪名店だったのである。
 ほっとしたのもつかの間で、電話が鳴る。マネージャーが出る。受話器を置くと、またもや大声で叫び出した。
「まもなく!」
何の事やらさっぱりだが、それもまた僕に向けて言っているのだった。(イッセイ遊児)

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2006年11月24日 (金)

『アカギ』リスペクト「総裁選麻雀・鷲巣邸編」

東3局

東 鷲巣純一郎     2万8000点

南 鈴木太郎      2万2000点

西 赤木晋三      3万1000点

北 安岡禎一(私)   1万9000点

――日本を支配する闇の帝王・鷲巣純一郎と麻雀をするために鷲巣邸を訪れた赤木・安岡・鈴木の3人は、1種4牌のうち3枚が透明のガラスで作られた「鷲巣麻雀牌」での闘いに挑む。首相を目指す赤木と院政への野望を抱く鷲巣。
 いま密かなる主導権争いが勃発する。
 麻雀ですら読者が制限されるのに、さらに『アカギ』(竹書房)を知らないと全く意味の分からない展開。すでに何をしたいのか書いてる当人すら怪しいが、とりあえず鷲巣の言葉を小泉に話させたかったのは間違いない……。――

「そう、わしの1票は赤木君に入れることを決めている。その意思を尊重することこそ、まさに天命。3枚が透明の雀牌だけに、意思の遂行は明確。ククク、わしに逆らわず赤木君を勝たせ、わしの点数もマイナスにしないしない気遣い。それこそ鷲巣邸での総裁指名麻雀の鉄則だっ…!」
 ライオンヘヤーをかき上げながら語った鷲巣は三索を切る。三色決め打ちの手筋だ。同時に上家の私に一索切りを促すサインでもあった。ガラス牌に透けて見える「二索・三索・一萬・二萬・三萬・一筒・三筒」の並びが、それを示している。
 確かに麻雀としての勝負など、ただの形式に違いない。しかし政治生命が危うくなるほどの負けが許されないのも事実。鷲巣と赤木にサービスをしながら、どこまでマイナスを抑えられるかが勝負となる。

「迷っている、そうだろう安岡君。ジュンチャン三色なら鳴いても3翻。そろそろ振り込むのもきつくなる点数だっ…。カカカ! 次回の総裁選も気になる。だから振り込みたくないし、わしの手を進ませたくない。だが、わしに逆らうのは怖い。その恐怖をわしは見たいのだ。
 障害者自立支援法やら、健康保険法改正やら法案を通すことに、国民の心の核、底の底、深部が凍り、本当に震えだした……! わしは、それが見たくて、その恐れ、恐怖を見たくて、見たくて見たくて…、もう何人も…弱者を殺してしまったよ……!」
 鷲巣の声を聞きながら鈴木は四萬を切る。鷲巣に振り込めるよう、中張牌 (チュウチャンパイ)から切る作戦のようだ。
 続く赤木は黙って一筒切り。
 私が手に掛けたのは一索だ。牌の集まりが悪い中、一二三索が揃う1メンツから切り出すのはツライ。しかし牌を持ち上げようとした途端、赤木が声を発した。
「死ねば楽になるのに…。安岡さん、気配が死んでいるぜ。背中に勝とうという強さがない。ただ助かろうとしている。博打で負けの込んだ人間が最後に陥る思考回路。あんたはただ怯えている」

 そうか。デキレースとはいえ、勝負は勝負。私の頭で何かがはじけた。
「消費税は10%にすべきだー」という雄叫びとともに、浮いている八萬を切り捨てていた。
「ククク、ククク、殺せということだな……! 天が刑の執行を命じた! 目障りなのさ神から見たらおまえは!」
 笑いながら私を睨み鷲巣は二索を切る。
その牌に反応したのは赤木だった。

「ロン。マンガン」

ざわざわざわ…

「気持ちが押されているから軽々に勝ちに走るっ! 反抗されたことのない者の焦りだな。
 勝ちを急がなきゃ三色で勝てた。ほんの2~3巡我慢すれば勝てたのに、何を恐れているんだか、意外に臆病だな鷲巣純一郎」
 鷲巣の顔が怒りに震えた。
「同じ死ぬのなら勝ちへの道を走り死のうとしたっ。脱走を企てる者が9割9分無理と知りつつバカな脱出に賭けるように、奇跡を信じてみたかったか……!? しかし現実は往々にして無惨……! その結果を自分で味わってみるがいい」

――赤木晋三からの思わぬ反撃に激高する鷲巣。ここから赤木の猛烈な攻撃が展開するはずだが、元来チキンの安倍晋三に赤木のセリフを当てはめるのは不可能。
 結局、麻生太郎に至っては何もしゃべらないまま、『アカギ』リスペクト「総裁選麻雀・鷲巣邸編」は幕を閉じるのであった――

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2006年11月23日 (木)

ネットワーク・ビジネスって切ないッス

①「久しぶりに会いたいねー」と異性が電話を掛けてきた
②相手がサプリメントでダイエットに成功したと自慢した
③「ところで大畑さんの夢って何?」と聞いてきた

 この3点が揃った時点で気づくべきでしょう。怪しいって……。
 ところが僕ときたら、①に「おー、半年ぶりだねー! 元気だった? 飯でも食おう」と大喜びで食事に誘ったうえ、②に「ありゃー、キレイになったねー」と相手を誉めあげ、③には「夢ねー、ひたすらおいしいモノが食べたい」などと真顔で答えてしまった。
 ちなみに③の会話は以下のように続いた。

相手「ふーん、食べ物か。素敵な家とか車は欲しくないの?」
大畑「会社に泊まることも多いし、家なんてほとんどいないからどうでもいい。運転は嫌いだから運転手付きならいいけどね」
相手「ほかに実現したい事とかは?」
大畑「あっ、原稿早く書きたい。すっごく遅くていっこうに仕事終わらないから(笑)」

 半年ぶりに会うヤツが、いきなり夢なんて聞かんでしょ。そんなことを気づかず、彼女の「想定マニュアル」にすら書いてないであろうオバカな返答の連発してしまった。質問してきた方も困っていたと思う、たぶん……。
 おかげで、彼女はいきなり勧誘モードに豹変することになった。「権利ビジネスって知ってる?」だって。はい、マルチでした。本来なら「そんな夢を実現したいなら、お金も必要でしょ。権利ビジネスなら自分の好きな時間に仕事して、驚くほど稼げますよ」とか勧誘できたろうに。
 まあ、話がスムーズに進んだところで、マルチはマルチなわけだが。

 それから2時間にわたり目をキラキラさせながら彼女は熱弁をふるった。いかに某企業の「ビジネス」が素晴らしいかについて。
 過去3度ネットワークビジネスに誘われたことがあるが、気になったのが勧誘者の目の輝きだ。ただ、売りたいというのとも違う、盲信ともいえる商品とビジネスへの信頼。疑い深いとか、うさんくさいなどと友人から言われ続けている僕だけに、彼らの姿を羨ましく感じたりもした。一生懸命だし、楽しそうだなっと。
 実際、楽しいらしい。他人に商品を紹介しないのに、ネットワークビジネスの会合に参加し続けている知人も知っている。仲間と話すのが楽しみだそうだ。参加費が必要な友達との会合ってのも寂しいとは思うが。

Photo 『わたし、だまされました。――告発!ネットワークビジネス――』(坂口優美 ランダムハウス講談社)は、実際にネットワークビジネスに手を染めた作者の体験談を描いたマンガである。勧誘の細かな手口が描かれており、主人公がのめり込んでいく様子が違和感なく伝わってくる。

 市民福祉会館の給与明細を見ながら主人公はつぶやく。「11万…」そのコマの下には「その紙は私に『情けないぞ』と言っているようなものだった」との説明がついていた。
 主人公の女性は大儲けをしたかったわけではない。目標は月収20万円だったのだから。このマンガに描かれる他の登場人物も、それほど目標金額が高いわけではない。いわゆる「勝ち組」からみたら笑ってしまうような金額を目標に掲げ、友人を切り売りしていく。その姿が切ない。

 以前、税金が中央官僚の懐に大量にキックバックされるシステムの構築を依頼された、とシンクタンクに勤める知人が教えてくれた。大金を稼ぐ方法が無数にある者もいれば、友しか売るモノがない者たちもいる。それが日本の現実でもある。

 過去3度、僕はネットワークビジネスの危険性を友人に説いてきた。でも、誰も説得できなかった。論破こそできても、彼らが見た「希望」を超える何がしかを僕はいっさい語ることができなかったから。
 そんな苦みを、このマンガを読んで思い出した。(大畑)

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2006年11月22日 (水)

みっともなく生きる意義こそ伝えるべきだ

いじめ自殺について「死ぬな」キャンペーンが続いている。無論やらぬよりはずっといい。児童生徒が自ら犯した罪への償いではない理由で自殺に追い込まれる状況は根元悪だから。ただどうしても「生きてこそ」「生きていれば」という話になってしまうのだけが気にかかる。「生きてこそ」などと大人はいえるのか。
少なくとも私は恐くていえない。ハッキリ申して「生きていてよかった」と感じた瞬間など一度もない。逆に「生まれてなかったらなあ」とぼやくたくなる事態は星の数ほど降ってくる。
以前の記事に対するコメントで大人社会のいじめ問題が指摘されていた。私もそれを書こうとしたがやめた。理由は「大人社会にもいじめがある」ではなく「大人社会はいじめでできている」からだ。その実例をズラッと並べろと要求されたら本1冊分ぐらい示せる。
生きていてもいいことなどない。少なくとも滅多にない。それでもやむを得ず死ぬまで生きるのが生きるということだ……としか私は言葉を持たないのだ。

ふとホームレスの取材を思い出した。彼らこそ「いじめ自殺する子ども達」の対極である。「それでも死なない大人達」だ。彼らの多くに比べれば死を選ぶ子の「キモい」「くさい」「ウザい」「ヤバイ」などかわいいものだ。むしろこの4要素を積極的?に取り入れて細々と、しかし脈々としぶとく「生」を歩むのがホームレスだ。
彼らの話は滅法面白い。もちろん内容は敗北の物語だ。そこに至った理由も死んでしまったいじめられっ子の理不尽さに比してたいていは合理的である。転落のお決まりパターンであるギャンブル、酒、借金、失業、倒産、長続きしないなど皆自己責任。だがそれらの経緯がドラマチックなんだよね。多分いくらかは、人によっては大半がネタであろう。としてもネタにするメンタリティーそのものがすごい。

「何度も死のうと思った」も飽きるほど聞いた。でも死なないんだな。ある人は自殺を決意して地下道を歩いていた。すると反対方向に佇んでいたホームレスがなぜか「おいでおいで」の仕草をした。それでついフラフラと……とホームレスになったきっかけを話した。
本当かよ。「おいでおいで」は普通死に神がするんじゃないのと突っ込みたいところだが本人談だから否定のしようもあるまい。
そんなホームレスから人生に失敗しても生きている姿というのは学べないか。よけいに自殺したくなってしまうかなあヤッパリ。

先代のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世のこともホームレスから連想した。ごめんねキリスト教徒。でも理由は結構深遠だから投げ出さずに続きを読んでください。
晩年のヨハネ・パウロ2世は信者ではない私には老醜としか見えなかった。持病が悪化してしゃべりはもちろん、歩くことも支障をきたし、居眠りと映る光景もあった。それなのに若かりし頃と同じように世界中を訪問し続け老残の身をさらし続けた。正直いってそこまでしてしがみつきたいか、そんなに目立ちたいかとさえ疑った。
しかし世を去った今改めて考え直すに、あれは老醜をあえて見せるのが目的だったのではないかとの気がしてきた。カトリックの頂点に立つローマ教皇でさえこんなに醜く老いさらばえるのだと。そして、それでも生きるのだと。

