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2006年10月

2006年10月31日 (火)

山と渓谷社がたった4500万円で買収

山と渓谷社。通称ヤマケイ。1930年に創業した超老舗がIT企業のインプレスホールディングスに06年10月買収された。インプレスは資本金4500万円を取得してヤマケイを100%子会社とする。

つまりヤマケイは4500万円で買われたのだ。

この金額に驚く。ヤマケイの売上げは年間約35億円で社員数は約60人。小社とは比較にならぬほどの「大版元」(客観的には中小)がたったの4500万円で身売りされる。4500万円を私は手元に持っていないが工面する自信ならばある。それほどの少額で別業種に渡ってしまったのだ。
一瞬「私にも一言あれば……」と思ってしまったが考えてみればヤマケイの経営が順調ならば身売りもなかったわけでインプレスは買収価格こそ4500万円だが今後の人件費、印造費、印税などなどのランニングコストのマイナスをも引き受ける体力があるからできたのだと我に返った。

でも再び首をかしげる。さはさりながらヤマケイがたった4500万円で買えたという事実は揺るがないと。あれほどの老舗がそうであるという出版界の現実を。
前世紀末から今日まで出版社がバンバンつぶれている。文字通り消えてなくなった版元も多数あるが、なかには取引先に買収されたり、事実上の編集プロダクション化をして発売を他社に委ねたりとか、社員や下手すると出入りのライターさんにまで株の一部を買ってもらってしのいでいるとか(ストックオプションなどというかわいいものではない)看板こそ同じでも経営母体がそっくり入れ替わっている会社も目立つ。
その結果、新経営陣からリストラの嵐を食らって150人以上いた社員が60人程度にまで縮小されたなどという例も聞く。

書店様の淘汰も凄いの一字だ。毎年観光される日本書店商業組合連合会編の『全国書店名簿』は年々やせ細っている。現在は外注しているのだが最近まで小社は新刊案内を書店にファクスしてきたが、最初に殺到するのは注文ではなく(涙)「閉店しました」「書店じゃありません」「毎回毎回ファクスが来て迷惑です」(小社からは1回だけなのだが)などのクレームのファクスおよび電話である。
再販売価格維持制度と委託販売制度に某かの問題があるのは明らかなのだが、この両制度があるから今程度に止まっていられるのか、制度そのものが陳腐化しているのか、悪化させているのか、好転の可能性はあるのか、しばらくは持つのか、実は「お前はもう死んでいる」状態なのか、他の方法はあるのかなどが混然一体の議論となっていてわからない。

実のところ返品のヤマを見上げていると書店で安売りでもいいからさばいてもらった方がナンボかマシじゃないかと思うことがある。ただそれが制度化してしまうとナンボで売られるかまったくわからなくなるから出版計画が立てられないとのジレンマに陥る。

通常のメーカー(出版社)→卸(取次様)→小売り(書店様)の業容になれば、つまり再販制度の下でメーカーが値付けをせず、小売りに価格決定権を与えると、おそらく小社のような本は値が付かない可能性が大だ。何しろ本は究極の多品種である。類書という概念はあるが中身はそれぞれに違っている。それらを卸や小売りがすべて吟味できるはずもない。これは取次や書店の方々を無能呼ばわりしているのではない。人間の限界を超えた作業だと言っているのだ。
となると著名人を囲っている大版元の商品中心になろう。小社のような零細も売れ筋を強く意識した商品作りに転化するしかない。現に新人・無名の作者の作品は配本不要と明言する書店様もある現状だ。
そうすればいい。売れ筋で勝負するのはどのメーカーもやっていることでアンタの主張は甘えだとの批判もあろう。だからそうだと受け入れてもいい。では品ぞろえと価格決定権を当の書店様はお望みであろうか。

現在、書店様の正味(取り分)は定価の約2割である。再販と委託販売がなくなれば、この計算自体が意味をなくす。取次様から卸値で自由に商品が手に入る態勢が仮に成立したとして何の商品をどれだけ卸から入れるかとの判断をどう決める。今の制度ならば売れない本は出版社に返せばいいのだが何もかも買い切りとなると卸値に乗せた小売値で商品をさばき、少なくともその総体がプラスにならないと書店は立ち行かない。
やはりネットを利用したモデルを考えるべきである……というところまでは出版社・取次・書店ともども暗黙の合意はしている。しかしなかなか進まない。例えば注文一つにしてもe-mailが普及して久しい現在でさえファクス注文とスリップが大半を占める。直接の営業でも書店様からバーンと番線を押してもらう商習慣は変わっていない。
袋小路である。ああ仕事そのものをブログで書くものではないな。袋小路では下げもつけられない。錯綜するギターのアンサンブルがフェードアウトしていくように終わるしかない。すいません。(編集長)

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2006年10月30日 (月)

池袋・東急ハンズ前の通り魔事件

Han  今月26日、練馬の路上で警官3人が包丁で切りつけられた。
 犯人の無職の男は、Tシャツにブリーフという格好だった。男は統合失調症を治療中であり、犯行時も一般的に言う「マトモ」な状態ではなかったとされている。ブリーフ姿で「マトモ」ではない、というあたりで自然と深川通り魔殺人事件の川俣を思い出した。(犯行時の年齢が同じ、犯行時刻も近い。偶然だけど。)
 ただ、今回の練馬での事件は、警官は重症を負ったものの命を取りとめている。すぐさま警官が駆けつけることができ、被害が広がらずに済んだというところか。

 通り魔事件を調べだすと途方もない数になるが、その中でも、ひょっとすると現場に居合わせることになったかもしれない事件がある。
 99年の9月8日に起こった池袋での通り魔事件だ。
 池袋1丁目の東急ハンズ前、サンシャイン通りの人通りがものすごい場所で事件は起こった。犯人・造田浩(当時23歳)は「ナウンジャタウン」のある地下道から東急ハンズに上がるエスカレータから降りる位置に立ち、上がってきた人々を無差別的に切りつけた。2人が刺殺され、6人が重軽傷を負うすさまじい事件だった。しかも、白昼の11時半ごろである。
 造田の家にあったメモの「わし以外のぼけナス殺したるけんのう」「アホ今すぐ永遠じごくじゃけんのう」という文言で、「ああ、あの事件か」と思い出す人もいるかもしれない。
 事件があった次の日、大学生だった私はハンズに用があってその場所に行った。恥ずかしながら、その時点で事件のことは知らなかった。ハンズは普段どおり営業していたような気が(たしか)するが、警察の現場検証がまだ行なわれていて「何が起こったんだ!?」と思ったのを覚えている。
 造田は住所不定とされていたが、この頃は赤坂のビジネスホテルに泊まったりしていたようだ。
 メモの文言から分かるように、造田の生まれは東京ではなく岡山。高校時代に両親が突然失踪、そして高校を中退、その後、パチンコ店、塗装会社、人材派遣業、新聞販売所を転々としていた。
 事件を知らずに現場に行ったが、時間帯的にも1日早めに行ったらもしかして危なかったのかもしれない。
 造田は02年に東京地裁で死刑判決、控訴するが東京高裁でも死刑判決。現在上告中である。

 日曜、池袋東急ハンズ前はとにかくものすごい人人人。
 しかしこれほど人がいるのに、当時そこにいた人はどこかに流れていったのか、飲み屋の呼び込みでさえ事件を知らないようだった。
 ハンズの店員は急がしそうでマトモに取り合ってくれず。さすがにハンズの店員の中には刺殺事件を知るものがいるのだろうが、それにしても現場近くにではほとんど知る人は発見できず。
 これまで足を運んだ現場はまだ少しは地域のネットワークが機能しているのか、40年以上前の帝銀事件なども知る人がいた。ハンズ前の事件はそれに比べると7年前とまだ浅い、それにも関わらず見聞した者は極端に少ない…。
 なるほど、人の移り変わりが激しい場所、人が住んでいない繁華街では風化のスピードは速いということか。たしかに、よく見ればビルに入っている飲み屋も喫茶店も、当時とは別の店舗になっている。(宮崎)

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2006年10月29日 (日)

月刊『記録』11月号発売!

『記録』11月号が発売。今月号のラインナップはこちら。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~astra/link/test11.html

■今月の特集は、「ネット新聞の先駆者・日刊ベリタに聞く!」

「独立系インターネット新聞」日刊ベリタ(http://www.nikkanberita.com/)は02年にサイトの運営を開始、06年10月の時点では月刊50万アクセスを超えるまでに成長している。
 ベリタには立ち上げから「アジア記者クラブ」のメンバーが多く関わっており、永井さんは元毎日新聞記者。現場に関わってきた者だからこそ長年感じてきた「報道への批判」がベリタの根底にあるという。
「『論』はもういい、ストレートなファクトで勝負しろ!」と言う編集長・永井浩氏。彼が率いる「独立系」なベリタの歩みと活動に迫った!

 

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2006年10月28日 (土)

『吉原 泡の園』第3回 「吉原周辺公園記」

 吉原ソープランド街の中、近辺には多くの公園がある。客として吉原に訪れる者は気にもしないだろう吉原近辺公園記を書くため、平日夜三度吉原に向けペダルをこいだ。
 三ノ輪交差店までくると、明らかにソープの送迎車と分かるセダンが徘徊している。コンビニの前には客らしき男が時計を気にして待っている。それを横目に吉原を目指すと、1つ目の公園に到着する。
 
「東盛公園」
広さ☆☆☆
遊具☆☆
ホームレス
トイレなし 
 昼間は親子連などで賑わい、比較的吉原から遠いので、ホームレスなどもいない様子だ。ちかくのマンションなどの住民が多く。綺麗だし感じは良い。

「吉原公園」
広さ☆☆
遊具☆
ホームレス☆☆☆
トイレあり
 吉原公園は吉原の中にあるだけあって、ホームレスが占領しているし、集めた空き缶が45リットルの袋5枚分ほど詰めて置いてあり、トイレがあるが中々行きづらい。また、道を挟んでソープランドが並んでいるので、吉原公園に行くまでにボーイに「うちの店においで~」という視線を浴び、面倒だ。たまに屋台のおでん屋、ラーメン屋が出る公園だ。

「千草公園」
遊具☆
広さ☆
ホームレス☆☆☆
トイレなし
 この千草公園が、「アストラ刊・記録・泡の底」に出てくるTさんや、夜中僕が酔っ払ってよく休んでいた公園だ。薄暗く、トイレもない。ホームレスも多いが、寮から1番近かったので、よく利用した。立ち仕事で足がよくつり、滑り台に横になって耐えていると、疲れて寝てしまったりもした。よくホームレスに財布などを取られなかったものだと、今思い返している。

「京町公園」
遊具☆☆☆
広さ☆
ホームレス☆☆
トイレあり
 夜、1番明るい公園で、近くにはローソン、旅館、情報喫茶、定職屋などがある。ボーイ時代、ここで油を売っていた。たまに風俗譲もここで休んでいる。

「花園公園」
遊具☆☆
広さ☆☆☆
ホームレス☆☆
トイレあり
 広いが、薄暗い。女性は夜あまり近づかないほうが良いかもしれない。もっとも行く人もいないだろうが。トイレは道沿いにあるので、よくタクシードライバーが利用する。

「中部町会公園」
遊具☆☆☆
広さ☆☆
ホームレス ゼロ
トイレあり
 ここはホームレスがいない。なぜならまだオープンしていない公園なのだ。柵が巡らされている。11月1日。隣りにある一葉記念館のオープンに合わせての利用となるのだろう。一葉記念館リニューアルオープンには、瀬戸内寂聴氏の特別公演がある。
 12時30分開場
 13時開演 お題(私の一葉)
 樋口一葉ゆかりの地であるここは、近くに一葉泉という銭湯もあるし、一葉煎餅というお菓子屋もある。一葉にあやかっての商売もしっかりやっているあたりが、さすが吉原という感じだ。この一葉煎餅からペダルを45回こいだ所が吉原の入り口になる。
 次回、公園記事の機会があれば、現在の立ちんぼ売春が生きている公園で、吉原にも関係の深い土地からのレポートを考えている。公園シリーズはまた機会があったらお伝えする。(關一星)

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2006年10月27日 (金)

改訂!! 補選麻雀 温かい北風が安倍を包む

★点数計算の間違いを読者に教えてもらいました!

ありがとうございましたm(_ _)m

というわけで、ひそかに改訂版です!

南2局一本場

東 金正日         2万3500 点
南 安倍晋三        3万5000 点
西 小沢一郎(俺)     3万3500 点
北 志位和夫          8000 点

「ロン」
 ダマの志位が声をあげた。
 おかしい。すでに終盤。マイナス2万2000点ともなれば勝負するのが当たり前。彼のカワにはトイツ場くさい捨て牌が並んでいたし、高い手に興奮していた様子もない。ツモ切りこそ続いていたが、何を張っていたんだ。
「発のみ」
 安すぎて点棒を取り出す金正日でさえ笑っている。たまらず俺は声を荒げた。
「おい、志位! 空気読めねぇ野郎だなー。この終盤でなにやってるんだよ。ドンケツのおまえが、そんな低い手で上がっても、トップの安倍を利するだけだろうが!」
「小沢さん、それは違います。点棒の過半数を占めようと思うなら、まずすべての局に勝負しなくてはいけません。すべての局に候補者を立ててこそ、共産主義革命は成功するのですから」
「だからって、1500点じゃ何の足しにもならんだろ。俺は安倍を倒そうとチンイツ狙っていたわけよ。山を締め上げて吐き出せた萬子で固め打ち、やっとイーシャンテン(一向聴)までたどり着いたところでノミキック。許せるか、こんなこと」
「まあまあ小沢君もカッカしないで、ただ地道に組織を締め上げて、決め打ちで染めるチンイツは手法として古くないですかね。受け口を広くして浮動牌を取り込んでいくべきではないでしょうか?」
 代打ち稼業の3代目、祖父が偉大な打ち手だったことだけしか自慢のない安倍がニヤニヤ笑いながら早口でまくしたてた。

 ラス前の親は安倍。オーラスで逆転するためにも軽く流しておきたい。割れたのは金の山、ドラ表示牌は北。東を重ねられたら親マンが炸裂する最悪の展開となった。
 安倍を除き4順目まで互いに一九字牌を捨てる当たり前の展開。しかし西→一萬→白→南と捨てた後の5順目、金の捨て牌から勝負は動き始める。
 東!
 ション牌のドラであり、トップ目の親の風牌を5順目で放流。これに噛み付いたのは安倍だった。
「金さん、この牌は雀卓という国際社会に対する重大な挑戦ですよ。責任払いも含めた制裁を要求します。というわけで、ポン」
「何だと! そっちがこのまま圧力を高めるなら宣戦布告と見なし、相次いで物理的な対応措置を講じるぞ」
 売り言葉に買い言葉で金が反撃する。
「金も場を読んで動いてくれよ。親満あがられたら勝負が決しちゃうんだぜ」
 ふつふつと怒りがこみ上げ、思いのほか大きな声を出してしまった。
 しかし次順の金の捨て牌は六ソウ。安倍が字牌を出さないで、マンズとピンズの中張牌を2~3順目で捨てているのにである。
 しかしここでも噛みついたのは安倍だった。

