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2006年7月

2006年7月31日 (月)

岩の坂・実在した貧民窟 2

Enoki_2 夏休みにしては涼しい、夕方のゆったりした風の中、岩の坂を何度も行き来した。
東京へ空襲であらかた焼けてしまった岩の坂の木賃宿、長屋群の様子をもう少し聞き書きしてみようと思ったのだ。
岩の坂には現在、坂町商店街という商店街がある。岩の坂は旧中山道であり、江戸時代には宿場町として栄えた。坂の半ばにある、板橋区教育委員会が設置したプラスチックの立て札には板橋宿の成り立ちなどが記されてあるが、周りの住民たちから「イヤノ坂」(あそこに行くのはイヤ、との意味合い)と疎まれていた貧民窟としてのこの場所のことは書かれていない。

「明治(時代)に鉄道が通って、それが中山道だったこの岩の坂の近くを通らずに、岩槻というか、赤羽のあたりに通ることになってから、宿場町が廃れだしたらしいんだけどね」
ある商店の主人が確信なさそうに言う。鉄道が敷かれたのは明治17年頃だが、なぜ鉄道は宿場町があったこの地域から外れたのだろうか。主人が聞いたところによると、地域の住民の反対が大きかったからだという。それから空襲でこの地が焼けるまで、岩の坂は悪名高い貧民窟であり続けるのだが、当時の様子を詳細に覚えている人は今ではほとんどいない。
ある商店の60台半ばのおばさんの話。
「宿場町が廃れてね、地方から着の身着のままで出てきた肉体労働者とか、芸人とも乞食ともつかない人とかが住むようになったんだ」。
岩の坂について話を聞いたところ、何人かが「よく山賊が出た」という言い方をした。「山賊」というのは山に出るものなのではないだろうか、と思ったが、そうたずねてみると呼称はとにかく「山賊」で共通していたそうだ。賊が出るほど治安が悪化し、おばさんによるとそれが原因で「岩の坂警察署」が設置された。10年ほど前に、坂の中腹にある現在の本町交番に移動し、賊対策としての交番は姿を消している。1940年生まれのおばさんの幼少の記憶では、怪しげなオーラを放つ木賃宿などはもうなかったという。空襲で木賃宿や長屋が燃えてしまったのなら、そこに住む人たちはいったいどこにいったのか、そうたずねてみたが、さすがにそこまでは分からないと言う。
「私が子どものときは、この通りにバスも走ってたらしくて。子どものときはやけに道が広く感じたけど、新潟に疎開に行って50年近くになってやあっと戻ってきたら、こんなに狭い道路だっけなあ、と思ったよ」。
今では商店街にバスは通っていない。道の幅は車2台がすれ違うのがやっと、という広さだ。
交番で岩の坂についてたずねてみたが、新しい情報を得ることはできなかった。不動産屋ならば土地のことに関しては専門といえるだろう、と話を聞かせてもらおうとしたが、どうも「岩の坂」については喋りたくない雰囲気だ。そういうことは知らない、というよりもなぜ見知らぬ男にそれについて話さなければならないんだ、という感じで取り合ってくれなかった。やはり対外的には「負の遺産」としての坂の歴史的な認識があるのだろう。

唯一、この岩の坂で昔の姿が残されているものといえば、知る人ぞ知る名所、「縁切榎」(えんきりえのき)ぐらいということになるのだろうか。旧中山道をハイキングする人たちにとってはおなじみのポイントだが、立て札によると江戸時代からあるこの木は難病との縁切りにも力を貸す神木として扱われる一方、木の下を通る男女の仲が裂かれると信じられたため、特に嫁入り前の女性は避けて歩いた。1861年の和宮下向の際には、いちいち縁切榎を迂回する道路が作られたとある。
山賊が出る貧民窟、下を通れば縁が切られてしまう榎、たしかに周りの住民から忌避されてもおかしくないような気がするが、今ではその面影はカケラもなく、夏休みでじっとしていられない!と飛び跳ねる小学生が緩やかな勾配の坂を駆け上がっていく。

