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2006年9月

2006年9月30日 (土)

香港の道端では

 香港を歩いていると、いたるところにマガジンスタンドがあって、新聞、週刊誌、雑誌、風水本、日本の雑誌、漫画などが売られています。
 その中に紛れて、何事もないかのようにエロ本がザクザク売ってたりもします。未だ道ばたで買ってる人は見たことないけど、かなり大量に売られているからきっと需要はあるんだと思う。
 エロ本くらいならば日本でもコンビニなどでお手軽に買えますが、こちらではゲイ雑誌も同等に売られています。日本では陰ひなたに追いやられているゲイ雑誌も、香港にくればお手軽に手に入れることも可能。
 エロ本の中身はよくわかりませんが、聞くところによるとモザイクはないそうです。本当かどうかはわかりません。(奥津裕美)

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2006年9月29日 (金)

大畑の打つシリーズ・第1弾 安倍晋三と打つ!

 小泉純一郎前首相と安倍晋三新首相のどちらかとギャンブルで闘うならどっちを選ぶと問われれば、多くの人が「安倍」と答えるに違いない。この安倍組みやすしの直感は何を指し示すのだろうか。思いのほか安倍晋三という人物の肝をつかんでいるのではないか。
 幸い(?)安倍首相は学生時代には足りない小遣いを友人同士の麻雀で稼いでいたとも伝えられている。安倍氏と麻雀をしたらを考えるのは新政権を占うのに、もってこいの企画であろう! たぶん……。

 今回の組閣では派閥に配慮しない旨を安倍氏は喧伝していた。ところがフタを明ければ、しっかりと派閥均衡、そのうえ死に体の森喜朗元首相と会談し、人事の一部を森に蹴られたとも報じられた。

 そう、まず指摘しなければならないのは、この押しの弱さである。自著『美しい国へ』で「わたしは、つねに『闘う政治家』でありたいと願っている」と書いているが、本当に闘い、周りからも闘っているとみなされているなら、あえて著書でこんな宣言などしないはずだ。
 この姿勢は麻雀にも通じる。高い手が予想されるリーチに対して、突っ張っていく精神力はない。特に勢いのある相手にはベタ降りしてくるはずだ。バランスが良いといえば聞こえはいいが、鉄火場で打つ勝負師のような凄みはない。その分安定した麻雀を打つことになるだろう。
 つまり荒れない穏やかな場が続くとなると、こうした安定型の打ち手を崩すのが難しくなる。その意味で「仲良し内閣」とも呼ばれる組閣人事はまさに彼の好み通りだ。彼を徹底的に麻雀で負かすなら、「まあ、まあ」と坊ちゃん的な笑いを浮かべながら打つサラリーマン麻雀を壊さなくてはならない。

 では、どうやって荒れた場に引きづり出すのか?
 もっとも簡単は方法は序盤でダマの直撃を浴びせて焦らすことだ。負けを取り戻そうとすれば、彼は勝負にこざるを得ない。勝負の序盤で大きなつまずきを負い、リスク覚悟で勝負に出る安倍氏は自分の「距離」で闘っていない。アウトボクサーがインファイトに徹すれば負けるのは必然。怖い相手ではない。

 岸信介元首相と父・晋太郎という「毛並みの良さ」が自慢の安倍氏は策略を尽くして首相の地位をつかんだわけではない。9月22日の『朝日新聞』には「森派幹部は『安倍氏はいいポストを優先的に与えられたけど、安倍晋太郎さんの子供だから文句は出なかった』と語る」と書かれている。おかげで坊ちゃんくさい育ちの良さそうな雰囲気は首相になっても健在だ。しかし、いかんせん予期しない攻撃に弱い。

悪徳商法?マニアックス」のホームページは、「安倍晋三議員 疑惑 醜聞」や「安晋会 村上ファンド ヒューザー ライブドア」をグーグルで検索すると、リクエストで削除された記事が1件づつあることがわかる、と報じている。誰が安倍氏にとって都合の悪い記事を削除依頼したのかはわからない。ただ、小泉前首相の危ない過去がネットで当たり前に出回っていることとの違いは大きい。記事に慌てた「坊ちゃん」の姿が目に浮かぶようである。もちろん、そうした世間の反応を見越して、安倍氏の敵が削除依頼を出すこともできるのだが……。

 荒れた場に彼を誘い込むもう1つの方法は、彼の「安定志向」が壊れる時を狙う方法だ。
 彼の政治方針はわかりにくいと各紙で報道されている。理想の国とは何か、失った心の復興とは何なのか、さっぱり具体的にわからない。漠然とした美のイメージを彼が追求しているからだ。
 このような性分が麻雀に出ないはずはない。一色手か三色かあるいはチャンタ系か、比較的に外にはバレやすいが、ついつい突っ走ってしまう手筋で彼は無茶をする。そう「美しさ」のために「闘う」のである。しかし安倍氏の趣向が読めてしまえば、その無茶に乗じて上がりを仕掛けることもできる。
 意外に精神的に堪えるのは安上がりではないか。美しさのかけらもない3鳴きの役牌のみなど、ボディーブローのように彼の心をむしばむはずだ。「こいつらは麻雀の美しさをわかっていない。どうしようもないヤツだ」と思わせたら、その時点で勝負はついたも同然である。
 もともと勝負感が強いタイプではない。きめ細かい降りのセオリーが崩れれば、一気に点棒を減らしていくはずだ。

 では逆にはまっていけない安倍の勝ちパターンとはどのようなものか。
 もっとも危険なのが序盤から調子に乗って勝ちまくり、後半はベタ降りで守られてしまうパターンである。ほとんど実力未知数のまま、血筋だけでのし上がった男の運はやはり怖い。麻雀は運が強く作用するギャンブルだけに、彼を勢いに乗せてはならない。
 このような情勢に陥らないためには、安倍氏の高そうな手を徹底的につぶしていくしかない。安倍氏が不機嫌な顔になってもいい。ますます早口になり、何を話しているのかわからなくなっても気にしなくてよい。勢いの芽をつぶしていく、それがこの麻雀の鉄則となる。
 
 安倍氏は04年9月に参院選で負けた責任を取って幹事長を辞任している。千葉7区補欠選挙では3回も現地に入りしたのに自民党候補が落選した。そう、もともと勝負に弱い男だ。しかも負けた時のコメントと顔色が悲痛すぎる。
 勝負の行方を顔に表し、勝負所で精神が弱く、美しさによって暴走する。勝負事には向かないタイプである。それが、この乱世に首相になってしまった。

 原稿を書いていて、ますます日本の将来が心配になった……。ちなみに中国の温家宝首相は麻雀の卓を囲みたくないね。何となく勝負強そうだから。(ここまで大畑)

このシリーズは「すべての事象は麻雀で説明がつく」と豪語する大畑が集められる限りの情報をすべて麻雀化して未来を予測するというまったく新しいナレッジマネジメント的アプローチの模索である……でいいのか大畑君。私は麻雀がわからんから。(編集長)

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2006年9月28日 (木)

法務大臣の重み

安倍晋三新内閣で長勢甚遠衆議院議員が法務大臣に就いた。初入閣で「待望組」の1人である。
このところの法相は初入閣組が多い。二代前の南野知惠子法相などは失言以前の無能答弁を繰り返す失態を演じた。明らかに法相には不適格だった。
このように、かつて建制順トップだった法相の重みが近年とみに失われている。

ちなみに2001年の省庁再編後はトップの座を総務大臣に譲った。この変更を国家行政組織法改正案を見てゾクッとした記憶がある。総務省が序列1位になるというのは旧内務省の復活という意味かと。もっとも国家公安委員会が現在は別にあるから戦前とイコールではないのだが。

本題に戻ろう。それでも建制順2位を維持しているにも関わらず法相は軽い職に墜ちた。では法務省の権威は失墜したかというととんでもない。相変わらず検察を含み大臣は検察への指揮権を持つ。三権の一角である裁判所との連絡役を果たしている。住民基本台帳、入国管理、外局の公安調査庁など強大な権限を有する上に人権擁護法案など重要法案をも抱えている。法相には死刑執行の権限もある。
省庁再編以前の建制順ワンツーであった法務、外務はキャリアを国家公務員1種(旧上級)試験からではなく独自の試験で採用した。これも特権的地位を背景としよう。うち外務省の外交官試験は廃止されたから法務省は国1ではない試験(司法試験)でキャリアとなれる唯一の省庁となった。

また省庁の事務方(官僚)のトップは官房副長官を除けば事務次官が決まりであるが法務、外務だけは違う。外務省は事務次官の上に主要国および国連の大使職がある。
法務省は事務次官より先に最高検察庁次長→大阪高等検察長検事長→東京高等検察長検事長→検事総長という道のりがある。つまり事務次官は5番目となる。ただし人事権はあるので他の省庁における官房長みたいな地位だ。さらに退官後も弁護士として在野で有力な社会的地位を業務独占できる。
刑事裁判で検察官は事実上司法の一員といっていい。法務省は行政組織でありながら司法にもからむ強大な権限を持っている。現在も司法制度改革や前述の人権擁護法案など権限強化の方策を絶えず模索している。だからこその建制順トップだったわけだ。
法務省の源流である戦前の司法省は有力司法官僚の平沼騏一郎が大臣を文官任用令上の親任官に格上げし、裁判所を監督した。それ以来の悪くいえば事大主義は法務官僚に脈々と受け継がれている。

法務省が持つ強大な権力に配慮してか戦後の歴代内閣は法相に有力政治家を置くか、逆に参議院や民間人を据えて行政の介入と取られないようバランスを取ってきた。
田中角栄がロッキード事件後に「闇将軍」となってからは田中派からの登用が目立ち司法への介入が常に心配された。それほどの要職なのである。しばしば副総理格にさえ擬せられた。

ならば今日の軽量化は何を指すのであろうか。行政とくに内閣が法務行政にくちばしを入れないとのサインと読めば読める。だが一方では軽い法相ならば容易に官邸あるいは与党の介入を許してしまうともいえる。事実としてそうであろう。
あるいはこうとも取れる。前職の杉浦正健法相は微罪逮捕の問題に触れたり死刑を執行しなかったりと法務官僚の意図を逆なでする発言が目立ったが、それを問題視する風潮があったこと自体が法務省の絶大な権限の裏返しであると。すなわち軽量大臣だと法務官僚の意向を制約することができずに下手すればなすがままにされてしまうという危険があるのだ。
マスコミはこうした法相軽量化の危機を何も論じない。理由は不明である。まさか問題と感じていないはずもないだろうに。(編集長)

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2006年9月27日 (水)

九段下で頭から血を……

 先日、編集部の最寄り駅・九段下でビックリすることが起こった。地下鉄東西線の向かい側のホームをフラフラと歩いていた中年男性が、ホームから線路に転落したのである。ビタっと頭がコンクリートにぶつかる鈍い音が響きわたり、それと前後して女性が悲鳴をあげた。

 ヘタレである私は呆然としていたのだが、私の数メートル横にいた男性の行動は素早かった。ホームを飛び降り、ぐったりとしている男性を助けるため隣の線路に向かって走って行ったのだ。そのとき7~8歳前後と思われるかわいい女の子が叫んだ。「パパ危ないから、やめて~」と。奥さんもまた心配そうに旦那さんの行動を見つめていた。
 私なんぞは口をアングリ開け、身動きすることさえ忘れて眺めていたわけだが、向こう側のホームでは男性救出を手伝う人が現れ、救出作業は一気に進むかに思えた。しかし気絶している人をホームに引き上げるのは大変なのだ。まして頭から大量に出血している。慎重に身体を持ち上げようとすればするほど時間がかかる。結局3分近くたっても男性をホームに引き上げるまでいたらなかった。

 そのとき私のいたホームの女性が「ボタンを押して電車を止めた方がいいですよ」と声を上げた。そうか! ボタンがあったな、と私もキョロキョロと周りを見回したが、どこにボタンがあるのかわからない。どうしようと思っていたら、さっき叫んだ女性が改札の駅員に知らせるべく走っていた。
 その数秒後には駅員室から飛び出た駅員がベルを押し、男性も無事にホームに寝かされたわけだが、そこからの駅員の慌てようはすさまじかった。電車を入れるのかどうかの判断に手間取り、乗客からは「救急車を呼んだ方がいいですよ」と指摘されていたぐらいだったから。
 で、私がどうしていたかと言えば、やっぱりボーッと事態の推移を眺めていた。なんという役立たず! 子どもの制止まで振り切って救助に向かう男性の背中を格好いいなーと眺め、なぜ自分が独身のままなのかがわかったような気がした。

 というわけで長いマクラになってしまったが、『車掌に裁かれるJR』の宣伝である! オイオイまたかよ、と言わないでほしい。なんと今月29日あたりから本が店頭に並ぶのである。そんな本の出版直前に、ホームでの事故に遭遇したのは神から宣伝をしろと言われたようなものである(実際、小社の〝神様〟集長から「宣伝しろ」と言われました……)。

 それはさておき、正直、事故がどれぐらいの規模で収まるのかは、現場の判断が次第であると改めて学んだ気がする。もし、九段下の事故で誰も列車停止ボタンを押さず、男性の救出のみに集中していたらどうなったのか。改めて言うまでもないだろう。大惨事である。
『車掌に裁かれるJR』でも中央線で8時間遅れのトラブルが起こったとき、原因究明ではなく、とりあえずポイント固定して列車を動かせば1時間で解決できたと書かれている。その判断を首脳陣が下せていれば、こんな大事にいたらなかったに違いない。つまりJR首脳陣は私のような人物だったのだろう(いくらなんでもこの表現で名誉棄損はないだろう。私と同じで名誉棄損って!)。

 というわけで、言いたいことは1つである。この弱小出版を助けると思って、本書を買っていただきたい。買うまではいかないが、とりあえず本書に興味を持ったというのであれば、ブックストラテジーサービスのホームページに飛んでいただき「プレゼント&アンケートキャンペーン」に応募してみるのはいかがでしょう。5名様にプレゼントです。

 さっそくクリックしてみてくださいな。(大畑)

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2006年9月26日 (火)