「金さん、このような捨て牌は常識的に許されませんよ。あなたがポンやチーすることを認めない輸入禁止所措置を発動すべきだ。というわけでポン」
「金、北から安倍に風を送り込んでどうする!」

さすがに腹が立って、金を怒鳴りつけた。
 しかし金の次牌は、アンカンでドラを増やしておいてからの白だった。
「このような国際社会を無視した行動は絶対に許されません。ただ、それはともかくとしてポンです」
 安倍のミエミエの手に北の金が援助し続ける。これぞまさしく「北風」だ。もしかして金は安倍のおひきなのか。新たな疑惑が心に浮かんだ。
 そして11順目、金のナキでツモの順番の繰り上がった安倍がホンイツ、東、白、ドラ3にカンドラが2個追加の親バイを積もった。
「おい、コンビ打ちをやめろ」と怒鳴りつけると、志位も後に続いた。
「富める者がさらに富み、貧乏な人はそこから抜け出せない格差社会を私は許しません」すでにハコテンの志位の言葉は重い。

 しかし勝敗はほぼ決した。北風を受けての安倍の上がりを、この後も誰も止めることはできなかった。(大畑)

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2006年10月26日 (木)

石原慎太郎の天皇観と「あれをした青年」

石原慎太郎東京都知事が秋篠宮悠仁親王ご誕生に当たって都議会で述べた言葉は素っ気なかった。

「首都東京の知事として、都民とともに心よりお慶び申し上げます。親王のご誕生は、都民、国民が久しく待ち望んでいた慶事であり、親王殿下が秋篠宮ご一家の深い愛情に包まれながら健やかにご成長され、皇室が益々ご繁栄されることを祈念いたします」

もっと大喜びしそうなイメージを抱いていたから意外だった。だが考えてみれば彼は現在の天皇制には否定的だったからバカ騒ぎしないと変だというのは偏見だった。
私は石原知事が嫌いである。なぜならば差別主義者とさえいえる偏見を時折披歴するからだ。だからといって彼を偏見の目で見ては同類になるからいけない。
とはいえ何となく腑に落ちない。何かを忘れている。何だっけ……と実は先週末まで引っかかっていたが稲妻のように思い出した。そうだ!「あれをした青年」の件だ。

「あれをした青年」とは『文藝春秋』1959年8月号に石原が著したエッセーである。同年4月10日、東京で行われた「皇太子成婚パレード」で皇太子夫妻(現在の天皇皇后両陛下)の乗った馬車に投石して逮捕された「皇太子成婚パレード投石事件」の犯人少年が石原の宿泊地を訪ねて「僕の気持ちを聞いてもらいたい」と申し出、それを受けての一文だった。
投石した少年は石原にも警察にも、その後のメディアの取材にも一貫して犯行の動機を次のように語っていた。
皇太子夫妻が住む東宮御所が2億3千万円もの巨費を投じて新築された。ミッチーブームに引き続いたパレードのバカ騒ぎも腹が立つ。なぜならば自らの地元も含めて貧しいまま困っている国民が多数いるなかでの天皇家の振る舞いは何だ。投石後は馬車に駆け寄って退位を促す直訴をするつもりだった、と。
興味深いのは少年の言い分を紹介した後の石原自身の感想だ。「あれをした青年」の最後に石原は次のように結ぶ。

「天皇が国家の象徴などという言う言い分は、もう半世紀すれば、彼が現人神だと言う言い分と同じ程度笑止千万で理の通らぬたわごとだと言うことになる、と言うより問題にもされなくなる、と僕は信じる」
「彼(投石少年)の話の殆どが殆どの人間に理解されるだろうことを僕は信じる。(中略)現代では狂っている人がまともで、まともな奴がおかしいと言うことを誰もが感じているはいるのだ。その誤謬を修正する直接の行動のためには、今日では矢張り一種の狂気に近い誠実さと勇気がいると言うことも」

象徴天皇制は日本国憲法の産物で「憲法廃棄」を唱える石原知事の今日の主張と通じる。不思議なのは石原がそれを「現人神だと言う言い分と同じ程度笑止千万」としている点だ。つまり戦前の天皇のあり方もまた石原には「たわごと」だった。
そして彼の言う「もう半世紀」はほぼ過ぎ去った。だが「問題にもされなくな」ったのは「殆どの人間に理解されるだろう」と予測した「皇太子成婚パレード投石事件」の方だ。石原は投石少年を「まともな奴」「誤謬を修正する」「狂気に近い誠実さと勇気」の持ち主とたたえている。
少なくとも1960年代の石原は天皇家の慶事に投石するような者が会いたくなるような人物だった。そして石原も文章で応えた。彼が「誠実さと勇気」を少年のどこに見たのか。

石原知事の著書『「アメリカ信仰」を捨てよ』(光文社刊)で彼は天皇を「元首であると明記」して「権力を持たない権威としての天皇のあり方」を憲法上明らかにせよと述べている。この辺から石原知事を戦前回帰の国家主義者と位置づける向きもあるが、どうやらそうではないらしい。

2006年2月6日付『産経新聞』に「祭司たる天皇」と題された石原知事の天皇観がある。長文であり難解でもあるので私自身による要約を許されたい。
記事によると知事は

「天皇は神道の最高の祭司に他ならない。ならば神道もまた宗教の一つではないかという反論があろうが、私には神道は宗教というよりも日本人の心情、感性を表象する日本独特の象徴的な術だと思われる」
「その集大成が伊勢に他なるまい」
「神道は宗教の範疇を超えた日本人の価値観の表現の様式であり、民族としての自己表現の有効な一つの手立てに他ならない」
「私がこの現代に改めて天皇、皇室に期待することは、日本人の感性の祭司としてどうか奥まっていただきたいということだ。(中略)その限りで私にとって天皇が女性であろうとなかろうと関わりないことと思われる」
「その故にも(中略)天皇陛下には是非々々とも靖国神社にお参りしていただきたい。それは『靖国』が決して政治問題などではなしに、あくまで日本の文化神髄の事柄なのだということを内外に示す決定的なよすがとなるに違いない」

と主張している。

なるほどこのロジックならば皇太子成婚パレードにも悠仁親王ご誕生にも「バカ騒ぎ」しない理由もわかる。どうやら石原知事に抱いている我が反石原陣営(そんなのがあるのか知らんが)も石原信奉者も彼の真意を読み誤っているのは共通しているようだ。

まず石原知事は神道を宗教ではないとしている。久米邦武の「祭天の古俗」に近いのだろうか。そして神道は「日本人の価値観の表現の様式」で天皇は「最高の祭司」で「集大成が伊勢(神宮)」で「天皇、皇室」は「奥まっていただきたい」。別に女性天皇でも女系でも「関わりない」というわけだ。
ちょっと待てよ。天皇は伊勢神宮の親分にでも収まっていればいいのだという主張は天皇制反対派が時に便法として使う論理だ。女系天皇反対論は「皇統125代」を信じ込む頑迷者が叫んでいるが知事は「関わりない」とまで言ってのける。
神道が宗教でないならば靖国神社も宗教ではなくなる。靖国の天皇参拝は靖国神社および崇拝者の望むところであろうが「靖国は宗教ではない」には猛反発をするであろう。

と、ということは石原知事はリベラル……なのか? こうした主張は「あれをした青年」以来ぶれていない。確かに神道は来世観が明確でないし聖書やコーランに当たる聖典(古事記と日本書紀)の内容もハチャメチャ……間違えた、人間くさい。神様山盛りだが欠点さらけまくりだ。
だから宗教の位置から「価値観」としその「感性の祭司」として「奥まって」いるように憲法1条を改正(知事は「破棄」なんだけど)した「元首」ならば表立っての天皇の権能は現憲法より下回る。そうじゃないハシャギぶりを皇室がしたら石を投げてしかるべしと。
いっちょう乗ってみるか。面白そうではある。それとも私の誤読? 今回に限っては誤読であってほしいと願う自分がいるようで……(編集長)

※注:文中に「石原」と敬称を略した部分は作家としての石原慎太郎氏を示す。論壇などで作家、例えば大江健三郎氏を「大江は」と表記するに準じたに過ぎず他意はない

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2006年10月25日 (水)

9.11疑惑も深いッス

911  9.11事件が起こった時、友達と飲んでいた記憶がある。店を出たとき友人からメールがあり、「貿易センタービルが崩れているから早くテレビで見ろ」と書かれていたんだった。慌てて自宅に帰り崩れ去るワールドトレードセンターの映像を見たととき、かなりの衝撃を受けた。

 その9.11事件がヤラセだったんじゃいのかという話はネットでもかなり出回っており、いくつかはサイトは目を通していたのだが、そうした疑惑をまとめた『9.11の謎 世界はだまされた!?』(成澤宗男 著  (株)金曜日)を読み、けっこう怪しい事件だよね、と改めて感じてしまった。
 事前の株操作、当日にやたらと実施されていた演習、みつからないブラックボックス、ペンタゴンで見あたらない主翼などなど。まあ、いろいろ出てくる出てくる。この様子だと、まだまだつじつまの合わない話が出現しそうだ。ケネディー暗殺同様、9.11の疑惑についての書籍もまだまだ出版されるだろう。

 で、本当はどうだったのだろう、というと結局ハッキリとはわからない。不可思議なことは多すぎるが、米国政府の陰謀と考えるにはもう少し検証が必要かなと。
 ただ9.11以降、米国が大きく姿を変えたのは間違いない。アラブ系の人々が容疑すら確定しないままに拘束され、個人のメールや電話を検閲する超法規的権限を大統領が持ったりもした。少なくとも自由の国って感じではない。

 もう30年近く前になるが、仕事の関係で親類がソ連に住んでいたことがある。当時聞いた話で記憶に残っているのは、その家族が動物園に行こうとしたときのことだ。休日に少し郊外の動物園に車で行こうとしたら道を間違えてしまった、と。するといきなりパトカーに停止を命じられ、何も話してないのに動物園の道順を教えられたという。
 また「玄関の扉に髪の毛を挟んで何回か外出してみたけれど、必ず髪の毛が下に落ちていたのよ」とも、その親戚は話してくれた。さらに気持ち悪かったのが、下戸で一滴の酒すら飲まなかったジャーナリストが、ある日酒酔い運転で死亡したという話だった。

 国家権力ってなんだという話になると、僕はこの親戚の話をよく思い出す。結局、権力者の欲望はソ連のような体制を目指してしまうのだろうと感じるからだ。正直、自分が権力者になっても同じようなことをするだろう。
 監視し、管理し、収奪し、操作するのだ。
 ダマされやすいくせに疑い深いという性格の生み出す世界かもしれんが、とにかく権力者をまともには信じられないのだから仕方がない。
 というわけで、今回は『9.11の謎~』は自分の好みに合っていたという話であった。だからどうしたと言われると、身も蓋もないッスね。(大畑)

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2006年10月24日 (火)

マライア・キャリーの来日コンサート

10月20日のさいたまスーパーアリーナで観てきた。

以前からMariah Careyにはある確認をしたいと思っていた。05年のアルバム“The Emancipation Of Mimi”の大ヒットでグラミーも獲得し“We Belong Together ”が14週、“Don't Forget About Us”が2週にわたってBillboard Hot 100のNO.1になったために深刻な「問題」を抱えていたのだ。
BillboardのThe Most Number OneはThe Beatlesが20曲で歴代トップ、Elvis Presleyが17曲、Mariahは前記2曲を合わせると17曲で遂に“King”Elvisと並んでしまった。
まだある。The Most Weeks at Number Oneの方はElvisが79週、Mariahが77週、Beatlesが59週とすでにBeatlesを抜きElvisに2週差と肉薄している。
Kanye Westはやる気満々だろうから次作で1曲でもNO.1が2週以上続けばWeeksで歴代1位、3曲でThe Most Number Oneでも歴代1位になる。十分にあり得る数字だ。
それで冒頭の「確認」である。Mariahとはそれほどのミュージシャンなのか、と。

確かにスーパースターは間違いない。だがElvisとBeatlesを抜く、ないしは並んで歴代1位となっていいのかとなると話は別だ。直截な表現が思いつかないのでたとえ話をするが、ボンズがルースとアーロンの通算本塁打記録を抜いていいのかというのに近い感覚である。

背景にはBillboardの集計方法の変化もある。長い間The Most Weeks at Number One by Songでは1959年の“Don't Be Cruel/Hound Dog”(Elvis)の11週がトップだった。60年代から80年代までずっと。
ところが90年代に入って92年にBabyface会心の仕掛けによるBoyz II Menの“End of the Road”が8月15日の週から13週連続トップの新記録を打ち立ててから続々と10週越えのメガヒットが生まれてくる。同年11月にはWhiteny Houstonが“I Will Always Love You”で14週の新記録を更新し95年にMariah Carey&Boyz II Menという当たるしかない組み合わせで“One Sweet Day”が出た。同年末から翌年3月までずっとこの曲がかかり続けていた。結果は16週連続。現在の最長記録だ。
Mariahを観るとは1955年にBill Haley and His Cometsが“Rock Around the Clock”でロック元年をうたってから50年以上にわたるロック史上最高のヒットメーカーを観るに等しい。少なくとも数字上は。しかもMimiのヒットは最近であり現役感バリバリである。それほどの存在なのか。

会場の入りは何と6割程度。ガラガラに近かった。奥の席の客は空いている前の方に移動が許され、当日券はガンガン売っている。おかげで開始時間は50分ほども遅れた。これが史上最高のミュージシャンのコンサートなのだろうか。
やっと出てきたMariahは日本ではもう死語となりつつある「ビキニ」風。良くも悪くもヤバイ。良いヤバイとはデビュー時に絶世の美女とされ36歳の今も美しいには違いない女性が超露出してくれるうれしさ。悪いヤバイはお腹のお肉である。私は痩せぎすが好きなわけではないので構わないが世の女性が憧れるプロポーションには遠い。それでも14キロ減量していたらしいのだが。
しかも数度にわたって「お色直し」で消えるので、その度ごとにお呼びじゃないDJやら別人の歌やらが穴埋めに挿入される。したがって正味の歌唱時間は1時間を切る。アリーナ1万円以上にしてはサービスが極度に不足していた。何のパフォーマンスもせず単に歌いまくるだけでアメリカ人には不評なoasisがサービス満点に思えてくる。
いっそのこと「お色直し」をステージ上でやってほしかった。もちろんカーテンなどで隠してだよ。消える前後からいわゆる「口パク」になるのもどうか。

肝心の歌声は予想よりも声量はあったが売りだった超ハイトーンはさすがに苦しい。悲鳴に聞こえた。ヒット曲のオンパレードなので駄作はないが工夫もない。何よりもMimi以前と以後、言い換えればリストラ以前と復活以降の乖離がこなれていない。

終了後の第一印象は「Beatlesを目撃した」「Elvisと空間を共にした」という劇的な満足感にはほど遠かった。やはり大幅な遅れが響いたのか。これはMariahの責任ではなく興行元の怠慢ないしは傲慢な予測に基づくガラガラを観客不在で辻褄合わせした結果であろうが何にせよMariahの集客力がそうだったとの事実は揺るがせにはできない。
Mariah CareyはMadonnaと並んでSean PaulあたりのHip hopにはスピードについていけない日本人には好まれるアーティストだと信じ込んでいたから不入りは意外だったが案外とそうでもなかったのか。とにかく「歴史を目撃した」という感動はなかった。(編集長

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2006年10月23日 (月)

■バックナンバーについて

 さて、今日は『記録』のバックナンバー紹介です。
 突然ですが、バックナンバーを希望の方には無料で送付します(ひとり最大3号まで。1号につき1冊)。在庫として眠らせておくのも勿体ないので…。10月いっぱいのサービスとなります。
 ご希望の方はメールで jbb01647@nifty.com まで。住所、氏名、電話番号と「バックナンバー希望」で号を指定してください。
 見返してみて、けっこう色んな特集を組んできたんだな、と編集側の人間が思っていたりします。
 最新11月号は鋭意製作中!