Ga_1 縁切榎の下で、ヘンなものを発見した。
「ガチャガチャが」あったのだ。板橋区商店街連合会が置いたそのガチャガチャの傍には説明書きがある。「悪縁を切りましょう!」と見出しがされ、
「此処をあなたの過去やしがらみや悪縁を断つリセットの場所としました。あなたがリセットしたいテーマを心に強く念じて「リセットみくじ」を引いて下さい」。
とある。1回100円也。
うーん、リセットしたいテーマ……、何だろう? ジャズを聴いてるとき、トランペットとかドラムとかやっておけばよかった!と思うことがよくあるから、音楽人生をリセットしてみたいです、と念じてガチャガチャを購入&開封!! さて、そこに書かれていたものは……
「『自己努力』  ……あなたがやろうとしているリセットは、少しずつですが進んでいます。その変化はあなたにとってプラスの方向に向かっています。逆にいえば、今まで付き合っていた友人との関係があまりうまくいかなくなったことでもあります……」。
要するに友人と縁を切れってことか……? しかも、それは『自己努力』だと。うーん、じゃあ、いっちょバッサリと切ってみるかな!!(宮崎)

※ここから先の記事は…

『あの事件を追いかけて』(本体952円、アストラ刊)にてご確認ください。

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2006年7月30日 (日)

萩本欽一の都合のいい立ち位置に抗議

本日ミニコミ紹介予定の宮崎から深夜0時を回ってギブアップの報が。せめてもっと早く教えてよ・・・・というわけでイレギュラーながら編集長の一席でご勘弁を

さて。萩本欽一65歳。彼は何者であろうか。

それがコメディアンというならば何もいうことはない。芸能人や有名人もまじえた2005年の茨城ゴールデンゴールズの結成も、所属選手である「極楽とんぼ」山本圭一の不祥事に基づくあれこれも一種のショーだというならば。
むしろショーであれば水際立っていた。不祥事報道の翌日に球団を「辞めることにしました」と会見して同情の声と署名運動が巻き起こり、それを起爆剤に撤回するという少々くさいが名演技である。同時期に起きたパロマの不祥事とは対照的な危機管理とさえほめてもいい。

ただしあくまでもそれはコメディアンであれば、だ。最近の報道では「萩本欽一さん」とさん付けする。芸能人に「さん付け」するのは、このような場合は一般人とみなした、つまり芸能活動とみなさない活動であると認識しているからだ。ならば何だ。文化人ってところか。
ただし萩本欽一には「萩本欽一」でもなく「萩本欽一さん」でもない呼称がある。「欽ちゃん」だ。最近の報道でもさん付けと劣らぬ頻度で用いられている。だから彼の立ち位置がわからない。手品師とも魔術師ともいわないミスターマリックと似た位置か。似てないか。まあいい。
問題は「欽ちゃん」の呼称で隠れてしまう文化人「萩本欽一さん」の行動なのかコメディアンのそれなのかを故意か無意識か彼自身が明らかにしない点にある。たぶん本人は気づいていて知らんぷりを決め込んでいるのだろう。今回はそこを追及したい。

もしも文化事業の担い手として扱われたいならば相応の責任を取る必要がある。みんなギャグなのよと笑い飛ばせはしない。逆にコメディアンならばそうとわからせる覚悟がいる。志村けんのようにね。「欽ちゃん」はいいとこどりをしている気がしてならない。

1985年コメディアン「欽ちゃん」は「充電」を名目にすべての番組を降りた。彼のテレビでの大活躍はおおむねこの辺で終わりである。以後に話題となったのは「仮装大賞」を除くと以下のようなものだ

1993~94年 「欽ちゃんのシネマジャック」を始める
1998年 長野オリンピック閉会式で司会を務める
2005年 茨城ゴールデンゴールズ結成

「欽ちゃんのシネマジャック」は欽ちゃんが「映画の楽しさを伝える」と93年は1本15分(94年は20分)を5本立てで上映する。欽ちゃん本人が製作の指揮を取り、1本約4000万円の費用を全額負担した。観覧者は映画館に見る本数分を申告して1本300円を支払う。それ以上に鑑賞したければ超過料金を事後に収めるという斬新な企図だった。
私はこの報に触れた時に「映画の楽しさを伝える」との欽ちゃんのうたい文句を素直に受けとめられなかった。コメディアンから文化人へと脱する投資のにおいをかいだのだ。
事実「欽ちゃんのシネマジャック」は93年のブルーリボン賞特別映画賞とやらを受賞したが全国60館以上の上映を目指すと打ち上げていたのに数館に止まるや、たった2年でやめてしまった。その後、彼がこのことについて公式にコメントしたとの報を寡聞にして私は知らない。