考えてみれば初代教皇であるペテロも聖書に出てくるキャラは相当みっともない。「マルコによる福音書」を読んでいると「おいおい大丈夫か」と必要のない心配さえしたくなる。なぜイエスが12使徒の筆頭としたのかわからん。
もっとも聖書に出てくるイエスはペテロなど足元にも及ばないメチャクチャ振りである。キャラ立ちすぎ。聖書以外に出てくる人物が皆々猛烈にキャラが立っている作品はシェークスピアとドストエフスキーぐらいしか書けないのではなかろうか。

いずれにせよ。醜くとも、よいことが何も期待できなくても生きているという姿こそ本来子どもに知ってもらうという手段は危険もともなうが決して逆張りではなくむしろ正論ではないかという考察がもっとあっていい。(編集長)

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2006年11月21日 (火)

パチンコ・パチスロ業にたばこ並みの重税を課せ

たばこ→サラ金→パチンコ・パチスロ

大量にテレビCMを流している職種の変遷である。この記事は広告代理店の時間表などの資料を見ながら書いているのだが劇的にそうなっている。
この3種では個人的にはもっともまともと信じるたばこは今や人類の敵のような扱いを受けてCMなぞ打つはまかりならん状態である。
サラ金は例のグレーゾーン問題でバッシングされて最近は説教調に変わった。「十分な計画と正しい知識を」なんてね。アンタ方にそんな説教をされたくはないよ。第一、本当に借り手が「十分な計画と正しい知識を」持ったら誰もアンタから借りなくなる。

ちなみにサラ金の逆を行くのが生損保のCMで美しいイメージを作り上げて「人生のパートナー」の如くに振る舞う。本当にそうならば文句ないが払うべきに払わない実態が明らかになっているのに反省の色がないのはなぜだ。カネを預かっておいて払わないのだから詐欺に近い。
昼間に流れる80歳まで入れる保険の類はイメージ広告とは一転してスーパー特売のチラシみたい。でも実態は特約やら免責やらを張りめぐらして払うリスクのあるうちは免責でそれをくぐり抜けられる程度に健康な人ならば大丈夫といったところまでを「保証」するあざとさである。

ただねえ。サラ金に関してはきれいごともいっていられない。零細企業主はしばしば重宝しているからグレーゾーン金利を廃止して貸し渋られたら突然死が続出しよう。何しろ銀行は杓子定規にバランスシートを見るしか能がない。零細企業はしばしば自身の持ち出しを長期借入金に計上しているが返ってくるとは思っていない。だから融資のリスクにはならないのに銀行は「それはわかっていますが財務諸表上の辻褄が……」で傘をさしてはくれないわけだ。

とはいえ一般論としてサラ金のあくどさは明らかなのでCMなぞもってのほかとなるのは仕方がない。そこで困るのが民放地上波である。恥も外聞も捨ててパチンコ・パチスロにすがり始めた。毒(たばこ)も高利貸し(サラ金)もダメならばギャンブル(パチ)で手前のバカ番組の製作と異様に高い給料を捻出しようとたくらむわけだ。

それにしてもパチンコ・パチスロ産業の規模30兆円とはいつ聞いてもため息が出る。出版界の市場規模は3兆弱なんだよ。読書の10倍を国民はパチンコ・パチスロにつぎ込んでいる。ダメになるのもよくわかる。
いったいにラスベガスでは許されていて日本では禁止のギャンブル諸種の方がパチンコ・パチスロよりよほど知性的だ。特にパチンコ。日本固有の遊技。賭け麻雀やバカラの方がよっぽど頭を使うのに見つかったら逮捕されてしまう。パチンコは身もふたもない暇つぶしに過ぎないのになぜか合法だ。換金できないからなどとの建て前を信じている人は日本中一人もいないのに。
身もふたもない暇つぶしが30兆円もの売上を計上するということは身もふたもなく暇な人が国中にあふれかえっている何よりの証拠である。格差社会やワーキングプアはどこに行ったのか。暇人の遊民という感じでもない。暇を暇な遊技でつぶしているだけだ。
ある地でおいしいお店を見つけて久しぶりに当地に寄った際に再訪すると店が入っていたビルが丸ごと一棟パチンコ・パチスロになっているという経験を最近何度かした。
猛烈な大音声のなかで黙々とくだらなさの極みみたいなゲームに真剣な顔をして打ち込んでいる大人の群れをみると殺意さえわいてくる。少なくとも頭をかち割って脳細胞の並び方を確認したくなる。

あれだけテレビCMが打てるということは、それだけもうかっていると同義だ。言い換えればその分だけ客は損をしているのである。そんな簡単なシステムさえ気づかぬどころかCMにインスパイアー?されて喜々として新機種にかぶりついていくのだからどうかしている。
「美しい国」どころか救いなくアホな国だと満天下に証明するパチンコ・パチスロCMが今日もマスメディアで堂々と流され、街中にジャンジャラジャラジャラの騒音があふれ、しかも増加中。客は真剣そのものでソクラテスやハムレットでさえそこまではというほどの深刻な表情を時に浮かべている。

たばこは重税を課した。サラ金のグレーゾーンは撤廃する。ならばパチンコ・パチスロにもたばこ並みの重税を課すがいい。法人税減税だ消費税増税だプライマリーバランスは何とかだといっている経団連・財務省・政府税調よ。あなた方の誰もが困らないデカイ財源がここにある。やっちまえ!(編集長)

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2006年11月20日 (月)

ビーイング系のアーティストたちはその後どうなった?

 私は1980年生まれだ。90年代に中・高生時代を送った世代が聞いていた音楽(ここではヒット・チャートに上るような流行音楽)を現代に向けてたどっていくと、膨大な数のアーティストやヒット曲を結びつける、いくつかの巨大なグループが存在したことが改めて分かる。
 90年代前半から後半にかけては「ビーイング系」がオリコン・チャートの上位にランクインしない週はなかった。90年代半ばから後半にかけては「小室ファミリー」。後半から2000年以降にかけてはつんく率いる「ハロプロ系」、2000年以降は「和製R&B」と「和製ヒップホップ」。そしてここ数年は「ジャニーズ系」の売り上げ的な台頭が目覚しい。

 今回は、現在はほとんど見ることも耳にすることもなくなった、当時の「ビーイング系」の人たちはどうなったのか、という謎(?)に迫った。ビーイング系全盛のころに流行音楽ファンだった人たち数人に聞いても、「あれ、そういえば○○もいつの間にか見なくなったよねー」というアーティストは多い。街のレコード屋では彼らのやけにせっぱつまった歌が聞こえない日はなかった、それにも関わらずだ。
 そもそも「ビーイング系」とは何か。
 ビーイング系の創始者は、長戸大幸である。70年代に作曲家の阿久悠の事務所で作曲活動をしていた長戸は、78年に音楽制作会社「ビーイング」を設立。当時若手だった、今では言わずと知れた織田哲郎を擁し、80年代にはアイドルの曲や歌謡曲をプロデュース。
 86年には織田哲郎作曲でTUBEの『シーズン・イン・ザ・サン』が大ヒット。90年に、近藤房之助らが参加するビーイングの企画バンドB.B.クイーンズがちびまるこちゃんの主題歌『おどるポンポコリン』を発表(作詞・さくらももこ、作曲・織田哲郎)、190万枚のメガヒットを飛ばした。
 ビーイング系、とはビーイングを母体とする多くのレコード会社に所属するアーティストの総称を指す。
 B’zをはじめT-BOLAN、WANDS、ZARD、大黒摩季、DEEN、FIERD OF VIEW、ZYYG、BAAD、相川七瀬、小松未歩など挙げ始めればキリがない。B’zは未だにバリバリだが、ZYYGのように5年ぶりに名前を聞いた!というバンドも多い。さて、彼ら(ビーイング系)は全盛期後、どうなったのか。次週に続く。(宮崎)

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2006年11月19日 (日)

日曜ミニコミ誌! サントリー発・バーテンダー着!/『WHISKY VOICE』

Whi  今のところ、この稿を書いている私にはほとんど縁のない存在である。
「若いうちはその良さが分からないもの」であると言う人がいる。「気の置けない仲間と楽しくやるもの」と言う人がいれば、「自宅でひとり、じっくり嗜むもの」と言う人もいる。
 今回は、そんなウィスキーに関しての小冊子である。『WHISKY VOICE』はサントリーが全国のバーテンダーに向けて、商品の情報を共有し、ウィスキー・シーンを盛り上げるために発行している。つまり、一般の人に向けて作られているわけではない。基本的に販売しておらず、ごく限られた書店でだけ手に入れることができる。ただ、バーのカウンターなどに行けば、積まれているものを手にすることはできるらしい。
 サントリーの商品を扱っているバーにだけ送る、というわけではなく、メンバーに登録すればどのバーでも置くことが出来るという。

 シブい表紙である。版画の人物は大阪北新地のバー「樽」の、この道50年の超ベテラン、つまり実在するバーテンダーである。表紙はこの通りクラシックな感じだが、『WHISKY VOICE』の内容も味がある。バーテンダーへのインタビューものが多く、そこでは彼らの知られざる声などが紹介されている。
 大阪北新地「バー・ディサイド」のバーテンダー、戸田考司さんの談話をちょっと紹介。
 ある30代のお客がシングルモルトを飲んでいる。お客は、グラスに残したまま席を立って行く。それを見た50代のお客が、「残しやがって、もったいない!」と一言。そんな場面を見た戸田さんは、
「今、20代、30代のお客様は、ウィスキーを選ぶにも、その選択肢は昔に比べればはるかに広がっています。お酒は文化。他国の文化を消費、吸収するにはいろいろなものを知った方がいい」と言いつつも、「ただそこで何かを失ってしまうのは寂しいな……」と本心を漏らしている。
 うーむ、やっぱりバーテンダーとしてはサーブしたお酒を残されるのは気になるところなんだな…。

 小冊子といえども巨大企業が発行するものだから、「なんだかんだ言って販促につなげるためのPR誌的な要素が強いんだろ?」と思われるかもしれない。
 私もそう思っていた。しかし、終わりに近いページの「バーテンダーの広場」というコーナーを読んで、そうでもないことに気付いた。
 このコーナーは、『WHISKY VOICE』のアンケートに答えてくれたバーテンダーの意見を掲載しているものだが、その意見があまりにもストレートな形を保ったまま載せられているので(しかもバーテンダーの店と名前付き!)、編集人の妙な潔さを感じてしまった(実際に編集している段階では、編集人たちはけっこうヒヤヒヤしているそうだが)。
 私が手にしている最新号のお題は「サントリーのここが嫌い、ここが好き」である。
 回答をいくつか紹介。

「当然かもしれませんが、自社製品しか飲まない」。(前文ではなく抜粋)
「言葉も態度も丁寧なのですが、何故か雰囲気が鼻持ちならない傲慢性を漂わせていたのです」。(同じく抜粋)
「やっぱりサントリーだな、と思わせてくれる新しい文化創造的なものが減ってきたように思う」。(抜粋)
「こりすぎなCM」。(抜粋)
「他社同様、発泡酒に一生懸命ですね。本物をもっと売り出して欲しい」。(抜粋)

 ここで並べたのは、多少の愛を匂わせながらもサントリーに批判的な意見ばかりだが、実際に批判的な意見ばかりが並んでいた。しかし、お客に出す商品にもっといいものを出したい!というバーテンダーの心意気と、彼らとサントリーの関係を垣間見るようでとても興味深い。
 ここ最近、ウィスキーの売り上げ自体は低迷しているそうだ。10年前に比べると、売り上げは3割~4割に落ち込んでいるという。先のバーテンダーのひとりが呟いていたように、空前の発泡酒ブームのせいなのだろうか。
 ただ、その一方で、シングル・モルトなど個性的なウィスキーが評価を高めているという。モルトとグレーン(トウモロコシなどの穀物が原料)を混ぜ合わせたブレンデッドよりも、麦のみを原料とし、ひとつの蒸留所で作られたモルトは、蒸留所の個性がそのまま反映される。それが「ウィスキーの原酒」として受け入れられている。
 例えばCMでお馴染みの「山崎」は大阪府の三島郡にある工場でのみ作られている。水が抜群にいいらしい。