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(編集部)

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2006年10月22日 (日)

日曜ミニコミ誌! 神楽坂的なミニコミ

Kagu  さて、今回は「街系」ミニコミである。
 季刊『神楽坂まちの手帳』。表紙を見て分かるとおり、パッと見た感じシック。
 街系のミニコミは「元気と勢いで街の良さをアピール」型と「街のよさをじっくり味わって頂こう」型に大別されるが(本当か?)、この『神楽坂まちの手帳』はハッキリと後者に属します(たぶん)。
 イラストや曲線が少ないせいか、直線的な並びが基調となっていて品行方正な印象を受ける。
 内容も、表紙のイメージとそれほどかけ離れることはなく、オトナ感溢れるラインナップになっている。この14号の特集では「神楽坂と本」として明治時代の文士や印刷所、名編集長を取り上げている。
 特集を読み終えてさらに読み進めると、突然「政界早稲田人脈」などという連載モノ(森田実・執筆)に出くわしたりする。今回は海部俊樹や河野洋平を取り上げている……、のは分かったが、なぜそんな連載を載せているのかはナゾ。
 街系ミニコミには欠かせないイベント紹介や商店の広告も掲載されているが、記事と誌面は「やぁ、遠路はるばる……」ともてなしてくれるでもなく、淡々と並んでそこに収まっている感じがする。
 そういえば、実際の神楽坂もそんな感じするかもしれない。再開発で揺れる下北沢は道端にまで「オレたち下北!」というエネルギーがはみ出してるけど、神楽坂を歩いていて「オレたち神楽坂!」と訴えてくるようなテンションには遭遇することはない。
 ミニコミ的平均以上に記事の中に歴史を扱う割合が大きいので、神楽坂をじっくり見てまわろうという人にとって適した1冊。(宮崎)

(■A5 98P 480円 季刊 展望社)

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2006年10月21日 (土)

『吉原 泡の園』 第2回 この地で40年のラーメン屋

 さえなく暇な吉原で今日も一生懸命仕事に精を出す人々がいる。それが吉原の弁当屋兼飲食店だ。
 お客は風俗譲に寿司をご馳走し、風俗譲はサンドイッチを配達してもらい、ボーイは長い1日をうまい飯を食べ何とか体力を維持し、仕事をやり抜く。吉原の中だけで数十軒の飲食店があり、それぞれの店の特色を生かして吉原に寄生して生きている。僕の働いていたR店の裏に○楼という中華屋があった。老夫婦が営む小さなラーメン屋である。10月のある日の夜、僕はまた吉原に向かった。

 7日土曜日からの連休の最後でもあり、暇な毎日にあるものの少しはお客さんの流れもあるようだった。○楼の取材にいくつもりだったので、道中店が休みでないことを祈った。遠くから、○楼の明かりと、暖簾が見えたのでホッとする。
「ごめんください」
店に入るが、テレビの音だけが奥から聞こえて厨房には人がいない。
 老夫婦(推定70代)がテレビを見ていて客が来たことに気づかないのだ。首を伸ばしてもう一度言うと、慌てておばさんが出てきた。3年程前とちっとも変わらない、いつもの割烹着姿で厨房に入る。僕はラーメンを注文した。500円玉を1枚カウンターに置く。
 以前R店にいたことを告げ、今日はおばさんの話しが聞きたくて来た事を言うと、照れくさそうに微笑んだ。

 吉原で40年前から中華料理屋を夫婦でやっているのだそうだ。遊郭が消え、赤線と呼ばれる国公認で売春を行なう赤線地帯だった頃も知っていた。来たばかりの頃は、今のようなソープランドの店でなく、旅館がズラリとあったそうだ。その旅館で売春させるのである。旅館の前や道路に売春婦が立ち、少しでも目があった人に。
「お兄さん遊ぶ?2万でいいよ」
 などと声をかけていた。吉原はそんな場所だった。昭和33年、売春禁止法が出来て、トルコ全盛になる。当然○楼のおばさんもトルコに出前に行った。ところが、トルコという名称に対し、トルコ人青年からの抗議を受け、1984年12月19日名称をソープランドとし、吉原は日本屈指のソープランド街に成長していった。
 トルコ大使館などに、客がタウンページなどで調べて電話するのだが、本物のトルコ大使館をトルコの店と間違えて電話する人が多く問題にもなっていた。
 バブルがはじけたことや、オリンピックに向けた都知事の風俗嫌い、偏ったエイズなどの知識、長年に渡る吉原のお客さんを愚弄する商売方法などさまざまな要因が重なり、今や閑古鳥が鳴いている。そんな吉原の今を嘆いていた。
  ソープ店との関係については、今まで出前に行って怖い目にあったことはないそうだ。つまり、吉原ボーイが、おばさんを必用とし、母のような存在で見ている人もいたのだろう。ボーイは家庭的にも恵まれないものも少なくない。どこか母とかぶるおばさんを見て、安堵していた人もいるのかもしれない。ただ、良いことばかりではない。吉原に遊びに来た客が、○楼に飯を食べに来て、食べ逃げされたことも何度もあるそうだ。  
 また以前は風俗譲などの出前では、突然風俗譲に仕事が発生したりするとお金の回収が出来なくなったりもしたそうである。今はフロントで立て替えてくれるので問題はないという。

 僕が注文したラーメンが出来た。カウンターにのせ、「お待ちどうさま」と微笑む。なつかしい支那そばである。○楼の人気メニュー1位がカツカレー2位がチャーハン3位が日替わり弁当だそうだ。それなのにあえてラーメンを注文したのは、当時1番安いラーメンをよく食べていたからだった。写真を撮らして欲しいとお願いすると「撮るほどのもんじゃないですよ」そう照れていた。 多くのボーイや風俗譲を癒し、おいしく安い料理を提供する、吉原の縁の下の力持ちであることは間違いない。食べ終えた後、「また来るかもしれません」と言うと。
 「機会があったらまた来てください」
そう温かい言葉をかけられた。

 懐かしくてボーッと○楼の窓から表を見ていると、大急ぎで自転車をこぐKちゃんをチラリと見た。なぜ、大急ぎだったのかは「記録」に詳しく書いてあるので、あわせて読んでもらえれば意味が分かる。なお、Kちゃんとは同じ寮に住んでいたボーイだった人だ。随分と禿げあがった頭以外は、スケベな顔は変わらなかった。当時のメンバーがまだまだ吉原に生息して活躍していることが、何だか我が事のようにうれしかった。当時鬼マネジャーだった人について聞いてみたが、よく分からないと言われた。
 客1人だけの店内で食事中、注文の電話が1本も鳴らなかった。祝日なのに。
 これから冬の寒さは厳しいだろうが頑張ってくだい。(關一星)

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2006年10月20日 (金)

核実験麻雀 怒濤の安倍首相と米中朝半荘編 VOL.2

東2局一本場

東 金正日         2万5000 点
南 ジョージ・ブッシュ   2万7600 点
西 安倍晋三(私)     2万5000 点
北 胡錦涛         2万2400 点

【前回までのあらすじ】
 金正日の仕掛けたサマに場は騒然。ツバメ返しか、ただのぶっこ抜きか、疑心暗鬼に陥ったブッシュと安倍と胡はベタ降りを繰り返していた。

 ―― ※ ―― ※ ―― ※ ―― ※ ―― ※ ―― ※ ――

「国際社会に対する脅威である。ツバメ返しをしたと金正日も認めているのだから制裁が必要だ。いますぐバップだ!」
 六萬を切りながらブッシュが怒鳴った。ブッシュが同時に卓を囲んでいるイランがツバメ返し開発を行わないためにも、金に対して断固たる姿勢を取る必要があると感じたのだろう。
 もちろんブッシュ兄貴が声高にバップを叫ぶなら、私も大声で叫ぶ必要がある。
「こら、金、すぐバップ払わんかー!」
 ブッシュ兄貴の六萬を合わせ打ち怒鳴った。
「しかしツバメ返しだと疑って、すぐに牌を倒させるような臨検するなら、雀卓上でのヤッパの抜き合いに発展しかねませんよ」と胡錦涛がなだめ、東を切る。
 大三元と字一色(ツーイーソウ)を警戒し、互いに中張牌 (チュウチャンパイ)を切り続けているなかでの東。通常ならあり得ない。
 さらに胡の東にブッシュ兄貴が反応した。
「ポン」
 これは胡がブッシュに通しに違いない。そのアピールのための鳴きだ。そう読み切り、卓から視線を胡錦涛の背後に移すと、怪しげに動く人物が目に入った。唐家セン! どうやら彼が通しを決めたようだ。
「まあ、サマの検査は各国の義務ではなく、『要請』にしようか」
 ブッシュ兄貴の態度が一気に軟化する。
「それじゃあ、金のツバメ返しに深刻な憂慮を示すとともに、コンビ打ちなどによる役作りを進める牌の禁輸などの制裁決議を採択しますか?」
 このブッシュの提案に、抜け番の盧武鉉も含め全回一致で採択が行われた。
 よほど悔しかったのだろう。金は「わが国への圧力を強化するなら、宣戦布告とみなし、物理的対抗措置を執り続ける」とボソッとつぶやいた。

 とはいえ、東一局は流局。「テンパイ」の声とともに、俺の対面・金正日だけが牌を倒した。

白白白 発発発 西西西 南南 中中

 倒した途端、全員が息を飲んだ。高めのツモなら字一色(ツーイーソウ)、大三元、四暗刻のトリプル役満。
 間違いない。金はツバメ返しを試みた。そうじゃなければ、ここまで牌が揃うはずがない。ただし取り換えた牌の数が一部にとどまったのだ。まさかツバメ返しの小型化に成功したわけではないだろう。

 しかし、ここまで揃っていたとなると、金が手出しで切った2枚の四萬が気にかかる。金が第一打で五萬を切ったおかげで、五萬の筋は早めに切られていた。しかも3人が警戒していたのは一九字牌。上がり目の薄い字一色(ツーイーソウ)に固執しなくても、比較的手から出やすい四萬で小三元・トイトイにめとめておけば、親のハネマン。負けが込んでいるからこそ、反撃ののろしを上げる意味を込めて上がっておくべきではなかったか。
 それをしないということは、ヤハリ金の狙いは点数ではなく、ブッシュのとの二国間協議。

そんなことを考えていると、私の後ろから声が響いた。
「頭の回路が理解できない国がツバメ返しをしたと発表したことに対し、どうしても撲滅しないといけないのだから、選択肢としてツバメ返しという議論もあるだろ~」
 中川昭一だ。いつもベロベロで問題発言をする男だが、今日はシラフで騒いでいるようだ。
「ツバメの返しのドミノ化は避けたい」
 ほら、ブッシュ兄貴も怒っちまった。胡錦涛もにらんでる。
 俺は慌てて言ったぜ「サマ三原則は堅持です」と。(大畑)
 
 ―― ※ ―― ※ ―― ※ ―― ※ ―― ※ ―― ※ ――

やっと終わった東一局。
前回、比較的喜ばれたので続けてみたが、
なかなか勝負が決しません。

また動きがあったらお伝えします。

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2006年10月19日 (木)

読売巨人軍結成初の2シーズン連続Bクラスに想う

読売巨人軍が結成以来初の2シーズン連続Bクラスという大ニュースがベタ記事で扱われて誰も騒がない。中継途中の放送終了がファンの不評を買っていたコンテンツが延長放送中止はおろか放映さえされなくなっても何も起きない。考えてみれば大変な変化である。パラダイムが変わってしまったと言い換えてもよかろう。現に平均視聴率は10%を割った。これとて低視聴率が懸念される試合を放送しなかったから保てた数値である。
読売球団の人気低下について私はかつて分析した記事を書いた(http://gekkankiroku.cocolog-nifty.com/edit/2005/10/tokyoyomiuri_b900.html)。以前巨人ファンだったので冒頭の「大ニュース」を機に他の要因も見つめてみたい。

……ちょっと待てよ。今、私は「以前巨人ファンだった」と書いた。じゃあいつからファンを止めたのか。むむむ。思い出せない。おそらく同様の人は多かろう。ちなみに私は付和雷同の巨人ファンではなかった。毎日新聞にいた時でさえ公言していた筋金入りだったはずだ。その筋金がいつの間にか錆び付き、ボロボロになって自然と朽ち果てていたようである。

ある業界のリーディングカンパニーを取材すると必ず高慢ともいえそういな誇りと余裕がトップから社員食堂のおばさんに至るまで感じる。新聞で言えば「朝日人」を自称する朝日新聞社員のように。新入社員の頃から有望株は幹部候補生と自然とみなされ、経営陣は基本的に生え抜きが占める。
そしてリーディングであり続けようとの貪欲な盟主意識が全体を律している。それが責任感を社内にもたらし整然とした秩序を構築する。たまに同業他社が出し抜くようなヒットや発明をしても泰然としながら人一倍気にしていて気がつくと吸い取ってしまっている。
「真似した」と揶揄されながらも松下が、特長がないといわれてもトヨタがトップに君臨し続けているのがいい例だ。面白味には欠けても手堅い。