茨城ゴールデンゴールズ(GG)に至ってはチームが所属するクラブ野球という存在を国民のほとんどが知らないのを逆手に取った文化人気取りに思えてならない。
同好会レベルや企業・学校のOBなどが手弁当で作っているチームは数知れず全国に約270チームある。「草の根」といえば聞こえはいいが実情は猛烈な低レベルで全国大会の全日本クラブ野球選手権に進める程度でも高校野球の有力校よりも弱いであろう。
そもそも最高峰の全日本クラブ野球選手権すら知られていない。長らく西武ドームで開催されていたせいかチーム数も関東・東北に偏っている。ではなぜ私が知ったかというと選手権が毎日新聞社主催だからだ。しかも運の悪い?ことに私の初任地は現在のさいたま支局で西武ドームもまた埼玉県にある。
よって予選から観させられたのだがレベルは低いは客はいないは全体にマッタリしてるはで、こんな競技を主催していて紙勢が伸びるとは到底信じられなかった。事実伸びていない。
GGは05年の全日本クラブ野球選手権で準々決勝まで進出したが野茂ベースボールクラブに敗れた。その野茂ベースボールクラブは大会を制したが同年の都市対抗野球では初戦で敗退。要するにその程度の実力しかない純粋アマチュアなのである。

だから「シネマジャック」よりも敷居が低かったともいえる。しかも何だか知らないが「全日本クラブ野球選手権」と書くと、または聞くと凄そうではある。ただ実情は以上の通りなので関係者は「欽ちゃん」の登場に欣喜雀躍したであろう。
そうした計算のすべてを「欽ちゃん」は頭のなかでしている。60過ぎの爺さまにいうのも何だが小憎らしいのである。そしてマスコミのほとんどがそうした側面を突かないのもまた面白くない。だから書いてみた。(編集長)

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2006年7月29日 (土)

奥津裕美から・『誰も知らない靖国神社』発売にあたって

8月1日、いよいよ『誰も知らない靖国神社』が刊行されるようで、編集部から宣伝記事を書くよう言われました。
なので、ここはひとつ厳かかつ、真剣に原稿を書こうと思います。私ももう25才ですしね。
私が「記録」編集部に入ったのは20才。この連載を持ったのはその約3ヶ月後のピチピチの21才。前職の栄養士をいともあっさり辞め、憧れのマスコミ業界……への転職だったのですが、入った先は棘の道。修羅の道。
編集長から「やらないか?」と言われたのですが、本当のことを言うと、「は!?靖国って何ソレ!?」という感じでした。

あんまりやりたくなかった……のですが、すぐに私の頭の中の消しゴムがそんな気持ちをすぐにイレースし、持って生まれた好奇心の塊が心を揺さぶり、最初の気持ちなんてどこへやら、憧れのメガネ男子から交際を申し込まれたときのような勢いで引き受けてしまいました。
ライター歴が3ヶ月しかなかった当時の私には、「靖国神社」という連載はとても辛く、毎月締め切り前は、胃がキリキリ腸がゴロゴロ、踏んだり蹴ったりな日々。徐々に連載じたいおもしろくなってきたし、引き受けちゃったんだから仕方ないというわけで、知識をつけるために書店に並ぶ靖国関連本はすべて買い込み、雑誌や新聞に載っている記事はすべてに目を通す。ない資料は図書館へ。そして靖国に毎月足を運び、そのたびに参拝(願いは基本的に恋愛関係)とおみくじを引き、常に関心は靖国にありました。今でこそ、たくさんの関連書籍、記事がありますが、2002年、03年頃はとても少なく、資料集めがとても大変でした。
過去の記事を読み返すと、ほぼ毎回、私の個人的な出来事を書いていて、少し恥ずかしい。馬にウンコされたとか、凛とした女性になりたいと言ったそばからマンホールに足滑らしてこけたとか、平和について考えながらドラゴンボールZの再放送見てるだの……。
とはいえ、やっぱりその記事ごとに当時が思い出されて、それはそれで甘酸っぱい気分になったりもします。クリスマスイブ取材後は先輩とラーメンを食べたり、みたまつりに一人で行って鬱屈してみたり、食べ物企画の時は病気になり泣きながら「ムリです。今アセロラジュースも飲めません~」といってみたり……。
思えばこの4年間で、彼氏と別れたり、結婚したり、海外に移住したりといろいろありました。この本は、私にとっては「靖国神社@奥津裕美グラフィティ'02~'06」でもあるとてもメモリアルな一冊ですが、読者諸氏にはどう写るのでしょうか。タイトルで引く方もいるかもしれませんし、内容のふざけ加減にキレる方もいるかもしれません。ですが、私が言うのもなんですが、この本すごくおもしろいと思います。ホントに。
これまで発行されたどの靖国関連書籍の中でもダントツの脱力感と読みやすさ、そして手に取りやすさ。売れ線要素のすべてを兼ね備えていると言っても過言ではないです。書店で見かけたら是非手に取って、即レジに持って行って頂いて、家に帰って読んでください。のどごしスッキリ、読後感サッパリ間違いなし。というわけで、『誰も知らない靖国神社』よろしくお願いします。

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2006年7月28日 (金)

マグロの人生を渋谷で背負う

 なんだかバタバタしていて原稿を書く気力がなくなった。こんなとき時事問題なんてもってのほか。だって難しいんだもん!

