3億円事件・現金輸送車が奪われた場所
1968年(昭和43)12月10日、いわゆる「3億円事件」が起きた当時も、現場には強い雨が降っていた。白バイに乗り警察官になりすました男が東京信託銀行の現金輸送車を呼び止め、「輸送車に爆発物が仕掛けられている」と言って乗車していた4人の行員を下ろした。まんまと現金を手に入れ、輸送車ごと走り去るまで、わずか3分間だった。
現金輸送車がニセ警官に乗っ取られたのは東京都府中市栄町3丁目。府中刑務所の北側を通る学園通りの路上だ。
駅から線路沿いに北に歩いて府中刑務所に向かう。目線を上げると、線路をはさんだ向こう側に、2本のひときわ高い塔が突き出しているのが見える。(写真上)「TOSHIBA」のロゴが雨にかすんで見える。
武蔵野線・府中駅の西側の地名は東芝町。その広い一帯が東芝の事業所になっているが、ニセ警官が盗んだ3億円は、東芝(当時は東京芝浦電気)府中工場の従業員に支払われるボーナスだったのだ。
栄町3丁目に到着。3億円が奪われた現場だが、思ったより道路は狭い(幅は当時と変わっていない)。写真の左側にあるのは刑務所の塀である。犯人は現金輸送車を奪い、学園通りを府中街道方面に、つまり写真の手前から奥に逃走している。(私も現金を持って逃走したいものだ)
さて、このあたりの住民にとって3億円事件はやはり「身近」なのだろうか? それとも既に記憶の彼方なのか…。
学園通りに面した、現場の目の前にある家で話を聞いてみるが、あいにく両親は留守、と高校生くらいの女の子に言われる。ただ、68年当時から家はこの場所にあるので、事件については両親からいろいろ聞かされているという。女の子に、「(近所の)Aさんだったら少し話してくれるのではないか」と教えてもらい、早速向かう。Aさん宅も現場から歩いて20秒の距離にあった。
栄町で生まれ育ったAさん(女性)は当時、小学校高学年。事件が起こったのは平日で、学校にいた。少し分かりにくいが、写真で道路がカーブしているあたりに鉄柵のようなものが見える。柵は府中第九小学校のもので、Aさんはそこに通っていた。
事件は午前9時20分ごろに起こった。午前11時ごろには小学校のすぐ近くをヘリが低空で飛んでいたとAさんは言う。
「たしか、それくらいの時間だったと思いますよ。もう、何事かと思いましたよ。普段、ヘリの音で先生の言ってることが聞えない、なんてことないじゃないですか。騒然としてました」。
休み時間には、投入された大量の捜査員に興味津々、野次馬根性丸出しの小学生たちが、現場の検証を食いつくように見ている。
「おまえら、あっちに行け、と警察の人に怒鳴られてましたね」
とAさんは少し懐かしそうに言う。
事件後、警察官による聞き込みのローラー作戦が展開され、あたりの民家をしらみつぶしにあたっていった。当然、Aさん一家も対象である。
「警察の人が来て、家族構成と、免許の有無なんかを聞いていきました。でも、ウチの両親は免許を持ってなかったんで、その時点でスルーされたみたいですけど(笑)」
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