読売巨人軍もまた球界において同様であった。第一期黄金時代を率いた藤本定義監督は何があっても投手のローテーションを変えなかったし第二期の水原茂監督も追い出した早慶戦以来のライバル三原脩に比べれば地味であった。第三期の川上哲治監督が導入したドジャーズ戦法は要するに手堅さの極致である。
そして草創期の藤本定義を除いて監督は皆生え抜きだった。川上を嗣いだ長嶋茂雄と王貞治の采配は手堅いとは言い難かったが生え抜き中の生え抜き、誰もが認める大スターなので社内秩序は乱れなかった。藤田元司は川上野球の継承者で現役時代は巨人一筋だったが監督就任以前に太洋ホエールズのコーチを務めたのが問題視されたほどのこだわりである。ただこの点は堀内恒夫、原辰徳とも継承していて揺らいではいないから凋落の原因ではない。

となると問題は社員すなわち選手の採用、育成、抜擢に問題があるのだろう。現在のスタメンを見ると他球団からのトレード、FAでの獲得、挙げ句の果ては他球団から戦力外に等しい扱いを受けた選手さえ並んでいる。
では巨人の歴史のなかで他球団の有力選手を引き抜いた歴史はなかったかというと大ありだ。別所事件など最たるものである。だが彼らは生え抜き中心で構成されている社内秩序の弱点を補う役割を果たしたに過ぎなかった。
14年連続20勝以上という途方もない成績をあげていた金田正一がその記録に終止符を打ったのは巨人移籍1年目である。7回の首位打者に輝いていた「暴れん坊」張本勲も移籍後は優等生となり苦手な守備を懸命にしていた。
つまりリーディングカンパニーたる我が社以外からの外様は過去の客観的な成績がどうであれ移籍後は新参で使い捨てだったのである。
しかし今は違う。おさらく清原和博が「番長」などと称されて大きな顔をし始め、生え抜きの正統伝承者だった松井秀喜が去ったあたりで秩序は崩壊した。清原は生え抜きの元木大介らを子分とした。生え抜きで幹部候補生だったレギュラーが外様のパシリになる……。この構造こそ今日の凋落の元凶ではないか。

何を言っている。他社からの転職組でも実力があれば勝負の世界なのだから勝てるはずじゃあないかとの反論もあろう。しかしそれはリーディングカンパニーのDNAには決してなじまない発想だ。
中堅・中小企業ならばいい。業績不振を挽回すべく大物を外部から招請して一挙に飛躍を図るのはむしろ常道である。新進気鋭の新興企業は転職組が中核なのも珍しくはないし、手堅いどころか朝令暮改も当たり前。むしろ朝令暮改の方が効果的だったりもする。
だがリーディングカンパニーは違うのだ。むしろそうした新興勢力を相手に新入社員時代から会社のカラーを背負っている誇りを動機付けとして余裕の戦いをするのが習い性である。それで勝ってきた。もちろん時代に合わせた変更はあるのだが先陣は新興に切らせて、つまり鉄砲玉にして自らは後の先を行くのである。
だから巨人の選手は新人から他社からみればムカツクような誇りだ伝統だを刷り込まれる。ところが経営陣は何を血迷ったか若干の低迷を気にして中堅・中小企業がやるような強化策に転じてしまった。そのやり方をバカにしていたリーディングカンパニーの社員は当然腐ると同時に大いに戸惑う。
こうなると整然とした秩序が強みから弱みへと逆回転する。破壊された秩序にエリートは弱い。だから力を発揮できない。ならば外様が爆発できるかというと秩序が完全に破壊されない限り自在に振る舞うのは憚られるから難しい。変な言い方だが「外様」というある意味安定した位置づけを彼らもまた失ったのだ。

沢村栄治が君臨したマウンドにグローバーなる知らない外国人投手がいる。長嶋茂雄は監督時代、自らが死守した三塁の守備を熱望する松井秀喜を認めなかった。松井さえ許されなかったポジションに小久保裕紀がいる。生え抜きは自信を喪失して外様は居心地が悪い。これで強くなるはずがない。

私ごとで恐縮だが私はかつて大企業の平社員だった。今は零細出版社の代表取締役である。では社会的にどちらが偉いかというと毎日新聞の1年生だった時の方が今よりも上だ。では実力はどうかというと多少は成長したであろうから今の方が上だろう。
だからといって私が突然もといた会社の然るべき地位についたら(ありえないが)今の力は発揮できないし部下にさせられた生え抜きは猛反発するであろう。いや反発されているうちはいい。萎えてしまったら組織はお仕舞いだ。
古巣でさえそうである。ましてや見下していた格下の同業他社からだったならば。サッカー韓国代表監督に日本人を招くようなものである。その日本人がいかに優秀でも韓国代表は弱体化しよう。

高校野球の取材をした時につくづく不思議だったことがある。選手は最大3年で入れ替わり、監督・コーチも相当代わっているのに伝統校は時を超えてビックリするほど似た試合運びを折々にする。「30年前のあの試合を思い出した」なんて感想が高野連関係者から飛び交うのだ。
少なくとも野球という競技にはメカニズムはわからないけれども目に見えぬ伝統とやらが脈々と受け継がれるらしい。それが悪しきものならばショック療法もよかろうが良き伝統は大切にすべきであった。それを巨人は叩き斬ってしまった。やはりパンドラの箱のように開けてはならぬタブーというのはあるのだね。(編集長)

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2006年10月18日 (水)

「ご本人様の確認が必要」ってなんだよ!

 昨日の編集長の書き込みで、「ご本人様の確認が必要」と行員に言われて怒る!という部分があるが、自分にもそれに似たようなことで、最近イラっとしたことがある。
 なんと、マンガ喫茶でも「ご本人様と確認できるようなもの」の提示を求められたのだ! 「マンボー」のような大型チェーンのマンガ喫茶ではなく、独自の(?)お店でのことだ。
 で、ムカついたので戦ってみた。戦ってみた、というのは、それまで「確認作業」が不要だったのになぜ必要な手続きになったのか、「確認作業」について店員さん(20代半)はどう思っているのかを知りたかったこともあるからだ。
 編集長のように「俺は俺だ!」みたいなロックなことはその場で言えなかったが、たかがマンガ喫茶でマンガを読むために「あなたである証拠を見せてください」と言われることは納得がいかない。
 店員さんにたずねると、
「え、と、今月から、そうなったみたい、なんですけど」
 とドギマギして答える。たぶん、そんなことを聞かれたこともないのだろう。店員さんは、「確認作業」が必要になった経緯を知らないみたいだった。上に言われたから淡々と業務をこなす、ということなんだろう。このマンガ喫茶では、他と多くのマンガ喫茶と同じようにネットができる仕組みになっている。ネットがらみで身元の確認が必要なのかどうなのか、詳しいことは知らないが(知ってる人、教えてください)、それにしてもマンガ読むためだけに身元確認ってどうなんでしょーね。
 なるべく丁寧に、
「これって必要なんですかね? 確認作業」
 と聞いてみるが、困惑したまま、さあ……どうなんでしょう、みたいな感じでつかみどころがない。本当にあまり意識していないんだろう。

 思い当たるのはフシは他にも。少し前にバイトしていた○○急便の物流センターでは、出勤と退勤の際に指紋認証が義務付けられていた。友人の話によれば、最近はセンターを出る際、小口の荷物の盗難チェックのため手荷物検査が取り入れられたらしい。

 「確認作業」を実施するにもイラッとくる。だが、それをすんなり受け入れる側のほうにもちょっと疑問がある。大学に入ったばかりのころ、20歳以下の飲酒が禁止されているため、一浪の4月生まれの友人を連れて居酒屋に入ったものだった(1年生の時点ですでに20歳になるから)。彼の学生証を出すことでようやく堂々と飲み食いができたのだが、そのときの「確認作業」はとりあえず必然性はあった。
だが、ここ最近の「ご本人様の確認が必要」はちょっといただけない。そして、それを無意識で受け入れる風潮みたいなものもやはりいただけない。

Kan  住基ネットの登場以後、ますます国民総管理体制は進んでいる、みたいな斎藤貴男ふうのカッコいいことは言えない(断言するほど取材をしていないから)。だから、今回はなぜそこまで無意識でいられるのか、のほうについての本を取り上げてみる。
 日本のありとあらゆる組織の中で、「物事を決定するのは『空気』である」とし、それをサラリーマン同士の会話なんかを例に挙げて歯切れよく解説してゆくのが『「関係の空気」「場の空気」』(冷泉彰彦・講談社)だ。日本においては、2人のみの会話と3人以上の会話においては決定的に空気の質が違うとし、どうも2人だけだと気詰まりになる(空気が足りなくなる)、3人以上だと個人は「場の空気」に抗うことは困難である「空気」がこの国には蔓延している、と説く。そして、これは人々が顔を合わせるリアル世界のみではなく、ネットの世界においても言えることだという。これは、ものすごくよく分かる。社会生活を送る人はほとんどの人が「よく分かる」というのではないか。冷泉氏はさまざまな場所におけるこの「空気」の存在を指摘し、日本語は空気を生成するためのツールとして適していることも解説する。

 「確認作業」が必要だ、と上司、あるいは責任者に言われる。それが決定事項となれば、バイトは何も考えず、あとは「空気」がすべてを決定してくれる。あとは何も考えなくてもいい。また、行員が「確認作業」が必要だ、というから客である自分はそれに従っておけばいい。そんな「空気」がどこにでも満ちている。
 イライラしちゃうのである。(宮崎)

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2006年10月17日 (火)

みずほ銀行はけしからん

この原稿を書くにあたり1時間ほど「私怨ではないか」と自問自答した。いくら腹が立っても私怨を不特定多数にぶちまけては無名といえども名がすたる。何もせずじっくり考えた。その結果やはり公益に価する出来事だと判断して述べるとした。

みずほ銀行はけしからん!

本日(16日)小社は取引先に100万円超の振り込みをした。金があるじゃないかと勘違いしないでもらいたい。単に右から左である。念のため追加すると右より左の方が多額な分だけ工面しての決済だ。

小社はみずほ銀行に口座がありキャッシュカードで振り込んでいたが、最近ではその限度額が100万円までとなったのは知っていた。何でもマネーロンダリング(資金洗浄)防止のためだそうである。だから一発で終えるには現金で窓口で行うしかない。窓口は24時間営業も珍しくない時代に午後3時に閉まる。だからその前に乗り込むしかない。これまでで「しかない」二連発。

この時点で私はかなり腹を立てていた。当たり前だが小社および私自身はマネロンなど一度もしたことがない。決済には銀行へ手数料が入るから小社は客である。したがってこれまでできた入金の制限はサービスの低下であり客は犯罪者と疑われているとなる。

マネロンの問題は銀行が何らかの対処をして客にサービス低下の負担をかけないのが本来の姿のはずである。それができなければサービスが悪くなる分だけ手数料を引き下げるのが当然であろう。ところが銀行はそうはしない。どころか自行への振り込みは100万円で1回+残額で1回を2日にわけ、2回とも手数料を取る。つまり客に2度足を運ばせた上に手数料を倍にするのだ。
そうでなくてもメガバンクとは名ばかりで合併にともなってドンドンとATM専用のアクセスを閉鎖した結果、客がATM機の前に列をなす惨状が街のあちこちで見受けられる。21世紀の今日、旧ソ連のスーパーさながらの行列を現出させているのは今やメガバンクぐらいではないか。

というわけで窓口で決済した。長々と待たされてやっと順番が巡ってくる。お茶いっぱいも出ない。ちなみに城南信用金庫はお茶を出してくれる。すごくうれしいわけではないが客だと一応実感はできる。
普段は小社の会計責任者がやる仕事でもあり私は手書きの「振込受付書」をどうするか不案内。そこで行員に聞くと「おいくらですか。200万円以上だと御本人様の確認が必要ですが」と答えられてついに怒り……じゃなかった……疑問が沸点に達した。「オレはオレだ。オレは客だ。現金は持っている。偽札かどうか手前はわからんのか!」と。

不幸中の幸いにも200万円未満だったので窓口に呼ばれて再び仰天した。シレッと「手数料525円いただきます」だって。ATMならば1回210円ですむ(これだって法外だが)が前述の如く2回に分けなければならないから420円かかる。それが窓口だと525円。
人手がかかるから手数料だとでもいいたいのか。思わず「この手数ってあなたのもうけなのですか」と聞いたらいいえという。じゃあ誰のもうけかと聞いたら上司らしき男性が出てきて「みずほ銀行のもうけです」だって。
せっかく上司らしきが出てきたから私は上記の疑問を次々に質問した。いわくオレは犯罪者か。なぜ犯罪者扱いをするのか。サービスを下げて手数料を実質値上げするのはなぜか。上司らしきは「すいません」の連発。あんたは小誌編集部員か!とはいわなかったが「詫びではなく理由を聞きたい」と迫ると「システムが追いつかず云々」と弁解。だったら合併するな。「システムが追いつかず」は客のせいではないから手数料を取るなと追い打ちをかけても「すいません」に逆戻り。あまり後続のお客さんを待たせるのは悪いから早々に退散したが納得は全然していない。

しかも新聞報道によると同じくマネロン防止策として今年9月、本人確認法の政令改正がなされ、07年1月からは本人確認額が10万円超に引き下げられる。小社のような事業会社だけではなくいよいよ1億総容疑者扱いだ。許しがたい。(編集長)

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2006年10月16日 (月)

深川通り魔殺人事件・現場を歩く

 1981年6月17日、江東区森下2丁目の新大橋通り沿いの路上で、惨劇は起きた。
 午前11時半ごろ、たまたまその場に居合わせた主婦や幼児、計4人が次々と刺し殺された深川通り魔殺人事件である。
 犯人の川俣軍司(当時29歳)は暴行、傷害など7回の逮捕歴を持つ男で、犯行当時は常用していた覚せい剤がまわっていた。
 人々を襲った後、川俣は主婦ひとりを人質に取り、中華料理屋「万来」に立てこもった。午後6時55分、川俣が目を離した隙に人質の主婦がガラス障子に体当たりして外に脱出、警察に無事保護される。立てこもりから逮捕まで6時間以上が経過していた。逮捕され、警察に連れられて店の外に出てきた川俣は覚せい剤の影響か、ズボンをはいておらずにパンツだけ。新聞にも逮捕時の珍妙な姿が大きく取り上げられた。

Huka  都営線の森下駅を出ると、新大橋通りはすぐそこである。“通り魔事件”といえば、何となく狭い道での犯罪をイメージしてしまうが、片側2車線の幅の広い道路だったので驚いた。道路がまっすぐで見通しもいいこの場所、昼前の明るい時間に狂気の沙汰が繰り広げられたのだ。
 犯人がまず1人目の女性を刺したのは森下診療所の目の前。女性はバスから降りたところをいきなり刺されたのだが、バス停は今も同じ場所にある。診療所は今では営業していないようで、看板は紙で隠されていたが、一部が取れかかっていたのでこの場所を見つけることができた。
 川俣が人質を取って立てこもった「万来」は、まだ当たらしそうなタイル張りの建物になっていた。コインランドリーが入っていて、いくつかの乾燥機の中が淡々と回転している。
 

※ここから先の記事は…

『あの事件を追いかけて』(本体952円、アストラ刊)にてご確認ください。

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2006年10月15日 (日)

日曜ミニコミ誌! 実力派・日本キノコ協会が放つ!