私の始末書……一病息災

深刻な体調不良に陥っている。医師から厳命されたのは以下の点である。

1)酒は厳禁
2)規則正しい生活
3)植物繊維を多く含んだ食事
4)適度な運動

いずれも不可能な要求と受け止めた。一瞬死刑囚の気持ちがわかったとさえ感じた。一人酒を欠かしたことは十数年来なかったし「規則」も不眠不休で何も食わずという点で「正し」かったといえたのだが……などという冗句はむろん通用しない。「肉の前では野菜はゴミ同然」を信念としてきたのに葉っぱで腹を満たさなければならないとはね。
「適度な運動」だけは続けていたが二日酔いでの「適度」は要するにアルコールを抜く程度の意味合いしかなかった。
本来ならば見向きもしない要求であるがへその下あたりの激痛は耐え難い。それを守らないと容赦なく襲ってくる。オレの家来のくせに反乱を起こすとは。わが腸を内乱罪で摘発したいぐらいだが腸なくして生きられない。
もしや外敵と戦っている最中かもしれない、だったらわが腸は英雄であり内乱罪なぞ冤罪もいいところ。むしろ援軍を送らねばなるまい。

医師の対応は不可解であった。痛みに耐えかねて駆け込んだのに最初の2週間は様子をみるのと上記4項目の実践。今は「様子をみる薬」とやらを服用している。その後に精密検査をして原因を調べると鷹揚なのだ。
様子をみるくらいだから病理としては大したことがないのかと楽観する半面で精密検査はやるという。「結果を見ないと詳しいことはわかりませんねえ」とニヤリ。
そこで不信感を抱いてネットで検索してみたが30分もたたずに止めた。だってバカらしいから。遅かれ早かれ人は死ぬ。今回が死病かどうってことないかはわからないが死ぬのは決まっている。問題は目の前にある仕事のヤマだが大もうけの類ではなく貧乏ヒマなしの方だから出来なくなって誰ぞ困るというでもない。いや少々は困るかも知れぬがお隠れになったじゃあ仕方ないと諦めてくれよう。

とはいえ激痛は現実だ。やむを得ず4条件を守っていると確かに痛まないか軽快する。そうとわかると再発が怖いから条件を墨守し続ける。驚くなかれ今日で1週間も続いているのだ。
何でこんなに痛いのだ。医師は「痛みはサインだ」と答えるが別のサインもあり得よう。ただし決してできそうもない条件をクリアさせる脅しには十分になるのはわかった。
と同時に私がまだ若い頃に40代以上が寄ると触ると体調の話で盛り上がるというか下がるというか要するに会話の中心に据えていた理由もわかった。あれは趣味ではなく切実だったのだねえ。

そしてだ。皮肉なことに4条件を守っているせいか腸さえ痛まなければ体調は抜群にいいのである。「体調不良の原因さえ顕在化しなければ抜群にいい体調」という実にひねくれた現実が今ここにある。ひねくれた性格に発してひねくれた文章を書いていると病状もひねくれるのか。いや腸は元々ひねくれて腹に収まっているから当然なのか。
安倍晋三もうすぐ首相も一説に腸が弱いと聞く。何やら親近感がわいてきた……なんてはずは無論ないのだが頭の働きが鈍るのは間違いない。現に今回はこんな文章しか書けないわけだし。「様子をみる薬」のせいかどうかわからないけど爆弾がいつ腹中で破裂するか気が気でない。おっと「サイン」だった。サインがいつ腹中で破裂するか……。いやいや爆弾だろうがサインだろうが「ウオー」ってのは同じである。

いずれにせよオレが人様に自分の体調をモチーフとした文章を披歴するとは思わなかった。しかる後には闘病記を連載し始めたりしてね。老病死は人の宿命で本来は得意になってはもとより謙虚であっても他者に語るべき話ではないと信じていた本人が禁を破って埋め草を書く。最近の記事でのコメントで「人間ではない」と批判された私だが少なくとも生物学的には間違いなく人間であるようだ。(編集長)

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2006年9月25日 (月)

帝銀事件・周辺住民たちから消えない影

 今回は、戦後最悪の毒殺事件とも言われる帝銀事件の現場を歩いた。
 帝銀事件が起こったのは1948年(昭和23)。1月26日、当時の帝国銀行(後の第一勧業銀行→みずほ銀行)椎名町支店に、3時の閉店後、ひとりの男が訪れた。
 東京都衛生課の職員と名乗るその男は「近くで集団赤痢が発生した」と伝え、「GHQが支給した予防薬」と偽って劇薬の青酸化合物を行員全員に飲ませた。16人の行員のうち12人が次々に死亡、かろうじて4人が生き残った。犯人は現金16万円などを奪って逃げた。
 同年8月にテンペラ画家・平沢貞通が犯人として逮捕され、55年(昭和30)に死刑が確定する。しかし、生存者の証言の食い違いや捜査の曖昧さなどから事実確認に問題があるとして、死刑確定後も繰り返し再審請求が行なわれた。結局、死刑は執行されないまま39年もの獄中生活を送った末、87年(昭和62)医療刑務所で平沢は死亡しているが、真相については諸説紛々、未だに謎とさている特異な事件といえる。

 12人が殺害された旧帝国銀行椎名町支店があった場所に向かった。西部池袋線・椎名町。池袋から1つ目の駅。人通りが多く、にぎやかな雰囲気の北口からその場所は歩いて約2分。駅のすぐ近くなのだ。
『ドキュメント 帝銀事件』(和多田進)によれば、椎名町支店は「木造平屋建ての質屋を改造した」ものだったという。現在の銀行の建物とはちょっとばかりギャップがある。何せ、戦後間もないころの話なのだ。
Tei  現場は現在、マンションになっていた。濃い茶色の外観。外装の整った感じから、まだ新しい建物のように見られる。管理している不動産屋にきくと、入居が始まったのは平成16年2月だという。まだマンションができて2年と8ヶ月ということか。一人暮らしにはちょっと贅沢な1K、8万円台。
帝銀事件を知ってるかと近所のあるおばさん(50代くらい)にたずねると、当たり前じゃない、という顔をされた。現場から50メートル足らずの距離の住人だ。
「まだ私が生まれる前のこと(事件)だけどね。ずっとここに住んでるから、ここらへんの人たちにちょくちょく聞いたりして。あそこの土地は、けっこういろいろ商売が変わったりしてるけど、長続きしないみたい。今はマンションができたけど、近所に住んでる者からすれば、住みたくないよ」。
 マンションが立つ前は不動産屋だった。その前は「飲み屋だか料亭だか」といった感じの店だったという。

 現場から小道ひとつはさんだところには、長崎神社がある。大きな神社というわけではないが、静かで趣がある。江戸時代は既に創建されていた神社で、この地域の鎮守として信仰を集めたとのこと(神社の立て札より)。かつて椎名町支店だった場所に立っていると、たまに鐘を鳴らすガラガラガラという音が聞えてくる。その音は神経質なものでもない。神社の木々があるせいか、金属音の角が取れて、いい具合に耳に届く。車通りも少ない。周囲の環境もいいし、事件を知らないマンションの住人にとってはかなりいい住環境と言えると思う。
 しかし、住人の全員が事件を知らないわけではなかった。
 やはり現場からほど近い場所にある不動産屋さん(男性・50代くらい)は、マンションの住人と「ちょっとした知り合い」なのだという。
「(知り合いは)事件のことについては知ってるよ。有名な事件だしね。このあたりで知らない人はいないでしょ。でもまあ、今さらっていうこともあるし、構わず住んでるみたいだけど。」
 マンションが立つ前は不動産屋だったと先に書いたが、不動産屋つながりでその経営者とも話をすることもあった。
「その不動産屋ができたのは、う~ん…、20年くらい前だったのかな…。やっぱり、お祓いはしてもらったみたいよ、ほら、そこの長崎神社で」。
 やはり、事件から何十年が経過したとはいえ、「縁起が悪い」気はしたはずだし、その気持ちは分かる、と男性は言う。
「人が10人以上も死んでるからねぇ。でも、いつまでもそんなこと言っててもしょうがないとも思うよ。実際、下の世代は縁起が悪いともそんなに言わなくなってるみたいだし、まあ、それでいいんじゃないの?」
 それでも、その男性に「あのマンション、すごくいい条件だったら住んでみたいですか?」とたずねると、「う~ん……」と少し真剣に考え込んで、「まあ、まあ……」とどっちつかずの回答を示すのだった。

 容疑者・平沢が39年もの長期間にわたって刑務所に入れられ、事件が実質的に白黒はっきりしていないまま現在に至るせいか、古い事件に関わらず現場周辺ではどこかまだ“過去の出来事”にはなりきれていない事件の認識のされ方を垣間見ることになった。
 何人かの話を聞かせてもらった年配の人、その人たちの顔に浮かんだ表情がそれを物語ってる気がする。(宮崎)

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2006年9月24日 (日)

日曜ミニコミ誌! 高尾山は壊させない!

Takao  今回は『高尾山の自然をまもる市民の会』の会報。ミニコミというメディアの本来的な役割を体現している小冊子だ。
 市民サイドのメディアとしてのミニコミが発展し始めたのは60年代。高度経済成長に伴う過剰な開発や公害、人権問題などを、既存のマスコミからではなく問題の渦中にいる人々が外に発信しようとしたのがミニコミの起源なのだ。そのあたりは平凡社から出ている『ミニコミ総目録』に詳しい。話題性のあるニュースしか取り上げない、また政府や行政の単なるスポークスマンと化してしまうことのあるマスコミへの不信がミニコミ誕生の大きな要因になったと『ミニコミ総目録』では分析されている。

『高尾山の自然をまもる市民の会』が発足したのは1988年。首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の建設により高尾山や国史跡八王子城跡の自然が壊されてゆくことを知り、それに反対する地元住民約1000人以上が意を共にしたのだ。
 圏央道は東京の中心部から40~60キロの位置を、横浜厚木,八王子,川越,成田,木更津などを連絡する環状の道路だ。首都圏の渋滞緩和とそれに伴う経済効果が期待されての計画とのことだが、その設計に当たっては、圏央道が通る場所の住民たちの意向が全く汲み取られることがなかった。(高尾以外の地域でも道路建設反対の団体は多数ある。)
 1200種もの植物が育っている高尾山に、圏央道が走るためのトンネル工事のメスが入ったのは1998年。同会では学者との共同作業で入念な環境アセスメント(環境影響評価)を行なうなど、科学的な側面からも工事の影響を分析している。水脈の破壊、生態系の破壊などは容易に推察された。
 しかし、02年、東京地裁で圏央道の土地収用事業の認定取り消しを訴えるが、05年に事業は適法とされ敗訴となる。「御主殿の滝」が水枯れを起こすなど生態系への影響は誰が見ても明らかになってきていることについては現在「高尾天狗山裁判」で訴訟が行なわれている。

『高尾山の自然をまもる市民の会』事務局長の橋本良仁さんに聞いた。
「高尾山を守りたい、という気持ちももちろんあります。けど、自然を壊してまでこういう道路が本当に必要なんだろうかとか、住民の声を無視してあくまで計画をゴリ押ししようとする行政への怒りというか、それもあるんですよ」。
 これまでに訴訟はいくつか起こしてきたが、それに勝つことが最終目標ではないという。司法の力で工事を止めるのではなく、最終的に世論を動かして計画をやめさせるのが橋本さんの理想だ。
 会報は、会の発足と共に発行されるようになった。
 1988年、まだインターネットがなかった時代には紙媒体で会の情報を会員に伝え、情報を共有した。巨大な「市民の会」が一同に会することのできる集会は年に3、4回くらいしか開くことができないので、会報は意思の疎通に欠かせなかったのだ。そして、問題を知らない人たちに運動を伝える手段となった。
「7年ほど前からネットでホームページを公開するようになりました。何せ、かなりの情報量をのせることができますし、メールで双方向の伝達もできるし、なにかと便利です」。
 しかし、それで紙媒体の会報がお役御免となったわけでもない。
 運動を続ける人には高齢者も多く、誰もがネット環境にあるわけではない。彼らと情報を共有するのにはやはり紙媒体がいちばんいい。
 しかしそう考えると、これから何十年か後には、この会が発行しているような“情報の共有”に主な機能を求められたミニコミはなくなっているということになる。
 テキストのみであればメルマガ形式でじゅうぶん役割を果たすことができるし、ホームページに乗せておけばバックナンバーの閲覧も可能だ。時代が変わればツールも変わる、ということだろうか。(『高尾山の自然をまもる市民の会』のHPは“運動体”のイメージをいい意味で裏切ってくれるカッコよさである。http://www.naturetakao.com/

 さて、『高尾山の自然をまもる市民の会』はこれから社会を背負うことになる若年層にも運動を知ってもらおうと、ある集会を計画した。今年11月に新宿御苑で開かれるイベントでは小林武史や櫻井和寿、坂本龍一らが運営するap bank(http://www.apbank.jp/index2.html)を招くことがほぼ決定している。
 古くから人々に親しまれ、オオタカが舞う山が、10年後にどうなっているのか。『高尾山の自然をまもる市民の会』の戦いは続く。(宮崎)

(■A4 16P 月刊 80円 発行:『高尾山の自然をまもる市民の会』)

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2006年9月23日 (土)

京都旅行

Kyotop  幼馴染と京都に旅行に行ってきました。なんと18年来の友達(いま私は21歳です)なので、とても気楽な旅でした。途中胃を壊して食べられなくなったり、沢山写真を撮ろうと持っていったデジカメが故障したりとアクシデントもありましたが、本当に楽しかったです。京都に行くのは今回が3回目。1回目は中学の修学旅行、2回目は高校時代の家族旅行だったのですが、毎回行ってしまうのが三十三間堂。お堂に入り沢山の千手観音が並んでいるのを見るたびにドキドキしてしまいます。どの寺院にいってもこれらは何人が何年かけて作ったのだろうと考え、つい口をあけてその場に立ち止まってしまいます。幼馴染も同じように思うらしく三十三間堂のお堂120メートルを進むだけで2時間かかってしまいました。
 あまりにも京都旅行が楽しかったので就職する前にもう一度言ってこようと思います。今度はまだ一度も行ったことのない宇治に足を運びたいなと考えています。
 写真は三十三間堂をお庭から写したものです。

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2006年9月22日 (金)

飲酒運転と新聞記者

朝日新聞甲府総局の27歳の記者が酒気帯び運転の容疑で甲府警察署に検挙されていたと報じられた。
武内健二朝日新聞東京本社編集局長のコメントは「飲酒運転による事故の悲惨さを伝え、紙面を通じて運転手の自覚を促している報道機関の一員として、情けないとしか言いようがありません。深くおわびいたします。私たち自身をさらに厳しく律し、社会的責務を果たしていきたいと考えています」とある。

