静岡大学教育学部附属静岡中学校
というのは私の母校である。長い名前だ。ひらがなで数えると30字もある。三菱東京UFJ銀行でさえ20字だから際立つ。そこで当地では大胆不敵にも「附中」と略す。
「当地」といっても国立中学なので範囲は広い。校舎は静岡市内にあるが東は富士市あたりまで校区に含む。JR富士駅とすれば東海道線で40分以上離れている。
その範囲で「○○附属中学」または「○○付属中学」は他にあるに違いない。それらは略せばみな「ふちゅう」である。だが当地ではそうしない。「ふちゅう」といえばわが母校のみを指すのである。
なぜかというと有名校だからだ。単にThe teacherといえばアリストテレスを指すように、地名もつけずイングランドサッカー協会は自らをThe Football AssociationまたはThe Associationと呼ばわるように。
こうした黙契は学校名にもしばしばある。武蔵工業大学はかつてMITと自称したが当然いろいろとあって今ではMi-techとする。茨城キリスト教大学はIbaraki Christian Universityだから当然ICUと略すかといえば皆さんご存じの理由でそうしない。学校のロゴはIC、ホームページはhttp://www.icc.ac.jp/。でもユニバーシティーなのにカレッジのCは苦しい。帝京大学は帝大とは自ら略さない。
実はこの辺は皆かつて細かくいきさつを取材していろんなところで書いた。
元に戻ろう。なぜ附中が有名校かというと当地有数の進学校で当地の上流階級や秀才が集うからだ。そんなところになぜ私がいたかというと中学受験で合格したゆえである。私の家は褒めまくって中流、正直を申せば中の下か下の上であるから上流階級ではない。だったら秀才だったとなる。少なくとも小学6年生まではそうだったようだ。
自慢と読まれるかも知れぬが私も43歳となって気高き読者にはお里が知れている現在、12歳の段階で地方じゃ秀才だったという話を自慢げに書く人間ではないとわかっていただけていよう。ないしはそうした程度を自慢する小人物だと逆に納得していただいても構わない。
何でそんな昔話を書くかというと先日同級生から突然電話がかかってきたからだ。何でも来年の創立60周年を記念した同窓会名簿を作っているが私が消息不明になっていてネットで検索していたらこのブログのプロフィールでわかったとの話であった。
消息不明。私らしい状況である。私はこのブログ以外はペンネームで書いているので、ブログを開いてなかったらずっと不明だったかもしれない。消息不明の一因は私が当時の同窓生とまったく接触していなかったからだ。中学に限らず私は驚くほど仕事関係以外の付き合いを大切にしない。多分突然死んだら葬式は仕事関係者ばかりが集まって私の遺影を前に名刺交換をするであろう。
だがこれだけでは消息不明の必要十分条件の片方しか満たさない。もう片方は私以外の同窓生が私に何の関心も抱いていなかった点だ。寂しいというよりホッとする。多分嫌なやつだったはずだ。なぜならば今でもそうだから。だが「積年の恨み晴らさで・・・」ほどには嫌われていなかったようだ。そうした同窓が1人でもいれば消息そのものはわかったわけだから。
では何の思い出もないかというと1つ大きな感謝がある。それは果てしなく自由な校風だ。何しろ信じられないくらい生徒会活動が盛んで私は新聞係長(係は一般の委員会に近い)を務めた。ちょうどその頃が創立30周年で教官(国立では教諭ではなく教官)が係の保存している古い写真などを貸してくれと言ってきた。
その頼まれ方が横柄に感じたのであろう。生意気盛りの私は何らかの条件闘争を担当教官として、それを飲まない限り資料はいっさい渡さないとの闘争を貫いた・・・ような記憶がある。すいません。ディテールは忘れました。子供じみているが何しろ子供だったのだから仕方がない。
一事が万事「教官恐るるに足らず」みたいな気風で生徒総会も中央委員会も毎度ロングラン。政権を狙う勢力が複数存在して言論での抗争を果てしなくやっていた。
そこで市井にも言論という武器があること。時に教官とさえ渡り合えること。その代わり自己の言論には責任もともなうこと。言論と言論のぶつけ合いが民主主義の原点であること。その大きな役割を新聞は果たしうること・・・・などを知った。
私は愚かだからそんなこんなに熱中しているうちに成績がジェットコースターのように降下してしまったが代わりに得た体験は大きかった。もちろんそれが動機となって長じて新聞記者になったというわけではもちろん・・・・ある。あるから困る。以前に本田靖春の著作の影響が大きかったと書いたが次の動機が中学時代だった。
今になって振り返ると優等生を集めた上での自由は安全をあらかじめ担保しているという点で本来の自由ではなかったのかもしれないとも思う。教官に勝ったと威張ったは実は教官の負け芸にすぎなかったと教官と同じ以上の年齢になってわかる。だが何にせよ溢れんばかりの自由を謳歌できる環境を与えてもらったのは幸いだった。
なんて延々と書いているということは、やっぱり電話かかってきてうれしかったってわけか。照れるじゃないか。何に対してかって。わからない。(編集長)
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コメント
附中時代の荻君って人気あったよ。
投稿: 附中出身者 | 2006年9月 1日 (金) 23時29分
附中出身者さん。何かの間違いですよね。
「寒気」とか「吐き気」とか打とうとしたのを
誤って「人気(ひとけ)」と入力してしまったとか
投稿: 月刊「記録」編集長 | 2006年9月 2日 (土) 00時43分
私は、今「附属静岡中」に通っているのですが、当時から自由な校風の学校だったんですね!!