 以前NHKで、どこか外国の森に生きる生物の番組を放送していた。
 その中にキノコが出て来た。キノコも森に生きているわけだから取り上げられても何ら不思議ではないのだが、その生態にはド肝を抜かれてしまった。
 普通、キノコは胞子をバラまいて子孫を残していくものなのだが、そのキノコは胞子を有効にバラまくために、ちょっと想像もつかない手段をとっていたのだ。
 まず、昆虫がそのキノコを食べる。すると、昆虫はその時点で自分の意のままに行動できなくなってしまう。要するに、意識をキノコにコントロールされてしまうのだ。意識を乗っ取られた昆虫はふらふらと背の高い植物の葉先に歩いてゆき(歩かされ)、そこで魂を抜かれるように絶命する。すると、昆虫の骸を苗床にしてキノコが急激に育つ。高い場所から風に乗せて、より遠くに胞子を飛ばすことができるという恐るべき繁殖法をテレビの映像で目の当たりにして、ビビッてしまった。
 たかがキノコ、と思っていたわけでもないが、雑多な形態に共通する、あのなーんにも考えていなさそうな佇まいにも、なるほどそれなりの複雑な云々が内包されてるんだなぁ、と思い直したのでした。

Kinoko  前置きが長くなってしまったが、そんなキノコの魅力を、「私たちは知ってたぜ」とばかりに余すところなく伝えてくれるのが日本キノコ協会が発行する『きのこ』である。
 表紙には「きのこをめぐるカルチャーマガジン」とあるが、その文言通り、最初から最後までほぼキノコ一色の内容だ。

 日本キノコ協会が発足したのは15年前。
 事務局長の扇さんは、当時から日本のキノコ研究は生物学的な分類などの点で欧米に比べて劣っていたと言う。日本キノコ協会の前身の「キノコ星雲」という団体では、アマチュアによるキノコの生物学的な分類などの活動をしていた。
 だが微生物学の観点などからの専門的な研究を続けるよりも、キノコ・シーンを楽しみながら盛り上げていこうと、方針に若干の修正を加えて日本キノコ協会は発足。キノコは単細胞生物で器官の優劣がないことから、協会内でも上下関係のないフラットな組織体系が取られているそうだ。だから扇さんの「事務局長」も名前だけのものであるという。ユニークである。

『きのこ』は、より多くの人にキノコの魅力を伝えるために隔月で発行されている。キノコの神秘的な写真、キノコをモチーフにしたアート作品、イラスト、キノコ研究家のコラム、また海外の研究家の翻訳など、どの内容もハイレベルである。
 これまで4号を発行しているが、どの号もなんと売り上げ2000部を突破、在庫が尽きかけている号もあるという。

 特に引き込まれたのは堀博美さんが書く「毒キノコ事件簿 中毒実例から」なる特集。
「キノコの秋ということで、日本での中毒事故件数ワーストワンキノコ、ツキヨタケを取り上げます」というリードに続き、暗い場所で青白く発行するなどの特徴を説明。食べると嘔吐、下痢、けいれん、ショックを引き起こすことがあるという。平安時代にもツキヨタケで中毒を起こしていたという文献も残されているほど事故が多いのだが、どうやら外見がシイタケなどの食用キノコとそれほど違いないのが多発の原因なのかもしれない、とのこと。
 気になる「中毒実例」なのだが、こんな感じで紹介されている。

■2004/9/9
 宇都宮市保健所は、同市在住の男性(32)と女性(31)が毒キノコのツキヨタケを食べて食中毒を起こしたと発表した。(中略)自宅で油いためにして食べたところ、嘔吐するなど食中毒状態となった。2人は栃木県内の病院に入院し、治療を受けたが症状は安定しているという」。

 こんな感じで報告例が取り上げられ、これに対し堀さんが、ツキヨタケを油いためにすれば毒が消えるのは迷信、とちょっとしたアドバイスも返す。いくつか報告例があるが、総菜屋の店主がシイタケだと勘違いしてヒジキと煮付けして販売し、客が中毒を起こすというどこかユーモラスなエピソードもある。

 
 扇さんが興味深いことを教えてくれた。
「10年前までは、キノコといえば若者の反応は『気持ち悪い』がほとんどだった。でも、5年前あたらりからなぜか『かわいい』『おもしろい』というリアクションが多くなってきた」。
 キノコブームが目に見えて現象化するかどうかはまだ分からない。ただ、もしそうなるのであれば、その中心に『きのこ』があるのは間違いない。(宮崎)

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2006年10月14日 (土)

『吉原 泡の園』 第1回 「激動の現在」

1  これから毎週土曜日にはソープ街・吉原でボーイとして働いていた關一星(せき・いっせい)のルポ『吉原・泡の園』を掲載する。
 本連載では、日本一のソープ街・吉原という場所の現在と、そこで糧を得て生活する人々を描いてゆく。

    *    *    *

 ソープ街の今を見るために吉原に舞い戻ってきた。ボーイ時代だった時から、約3年の月日が流れ、都条例も変わり、風俗店の景気はさらに悪化している。この日、本降りの雨の中取材すべくペダルをこいで吉原に来た。
 23時過ぎの平日。メ―ンストリートですらポツポツとネオンの消えた店が目立つ。不景気で店が潰れ、受け取り手のいない建物に明かりがないのだ。寂しさはそれだけではない。吉原名物の呼びこみ(どうですか~お客様と叫ぶ)が都条例で禁止になったため、僕が自転車でボーイの前を通ろうとも素っ気無い。
 石原都知事は東京でのオリンピックを目指し、そのための一環として風俗店激減作戦を目論んでいる。そして、吉原も今ある店を半分まで減らしたい。これは風俗業界で働く人間の間ではよく知られている。いやはや、世も末か。

 気を取りなおして僕が住んでいた寮(パチンコ屋の2階と3階)に潜入してみた。
 階段のところには大量の手紙が山積みされている。ほとんどが借金の督促などだ。ボーイの多くは、借金苦でここに転がり込んでくるということの証である。何気に手紙を何枚か手に取ると、僕あてに闇金業者から融資内容の手紙がそのまま放置されている。
 久々に寮を覗いてみると、マネジャーと先輩Tさんがいた部屋のドアが見えた。相変わらず汚い。ドアには無数のナイフ痕が見える。
マネジャーだった人が、仕事の憂さを晴らすために、包丁や刃物類などでドアにつけた無数の傷が、未だにそのままありゾットした。それを写真に撮っていたのだが、見つかったら暴行されるかもしれない。
 それにしても、よくここで生活を耐えたもんだと思いながら、カメラに収めたらすぐにそこを後にした。
 僕のいた店の裏口にはゴミが捨ててあり、それを求めるホームレスも0時過ぎになると吉原に集まる。ただ、今日は大雨のため、近くの商店街のアーケードのしたで大勢のホームレスが寝ていた。雨の日は空腹を耐えるしかないのだろうか。

 0時00分。雨がかなり強く降っている。一斉に店のネオンが消えた。表の小さな看板も片付けられた。不景気のせいだろうか、以前はタクシー渋滞がすごかった吉原も、それほどの渋滞にはならないし、帰るべく女のコも少ない。店もそんなに在籍のコを抱えていないのかもしれない。0時を過ぎてもまだまだ忙しかった当時の様子とはかなり違うものになっていた。
 ボーイと花魁のオアシスである焼き肉屋Tも、0時を過ぎてもぞろぞろと向かうものも少なく、ここにもグローバリゼーションの波が押し寄せているのかといった所だ。
 吉原で唯一元気だったのはコンビニだけだ。今までの文化、歴史、伝統がすたれ、近代的なコンビニは女のコとボーイとでごった返しにぎやかさがある。情報喫茶も0時前の時点で何軒も電気が消えている店もあったのには驚いた。飲食店は21時頃終わる、それは以前と変わらなかった。ただ、情報喫茶も休んでいる所や、潰れてなくなっている店もあり、閑古鳥が鳴いているという噂は本当だった。僕のいたR店の系列も、1店舗なくなっていた。

 当時の鬼と称されたマネジャーの影もない様子で、もしかしたらもういないのかもしれないとネオンの消えたR店の正面玄関に行ってみてまたまた驚いた。
 先月号の「記録」にも書いたKちゃんが、ダメダメボーイが、な、なんとR店の責任者として正面玄関横にある保健所の許可証のシールと屋号のシールの脇に貼ってあった。
 一緒に寝起きしたダメボーイKちゃんが、一国一城の主、つまり社長になっていた。
 今は不景気だから給料も大したことはないかもしれないが、かなり貰っている可能性もなくはない。雇われとはいえ社長なのだ。天下人なのだ。社長が法律なのだ。やりたい放題それがここのルールだ。

 姉妹店の責任者を見て回った。ほとんど知っている名前だった。3年のうちに、みんな大出世したのだ。景気がよくなれば、給料は確実にすごいことになる。マネジャーだった人の名前は、どこの店にもなかった。もういないのだろうか。0時過ぎはポン引きが街の主役になる。店の主はポン引き屋に仕事を委ねて客を待つ。景気は悪くとも、あの手この手でどっこい生きている。それが吉原の住人なのだろう。それだけは今も昔も変わらない。(關一星)

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2006年10月13日 (金)

核実験麻雀 怒濤の安倍首相と米中朝半荘編

 カシャ
 ハイパイ直後、牌の崩れる音が響いた。対面に目を向けると金正日の端3枚と、金正日の山の端が3枚が崩れている。手持ちで見えているのは白3枚、こぼれた山の牌には中2枚が含まれていた。
 仕込みか? 疑念がわく。あり得る話だ。東2局、金正日の親番。しかも負けの込んだ金からの申し入れで、手積み卓に移り、レートまで上げたのだ。トータルマイナス200オーバーの金は、手持ちのカネで負け分を払うことなど不可能。乾坤一擲の大勝負。仕掛けるなら今しかない。

 右六で金正日の山が残っていることを考えると、可能性が高いのはぶっこ抜きか。しかし一気に勝負を決めるなら、危険覚悟のツバメ返し。しかもミスったか!
「おめー、サマしたんじゃねぇだろうな」
 さっそく血の気の多いブッシュが噛みついた。当然だろう。前回打ったときには偽造点棒までつかまされている。
 おっと、ブッシュの兄貴が怒鳴ったら、即座に応援しなくちゃ怒られる。
「てめぇー、ふざけんな。そんなサマするなら俺から鳴くの禁止するぞ、オラ」
 これに対して、ドラソバの五萬を切りながら金正日も啖呵をきった。
「そうよ。今はツバメ返しだぜ。なんか悪いのか? だいたい証拠ないだろ」

 サイコロが自五、自九でないことを考えれば、ドラがらみはない。とはいえ白が暗刻(アンコ)なのにドラソバの真ん中を切っていくとなれば、かなり手牌は固まっているはずだ。ツバメ返し失敗で山に残した牌が中となれば、大三元狙いで発も暗刻(アンコ)か? いや、一発勝負なら字一色(ツーイーソー) とのダブル役満を狙っている可能性もある。だとすると上家でたびたび金正日の鳴きをアシストした胡錦涛の動きが気になる。

 フッと視線を上げると、金正日の後ろで抜け番の盧武鉉が青ざめた顔をして卓を凝視していた。当たり牌を見逃す太陽政策で、随分と金に目をかけてあげていただけに、正面きってケンカを売るようなサマに驚いているのだろう。
 ブッシュは黙って八萬を切った。強気一辺倒で嫌われ者も、さすがに様子見の捨て牌だ。私も当然合わせ打ち。続いて胡錦涛は静かに五萬を置いた。
「何らかの懲罰的な行動が必要かもしれませんね」
 冷たく言い放った胡錦涛の目は怒りに燃えていた。テンパっても金正日の当たり牌を見逃し、彼のマイナスを少なくすることに協力してきたものの、ご祝儀が飛び交う役満狙いのツバメ返しまでは想定していなかったとみえる。五萬を切るあたりから考えて、金正日が自分に牌を倒す可能性があるとも考えているようだ。

「ブッシュさんが俺とサシウマで握るなら、この局をやり直してもいいんだよ。対話にも対決にも準備ができているからな」
 ブッシュの目を見て語った金正日が手牌から六索を切る。
 ツモが手牌に入っての中張牌 (チュウチャンパイ)切り。発が2枚こぼれているだけに、チャンタ系あるいは染め系まっしぐらという可能性もあるが、胡錦涛からのアシストがないなか、それほどミエミエの手を進めるだろうか?
 おかしい。
 ツバメ返しが失敗したのではなく、ぶっこ抜きが失敗した可能性はないだろうか。四枚換えたところで失敗。手牌に白しかないから、逆にブラフをかけて親の連チャンの狙っているとか……。
「おまえとサシウマにのるつもりはない」
 苦々しく言い放ちブッシュは三索を切った。
 少々のレートならびくともしない金持ちであり、サマも得意としている兄貴は本来ならパッパと金をつぶしたいはずだ。ただし今回はダブルブッキングである。隣の卓のフセインとの徹マンがまだ終わらない。聞けば48時間以上打ち続けているという。2つの卓を見ながらの麻雀では無理などできない。

「決めたぜ。俺からの鳴きは許さない。サマは麻雀に対する重大な脅威だ」
 ブッシュ兄貴に合わせ打ちをしながら、私はそう宣言した。「闘う雀士」として絶対に引いてはいけない。美しい麻雀。これが私の信条なのだ。
「おいおい、勝手にルールを決めるなよ。だいたい俺がサマをしたと思っても検査すらできないだろ」
 ニヤリを金が笑った。たしかに臨検ともなれば、金が卓をひっくり返してナイフを抜く可能性もある。そのときブッシュ兄貴は加勢してくれるだろうか……。不安がよぎる。以前、私の後見人がプレスリーのマネをしたときも、ひどく冷めた目で見ていた男だ。どこかで私をバカにしているような気がしてならない。
「まあ、麻雀の争いは卓の中解決するものですよ」
 金とブッシュの争いが自分にも波及することを恐れる胡錦涛が、軍事行動に懸念を示した。ただし捨て牌は六索。ブッシュと金の全面軍事対決は避けるために金のフォローにも動くが、やはり字牌と筒子は切れない。おそらく胡もはらわたを煮えくりかえらせていることだろう。

――ついに禁じ手のサマをくり出した金。一発逆転を目論む金の打ち筋に見え隠れするブラフの影。短気なブッシュの暴走を皆が恐れつつ、各自ベタ降りの展開は続くのであった――
 

 って、こんなん書いていたら半荘だけで本ができちまう……。また、動きがあったときに随時連載の予定。乞うご期待。(大畑)

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2006年10月12日 (木)

金正日総書記のアイ ドント ライク マンディ

オレはクラス(国際社会)の中でシカとされている。大げんか(朝鮮戦争)した弟(と北朝鮮は見下しているであろう韓国)が自分より成績優秀というのも癪だ。親父(旧ソ連)とお袋(中国)は夫婦げんか(中ソ対立)の挙げ句に親父は家出してしまって時折会ってはくれるが養育費もよこさない。
お袋はさすがに見捨てはしないがアレコレ注文をつけてきてウザイ。クラスの番長(アメリカ)は名指しでオレを嫌っている。かつてオレと弟をテカにしていた奴(日本)に至っては番長とつるんで大金持ちだ。
たまにカツアゲ(マネロン)してウサを晴らしていたが番長が目ざとく見つけて出来なくなってしまった。

ああ面白くない!