まことにお気の毒というしかない。武内健二という人は知らないが記者上がりであれば私より年上であろうから忘れたとはいわせない。そう。あの頃を。

朝毎読の記者は採用されると一部の例外を除いて全国の支局(朝日は最近「総局」というが)に出される。華やかなりし時代は支局の警察回りでもハイヤーが使えたと先輩から聞いたが少なくとも私が入社した1980年代半ばからは自分の車を運転して取材をしていた。
私なぞ「あんな殺人兵器」と忌み嫌っていた自動車の免許を内定が出て取らねばならなくなった。もっとも会社が確か10万円を補助してくれたのはうれしかったけど。

さて支局といえば社内でも記者クラブでも夜は酒盛りというのが習わしである。夜な夜な飲む。これは仕事でもあり弁護士さんやらお巡りやら地検とも飲む。その場合は文字通り酔いつぶれた後でソースが何ごとかを漏らしたら落としてしまうので酔ったような酔わないような精神状態を保たねばならない。
嫌いだったのは社内での飲みだ。これは人によって違おうが私は嫌いだった。怒られるか自慢話かだし強制的だし……。これがトラウマになって学生時代あれほど好きだった「飲み会」は今や大の苦手である。したがって酒は家で1人で飲むようになった。
ただし最も嫌な理由は飲んだ後に短い距離とはいえ自宅まで運転しなければならぬ点だった。何しろ支局配属後1ヶ月経つか経たないかのうちに単独物損事故で車を大破させ、多少上達した後もアチコチぶつけて車をデコボコにしていた類い希な運転技術の持ち主だったからね。
警察署によっては事故で大破した車を証拠として署の駐車場に一時期とどめ置くのだが、その横にわが愛車が並んでいても全然見劣り?しない。多分共同の記者と記憶するが(あんたはハイヤーだったね)「毎日クラッシャーズ」と名づけてくれた。「ズ」という以上は複数だったわけだが相棒の件は名誉のために秘する。

であるから当然酒気帯びでの運転は怖いわけだ。しらふでも走る凶器のオレ様が……という自覚は当然あった。

まだある。「記者さんが酔って帰って寝ているから」という理由で殺人犯は柳刃包丁を振り下ろすのをためらったりはしない。したがって真夜中に電話やらポケベルやらで叩き起こされて現場に急行する羽目になる。場合によっては警察署に直行して状況を確認する。わかります? 酔っ払いが所轄に車で乗り付けてお巡りと会うんだよ。
今回の甲府総局記者の場合、報道から確認できる範囲では飲酒から約半日(12時間)経っている。夜半まで飲んで未明に叩き起こされたよりずっと醒めていたはずだ。

確かに時代が違う。わずか20年ほど前とはいえ万事おおらかで適当であった。それが厳罰となっていく風潮も一般論としてはどうかとも思う。ただし飲酒運転は別だ。少なくとも私は酒は好きだが酒気帯びの可能性がある前提での飲み会など以ての外と当時から腹が立っていた。特に当然視する先輩には。飲兵衛は酔った勢いで「オレは酔ってない」と飛び出すけれども、そもそもそれが酔っている証拠なのである。
きっと現代は私の時分と違って飲酒運転を避ける指導が新聞社でも行われていよう。だからそれを破った記者が最悪懲戒免職になるのも仕方がない。ただしそうするならば、というか飲酒運転禁止キャンペーンを張る以上は、かつての悪癖を反省する記事も合わせて掲載すべきであるし、それを踏まえての現在の取り組みをも各社紙面で紹介すべきだ。

「時代が違う」で片づけてはいけないのは新聞の戦前の戦争翼賛姿勢が戦後厳しく糾弾されたのと同じだ。おそらく新聞社ほど飲酒運転を前提とした業務態勢を取っていた業種は運転そのものを扱う仕事を除いてなかったはず。だから昔話をした。今も昔も飲酒運転の罪も危険も大きい。不幸中の幸いで大事に至らないまま幹部になっている記者上がりも大勢いようよ。いや実は……という過去に傷がある人だっている。逃亡兵の私でさえ何人かは実名を挙げられる。そうした者は一度過去に立ち返って身震いして反省しなければ脇の甘さが組織に永遠に残るであろう。
増してそうした枠組みであるのを知りながら飲み会を主催して嫌そうな後輩や部下を引き連れて「今日はオレのおごりだ」と風を吹かした者、さらにはそうだったとの認識さえ当時でもなかった者、そうだったと忘れている者、皆が思い出さなければならない。築地だけではない。大手町も竹橋も同じだ。
気高き当ブログ読者の皆様も今後の紙面に注目していて下さい。私見ではこの過去を率直に謝罪した新聞が最も良心的と判断していい。(編集長)

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2006年9月21日 (木)

「朝青龍小泉」と「白鵬安倍」そして写楽

NHKの「安倍晋三自民党総裁決定」の開票実況の後で大相撲の放送に移り大関白鵬が敗れて横綱朝青龍は勝った。別に見たくて見たわけではないが病院で例の「3時間待ち」を食らって他にやることもないので(院内ではノートパソコンも使えない)待合室のテレビを眺めていたのだ。
奇妙な連想に駆られた。朝青龍は小泉純一郎で白鵬は安倍晋三ではないかと。ついでに言えば威勢はいいけど優勝する感じがしない千代大海が麻生太郎で地味で愚直な栃東が谷垣禎一。休場した魁皇が福田康夫、大関陥落後に地位復帰に励む雅山が加藤紘一…いや加藤は出島か?
待て待て出島は「出る出る出島」と呼ばれていたから某方面に「出る出る」話題満載の山崎拓だろう。出島に女性スキャンダルはあったっけ。昔「さまよえる下半身」とあだ名された力士がいたよなあ。そういえば相撲取りに最も例えるべき森喜朗は誰だ。琴欧州?ま、まさか……と待ち時間はかようにとりとめがない。

まあ「ついでに言えば」は真からついでであってどうでもいい。ただ「朝青龍小泉」と「白鵬安倍」は案外と当たっているんじゃないか。

あまり評価されていなくて不思議なのは朝青龍が1人横綱で優勝を重ねているところだ。相撲史上で大横綱とされている人もたいていは手ごわいライバルが横綱としていた。大鵬と柏戸のように優勝回数が圧倒的に違っても相方? の横綱はいたのである。それが去ると残った強い側も急速に衰えるのが常だった。だが朝青龍は1人横綱特有の孤独も孤立も感じずにばく進する。小泉首相も孤独を好み独裁然としていて気にも留めない。
朝青龍は右四つ、左四つといった型が判然とせず押し相撲でもない。いわば「なまくら四つ」であるが速攻と反射神経が抜きんでている。異形の横綱だ。その点でも小泉首相と同じだ。顔も何となく似ている。まだまだ余力を十分に残しているのも明らかだ。

対して白鵬は血筋の良さが安倍新総裁と共通するし若い頃から「悪くても横綱」(北の富士)と嘱望されていたのも2人ともである。
ただし角界では朝青龍がまだまだ圧倒的な強さを発揮しそうであり白鵬は今場所後の横綱昇進が見送られそうだから勝負弱さは克服できていない。まだまだ綱の器には達していないようだ。ところが政界は強烈な支持率をいまだ保ちながら小泉首相は頂点から去り、彼が去るがゆえに安倍総裁は間もなく首相に指名される。

当惑の原点がここにある。私は小泉首相が嫌いだ。それを感情で表すると「不満」「反発」「反感」といったあたりで散々に書いてきた。だが安倍次期首相確実さんは「不安」なのだ。今の大相撲は朝青龍1人が強すぎてつまらないとする声がある。だからといって朝青龍が突如去ったら面白くなるだろうか。代わりに何とはなしに白鵬が横綱になれば盛り上がるか。むしろ全体のパワーダウンにつながって観客席ガラガラになる気がする。
自民党が嫌いなお前ならば大歓迎だろうと聞かれそうだ。確かにそうした面はあるのだが安倍総裁は日本の首相になり私は日本人だから困る。「不安」とは彼の勇ましい姿勢や政策に発するのではない。以前にも述べたようにそれが確固たるものならば叩き甲斐もあるから。彼を心情的には嫌う私でさえ「しっかりしてくれ」と応援?したくなる弱さを感じる。逆の側の人に聞きたい。あなた方は安心ですか?

何だか最近は安倍氏のことばかり書いているが理由はこの「不安」にあるのだ。まだ綱を張る実力のない力士が雲竜形や不知火形を示して日下開山だと称している、ないしは称されているような状態で何が起こるのかわからない。一番悪いのはブチッと辞める大横綱の小泉首相である……ってオレは小泉続投を望んでいたのか! そんなはずはない。そんなはずはないのだがしかし……と自分でも意味不明に陥る「不安」。何なんだこれは。助けてくれ。

江戸時代の角界には「看板大関」というのがいた。見た目がいかにも強そうで「さぞかし」という風体の持ち主を最高位の大関(当時の横綱は称号に過ぎなかった)に仕立てて土俵入りをさせたが相撲は取らせなかった。とっても弱かった。東洲斎写楽の浮世絵で有名な大童山文五郎は大関こそ名乗らせなかったが愛らしい顔立ちと巨体ゆえに7歳にして現在は横綱だけが許されている1人だけの土俵入りを行った。この写楽の傑作が思い出されてならない。
「看板大関」や大童山のような存在は見せ物として必要だった。ただし真に強く人気もある大関がいる時期には置く必要もなかった。安倍氏を早くも「選挙の看板として価値がある」と押す声があるのとそっくりではないか。写楽は絵画にウイットを持ち込む天才で美男役者のウィークポイントをあえて強調することで「そのウィークポイントがあっても彼はやっぱり美男だ」と再評価させるような逆説を持ちこんだ。だいたい写楽自身の存在がウイットである。
現代に写楽がいたらきっと安倍晋三総裁を一分のすきもない「彼に任せておけば日本は大丈夫」としか思えない肖像に仕立てるだろう。だから心配なのだ。(編集長)

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2006年9月20日 (水)

チェチェンで本当に起こっている怖い話

Che チェチェン共和国という国をご存知だろうか。モスクワから南へ1500キロほどの距離にあり、カスピ海と黒海にはさまれた北コーカサス地方に位置する小さな国だ。チェチェンではチェチェン語が使われていて、国民のほとんどがイスラム教スンニ派の信者だという。
1991年12月のソ連の解体の直前、10月にチェチェンは独立を宣言。帝政ロシア時代から数世紀にわたってロシアと血で血を洗うような抗争を続けてきた歴史を持つチェチェンだが、この独立で、「お互いこれまでのことは忘れて、平和にやっていこうよ」ということには、もちろんならなかった。
1994年には当時のロシア大統領だったエリツィンが「ロシア連邦の一部であるチェチェン共和国での憲法秩序を回復させ」ることを名目として、軍をチェチェンに侵攻させる。第1次チェチェン戦争の始まりである。1年半でなんと10万人ものチェチェン人が死亡。そしてそのほとんどは民間人であると伝えられる。初代大統領のジョハル・ドゥダーエフもこの戦争で爆殺されている。首都グロズヌイをはじめ、インフラまでもが徹底的に破壊された。
96年には一時的に停戦が成立したものの、99年に再び第2次チェチェン戦争が始まり、現在に至る。
ソ連時代、89年に行なわれた人口統計では、チェチェンの人口は約100万人だったが、94年以降、少なくとも20万人以上が死亡し、今では正確な人口も把握できていない。
しかし、この惨劇の規模に比べ、日本を含め国際社会の関心は異常に低く、また高度に情報技術が発達した今日でもチェチェンに関係するニュースはほとんど入ってこない。
これはなぜか。
『チェチェンで何が起こっているのか』(林克明・大富亮/高文研)によると、チェチェンの情報は当然ロシアの検閲によってチェックされおり、発信すべき情報の取捨選択権はチェチェンにはない。ロシアがチェチェンに関するニュースを発信することはあるが、同じ出来事でも、ロシアから発信される内容と他のヨーロッパ諸国から発信される内容では大きな相の違いが出てくるという。
本書は95年から現地取材を続けるフリージャーナリストの林克明氏と、ロシアやヨーロッパの人権NGOや英語圏でのチェチェン情報を翻訳しEメールによる「チェチェンニュース」(http://chechennews.org/chn/index.htm)を発信している大富亮氏によって書かれている。記憶に新しい02年のモスクワ劇場占拠事件で人質となった当事者たちへの取材、焦土となってしまった国内の様子、現在のチェチェンのジャーナリズムがどうなっているのか、そして何より、なぜロシアがチェチェン独立を決して認めようとしないのかという最も重要な点についてもしっかり触れられている。

『記録』ではアゼルバイジャンの首都・バクーの難民キャンプで生活を送ることを余儀なくされているチェチェン人を支援する鍋元トミヨさんが『チェチェン・死と瓦礫を乗り越えて』を執筆している。報道で知る、マクロな政治力学の動きとしての各国家像というよりも、難民キャンプの生活の中で聞こえてくる、人々の生々しい(ときにユーモラスで笑える)言葉が聞えてくるような連載だ。(宮崎)

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2006年9月19日 (火)

近衛文麿と安倍晋三

「誰の意見も聞かずに決断する」と称された東条英機と小泉純一郎首相は似ている。両者の相似を指摘した人は多いが「近衛文麿と安倍晋三」はどうだろう。
まもなく小泉政権から安倍政権へと替わる。首相としての順番は近衛文麿の後が東条英機なので逆であるが戦前の近衛人気と安倍晋三氏の類似は興味ある検討対象だ。
近衛は2度首相になっている。なお2度目は総辞職後再び首相となったので、ここでは1回と数える。
まず近衛も晋三氏も名門の坊ちゃんである。近衛家は北家藤原氏の筆頭だから岸・安倍家も真っ青だが庶民から遠く離れた存在であるには変わりない。「さわやか風で若い」のが売りなのも同じ。要するにノホホンと暮らせた家柄なのに陰謀渦巻く政界に身を投じて国粋的スタンスで世間的な人気を勝ち得たのも共通する。
安倍氏が北朝鮮への遠慮からやっかいものにされてきた拉致問題をクローズアップさせてアッといわせたのと同様に近衛は日英同盟を軍事的支柱としていた時代にあえて英米が叩いたドイツに同情し「英米本位の平和主義を排す」という論文を『日本及日本人』に発表して民草の度肝を抜いた。その内容が実に興味深い。