 というわけで(何がというわけかわからんが……)私の唯一の趣味であるレストランについて書こうと思う。長年にわたり、ひたすら金を脂肪とクソに換えてきた。美味しい店の話をすれば長すぎてウザがられ、たまに一緒に食事できる女性と出会ってもレストラン以外では冷たくあしらわれ、唯一の趣味なのにロクなことがない。
 でも食べずにはいられない。これが業というものだろう。悲しい……。

 まあ、ブログのネタにするぐらいならバチもあたらんはずだ。そこで、今後疲れているときにはレストラン案内を勝手に書くことにした。金曜日にレストラン案内が書かれていたら、どうか読者様も私の疲れを察してほしい。

 さて今回紹介するのは渋谷東急本店地下にある「みや武」。カウンターに6つの椅子、あとは小さなテーブルが1つあるだけの小さなお寿司屋。店の間仕切りの裏側にはショーケースがあり、デパ地下のお総菜コーナーとしてパック詰めの寿司も販売している。

 レストラン併設のデパ地下総菜屋が流行っているとはいえ、デパートの地下で寿司! 「てやんでぇ~!」ってな気分の読者も多いでございましょう。私もそうだった。しか~し反省したね。デパ地下をなめちゃいかん。一口食べて、「う、う、ウマイ」と唸っちまったもん。

「マグロづくし」2000円也で計8貫。
 メバチ、ミナミ、ビンナガ、クロと、マグロ全7種のうち4種類が、カウンターのゲタに並ぶ。スライスしたタマネギがのっているビンナガマグロも美味いが、ミナミマグロの骨に近い肉「天身」も捨てがたい。もちろん最後に口に入れたクロマグロ(本マグロ)のトロも、文句なく美味かった。

 同じマグロなのに、このバラエティーに富んだ味はどうだろう。小泉風に言えば「感動した!」である(使い回しが良くて便利な言葉です)。
 調べてみると、マグロは種類によって、生まれる場所も回遊するルートも違うらしい。海が違えば、エサだって変わる。それどころか性格まで変わる。
 痩せたマグロを太らせて出荷させる畜養現場では、ミナミマグロとクロマグロで扱いが違う。マグロを解体するとき、性格の穏やかなミナミマグロは抱きかかえて船に上げるが、クロマグロの場合は銃で撃ったり、感電させる必要があるのだと。こりゃ、味が違うのも当然だな。

 種類が違うってことは、単に生物の分類が違うだけではなく、生まれてから捕まるまでの人生(魚生?)経験・生活習慣が大きく違ってことなのだ。つまり、さまざまな種類のマグロを味わうってことは、さまざまなマグロの魚生を噛みしめるってことなのだ。
 まあ「う~ん、マグロの魚生と言われても……」という人も多いだろう。そこで人を握る寿司屋での会話を再現してみた。

「おやじさん、このコリコリした食感ウマイね」
「いや~、そうなんですよ、お客さん。オオハタは口角がウマイの。ほら、口八丁手八丁で生きていたから、よくしゃべってたでしょ。だから口の周りの筋肉がコリコリしてんだ」
「日本人男性で口角が美味いなんて珍しくないっすか?」
「そうなんだよ。1日5時間以上しゃべらないと、コリコリしないってんだからね」
「へぇ~、いやー、寿司ネタだからいいけれど、生きてたらうるさいな(笑)」
「そうだろうね(笑) はい、で、これがオオハタのトロね。脂のってるでしょ。内臓まで霜降りだから、それも後で握りますよ」
「いや、スゴイ脂。ん、んー、ウマイ。でも、普通のトロとちょっと違うね」
「お客さんツウだね。ほら、オオハタ下戸だから。ひたすら食事で脂肪蓄えたんだ。だから見た目よりしつこいんだよ」