もし私がそうなったら今さらクラスメートに頭を下げたりお袋の「少しは仲良くしなさい」との小言を受け入れたりはしない。代わりにこう願うだろう

もしライフルが手に入ったら世界は変わるぜ

と。

だから10月9日の月曜日(ここ伏線!)にあった北朝鮮の核実験の報には驚かない。むしろ核開発から「7連発」までの経緯を考えたら核を放棄したとの発表がある方がビックリする。その意味で核実験は正しい論理的帰結である。あくまで北朝鮮の論理に乗っての話だが。
「核保有国」とは第二次世界大戦の5大戦勝国のみに認められた特権だった。つまりこれさえあれば誰もオレをシカとはできないと考えておかしくないし事実として大騒ぎである。
ライフル(モデルガンの可能性もあるが)を振りかざした途端に注目されるオレ。どんなもんだいと気分がよくなるのは当然だ。
意外と対抗措置もない。国連が制裁決議をしたとしても元々いじめられているとの認識があるから新たないじめの文言が加わったくらいにしか感じまい。
しかもお袋は決してオレを見捨てない。朝鮮戦争の時も毛沢東は激怒したが結局は助けてくれた。古来より中国大陸にある国家は朝鮮北部を重要な戦略拠点と位置づけてきた。近年の高句麗論争は図らずもその意識が示された例といえよう。
一部に中国が北朝鮮を見放すという論者もいるが歴史的には決してあり得ない選択だ。

北朝鮮が核を持つならば日本も……という議論が起きるかもしれないが難点がある。まず日本の核保有は北朝鮮以外の国家にも訝られる。また日本が保有したから北朝鮮が放棄するという話でもない。
現実問題として非核三原則の最後を改めれば在日米軍が核を持ち込める。というか既に持ち込んでいる可能性もある。にも関わらず北朝鮮は核を持とうとした。日本の核保有で北朝鮮の問題は解決しない。東京に北の核が落とされた報復に平壌に一撃を食らわせても東京の惨劇が旧に復するわけでもない。

制裁決議で北朝鮮が軟化する可能性は上記の理由でゼロである。経済制裁で萎えるどころか燃え上がるのは戦前のわが国を思い出せば容易に想像がつく。次にケンカするまで抱き合っておこうという独ソ不可侵条約に代表されるドライな芸当は東アジアのお仲間にはできない。「火中に栗を拾え」「虎穴に入らずんば虎児を得ず」みたいな実は非論理的な欲求が澎湃としてわいてくるに決まっている。

番長アメリカの及び腰も直ちには改まるまい。北朝鮮が怖いからではなく別のところでのケンカで消耗しているからだ。といって番長は番長だからライフル持って粋がっているはぐれ者と「ライフルを持った」という理由で態度を軟化させたり話し合いに応じたりは格好つかないからできない。

となると今後の動向も専門家がああだこうだという必要なく想像がつく。ライフルにタマを込めて実射できるよう誰が何といっても努力する。核弾頭に積めるようミサイルともども改良する。経済制裁はお袋が最低限支えてくれているうちはしのげるから「火中に栗を拾え」まではいかない。彼の要望は「オレの居場所を保障せよ」だから核を日本に打ち込んで重い腰のアメリカが立ち上がらざるを得ない状態は避けるだろう。
最大の問題は北朝鮮が「お袋が最低限支えてくれている」というラインをどこに設定するかだ。お袋も頭には来ているから少々は締め付ける。むろん息子が死ぬようなビンタは打たないが痛いか痛くないか、我慢できるのか我慢ならないのかは北朝鮮の主観次第である。将軍様が「我慢ならねえ」と感じちゃったら何をしでかすかわからない。
インドとパキスタンの核保有は良くも悪くもどこに対して何の理由で使うか使わないかハッキリしている点で安心できる部分がある。だが北朝鮮はわからない。案外と北京にぶっ放したりして。むろん日本もわからない。乱射の先は北朝鮮の胸三寸。不快だが事実である。

The Boomtown Ratsの大ヒット曲は“I don't like Mondays”という理由だけで少女が学校でライフルを乱射(“I want to shoot”)した事件を扱った。それで“The whole day down”となっては堪らない。ライフルでも大変なのに核兵器だから。金正日君。月曜日も案外と悪くないのだよ。(編集長)

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2006年10月11日 (水)

ホームレスの作ったカクテル

 ずっと他人の本を宣伝してきた。編集者だから当たり前なのだが、ちょっと寂しくなってしまった。せっかくブログの読者も増えていることだし、たまには自分で書いた本も宣伝したいと。
 というわけで、以前『記録』に掲載した既刊本『ホームレス自らを語る』の取材のこぼれ話をアップする。気に入ってくれたら、すぐアマゾンにでも飛んで注文してほしい。よろしくお願いします。

 ―― ※ ―― ※ ―― ※ ―― ※ ―― ※ ―― ※ ――

 自慢じゃないが酒にはめっぽう弱い。ところがホームレスの取材で酒を勧められたら、まず断れない。貴重なお酒を分けてくれるのだから、ありがたく、そして豪快に、ただし彼らの酒を減らし過ぎないように飲むのが礼儀である。

 2000年秋にホームレスと飲んだ酒は、なんとカクテルだった。
「おー、取材なら飲んでいきな」と笑顔で迎えてくれた彼は、テントから1.5リットルの焼酎ボトル、テント脇に積み上げてあった食器類から湯飲みを2つ取り出した。もちろん湯飲みがいつ洗われたかなど聞けるはずもない。湯飲みの底が黒いのは茶渋だと思うことにして、とにかく乾杯する。

「あ、そうだ、グレープフルーツがあるぞ。それで割るか」。焼酎を口に含んだ途端、彼が言った。湯飲み1杯も焼酎を飲んだら、私の肝機能では間違いなく倒れてしまう。アルコールが薄まるなら、水でもグレープフルーツでも大歓迎だった。二つ返事で答えると、河川敷に転がっていた青いリュックから2つのグレープフルーツを取り出し、例の食器の山からは少し錆びた包丁を抜き出してきた。
「米国の学生は、カネがないからウォッカをグレープフルーツで割るんだよ」そう言いながら、半分に割ったグレープフルーツを思いっきり絞る。真っ黒い手を伝わり、果汁は湯飲みに溢れるほど注がれていった。
「塩を付ければ、ソルティードッグだろ」と、彼は豪快に笑った。

 よく飲み、よく話す人だった。米国に留学した話、大学の広告研究会で大儲けした話、そして大学時代の友人がいかに立派になったのか――。2時間ほど話し続けただろうか。
 酒の肴の鳥のささみを、欠けた歯列のすき間から飛ばしつつ、陽気にまくし立てる。酔いが回るまでは、その白い弾丸を私も避けていたのだが、1時間もたつころには、さすがにどうでもよくなっていた。

「もっと飲んでけよ。暇なんだろ」と言われたとき、私は取材を諦めていた。彼の話に整合性がない。どこかに、あるいは全部に大きなウソが交じっている。これまでの取材経験がそう告げていた。
「編集部に帰らなくちゃいけないので、これで失礼しますよ」と言って立ち上がると、「おー、これからオレも女がくるからな」と彼も立ち上がり、川へと歩いて行った。
 夕日を映した川面に向けて、彼の小便がキレイに放物線を描く。いつも独りで飲んでいるんだろうな。ふとそんな思いが頭をかすめた。彼の背中には、先ほどまでの陽気さが消えている。人との会話に飢えていた反動が、あの陽気さを生みだしていたのだろうか。

 コンクリートで固められた護岸を四つん這いで登り切り、金網を乗り越えたところで私はダウンした。街灯の傍らに座り込み、河川の夕日を見たところまでは覚えているのだが。
 1時間ほどのささやかな睡眠は、無機質な携帯電話の音で破られた。
「今、何してんだ」
 大学時代の友人からだった。
「川で夕日を見ながら、塩抜きのソルティードッグを飲んで、うとうとしていた」
「本当にお前の商売は気楽だな。羨ましいよ」
 返す言葉もなかった。私の意識はホームレスと一般人のどちらに近いだろう。取材中、よくそんなことを考える。言うまでもなく、私はホームレスに近い。大学時代の友人より、ホームレスの話に共感を覚えることも多い。数十年後の私はどうなっているだろう。

 ―― ※ ―― ※ ―― ※ ―― ※ ―― ※ ―― ※ ――

 というわけで6年後の私は以前と同じ小さな出版社で、ほそぼそと食いつないでいる。当時よりホームレスに近づいていることに疑問の余地はない。(大畑)

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2006年10月10日 (火)

吉展ちゃん誘拐事件・入谷南公園

Yo_1  1963年3月31日に起こった「吉展ちゃん誘拐事件」の現場、入谷南公園を訪れた。
 解決まで2年3ヶ月を要し、人質の安全を確保するため日本で始めて報道協定(警察とメディアが連携し事件についての報道を控える協定)が結ばれたこの事件では、誘拐された吉展ちゃんが殺され、犯人の小原保も71年に死刑が執行されている。
 JR上野駅の入谷口から歩くと昭和通のバイク用品街を通り、15分ほどで公園にたどり着く。

 すぐ近くには山伏公園があるが、こちらはあまり人がいない。入谷南公園は広くて遊具もたくさんあるからだろう。住宅地の中にあるにしては大きな公園である。
 公園から幅の狭い道路を一本はさんだ所にはかつて被害者の村越吉展ちゃんの家(工務店)があったが、今はマンションと思われる建物になっている。吉展ちゃんが小原に声をかけられたとされている便所も新しい建物になっている。
 体育の日、天気がよかったこともあるからか、入谷南公園には人がたくさんいた。子どもがそこら中を駆け回っていて、つきそいの親たちが一緒に遊んだり、ベンチに座って親同士で話していたりする。
「小学校に上がるまでは(公園に)一緒に来ますよ。小学校まで上がってしまえば、大丈夫だと思ってますけど」
 ある主婦が言いながら、公園の反対側の隅のほうを見る。この公園に入ったときに不思議な印象を受けたのは、ひとつの公園が、たくさんの遊具があって子どもと親が遊ぶゾーンと、もうひとつの小さいグラウンドのようなスペースの野宿者だと思われる人たちがいるゾーンに分かれていたからだ。手すりには好天気を利用して何枚もの布団が干されている。主婦は、野宿者たちがいるゾーンを見て、大丈夫だと思いますけど、と言ったのだ。子どもを持つ親が野宿者を気にするのは、それほどおかしいことではない。

 吉展ちゃんの事件は、公園に来ている親の間では有名だった。5,6人の親に聞いた限りでは100%の確率で知られていた。
「こっちに引っ越してきたのは10年くらい前ですけど、この公園に入ってきてすぐに他の人から聞いたんですよー。ここ来てる人はみんな知ってると思いますよ」
 

※ここから先の記事は…

『あの事件を追いかけて』(本体952円、アストラ刊)にてご確認ください。

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2006年10月 9日 (月)

携帯電話ファシズム

喫煙者である私が近年「禁煙ファシズム」に悩まされているのは何度も書いた。だが喫煙による副流煙が疫学上害を与える危険が高いので我慢はすべきとわきまえている。だが携帯ファシズムは誰にも迷惑をかけていない分だけ納得がいかない。
私は原則として携帯を使わない。「原則として」とはかけるためだけに持ってはいるから。今や新規加入できないNTTドコモのPHSである。本当は持ちたくないが公衆電話が激減していて仕事上かけるしかない場合が多々生じるので止むなしなのだ。かけ終わったら即刻電源を切るのでかかってくることはない。

なぜ持たないかというと必要ないからだ。私は友人が1人もいないし家族も構えていないから私用という概念がまずない。仕事にしても自宅にも会社にも旧来型の電話はあり会社には社員もいるし留守電機能もある。メールは旧ニフティサーブ時代から10年以上使っているアドレスがあって頻繁にチェックしている。

そもそも電話に否定的であれと教えたは新聞社時代の先輩だ。電話に頼るな。足を使えと。だから事件があれば警察署に駆けつけて広報担当の副署長に会う。概要を取材しているところで副署長の電話が鳴る。朝日かららしい。副署長は目の前にいる同じ用件の私との会話を中断して朝日と話す。その内容を私はメモしていた。そのうちに腹が立ってきた。何で出向いてきた私を差し置いて電話を優先するのだと。これは究極の失礼だ。
携帯にも似たような経験がある。あるメーカーの会議に重要だからどうしても参加してくれというので外部スタッフとして説明に参上した。会議室ではひっきりなしに携帯が鳴り、そのたびごとに社員が会議室を離れていく。中断するか再度説明するかで異様に時間がかかる。「重要な会議以上に重要な電話がひっきりなしにかかってくる」という日本語はありえない。