 ウィスキーメーカーによるバーテンダーのための冊子なのだが、一般の人、それもウィスキー・ファンなら文句なく楽しめる1冊。下記の書店には置いてあるそうです。(宮崎)

(* 書肆アクセス、ユトレヒト(渋谷区)、ジュンク堂書店(池袋・新宿)) 
(■ B6 56P 季刊 本体500円+税 サントリー株式会社・洋酒事業部)

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2006年11月18日 (土)

『吉原 泡の園』 連載第2回 マネージャー&店長との対峙

 その日は朝から雨が降りそうだった。早く荷物を車に移そう。ソープで働くため、吉原に向かう準備をしていた。レンタカーを借りてきて西船橋のアパートの軒下に停め、荷物を載せていた。
 汗びっしょりで荷物を運ぶ僕を見て。
「何、引っ越しかい」
そう聞いてくる隣人に笑顔で答えた。
「はい。そうです」
「住所は?」
「後で教えます」
「そうか」
 嘘いっちゃって、ゴメンなさい。僕はそう呟いた。
 荷物を車に移動した。荷物が外に剥き出しの平ボディなので、ホロをかぶせた。
 車のエンジンをかけ、いざ台東区千束に。ポツリポツリとフロントガラスに雨がぶつかる。今の自分の気持ちそのものだった。昔の恩師の顔が浮かんでは消える。友達はとうになくしていた。
「あー、とうとう来る所まできたな」
 千葉県から東京都に入った。風景がモノクロに見える。人々の表情も、はっきりしない。もう涙も出ない。覚悟は出来ている。
 吉原のメーンストリート。
 ここに僕の働くことになったR店はあった。1tの平ボディ車に、TV、カバン、服、炊飯器、その他家財道具を満載した車で、マネージャーにあいさつに来たのだ。マネジャーの目が、点になっていた。
「こんな荷物あるのか、寮に入らねえぞ」
 僕は殴られるのではと、ビクビクしていた。するとそこに、マネージャーをさらにパワーアップしたような極悪人風の大男がきた。
「どうしたんや?」
 マネージャーがピクッとする。
「ああ、店長。こいつが荷物ぎょうさん持って来まして」
 僕は、今この時が、幻であってほしいと思った。パンチパーマの2人に詰め寄られ、緊張で汗がポタポタとまらない。
「平気や、グズグズせんと、荷物入れて、はよ店の方へ戻って来いや」
見物していたR店のボーイが。
「ゴメンね、仕事中だから、引っ越し手伝ってやれなくて」
 ニッコリ笑ってそんな一言をかけてくれる先輩ボーイがいた。
「いいえ」
 少しホッとし、僕は一時間ほどかけて、荷物を寮に入れ終えた。寮は、店の裏手にあり、徒歩30秒程の所にある。急な階段をのぼり三階部分。洗濯機、風呂、トイレ共同で、フローリングの床の部屋に、二段ベッドが置かれ、エアコンもある。
 無一文の男が、ゼロから始めるのだ。まあ文句も言えないと思った。
 引っ越しが終わり、汗だくで店に行くと、店長がどっしり構えて待っていた。(イッセイ遊児)

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2006年11月17日 (金)

女だけの郵政復党麻雀 

南2局

東 片山さつき     2万6000点
南 小池百合子     4万2000点
西 野田聖子【私】   2万 800点
北 佐藤ゆかり     1万1200点

「ロン、タンピンドラ1の3900点。あっ、ゆかりさんは割れていらっしゃるから7800点ですよね」
 ざまあみろ! 佐藤ゆかりのヤツ、目を白黒してやがる。むかつくからわざと丁寧な口調で言ってやった。
「そのようですね。せっかく晋三さんにちなんで、三萬を暗刻にしてテンパッていたのに」
 懲りない女だ。まだボンボンの機嫌を取ることで自分の政治生命がつながると思っているらしい。
「そういえばゆかりさんは安倍総理応援隊でしたっけ? ハコ寸前だけに“再チャレンジ”が身に染みるころなのかしら(笑) あっ? もしかして待ちはまた両面だった? 二股かけないと待てないのは議員前からって噂ですものね」
 ふふふ、睨んでる。睨んでる。
「怒った表情も可愛い」とかバカな男性議員は言うかもしれないけれど、戦後最年少で入閣した私には通じないわよ。

 とにかく東一局の佐藤の振るまいだけは絶対に許せない。あれがなければ、いまごろダントツのトップ。小池なんかの後背を仰いでなんかいなかったはずだから。
 あのとき「郵政民営化論について」とわたしが言った途端、佐藤が牌を倒した。そのうえヌケヌケと「ロンって言いませんでした?」とかぬかしやがった。
「ほら、ちょうど英語表現について話していたときだったじゃない。だから、いきなり野田さんが『You say mini eight』なんて言ったのも、なんとなく聞き流しちゃったんです。変な言葉だとは思ったのですが。そうしたら『ロン』って。思わず自分の牌をあけちゃいました。これって野田さんの罰符じゃないですか? カラロンなんだから」
 この無茶苦茶な話に片山も小池も乗っかって『罰符よね~』とか騒ぎ出した。そのうえ私の山が割れているのを見て、佐藤が「罰符もワレメですよね」とか主張したのだ。おかげで出親だった私は2万4千点を東1局で失うことになった。
 
「ツモ、ヤクマン!」
 小池百合子のはしゃいだ声で、苦い思い出から引き戻された。
「一萬ツモで南北戦争よ」
「何、その役?」
 前例のない事柄に敏感な元財務省のお役人である片山さつきが噛みついた。
「あら、知らない? 米国ではすごく当たり前の役よ。学生時代、よくつくったもんよ」
 我慢できなくなり、私も口を出す。
「たしか小池さんが留学していたのは、米国じゃなくて中東でしたよね。そんなところで南北戦争?」
「あら? 間違ええちゃったかしら。首相補佐官として米国に行ったりしている回数が多いので、ごっちゃになったかもしれないわ。で、支払いをお願いします」
「そんな地方ルールのヤクマンが認められるわけないでしょ。逆に罰符でしょ!」
 女性で最も首相に近いと言われていたこともあるだけに、役職を自慢されてカッときてしまった。そんな私を小池は同情を込めた目で見つめた。
「あらそう。さすがに罰符は筋が違うと思うけれど、嫌ならなかったことにしましょうか? 別に復党麻雀なんて、私勝っても負けてもいいんですから」
「弁当作ったり、色仕掛けでキャリアを重ねてきた人に大きな顔はされたくないわ!」
 怒りに震えて横から声を出してきのたは片山さつきだ。女性政治家として自分こそ大臣になるべき人材だと思い込んでいるだけに、小池の言動が気にくわなかったのだろう。
「じゃあ、小池さんは上がり放棄でいいでしょ! とにかく捨てて下さい。私は真剣なんだから!」
 今度は佐藤ゆかりが怒鳴った。
 彼女はハコテンまで、3000ちょい。3900点直撃なら、この麻雀が終わる。

 追い込んでやる。この麻雀なら私が「刺客」だわ。隣の卓の沖縄選挙卓が終わる頃には、私が彼女に直撃してやるから!
 自然と口元がゆるみ、ニヤリと笑ってしまった。もろ引っかけで三萬あたりで待っていたら面白いだろうな~、へへへ。(大畑)

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2006年11月16日 (木)

スポーツの取材は怖ろしい

「情報は情報源にある。情報源に肉薄せよ」
取材の基本である

ところがスポーツは知らない人は知らないもので取材者でも変わらない。ゆえに時折驚くべき事態に遭遇する。

それはラグビーの試合だった。取材者が必死に観戦していたその時、信じられない光景を目の当たりにした。なんと仲間の1人がインゴールに侵入してカメラを構えていたのである。ゴールラインの端にある旗からやや奥のあたりである。
インゴールとはゴールポストが中心に立っているゴールラインの後ろに広がるエリアで、そこに正しくつけるとトライとなるゾーンである。立ち入った取材者はゴールポストとクロスバーがどうやらサッカーのゴールのような存在と勘違い……いや無知ゆえにそう思い込んでいたらしい。
だがラグビーではインゴールこそ決定的な得点地だ。まして旗付近はトライが取れるかどうかギリギリの攻防が演じられる地域である。たしかに「情報源に肉薄」はしているが肉薄しすぎである。怒濤の如く突進してくる選手にカメラは迷いなく向けられていた。

それは野球の試合だった。バックネット裏に位置取った取材者は左右に1塁側と3塁側のベンチをのぞくことができる。次の瞬間、我々は想像だにできぬイケナイ構図を見てしまった。何と取材者の1人が「ベンチ入り」していたのだ。いうまでもなく試合中に、である。
この取材者もルールをよく知らないまま「情報源に肉薄」したわけだが監督はじめ選手も事態が掌握できず(当然!)騒然としているさまが記者席からありありとわかった。その取材者が所属する社の同僚があわてて飛び出していったのはいうまでもない。

それはパワーリィフティングというスポーツの取材だった。多分大会のスケールがまだ下位だったせいで各社とも決勝戦と表彰式だけ観戦して表彰の様子をカメラに収めればいいと決めていた。決勝は午後1時から。当然その時刻の直前に取材者は集結する。
そこで信じられない状況を目の当たりにする。ジャージー姿の多数の大男が会場の体育館でマグロのように寝ている。こ……これが決勝戦? 大会運営者に聞くと「予想外に早く進行したので午前中に決勝戦まで行って表彰式も済ませました」というではないか。
待て待て。それは困るとなって幹事社が交渉に当たった。決勝をやり直すのは変だからせめて表彰式だけでももう一度と。ところがレオタードみたいなユニフォームに着替え直すのは予想外に大変だと渋られる。
でも写真は撮ってこいと各社デスクから厳命されているわけで、というか厳命されていなくても事ここに至って1社だけが「まあいいや」と言い出せるわけもなく瑕疵は運営側にあると押し切ってユニフォームに着替えた大男が表彰台に上ってもらった。これはやらせではないかとかバリューはあるのかといったメディアリテラシーに即した激論が後に戦わされたのは言うまでもない……わけはなく皆ヤレヤレとめでたく帰っていったのだった。

最後は私の体験。高校野球の取材であった。試合は一方的で負けている側が何とかかんとかコールドをかわすという展開。準々決勝以上のレベルではなかった。当然私は熱心に取材するバリューはないと判断していた。
ならば別にすることがあった。その試合には確かニッカンかスポニチから美しい女性の記者が来ていた。この際彼女と接近しておしゃべりして懇ろになれればと20代だった私が思いつくのは当たり前である。で、実行していた。するといきなり同じ社の先輩記者から殴られたのだ。後ろからいきなりである。
後に彼の言い分を聞くにコールドになりかけた試合を何とかつなげているチームにはバリューがあるというのだ。なのに手前はいちゃついている(というほどでもなかったが)。この野郎という話だった。
私はそんなことに意味を感じなかった。それは正しいと自信があった。だが問題はそこにはない。本質は「だから殴る」である。しかも不意打ちで、しかも好意を持っている女性の前で。
その後のことは書くまい。ただ見ていた他社の同僚が「記者席も熱戦」みたいな記事を出稿しそうになったような光景があったとだけ告げておく。
私はこの先輩をいまだ憎んでいる。いつか会ったら不意打ちで殴り返してやろうと思っている。だが余りに腹を立てたせいか今では彼の顔を忘れてしまった。

念のため申し上げるが以上にネタはいっさいない。ないというのが怖ろしい。(編集長)

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2006年11月15日 (水)

バイク便に見る「搾取」の図・(&格差本について)

 本屋で新刊のコーナーを歩いてふと思ったのは、ここ2、3年で新しく出版されているもので最も目立つテーマは「格差」なのかなあ、ということだ。
 興味あるテーマだし多く出ていることもあり、見つければできる限り目を通すようにしている。格差本といっても「上」ではなく「下」について書かれたものがほとんどなのだが、内容はホントにピンキリである。
 もちろん、テーマに適した資料が論を進める上で有効な形で提示されているとか、著者の考えがハッキリしていてその内容にも学ぶべきところがたくさんある、という本もある。しかし一方で、ある程度信頼のおける機関が発表しているデータをまとめただけ、というような大学生のレポートみたいな本もある。

 本の著者があるテーマを扱うとき、ノンフィクションであれ何であれ、その著者がテーマとどのくらいの距離にいたか、ということは読者にとってやっぱり重要だ。信頼感、のようなものと言っていいかもしれない。つまり、みのもんたが投資本を書いてもどこか胡散臭さを感じる、ということだろうか。(ちょっと分かりにくいかな?)