 書きながら、すっかりマグロの人生を背負った気分である。
 脂肪を増やすために生け簀に入れられ、刑場まで抱いて運ばれたミナミマグロの気持ちを考え、黒潮に乗りアメリカの沿岸まで旅をしたクロマグロの生き様に思いをはせた。
 鰯の大群を見つけたときの興奮。時速100キロで泳いだときの筋肉のきしみ。目をつぶれば、彼らの人生が味とともに浮かび上がってくる。
「食」は「愛」であると、渋谷東急本店で深く悟った大畑であった。

 ジャック・アタリ著の『カニバリスムの秩序』(みすず書房)は、カニバリズム(食人)の習慣について次のように書いている。

「これほど永きにわたって、カニバリスムが剣呑なことでも、衝撃的なことでも、例外的なことでもなく、月並みで、しかも無くてはならず、地味で、しかも平穏なものであり得た理由がここにある。死後に食べられるという見通しは、人を戦慄させるどころか、むしろ食べられることは愛の証であると同時に、永遠の生への方途であった。アフリカや南アメリカのいくつかの部族にあっては、死の間際にある者自身が、彼の体を遺産として、部族員に割当てる。中でも、フォレ族などは、死にゆく者がどの血縁者に自分の身体を食べてもらうか指定する」

 ふむ。みや武で食べたマグロは、私の血縁者でもないので、彼から食べろと頼まれたわけではない。しかし彼の「生」はしかと受けとめたつもりだ。「愛の証」である。
 マグロのみなさん、今後とも安心して食材になっていただきたい。

 合掌(大畑)。

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2006年7月27日 (木)

最悪の新企画をご紹介

編集長:「編集部の女の子」の週のアクセス数が少ないじゃないか
宮崎:すいません。(内心:アクセス数は気にしないといってたのは誰?)
編集長:この企画は君たちが「いける」といって押したんだぞ
宮崎:すいません。(そりゃいけると一番舞い上がったのは誰あろう・・・・)
編集長:Å♯♭♪†‡¶▼※〒〓◎£¢$¥♀♂¥
宮崎:すいません。(書くに耐えない悪口だ)
編集長:このブログをきっかけに『記録』の購読者を増やさねば君たちは飢え死にだ
宮崎:すいません。(やっぱり商魂だったのか)
編集長:確認しておくがこの会社のルールブックはオレだ!
宮崎:わかりました。(何も口に出していわなくても)
編集長:こうなった以上は新企画をぶち上げないと読者に申し訳ない
宮崎:わかりました。(読者への申し訳なんて考えてないくせに)
編集長:いい企画がある。やってみなさい
宮崎:わかりました。(嫌な予感)
編集長:以前に大畑に「絶対に取材に応じない人にアポする」という企画を『記録』誌上でやらせたことがある。結構評判がよかった。あれを復活させよう
宮崎:わかりました。(あれだけはやりたくなかった企画だ)
編集長:大畑も当時は生き生きと楽しんでいた。君も楽しむといい
宮崎:わかりました。(大畑さんは「あれだけは二度と勘弁」と言ってたけどなあ)
編集長:具体的には天皇陛下、愛子さま、長嶋茂雄、金正日、池田大作、オシム、東本願寺の法主、麻原彰晃、原節子、山口百恵などの絶対応じそうもない各氏に『記録』連載を依頼するんだ
宮崎:わかりました。(麻原被告にはどう依頼するんだ・・・ってそんな問題でもないが)
編集長:連載は最低6回でギャラは1回1万円。「絶対応じそうもない」感が際立って面白い。わかったな
宮崎:わかりました。(何が際立ってどう面白いんだ?)
編集長:わかりましたばかりいってないで企画の具体案の1つも出したらどうだ
宮崎:すいません。(絶句している最中なんですけど・・・・)
編集長:例えば天皇陛下には「21世紀初の象徴天皇として」、愛子さまにはひらがなで「はじめてのれんさい」、長嶋さんには闘病記、金総書記には「チュチェ思想と先軍戦略の具現化」、麻原被告には「私が沈黙する理由」などのタイトルで書いてくれるように頼み込むのだ
宮崎:わかりました。(私が沈黙する理由?)
編集長:わかったらすぐに動け。君たちは私の命令にすぐ反応しないところがあって困る
宮崎:すいません。(その命令が常にメチャクチャなんで動けないんですよ)
編集長:王貞治監督の闘病記はいかんぞ。時期尚早だ。かえって読者の反発を招く。こうした配慮を君たちもしなければならない。オレのように
宮崎:すいません。(どこをどう突くと編集長の口から「配慮」という言葉が出てくるんだ? それ以前にどっちにせよ不可能なのに)
編集長:名づけて「ミッション・インポッシブル」。これで行こう!
宮崎:わかりました。(寒い。寒すぎる)
編集長:それで万万が一にでも連載が取れたらビルが立つぞ。君の給料も何倍にもなる。オレはそこまで考えているんだ。わかっているのか
宮崎:すいません。(万万が一にでもありえない企画だから面白いと言っていたのに何やら期待している風じゃん)
編集長:だいたい君たちは発想が貧困だ。そもそもオレはこの会社を始める前から・・・・・(以下略)
宮崎:すいません。すいません。すいません。すいません。すいません。すいません。すいません。すいません。(以下同文)

というわけで小社で編集長と話すには「すいません」と「わかりました」という日本語さえ知っていればいいとわかっていただけたであろう・・・・っと今回はそんなくだらないことを書きたかったのではなく、くだらない新企画が始まる告知をするのが目的だ。
取材依頼は正式に、本格的に、本気で行う。ボツになったとしても(なるに決まっているが)その過程を詳細に報告する。編集長はそれが面白いと錯覚・・・・いや確信をもっている。近日スタート乞うご期待。(宮崎・・・・実は編集長だったりして)

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2006年7月26日 (水)

岩の坂・実在した貧民窟の現在

7月20日の記事(http://gekkankiroku.cocolog-nifty.com/edit/2006/07/post_5e3e.html)で触れた「岩の坂もらい子殺し」事件。
1933年に起きたこの凄惨な出来事の舞台「岩の坂」が実は私の家から歩いて15分ほどの場所にあると知り、さっそく訪れてみた。
といっても、もらい子殺し事件の後70年以上が経過しているわけだから、当時の面影なんてものには期待できないだろう……。そんなことを考えているうちに目的地にたどり着いた。「岩の坂」という地名は今では使われておらず、「本町」というとてもありきたりな名前になっていた。
Hi 「本町商店街」が近くにあり、むかし岩の坂だった場所には現在「坂町商店街」がある。規模としては本町商店街のほうが大きいようで、坂町商店街には商店街未満の商店街、といった表現がしっくりくる気がする。
「坂」はかなり緩やかで、歩いて全く負担にならない程度だ。そして、貧民窟としての面影はまったくない。

岩の坂で生まれ育った小板橋二郎の『ふるさとは貧民窟(スラム)なりき』には、スラムだったこの地の様子が実に詳細に記されている。1938年生まれ、つまり「もらい子殺し」の事件の5年後に著者は生まれた。
「私には、異母兄弟をふくめて五人の兄姉がいる。そのうちのだれもが、いまだに自分の出自が岩の坂にあることを口外したがらない。むろん「岩の坂」生まれが決して名誉あるものではないからだ」。
本書で紹介されている『どん底の人達』(草間八十雄・玄林社)の記述にはこうある。
「……此の岩の坂で特殊なものは乞食の群れである。タワシ、マッチなどを携え行商人を装って実は物貰いに歩く「狩り出」の輩が軒を並べ又ヨナゲ、バタヤ、ホリヤ等の拾い屋も多い」。そして、著者自身の幼少の記憶という点では、知的障害である少年が「(食べるための)赤犬を取って来い」と同じ場所に住む貧民に命令される場面から本書は始まっている。
もともと江戸時代には宿場町として栄えた岩の坂界隈だったが、明治17年ごろに上野から高崎に鉄道が通り、それが栄えていた宿場町ではなく赤羽の方を通ったあたりから、岩の坂は「火の消えたように寂しく」なってしまった。本書で紹介されている『板橋区史』では、1936年の時点で長屋が82棟、その他に木賃宿が多数あり、「不潔極まる、通風はおろか光線も入らぬような部屋」で人々が生活していたという。
今、この岩の坂を歩いても、貧民窟を連想させるものなど何もない。小さな喫茶店があり、米屋があり、酒屋がある。しかし、岩の坂から30mほど離れた場所にある焼き鳥屋の主人ははしっかりと「岩の坂」だったころの様子を覚えていた。主人は70歳。30年代生まれである。
「年寄りは今でも岩の坂って言うよ。わたしが小さい頃はね、まだまだ宿は残ってた。中には、100畳ほどの広さがある部屋がある宿があってね、そこに雑魚寝みたいにしてものすごくたくさんの人が寝泊りしてた。いちおう宿場みたいな感じでもあったから、有名なおヨネさんっていう人がいてね、手の指に竹を挟んでペチペチ鳴らして歩いてるの。それでどうってわけじゃないんだけど、それを芸にしてお金もらったりして、巣鴨あたりまで稼ぎに行ったりもしてたんだよ」
治安、という意味ではやはりひどかったらしい。体が不自由な人、ひどい病気持ちの人が大勢いた、盗みもひったくりも当たり前だった。もちろん「もらい子殺し」も知っていたが、主人は笑ったままであまり喋りたがらなかった。
そして、有象無象が蠢くような貧民窟は全部戦争で燃えてしまったのだ、と言った。
印象に残ったのは主人と隣で聞いていたご婦人が、なんだか楽しい思い出話をするように話したことだ。 どんな思い出を見ていたのか分からないが、半世紀以上も前の同じ場所、主人が思い出していた光景を、私は見ることができない。(宮崎)