というわけでされて失礼を自分でするのは以ての外と使わなかったのであるが最近とみに携帯電話の番号を教えて下さいと当然のように聞いてくる仕事のお相手が増えてきた。「ないんです」と返答すると不思議な顔をされる。直近では嫌な顔をされ出した。これが携帯ファシズムと呼ぶ理由である。

直面談より優先される仕事などありえない。自分がされて嫌なことは人にはしない。この2点が間違っているとはどうしても思えない。「ではメールで」「では会社に電話を」とたいていは収まるが、それで不自由したことは一度もない。要するに携帯でないと困る用件など本当はほとんどないのだ。
この点は重要である。携帯でないと連絡が取りづらい職種とか常に緊急性を帯びている職業に従事しているとか携帯以外の電話連絡手段がない人などは当然持ってしかるべしだが私に限ってはいらない。同タイプもいるだろう。そこまで「使って当然」とする気風を問題にしていると留保をつけておく

「ビジネスでは必須」も疑わしい。急ぎの一報を素早く処理できるメリットは直截にわかるが代わりに会議を長引かせたり弛緩させているデメリットを感じないだけではないか。煮詰めてやれば20分で素晴らしいアイデアが出たかもしれない会議を携帯の中断で凡庸にした例は「素晴らしい」が生じなかったから、つまりなかったから不利益と勘定していないだけなのだ。
とはいえ小誌編集部でさえ私以外は皆携帯電話を持っている。きっと私と違って私用があるのだろう。それに私は他人が携帯を持つこと自体には反対していない。オレにも使えと暗に圧力をかける風潮が忌々しいだけだ。

もっとも持っているNTTドコモのPHSのサービスはもうすぐ終わる。するとかけるための携帯は新たに選んで買わなければならない。家電量販店でながめると不要な機能満載ばかりである。
当たり前のように携帯メールがついているが愚の骨頂だとなぜ誰も叫ばないのか。携帯にもしメリットがあるとすれば本人にすぐつながる点だろうが携帯メールは「すぐでなくていいから」の意味合いが濃い。でなければ通話すればいいのだから。
すぐつながる能力のある機器に「すぐでなくていい」機能が標準装備。これが変どころか重宝している人が少なからず、否、非常に多くいるのが不思議でならない。ズバッと話せ。会いに行け。間違っているか?(編集長)

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2006年10月 8日 (日)

日曜ミニコミ誌! 敷金トラブル対策にこの一冊

 今回のミニコミは『ハウジング・ナウ(リミックス)』。表紙には「敷金トラブル総集編」と大きく題されている。堂々とした佇まいで「敷金を返せ!」と書されたカケジク(?)を持つ女の子のイラストに強烈なインパクトを受けて手にとってしまった。
 異色である。敷金トラブルを扱ったミニコミなんて見たことがない。しかし、もともとミニコミの多くは社会問題を扱うスタンスから作られたものであることを考えると、なんら不思議な内容ではない。消費生活センターなどがまとめた統計によると、敷金・保証金の返還などについての相談件数は年々上昇していて、05年にはなんと12000件を超えているのだ。立派な社会問題なのである。
 ハウジング関係のトラブルといえば少し前に話題になったシックハウスの問題があった。シックハウスも健康に関わる重大な問題だが、直接自覚できるシックハウスに比べて、敷金の返還トラブルなどはどうも問題が見えにくい。敷金返還までの過程が不動産屋にしか分からず、借り手は言われるままに「じゃあ、それで」としか言いようがない、一人暮らしの人もそんなパターンがほとんどではないだろうか。ていうか私もそうなのだ。
 敷金は戻ってくるのかどうかもよく分からないまま契約し、退出後には「清掃費」などの名目で上乗せでお金が請求される。そんな敷金トラブルが後を絶たないのだという。
『ハウジング・ナウ(リミックス)』は、これまで発行した同ミニコミの「敷金トラブル集」をまとめて加筆・修正したものであるという。200円という廉価にも関わらず、まず「敷金とはなにか」から始まり、現在法律で定められている定義での「原状回復」のガイドラインとはどういうものを指すのか、60万円以下の金銭支払いを求める「小額訴訟」の手引きなど内容はかなり充実している。
 不動産屋にいいように金取られてたまるか! 自分の身は自分で守ったる! そんな人にオススメ。(宮崎)
(■B5 32P 200円 発行:『お楽しみ研究所』)

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2006年10月 7日 (土)

香港暮らし

 香港で暮らしていて便利だと思うのが、家具付きの家。テレビ、洗濯機、クローゼット、ドレッサー、ベッド、ソファー、冷蔵庫……と、生活に必要な大道具がすでに揃っている。
 家具に関しては完全にオーナーの趣味でまとめられているので、必ずしも自分の趣味と合うとは限らないが、駐在員はだいたい3年から5年くらいで異動になるのだから気にしてもしょうがない(と思う)。
 それ以外に、サービスアパートメントという、家具付きマンスリーマンションにハウスキー1ーのついたところもある。
 家賃上昇が著しい香港なのでそれなりの家賃はかかるが、トランク一つだけで乗り込め、その日から生活できてしまうのはやはり大きな魅力とも言えると思う今日この頃。(奥津裕美)

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2006年10月 6日 (金)

本当か? タイ・クーデターの84%の支持率

 旧聞に属する話で恐縮だが、先月19日にタイでクーデターが発生した。無血とはとはいえ軍部によクーデターである。民主主義の危機であることは間違いない。日本の新聞各紙もクーデターそのものは批判している。ただ、タイ国民の84%がクーデターに賛成しているという世論調査もあり、「まあ、国民が望んでるじゃ、仕方ねぇか」てな論調になっている。

 各種報道によれば国民からこれほどクーデターが支持されている理由は大きく2つあるらしい。1つはタイ国民がクーデターに慣れっこなっていること。たしかに1932年の立憲君主制以降、今回で18回目のクーデターというのだから慣れてもおかしくない。
 もう1つはクーデターで首相の座を奪われたタクシンの評判が悪すぎたこと。首相一族の不正蓄財疑惑が取りざたされ、一発勝負で下院を解散して総選挙に打って出たが野党の総ボイコットで選挙無効に。それでも権力にしがみついていたと。なるほど、こんな首相じゃあクーデターが仕方ないかという気持ちもわかる。

 でも、それだけか?

 タイのクーデターと聞くと、15年前のクーデター・五月流血事件に居合わせた友人の話を思い出してしまうのだ。バックパッカーとして世界を旅していた友人はタイの大学の寮に住み込んで数ヶ月後に、このクーデターに遭遇したという。
「あの日、いつもと変わらなかったよ。だって大学内ではロックコンサートが開かれてさ、非常事態宣言とか、外出禁止令とか全然関係なかったんだから。普通に街を歩き回っていたしね」
 新聞報道をより大げさに伝える人はいても、わざわざ小さく伝える人などめったにいない。おそらく彼が見た当時のバンコクの風景も1つの事実なのだろう。

 しかしである。反政府デモに参加したのは約20万人。車をひっくり返して火を放ち、石や火炎瓶などを投げる市民に軍と警官隊が発砲して、死者46人、負傷者700近くが出たというのに、同じ都市のキャンパスで普段通りに陽気に飲んでいた大勢学生がいたというのには驚いた。

 市民と警察・軍との衝突と聞くと思い出すのが、ルーマニアで独裁者のチャウセスク大統領を追放した革命のドキュメンタリーである。大統領側に立った秘密警察と、各地から集まった市民の闘う様子が描かれていた。誰もが口々に自由を叫んでいたのが印象的でもあった。

 おそらく多くの人がイメージする革命やデモは、ルーマニアのように大がかりで全国民的なものだろう。しかし、そんな代物など滅多にない(そもそもクーデターなんてものも滅多にないはずだけど……)。何となく日常生活を続けている横で、一部の人たちが政治をどうにか変えようと動く。それをマスコミが追うことで、全体的な動きだと視聴者や読者が勘違いしてしまう。

 ここに報道の「まやかし」がある。動きのあるものに焦点を当て、フレームを切っていく。ただ、その脇ではいつもと変わりない日常が繰り広げられていたりもするわけだ。

 そう考えると、今回のタイのクーデターは国民に支持されているという報道もニュアンスが違ってこないだろうか。朝起きたら、軍事クーデターが起きていて、不人気の首相が退陣を余儀なくされた。別に自分たちの生活が変わるわけでもないからいいんじゃない、という「クーデター賛成」が84%。これなら理解もしやすい。

 正直、タイに詳しいわけではない。ただ、あの「五月流血事件」でさえ、平穏な生活が維持されていた場所があったという事実は伝えたいと思った。(大畑)

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2006年10月 5日 (木)

公務員と左翼に捧げる攻撃的撤退

北朝鮮の金正日総書記と安倍晋三首相は実は友達だったりして。だって福田康夫元官房長官の総裁選出馬にトドメを刺したのは例の「7連発」だったし組閣も所信表明もパッとせず「何だかなあ」という雰囲気が支持率に関わらず出始めたあたりで「核保有宣言」だから。
安倍首相は「北朝鮮に毅然とした態度を取る男」という一芸がある、他に芸があるのかは知らない。本当に知らない。ただその一芸は光り輝く。よりにもよって北朝鮮にとって多分好ましからざる人物である安倍首相のターニングポイントで、この一芸を発揮させるような仕業を何で金正日総書記はするんでしょうね。

まあ友達は冗談。単なる偶然なのだが安倍首相に警戒警報発令中の私でさえ「絵になるなあ」と感心するほど「北朝鮮の暴挙に対する安倍」は決まる。歌舞伎でいうところの(つまり皮肉でない)「大見得を切る」なのだ。
ただこのカードは金総書記が変なとこをやってくれないと切りづらいという難がある。来年の関ヶ原である参議院選挙で一芸だけでは物足りない。何しろ相手は政治生命をかけて臨む小沢一郎民主党代表だ。
政治生命の前に本当の生命が危ういんじゃないかとの憶測も流れているが小沢さん、ここまで来て病気リタイアはいけません。郷土の大先輩である原敬は「あと10年早く首相になっていれば」ともらしたが何もそこまでマネしないで下さいね。
小沢代表の言動に全面賛成しているわけではないが純粋に「安倍vs小沢」でないとつまらない。何となく石田三成vs徳川家康の構図に似ているのも気に入っている。三成は側近には実に慕われた武将であった。関ヶ原で三成軍を破った家康の東軍の主力は家康子飼いではなかった。そんなこんなの符丁を合わせて喜んでいるわけだ。

で元に戻る。一芸だけでは心許ないとして安倍陣営はどう対処する。衆参同日選挙との噂もしきりだが公明党が絶対にOKを出さない。無理押しすれば小早川秀秋になってしまう。すると別のカードがほしいであろう。
民主党を含む野党4党の弱点といえば「公務員」と「左翼」である。多分ここを徹底的に突いてくるであろう。

公務員に関しては全日本自治団体労働組合(自治労)攻撃が最も効果的だ。自治労の皆様に再三申し上げる。あなた方は嫌われていると同時に狙われている。寒風吹きすさぶ地方経済で雇用と政策を提案できるのは地方自治体だけと叫んでも誰も聞いてくれない。地方公務員の待遇がいいのではなく民間の理不尽なリストラこそが問題だと正論を吐いても断じて届かない。
妬みそねみの渦中にある者への苛烈なまでの憎しみは郵政職員でさえ吹っ飛ばした。まして更に手厚いとされる地方公務員の待遇はいったんスキャンダラスに追及されるや燎原の火の如しであろう。といって民主党が自治労を斬って選挙ができるわけがない。
自治労よ。どうせ言うことをきかないのはわかっていて述べるが早いところ「攻撃的撤退」をした方がいいよ。特に都道府県職員と政令指定都市の職員は。簡単なことさ。「仕事よこせデモ」とか「私たちの給料下げろコール」でもいい。火の粉が降りかかる前に、それこそ自虐的行動をしなさい。そうしたって法律の定めがあるから急に待遇が悪くなるはずもないことぐらい知ってるでしょ。
石頭はいい加減にして芸の一つも見せてご覧よ。相手は一芸はある。対するあなた方は無芸では話にならない。

もう1つは左翼だ。悪=北朝鮮=共産主義=左翼という図式は「科学的社会主義者」がいくら「そうじゃあないんだ」と長々説明しても聞く耳持つのは「科学的社会主義者」だけとの痛い構図に気づくべきだ。
といって思想信条は自由だから捨てろなどとは思わない。要は上手に立ち回ればいいのだ。私はステルス作戦に徹するべきと提案する。安倍首相や公明党=創価学会がやっているムニャムニャを少しは参考にするとよろしかろう。
例えば先日、日の丸・君が代に対する都教職員の待遇に関する勝訴判決が地裁で出た。単に慎太郎大嫌いの私は喜ぶべき立場だが日本教職員組合(日教組)とおぼしき面々が大いばりする図をみせられるとガッカリするのだ。

また日本共産党の日常活動や調査能力は絶賛に価する。まさに庶民の味方という活動を地道に続けている。ところが選挙になるとガーンと「党」が表に出てきてしまって皆が引いてしまう。中選挙区時代はボーダーに自民と共産が競っていれば後者に入れていた私だが小選挙区ではそうした事態が想定できない。
表現や平和、思想信条の自由が脅かされている場合に左翼が闘う。それはいいのだが「我ありき」みたいに露骨に露出されると白けたり引いてしまう人は多数いる。「科学的社会主義者」には無念だろうが現実がそうなのだから仕方ない。
露出した気持ちはわかる。露出がドンドン減っているのだから。でも、だからといって稀にある露出の機会で大喜びして爆発してしまうと却って逆効果なのではないか。何だ後ろに左翼がいたのかというマイナスイメージが活動全体を覆ってしまえば元も子もあるまい。

要は自公にほえ面をかかせればいいんだと腹をくくって露出欲を抑えられないだろうか。今は左翼には逆風だが未来に順風が吹くかもしれない。いや吹かないかもしれないけれども「科学的社会主義者」は吹くと信じているはずだ。だったらもう一歩進んで清濁併せのむ野党共闘を作ろうよ。
右翼は陽気に街頭で大音量を流すのが似合う。逆に左翼は本来は陰気に地下に潜って格好がつくのではないか。絶対に勝てないとわかっている泡沫扱いで街頭に立つより裏方に徹した方が相手も怖がる。ゲシュタポに追われるレジスタンスみたいに絵になるじゃないか。これもまた「攻撃的撤退」。

だから野党共闘を……どうせ出来ないけど。(編集長)

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2006年10月 4日 (水)

引き裂かれてゆく社会の姿を捉える一冊!『不平等社会』(斎藤貴男)