近衛文麿は言う。「現状維持を便利とする国は平和を叫び、現状破壊を便利とする国は戦争を唱う。平和主義なる故に必ずしも正義人道に叶うに非ず、軍国主義なる故に必ずしも正義人道に反するに非ず」。どうです? ゾッとしませんか。ほぼ似たような発言を安倍晋三氏がして違和感があるか。というか一部はすでに発言済みではないか。

民族主義的、国粋的なタイプは悪くすると民草には野蛮で陰惨に映る。そこで近衛や安倍氏のようなボンボンが物好きにもメンタリティーを共有してくれるとここぞとばかりに祭り上げる。この辺は単なる暴力集団だった発生期の武士団が棟梁に貴種である清和源氏や桓武平氏をいただいた頃から変わらない。最近は指定暴力団でさえ大親分はインテリをすえる。
ただし権力を握る前の近衛と安倍氏が似ているのはどうってことでもない。問題は安倍首相誕生後に近衛的に振る舞ったらどうなるかである。
第1次近衛文麿内閣が手がけたのは1937年の国民精神総動員運動であった。「国民」の「精神」を聖戦完遂のために「総動員」しようという。まず心の問題から手がけた。安倍氏は最優先課題に教育基本法改正を挙げる。どちらも民草にはどうでもいいような話だが貴種はまず我々の「低レベル」な気持ちのありようから入りたいらしい。
続いて近衛は38年に国家総動員法を制定した。有事に「人的及物的資源ヲ統制運用スル」には「勅令ノ定ムル所ニ依」ればいい。つまり議会の承認はいらない。「人的及物的資源」以外の資源なぞ世にないわけで同法はナチスの授権法同様の事実上の憲法改正(ないしは否定)だ。安倍氏が大目標に憲法改正を掲げているのは改めて書くまでもない。

対外的には蘆溝橋事件が勃発した。この日中衝突自体は必ずしも日本側に非があると断言はできないが近衛は当初は「自分は出兵には絶対に反対だ」と閣議で発言しておきながら〔原田熊雄述『西園寺公と政局 第六巻』(岩波書店刊)29ページ〕陸軍の独走を傍観して、やったことといえば宮崎隆介という一介の弁護士を日中仲介の「密使」(宮崎証言)として派遣し、それを原田にただされたところ「宮崎よりほか人がないのだ」と告白している〔同51ページ〕。揚げ句は昭和天皇に「一体軍の作戦なりなんなりについて、何もきいてをりません。為すがままにただ見てをるより仕方がありません」と「愚痴」すらこぼしている〔同138ページ〕。
国家の大事に私的な民間人しか頼れず傍観していると天皇にグチっている首相では何もなるまい。
安倍氏もそこが心配である。彼を嫌う人は好戦的姿勢を問題視するが本質はむしろそれであおられて何らかの衝突が近隣と起こった際に公的な組織を指揮して沈静化できる人物かという点にないか。安倍氏もまた「為すがままにただ見てをるより仕方がありません」と言いそうである。近衛は西園寺公望は頼っていたようだが安倍における西園寺はせいぜい森喜朗前首相ぐらい。森氏を西園寺公と比較したら西園寺は怒るだろうが……。

二度目の組閣では暗に嫌いながらも強面の松岡洋右の進めるままに日独伊三国同盟と日ソ中立条約の締結をこれまた拱手した。ところが独ソが開戦して両条約は並び立たない意味不明となり、といってアメリカとも交渉しと八方美人の支離滅裂を極めた。
安倍さん。あなた自身が属性としてしきりと挙げるので言わしてもらうが、あなたの尊敬する祖父の岸信介も「八方岸」とあだ名されてましたよね。あなたはその八方美人のDNAも受け継いでいるでしょう!
総裁選の討論を聞いていると早くもムニャムニャの素質を発揮している。

太平洋戦争を決断したのは東条だったが、それはハル・ノートに日独伊三国同盟の死文化要求があったのが大きい。正式に結んだ軍事同盟を無造作に破棄できないのは国家の常識で故に東条はハル・ノートを最後通牒とみなすしかなかった。

確かに東条は悪い。だが彼の最悪の決断に至る道筋の過程には近衛の優柔不断があった。平時には戦闘的なファイティングポーズを気取り、それをかつぎ、それにあおられた勢力が事を構えるや八方美人に陥る。打開する公的人脈も経験も運営能力も弱い。それを隠すために時にいわずもがなの強硬論をぶって事態をさらに悪化させる。その意味で近衛は東条より悪い。
次期首相がそうでないと祈るような気持ちだが符丁は合って合って仕方ない。(編集長)

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2006年9月18日 (月)

3億円事件・現金輸送車が奪われた場所

3  武蔵野線の北府中駅を降りると、かなり激しい雨が降っていた。
 1968年(昭和43)12月10日、いわゆる「3億円事件」が起きた当時も、現場には強い雨が降っていた。白バイに乗り警察官になりすました男が東京信託銀行の現金輸送車を呼び止め、「輸送車に爆発物が仕掛けられている」と言って乗車していた4人の行員を下ろした。まんまと現金を手に入れ、輸送車ごと走り去るまで、わずか3分間だった。
 現金輸送車がニセ警官に乗っ取られたのは東京都府中市栄町3丁目。府中刑務所の北側を通る学園通りの路上だ。
 駅から線路沿いに北に歩いて府中刑務所に向かう。目線を上げると、線路をはさんだ向こう側に、2本のひときわ高い塔が突き出しているのが見える。(写真上)「TOSHIBA」のロゴが雨にかすんで見える。
 武蔵野線・府中駅の西側の地名は東芝町。その広い一帯が東芝の事業所になっているが、ニセ警官が盗んだ3億円は、東芝(当時は東京芝浦電気)府中工場の従業員に支払われるボーナスだったのだ。

3o  栄町3丁目に到着。3億円が奪われた現場だが、思ったより道路は狭い(幅は当時と変わっていない)。写真の左側にあるのは刑務所の塀である。犯人は現金輸送車を奪い、学園通りを府中街道方面に、つまり写真の手前から奥に逃走している。(私も現金を持って逃走したいものだ)
 さて、このあたりの住民にとって3億円事件はやはり「身近」なのだろうか? それとも既に記憶の彼方なのか…。
 学園通りに面した、現場の目の前にある家で話を聞いてみるが、あいにく両親は留守、と高校生くらいの女の子に言われる。ただ、68年当時から家はこの場所にあるので、事件については両親からいろいろ聞かされているという。女の子に、「(近所の)Aさんだったら少し話してくれるのではないか」と教えてもらい、早速向かう。Aさん宅も現場から歩いて20秒の距離にあった。
 栄町で生まれ育ったAさん(女性)は当時、小学校高学年。事件が起こったのは平日で、学校にいた。少し分かりにくいが、写真で道路がカーブしているあたりに鉄柵のようなものが見える。柵は府中第九小学校のもので、Aさんはそこに通っていた。
 事件は午前9時20分ごろに起こった。午前11時ごろには小学校のすぐ近くをヘリが低空で飛んでいたとAさんは言う。
「たしか、それくらいの時間だったと思いますよ。もう、何事かと思いましたよ。普段、ヘリの音で先生の言ってることが聞えない、なんてことないじゃないですか。騒然としてました」。
 休み時間には、投入された大量の捜査員に興味津々、野次馬根性丸出しの小学生たちが、現場の検証を食いつくように見ている。
「おまえら、あっちに行け、と警察の人に怒鳴られてましたね」
 とAさんは少し懐かしそうに言う。
 事件後、警察官による聞き込みのローラー作戦が展開され、あたりの民家をしらみつぶしにあたっていった。当然、Aさん一家も対象である。
「警察の人が来て、家族構成と、免許の有無なんかを聞いていきました。でも、ウチの両親は免許を持ってなかったんで、その時点でスルーされたみたいですけど(笑)」

※ここから先の記事は…

『あの事件を追いかけて』(本体952円、アストラ刊)にてご確認ください。

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2006年9月17日 (日)

日曜ミニコミ誌! 中央線沿線のイベントあります

Gururi  今回紹介するのは『ぐるり』。神保町、書肆アクセスで購入。“コーヒー1杯分の情報マガジン”との軽やかなサブタイトル、手の平にすっぽりおさまるA6サイズ、表紙のイラストの暖かみのある色と線。いろんな要素がうまくコントロールされていて、そこはかとなくオトナな雰囲気を醸し出している。ミニコミ誌のあるタイプの形として、うまく完結していると言ったらいいのだろうか。
『ぐるり』は、中央線沿線の大小様々なハコ(店)で催される音楽情報を主に発信している。全体で64ページ、その後半の30ページ以上はライブやイベントの紹介にあてられている。

「♪高瀬順&モンゴル松尾 20:30 ¥1000 楽や」
「♪ジョンのフサフサアワー ジョン(犬)、Cherry STRAW、あカさたな、daRhyome 19:00 ¥1500 円盤」
「♪斎藤ネコストリングスカルテット 19:30 ¥2500 MANDA-LA2」

 といった具合だ。ジャンルは問わず、フォークからバンドもの、クラシックから詳細不明の何かまでごちゃ混ぜ。
 店のリストの中に阿佐ヶ谷の「よるのひるね」を見つけた。この店には行ったことがある。「よるのひるね」はスペースが8畳くらいしかないこぢんまりとした喫茶店だが、その狭いスペースになかなか渋い本(ボサノバレコード大全、30年以上前の漫画や図鑑など)をそろえたりしていて雰囲気はいい。ただ、外観からは人の目にも付きにくい。こういう店はどうやって知られていくんだろう、と思っていたが、『ぐるり』のような地域のミニコミなどで認知度が少しずつ高まっていくのかもしれない、と妙に納得した。
「よるのひるね、好企画が目白押し」などという見出しがあるから見てみると、「杉作J太郎率いる男の墓場プロによる怪談ナイトが行われる。深夜24時から始まり、途中心霊スポット探検もあるようだ」。という企画。う~ん、好企画、かなぁ……。

 実質ひとりですべての編集を担当しているという五十嵐洋之さんに発行のきっかけを伺った。
「もともと『ぐるり』を発行しているこの会社(ビレッジプレス)は出版社なんですが、ここのボスと話してて、中央線沿線での音楽イベントを取り上げる紙媒体を作ってみようか、ということになったんです」。
 中央線沿線は60年代、70年代からフォーク歌手のライブなどが多くの店で行われてきた。今でもライブは行われているが、イベントの情報を発信する媒体はほとんどなかった。「ぴあ」などで紹介されているイベントもあるが、掲載されるのは一部だけだという。
 たしかに、掲載されているライブやイベントの90%以上のスポットと出演者は私が知らないものである。
中央線の住人でない私はこれらのイベントに足を運ぶのはちょっと骨折りだが、近場でこんなミニコミがあったら手に取ることはあるだろう。しかし、今住んでいる東武東上線沿線のイベントを扱ったミニコミ誌は今のところ目にしたことはない。

 8月号の巻頭には「ハンバートハンバート」というデュオのインタビューが、やたらフランクな感じで行われている。インタビュアーは田川律氏。記事に気取ったところがない。これもまたミニコミの醍醐味といえばそうだろう。また、ジャズピアニストの渋谷毅氏の連載を発見し、ちょっと興奮。
 藤井さんも、特に「これが中央線の音楽だ!」などという気負いはない、と言う。中央線文化といえば大袈裟になるのだろうが、小規模ではあるが現在もたくさんの催し物が中央線で行われていることを知ってもらえたらいい、とのことである。
 プロモも広告もない歌い手やアーティストがぎっしり詰まったこの情報マガジン、中央線沿線の方は買いです。(宮崎)

(■B6 64ページ 隔月発行 本体380円+税 アプリケーション:クオーク 発行:ビレッジプレス)

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2006年9月16日 (土)

坂東眞砂子の随筆と家畜としての猫

別に子猫を殺そうが食べようが構わないが野良猫にして発情期に人間の泣き叫ぶような大声を出されるのは堪らないというのが個人的見解である。かつて住んでいた都区内某所は低層階だったため朝からうるさくて仕方なく閉口した。
だから坂東氏の行為には何の反発も持たない。本当に殺していればの話だが。というのもこのストーリーテラーが事実を述べているか読み手の肺腑をつくための「芸」なのかわからないから。最後の「殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである」の次に「実は殺してなかったりして」とオチを入れるのを止めただけかも。物書きの芸を楽しんだり疑ったりする余裕が現代の日本人には減ったのかね。大南北に騙されるとわかっていながら楽しんだ江戸っ子よりも知的に退廃したのだろう。

仮にエッセー通りだったとする。するとキモは「愛玩動物として獣を飼うこと自体が、人のわがままに根ざした行為なのだ」という点と読んだ。猫に限っていえば、そもそもは家畜だったのである。
我が実家はかつて猫を飼っていた。だが「愛玩動物として」ではない。天井裏とおぼしき産所からネズミが出て困ったからである。ネズミ取りに引っかけてはバケツに水を入れて装置ごと水没させて溺死させていた。それを残酷だとは思わなかったし今になっても変わらない。残酷だと言われたこともない。
それでもネズミは次々と現れる。やつらは病気を運んでくるのが最大のやっかいだ。そこで猫の登場である。小学校次に飼っていた我が猫の実力は抜群でネズミだけで生命を保っていた。この将軍に論功行賞として刺身などを与えたは当然である。単になぶり殺しにするだけで食べない場合もある。どうやら種類によっては臭気があるらしい。でも殺しはしてくれる。
したがって何の血統書もなくともネズミ取りの名手として子猫は近所に引き取られていった。なかには野良猫との間にできた子もいたろうが(将軍はもてたから)近隣の農家でモグラを叩きのめしたりと活躍していた。例の発情期の大騒ぎも軍功ゆえに何らの不快感もなく将軍の勝ちどきにすら聞こえた。別に荷駄を引く猫だっていたのである。
こうした家畜としての猫の歴史は6世紀までさかのぼる。