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2006年7月25日 (火)

インタビューはお好き?

 今日も取材だった。某大学の材料工学の教授にお話を聞かせていただいたのだ。
 編集部に入ってから仕事として取材というものにあたるようになったのだが、今の職場に来る前はもちろん取材なんてしたことはなかった。言ってしまえば、ズブの素人がいきなり記者らしい顔をして取材をするようになったのだ。それでも、はじめのうちはかなり気合を入れて取材に当たっていたので(今はだらけるようになった、という意味合いではなく)、新人だな、などと言われることはなかった。

 さて、いざ取材をする「位置」には立ってみたが、もちろん取材の「技術」が手に入ったわけではない。取材の仕方など誰も教えてくれなかった。
 あるとき、友人と話していて、「取材のときとか、緊張しねえの?」ときかれ、「んー……、まあ…、慣れ?」などと返していたが、実は、ちょくちょく参考にしている本があったのだ(フハハハ)。

Asa_1 『インタビュー術!』(講談社現代新書)がそれだ。「哲学からアダルトビデオまで」を標榜するあの永江朗がまるごと一冊かけてインタビューのコツ(のようなもの)について書いている。インタビュー術というだけあって、本書ではどう話を聞くか、どうやって話を引き出すかが全体の内容の半分以上を占めている。
 今読み返してみると、ページのあちこちに赤線が引いてある。例えばこんな部分だ。これは、「なぜ」「どうして」を繰り返していれば取材は成立するのではないか、との見方に反する著者の意見だ。
「そもそも素人や門外漢では、なにをどう聞いていいのかもわからないし、専門家が話してくれることのどこが重要なポイントなのかも分からない。ソクラテスは自分が何も知らないということを知っていたが、素人は自分が何を知らないのかもわからない。だから仮に専門家が分かりやすく話すことが可能だとしても、その話を引き出すためには、インタビュアーにはそれ相応の勉強と準備が必要なのだ」
 分かる! 自分の失敗の原因が準備不足だったことは確かにある。専門家の話が難しいのは当たり前だが、前もってテーマとする論点を絞ることによって、話が四方八方へ拡散して収まりがつかないという最悪の状態は回避することはできる。
 本書はインタビューの鬼、永井の実体験のエピソードを交えて「インタビューってなんだろう」(第1章)に始まり、「インタビューの準備」「話をどう聞くか」「インタビューをまとめる」などで構成されている。
 当初は五里霧中だった取材も、少しは余裕を持てるようになった。しかし、いまだにこの一冊はよく読む。それは、読み物としても本書が抜群におもしろいことにもよるのだろう。
第3章の「インタビューはこう読め」では国内・海外問わず注目すべきインタビュー例が取り上げられている。
 アレックス・ヘイリーが『プレイボーイ』誌でマイルス・デイヴィスにしたインタビューが取り上げられているが、たしかにすごい。いきなりこんな質問から始まっている。
「あなたが手にしたミュージシャンとしての成功とともに、観客に対する不機嫌さや態度の悪さも話題になっていますが、それについてコメントはありますか?」ときた。
 アレックス・ヘイリーとマイルス・デイヴィスの立場的力学関係はよく分からないが、それにしても普通はこんな質問をぶつけることはできない。
 永江も本書で述べているが、雑誌で見かけるインタビューはしばしば、というかかなりの割合で、インタビューをする側とされる側の「なあなあ」の域を出ていないものだと思う。読む前から内容が分かっている、よっぽどインタビューの対象である人物の熱狂的な信者でもないかぎり、そんな記事は読みたいとも思わないだろう。
 第3章「インタビューはこう読め」を読むと、新聞・雑誌、あらゆるインタビュー記事の見方が変わるかもしれない、というより、面白くなると思う。優れたインタビューには、する方・される方の高度な駆け引きの存在によって、ヒリヒリした緊張感のようなものが走っていることに気づかされるからだ。(宮崎)

