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2006年8月28日 (月)

寿産院事件の現場を歩く

 以前、岩の坂の『もらい子殺し事件』(1933年)について書いた。子どもを預かり、養育費も同時に受け取る。しかし、子どもをちゃんと育てようという気はなく要はカネ目当てで子どもを預かるという卑劣な事件だった。
 しかし、それに似た事件はどうやら他にもあったようだ。中でも有名なのは“寿産院事件”だ。
『昭和の残酷事件』のような特集本でもいまだに取り上げられるような大事件、つまり不幸にも死に至らしめたれた子どもの数が飛びぬけて多かったのが寿産院事件なのだ。
 1948年に東京で起こった事件であり、死者の数はなんと169人に上る。
 昭和23年(1948年)1月16日の朝日新聞では、この事件について「つぎつぎに死ぬ子」との見出しをつけて報じている。記事によると、犯人である産院経営の石川夫妻は「一人につき五、六千円の養育費をとつて赤ン坊をもらい受け」、葬儀屋に一体500円で処理させていたということだ。つまり、産院と葬儀屋がグルになって行なった犯行なのである。
 面白いところでは、と言っては不謹慎すぎるのだが、記事の終わりに「なお同家には今なお七名のもらい子がおり、三畳間の竹製のベッドにやせた赤ん坊がころがっている」というくだりがあり、その記事を見た女親たちが血相を変えて産院に駆けつけ、子を取り戻しに来たという記事が翌日の新聞にある。
 赤ん坊の死因は多くが栄養失調。胃袋の中には何も入っていなかったという。さらに、石川夫は赤ん坊の葬式に特配される2本の酒のうち1本を飲み、1本はヤミに流していることを自慢げに知り合いに喋ってもいたというから、たしかに猟奇的な色合いが強い事件だといえる。
 1948年、今から58年前もの事件ではあるが、当時寿産院があった場所をたずねた。場所は新宿区である。(昔の新聞には事件の加害者、被害者の住所がバッチリ記載されているのだ)

 もと産院があった場所は新宿線の駅と大江戸線の駅の中間くらいにあった。現在、その場所は飲食店になっている(だから画像はアップしません)。
 店員の茶髪の髪が似合ういい感じの兄さんは言う。
「えぇ、ここでそんな事件があったの? そんなんまったく知らなかったよ。2年くらいここで働いてるけど聞いたことないね……」
 寿産院事件の顛末について話すと、うんうんと頷きながら熱心に聞いた。この店ができたのは2年前。その前も飲食店だったという。茶髪の兄さんは店長ではないが、たぶん店長もそんなことは知らないのではないかと言う。まったく同じ場所でそんな大事件があったことについてどう思うか聞いてみると、
「うーん、まあ、すごい事件だねぇ。(事件については)あぁそうなんだって思うけど、別にこの場所自体を気持ち悪いとは思わないけどね」
 茶髪兄さんは、事件そのものについては興味深く聞いたが、やはり「この場所で起きた事件」というリアリティはそれほど感じなかったようだ。50年以上も前の話である。当然といえばそうなのかもしれない。

※ここから先の記事は…

『あの事件を追いかけて』(本体952円、アストラ刊)にてご確認ください。

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コメント

実家がおそらくそのかなり近くなんですが、初めて知りました((((;゚□゚))))
なんか京極夏彦の小説っぽいですね・・

投稿: sguts | 2006年10月12日 (木) 23時22分

コメントありがとうございます。
別にあおるわけじゃないんですが、ものすごい事件だったみたいですよ。
調べてる段階で寒くなってしまいました。

投稿: 宮崎 | 2006年10月18日 (水) 01時35分

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