岩の坂・実在した貧民窟 2
東京へ空襲であらかた焼けてしまった岩の坂の木賃宿、長屋群の様子をもう少し聞き書きしてみようと思ったのだ。
岩の坂には現在、坂町商店街という商店街がある。岩の坂は旧中山道であり、江戸時代には宿場町として栄えた。坂の半ばにある、板橋区教育委員会が設置したプラスチックの立て札には板橋宿の成り立ちなどが記されてあるが、周りの住民たちから「イヤノ坂」(あそこに行くのはイヤ、との意味合い)と疎まれていた貧民窟としてのこの場所のことは書かれていない。
「明治(時代)に鉄道が通って、それが中山道だったこの岩の坂の近くを通らずに、岩槻というか、赤羽のあたりに通ることになってから、宿場町が廃れだしたらしいんだけどね」
ある商店の主人が確信なさそうに言う。鉄道が敷かれたのは明治17年頃だが、なぜ鉄道は宿場町があったこの地域から外れたのだろうか。主人が聞いたところによると、地域の住民の反対が大きかったからだという。それから空襲でこの地が焼けるまで、岩の坂は悪名高い貧民窟であり続けるのだが、当時の様子を詳細に覚えている人は今ではほとんどいない。
ある商店の60台半ばのおばさんの話。
「宿場町が廃れてね、地方から着の身着のままで出てきた肉体労働者とか、芸人とも乞食ともつかない人とかが住むようになったんだ」。
岩の坂について話を聞いたところ、何人かが「よく山賊が出た」という言い方をした。「山賊」というのは山に出るものなのではないだろうか、と思ったが、そうたずねてみると呼称はとにかく「山賊」で共通していたそうだ。賊が出るほど治安が悪化し、おばさんによるとそれが原因で「岩の坂警察署」が設置された。10年ほど前に、坂の中腹にある現在の本町交番に移動し、賊対策としての交番は姿を消している。1940年生まれのおばさんの幼少の記憶では、怪しげなオーラを放つ木賃宿などはもうなかったという。空襲で木賃宿や長屋が燃えてしまったのなら、そこに住む人たちはいったいどこにいったのか、そうたずねてみたが、さすがにそこまでは分からないと言う。
「私が子どものときは、この通りにバスも走ってたらしくて。子どものときはやけに道が広く感じたけど、新潟に疎開に行って50年近くになってやあっと戻ってきたら、こんなに狭い道路だっけなあ、と思ったよ」。
今では商店街にバスは通っていない。道の幅は車2台がすれ違うのがやっと、という広さだ。
交番で岩の坂についてたずねてみたが、新しい情報を得ることはできなかった。不動産屋ならば土地のことに関しては専門といえるだろう、と話を聞かせてもらおうとしたが、どうも「岩の坂」については喋りたくない雰囲気だ。そういうことは知らない、というよりもなぜ見知らぬ男にそれについて話さなければならないんだ、という感じで取り合ってくれなかった。やはり対外的には「負の遺産」としての坂の歴史的な認識があるのだろう。
唯一、この岩の坂で昔の姿が残されているものといえば、知る人ぞ知る名所、「縁切榎」(えんきりえのき)ぐらいということになるのだろうか。旧中山道をハイキングする人たちにとってはおなじみのポイントだが、立て札によると江戸時代からあるこの木は難病との縁切りにも力を貸す神木として扱われる一方、木の下を通る男女の仲が裂かれると信じられたため、特に嫁入り前の女性は避けて歩いた。1861年の和宮下向の際には、いちいち縁切榎を迂回する道路が作られたとある。
山賊が出る貧民窟、下を通れば縁が切られてしまう榎、たしかに周りの住民から忌避されてもおかしくないような気がするが、今ではその面影はカケラもなく、夏休みでじっとしていられない!と飛び跳ねる小学生が緩やかな勾配の坂を駆け上がっていく。
縁切榎の下で、ヘンなものを発見した。
「ガチャガチャが」あったのだ。板橋区商店街連合会が置いたそのガチャガチャの傍には説明書きがある。「悪縁を切りましょう!」と見出しがされ、
「此処をあなたの過去やしがらみや悪縁を断つリセットの場所としました。あなたがリセットしたいテーマを心に強く念じて「リセットみくじ」を引いて下さい」。
とある。1回100円也。
うーん、リセットしたいテーマ……、何だろう? ジャズを聴いてるとき、トランペットとかドラムとかやっておけばよかった!と思うことがよくあるから、音楽人生をリセットしてみたいです、と念じてガチャガチャを購入&開封!! さて、そこに書かれていたものは……
「『自己努力』 ……あなたがやろうとしているリセットは、少しずつですが進んでいます。その変化はあなたにとってプラスの方向に向かっています。逆にいえば、今まで付き合っていた友人との関係があまりうまくいかなくなったことでもあります……」。
要するに友人と縁を切れってことか……? しかも、それは『自己努力』だと。うーん、じゃあ、いっちょバッサリと切ってみるかな!!(宮崎)
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