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2006年10月19日 (木)

読売巨人軍結成初の2シーズン連続Bクラスに想う

読売巨人軍が結成以来初の2シーズン連続Bクラスという大ニュースがベタ記事で扱われて誰も騒がない。中継途中の放送終了がファンの不評を買っていたコンテンツが延長放送中止はおろか放映さえされなくなっても何も起きない。考えてみれば大変な変化である。パラダイムが変わってしまったと言い換えてもよかろう。現に平均視聴率は10%を割った。これとて低視聴率が懸念される試合を放送しなかったから保てた数値である。
読売球団の人気低下について私はかつて分析した記事を書いた(http://gekkankiroku.cocolog-nifty.com/edit/2005/10/tokyoyomiuri_b900.html)。以前巨人ファンだったので冒頭の「大ニュース」を機に他の要因も見つめてみたい。

……ちょっと待てよ。今、私は「以前巨人ファンだった」と書いた。じゃあいつからファンを止めたのか。むむむ。思い出せない。おそらく同様の人は多かろう。ちなみに私は付和雷同の巨人ファンではなかった。毎日新聞にいた時でさえ公言していた筋金入りだったはずだ。その筋金がいつの間にか錆び付き、ボロボロになって自然と朽ち果てていたようである。

ある業界のリーディングカンパニーを取材すると必ず高慢ともいえそういな誇りと余裕がトップから社員食堂のおばさんに至るまで感じる。新聞で言えば「朝日人」を自称する朝日新聞社員のように。新入社員の頃から有望株は幹部候補生と自然とみなされ、経営陣は基本的に生え抜きが占める。
そしてリーディングであり続けようとの貪欲な盟主意識が全体を律している。それが責任感を社内にもたらし整然とした秩序を構築する。たまに同業他社が出し抜くようなヒットや発明をしても泰然としながら人一倍気にしていて気がつくと吸い取ってしまっている。
「真似した」と揶揄されながらも松下が、特長がないといわれてもトヨタがトップに君臨し続けているのがいい例だ。面白味には欠けても手堅い。

読売巨人軍もまた球界において同様であった。第一期黄金時代を率いた藤本定義監督は何があっても投手のローテーションを変えなかったし第二期の水原茂監督も追い出した早慶戦以来のライバル三原脩に比べれば地味であった。第三期の川上哲治監督が導入したドジャーズ戦法は要するに手堅さの極致である。
そして草創期の藤本定義を除いて監督は皆生え抜きだった。川上を嗣いだ長嶋茂雄と王貞治の采配は手堅いとは言い難かったが生え抜き中の生え抜き、誰もが認める大スターなので社内秩序は乱れなかった。藤田元司は川上野球の継承者で現役時代は巨人一筋だったが監督就任以前に太洋ホエールズのコーチを務めたのが問題視されたほどのこだわりである。ただこの点は堀内恒夫、原辰徳とも継承していて揺らいではいないから凋落の原因ではない。

となると問題は社員すなわち選手の採用、育成、抜擢に問題があるのだろう。現在のスタメンを見ると他球団からのトレード、FAでの獲得、挙げ句の果ては他球団から戦力外に等しい扱いを受けた選手さえ並んでいる。
では巨人の歴史のなかで他球団の有力選手を引き抜いた歴史はなかったかというと大ありだ。別所事件など最たるものである。だが彼らは生え抜き中心で構成されている社内秩序の弱点を補う役割を果たしたに過ぎなかった。
14年連続20勝以上という途方もない成績をあげていた金田正一がその記録に終止符を打ったのは巨人移籍1年目である。7回の首位打者に輝いていた「暴れん坊」張本勲も移籍後は優等生となり苦手な守備を懸命にしていた。
つまりリーディングカンパニーたる我が社以外からの外様は過去の客観的な成績がどうであれ移籍後は新参で使い捨てだったのである。
しかし今は違う。おさらく清原和博が「番長」などと称されて大きな顔をし始め、生え抜きの正統伝承者だった松井秀喜が去ったあたりで秩序は崩壊した。清原は生え抜きの元木大介らを子分とした。生え抜きで幹部候補生だったレギュラーが外様のパシリになる……。この構造こそ今日の凋落の元凶ではないか。

何を言っている。他社からの転職組でも実力があれば勝負の世界なのだから勝てるはずじゃあないかとの反論もあろう。しかしそれはリーディングカンパニーのDNAには決してなじまない発想だ。
中堅・中小企業ならばいい。業績不振を挽回すべく大物を外部から招請して一挙に飛躍を図るのはむしろ常道である。新進気鋭の新興企業は転職組が中核なのも珍しくはないし、手堅いどころか朝令暮改も当たり前。むしろ朝令暮改の方が効果的だったりもする。
だがリーディングカンパニーは違うのだ。むしろそうした新興勢力を相手に新入社員時代から会社のカラーを背負っている誇りを動機付けとして余裕の戦いをするのが習い性である。それで勝ってきた。もちろん時代に合わせた変更はあるのだが先陣は新興に切らせて、つまり鉄砲玉にして自らは後の先を行くのである。
だから巨人の選手は新人から他社からみればムカツクような誇りだ伝統だを刷り込まれる。ところが経営陣は何を血迷ったか若干の低迷を気にして中堅・中小企業がやるような強化策に転じてしまった。そのやり方をバカにしていたリーディングカンパニーの社員は当然腐ると同時に大いに戸惑う。
こうなると整然とした秩序が強みから弱みへと逆回転する。破壊された秩序にエリートは弱い。だから力を発揮できない。ならば外様が爆発できるかというと秩序が完全に破壊されない限り自在に振る舞うのは憚られるから難しい。変な言い方だが「外様」というある意味安定した位置づけを彼らもまた失ったのだ。

沢村栄治が君臨したマウンドにグローバーなる知らない外国人投手がいる。長嶋茂雄は監督時代、自らが死守した三塁の守備を熱望する松井秀喜を認めなかった。松井さえ許されなかったポジションに小久保裕紀がいる。生え抜きは自信を喪失して外様は居心地が悪い。これで強くなるはずがない。

私ごとで恐縮だが私はかつて大企業の平社員だった。今は零細出版社の代表取締役である。では社会的にどちらが偉いかというと毎日新聞の1年生だった時の方が今よりも上だ。では実力はどうかというと多少は成長したであろうから今の方が上だろう。
だからといって私が突然もといた会社の然るべき地位についたら(ありえないが)今の力は発揮できないし部下にさせられた生え抜きは猛反発するであろう。いや反発されているうちはいい。萎えてしまったら組織はお仕舞いだ。
古巣でさえそうである。ましてや見下していた格下の同業他社からだったならば。サッカー韓国代表監督に日本人を招くようなものである。その日本人がいかに優秀でも韓国代表は弱体化しよう。

高校野球の取材をした時につくづく不思議だったことがある。選手は最大3年で入れ替わり、監督・コーチも相当代わっているのに伝統校は時を超えてビックリするほど似た試合運びを折々にする。「30年前のあの試合を思い出した」なんて感想が高野連関係者から飛び交うのだ。
少なくとも野球という競技にはメカニズムはわからないけれども目に見えぬ伝統とやらが脈々と受け継がれるらしい。それが悪しきものならばショック療法もよかろうが良き伝統は大切にすべきであった。それを巨人は叩き斬ってしまった。やはりパンドラの箱のように開けてはならぬタブーというのはあるのだね。(編集長)

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