深川通り魔殺人事件・現場を歩く
1981年6月17日、江東区森下2丁目の新大橋通り沿いの路上で、惨劇は起きた。
午前11時半ごろ、たまたまその場に居合わせた主婦や幼児、計4人が次々と刺し殺された深川通り魔殺人事件である。
犯人の川俣軍司(当時29歳)は暴行、傷害など7回の逮捕歴を持つ男で、犯行当時は常用していた覚せい剤がまわっていた。
人々を襲った後、川俣は主婦ひとりを人質に取り、中華料理屋「万来」に立てこもった。午後6時55分、川俣が目を離した隙に人質の主婦がガラス障子に体当たりして外に脱出、警察に無事保護される。立てこもりから逮捕まで6時間以上が経過していた。逮捕され、警察に連れられて店の外に出てきた川俣は覚せい剤の影響か、ズボンをはいておらずにパンツだけ。新聞にも逮捕時の珍妙な姿が大きく取り上げられた。
午前11時半ごろ、たまたまその場に居合わせた主婦や幼児、計4人が次々と刺し殺された深川通り魔殺人事件である。
犯人の川俣軍司(当時29歳)は暴行、傷害など7回の逮捕歴を持つ男で、犯行当時は常用していた覚せい剤がまわっていた。
人々を襲った後、川俣は主婦ひとりを人質に取り、中華料理屋「万来」に立てこもった。午後6時55分、川俣が目を離した隙に人質の主婦がガラス障子に体当たりして外に脱出、警察に無事保護される。立てこもりから逮捕まで6時間以上が経過していた。逮捕され、警察に連れられて店の外に出てきた川俣は覚せい剤の影響か、ズボンをはいておらずにパンツだけ。新聞にも逮捕時の珍妙な姿が大きく取り上げられた。
都営線の森下駅を出ると、新大橋通りはすぐそこである。“通り魔事件”といえば、何となく狭い道での犯罪をイメージしてしまうが、片側2車線の幅の広い道路だったので驚いた。道路がまっすぐで見通しもいいこの場所、昼前の明るい時間に狂気の沙汰が繰り広げられたのだ。
犯人がまず1人目の女性を刺したのは森下診療所の目の前。女性はバスから降りたところをいきなり刺されたのだが、バス停は今も同じ場所にある。診療所は今では営業していないようで、看板は紙で隠されていたが、一部が取れかかっていたのでこの場所を見つけることができた。
川俣が人質を取って立てこもった「万来」は、まだ当たらしそうなタイル張りの建物になっていた。コインランドリーが入っていて、いくつかの乾燥機の中が淡々と回転している。
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