この記事を読みと当時は係り活動がさかんだったんだなと思いました。今は、どの係もあって無いような係なので、寂しいです。
投稿: 現附中生 | 2006年9月 9日 (土) 20時35分
現附中生さんへ
驚いた。ブログだとこうしたコミュニケーションも可能なんですね。
私自身30周年の時に随分年上の卒業生の方にインタビューして丁寧に答えてもらった経験があるのでキチンと感想を書かせていただきます。
文面からは「自由な校風」は無事なようで安心しましたが「どの係もあって無いような係」はショックでした。ただ時代とともに変わるべきは変わるので、それだけで善し悪しは判断できませんよね。皆様には皆様なりの附中のよさがあるのでしょう。逆にこの記事には書きませんでしたが当時がすべてよかったとは言い切れないあれこれもあったので。
私の時分は生徒会長の座を奪取する勢力がぶつかり合って勝った側が内閣の閣僚人事のように係長になっていました。
したがって負けた側が学代に就いて反主流派を形成したりして中央委員会は常に大もめ。学代と執行部の数が不平等だと全校選出中央委員というのを発案したり議長不信任案が可決したりと大変だったのです。
文化祭騒動もありました。私の2つ上が附中にないのはおかしいと教官にねじ込み、入学したばかりの私も先輩になぜか気に入られて一緒に「文化祭を開け」と騒いだりもしました。
そうしたら教官は年間スケジュールを変更して開いてくれました。大人になって記者となり教官のような公務員が年度頭に決まっていたスケジュールを補正するのはありえないに近い行動だったとわかったのです。
あの時に「分からず屋」と叫んでいた教官は実は途方もなく生徒の声を聞いていてくれたんだと知った瞬間でした。
こんなことも。私は今『記録』というミニコミを出しているのですが朝日新聞の鈴木則雄論説委員が「窓」というコラムで扱ってくれました。鈴木さんは今年1月59歳の若さで亡くなりましたが死去の知らせで始めて彼が附中の14期生だったと知りました。一度「先輩ありがとうございました」と言いたかった・・・
投稿: 月刊「記録」編集長 | 2006年9月10日 (日) 01時48分
コメントを返してくださりありがとうございました。とても嬉しかったです。
上のコメントに文化祭について書かれていましたが、今は文化祭もありません。自己満足の場になっているという理由で5年程前に無くなってしまいました。しかし、私達も卒業生の編集長先輩と同じで文化祭を開いて欲しいとおもいました。今の附属中には文化祭の変わりにあたる「文化振興」と言う自由発表の場があります。このような活動を通して、再び文化祭が開ければと思います。
投稿: 現附中生 | 2006年9月16日 (土) 10時38分
現附中生さんへ
お礼にはおよびません。こうしたコメントにお答えするのは先輩、というより大人の義務だと私は考えるので。
文化祭が「5年程前に無くなってしま」っていたとは知りませんでした。したがってその理由も細かくはわかりません。ただし文字の通りに「自己満足の場になっていってい」たとしたらなくなったのもやむを得ないのかもしれませんね。
というのも私の2つ上(28期生)が文化祭を開きたいと訴えた最大の理由は「自己満足」とは正反対だったからです。
前のコメントでも述べたように当時の私は先輩にくっついていただけなので細かくは覚えていませんが記憶では以下のようでした。
28期生徒会執行部の主張は、今(1975年)は車や電話やテレビなどの「文明」は満ちているが主として物質的である。対して「真・善・美」を掲げる学風で「文明」につり合う精神的な「文化」を附中生は持ってなければならないし持っている。それは○○や△△だ。それがある以上は「自主独立」の気風で断じて発表すべき……だいたいこんな風でした。ごめんなさい。肝心の「○○や△△」の内容は忘れてしまいました。
したがって単に他人をまねるとか自分に酔っているだけのパフォーマンスという意味で現附中生さんが書かれた「自己満足」と判断されたならば少なくとも始めた当時の動機とは逆なので廃止は仕方がないとも思います。
ただし文化祭を生み出してしまったようなパワーが私の在学のころはあったが今は情けないとは決していえません。以前にチラリと述べたように私の時分のパワーはマイナスに向かった場合もあったのではないかとの反省もあるからです。