 なんだか回りくどいことをつらつら書いてきたが、書店に出回っている格差本を眺めていてふと我に帰ると、意外と“格差を強いられている層”の至近距離から生まれた本は少ないことに気づく。多くが資料読み解き本だからである。
Bike 『搾取される若者たち ~バイク便ライダーは見た!~』(集英社新書)の著者、安部真大によると、社会学では「参与観察」と呼ばれる調査法がこの本では用いられている。(弘文堂の『社会学事典』によると、参与観察は「観察者が被観察者と同じ社会生活に参与して内側からその実態や実情をつぶさに体験しながら観察する方法」とのこと。)
 著者は現在東京大学の博士課程に在籍しているが、同時にバイク便ライダーのアルバイトも行なっている。バイト体験から「参与観察」をもって「不安定な労働生活」の構図を浮き彫りにしようというのが本書。
 読めば明らかになるのだが、どうやらバイク便の職場には実に不思議な構図が形作られているらしい。格差といえば、上の立場の者から下の立場の者への労働強化、規制、管理といった構図が一般的なものとして描かれるかもしれないが、バイク便の職場には、いつの間にかライダー自らをワーカホリック、つまり労働過多な状態に走って行かせる「何か」が漂っているという。著者は、体を壊し多くのライダーが職場を去って行くまでの過程を体験を通じて語り、ライダーをひたすらに走らせるその「何か」に迫ってゆく。
「経営→労働者」といった圧力の関係ではなく、不安定な雇用には「労働者が自ら選んでいった末」の側面があることを、本書で知らされた。また、文章の上手さと論の展開の巧みさに感心した、という点でもオススメ。(宮崎)

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2006年11月14日 (火)

きれいごとで「いじめ」は語れない

「いじめ」問題にきれいごとは不要だ。中学卒業以上の年代の人すべてに問う。自分がいじめたか、いじめられたか、もしくはその状況が目の前に存在するのを知っていたか、いずれもNOといえる者は皆無であるはずだ。夢のような環境で育ったごく少数の特権階級や幸福者を除いて。
想像ではない。最近、同様の質問を若者に広範囲に行ったところNOは1人もいなかった。つまりいじめは小中学校の必修科目なのである。「いじめをなくそう」など絵空事と実は大半の人が知っているはずだ。
ゴールディングについては当ブログですでに触れたので承前となるが、子どもを自然状態に置けば殺し合いが始まる。いじめ自殺とは自殺に追い込んだ、追い込まれたという構図の限りで殺し合いだ。
ただし「いじめ」と「いじめ自殺」には懸隔がある。前者は防ぎようがないが後者は防がなければならない。後者を防ぐには前者をなくすのが一番だが、それは不可能だから現実的にどうするかとなる。
先の質問やこれまでの取材、それに自分の体験などを若干加えて考察するに世に出ている提案にはいずれも弱点がある。ゴールディングの結論は「大人の存在」だが、いかに存在すべきかは書かれていない。

1)親(ないしは保護者)の存在
まず親自身がいじめの原因になっている場合は論外である。家庭環境がいじめられる理由になる場合だ。これは同時にいじめる理由ともなりうる。育児放棄など極端な例ばかりではない。私の場合は親父の仕事の都合で小学校を5回も転校させられた。異邦人が排除の対象になりがちなのは当然である。だが親父は最低限の義務は私に果たしてはいる。
「あなたを無条件に愛している」とのメッセージを伝えるというのは有効ではあろうが、それゆえに親にいじめられている事実を話せないという告白も多い。そんなに愛してもらっている私が学校ではいじめの対象になっているなど口が裂けてもいえない。むしろ知られるぐらいならば死んだ方がましだと逆方向の発想に向かう危険もあるようだ
サインを見逃すなというのも限界がある。親は常に初心者である。育児ならば育児の、小学生になれば児童の保護者の、中学となれば生徒の保護者として、いずれも初心者なのだ。プロではないのだからサイン云々は難しかろう。現に気付いてもらって助かったという者がいる半面で邪推されて困った人もいた

2)教師の存在
これはもう取材対象のほぼ全員が期待していなかった。というより期待する以前だった。こちらから「学校の先生はどう?」と水を向けて驚かれるという始末である。考えてみれば当然で1960年代の生まれである自分でさえ児童・生徒同士のストラグルの仲裁や解決を教師に委ねようという発想は当事者であった時分にはまったくなかったのだから。
もちろん教師自身がいじめに加わるのは論外である。ただそうでなければいじめ自体は児童・生徒間の問題だから教師はお呼びでない。児童・生徒側の価値観ではそうなる。
もっとも、だからといって教師がいじめを認知できなかったり放置していいとはなるまい。何しろプロなのだからね。問題は有効な手を打てるのかである。先に述べたようにいじめは必修科目だから「なくす」は無理だ。だったら行き過ぎないよう、もっといえば死ぬことだけはないよう防ぐ義務がある。
いじめ自殺があるたびに「命の尊さ」とやらを教えるという報道がある。実際に何人もが「命の尊さ」の説教を聞いた記憶はあったが内容を覚えている者は皆無だった。むしろ「価値ある死」を教えた方がよほどいいと考える。いじめ自殺は犬死にだ。犬死には最低だと。実際に聞いたなかで自殺を一時期想起した人は多くいたが「何で自分が死ぬ必要があるのか。死ぬべきはむしろ相手だ」と思い返したと話していた。それも剣呑ではあるが自殺するよりはいい。

3)いじめられる本人の責任
その要素はおおむね4つ。「ウザい」「キモい」「くさい」「ヤバイ」だ。「ヤバイ」には個性的であるとか、生意気・威張っているなどを含む。その一部は「ウザい」にも当てはまる。
大人がやれることがあるとしたら、この4要素はあって良いのだと徹底的に周知する行為だ。私は今月44歳になったが、生まれてからずっと4要素を十全に兼ね備えて今日に至る。決して立派ではないが生きている。立派ではない人生が偉いのかと聞かれれば大したことはないと答えるのみだが死んじまうよりはマシだ。
世には病などで生きたくても生きられない気の毒な方が多数いるのだから勝手に死んではいけない……と展開すると先の「命の尊さ」説教と内容がかぶってしまって説得力を欠くのが問題だが「人は多かれ少なかれくさいのだあ!」と大声で叫ぶ大人でありたいとは願っている。

4)有名人からのメッセージ
マスコミを主な舞台とする。特にテレビだ。かつていじめられたりぐれたりした有名人、特に芸能人の体験である。これは教師の「命の尊さ」説教より数千倍効果があるようだ。
ただし問題もある。そのメッセージは芸能人つまり児童・生徒からは成功者とみなされる人物から発せられているので、だから効果的といえる半面で「痛い」ともいえる。つまり自分は結局発信者のようにはなれないという限界だ。
もう一つはバラエティー番組などがいじめを助長するという点。お笑い芸人の所業はしょせん芸でありフィクションであるということを徹底的に教える必要がある。大げさでも何でもなく、それこそがメディア・リテラシーではなかろうか。(編集長)

関連記事:書評『「個性」を煽られる子どもたち』

http://kenuchka.paslog.jp/article/846509.html

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2006年11月13日 (月)

必修科目の履修漏れの責任は大学にある

大学のパンフレットを開いてみると国公立・私立にかかわらず「建学の精神」があって各々が独自の校風や学風を追究しているように読める。だが受験ではその違いはおろか学部・学科が違っても判を押したように同じような選択を受験生に強いている。
例えば私立ならば文系と理系に大別され、文系は英国+日本史B・世界史Bから1つ。理系ならば英数+物理・化学から1つ。これで大半がカバーできる。文系の地歴公民科目に地理・政経を選択できる場合もあるが日本史B・世界史Bより限られる。医学部や難関校では物理・化学を2教科必修にしているところがままあるが原則は崩れない。要するにこれだけやっておけば一般選抜ではたいてい戦えるのだ。

国立は5教科7科目を原則に「学力低下」とやらに歯止めをかけていると標榜するが内容は寒い。確かに大学入試センター試験で文系に数学1Aを、理系に国語を課しているのは見識であるが全体の配点は総じて小さい。数学1Aも私の時分にあった指数・対数まで組み入れた「数学1」とは比較にならぬほどやさしいし、理系に国語はいらないという私立の発想がそもそも間違っているのでほめるほどでもない。
加えて文系の理科、理系の地歴公民が加わるが、その選択は私立では必須の日本史B・世界史B、物理・化学といった「重い」科目以外から、裏返せば「軽い」科目から選ぶが常道となる。

これは出題側の大学が判断した結果である。「受験に関係ある科目」とは大学が決めている。そしてその大半は上記の如く横並びである。
かろうじて独自の見識を示しているのが慶應義塾大学や国際基督教大学など数えるほどである。片手で余る程度しかない。
例えば私が大学で学んだ古代日本史には英語はほぼ不要であるが受験科目にはある。経済系の学部に数学が不要とは到底思えないが大半の私大は日本史B・世界史Bなどと選択できるよとのアリバイ作りをしてごまかしている。上智大学はかつて外国語学部の一部を世界史のみとしたが今は日本史との選択に戻してしまった。

「建学の精神」や学部・学科にそぐわない受験科目を一律で課している理由はただ1つ。そうしないと受験生が激減してしまうからである。どぎつくいえば大半の私大は「ついでに受けてもらう」存在だから独自性など発揮したら寄りつかない。
受験料はほとんど3万5000円である。英検1級7500円と比較すればバカ高さがわかる。それでも昔はともかく今は受験料でもうかるという図式は成立せず下手すれば持ち出しだと関係者は口をそろえる。いったいどんな運営をしているんだか。
入学後も入学金・授業料も含めて異様に高い。高校は「ゆとり」以後も正職員として雇った教員が大半を担い、週5日は朝から晩まで授業が行われている。たいして大学の特に文系のカリキュラムは比較にならないほど緩くなるし驚くほど薄給の非常勤講師がかなりの講義を担当する。なのに後者の方がよほど高くつく。その上に国から多額の助成金までもらっている。
「分数ができない大学生」などと嘆くのは主に大学教員だが、嘆いている側が分数ができなくても受験できる仕組みにしていたら世話はない。その上お給料まで「分数ができない大学生」からもらっているのだ。しかも専任の場合は少なからず、である。
少子化が進めば1人で2つ以上の大学を同時に掛け持つ学生はいないから確実に市場は縮む。なのに大学・学部・学科は増える一方というのも不可解だ。

「受験に必要ない科目は学びたくない」から必修の履修漏れが起きたという。そうした論理に高校側が合わせてはならないとの反論も聞く。だがそもそもの「受験に必要」を決めている大学側がそれぞれの高等専門教育に必要な科目を選んで受験科目としないという問題はなおざりにされている気がしてならない。文学部と商学部が同じ科目・同じような配点で受験できるというのが元々おかしいのだ。当然、入学後に高校までの勉強とのミスマッチが起きる。これは偶然ではなく必然だ。
そうしないと受験生が激減するというならば、その程度の大学と自ら規定しているに等しいのだから潔く廃校してしまえばいい。ないしは大学生からいただく信じられないほど高い授業料などを適切に運営する仕組みを作ろうと考えるべきだ。
音楽と美術の試験だけで入れる文学部がなぜないのか。日本史B・世界史Bの配点を英国より重くする史学科がなぜないのか。