したがってネズミやモグラ、害虫を駆逐する将軍としての猫の役割がないならば飼うべきではない。「愛玩動物」などもってのほか・・・というより下らない。ペットロスという言葉を聞くに至っては言葉も出ない。そんなことで空の巣になる精神構造の持ち主は死ぬがいい・・・と思わず坂東さんの「芸」を下手くそに真似した断定をしそうになった。
別に猫を嫌いではない。むしろ大好きだ。我が将軍のしぐさは一日中見ていて飽きなかった。でもそれは将軍に役割があったからである。その役割に私への癒し(イヤな言葉!)を求めようなど露とも願わない。

捨て猫を見つけた自分に猫への役割が与えられなければ迷わず行政に依頼して殺処分してもらうしかない。放置すれば明らかに害獣になるから。残酷だって? じょあネズミ取りにかかったネズミの処分は残酷だったと非難できる根拠をも示していただきたい。だって命は等価でしょう? 殺生すべてがいけないとのロジックは有り得ようが残念ながら宗教的な大慈悲心を抱けるほど悟っていないので悪しからず。
猫は長じると孤独を好む。ネコ科で群れをなすのはライオンぐらいではないか。だから愛玩(かわいがる)と感じているのはヒトの側だけで猫にもし感情があれば放っといてくれとの「哀願」の方である。あなたの家の猫はなついているって? それは餌をくれるから。(編集長)

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2006年9月15日 (金)

「猫殺し」で吊し上げが怖い

 正直、考えがうまくまとまっていない。
 作家の坂東眞砂子さんが生まれたばかりの猫を殺したと日経新聞のコラムに書き、大騒ぎになった一件である。

 問題のコラムは8月18日の夕刊に掲載され、その日のうちに2ちゃんねるにスレッドが立ち始め、ネットで彼女を糾弾するページが乱立、24日には『毎日新聞』などがこの騒動を報道した。そのうえ週刊誌などがかみつき作者自身も反論する事態にまで発展した。

 板東さんは論旨は明確である。彼女は3匹の猫を飼っているが避妊手術をしていない。それは「獣の雌にとっての『生』とは、盛りのついた時にセックスして、子供を産むことではないか。その本質的な生を、人間の都合で奪いとっていいものだろうか」との考えているからだ。ただ、その「生」を認めると、当然、猫は無尽蔵に子どもを産む。そりゃ、困ると。
 タヒチ島に住む彼女の自宅の周辺は「草ぼうぼうの空地や山林が広がり、そこでは野良猫、野良犬、野鼠などの死骸がころころしている」こともあり、彼女は「家の隣の崖の下がちょうど空地になっているので、生れ落ちるや、そこに放り投げる」という。
「人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。生まれた子を殺す権利もない。それでも、愛玩のために生き物を飼いたいならば、飼い主としては、自分のより納得できる道を選択するしかない。
 私は自分の育ててきた猫の『生』の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した。もちろん、それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである」と書かれてもね……。
 私も2匹の猫を飼っている。しかも猫さまさまのベッタベタである。なんせ猫ぽく接したくなると、四つんばいになって猫を追い回し猫の腰(?)に頭をこすりつけたりしているのだ。とてもじゃないが、板東さんの話を受け入れられない。

 いや、言いたいことはわかる。だいたい子猫や子犬を殺すなんて、昔はそれほど珍しい話じゃなかったろうし。
 思い起こせば私が小学校低学年だったころ、放し飼いだった猫が出産。結局もらってくれる人を探すことができず、1匹を残して保健所に連れて行った。あの当時、飼い猫に避妊手術している人はどれぐらいいたのだろうか?
 そんな私が言うのも恥ずかしいが、やっぱり崖から子猫を捨てるのは許せないと思ってしまうのだ。だから彼女のコラムに反感を寄せる人があるのは当然だと思う。当人も「こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている」と書いているから、覚悟の上の執筆だ。お金をいただいた文章に批判が集まるなら、それは仕方ない。正しい言論のありかたともいえる。

 でも、日経新聞や日本動物愛護協会やフランス大使館への抗議って、どうなんだ? 一部報道では「業務に支障が出る」ほどフランス大使館に問い合わせがきたという。
 ある主張が間違っていると感じた。だからネットで意見を表明した。でも、それじゃあ社会は変わらないので関係各所に抗議した。この展開自体を批判することはできない。かつての市民運動だって同じようなことをしていた。
 言論には言論でとか、感情的にならないで話し合い、といった意見もあろう。でも、感情を呼び起こさない議論などためにある議論でしかない。

 そう、ここまではわかっている。それなのにネットで「まつり」と呼ばれる吊し上げが起こるたびに、すっごく嫌な気持ちになってしまう。それは「まつり」を招いた論調とは一切関係ない。今回の件で、そのことを実感した。「猫を崖に投げ落とすなんて、キー!」と思うくせに、「まつり」の現場に出くわしゲンナリしたから。
 しかも以前ならネット界だけにとどまっていた(といっても住所や氏名がさらされ、実際に家に突っ込んで行くような輩もいたが……)話を、「騒動」という切り口でメディアが大きくしていく傾向にある。たしかに世間で騒がれているのはニュースだが、そもそも報じる価値などあるのか???

 こうした吊し上げでも、まだ企業や政治家なら許せる。このような「騒音」を排除できる力とカネを持っているのだから。でも、今回のように対象が個人だと、理由はどうあれゾッとしてしまう。それが例え猫を殺している直木賞作家でさえもだ。

 この手の吊し上げに恐怖感を感じるのは、自分がマイノリティーだからだと思う。小さな出版社にジーンズで勤務する37歳独身。通常なら住宅ローンや子どもの教育に向き合っている年代なのに、ダラダラと仕事し、とにかく美味しい食事を食べることだけにカネを使い、フィギュアなんぞを写真に撮ってネットに流している(たしか金曜日はフィギュアを毎回掲載する予定だったな……)。
 とてもじゃないが社会のお役に立っているとは思えない。日本の人口が多いから2割抹殺しましょう、てなことになれば真っ先に選ばれるはずだ。だいたいロクでもない人生を送ってきたから、糾弾されるネタも尽きないだろうし……。
 自分は吊し上げられる要素を大量に抱えている。日本全国という規模でみれば、すでにオイラは村八分だ。そんなふうに感じているから「まつり」が気味悪い。企業や政治家なら吊し上げも許せると書いたが、では、どれぐらいの権力者で、どれほどの企業なら納得できるのかはわからない。そこに、きちんとした線引きも理屈もない。とにかく、どこからか生理的に我慢できないのだ。

 以前、スポーツ観戦から民族対立が激化し軽い暴動へと発展した現場にいたことがある。相手の民族に「出て行け」と叫んでいるであろう(いやー、全然わからない言語だったので、たぶんね)輪の中で、自分が黄色人種であり、いきなり周りの白人から吊し上げられる対象でもある、と気づいたとき心底ゾッとしたものだ。似たような恐怖を、ネット界の「吊し上げ」に感じてしまう。

 ネットが力をもつということが、こんなことだったらやりきれない。心からそう思う。
 あー! 『車掌に裁かれるJR 事故続発の原因と背景を現役車掌がえぐる』の宣伝が入らなかった。うーん、マイノリティーの国労組合員としてつるし上げの恐怖と闘っている、この本の著者なら僕の気持ちもわかるはず、ということにしておきますです、ハイ。(大畑)

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2006年9月14日 (木)

レバノンとイラクの悲惨を知らずに平気な恥知らず

早稲田、慶應義塾、明治、立教といった大学はまあ頭の良い子が進むだろう。首都圏の中高一貫私立高校の多くは進学校で中学受験もヒートアップしている。
ではそうした学校に通っている人が先般のイスラエルによるレバノン侵攻や、現在進行形のイラク人のテロなどによる大量死を知っているか問うた。100人以上にである。するとその大半が知らなかった。ヒズボラの何たるかを知らないのではない。レバノン侵攻そのものを、である。

もし日本で起きたら数年に一度の大事件として報じられるような大量死がレバノンで起きたしイラクでは毎日発生している。見逃すわけにはいかない人道上の基本知識であろう。かつてカントは倫理観は単に持ち合わせているだけでは意味がなく実践せよと説いた。ところが今の若者は「単に持ち合わせているだけ」がない。
当初「この人たちはなんとまあ・・・」とあきれかけたが、すぐに思い直した。彼ら彼女らに罪はない。そうした問題を教えたり伝えたりする大人が本当は悪いのだ。

そういえばマスコミや教育現場で伝えているとの反論があろう。現に私自身は新聞、雑誌、単行本、ネットなどから情報を得ている。そこから何らかの意味ある実践をしているかと責め立てられれば自信ないが少なくともヒズボラの何たるかは最低限知っているつもりだしイラクの現状には怒り心頭に発している。
だが現に知らない人が多数いるということは伝えているつもりで伝わっていないと答えるしかない。
私はテレビをほとんど見ないが多くの人はテレビから情報を得てもいよう。そしてテレビもまた上記の問題を報道していないわけではない。でも伝わっていない。なぜか。
ここで受け手の知的レベルに言及してしまったら送り手の自殺行為だから止す。要するに覚悟が足りないのだ。なぜ大問題なのか。イラクでは1日に何十人も死んでいるんだぞと知らせればいい。死体のヤマを映像や写真で流せばいい。1955年に惨殺されたエメット・ティル少年の無惨な死体写真が公開されなければ後の追及が続き人種差別問題がクローズアップされただろうか。残酷だとの抗議も来ようが残酷な事実が現に起きている以上ためらうのはおかしい。使い古された言葉だが残酷とのためらいは「偽善」と呼ぶしかない。

さらに深刻な疑問がある。メディアの非力はあったにせよ大人が子どもに口頭でも伝えていれば大幅に改善する。しかしそれをしない。残酷だから? きっと違う。おそらく伝える立場にある大人さえ知らないのだ。核心はここにある。「外交は票にならない」と政治家は平気でいう。これもまた恥知らずだが一面の真実を言い当ててはいる。票は20歳以上の大人が持つ。その人たちの支持が国際問題では引きつけられない。ということは興味がないからである。
興味のあるなしは個人の自由であるがレバノンやイラクで起きている大惨事に興味を持たないのは人非人だ。「人非人」とは嫌な言葉だが嫌な現実を言い当てるためにあえて使用する。
何度でも書くが今まさに我々と同じ人間が理由もなく大量に殺されているんだよ。

冒頭の子ども達(私の世代からすると子ども達なので)に戻ろう。一方で昨年当初の中国での反日デモや北朝鮮の拉致問題、さらにすでに5年過ぎた9.11米国同時多発テロは大半が知っていた。日本人に限らず自国が関わる問題がそうでないより数段興味を抱きやすいのは世界共通であろうからそれはいい。
考え込まざるを得ないのはそうしたテーマから人の死とか国際紛争はなぜ起きるのかという段階に進まず反日とかテロといったレベルで堂々巡りをしてしまう今日の状況である。東京裁判の細部を検討する人はいてもイラクのフセイン元大統領や旧ユーゴのミロシェビッチ元大統領が裁かれている法廷を知ろうともしない。米国同時多発テロの淵源をイスラエル・パレスティナ問題を素通りして探りうるとは到底思えないが場所すら地図上に指し示せない日本人が多数いる。子ども達が、ではない。この国の民すべてに、だ。

お前高いところから偉そうに説教してるな嫌なやつという反発も出るかもしれぬが、ここは譲らない。もしあなたがそう感じたとしたら私が高いのではなくあなたが低いのだ。しかも獣かバカかというレベルである。私とて十分に低い。胸を痛めつつも解決のための積極的努力はせず拱手傍観している。何かしようと思っても日々の雑事を優先させている。その程度の私の論説が「高いところ」に感じたらお仕舞いなのだ。

日本は島国だから海岸線より内側の国土の出来事だけを気にする風がある。身近であればあるほど大切な問題という社会心理学の初歩の状態に他愛なくはまってしまうわけだ。一方で海の向こう側が気になって仕方ない性分もある。それが大陸雄飛なんてテンションになるのも困りものだが今のように他愛ないはまり方をしているとダメ人間の巣窟になりかねない。
靖国問題を「国内問題に中国が干渉するな」と怒る。それで終わると他愛なくはまっただけ。そう怒った後に「ところで中国の方は抗日戦線勝利に導いた勇士をどう祀っているの?」とつながらない。つまらない脳細胞の並び方じゃあないか。(編集長)

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2006年9月13日 (水)

JR事故続発の真相がココに

 何となく朝夕肌寒くなってきた。こうなると夏の大仕事も一段落である。いやはやよかった。となれば少しはブログにも力を入れようと思ったら(2ヵ月ほどコメントなどにもお答えできず申し訳ありませんでした)、小社の新刊発売が目の前に迫っていたのである。
 というわけで、力を入れて自社の出版物を宣伝したい! 
 なんか、この時点で読者に引かれているかもしれませんが……。

『車掌に裁かれるJR  

事故続発の原因と背景を現役車掌がえぐる

  (斎藤典雄 著)、9月末発売 (29日ぐらいには店頭に並ぶと思います)。

 とりあえず、文字の大きさから力入れてみました~。

 著者の斎藤さんとはもう11年以上の付き合いになる。小誌に持ち込まれた原稿が面白く、連載をお願いしたのが縁だった。国労組合員のため、いくら昇級試験を受けても合格しない。そんな苦境を笑ってやり過ごすような文章が魅力だった。脱力感といえばわかりやすいだろうか。以来、斎藤さんは同じスタンスを貫いている。
「例えば、この事故同様、普段とは違う異常なほどのスピードが出ていたとする。車掌に速度を見る義務はないが、駅への進入ならまだしも、運転の途中の一瞬の出来事であり、運転士に『大丈夫ですか』と問い合わせするくらいが関の山だろうと思う。変だなと感じてもあれよあれよと同じ結果になったに違いない」
 死者107人を出したJR福知山線事故について、彼が本書に書いた文章だ。何度も強調しておくが現役車掌である。会社に気を遣うなら、車掌でも事故を防げたかもしれないと書くこともできたろうし、もっとしかめっつらしく鉄道にとっての安全を説く手法もある。それが「あれよあれよと同じ結果になったに違いない」なのだ。この本音こそ、多くの人が聞きたかったものじゃないか?

