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2006年7月28日 (金)

マグロの人生を渋谷で背負う

 なんだかバタバタしていて原稿を書く気力がなくなった。こんなとき時事問題なんてもってのほか。だって難しいんだもん!

 というわけで(何がというわけかわからんが……)私の唯一の趣味であるレストランについて書こうと思う。長年にわたり、ひたすら金を脂肪とクソに換えてきた。美味しい店の話をすれば長すぎてウザがられ、たまに一緒に食事できる女性と出会ってもレストラン以外では冷たくあしらわれ、唯一の趣味なのにロクなことがない。
 でも食べずにはいられない。これが業というものだろう。悲しい……。

 まあ、ブログのネタにするぐらいならバチもあたらんはずだ。そこで、今後疲れているときにはレストラン案内を勝手に書くことにした。金曜日にレストラン案内が書かれていたら、どうか読者様も私の疲れを察してほしい。

 さて今回紹介するのは渋谷東急本店地下にある「みや武」。カウンターに6つの椅子、あとは小さなテーブルが1つあるだけの小さなお寿司屋。店の間仕切りの裏側にはショーケースがあり、デパ地下のお総菜コーナーとしてパック詰めの寿司も販売している。

 レストラン併設のデパ地下総菜屋が流行っているとはいえ、デパートの地下で寿司! 「てやんでぇ~!」ってな気分の読者も多いでございましょう。私もそうだった。しか~し反省したね。デパ地下をなめちゃいかん。一口食べて、「う、う、ウマイ」と唸っちまったもん。

「マグロづくし」2000円也で計8貫。
 メバチ、ミナミ、ビンナガ、クロと、マグロ全7種のうち4種類が、カウンターのゲタに並ぶ。スライスしたタマネギがのっているビンナガマグロも美味いが、ミナミマグロの骨に近い肉「天身」も捨てがたい。もちろん最後に口に入れたクロマグロ(本マグロ)のトロも、文句なく美味かった。

 同じマグロなのに、このバラエティーに富んだ味はどうだろう。小泉風に言えば「感動した!」である(使い回しが良くて便利な言葉です)。
 調べてみると、マグロは種類によって、生まれる場所も回遊するルートも違うらしい。海が違えば、エサだって変わる。それどころか性格まで変わる。
 痩せたマグロを太らせて出荷させる畜養現場では、ミナミマグロとクロマグロで扱いが違う。マグロを解体するとき、性格の穏やかなミナミマグロは抱きかかえて船に上げるが、クロマグロの場合は銃で撃ったり、感電させる必要があるのだと。こりゃ、味が違うのも当然だな。

 種類が違うってことは、単に生物の分類が違うだけではなく、生まれてから捕まるまでの人生(魚生?)経験・生活習慣が大きく違ってことなのだ。つまり、さまざまな種類のマグロを味わうってことは、さまざまなマグロの魚生を噛みしめるってことなのだ。
 まあ「う~ん、マグロの魚生と言われても……」という人も多いだろう。そこで人を握る寿司屋での会話を再現してみた。

「おやじさん、このコリコリした食感ウマイね」
「いや~、そうなんですよ、お客さん。オオハタは口角がウマイの。ほら、口八丁手八丁で生きていたから、よくしゃべってたでしょ。だから口の周りの筋肉がコリコリしてんだ」
「日本人男性で口角が美味いなんて珍しくないっすか?」
「そうなんだよ。1日5時間以上しゃべらないと、コリコリしないってんだからね」
「へぇ~、いやー、寿司ネタだからいいけれど、生きてたらうるさいな(笑)」
「そうだろうね(笑) はい、で、これがオオハタのトロね。脂のってるでしょ。内臓まで霜降りだから、それも後で握りますよ」
「いや、スゴイ脂。ん、んー、ウマイ。でも、普通のトロとちょっと違うね」
「お客さんツウだね。ほら、オオハタ下戸だから。ひたすら食事で脂肪蓄えたんだ。だから見た目よりしつこいんだよ」

 書きながら、すっかりマグロの人生を背負った気分である。
 脂肪を増やすために生け簀に入れられ、刑場まで抱いて運ばれたミナミマグロの気持ちを考え、黒潮に乗りアメリカの沿岸まで旅をしたクロマグロの生き様に思いをはせた。
 鰯の大群を見つけたときの興奮。時速100キロで泳いだときの筋肉のきしみ。目をつぶれば、彼らの人生が味とともに浮かび上がってくる。
「食」は「愛」であると、渋谷東急本店で深く悟った大畑であった。

 ジャック・アタリ著の『カニバリスムの秩序』(みすず書房)は、カニバリズム(食人)の習慣について次のように書いている。

「これほど永きにわたって、カニバリスムが剣呑なことでも、衝撃的なことでも、例外的なことでもなく、月並みで、しかも無くてはならず、地味で、しかも平穏なものであり得た理由がここにある。死後に食べられるという見通しは、人を戦慄させるどころか、むしろ食べられることは愛の証であると同時に、永遠の生への方途であった。アフリカや南アメリカのいくつかの部族にあっては、死の間際にある者自身が、彼の体を遺産として、部族員に割当てる。中でも、フォレ族などは、死にゆく者がどの血縁者に自分の身体を食べてもらうか指定する」

 ふむ。みや武で食べたマグロは、私の血縁者でもないので、彼から食べろと頼まれたわけではない。しかし彼の「生」はしかと受けとめたつもりだ。「愛の証」である。
 マグロのみなさん、今後とも安心して食材になっていただきたい。

 合掌(大畑)。

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