ちなみに私の受験時の青山学院文学部史学科はそうだった。「そこに惚れた」とたたえ合った同窓は多数いた。だが今は普通の配点に戻っている。
早稲田大学第一文学部はかつて英語・国語・小論文で受験できて一文生はその試験で突破できたのが誇りだった。しかし数年前に英国+日本史B・世界史Bの普通のパターンに変更してしまった。理由は諸説あるが一説には英国小論の組み合わせが指導しにくいとの高校側の訴えがあったという。これが大学側の関係者から「らしい」程度で聞き込んだ情報なので正しくない可能性もあるが本末転倒の発想である。(編集長)

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2006年11月12日 (日)

日曜ミニコミ誌! タイポグラフィの変遷と技術をたどる/『文字百景』

Moji  タイポグラフィという言葉をご存知だろうか。大雑把に言えば、印刷物において文字・活字を効果的に配置し、体裁を整える技術ということになる。現在ではデザイン的な要素も含まれた意味を持つ傾向があるようだ。
 文字を効果的に配列する、といきなり言われても何のことだか分からない人もいるだろうが、印刷物には目的に即した文字の組み方が求められている。
 例えば、絵本に文字をギュウギュウに詰めることはない。それぞれの印刷物には伝達に適した文字の組み方があるが、その実現のためには書体、文字の大きさ、字間(字と字の間)、字数、行間(行と行の間)、行数、またはスペースなどの要素がうまくコントロールされていなければならないのだ。

 今回の紹介する『文字百景』は、そんなタイポグラフィに関する知識とエピソードがグワッと濃縮された小冊子である。
 発行元である朗文堂(http://www.ops.dti.ne.jp/~robundo/)の根岸さんによれば、10年ほど前にデザイナーたちとタイポグラフィに関する勉強会を開いたとき、せっかくだからその場で共有された知識をもっと多くの人に知ってもらおうじゃないか、という流れで形になったのが『文字百景』だという。
 私の手元にあるNo.47では、1400年代にイタリアで活躍し、書物に初めてイタリック体を用いたアルダス・マヌティウスという印刷者を取り上げている。タイポグラフィに関してはもちろんだが、当時の時代背景なども取り上げられており、文章の構成にものすごく深みがあっておもしろい。

Moji2  もちろん、タイポグラフィに関する内容だから、全体的なレイアウトもちょっと洒落たものになっている。通常の出版物ならば小口(本を開いたときの手前の部分)にあるノンブル(ページ数を表す数字)がノド(小口と逆の奥の部分)にあり、本文の下に少し多めのマージンを取ってある。

『文字百景』は、「とりあえず100号まで出そう」という創刊当初の予定通り、No.100で完結した。今、書店で手に入れることができるのは池袋のジュンク堂書店のみだが、朗文堂に問い合わせれば、全号ではないが在庫はあるそうだ。また、『文字百景』の続編的な存在である『ヴィネット』が刊行されている。

 さて、朗文堂では9年前から「新宿私塾」というタイポグラフィ・スクールを開いているが、これが盛況なのだそうだ。
 1クール半年、週1回(3時間)、定員が10人。30万円というけっこう高い授業料にかかわらず、常に満員。学習の内容は、タイポグラフィの基礎、組版・デザインの基礎などを経て最後にはオリジナル作品の制作にあたる。基礎的な内容を扱っているのだが、実は出版社で働いている人などが多いという。
 根岸さんによると、より高度な専門技術の獲得のために、かなりしっかりした指導が行われるという。(お金があったら通ってみたいものだ)
 DTP(Desk Top Publishing)の急速な普及は、誰にとってもお手軽な出版物の作成を可能にしたが、同時に組版の職人的技術も急速に忘れられようとしている。(昔の出版人は何十種類というフォントを覚えていたのである)
 若い出版社員は細部まで組版の知識を学ぶ必要もなく、「なんとなく」の感覚で印刷物が作れるようになった。ただ、「なんとなく」は作れるが、理論的な本文の組み方や意図のある組み方からは遠ざかってしまった。そんな危機感が、このスクールに足を運ばせる部分もあるのだろう。(宮崎)

(■B6 27P 朗文堂)

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2006年11月11日 (土)

『吉原 泡の園』 連載第1回 「イッセイ、吉原入り」

■ 今週からは、物書きを目指すものの借金だけが膨れ上がるどん底生活を送っていたイッセイ遊児(關一星改め)が吉原の一員となり、目を凝らし、耳を澄まして吉原ソープ街を観察した記録をお送りする。
 吉原について書かれたものはあるが、底辺のボーイとして働いていた立場から書かれたものはほとんどない。これはボーイから見た実録・吉原記なのである。(編集部)

    *    *    *

Yoshi1 「テメェ!! どういう了見してんだー」
 鬼の形相で怒鳴りちらし、誰もが見ザル、聞かザル、言わザルになる。吉原ソープランドで働く男達の話である。怒鳴りちらすのは、鬼マネージャーのKである。
 総額6万5千円の高級ソープランドでの、夢のような生活も、初日からマネージャーが打ち砕く。辞めるに辞められない日々の始まりである。

 その日は 今にも雨が降って来そうな天気だった。JR西船橋駅北口から近い場所にある木造二階建てのアパートの二階が、事務所兼寮になっていた。高速道路、および一般道のガードマンの仕事をやりながら借金を返済する毎日だった。 汚い男達が、小さな寮の中で生活を共にする。絶望に発狂している者、女のことばかり考えている若者、歌手を目指しているフリーター、そして僕のように借金まみれのやつ。
 そこは、世の中で切り捨てられ、相手にもされない者の集団だった。
 昼も夜も働く、雨の中、夏場、危険な高速道路上で。働いても働いても借金は減らない。まわりの人間は、もう希望すら捨てている連中だ。
 僕はといえば、借金まみれに嫌気が差し、あることで知り合いになった吉原ソープ店のマネージャーに電話をしていた。もう、この仕事をやっていく気力を失くしたのだ。毎日がバカバカしくなっていた。
 仕事先の寮は2人部屋で、一人部屋がほしいと思った。当時2002年だった頃の僕は、そんなプライバシーすら主張することも許されない身分にまで落ち、すさんだ生活を送っていた。
 悲しすぎた。これでも昔は一人っ子で甘えてきた身だったので尚更だ。
 世の中の、冷たさ、怖さを嫌というほど知った。働いていた人達は、そんな社会に喰い潰されることに、怒りも感じないのか、それとも、諦めの境地でいるのか、笑っている。そんな連中と同じで良いのか、嫌だ!ふつふつとこみあげる怒りが僕に、G店に電話をかけさせた。求人を尋ねると、話しを聞いても良いという。
 どうせ落ちた社会に身を置くならば、最低辺を見てみたい。そんな気持ちも、僕の背中を押した。G店の紹介で、姉妹店のR店に面接を受けに行くことになった。

 数日後、その男と出会った。今まで見て来たどのタイプの人間とも違うオーラが漂い、パンチパーマの頭髪は緑に輝く。
「ほー、んで、いつから働けんの」
 面接中も喧嘩腰で聞いてくる。目つきが違う。面接中、その店のボーイがオレンジジュースを持ってきた。“ワル”そうだが、いい人にも見える。完全にガードマンの仕事と、借金返済と、世の中が嫌になっていた僕は。
 「すぐにでも働きたいです。そうですね来週くらいから…」
 もうどうにでもなれ、投身自殺するような思いで、日本一の吉原ソープで働くことになった。(イッセイ遊児)

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2006年11月10日 (金)

反グローバリゼーションをロシア料理で考える

 グローバリゼーションについて考えると、必ず思い出すのが2003年7月末に閉店した渋谷ロゴスキー本館だ。創業1951年。ロシア料理屋の老舗中の老舗として、この店は多くの人々から愛されてきた。そして、ここの最大の魅力はロシアらしさにあった、と私は感じている。

 店内には赤絨毯の敷かれたギシギシと音を鳴らす階段、古色蒼然とした内装、ランチ時などに出没するボーっと突っ立ち無愛想に注文を取る中年女性給仕、変わりばえのしない定番料理とその割に高い値段設定、どこか懐かしく安定した味。項目ごとに採点したなら、けっして高得点が付けられることはない。新しく、キレイで、おしゃれで、もの珍しい料理にあふれた最近はやりのレストランを基準にするなら、ダメな店にカテゴライズされるとも思う。

 でも、皮肉抜きで僕には素晴らしい店だった。
 東京ディズニーランドのように不自然なほどの笑顔で迎えるのがサービスの基本とも思っていないし、客が気恥ずかしくなるほどデザインに凝った店舗設計が食事場所に必要とも感じていない。一般的な意味での「良さ」がトータルの魅力を決めるわけではないのだ。店それぞれが独自の魅力を放っているところにこそ、文化的な深みがあると考えるのは、私だけだろうか。
 コストを削減するためにボーッと立ちつくすサービスをきり、より集客するために店内改装を施し、なんて“標準化”を行えば味もサービスもそこそこのレストランと区別がつかなくなってしまう。使い勝手のよい“標準的な”レストランを年5回使うとしたら、ロゴスキーを使うのは1回かもしれない。そうだとしても、なくなっては困る。競争原理の働かない、いかにもソ連といった感じのロゴスキーは、私にとって重要なアクセントだったから。
 
 系列店が渋谷に残っているので、本館の閉店が経済的な理由とは限らない。ただ、50年以上続いた個性的な店がなくなったことで、市場原理を錦の御旗に進むグローバリゼーションの平坦な世界を実感した。東京ディズニーランドの軽薄さに、たまに深いため息をついてしまう感じと、どこか似ている。

 同じ渋谷にある東急プラザ店は味や値段こそ変わらないものの、サービスや店の雰囲気がきっちりし過ぎており、本館が閉店してから系列店のロゴスキーに足を運ぶことはなかった。
 ところが1ヶ月ほど前、たまたま立ち寄った東急プラザ店の認識を改めることになった。いや、食事終盤まで「ロシアっぽさ」を感じることなく、ある意味順調に食事が進んでいたのだ。異変が起きたのはデザートが出てから。
 8時過ぎぐらいに入店したため、最後のデザートが運ばれてきたのは閉店時間の10分ほど前だった。これは、どの店でもよくあること。たいがいは食べ終わってから、サービスが会計をお願いしに来る。長話しないで退店してくださいよ、という意味を込めて。
  ところが東急プラザのロゴスキーは閉店時間の5分前に蛍の光を流しだしたのである。
  
  イヤーやられた! レストランでコースの最後に蛍の光を流されたのは初めてだった。もうデザートなんか食べた気にならない。だって、慌ててかきこむことになったから。
  
 それでも私はこの「攻撃」にすっごく満足した。ロシア的だな~と(ロシアに悪いかも……)。こんな店があってもいい。良いか悪いかは別にして、個性のある店が営業を続けているのは社会がどこか健全な証だと感じる。
 
 まあ、ウチの会社もかなり個性的だと言われてますが……。(大畑)

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2006年11月 9日 (木)