 近年、大企業での不正や事故がたびたび起こり、そのたびにトップが頭を下げ、それらしいコメントを並べている。でも、突っ込みどころのない無味乾燥なトップのコメントを信じられる人がどれほどいるだろう? 
 本書を読むと、JR東日本がどれほど危険なのか、あるいはどのくらい安全なのかがしっかりと見えてくる。また、国鉄分割民営化によって、どのような部分が劣化したのかも理解できる。朝夕と会社や学校への往復に命を預けているJRの実態を、本書で確認してもらいたい。

 そして、さらにさらに強調しておきたいのは「てっちゃん(鉄道マニアの皆様)」垂涎の書籍だということだ。まあ、妙なプッシュだと思うが……。
 車掌の1日とか、車掌の1週間とか、その手の筋には魅力的な情報が満載! JRの業界用語もタップリ解説してあるのだ。「100エフソベンスヨロ」の意味なんて分かるのは本書だけでしょ! そのうえ、女性車掌がかなり疲れた表情で「あたし、回されちゃったぁ」とため息回りにつぶやき、「ムコから……」と続けたわけなんかが本書でわかってしまうのだ。うん、これはてっちゃんじゃなくても、ぜひ知りたいではないか!

 いや、われながら下ネタになると、どうしてここまで文章に力がこもるのか不思議だ。
 まあ、そんなことはどうでもよい。とにかく素晴らしき読者の近くに鉄道マニアの方々がいたら、「現役車掌・斎藤さんの新刊がでるよ」と耳元でそっとつぶやいてほしい。きっと感謝されるはずである。

 というわけで、これから日々続くであろう『車掌に裁かれるJR』の宣伝第一弾でした。こんな記事を書けるのも、本がほそぼそと売れているおかげです。どうか買ってくださいまし。(大畑)

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2006年9月12日 (火)

属性しか語らぬ安倍晋三の正体不明

例のベストセラーも含めて関連記事などもずいぶんと当たってみたが安倍官房長官という人はわからない。
ある側は「超タカ派」「戦争屋」「これでアジア外交もお仕舞いだ」とけなしまくる。「信念の人」「国家観がある」「命がけだ」とほめる側もある。「イケメン」とする一方でヒゲをつけたらヒトラーそっくりと混ぜっ返す向きもある。「頭が悪い」「病弱だ」などと誹謗中傷に近い声もある半面で「決断力に富む」「若さが魅力」と正反対の評価も存在する

そうなんだろうか。どうもすべてが当たっているようでもあり外れているようでもある。「安倍晋三」というイメージがあって支持する、または支持しない人はそれぞれ自分の信念や感覚に近いか遠いかで評価をしているのではないか。現に女性の大学生に聞いたら「イケメン!」「イケメン風」「イケメン風ってのが一番キモい」「どこがイケメンなの?」と分かれた。
もし本当に「超タカ派」ならばそれでもいい。「信念の人」も同じ。そこから批評できるから。でも決め手がないのだ。「超タカ派」と批判する人に聞きたいが靖国参拝をコッソリ済ます人物が憲法改正できますか?「信念の人」とほめる方にも問うが具体的にどこがそうなんですか?

比較的ハッキリとしているのは北朝鮮の拉致問題への強硬姿勢である。見捨てられたも同然の状態だった被害者家族の声を聞き続けたのは気高い姿勢と私も頭が下がる。だがそれをもって一国の宰相を任せる必要十分条件にはなりえない。
この拉致問題も含めてかねがね気になるのが安倍氏はしばしば属性でものを語るフシがある点だ。拉致問題も北朝鮮および金正日総書記という相手があって初めて問題となる。安倍氏自身もインタビュー等で述べているように自分が乗り込んでいって解決するような問題とは限らない。「相手あってこそ」という時点で属性である。
また以前にも書いたことだが彼は自分の父や祖父をしばしば引いて語る。父の安倍晋太郎元外相は首相直前まで迫って病を得て67歳で世を去った。チャンスが訪れたら逃せない理由として父の無念を吐露するが晋三と晋太郎は親子とはいえ別人格である。晋三の決起に晋太郎のリベンジを見るのはオカルトだ。

祖父といえば岸信介元首相の思い出や政治信条を基本的には肯定的に晋三氏は口にする。身分制度が当然の時代にはよくある手法だった。例えば藤原仲麻呂は祖父の不比等が編纂した養老律令を施行した。「オレは偉い」というと角が立つが「オレの爺さまは偉かった」だと美談となる。だが今の政治家は世襲ではない。爺さまが偉かったのと自分との関連は何もない。
それにしてもと思う。岸信介は1987年に90歳を越えて死去するまで隠然たる勢力を自民党内に放ち続けた。私は1962年生まれで子どもの頃はよくテレビを見ていたからニュースに映り込む不気味な風体の爺さまを「アレ何だ」って感じで受け止めていた。「妖怪」「両岸」「八方岸」と散々なあだ名が付いていたが「妖怪」はまさに絶妙だった。
ここではあえて戦前の行いや安保改定での手腕は触れない。ただ子ども心に非常に古めかしくて妖しい人物の右代表のイメージだったとだけ述べる。その孫であるというのが少なくとも肯定的に受け止められる時代になったのだ。
いずれにせよ50を過ぎたオッサンが父だ祖父だと属性で自分を表現するのはおかしい。

一方で晋三氏があまり語らない属性もある。母方の祖父である岸信介ほどに晋三氏は父方の祖父である安倍寛を語らない。安倍寛は悪名高い1942年の翼賛選挙で翼賛政治体制協議会(翼協)の推薦を受けずに当選した気骨の政治家である。ちなみに同選挙は東条英機内閣によって実行され商工大臣だった岸は当然のごとく翼協の庇護を受けて当選した。対立していたわけだね。
安倍寛は52歳で、晋太郎は67歳で死去と安倍家は比較的短命である。対して「妖怪」はえらく長生きだった。岸の長命にあやかりたいから晋三氏は彼の名をあげるのか。安倍家の短命を実は恐れているのか。いずれにしても政治家の資質とは関係ない。早死にの家系だから早めに総理をやらせてよなんて話はあり得ないのだ。ただ前述のように晋三氏が晋太郎を語る際の深刻な面立ちから、この推察があながち外れていないようで怖ろしい。何しろオカルトだから。

まだある。晋三氏は公表されている経歴から判断する限り神戸製鋼のサラリーマン時代を除いて東京生まれの東京育ちである。先月、山口県の松林正俊長門市長は「同じ長州人である安倍晋三先生が・・・」云々と発言したが本当に彼は長州人といえるのか。この辺も岸や安倍寛の属性を引き継いでいるだけのような気がしてならない。

実は属性でしか語り得ない人物が再チャレンジという。なぜ「再」なのか。それ以前に人生とはチャレンジしなければならないのか。

安倍晋三氏を危険視する人も絶賛する人も多分、氏のなかにそれぞれのイデアを感じているのだろう。護憲を主張する人は「戦争屋のイデア」を、軟弱外交にあきれ返っている人は「闘う政治家のイデア」を。しかし晋三氏は実はイデアの正反対である「そのもの以外」の集合体に過ぎない。少なくとも今のところ。ただの空虚に人がイデアを求めようとするのは倒錯である。その行方が恐ろしい。(編集長)

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2006年9月11日 (月)

三河島鉄道事故・現場を歩く

Mikawa_2 昭和37年(1962)5月3日、午後9時。東京都荒川区の東日暮里で三河島鉄道事故は起こった。常磐線の三河島駅から南千住駅の区間で起こったこの大事故では実に死者160人、325人以上もの人が重軽傷を負った。
事故は、貨物専用車両が赤信号を誤認して本線に進入したのがはじまりだった。本線にとび出す形で停まった貨物車両に客を乗せた下り電車が衝突。さらに上り電車がそこに突入、衝突し現場は大惨事となった。貨物車と最初に衝突した下り電車の乗客は、5分経っても10分経っても電車が動き出さないため、自分たちでドアを開けて線路沿いに歩き出していた。登り電車はその人たちを次々にはねて下り電車に衝突している。不運な要因が多い事故だった。
奇しくも事件が起こった5月3日の朝日新聞の朝刊は、その日午前1時ごろに茨城県、東北本線の古河駅構内で起こった同じような貨物車と旅客鉄道との接触事故がトップに掲載されている。死者こそ出ていないが重軽傷者が出ている。同様の事故が1日に2件起きているというのは偶然なのだろうが、どこか因縁めいたものを感じてしまう。

事故現場付近を歩いてみた。三河島は、駅のまわりも静かな場所だった。どことなくレトロな雰囲気で、小さい路地に入ると「包丁とぎます」という小さな看板を立てたバンが停まっているのに出くわしたりする。東日暮里の現場の住所まで行くが、そこには堂々としたマンションが建っていた。事故では衝突された車両が、高さ5メートルはある小さいガケのような築堤の下に落ちたというが、今は築堤スレスレにマンションが建てられていて、その場所には入ることができない。常磐線の線路がある築堤を取り囲むようにして新しいマンションが建っているが、住民の何人かに聞いても三河島事故のことは知らないようだった。

現場から徒歩5分の距離、築堤と明治通りが交差するあたりにある八百屋のおばさんはずっとこの場所に住んでいて、事故のことをよく覚えていた。
「大変だったんだよ。もう、この辺、ずーーっと救急車の音が鳴りっぱなし。高校生の息子に、行ってきてなんかして来い(手伝いに行って来いという意味で)、とやらせたんだけど、そこらじゅうグチャグチャで何も分からなくて、帰ってきてからは血だらけだしもう行きたくない、と言ってた」。
おばさんは店があるから行かなかったというのをタテマエにしているが、店がなくても行かなかっただろうと言う。近所で話題になったのが、当時その近辺にあった屠殺場が、「縁起わるいもの」を呼んだのではないか、という話だ。(現在は屠殺場はなくなり小学校になっているが)。

※ここから先の記事は…

『あの事件を追いかけて』(本体952円、アストラ刊)にてご確認ください。

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2006年9月10日 (日)

日曜ミニコミ誌! 宮崎県発・フォトマガジンで伝えたいこと

Hyuuga_1 宮崎県発の季刊誌『日向時間』の表紙には「本当に大切なものって何だろう?」とある。この雑誌の本質を表している文言だと思う。(雑誌なのかミニコミなのか判然としないがこの際気にしないことに)地域のトピックを発信することがメインとなっているが、取り扱うテーマは限定されていない。創刊号は主に宮崎県の環境問題を取り上げているが、次に発行された号では戦争の体験談の特集が組まれているというようにだ。「フォトメッセージマガジン」と題されているだけあって、見開きいっぱいの青い海の写真をはじめほとんどのページがグラフィカルにレイアウトされている。

『日向時間』を立ち上げた藤木哲朗さん(30)に電話でお話を伺った。南国を思わせる大らかさをそこはかとなく感じさせる声だ。
藤木さんは雑誌づくりのノウハウを持っていたわけではなかったという。地元でアルバイトをしてときおり海外に旅に出る生活を送っていた。バヌアツ共和国のタナ島では電気もガスもない生活を2ヵ月間送ったこともある。
『日向時間』創刊号の特集では、地球温暖化による海面上昇により国の存続自体が危ぶまれている島国ツバルを生活感に満ちた写真の数々で伝えているが、これも藤木さんが訪れて撮ったものだ。
「いろんな国に行って多様な意見に出会うなかで、大切なものは何なんだろうってことをを考えてました。どんな場所でも、それは子どもの成長だったり、自然のある豊かな生活だったりするんですけど。それで、自分がいま住んでる宮崎という場所の豊かさなり直面している問題なりを発信しようと思ったんです。一番心配だったのは、自分の写真を雑誌に載せていいレベルにあるのかということ」。宮崎在住のプロの写真家・芥川仁氏に相談に行くと、「君の写真は心配せんでいい」。「いい編集長がいれば、いいものが出来る」。と、アドバイスしてもらいました。時には、一向に進まない状況を説明すると、「作るって決めたんなら、覚悟を持って作るんだよ!」「ぐだぐだ言ってたら一生かかってもできねぇぞ!」と説教されたりもしました。

なにはともあれ創刊することができた『日向時間』だが、見事な内容である。
世界のトップ・サーファーが絶賛した赤江浜に護岸工事が入り、「赤江浜を守る会」を中心とする市民と、成功の保証がない人工リーフ建設を推し進めようとする行政の対立を追った「宮崎の砂浜の行方」はかなり読ませる。
ここにも多くの写真が使われている。若い地元のサーファーたちが建設反対の活動を続ける様子などが撮影されているのだが、これらを見て「自分たちの場所を守ろうとする若い人たちがこんなにいるんだなぁ」と感心してしまった。
この様子を活字のみで伝えるのと写真入りで伝えるのではまったく意味合いが違ってくるように思える。活字のみの記事が影響力を持たないわけではないが、問題を知らない人たちに運動をアピールすることを考えたとき、写真というのはよりダイレクトにものごとを伝えるツールとなりうるからだ。
私は赤江浜という場所がサーファーたちの聖地になっていることも知らなかったし、そこに人工リーフなるものが建設されていることも知らなかったのだが、砂浜に巨大なクレーンをはじめ多くの重機が入っているの写真を見てやはりちょっとショックだった。
「実は、あれほど大きい規模の工事なのに、この問題は宮崎県内でもあまり報道されていないんです。宮崎日日新聞という地元の新聞もありますが、圧力があるからかあまり報じられない。中央のメディアは地方のことなんてなおさら報じないでしょう」
赤江浜の記事に関しては、盲目的に建設反対を謳うのではなく、人工リーフ建設の前例や建設の必要性にまでしっかり踏み込んでいる。
「日向時間」とは、しばしば時間にルーズな気質というどちらかというとネガティブな意味で使われることがあるそうだが、藤木さんは、『自然に寄り添って生きてきた
宮崎の生活のリズム・郷土の時間』だと定義づけている。その時間のなかで、「本当に大切なものは何か」ということを考えて生きていきたいという。宮崎から発信される『日向時間』これからの展開が楽しみな雑誌なのだ。(宮崎)

(■A4 68ページ 季刊 定価800円 発行:日向時間舎)

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2006年9月 9日 (土)