繰り返しになりますが皆様は皆様の附中を盛り上げていけばいいのです。
ではなぜこんな昔話をしたかというと過去に現附中生さんをタイムスリップしてさしあげられたら楽しんでもらえるかと……いや本当はタイムマシーンに乗って喜んでいるのは私の方かもしれませんね。
投稿: 月刊「記録」編集長 | 2006年9月17日 (日) 12時05分
同窓会には行かれましたか。
私は楽しい時間を過ごしました。
全体会には行かなかったのですが、先輩後輩と会えたんだなあと今は少し残念に思っています。
文化祭のこと、同期会では出なかったけどそうだったですね。同窓会の前に読ませていただければみんなに話せたのにと思います。
投稿: 28期の一人 | 2007年6月20日 (水) 18時28分
「28期の一人」様
わが30期の同窓会は今年の正月に開かれました。帰郷と再会を同時に果たせるとの粋なはからいでしたが私の実家は静岡から離れて久しく、また帰省もめったにしない者で、正月ぐらいは帰らないと親不孝に磨きがかかります。以上の理由により帰省=同窓会欠席となってしまいました……なんて何くだらないことを延々と書いているのでしょうかね私は
文化祭は書いた通りまさに28期の生徒会が開拓しました。会長さんを中心に熱のこもった「文明と文化の違い」などの議論を聞かせてもらいました。考えてみれば28期の先輩もまた中3に過ぎなかったのですよね。いや考えるまでもなく。途方もなくレベルの違う大人以上の存在と当時は感じました
投稿: 月刊「記録」編集長 | 2007年6月21日 (木) 01時29分
お返事ありがとうございました。
その会長とは明け方まで飲んでいました。酔っぱらって会話の内容を覚えていませんが、もっとたわいないことで無邪気に言い争っていたみたいです。私は新聞係担当で会長とは同じクラブで仲良く、渦中にいたはずなのに、全く覚えていません。人気があった同級生でも行方知れずもいますし、私も一時は行方知らずでした。
附属に愛着のない時代もありましたが、この年になるとみんなに会えるとうれしいものですよ。自分も静岡に既に家はないのですが、わざわざ行ってよかったと思いました。
エントリー汚しになってすいません。
投稿: 28期の一人 | 2007年6月21日 (木) 18時00分
一般生徒だった小生は、文化祭に関してこんな闘争があったとは、殆ど知りませんでした。
修学旅行の班別行動も28期が最初だった記憶があります。
これは今でも続いているようです。
こちらのブログは同窓会前から存じ上げていたのですが、きちんと読んでいず…。
しっかり読んで、28期の一人氏同様、同期会で話題にすれば良かったと後悔しております。
何ともはや、エントリー汚しなコメントで申し訳ありません。
私も同じく、一時行方不明でした。
投稿: 28期のもう一人 | 2007年6月21日 (木) 20時56分
とんでもございません御奉行様……ではなく先輩方
「汚し」も何も当ブログ自体が「汚れ」なので気を使っていたく必要は最初からないのであります
「きちんと読んでいず…」に至っては赤面の至り。きちんと読まれると困るブログです。ついでに申せばきちんと評価されては申し分のある人生を送っている私は身の置き所もありませぬ。などと書くと塀のなかにいたのかと思し召すかもしれませんが、さすがにそれはありません
実はこの2006年8月31日の記事が本日だけで約200アクセスを記録しました。解析によると全体の10%弱であらゆる個別記事のトップです。1年前の記事がまさか……。やばい。見つかってしまいました
「修学旅行の班別行動」の方は今度は私の記憶がありません。それから28期にはかのベストセラー教授もいらっしゃいますよね。その優秀さに零細出版社経営者としても脱帽です
投稿: 月刊「記録」編集長 | 2007年6月21日 (木) 23時46分
私もまたメーリングリストから外れていましたが、最近
11月23日に同窓会が開かれる事を知りました。今度は全体会から行こうと思っています。
お会いできたらいいですね。
投稿: 28期のひとり | 2012年9月10日 (月) 00時36分
28期のひとりさんへ
MLがあるのですか!
入れてほしいなあ
投稿: 月刊「記録」編集長 | 2012年9月11日 (火) 00時49分