駅名がおかしい!? 大泉学園編
さて、駅名シリーズも第4弾まできた。今回は西部池袋線の「大泉学園」駅だ。
まだ西武池袋線が「武蔵野鉄道」という名前だった1924年に、大泉学園駅の前身、東大泉駅が開業した。「とうだい・いずみ」ではなく「ひがし・おおいずみ」です。大泉は明治からの地域名。
さて、1920年、後にコクドとなる箱根株式会社を設立し、1924年には衆議院議員に初当選していた堤康次郎は、既に買収を始めていた箱根の次に東京郊外の土地に目を向けた。今で言えば「東京郊外」といってもビル郡が立ち並んでいるが、当時は未開の地に近かったという。なぜ堤はそんな未開の地に目を向けたのか? 10万人以上が死亡、20戸以上の家屋が消失したといわれる1923年の関東大震災の後、新しい住居の土地として「郊外」が注目を集めていたのだ。
堤は、買収した土地(現在の国立、小平、大泉学園あたりの土地)を学園都市とする構想を練った。現在の一橋大学が東京商科大学という名前だった頃、初代学長だった佐野善作と堤が友人関係だったことが神田にあった大学の誘致につながった。ただ、東京商科大学は現在の大泉学園ではなく国立に移転。一橋大学と名前が変わった現在でも国立にある。
ここで不可解なことがある。東京商科大学が国立に移転したのは1930年のことで、東大泉駅の名が大泉学園駅になったのは1933年。東京商科大学の移転が国立に決定した後、「大泉学園」の名を決めているのだ。
東京商科大学の移転が決まった後も、他の大学を誘致しようとしていたのかも知れないが、かなり昔のことなので西武鉄道に問い合わせてもそのへんのことはよく分からない。なにしろ70年以上も昔のことなのだから。
バスで大泉学園駅に向かった。ネットで調べると、「大泉学園周辺は学園都市を目指していたころの名残か、整然と区画された面影を見ることができる」という記述が何点か見られたが、注意して見ていたののその名残は感じられなかった。
「大泉学園駅」なのに「大泉学園」がない、というあまりにもシンプルで且つ深い謎は解明されたが(いや、全てではないけど)、大泉学園の人々に聞くと、やっぱりいた! 5年前に引っ越してきたという子連れのオトーちゃんは「ウソ! 大泉学園っていう学校とかないの?」とシンプルに驚いた。
西武鉄道の職員によると、これまで駅名の変更については検討されたこともない(職員が知る限りでは)。学芸大学の場合は駅名変更の是非が問われた。都立大も問われていた。その結果、住民の選んだ結果が「変更はノー」だった。だけど、大泉学園の場合は、住民投票どころか、検討もナシである。これがまさしく、歴史がなせるワザというか。(ムリヤリなもっていき方だが……)
ひとつ心残りがあって、それは「俺は大泉学園に進学するぞー」的な御当地ギャグがあるかどうか、ということを調べ忘れたことだ。なんか、ありそうな気がするんです。詳細を知ってる方、情報お待ちしております。(宮崎)
| 固定リンク
「鉄道」カテゴリの記事
- 駅名がおかしい!? 大泉学園編(2006.07.11)
- 駅名がおかしい!? 二子玉川編(2006.06.19)
- 駅名がおかしい!? 都立大学編(2006.06.12)
- 駅名がおかしい!? 学芸大学編(2006.06.05)
- 駅名がおかしい!? 『向ヶ丘遊園』編(2006.05.22)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント