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2006年8月17日 (木)

靖国神社の熱狂を呼んだ「加害責任」論の迷走

本日(16日)も靖国神社は大盛況。何らのイベントもないのに午前10時と正午すぎに大鳥居で確認したところ引きも切らない。先日近くの武道館でCOLD PLAYのコンサートにいったがノリは大して変わらない。ラフなスタイルで見物という体である。たしか少し前まではこんなテンションではなかった。
人の波に期待して小社近刊『誰も知らない靖国神社』売れ行き増を期待する。靖国付近の書店様にはお願いをして万全の迎撃態勢を敷いた。後は敵が・・・・じゃなくてお客様が買って下さるか否かである。

さて首相の靖国参拝は国内ではおおむね好意的に受け止められているようである。まあ直に辞める人だからというニュアンスも濃かろうが85年の中曽根参拝とは大違いである。これはなぜか。極めて実体験に基づく個人的な感覚では誰やらが「加害責任」とやらを言い出した頃から潮目が変わったように思う。
本田靖春が書いているように終戦直後の日本の民草は骨のずいまで反戦平和に賛成だったろうし憲法9条をもって平和憲法とするにも何ら違和感がなかったであろう。それはストレートに「あんな嫌な思いを二度としたくない」との感情に基づいたはずだ。いうなれば被害者感情が強烈に後押しした。
それは占領政策からの文脈でもわかる。そもそも日本のGHQによる占領は「征服」「併合」ではなかった。あまり顧みられないが近代の一時期まで敗戦国は戦勝国に併呑されても文句はいえないのは常識ですらあった。第一次世界大戦では敗戦国ドイツは「征服」こそ免れたが戦争責任をドイツ全体にかけて天文学的な賠償金と屈辱的な領土の割譲をドイツに強いた。それに対する応報感情がナチスの扇動を容易にし、その拡大路線を割譲に対する「取り戻し」のような感覚をドイツ国民に与えたのは想像にかたくない。

したがって1941年に英米首脳が集った大西洋憲章では領土の不拡大や敗戦国民の応報感情を煽るような割譲を否定してみせた。ナチスとは違うぞとの意思表示であったのと同時に戦争に勝っても「征服」「割譲」などのメリットを受けないとの姿勢は考えてみれば画期的であった。日本が受諾して終戦となったポツダム宣言の「吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ國民トシテ滅亡セシメントスルノ意圖ヲ有スルモノニ非ザル」もこの流れにある。

その半面として連合国はこの宣言で「戰爭犯罪人ニ對シテハ嚴重ナル処罰ヲ加ヘラルベシ」とした。最小限の国土を保障し、戦争に巻き込まれた一般国民を「奴隷化」「滅亡」の憂き目には遭わせない代わりに「戰爭犯罪人」には厳しいぞとの分離論である。もしこれがなければ日本はアメリカに本当に征服されていたかもしれない。案外と忘れられている点である。
したがって敗戦後の日本人は一種の被害者でもあり続けた。十分にひどい目には遭ったのだから。その身代わりに「戰爭犯罪人」は裁かれた。無論ポツダム宣言のそれと東京裁判の被告がイコールであるかは疑問が残るが、お陰で日本は結果的に独立も回復したし応報感情も敗戦直後の都市住民に顕著に見られた「反マック」感情を除いておおむね穏便に済んだ。
実際に戦渦に遭った日本人の多くは客観的にも被害者の側面を持つ。むろん例外はある。終戦直後を震撼とさせた連続強姦殺人犯の小平義雄は中国戦線で強姦と殺人の味を覚えて首を絞めながらの強姦は最高だったなどと取り調べでうそぶいた。ただ小平が持ち前の変質的性行を戦地や国内で実現化しただけなのか戦争が彼からそうした性癖を引き出したのかはわからない。あの悪鬼・小平でさえ戦争の被害者の側面がある可能性は拭えないのだ。

私は1962年生まれだが高校生の頃まではおおむね国民の多数は憲法9条に親近感を抱いていたし「反戦」だった。だが80年代頃からそれまでもくすぶっていた日本人の加害責任が強く打ち出されてきた。沖縄の民でさえそれはあるとか、「唯一の被爆国」という言い方は被害感情だけでバランスを欠くとの指摘もなされた。
なるほど曲がりなりにも立憲政体を名乗った戦前において日本人一般に先の大戦の加害責任はないかと問いつめられれば「ない」とはいえない。だが強い違和感を少なくとも私は抱いた。高校生ぐらいでは最初は「オレにも責任があるというのか」という素朴な反発だった。生まれてもいないオレのどこに責任があるのかと。

この反感は根強く今でもある。「謝る」「謝れ」話の繰り返しで心の中で次第に増幅された。私は東京裁判の正当性を認める立場だ。それで一応は終わったはずだ。中国の被害者感情が収まらないというのもよく理解できる・・・・などと書く側だ。それでも孫子の代まで「謝る」「謝れ」話を持ち出されるのはどうしても釈然としない。
オレが何か中韓に悪いことをしたのかねと在日の方と口論した経験もある。いや君個人の問題じゃあないという。では誰の問題かというと日本人全体の問題と答える。オレは日本人だと反問すると「いや君個人の問題じゃあない」の堂々巡りなのだ。「塵芥集」の「親の咎ハ子にかけへし」の一節がよぎる。応報感情が体の芯からうずいてくる。