「平和主義者」中川昭一氏を激賞する

中川昭一自民党政調会長という人はわからない。例の「核論議」に関しての発言が理解不能だ。いろいろと分析していくうちに彼は機知に富んだ平和主義者だとの結論に達したので洒落がわからず反発している向きに勘違いせぬようメッセージを発したい。
発言内容は主に『週刊文春』11月2月号の特集による。補足は適宜新聞記事などで行った。
1)僕は核保有論者でもない
「非核三原則を前提にして」とも述べている。つまり核を持たないし作りもしないばかりか在日米軍が持ち込むのも反対だというわけだ。
では何を議論したいかというと「核の抑止力の議論を提言したい」そうな。「北朝鮮が」「核実験をしたとするならば、日本に対しては脅威でしょ?」とも述べているから少なくとも抑止力はあるとの立場であるのは間違いない。核兵器に抑止力はないが脅威だとのロジックは立たないから。
となると何を「提言」したいのか。核保有論者ではないし在日米軍の持ち込みも許さないが抑止力はあるに決まっている核兵器とは何か……という「議論」とは何か。「議論を封じ込めること自体がおかしい」以前に、中川氏の前提条件では議論ができない。
2)アメリカはそこまでお人好しですか
「核以前に日本は何でもアメリカに守ってもらう」「アメリカが日米同盟のもと、守ってくれているのだから」などという議論は「お笑いぐさ」で「アメリカはそこまでお人好しですか」と来た。
おっしゃる通り。アメリカはそこまでお人好しではない。北朝鮮が厳然たる核保有国になったとして日本に通常兵器を積んだミサイルを発射して国内の在日米軍の所在地以外に被害を与えたならば米軍は反撃しない可能性はある、というよりも高い。
でもそれは中川氏が語るように「核以前」の問題である。しかし氏は「核論議」がしたいのだ。
中川氏は同時に「日米安全保障条約も」「『自衛』というテーゼが前提にある」とも述べている。そうだったっけ?日米安全保障条約はダレスの再軍備提案を基本的には拒絶して米軍駐留を求めた結果だったのではなかったか。安保条約の調印時点では日本は占領下にあって「『自衛』というテーゼが前提」だったらGHQに対する自衛となってしまう。
自衛隊の前身である警察予備隊は安保条約の前からあったが在日連合国軍(ほぼイコール米軍)が朝鮮戦争に駆り出されたので被占領国たる日本の治安維持が、つまり占領状態が揺らぐ軍事的空白を埋めるために作られた。だから「テーゼが前提」の主体とはいえない。
となると中川氏は日米安保条約なぞ信用ならんと言っているのか。言っているのだ!
と思ったら「日米安保体制は大前提だ」(朝日新聞06年10月28日)というからややこしい。何の「大前提」なのだろう

3)核不拡散条約(NPT)は大前提だ(朝日新聞同)
日本のウラン輸入国のうち英米は核保有国でNPTでは保有国から日本など非保有国に核兵器材料の提供を禁じている。他の輸入国であるオーストラリアとカナダも原子力協定などで平和利用に限られている(もちろん英米も)。それ以前にNPTは非保有国の核兵器開発や保有を禁じている。
NPTを大前提とすると日本は核兵器を製造も保有もできないし、しようとすれば原材料のウランの輸入が止まる。すると原子力発電所が止まってしまう。
では日本がゴミ屋敷の住人さながら不自然なまでに貯め込んだプルトニウムでしのげるかといえば「もんじゅ」の失敗で実現性は果てしなく薄い。
つまりNPTを「大原則」とする以上は日本の核兵器保有はあり得ず、かつ中川氏は核保有論者ではないから話のつじつまはあうのだが、だとしたら何の議論をしたいのかサッパリわからん。

つまりこうではないか。中川氏は本音では日本人による軍隊だけで国を守りたい。北朝鮮ごときが核で脅すなら日本だって持ってもいい。でもそれだとアメリカが怒って元も子もなくなるからできない。できないとわかっていても癪だから話ぐらいはしようぜ……と。

要は中川氏なりに自重しているから意味不明なわけだ。「平和主義者」はここを突くといい。いやいや中川さん。アメリカに遠慮などいらない。ドンドン本音を言いなさいとそそのかして差し上げよ。そうすると日米安保は破棄され、原発は止まり、やりたかった核武装も原料がなくなって無理となる。プルトニウムで核保有しようとしても隣に福祉施設ができるというだけで反対する住民エゴの巣窟である我が国に実験場はない。
これぞ「平和主義者」の望むところではないか。(編集長)

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2006年11月 8日 (水)

素ボケ系は好きですか?

 著名人の対談ほど面倒くさいものはない。テープをおこし→文章にまとめる→著者チェック→言い足りない部分にアカが入る→※文章を直す→対談相手のアカを読み再度アカが入る→※に戻りエンドレス!
 こんなことを締め切り時間いっぱいまで付き合っていると、えらく文章が長くなってしまう。実際の会話よりどんどん格好良い会話となり、できあがったときには実際の対談で交わした言葉はどこに? なんてことも。

 てなわけで、著名人のキャラクターと実物は違うモノと思っていたりするのだが、たまにキャラが素だったり、実生活で押し通している人物とぶつかり驚くことがある。
406275534301_aa240_sclzzzzzzz_v37880198_  例えば土屋賢二。『週刊文春』に連載を持っているお茶の水大学教授である。大学の同僚の先生をも笑いにネタにし、返す刀で自分自身をも笑いにする文章はかなり面白い。ただし、あくまで執筆上のネタ、文章における芸風だと思っていた。『ツチヤ学部長の弁明』(講談社)を読むまでは。

 この本の冒頭にお茶大での講演会のもようが収録されているのだが、これがスゴイ。始まりなんか「土屋でございます。ものすごく緊張していまして、すごくあがっております。私の妻に釈明するときみたいに(笑)」なんだから。自分が所属する大学での講演ですぜ。

 そもそもこの講演はお茶大の魅力について語っているものなのだが、とにかく笑いのため練り上げたような話でしかない。しかも文春での連載と同様、実際に同僚の先生で笑いを取っているのだ。
「皆さんあそこにいらっしゃる人が平野先生です。今この大学の人間文化研究科の科長をしておられまして、僕はエッセイの中で僕が博多人形だとすると平野先生は金剛力士像だというふうに(笑)書きましたけれども、ご覧になって納得していただけると思います。(笑、拍手)」

 ちなみにこの文章には「金剛力士像」の写真まで載ってた! 編集者が言い出したのが、著者が言い出したのかは知らないが、かなりの英断だと思う。まあ、ここまで笑いにしているのに本人が講演会場まで来ているのだから、逆に人間関係はしっかりと築かれているのだろう。そう考えると学部長に就任したのも頷けないこともない。

 いずれにしても、この本のおかげですっかり私も土屋ファンになってしまった。ノンフィクションを書けば「あとがき」で格好を付けすぎ、笑いを取ろうと面白い文章を書こうとすれば偽悪的になっちゃう自分としては……。
 ならば土屋先生とお友達になりたいかといえば、これはイヤかも。
 昔、女友達に「男の好きな『天然』はけっこう計算高い人。ホンモノの『天然』はかわいくても男なんて寄りつかないからね」と言われたのを思い出した。

 手に負えるぐらいに演じてくれた方がいいんですよ。自分、小市民ですから。だから「天然系」の女性に騙されるんだろうな……、うん。(大畑)
 

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2006年11月 7日 (火)

中東と北朝鮮の「歴史のイフ」

「歴史のイフ」はやってはならぬ代名詞である。よって今回書く内容は突っ込みどころ満載となる。「それができなかった(あるいは「できた」)のが歴史の必然だ」と反論されたらお仕舞いだとわかっていて述べる。一種のおとぎ話として聞いていただきたい。

1)パレスティナ分割決議が履行されていたら
1947年に国連総会が採択した。ユダヤ人がパレスティナの地の約57%を、残りをアラブ人(パレスティナ人)に分割してとキリスト教徒の思惑もあるエルサレムは国連の信託統治制度下に置くという内容だった。人口は34%程度のユダヤ人は57%を得られたので過激なシオニストを除いて大喜び。委任統治を捨てて逃げるように去っていったイギリスの代わりにイスラエルを建国した。
だがアラブ側は逆の論理で決議案では収まらず、イスラエル建国以前から小競り合いを続けて建国後に中東戦争となった。どう考えても多勢に無勢でイスラエルの敗色濃厚だったのだがパレスティナ人のことよりも「この際オレの領土を増やしてやれ」と不届きな動機を抱いたエジプトやヨルダンの動きもあって全アラブの足並みがそろわずにまさかの敗北。結局イスラエル領は8割にまで拡大してしまった。
今になって当時の分割案を見るとエルサレムの件はともかく約4割のアラブへの割当地域は現在のパレスティナ国家建設の候補地と相当に重なる。ユダヤ側が分割決議を飲んだ時点で鉾を収めていれば「平和と土地の交換」以前に交換そのものが必要なかったのである。

2)2000年7月にアラファトが限定主権委譲に合意していたら
キャンプデービッドで任期切れ間近のクリントン米国大統領はイスラエルのバラク首相と徹夜の協議を続け①領土の大半をパレスティナ側に返還する
②イスラエル・パレスティナともに首都とするエルサレムではパレスティナ居住区にある程度の「主権」を認める「限定主権委譲」を行う
を飲ませた。②はとくにエルサレムを「永遠に不可分の首都」とするイスラエルとしては思い切った妥協だったが、とくに東エルサレムの主権の完全委譲を求めてきたパレスティナ自治政府を率いるアラファト議長は最終的に「限定主権委譲」を拒否し会談は物別れに終わる。
あの時にアラファトは何を恐れたのだろうか。これも諸説紛々であるが本当に東エルサレム問題だけだったのか。

3)ヤルタの密約がなければ
1945年2月に主にアメリカ大統領F.ローズヴェルト主導で「ソヴィエト連邦が」「連合国側において日本国に対する戦争に参加することを協定した」。現在の北方領土問題の源流であるが、同時に北朝鮮問題にも当てはまる。
1941年に結ばれた日ソ中立条約の有効期限は1946年4月24日。日本の敗戦は45年8月だから、ヤルタの密約さえなければソ連は対日参戦できなかった。密約に基づき45年8月9日に参戦したソ連は旧満州国から朝鮮北部にまでなだれ込んだわけで、それがなければソ連主導の「朝鮮民主主義人民共和国」樹立もまたなかったといい得る。
ヤルタ密約に関するアメリカ大統領の動機には体調不良説も含めさまざまな憶測がある。またソ連の参戦がなければ結局は本土決戦にまで至って中立条約期限切れまで変に頑張ってソ連はやっぱり参戦したと予測できなくもない。しかしポツダム会談に参加しながら対日参戦まで宣言に加わらなかったことから察してソ連は中立条約の存在をかなり気にしていたのは事実である。

4)チョ晩植が朝鮮信託統治を受け入れていたら
日本から解放された後の45年12月、米英ソ外相会議で朝鮮半島は5年間、信託統治下に置くと決められた。カイロ宣言で米英中が「朝鮮ノ人民ノ奴隸状態ニ留意シ、軈テ朝鮮ヲ自由且獨立ノモノタラシムル」とし、ソ連が会談に加わったポツダム宣言で「カイロ宣言ノ条項ハ履行セラルヘク」とあり、そのポツダム宣言を受諾して日本は降伏したのだから朝鮮の民が「自由且獨立」の代わりに5年間の信託統治と聞いて怒ったのはわかる。
すでにソ連の占領下にあった朝鮮北部にはソ連と親密であった金日成が活動を活発化させていたが植民地支配時代の抗日自治組織のリーダーでキリスト教徒のチョ晩植の影響力も大きく、一種の連立政権状態だった。だがチョが信託統治反対(反託)を貫いてリーダーの地位を下りてしまってからは金日成体制が次第に強固となり、チョは朝鮮戦争の頃に殺害されたとみられる。
李承晩とて反託だったのだから当時の民族主義的朝鮮指導者が信託統治に納得できる余地は少なかった。だから歴史のイフらしくいかにも結果論的な話であるが日本もまた敗戦国だから当然としても5年余の占領を経て独立を回復したのを考え合わせるとチョの選択が違えば……との想像の誘惑が絶ちがたい。
解放後、民族主義者から左翼まで李もチョも金日成をを包含した「朝鮮人民共和国」を否定したのは南部から上陸したアメリカだった。もし「朝鮮人民共和国」を承認していたら敗戦後に朝鮮半島は統一国家になれたのか。それともアメリカが懸念したように結局は左傾化したのか。でもそれはヤルタの密約でソ連参戦を求めたアメリカの自業自得ではなかったか。(編集長)