教習所通い

 ここ最近バイトもせずに、せっせと教習所に通っています。まさか自分が教習所に通うことになろうとは…と思っていたほど私は車に疎かったのですが、乗ってみたら案外楽しいものですね。(しかし激しく下手くそですが)
 もちろん車を運転するという事は初めての体験で、新たな発見も多いのですが、何よりも学科が面白く感じます。車線に白色と黄色があるんだなんて思ってもいませんでした。(地元に帰ってみてみると黄色ではないですか。) あと自転車も「車」に入るんですね。知っている方にしたら当たり前だろといわれそうですが、驚きでした。他には歩行者として私がすること(横断歩道で渡らないとか)は自動車を運転する側にしたら本当に恐いことなのだなという事もわかりました。
 これを教習所に行かない人も勉強すればいいのに、と心から思います。私は中学生の頃車にはねられた経験もあるので余計に思うのかもしれませんが、歩行者・自転車を乗る人が気をつけることによっても事故は防げますしこの形で学べてよかったなと思っています。(S)

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2006年9月 8日 (金)

新宮の皇位を補佐する眞子女帝容認案

紀子妃の新宮ご出産から1日以上経って我に返ると不安がよぎる。前日に書いたように現在の男系男子を維持するには新宮がすこやかに育ち、しかるべく結婚し、相手の妃殿下が滞りなく男子を出産し、その宮がまたすこやかに育つという前提でなければ話は立ちいかない。考えてみれば猛烈な楽観論となる。
さりとて女系天皇を認めるという案は当ブログでも紹介したように問題も多く、かつ反発者も目立つ。だったらその中間を取る方法を探ってみたらどうか。

天皇家の継承が今日のように細い糸のようになった時期は何度もあった。今回のように皇位に就かない弟宮の子が天皇になった典型例が42代文武天皇である。この時期には天皇になるべき草壁親王がわずか27歳で早世し、残された文武天皇はわずか6歳で即位を余儀なくされる。ところが文武帝も25歳で世を去り、残されたのは、これまたわずか6歳の後の聖武天皇であった。

現在の皇太子と秋篠宮殿下との間は6歳ほどしか離れていない。つまり目出度く長寿をまっとうされたとしたらしたで、高齢者同士の兄弟継承となる。あまり考えたくはないが秋篠宮が先に・・・・という危険性もある。またお二方ともすでに40代。ご壮健の様子で何よりだが高円宮憲仁親王のように47歳で薨去された例もある。こればかりは人智の及ぶところではない。
そうした不測の事態に備えておかないと新宮に何もかもかぶってもらわなければならない。重荷に過ぎるであろう。そこでかつての草壁親王、文武天皇の早世で機能した女性天皇だけは皇室典範を見直して認めるようにすべきではないか。
女性天皇とは男系女子の天皇で該当者は敬宮愛子内親王、秋篠宮眞子内親王、同佳子内親王が直宮家にはいらっしゃる。草壁親王の成長を待つために母の持統女帝が即位し、文武帝の早世を受けて同じく母の元明帝が、次いで聖武天皇の成長を待つ形で文武帝の姉の元正天皇がそれぞれ即位した。歴史以上8人いる女帝のうち3人がここに集中して皇統を守ったのである。
ただし皇后であった持統、元明両女帝は同時に天智天皇の子でもあった。したがって現在の美智子皇后や雅子妃殿下が即位するのとはわけが違う。ポイントは元正天皇である。

元正女帝は文武天皇より3つ上の姉である。弟が世を去って幼い皇嗣が残された間を取り持ったばかりか724年に譲位して以後も748年に薨去するまで弟の子の治世を陰に陽に助けた。こうした存在があってこそ皇統は維持できたともいえる。
ただしこの時期は天武→持統→文武→元明→元正→聖武→孝謙・称徳女帝と続く天武系とは別に壬申の乱で敗れた形になった天智系も存在していて称徳女帝薨去の後はそちらへ引き継がれた。そうした安全装置が現在はない。戦後に皇籍離脱した旧伏見宮系が似ている。
今年初の皇室典範改正論議でも旧伏見宮系男子の皇籍復帰案が出てきたが、戦後ずっと皇族でなく生まれ育ってきた男性がいきなり皇位継承者になるのもまた違和感があるとの反論があった。そこで新宮が誕生した今、最も妥当な方法は以下の2点ではなかろうか

1)新宮以外に男子が誕生しなかった場合に備えて愛子、眞子、佳子各内親王が女性天皇になる可能性を開くべく典範を改正する
2)同時に上記3人の内親王ないし他の宮家の内親王の婿として旧伏見宮系男子を迎えて宮家が作れるように典範を改正する

そして男子の出産を待てば新宮一本かぶりでなくても男系男子は保たれる。この場合1)で選ばれた内親王もまた旧伏見宮系男子とも結婚できるようにしておいても構わない。
さて新宮の補佐ともなる1)の候補であるが文武帝の場合は姉が即位したから眞子、佳子各内親王がいいとなる。愛子様は漏れ伝わるところでは雅子妃殿下が皇籍にこだわらずにお育てしたい意向というので外してみた。他意はない。しかもどうやら眞子内親王にはかなりの人気があるらしいのだ。(ここまで編集長)

編集長に命令されここから書くことになったが、正直、皇室問題には疎い。しかし以前に再三お伝えした通り、編集長には「わかりました」と「すいません」しか発言が許されておらず、状況的に「わかりました」としか言えなかった……。つまり書くしかない。

そんな私が持つ唯一の情報は「眞子さま萌え」がネットで盛り上がっているらしいという噂だった。
で、調べてみたら、あること、あること。例えば「マコリンペン」という単語を知っているだろうか? 眞子内親王のネット上での愛称らしい。ちなみに佳子内親王は「デコポンタン」。紀宮清子(さやこ)内親王が「サーヤ」となったことは広く知られているが、まさか眞子内親王が「マコリンペン」になっていたとは。
また、眞子内親王のイラストやフラッシュなども、ネット上にはけっこう出回っている。お嬢様口調で強気のキャラクターで演じているケースが多い。

おそらくこのような現象は皇室史上初めてのことであろう。そもそもネットの普及が最近だから、当たり前といえば当たり前かもしれないが、これまでの皇室の騒がれ方とは根本的に異なる。なぜなら眞子内親王には勝手にキャラクターが付け加えられているからだ。
「美智子さま」や「サーヤ」の呼び名は常に清く正しい皇室像を喚起してきた。穏やかで高貴なイメージである。ところが「マコリンペン」は、そうした「皇室イメージ」を脱却している。その理由をコンピュータやネットの発達だけに負わせることはできないだろう。今まで以上に身近に感じられる皇室の「アイドル」の誕生を、私たちは目にしているのではなかろうか。

「開かれた皇室」という主張に抵抗感を持つ人がいるのは知っている。ましてネット界で取り上げられるなんてもってのほか、と感じる人も多いだろう。しかしネット上の盛り上がりが雑誌や新聞に取り上げられ、それがテレビなどにも取材される最近の状況を考えれば、ネット界での人気をバカにすることはできないはずだ。
浮世絵の役者絵を例に出すまでもなく、国民の人気が高まるとイラストも多く出回る。(それこそ比べるのも申し訳ないが、支持率が以上に高かった当時の小泉首相のイラストもよく目にしたもんだ……)これは、もう伝統である。

というわけで、眞子内親王がいかに人気があるのかを書いてみた。だからどうなのかを編集長に聞き忘れてしまった……。
というわけで、ここからは再び編集長に渡したい(ここまで大畑)

元正天皇の即位前は氷高皇女であった。この呼称と「マコリンペン」を並列に置いて言語学的な考察を加えると・・・・ってそんなことできるわけないだろ大畑。変なテンションで渡すんじゃない。よって今回オチはない・・・・というオチでご勘弁。(再び編集長)

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2006年9月 6日 (水)

秋篠宮紀子妃男子誕生と弟宮家の歴史的立ち位置

今年2月11日の当ブログで秋篠宮親王紀子妃を「菊の女傑」と表現したが、やっぱりなあ(なぜ女傑かはhttp://gekkankiroku.cocolog-nifty.com/edit/2006/02/post_0966.htmlをご覧下さい)。
これで皇位継承順位は現在の法律がそのままならば皇太子→秋篠宮→新親王の順となる。ただ歴史上皇位が「天皇の子で兄→弟→弟の子」と渡った例は非常に珍しく、さらに秋篠宮殿下が皇位に就かなかったとしたら「天皇の子で兄→弟で皇位に就かず→弟の子」というパターンとなる。私の記憶では連続した皇位継承でこのパターンは皆無ではなかろうか。もし違ったら教えて下さい。

なお本稿は皇族の命数を読むような結果になるが決してそうした目的ではないとご理解いただきたい。現在進行形ないしは未来に起こりうる予測を仮にこうだとしたら史上にどう残るかを表現したいだけで他の意図はない。
また新親王誕生を受けて書き殴ったために主に記憶に頼っており文献にほとんど当たっていないので内容の間違いがあったら適宜修正していく。

父が天皇でその子の兄→弟→弟の子の順で連続して皇位に就いた例は「89代後深草→90代亀山→91代後宇多」までさかのぼる。ただこの継承は後深草、亀山両帝の父である後嵯峨上皇の恣意が働いており、後の大覚寺統、持明院統の争いの萌芽となった。
この持明院統の流れを引く北朝の「北3代崇光→同4代後光厳→同5代後円融」も同じパターンだが知っての通り北朝は「皇統125代」には数えられていない。崇光天皇は足利尊氏が弟の直義と争った観応の擾乱の際に便法として南朝と和解し(正平一統)、そのいけにえのような形で廃された気の毒な帝でもある。

逆にさまざまな理由で秋篠宮殿下が皇位を継がないまま新親王が天皇となった場合、父が天皇でない例となる。いくらか思いつくが今回のパターンとはいずれも違う。
47代淳仁天皇の父は舎人親王で祖父が40代天武天皇。ただし淳仁帝は藤原仲麻呂が46代孝謙女帝を体よく退けるために利用した側面が大きく46代と47代の血統の連続性は極めて薄い。
42代文武帝と44代元正女帝の父は皇位に就かなかった草壁親王。同じような例として誠仁親王の子の後陽成天皇がいる。ただし草壁親王も誠仁親王も天皇位が確実視され、かつ兄弟にライバル?がいたわけでもないながら早世したパターンで今回とは違う。元正女帝の場合は間に母の元明天皇が即位しているから「天皇の子」ではある。

草壁親王で思い出したが38代天智天皇(兄)と40代天武天皇(弟)と天武の子である草壁親王と渡っていれば似た前例になったかも。草壁早世残念・・・・。いや、そうはならない。
そもそも天智帝の子の大友皇子(弘文天皇)と天武帝は皇位を巡って戦争したのだから例に当てはめること自体がむしろ不謹慎であった。39代弘文天皇ほど気の毒な人も珍しい。「私はスメラミコトだ」と自覚する時のないままの死であったろう。もっとも気の毒だからこそ近代になって天皇の系譜に入ったわけだけど。

現在の皇統の直接の祖先である119代光格天皇の父も典仁親王。光格天皇は父も祖父も天皇ではなく曾祖父が113代東山天皇である。東山帝の子の114代中御門天皇から118代までが光格天皇の系統(閑院宮家)とは異なり今回のパターンとはやはり大きく異なる。

86代後堀河天皇の父、守貞親王は弟の82代後鳥羽天皇に皇位を持っていかれた。兄である点で秋篠宮家とは違っている。

こうしてみるとやはり新親王が皇位に就くまでの道のりはいずれにせよ珍しい例といえよう。ただしいずれのパターンも両統迭立から南北朝の動乱、壬申の乱、女帝の登場、恵美押勝の乱、承久の乱の後始末としての後高倉院(守貞親王)の院政、光格天皇が父親王に太上天皇を贈ろうとした尊号一件など、皇室の歴史でも波乱に富んだところにあるのは注目に値する。
新親王のすこやかな成長を願ってやまないが、それは単なる人情論ではなく、やや強く言えば今後数十年の日本人の心の安寧に関わる重大事でもあるからだ。(編集長)

注:明日の予定を早めてこれをアップしたので明日改めてのアップはありません

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虐げられ続けた彼らの声を聞け

Koe 中村一成氏の『声を刻む ~在日無年金訴訟をめぐる人々』を再読。全体で約230ページ、そんなにボリュームがあるわけではないが、濃厚な内容と、唸る剛球的な力強い文体に張り合うため、こっちも思わず気合を入れる。それまで読んでた『ハチミツとクローバー』のフワフワした雰囲気が東京湾あたりまで吹っ飛んでいってしまった(『ハチミツと~』も面白かったが100:1ほどの重量差が)

戦前に日本によって植民地支配が行なわれ、日本人にとってのみ都合がいい“連帯”を強制された在日朝鮮人は、戦後一貫して「非国民」「あちら側の人」として扱われ続けた。現在も高齢の在日の人には年金が給付されていないケースがある。その状況を中村氏が丹念な取材で追っている。
1959年に成立した国民年金法は「国民皆年金」と謳われたが、その「国民」には在日朝鮮人は入れられることはなった。1981年、インドシナ難民の受け入れに消極的だった日本の態度が国際的に批判され、しぶしぶ国連の難民条約を批准することになった。難民条約には社会保障における内外人平等が定められている、要するに日本国籍を持っている人でなくても社会保障は適応されなければいけないこともあったから、ここでようやく外国籍者の国民年金の加入が認められたことになる。
しかし、日本政府は、その時点までで国民年金に加入できなかった人に対する“経過措置”をとらなかった。国民年金法成立以前の在日朝鮮人たちの権利を切り捨てたのである。

本書では在日朝鮮人がこれまで日本で辿らざるを得なかった歴史が、法律や部落形成の変遷などで実に詳細に追われている。そして年金が給付されない在日が多く存在する状況に対し、断固として異を唱え活動する人々の声を集めている。
中村氏は在日朝鮮人を「日本の近代史が、戦争と差別、植民地支配が生み出した歴史の生き証人」であるという。その彼らの話が、幼少の頃の生活の情景、日本への移住を決めたときの様子、日本での苦しい暮らしにわたって鮮明に聞き取られている。
04年、特定障害者給付金法案が成立した。同法は、国民年金が任意加入だった時期に、未加入のまま障害を負ったため障害基礎年金の支給を受けられなくなってしまった元学生や主婦に対して特別給付が可能になったものだったが、当然のようにこれには在日朝鮮人は含まれなかった。
過去の問題ではないのである。

『記録』に連載中の「『国民の歴史』の外で」は、部落に住む人たちとその場所・歴史を、中村氏の入念な取材と当人たちからの聞き取りによって書かれている。
魂のこもった連載である。ぜひ多くの人に読んでほしいところだ。(宮崎)