繰り返すが私は反戦平和を叫ぶグループに思想的には近い。中国や韓国が時に反日感情を爆発させるのもわかる。彼らにとって「日本人」は加害者なのだから。世代が違うといっても我々が「中国人」「韓国人」と一視同仁するくらいだから向こうがそうであっても仕方ない。先に紹介した在日の人とは今でも仲良しだ。「日本人というと皆同じに見える」とも聞いた。もっともである。
したがって私が強く疑念を抱くのは中韓の民の反日感情ではなく、どうやら日本人の中に声高に加害責任を叫び、何やらオレの世代にも責任があるやなしやの綾をかけてくる手合いがいるらしいことだ。ただしこのなかで戦前生まれの方は実体験に基づく主張だから傾聴に値すると除外している。嫌なのはちょうど団塊の世代から私の世代の少し後ぐらいまでいる様子の「加害責任史観」の人達だ。
考えてみると私の世代は十分に10代後半から20代前半の子どもがいておかしくない。ということは今の若者が本来加害責任を問える世代があるとすれば曾祖父母以上だ。名前も顔も知らなくておかしくない。そんな若者に結局は戦争を知らない世代が加害責任だ何だと申せば私の世代ですら反発したのだから冗談じゃないと怒るであろう。

「加害責任史観」の人達は年月が経てばやむを得ない反戦への思いの風化を防ぐために叫んでいるのかもしれないが明らかに逆効果である。ポツダム宣言から東京裁判に至る論理からそもそも外れる上に先に述べたような中世の連座制を彷彿とさせる論法を、戦争体験者が「私も含めて日本人には」というならばともかく知りもしないという点で同類の戦後生まれの年配に加害だ謝罪だと説教されても鼻白む。
私たちは悪くないのに悪いというロジックが反戦平和の護憲ならば悪いとされた人達も本当は悪くないんじゃないかと思っても仕方ない。

何で戦地の悲惨さ、空襲の恐ろしさ、原爆のすさまじさ、沖縄戦の無残を語り継いでの平和の誓いでダメなのだろうか。私は遊就館の「大東亜戦争」展示は間違っていると断じる。だがその展示でさえ若者は戦争がいかに忌まわしいかを悟って書き残していくのである。
英霊顕彰の遊就館でもなお感じるある種の反戦感覚が「加害責任史観」からは生まれない。むしろ「しゃらくせえ」に近い何かがこみ上げてくるのだ。
私の祖父は中国戦線から「チャンコロを田楽刺しにした」との手紙を内地によこした。明らかな加害者であるが私は彼の加害責任を問う気はない。ましてその孫というだけで責任など毛頭感じない。だが戦争反対は揺るがないし首相の靖国参拝にもNOだ。こんなところで踏みとどまっている人は案外といるが窮地にある。
現にこうした文章を書くと左右から挟撃されるか無視されるかなのだ。右に攻撃されるのはやむを得ないが最近ではむしろ左にあれこれ攻められ右の方が太っ腹だったりする。困った倒錯の渦中にあるわけだ。(編集長)

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コメント

 あの~、日本の多くの人が侵略神社=靖国神社を追悼施設と誤って認識しているのですよ。だから小泉の参拝を半数の人間が支持するのでしょう。だいたい中国・韓国があの神社を正しく認識していて、日本に住む人間が誤認しているってお笑いですよ。ぶっちゃけ、あそこは戦死者を悼み悲しむとこではなく、喜ぶとことだと正しく認識すれば、小泉の参拝の意味も分かり、半数が支持などという結果も出ないでしょう。

 ですから、「加害責任」論でそれを説明するのは、あまりあたっていないでしょう。


 あと『第二の罪』、『戦争と罪責』とかを読んでいなければ読んで欲しいのですが、私がそのなかでひっかかっているのが、「ためらい」ということです。例えばイスラエルのユダヤ・ナチの蛮行をドイツが正面から非難する事はないということです。それはある意味不当ですが、その心情は理解できます。加害責任を痛感すればするほど、罪責感は増しますから、イスラエルのどんな蛮行を非難する場合にも「ためらい」がつきまといます。

 翻って靖国問題への中国・韓国の言い分はあまりにも正しく、「ためらい」の出る幕もありません。もっとも加害の罪責感が皆無なら、正しいことは言われても腹が立つわけで、ことの真相はあなたの主張とは正反対なのではないのでしょうか?日本の若者は学校で近現代史をほとんど習わないから、中国の若者に南京事件を問いつめられあたふたとするのです。
 
 「第二の罪」とは、おおざっぱに言えば「あったことをなかった」ということでしょうが、そういう歴史捏造派の運動を野放しにする罪を「第三の罪」とすれば、戦後世代の私たちにも十分罪があります。

 ヨシリンの漫画で歴史を学ぶ若者が小泉の靖国参拝を支持するのは当然のことです。そこには「ためらい」もクソもないのです。

 本当の「ためらい」って中国のチベット問題を非難する時に出てくるものですがね。


  なんだかとりとめもないですが、最後に以下の意見でも紹介しておきます。

▼ゲバラがヒロシマから現代日本に問いかけるもの            
季刊誌『がんぼ』12号(2006年7月25日発行、広島・南々社)掲載
太田昌国

http://www.jca.apc.org/gendai/20-21/index.html

▼ 朴慶植さんの事故死と、時代の拘束を解き放った60年代の遺産
「派兵チェック」第65号(1998年2月15日発行)
連載「表現のなかの残像」24回
太田昌国

http://www.jca.apc.org/gendai/20-21/1998/1998kosoku.html
 
 

 

投稿: けたぐれ后王 | 2006年8月18日 (金) 10時34分

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