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2006年7月 5日 (水)

「子どもが危ない」は本当か? ある視点からのブックガイド

私が小学6年生のとき、戦争が起こった。1992年のことだ。ただ、戦闘機が飛んだりマシンガンをぶっ放したりするソレではなく、隣町の小学校との戦争だったんだけど。いまだにはっきり覚えている。ものすごく天気のいい土曜日の夕暮れ、神社横の公園に双方60人は集まった、が、なぜか対決は代表がひとりづつ出てきて殴り合ういわゆるタイマンだった。私は数人の仲のいいダチと、遠巻きに「代表戦」をどきどきしながら見守ったのだった。いい日だった。
Ose_1  2006年、少年が同級生を殺す、親を殺すといったケースは珍しくなくなった。すでにその類のニュースに対する耐性のようなものができてしまっている。「なぜ子どもたちは殺人という一線を飛び越えるようになったのか」。これまでにも数え切れないほど取り扱われてきたテーマだが、『脳内汚染』(文藝春秋)の著者・岡田尊司は脳の働きのメカニズムと、メディアが子どもに与える影響についての豊富なデータをもとに論理的な展開でメディア、特にテレビゲームの危険性を訴えている。
著者の岡田尊司は京都大学と同大学院で高次脳科学、脳病態生理学の研究にあたった脳の専門家だ。現在は医療少年院に勤務。「子どもはなぜキレる」系の本といえば、どこかからデータを引っ張り出してきてなにか指摘しておきながら、最終的には筆者の持論の展開に終わるというヒデエ本を読んだことがあって、それ以来あまり近づかなかったのだが、本書はそうではなかった。そしてさすがにテレビゲームが子どもに及ぼす危険性に少し怖くなった。
「あらゆる動物には、同種のものを殺害することに対する強い抑止力がかかる仕組みがプログラムされている」と著者はいう。では、なぜこの抑止力(禁止プログラム)が働かなくなったのか。筆者は続ける。「人間に本来備わっている行動のプログラムを変えてしまうことができるのだろうか。行動主義心理学者は、その問題を長年にわたって研究した。そして、行動のプログラムが変更可能であることを実証した」。
その方法としては「古典的条件付け」と「オペラント条件付け」があるが、ここでは古典的条件付けと組み合わせることによってさらに効果的となるオペラント条件付けについて引用させていただく。
「オペラント条件付けは、一定の刺激に対して一定の反応が起こるように訓練することで、思考や感情に影響されない、反射的な反応回路を作ってしまうのである」。
条件付けが成功すると、一定の刺激→一定の反応の回路が完成され、ためらいや葛藤の余地なく反応が起こることになる。実例としてフォークランド紛争においてのアルゼンチン軍とイギリス軍の訓練と実践が比較されている。アルゼンチン軍が射撃訓練時に的として使ったのは黒い円だった。紛争でのアルゼンチン軍の発砲率(敵に対して発砲した割合)は10~15%に留まった。人を殺すことに対する抑止力が働いたのだ。それに対し、イギリス軍は訓練用にポップアップ型の人型シルエットを的とした。発砲率はなんと90%を超えた。「一定の刺激→一定の反応」のメカニズムが作り上げられていたのだ。
寝る間を惜しんで子どもから若者までが熱中する現在のテレビゲームではかつてないほどリアルな画像が使われている。そして、現在普及しているシューティングゲームはアメリカ軍が射撃用のシュミレータに用いているものと大差がないという。
脳のメカニズムを中心として、現代という時代の危険性を切実に訴える姿勢も印象に残る一冊だ。

No_1  『少年裁判官ノオト』(井垣康弘/日本評論社)は、1997年に起こった土師淳君殺害事件の「少年A」を担当した少年事件担当裁判官が、7年を超える少年Aとのやりとりをはじめ、多くの少年裁判のケースを記した一冊。Aの逮捕後、シャバでは事件を前代未聞の少年犯罪と位置づけ揺れに揺れたが、そのころ当人は「疲れた。どこか静かなところで死にたい」とこぼしてばかりだった。担当裁判官であり面会を重ねる著者は、Aの落ち込みぶりについて、逮捕されてすぐ死刑になるつもりがすぐに死ねなかったことに対するの身勝手な落胆の他に、警察官、検察官、弁護士、調査官、そして裁判官と同じことを延々と聞かれること、半ばだまし討ちのようにして不仲だった母と対面させられたことなどを原因と考える。甘やかしているわけではない。本書では現在の少年裁判制度の問題点、また著者自身の判断を反省含みで取り上げ、どのような少年裁判のあり方が更正、社会復帰への近道なのかを論点としている。Aは面会を重ねていくうちに生きる意欲を取り戻していった。関東医療少年院のスタッフの暖かい姿勢もあって前向きな姿勢も見られるようになった。Aは淳君の父親・土師守さんの手記『淳』、彩花ちゃんの母親・山下京子さんの手記『彩香へ』を何度も読み、少年院の教官と遺族の苦しみについて語り合い、「身をよじるようにして苦しんだ」。母子関係がうまくいっていなかったAだが、やがて「いつか、分かり合えるようになりたい」と思うようになる。本書では、他の多数の少年裁判のケースを紹介し、人は環境によって変わることができることを訴える。少年Aはとりかえしのつかない過ちを犯したが、それはAが生まれながらのモンスターだったからではない。この2冊を読むことによってそれが実感できるだろう。
本書のメインである「少年Aとの7年5ヶ月」の結びには考えさせられると同時にちょっとシビれた。
「これから中学、高校の教育を受けさせ、加えて大学教育を受けさせれば、自分の言葉で、自分のことを説明できるようになるのではないか。事件の前の経過から、今後どうしたいのかまで、あらゆることを本人の口、あるいは文章でもいいから語ってほしい。そのために、勉強する時間を何年間か与えてやりたい。(中略)そして、十年後でもかまわない。自らの言葉で綴った「手記」を発表してほしい。そのとき、わが国の「少年司法」は勝利する」。
(宮崎)

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