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2006年9月 5日 (火)

光クラブがあった場所をたずねたのだけど

光クラブ創業者、山崎晃嗣が会社を中野区鍋屋横町から銀座に移したのは1948年(昭和24年1月)。前年10月に設立したばかりの会社が破竹の勢いで成長を遂げて“商売人の檜舞台”である銀座に進出したわけだが、その年のうちにこの銀座の事務所で山崎は命を絶つことになる。
「他のいまだ成り得ざりしことをなさん」と聞けば立派に聞こえる。が、法定利息を大幅に上回る金利で金貸しを続け、その違法性が疑われ拘留される。釈放後、債権者の怒濤の取り付けにあい、一部金の返済でも不可能とふんだ山崎は青酸カリを飲んだ。
2階の社長室。机の上には遺書と自分の写真があった。

1948年の時点で光クラブがあった住所は中央区銀座2-3。このあたりは昭和43年10月1日に住居表示法が適応され、現在の住所では銀座2-8がそこにあたる。
現地に行くと、その区画にはピカピカのビルが建っていた。中にはブランドショップやスポーツ用品店が入っている。区画をぐるりと一周してみるが、どの建物も新しいものばかりだ。中で働いてる人もライトを浴びて輝いている。こんな現代的なガラス張りの建物の従業員が山崎晃嗣について知っているとはまず思えないが、聞いてみるまでそれは分からない。なんといってもそこは山崎が命を絶った“現場”なのだ。
イラッシャイマセを言われるまでは店員の顔は輝いていたが、奇しくも、というか光クラブの名前を出してからは輝かなくなった。たしかに、どこか名前が宗教っぽいもんな。店員にとっては聞いたこともない名前だったのだ。
スポーツ用品店でも聞いてみるが、やはり「知らない」とのこと。営業スマイルが曇っただけだった。

このまま記事をアップするのが憚られるほど、光クラブについては何も見つけることができなかった。「寿産院」事件に関してもそうだが、今回も収穫がゼロだったためさすがにアセる。たしかに、社長が自殺した会社など華やかすぎるこの銀座においてはミスマッチで、すぐに痕跡も消去されるのは分かるのだが。(宮崎)

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2006年9月 4日 (月)

同窓会名簿さえ邪魔する悪法・個人情報保護法

先日わが母校静岡大学教育学部附属静岡中学校の同窓会名簿を作っているという話を書いた時に一番言いたかったことを忘れていた。それは個人情報保護法のせいで名簿作りも大変だという事実だ。
お前また個人情報保護法かよと長きにわたる読者諸賢は辟易なさるかもしれないが出版界を貶め支えてきたフリーランスの地位を危うくし、唯一自らの生命より大切とする表現の自由を脅かすこの法律だけは絶対に許せない。以前小誌で取材した鈴木宗男衆議院議員はまだ改正に意気軒高だが、仮に世界で1人になっても廃止を吠え続ける。

同窓の幹事さんの手紙によると同窓会名簿の掲載に同意しないと住所などが掲載できないという。また「同意しない」が多数となると名簿の発行自体が考え直される可能性もあるとか。ほのぼのの代表格である同窓会まで窮屈な状況にある。

そもそも同法は住民基本台帳ネットワーク(住基ネット)の稼働に際して情報漏れを防ぐとの大義名分であった。だが誰が住基ネットなどを望んだろうか。それ自体を止めてしまえば済んだのに強行して悪法をくっつけた。マッチポンプの極みである。
そして「消息不明」になっている私を幹事さんは懸命に探してくれたわけだが、住基ネットを使わしてくれれば一発でわかったはずだ。もうこうなると笑いを通り越してあきれるのみである。

近年、高校は在校生が志望する大学に進学した先輩に話を聞きたいと相談しても、この悪法のせいで教えてもらえない。大学で就職活動をする際にOB・OG訪問を希望しても同様の扱いである。そして同窓会名簿にも立ちふさがる。
要するにこの悪法はそれまで自明とされていたコミュニティーを寸断して疑心暗鬼へと陥れた。個人情報保護の美名の下で個人を孤立させているのである。孤立すればなおさら疑心暗鬼は増す。ゆえにさらなる孤立が深まっていく。
小中学生を子に持つ親は学校の緊急連絡簿が自分の頃に比べて様変わりしたのをご存じである。それもまた悪法のせいだ。誰かが決めた数人が一線に並んで名前と電話番号だけが書いてある。そのグループになぜ自分ないしは自分の子が入ったかすらわからない。学校からランダムに選んだだけと聞かされても恣意性を疑ってしまうのは性である。
だったらむしろ家電話さえ普及していなかった時の連絡法の方が開放感がある。私が小学校低学年までは家電話がなくて普通だった。雨が降って運動会は今日は中止かなと知るために学校は旗を立てた。そこに疑心暗鬼の入り込む余地はない。

確かにかつて自分が所属した集団が実は嫌で嫌で名簿掲載も勘弁という人もいるだろう。だがそれを含めて自分はそこに「あった」のである。生きていたのだ。そして今も生きている。
形而上学的な物言いとなるが人は必ず死ぬ、つまり無に帰すので生きていた間の行為もすべて無意味だという命題は古代から立てられてきた。だがそうすると「今ある」「かつてあった」と無とは同一となる。2人掛けの席に自分だけが座っているとしよう。隣は空席だ。この自分が「ある」という状態と隣席の「ない」は同じか。断じて違う。
そして「ある」「あった」を残すための最低限の情報が個人情報保護法に記されている内容である。その名で、そこに住み、いくつであったか。その痕跡は多ければ多いほど自分が「あった」証明となる。そして「ある」「あった」こそが人生は無意味とのニヒリズムに対抗しうる生命の存在証明なのだ。

住民基本台帳の親分である戸籍は670年の庚午年籍作成以来、権力が徴税の対象を把握するために作られ続けた。だから住基ネットもやりたかったのだろう。善し悪しは別に彼らの精神構造はわかる。問題はそうした動機での産物が作成者だけに独占されることだ。

最近、目的はまったく別だが除籍簿の取材をしてきた。保存期間は80年である。戦前の平均寿命の約50歳で換算すると除籍の主要な要素である「死亡」から130年で保管する義務が行政からなくなる。2006年から引き算すると1876年以前の除籍簿から文字通り消えてなくなるのである。
近代的戸籍の嚆矢である壬申戸籍が作られたのが1871年。したがってまだタイムラグは小さいが今後次々と「あった」証明が消されていく。大問題だと思うのだが世は騒がない。

生きている・生きていたとの痕跡は取りも直さずその人の人生が無ではなかった証拠である。だからやや不都合な、または意図せざる名簿にでも残っていれば後々でそれがわかる縁になり得るのだ。個人情報保護法はそのチャンスを決定的に狭めた。言い換えれば国民をニヒリズムへと誘っている。絶対にくみしてはならない。
同窓会名簿に乗れば中には誰ぞに売り飛ばして、誰ぞが迷惑セールスをかけてくる可能性はある。でもいいじゃないか。その反対に今日にでも首を吊ろうかと追いつめられたその日に30年ぶりの同窓から「お元気ですか」のはがきが来るかも知れないじゃないか。前者に脅えるのは冷たいリアル、後者はロマン。どっちを愛すべきか考えるまでもない。(編集長)

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2006年9月 3日 (日)

日曜ミニコミ誌! 見知らぬ街から……

地域情報を発信するミニコミ誌は少なくない。『神楽坂通信』や『深川』、『日向時間』などはよく見かける。
いちミニコミ読者として、それらに期待するのは“濃厚な地域臭”である。個人的に。どこか知らない地方の強烈な訛を聞くと思わずニヤリとしてしまうが、それと同じように誌面から地域臭がかぎとれる、そういう地域モノのミニコミを読むとやはりニヤリとしてしまう。
たしかに、方向のとり方を誤れば、外に対して閉じられた単なる内輪ものになってしまうという危険もある。そのへんのバランスは確かに難しいのかもしれない。

そういう点では、金沢の街を扱った『そらあるき』はうまくコントロールされた誌面づくりになっていると思う。
金沢の豆腐店を特集したもの、いくつかの銘菓の紹介、商店街の小話が並んだと思えば、金沢出身の創作家の紹介や普遍的な題材を扱ったエッセイもある。
パラパラめくって様子を見るつもりが(この時点でまだ買ってなかったんです。立読み御免……!)、手を止めて思わずじっくり読んでしまったのは「夜の新天地 歩き飲み散歩」というコーナー。
「……そんな訳でボクが2週に渡って飲み歩いたお店を紹介してみます。しかしここに載せるお店は本当は誰にも教えたくないお店ばかりなので、なるべくなら行かないでください。行くなら僕を誘ってください」
という偏屈な見出しにいざなわれて本文に。「『みやちゃん』は早い時間だったためかボクが一番乗り。早速、日本酒を2合とトビウオの刺身とあん肝を注文。やっぱり金沢の冬の魚は最高だな、なんて思いつつ店の釣りの話を聞く」。なにが“ボクが一番乗り”だ、と思ったのも束の間で、基本的に金沢に対する愛情をもって書かれてるので、印象は悪くない。すごいと思ったのは、いわゆる有名人がこういうオイシイもの巡りの文章を書くパターンはいくらでもあるが、これを書いてるのはタダの、と言っては失礼だが一般の人だ。そして、この書き手がこの後も引っ張りまくる。さまざまな店を紹介しまくって、店主とのやりとりも交えて食いまくっているようだ。しかも、その中にもちゃんと金沢情報が盛り込まれている。
金沢住民でないのにけっこう引きつけられたから、地元人が読んだらかなり面白く、且つ入れ込んで読めるのだろう。
この類のミニコミ誌は、その街を旅行する人にとっては最高のガイドブックになりうるのではないか。地元人たちが面白いと思ったものが抽出された誌面には、他に向かって発信したい、しかも地元臭が漂う内容が満載なのだから。(宮崎)

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2006年9月 2日 (土)

食欲の秋?

今回は編集部よりお題『食欲の秋』を頂きました。食欲の秋とはよく言いますが、そもそも何故「食欲の秋」なのでしょう。美味しいものが沢山実る季節だからこう呼ぶと いう事は存じていますが、どうして秋を特別扱いするのでしょうか。
具体的に秋が旬という食べ物を探してみました。結果は秋刀魚、本シメジ、栗、マツタケ、新米など。確かに美味しいものばかりです。
でも春にだって、夏にだって旬の美味しいものはありますよね。特に私は野菜が好物なので、春や夏のほうが美味しいものが出てきたという様に思ってしまうのです。やはり、主食である「米」が収穫できる季節だから特別なのでしょうか。(真相は分かっていませんが…)
このほかにも「スポーツの秋」「芸術の秋」「読書の秋」など、なぜ秋なのか分からないものが沢山。読書は秋の夜長に楽しむものという言われ方をしますが、最も夜が長いのは冬ですよね。うーんわからない。
9月に入り過ごしやすい日が増えそうですし、折角だから食べて、運動して、芸術に触れ、しこたま本を読もうと思います。(S)

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2006年9月 1日 (金)

早稲田に大いに嫉妬する!

 いやー、死ぬかと思った仕事の山もどうやら頂上が見えきた。で、私が死ぬ気で「糊口をしのぐ仕事」をやっている間に、世間は早稲田実業の優勝で騒いでいたようである。なんでも号外まで出たとか! しかもイベント主催の朝日新聞だけじゃないく、毎日新聞なども配ったと。

 どうしてだ~!?

 甲子園は毎年優勝校を生みだす。もう野球なんて誰も興味がなくなり出場校が2校になったとしても、優勝校を決めるだろう。それなのに号外!? だったらウチが『誰も知らない靖国神社』を出版したとか、今月も潰れずに我が社が存続しているとか、私のウエストが2ヵ月で5センチ近く太くなったとかで号外が出てもいいはずだ。
 確かに早実の優勝は話題満載だった。

・優勝決定戦で延長再試合
・ハンサムな「ハンカチの王子様」の存在
・対戦相手は夏三連覇にリーチ
・王や荒木もなしえなかった初優勝

 まあ、人々が熱狂するのもわかる。でも、と言いたい。もし、斎藤佑樹投手が地元の高校に進学し、群馬県代表・桐生第一高校を優勝に導いたら号外が出たのか? 相手が同じ駒大苫小牧で、同じように延長再試合でも刷ってないだろう。やはり早稲田のネームバリューが効いたんでしょう。
 マスコミに同大の出身者が多いから愛校心でメディアの露出が多かったわけではなく、みんなあこがれているのだ。あの名門に。学校に関係ない人も含めてね。
 もし、学校関係者の多さで熱狂度が決まるなら、日大に勝るものないでしょ。全国23の附属高校と大マンモス大学、圧勝だ。しかし、当然そうはならない。
 確かに早稲田はいい大学だ。昔は大学に学生が来ないことで有名だったが(だって、全学生が出席したら教室が足りなかったらしいですぜ!)、最近はすっごくしっかり教育している。改革もどんどん実施した。今年の学科再編なんか、ビックリするぐらい大がかりなものだ。少子化によって大学が選別される時代になったはいえ、伝統にあぐらをかかない姿勢は評価すべきだ。
 でもさ、こんなに騒がれると、ちょっとね……。

 この早稲田フィーバー(高校だけどね)の中、我が母校がどんなことをしているのか少し調べてみた。
 で、映画ですよ、映画……。しかも野球部のユニホームをスクリーンで見られるのがアピールポイントらしい。明治大学のホームページにある映画の宣伝には「Meijiユニフォームがスクリーンに躍動する姿を、ぜひ劇場にてご覧ください」と書かれている。面白いのかはわからんが、とにかく駿河台での試写チケットは完売したとか。まあ、OB・OGの愛校心はなかなかのもので、この手の商売は成り立つ学校とは思うが、しかし……。
 そういえば明大カードなんてもありましたね。結婚式には学長から祝電が届いたりする特典なんかが付いてくるらしいです。たまらない人は、たまらない特典だとは思います。        

 でも、幅広くファン層を持つ早稲田との違いを、何となく痛感してしまった。
 だからどうしたと言われると、どうということもないのだが、まあ、号外のでる影響力がうらやましかったわけですよ。
 何よりモテるのが羨ましいのです……。そこらへんは編集長と一緒です。ここに我が社の堅い団結が示されたのでありました。(大畑)

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