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2006年11月 6日 (月)

「純ちゃんまんじゅう」から「晋ちゃんまんじゅう」へ

Sh 「親子3代、ここで商売をさせてもらっていますが、こんなにお土産が売れたのは初めてです」。
 01年の終わりごろ。靖国神社の土産物屋(外苑休憩所)の店員さんは「がんばれ純ちゃん好景気まんじゅう」の売れ行きについて、『記録』編集部にかつてこう話した。
「がんばれ純ちゃん好景気まんじゅう」とは、菓子メーカー・江戸うさぎが01年に就任した小泉前首相の人気ぶりに注目して製造を始めたまんじゅうだ。靖国神社の土産物屋さんは業者からこの商品について教えられ、「試し」に置いてみることにした。
 置き始めたのは01年の8月。首相就任1年目、公約としての靖国参拝が日増しに注目を集めていたころで、まんじゅうは売れに売れた。まんじゅう自体は東京を中心に30箇所以上で売られていたが、マスコミが「靖国で売られているまんじゅう」として喧伝したこともあり、なんと靖国では1日に1000個以上も売れる日があった。残り少ないまんじゅうを取り合いになって客同士が言い争いを始めたこともあったという。
 
 しかし、それだけ売れたにも関わらず、バカ売れまんじゅうのピークは01年ではなく小泉首相ラスト・イヤーである今年の8月だった。
 今年の8月に並んでいたのは「純ちゃんまんじゅう」の続編「ポスト純ちゃんまんじゅう」だった。当時首相の小泉のイラストの横に麻生、福田、谷垣、安倍が入っており、まんじゅうのトッピングも変わっていた。これが、今年の8月には01年の同月を上回り、1日1500個以上も売れた。土産物屋の店員さんは、「マスコミで紹介されたことと、やっぱりキャラクターとして特別な人気があった」と、勝因について語った。

 なんとなく、首相としては特別人気のあるキャラだったのは、個人的にもとてもよく分かる気がする。だから、安倍現首相の割とジミな風貌から「続編はないな」と勝手に予想してたこともあり、「ポスト純ちゃん」のさらに続編「晋ちゃんまんじゅう」が発売される、と知ったときには驚いた。
 江戸うさぎの新商品会議で「これはいけるだろう!」と満場一致で決まったのか「いってみようか…?」みたいな空気で決まったのか、そのあたりの雰囲気は残念ながら聞くことができなかったが、新政権発足初日から堂々と売り出された。

 さて、その売れ行きやいかに。「小泉&靖国」だから売れたのか、「首相&靖国」だから売れるのか、これを確かめたかった。
 店員さんに聞いてみると、「発売当初はそこそこ売れ行きもよかった。だけど平日は小泉さんの時ほどは出てないね。今は、平日の売り上げは100個くらい、土日はその倍くらいだね」。
 どうやら今のところは「小泉&靖国」のコンビだからまんじゅうは売れた、ということになるのか。安倍首相は靖国についてはハッキリした姿勢を示しておらず、参拝が公約になっていない、ということも売れ行きに影響しているのだろうか。
 ただ、こうなるとメーカーの江戸うさぎ的には「まんじゅうバブルがハジけた」ことになってしまう。ピーク時にはなんてったって1500個である。800円×1500だから、おお、1日120万円、それだけの好景気に浴したことがあるなら「もう1度」と夢見るのが人というものだろう。
 最も売り上げが期待できるのは8月だ。まだまだ勝負はこれからである。(宮崎)

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2006年11月 5日 (日)

日曜ミニコミ誌! ミニコミ界の雄・中洲通信

Nakasu  ミニコミなんて出回っているすべてが異端児のようなものなのだが、その強烈すぎる個性やテーマゆえに、いわゆる「メジャー」な存在になることは少ない。
 マニアックな炎を取り囲むようにして、酔狂な作り手と読み手が好きなように盛り上がったしているのが大半の娯楽系ミニコミのありようなのだ。
 しかし、「人生を楽しむダントツな人の雑誌」という旗印と、ホントに楽しんでるだけ、というスタイルを保ちながらどんどん拡大・発展してきたのが『中洲通信』である。
 音楽、映画、芸能、スポーツとエンターテイメント色が強い記事がほとんどだが、社会問題を取り上げるページもある。特集は豪華である。11月号のメインはもはや説明不要の久石譲へのインタビューだ。
「R25」に近いイメージだが、より「ガッツリ読める感」があり、文章好きに向いていると言えそうだ。

 今から15年以上も前、福岡、中洲のリンドバーグという1件の飲み屋で『中洲通信』は生まれた。今でこそB5でカラーページが多い堂々たる佇まいだが、店のレジの横に置かれはじめた誕生時の同ミニコミはタテ15×ヨコ10センチほどの小冊子だったという。
 作り始めたのはリンドバーグのママである藤堂和子さんである。店のちょっとしたアクセントになればいいと作り始めた同誌では、店に来ているお客さんなどに1ページ1万円で誌面を買ってもらい、ページ主に好きなことを書いてもらうという試みなども取り入れた。店には有名人や企業のオエライさんがよく訪れることもあり、広告主探しには都合いい環境といえた。

 今でもその頃の面影を感じさせるページが「私の履歴書」だ。福岡のラインビルディングという会社がこのページの主なのだが、「私の履歴書」ではこの会社が所有するビルに入っているスナックやバーのママやホステスによる自筆の履歴書が顔写真付きで掲載されている。
 たとえばこんな感じである。名前、お店の住所と電話番号、営業時間が書いてあり、随意記入の欄には
「この度○月○日にメンバーズ○をオープンすることが出来ました。すばらしいスタッフに恵まれ、初心に戻り一日一日の出会いを大切に営業致しております!……」とのメッセージ。ホステスさんの顔写真付きで、手書きの文字である。ついつい隅々まで目を通してしまう引力があるのだ。

 今は『中洲通信』のカントク的な存在である藤堂さんは「雑誌で遊びなさい」とよく言うそうだ。そのメンタリティは誌面に実にハッキリと表れている。
 「ミニコミ界の雄」の快進撃は止まらないのだ!(宮崎)

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2006年11月 4日 (土)

『吉原 泡の園』 第4回 投げ捨て寺

Nagesute 「生れては苦界 死して浄閑寺」
 通称投げ捨て寺の新吉原慰霊塔に刻まれている言葉である。これは、江戸時代から昭和33年の売春禁止法が成立するまでの間に吉原で身よりなく死んでいった不幸な遊女や娼婦の生涯を詠った詩である。
 そもそもこの浄閑寺とは1665年江戸時代に始まった。明暦の大火(1657)後、日本橋から現在の千束に吉原が移り、それから間もなくのことだった。新しく千束に移った吉原を新吉原と呼び、以前の日本橋を旧吉原と呼んだ。
 新吉原で働く遊女は、栄養面や病気などから早死にするものが多かったそうだ。20代で死ぬものもかなりいたらしい。
 江戸時代、身売りに来た女性は戸籍も抹消され、病気になっても看病を受けることもなく、身分も分からず死ぬ。死体は犬、猫のように捨てられた。その受け入れ所として、浄閑寺に捨てていく者が増え、正門前にそっと死体を捨てていく、また、1855年の案性の大地震で亡くなった遊女400人が葬られたことなどから、投げ捨て寺と呼ばれるようになったのだった。
 死体の数は新吉原の廃止、つまり昭和33年売春禁止法成立まで実に2万5千にのぼるのだそうだ。とても信じられない。
 現在、それら不幸にも死んでいった遊女達の為に、新吉原総霊搭がたてられ、線香が絶えることがない。

 新吉原総霊搭にはいくつも風通しのような穴があり、覗いてみるといくつもの骨壷が見えるのである。
 僕がここを訪れたとき、昼間なのに薄暗く、卒塔婆がやけに多い墓場だなと思った。カメラでバシバシ写真を撮った。墓と墓に挟まれて、古い井戸の跡もある。これは本庄兄弟の井戸と呼ばれるものだ。親の仇である平井権八(歌舞伎で有名な白井権八のモデル)を追った兄が返り討ちにあい、兄の首を洗っていた弟も、襲われて命を落とす。仇討ちに失敗して悲惨な兄弟の最後の地が、この井戸だったのである。兄弟を供養する首塚もある。
 写真を撮った後で知ったことだが、ここは必ずと言っていいほど、心霊写真が撮れるという噂があるらしく、某出版社からは心霊写真が出されたという噂もある。(これに関しては関係者は全く知らないというので、噂だけだと思う。吉原近辺ブログの管理人は見た事があると言っているが)
 何も知らなかった僕は、墓場の中を縦横無尽に歩き回り、写真を撮りまくった。たまにニコニコしながら、すげーよなどと独り言もいっていた。(まったく罰があたる)。
 この寺を菩提寺とする有名人としては、アラーキーこと荒木経惟氏があげられるし、永井荷風もいる。落語家三遊亭歌笑。侠客需髪長五郎。新比翼塚の記念碑があり、江戸、明治の歴史を語るにはなくてはならない寺となる。永井荷風は、作品の中でも寺やこの界隈の出来事を書き、その取材の為に頻繁にこの寺を訪れたそうだ。僕のように、縦横無尽に墓の間を歩き回ったのだろうか。
 1人墓場の中で思いふけった。吉原の歴史とは無残な遊女の死の歴史でもあるのだと。さらに言えば、新吉原弁天池跡というものが、吉原の中にある。大正12年、関東大震災で池に逃げてきた遊女490人が溺死した。そのために大正15年に造立されたのが吉原観音である。昭和34年、吉原電話局建設に伴う埋め立て工事のため、池はわずかにその名を留めるのみとなった。こうした多くの死があったことを、忘れないためにも、ぜひ、吉原の歴史と伝統は残してもらいたいものだ。
 ここ投げ捨て寺は、吉原の暗部なのだ。

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2006年11月 3日 (金)

ポータビリティー麻雀 ~怒濤の禿頭爆走編~

南3局

東 ウィルコム             2万5000 点
南 ソフトバンクモバイル・孫        ? 点
西 KDDI(au)                4万2000 点
北 NTTドコモ ……【私】        2万3000 点

 あーあ、auもワキが甘いよ。私のテンパイに気づかないで四索通しちゃうんだ。でもね、ポータビリティー麻雀はauと、ゆったり打つ約束ができているから直撃はできないかな。南3局だし。

 で、私はツモ切りと。
 ウィルコムは西切り。堅いよ、こいつは。まあ、PHSだから点棒が動かないのも仕方ないけど、あがっても安い手ばっかりだしな。2着のサシウマ狙いか? 
 おっ、一索出たよ。「草刈り場」のソフトバンク孫から。
「ロン。低めだけど、上がっておきますよ」
「NTTさん、前ツモ切りだったでしょ。高めのau見逃して低めの僕からですか」
 孫がいきなりにらみつけてきた。
 あー、ヤダヤダ。うちなんか電電公社時代から通信分野で伝統ある会社だけど、孫なんてモデムをタダで配っていたアノ会社でしょ(笑) 攻撃的ですぐ噛みつくんだよね。
「いやー、見逃しちゃってねー」
 と笑いながら答えたら、「予想外だ!」とか答えてんの。もう勝負はついたも同然なんだから、孫君もジタバタしてもしょうがないのにさ。

 さて、オーラスは孫の親と。
「日本の麻雀は高すぎるのでウチが安くします!」
 あー、なんかいきなり社長が宣言しちゃったよ。彼は好きなんだよね、そういうの。
「もう最後の親なので、とにかく安いですから」
 禿頭を真っ赤にして叫んでいた。

 序盤は全員が面前で順当な打ち筋。ずっと孫が「東のみですから」とか、「しょぼい手ですから」と言い続けているのがウザイけど。
 そうこうしているうちに孫が「ツモ」と声をあげて牌を倒した。
「東のみと。あと、ドラが2つのって符ハネしたから2600オールです」
 その声を聞いてauが怒った。
「孫さん、ずっと東のみで安いとか言い続けてたよね。それが結局7700ですか」
「いや、予想外でして。ドラがのって符ハネしたものですからね。本体価格は1翻です」
「それはシャミでしょう。どう考えても」
「まあ、auさん、そんなに怒らなくても。けっこう孫さんも負けていたんですから」
 私が取りなして、やっとauも攻撃をやめた。
 もともとウチから国際電話のサービスをするために分派した奴らなのに、どうも「着うた」とかやり始めたあたりから鼻息があらいんだ。こいつも困るよ。

 そんなことを考えながら打っていたら、私の捨て牌を見て孫がいきなり大声をあげた。
「ロン! リーチ一発、タンヤオ、平和で11600点」
「ちょっと孫さん、いつリーチしたの。だいたいリー棒も出てないし、牌も横になってないじゃない」
「いや、リー棒は僕の山の裏側に沿って置いてあるし。牌も少し曲がってるでしょ」
「その20度ほど曲がった牌がリーチですか。しかもリー棒が山の裏って、それは欄外ですよ。そんなの誰にも見えませんよ。公取が事情聴取してもおかしくないほどだ。だいたいオーラスなんだから自分の持ち点を教えなさい。みんな発表しているんだから」
 久しぶりに怒りに震えた。ポータビリティー制が開始してもノンビリauとやろうとしていたのに、いきなりシャミなんかの不当広告で波風を立てるなんて。
「いや、親になってからはプラスの方向に点棒が推移しています。まあ、僕としては万が一、トラブルが起きても誠心誠意対応して理解を得たい」と孫が軽く頭を下げながら、どんどん牌を自動雀卓に押し込んでいく。
 こいつは全然堪えてない……。改めて「人種」の違いを感じた。

 勝手にサイコロを振り、どんどん孫がゲームを進めていく。それに釣られるように、私も牌を河に捨ててしまった。もっと抗議したいが仕方がない……。
「ポン」
 今度はやたらデカイ声で孫が宣言する。
「あっ、ゴメン、待って。なしなし。あっ、でも鳴こうかな」
「どっちなんだ!」
 鳴かれたauが怒鳴る。
「いや、ちょっと牌が殺到してまして。整理がついてないんです。頭のサーバーの数が足りなかったことは事実です」
 ところが、その2巡後には「チー」と大声で宣伝して撤回した。
「すみません。リーハイと鳴きを一緒にやっていたので、とりあえず分けて作業することにします」
 それが孫の言い分だった。
 ところが、私の牌に「ポン」と言い、さらに「やっぱりいいかなー」とか言い出したのだ。
「孫さん、連続して鳴きで混乱するのは、どうにかしてください。システムの信用そのものを傷つけていることになるんですよ」
 本気で怒っている僕に、孫は言ったね。
「じゃあ、ロンで」
 こいつの禿頭だけは見たくないと、心の底から思った。勝負はついているのに……。

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2006年11月 2日 (木)

高校必修科目の履修漏れ問題と87年教育課程審決定

厳然とある「いじめ」を認めなかった校長がいると思えば履修漏れを一因に自殺する校長もいる。逆だろう。「いじめ」の責任を取って校長は自殺しろとまでは言わない。だが履修漏れ如きで死ぬことはない。というか死ぬぐらいだったら開き直って

履修漏れの何が悪い

と文部科学省の役人にかみついても構わない。

実際、履修漏れはそんなにいけないことか。高校は高等教育を施す。高等教育の担い手は高校と大学で大学には学習指導要領の縛りはない。高校は義務教育でもない。学習指導要領の法的拘束力は十分に争うだけのスキがある。

今回の履修漏れ問題の出発点となった「世界史A」の誕生に絞って考察しても誕生からして不純であった。それは「社会科解体」に派生した問題に派生した枝葉の結論に過ぎなかったからだ。
社会科は戦後のGHQ指令に基づく教育の自由主義化の一環として誕生した。バカみたいなデタラメを教えていた戦前の国史がいったん停止され「新日本建設」の美名の下に誕生した科目である。
その中身は批判的精神の育成とか地域のフィールドワークなど斬新な内容が含まれていたが批判的精神あたりが保守層の目の敵にされて「社会科解体」はサ条約発効後には旧文部省がもくろんできた。
その成果が1987年の教育課程審議会高校分科会の決定である。高校の社会科を地歴科と公民科に「解体」した。もっとも「解体」は反対派の言葉で推進派は「再編成」と呼んだ。

とはいえ現実には社会科はこの頃すでに実質的に「解体」されていた。受験科目は国史改め日本史と世界史の1科目は文系志望者ならば必須で政経と地理では受験できる科目に制約があった。79年から始まった共通一次試験では一律5教科7科目が課され理系は日本史・世界史は避けて地理と倫理社会を、文系は日本史・世界史のうちの1つと倫理社会を社会1教科2科目で選ぶのが通例だった。
つまり「解体」「再編成」と叫ぶ前に実態はとっくの昔に解体していたのだ。批判的精神の育成とやらを日本教職員組合ベッタリの先生はマルクス史観から吠えていた気もするが誰も聞いてはいなかった。

とはいえ社会科から地歴科が独立したのは一部の史学者にとっては大いなる前進だったようで先日亡くなられた木村尚三郎氏など大いに喜んだクチである。ただし実際の高等学校歴史教育は戦前の皇国史観の反省もあって事実羅列の味も素っ気もない丸暗記に終始する。これは私のように史学科に進んだ者以外は受験の時にしか役立たない無意味な産物である。
無意味ではあっても受験には必要だから日本史か世界史のどちらかを選ぶ場合には少しでも楽な方となる。すると小中学校の指導要領で重点が置かれていてなじみのある日本史受講率がどうしても高くなった。共通一次でも時々世界史の方が平均点を大きく日本史よりも下回るなど「難しい」との先入観があった。
だいたい「世界史」というジャンル設定が乱暴なのだ。史学科に入ると日本史、西洋史、東洋史、考古学と分かれるが「世界史」は西洋・東洋・考古を合体させた巨大な概念である。当然「世界史」を教えている側は受講率の低さが面白くない。

そこに87年の「社会科解体」が追い風となった。「解体」と反対する側に対して文部官僚が呪文のように唱えたのが国際化である。これからの国際社会に生きていく日本人育成のための時代の要請から「再編成」したのだと。そこで「国際化」だったら世界史を必修に……との一種のアリバイ作りがなされた。
しかし受験で求められる4単位の日本史、世界史の量はいずれもばく大である。そこでそれら通史は「B」として新たに「国際化」に必要な近代中心の「A」を設けてそれを必修とした。世界史ならば当時でいう「地理上の発見」現在の「大航海時代」以降を範囲とする。ちなみに現在「地理上の発見」と呼ばないのは「発見」された側にとっては発見でも何でもなかったからだ。
ところがこの「A」では受験範囲には及ばないから有り体にいって使えない。かくして思惑が思惑を呼んで結局はどこを突いても中途半端な世界史Aなる科目が必修となってしまったわけだ。

つまり87年決定をまとめると以下のようになる。

すでに事実上解体されていた社会科だったが保守層は坊主憎けりゃ袈裟までで地歴科と公民科に変えた。しかし混乱を嫌う文部官僚は「再編成」と言い張りたいために「国際化」なる錦の御旗で押し切ろうとした。そこに便乗したのが不遇をかこっていた世界史派で「国際化ならば世界史必修だろ」と叫んで実現させたが現実の負担を考えて新設の使い勝手が悪い「世界史A」のみとなった

要するに言い訳と妥協とアリバイ作りと勢力拡大のごった煮で定見なく決まったのが世界史Aの必修化だった。だから87年決定からずっと不要論があり続けたいわく付きの産物だったのだ。
だから「いらねえ必修をやらなくて何が悪い」と公然と教育現場は声をあげてもよかったはずである。それをコソコソするからいけない。反対に今回の問題では正義の担い手のような面をしている文部科学省だが混乱の元はアンタが作ったという自覚がなさすぎる。

受験科目だけを学びたい云々というニーズないしロジックに教育現場が乗る必要はないとは正論だ。だが受験の負担で敬遠されていた世界史の受講率を高めるための必修化だったという出発点を考えると笑っちゃう。必修という縛りをかけて無理矢理やらせれば好きになってくれるという発想が間違っていたのだ。
ストーカーも公認すれば追い回されている側も愛してくれるかも……なんてありえない。(編集長)

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2006年11月 1日 (水)

ヤフオク・デビューにあたって一言

 家にあって今は使っていない物を処分したいのだが、机や椅子やスピーカーや棚といった大型の物を処分するとなれば、区役所に来てもらって引き取ってもらうなど費用がかかる。大型のものでなくとも、捨てるにはもったいないこまごまとした物もある。
 これらの品物をうまく運用(?)するための術があるじゃないか、と思いついたのがヤフオク。オークションである。だが、私は今までヤフオクで何かを買ったり売ったりしたことがない。
 パソコンに詳しいわけでもなく、増してやヤフオクなどには全く無縁だろうと勝手に思い込んでた知り合いが「やったことあるよ、簡単だよ」とアッサリ言い放ったので、よし、オレにもできる、と早速ヤフーのIDを取得するところから始めた。
 善は急げ、の勢いでIDを取得して、オークションに携わるための手続きをバリバリ進めたのだが、あるフォームでストップしてしまった。
 出品するためにはクレジットカードの番号を入力する必要があるのだが、指定されているいくつかのクレジットカードの選択リストに、自分の使っているカードがなかったのだ。これは、新しいカードを作らなければならないということか…?

 今までヤフオクで品物の売買をしたことはないけれど、全く無縁だったわけでもない。
 何年か前に私が「便利屋」なる胡散臭いバイトをしていたころ、ヤフオクを活用してちょっとした利益を上げる人物の仕事に関わったことがある。
「便利屋」の管理人から、千代田区にある某施設の入り口に朝9時に集合とだけ伝えられて、当日その場所に行った。自給は1800円だという。
 その仕事の統率者が現われるまで、同じように集められた便利屋の登録者数人と、「今日の仕事は何なんだ?」「さあ?」というような言葉を交わしたり黙ったりしているうちに統率者が現われる。キャップを被ったどこにでもいるような兄ちゃんだったが、仕事内容を説明する口調からは、この仕事には慣れているようだった。
 やるべきことは、「とにかくビニール袋(80ℓくらいの大きなサイズ)に、これだと指示された商品(衣服・コートなど)を詰め込んでいく」というシンプルなものだった。ただ、急ぐこと、テキパキやること、だけが注意点。
 その日その施設で開かれていたイベントは、ブランドものの商品(新品の衣類)が通常の3割~5割で手に入るというものだった。入るには招待状がいる。後から知ったのだが、統率者のグループは招待状をヤフオクで仕入れているようだった。
 イベントスタート時には既に行列ができていた。スタートした瞬間に便利屋部隊は走り出し、ものすごい勢いで商品を袋に詰めていった。アルマーニをはじめどれも高級ブランド品である。値札には10万円以上と記されているものも、「それも」と指示されればどんどん詰めてゆく。一般の来場者はその勢いに引きまくっている。
 全員が集めた商品は、600万くらいだったと思われる。そして、それをヤフオクで売りさばく。グループの中の1人の話によれば、1回のイベントで200万~300万の利益が出る。ものすごい商売法である。

 ヤフオクにもいろいろとルールがあって、取引できないもののリストなどが明記されている。(「盗品」や「保存期間の短い食品」、変わったとことでは「細胞」など。)だが、それらのルールを悠々と掻い潜って制度を有効に活用している人物がいる。
 順序が逆かもしれないが、そんな存在を先に知ったのでヤフオクには何か得体の知れない有象無象が漂っている気が自分にはする。「段ボール箱が部屋に積みあがっている」という常連ユーザーに言わせれば「何言ってんだ」なのだろうが。
 まあ、私は健全なやり取りでうまく品物を処分できればいいと呑気に思ってるわけだが、果たしてどうか。(宮崎)

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