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2006年7月25日 (火)

インタビューはお好き?

 今日も取材だった。某大学の材料工学の教授にお話を聞かせていただいたのだ。
 編集部に入ってから仕事として取材というものにあたるようになったのだが、今の職場に来る前はもちろん取材なんてしたことはなかった。言ってしまえば、ズブの素人がいきなり記者らしい顔をして取材をするようになったのだ。それでも、はじめのうちはかなり気合を入れて取材に当たっていたので(今はだらけるようになった、という意味合いではなく)、新人だな、などと言われることはなかった。

 さて、いざ取材をする「位置」には立ってみたが、もちろん取材の「技術」が手に入ったわけではない。取材の仕方など誰も教えてくれなかった。
 あるとき、友人と話していて、「取材のときとか、緊張しねえの?」ときかれ、「んー……、まあ…、慣れ?」などと返していたが、実は、ちょくちょく参考にしている本があったのだ(フハハハ)。

Asa_1 『インタビュー術!』(講談社現代新書)がそれだ。「哲学からアダルトビデオまで」を標榜するあの永江朗がまるごと一冊かけてインタビューのコツ(のようなもの)について書いている。インタビュー術というだけあって、本書ではどう話を聞くか、どうやって話を引き出すかが全体の内容の半分以上を占めている。
 今読み返してみると、ページのあちこちに赤線が引いてある。例えばこんな部分だ。これは、「なぜ」「どうして」を繰り返していれば取材は成立するのではないか、との見方に反する著者の意見だ。
「そもそも素人や門外漢では、なにをどう聞いていいのかもわからないし、専門家が話してくれることのどこが重要なポイントなのかも分からない。ソクラテスは自分が何も知らないということを知っていたが、素人は自分が何を知らないのかもわからない。だから仮に専門家が分かりやすく話すことが可能だとしても、その話を引き出すためには、インタビュアーにはそれ相応の勉強と準備が必要なのだ」
 分かる! 自分の失敗の原因が準備不足だったことは確かにある。専門家の話が難しいのは当たり前だが、前もってテーマとする論点を絞ることによって、話が四方八方へ拡散して収まりがつかないという最悪の状態は回避することはできる。
 本書はインタビューの鬼、永井の実体験のエピソードを交えて「インタビューってなんだろう」(第1章)に始まり、「インタビューの準備」「話をどう聞くか」「インタビューをまとめる」などで構成されている。
 当初は五里霧中だった取材も、少しは余裕を持てるようになった。しかし、いまだにこの一冊はよく読む。それは、読み物としても本書が抜群におもしろいことにもよるのだろう。
第3章の「インタビューはこう読め」では国内・海外問わず注目すべきインタビュー例が取り上げられている。
 アレックス・ヘイリーが『プレイボーイ』誌でマイルス・デイヴィスにしたインタビューが取り上げられているが、たしかにすごい。いきなりこんな質問から始まっている。
「あなたが手にしたミュージシャンとしての成功とともに、観客に対する不機嫌さや態度の悪さも話題になっていますが、それについてコメントはありますか?」ときた。
 アレックス・ヘイリーとマイルス・デイヴィスの立場的力学関係はよく分からないが、それにしても普通はこんな質問をぶつけることはできない。
 永江も本書で述べているが、雑誌で見かけるインタビューはしばしば、というかかなりの割合で、インタビューをする側とされる側の「なあなあ」の域を出ていないものだと思う。読む前から内容が分かっている、よっぽどインタビューの対象である人物の熱狂的な信者でもないかぎり、そんな記事は読みたいとも思わないだろう。
 第3章「インタビューはこう読め」を読むと、新聞・雑誌、あらゆるインタビュー記事の見方が変わるかもしれない、というより、面白くなると思う。優れたインタビューには、する方・される方の高度な駆け引きの存在によって、ヒリヒリした緊張感のようなものが走っていることに気づかされるからだ。(宮崎)

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