Kikai  どういう人に読んでほしいかといえば、自分と同じくらいの若い世代の人に読んでほしい本だ(私は現在26歳)。『機会不平等』では、現代が「構造改革」の勇ましい名の下に、どんな人たちによって、どのようにして市場原理主義的な制度が採用されていったのかを、斎藤貴男氏が綿密な取材によって浮き彫りにしている。

 本書の内容からは少し離れるが、最近、こんなことを思う。この世代というのはもしかすると、人が管理・監視される社会だとか、非正社員が多くを占める職場の常態化とか、実質的に機能しなくなった労働組合だとかが、割と当たり前のものとして目に映ってしまっている世代なのかもしれない。
 デニーズに行けば「いらっしゃいませデニーズにようこそ」とウェイトレスが無機的に言うが、どうもアレを言われることについて居心地が悪い。友人に、「なんか、気になんね?」とうかがってみるけど、「別に……、普通じゃん?」と彼は答える。人によっては気にならない場合もあるみたいだけど、「デニーズにようこそ」を言うウェイトレスには、やっぱり何か妙にひっかかる違和感みたいなものがある。それは、彼女が笑顔であればあるほどデカくなってゆくのだ。

 私がある飲食店で働いていたとき、こんなことがあった。バイトたちを管理する立場であるシフトリーダーのような存在がいた。彼があるとき、こんな紙をバイトたちに手渡した。
「これを今から記入してくれ」と渡された用紙には「行動目標」「達成するためにはどうすればいいか」という項目がある。そこに何かしらの文句を入れ、次の面談までにそれが改善されたかどうかを検証する、とのことだった。後から知ったのだが、それには自給の昇給にあたっての査定のような役割が置かれているのだった。

 こんな風にして管理社会は浸透している、みたいな単純なハナシではない。
 よく考えたらとても不思議な場面だったのだ。紙を差し出したシフトリーダーは、この項目に記入してくれ、とは言ったものの、完全に彼の役割をまっとうしていたか、というとそうでもなかったのだ。
「移動は常に小走りに」「個々の仕事をすみやかに進める」
 などの項目も用紙にはあり、それをバイトたちが実行できているかのチェックポイントがあるのだが、そもそも「小走り」するような状況も必要もなく(第一に危ないし)、「個々の仕事をすみやかに進める」とは言われても、作業自体が集団でやる類のもので、何をもって自分の仕事を評価していいのか、それすら曖昧だった。それについてのギモンをあるバイトがシフトリーダーに尋ねるのだが、シフトリーダーは答えることができず、「俺にきかれてもなぁ……」という状態なのだった。そして、どうもその用紙については彼自身が要領を得ていないというか、何のための用紙なのか、理解してすらいないみたいだった。
 シフトリーダーは無能なヤツではなかった。テキパキと仕事をこなし、アハハハとでかい声で笑う好青年だったと思う。
 シフトリーダーもまた社員ではなかった。ただ「上」から用紙に記入することを課せられ、従ったのだが、用紙に記入するという「制度」だけがあり、「実」を伴っていないというヘンな状況だった。管理社会は脅威だが、それが機能せずに妙な形で制度化されていたというハナシ。

『機会不平等』を読んで改めて思ったのは、どうやら管理という「制度」が思ってたよりも浸透しつつあるんだな、ということだ。教育も、労働形態も、労組も、管理下にはほぼ収まってしまったらしい。
 先に書いたような「実」を伴わないマヌケな管理ならまだよかった。だが、「実」を伴い、「上」の意にそぐわないものが躊躇なく切り捨てられていくような社会は着々と形作られている。そもそもその社会においては、労働者のみならず、子ども、老人までもがモノであるらしい。
 本書ではその構造を推し進めている者たちの発言と考えが明らかにされている。

 私たちは「本を読まなくなった世代」などと言われてる世代で、もしそれが本当ならば読み進んでいくのにちょっとばかりへヴィな文章に感じられるかもしれない。でも、つまづきつつ、少しずつでもいいから読んでほしいのだ。自分たちがどんな地点に立ち、その場にどんな力が働いているかが見て取れると思うから。(宮崎)

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2006年10月 3日 (火)

和合秀典氏の逮捕とフリーウェイクラブの正当性および「大丈夫」

高速道路使用料無料化を訴えてきたフリーウェイクラブの和合秀典会長と私は因縁浅からぬなかである。彼の運動を全国紙やテレビなどの大マスコミに公然と紹介したのは私が多分最初だからだ。少し長くなるが当時の記事を引用しよう。タイトルは「首都高の値上げに抗議 500円通行運動始まる」である。

【以下本文】
 首都高速道路の料金が昨年九月、二〇%値上げされ六百円になったのに反発して埼玉県戸田市早瀬二の二三の九、金属加工会社社長、和合秀典さん(46)がこの四カ月間、旧料金の五百円通行を押し通している。首都高速道路公団は「法的措置を取る」と警告書を出したが、和合さんは応じるどころか、同志を募って五百円通行の輪を組織化、値上げを白紙に戻させようという運動を広げている。
 和合さんは従業員六人をかかえる企業主。九月の値上げでは、普通車五百円が六百円、大型車千円が千二百円になったが、値上げ初日の九月十日夜から五百円を固守している。この夜、乗用車で首都高池袋線・高島平料金所を通ろうとして徴収員に六百円を求められた。「渋滞も解決せずに一挙二〇%値上げは納得がいかない」と押し問答の末、自分の名刺を渡して五百円で通り抜けた。
 その後は「公団側の経営努力及び値上げに納得できる説明があるまで旧料金で通行します」との文書(コピー)をその都度、徴収員に手渡して五百円通行を続行。毎月二十回余利用するが、通行阻止などのトラブルはない。
 公団は二度、和合さんを説得したが、平行線。十二月五日、浅井新一郎理事長名で「(旧料金通行は)不法行為。正規料金を払わないときは法的措置をとる」という内容の警告書を送付した。
 和合さんは「円高不況で減量経営に苦労しているのに、公団は利用者にツケ回し。安易すぎる」と抵抗姿勢を強めた。道路法四九条の「道路の維持は、(公的な)道路管理者の負担とする」を根拠にこのほど知人の会社社長ら八人と旧料金で走る「フリーウェイクラブ」を結成、代表になった。
 同クラブの事務所は和合さんの自宅近くの工場内に置き、顧問の弁護士もつけた。
 同クラブは近く、五百円通行を宣言する会員証を作り、会員は自主的に旧料金通行に乗り出す。通行阻止などのトラブルは同クラブで受け、まとめて公団側にかけ合う。さらに「高速道の料金徴収は道路法に照らし不当」と、欧米並みのフリー通行実現をめざす集団訴訟を東京地裁に起こすことも検討している。
 斉藤直正・同公団広報課長は「和合さんに対しては、料金所ゲートを通さないなどの措置を早急に決めたい。値上げは所定の手続きを経たもので、その点を理解されないのは残念だ」と話している。(1988年1月4日毎日新聞東京夕刊社会面) 
【以上本文終わり】

和合さんは前年の9月11日、志村料金所で600円に通行料金が値上げされたのを知る。事務的な対応に怒った彼は名刺と旧料金の500円をわたして通過した。米国同時多発テロの14年前に和合さんの9.11は発生したのだ。
私は「旧料金で通る」という洒落っ気に惹かれた。100円値上げ分のサービス向上もなく深い詫びもなく当然のように請求する態度への怒りをもっともだと感じた。さらにいえば彼は中小企業経営主で首都高は自ら製品を運ぶ生命線でもあった。
父親の赤字会社を引き受けて苦心惨憺し当時の不景気で身を削る思いだった企業主の憤怒は知らせるべき情報だと強く信じた。自らも値上げ問題を抱える毎日新聞が駆け出し記者の記事をよくぞ掲載してくれたと驚いた覚えがある。デスクの奮闘には今でも感謝で一杯だ。
また運動の当初から一貫して実名と住所を明示し続けている潔さにも打たれた。

「値上げ分不払い」が無料化に転じた時点で正直いって「大丈夫か」と不安になった。前述の言葉でいえば洒落ではなくなるからだ。ただそれにも伏線はある。和合さんは運動開始の当初、首都高速道路公団(当時)の課長(同)から次のように言われているのだ。
「30年たったら無料になりますよ。それが5年後の1993年に来ます」
いぶかる和合さんの質問に対して課長はさらに「法律で決まっているから大丈夫です」と念押しした。

では1993年に無料になったか。答えはいわずもがなである。法律で決まっているのは本当か。本当だった。和合さんが「最後の1年は(通行料金を)10万円にしなければ」無理だと心配?したほどだ。
原点はここにある。法律で約束した契約を守ると役人は言う。それができなくなるとムニャムニャと反故にする。代わりにあれだこれだと立法措置を講じるが破られた側の怒りは忖度しない。どうせ従うさとのお上意識に加えて担当役人は次々代わって誰も責任を取らないとの体質がはびこる。
だったらこちらも「道路は原則としてただである」との定義を厳格に運用した行動に出てやれというのが確か無料化に転じた大きな動機であった。

和合さんの活動を批判するのはたやすい。「無料」にのみ利益を見出して活動の意義など二の次三の次の者まで仲間に加えていったことや堂々たる行動としながら一方で差し押さえなどの対抗策に手段を講じた点などが挙げられよう。
だが前者は小さな違いで目的は同じなのにいがみ合って雲散霧消するという市民活動の根源的問題を考える際に仕方のないリスクとも取れる。後者はまさに理念だけでは活動は持たないという現実的選択でもある。どちらがなくてもフリーウェイクラブは今日まで持たなかったであろう。

和合さんの活動は2004年の道路整備特別措置法改正で58条に「30万円以下の罰金に処する」と罰則が定められたのにともない警察の民事不介入原則でしのげなくなった。改正当初私は深刻にとらえたが世間は改正のカの字も話題にならなかった。そもそもこの法律は特別措置法すなわち時限立法のカテゴリーのはずなのに恒久化している。
和合さんをもって不払いの原点とするのも間違っている。彼が100円不払いを始めた時点で料金所を強行突破する者は少なくなかった。そのなかで和合さんは9.11で沸点に達するまで大人しいユーザーだったのだ。
今でも名前も名乗らずに料金所を抜けていく者は多数いる。そのなかで自分なりの大義を掲げているフリーウェイクラブの少なくとも和合さん自身と公団は公開討論などで闘えなかったか。裁判所での債務不存在訴訟では事実の一部しか明らかにできないのだから。

問題意識を持って払わず実名を徴収側に知らせている者に督促し、それが効かないならば法改正して刑事で挙げる。羊のように大人しくしたがっている者には無法者が縄付きになったぐらいの感覚であり下手すると「ざまあみろ」であろう。
だがちょっと待て。似たような蠢動はいくつもある。NHKは今月から簡裁を通した督促を始める予定である。国民年金だって社会保険庁の始末が済めばわからない。それでも効果がなければ警察が踏み込めるような環境を作る。いずれも「ざまあみろ」的世論の後押しがあればできそうだ。

しかし不払い活動の多くは各道路公団はもちろんのことNHKやら社保庁の不手際への怒りにある。その背景には道路という公共財への料金徴収、公共放送の意義、年金問題など制度の根幹に関わる不信が存在するのだ。これらへの異議申し立てを不払いという方法以外に劇的になせるであろうか。「ざまあみろ」との感情は本来制度の上にあぐらをかいてきた者へ浴びせるべきである。
私は羊だ。君は羊らしくない。だからオオカミに食われて当然だと開き直っているうちに羊の私が最後は食われる。食われているという自覚さえなく自ら特攻を志願する場合さえある国民性を我々は知っているはずだ。

それにしても和合さんへのあらゆるアクセスが通じない。大丈夫かあ和合さん!(編集長)

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2006年10月 2日 (月)

オウム総本部・村井秀夫が刺された場所

 1987年に入信し、オウム真理教の「科学技術省」大臣として松本弁護士殺害事件から地下鉄サリン事件まで、つねに組織の中心のひとりであった村井秀夫。
 95年3月に起こった地下鉄サリン事件の実行犯としてオウムに注目が集まっていた時期に、村井は右翼団体関係者と思われる男に刺されて死亡した。4月23日、南青山にある教団の東京総本部での出来事だ。大勢のマスコミが教団関係者を待ち構えている中で起こった犯行で、テレビニュースでも現場の様子が生々しく報じられた。
Mm  写真は、表参道駅から徒歩15分ほどの場所にある、もと総本部があったビル。地下鉄サリン事件の前日に「自作自演」で行われた火炎瓶投げ込み事件もこの場所が舞台だった。
 1階から5階まですべての部屋のカーテンが取り外され、がらんどうの内部がハッキリ見えるからか建物には異様な雰囲気がある。当然だが、人影はない。ビルは96年3月に閉鎖されているから、10年以上も放置されていることになる。
Mmm  刺された当時、村井は本部の正面玄関から建物に入ろうとしたがドアが開かず、別の出入り口に向かおうとしたところを男に刺されている。正面玄関あたりは大きなゴミもなく何年も放置された建物には見えないが、ところどころ植物が手入れされないままになっている。

 地下鉄サリン事件は11年前の事件になるが、この場所は今でもオウムのイメージから完全に抜け出すことができないでいるようだ。総本部ビルの程近い場所に立つ新しい高級マンション。04年から販売が始まり、今年から入居が始まったこのマンションの入居募集時には、ネット掲示板で「○○ってどうなの?」(○○はマンション名)という購入を考える人たちの意見交換がされていた。
「あのあたりタクシー拾いやすい?」「新宿からタクシーでいくらで行ける?」「騒音はどう?」などの情報を共有するその掲示板の中には、「オウムのあのビルさえなかったらな……」という意見も散見されたのだ。「いったいいつのことだよ?」と、事件を過去のものと割り切って捉える人ももちろんいた。だが、やはり「気になる」人も少なくない。
 廃墟のような印象ではないが、どこか現実感がないこの建物。オウム真理教という存在、その最高幹部が刺殺された場所。「伝説」になるにはもってこいの条件ではある。
 もちろんテナントが募集されてるわけでもなくただ放置されているわけだから、もしかすると地元の子どもたちの間ではすでに伝説化している可能性もあるわけか。(宮崎)

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2006年10月 1日 (日)

月刊『記録』10月号発売!

『記録』10月号が発売。今月号のラインナップはこちら。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~astra/link/test10.html
写真の撮影者は「チェチェンの子どもを支援する会」の富樫耕介氏。
今回は連載モノで誌面が埋まり、特集はナシ。今月号も力の入った連載がズラリと並んでます(もうちょっと緩急つけてもいいと思うくらい)。

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