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2006年7月24日 (月)

USAヒップホップvsUK非ヒップホップ

18日にColdplayを日本武道館で観た。武道館でコンサートを聴いたのは本当に久しぶり。ちょっと驚いたのは空間に対する認識のギャップだった。「こんなに狭かったっけ」と。かつて武道館といえば大箱の代表だったのだが箱だけは近年、至るところで巨大な建物が造られている。そんなところを巡っていて久方の武道館となると以前に抱いたのとは比較にならぬほど狭隘さを抱くのも当然か。
コンサートそのものはChris Martinのほぼ独演であるが、立たなきゃ見えないアリーナはともかく1階席以上は時に立ち、時に座るという80年代以前では当たり前のメリハリの利いた視聴態度に感心した。
バカみたいに最初から最後まで総立ちというスタイルを取らないのはColdplayと同様に上品なファンが多いからかな。それとも大半を占めていた若い世代は私らオッサン世代のプレーヤー自身をも驚かす(インタビューで多くのミュージシャンから逆質問されたものだ)バカ熱狂をせず英米の正統スタイルに近づいていると判断すべきか。

ところでColdplayは03年グラミーの主要三部門の一角をゲットした大物である。三部門の常連には以前にも述べたようにU2がいる。いずれも「非ヒップホップ系」というジャンルを作るならばそれに当たる。
そして「非ヒップホップ系」でアメリカのチャート上位に食い込むのは最近では大半がUKチャートを席巻して後のアーティストである場合が多い。Coldplayもデビュー時点でのU2もそうだった。

アメリカでの例外といえばKelly Clarksonなどガールズロック軍団とWeezer やThe All-American Rejectsのような「演歌ロック」とでもいうべき存在ぐらいか。あとはとにかくヒップホップ系である。そのなかでUKをにぎわした非ヒップホップアーティストが一拍置いてチャートインしている。GorillazやJames Blunt@元軍人などだ。いずれもブリティッシュ。
You're Beautifulはトヨタ自動車のヴィッツCMでも流れていた。あのCMのために宮澤りえは免許を取ったという。もっともリコール騒動でミソをつけてしまったが。Daniel Powterはカナダ人だがUK経由でアメリカへ・・・・だったから広い意味でのブリティッシュである。
そして今、UKで鬼のようにかかっているのがGnarls BarkleyのCrazy。James BluntのYou're BeautifulのPVも驚いたが(雪の中で裸になって最後は崖から飛び降りる。さすが元軍人!)Crazyのシンメントリカルな抽象図形(投影法のインク・ブロットがモチーフか)を用いたPVも斬新。
そういえばGorillazのアニメも秀逸だった。この辺のセンスはヒップホップ系とは明らかに違う。Gnarls Barkleyのヴォーカルはラッパーらしいのだが楽曲はむしろ昔のプログレッシブをしのばせる。ふとGodley&CremeのCryを思い出した。

そしてタワレコすでに猛烈プッシュで今日地下鉄赤坂見附駅で大ポスターが貼ってあるのをみたCorinne Bailey Rae が次に来るであろう。アルバムを聴きはじめてすぐ私は反射的にRickie Lee Jonesの再来かと思った。ただCorinneは「オーガニック」の売り文句だがRickie Leeは音楽性やコケティッシュさなどは共通していてもイメージや歌詞に「オーガニック」はなかったような・・・・。ジャケ写でたばこ吸ってたし。
ジャズっぽい楽曲に腹八分目というよりやや抑えた発声でテンポよく歌うと生じる独特の軽やかさが案外とできるようでできない。でもこうした狙いは日本人でも可能と前から空想していた。英米人から笑われるに決まっている出来損ないのヒップホップもどきで受けていてもJポップ止まり。
話が飛ぶがこの線を元スピードのhiroあたりが追求してみると面白くはないか。英語を覚えてね。(編集長)

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2006年7月23日 (日)

日曜ミニコミ誌! ここが最前線・デモ活動者たち

 以前、『記録』でミニコミ誌業界の特集を組んだときに、まだまだ新しいミニコミ誌が生まれてきていることを実感した。
 といっても、大手出版社が創刊する雑誌のように「ミニコミ『○○』創刊!」といった広告が打たれることは100%ないので、ミニコミ誌が産声を上げても自分で見つけるか、あるいは人に聞くしか存在を知るすべはないのである。
 当然と言えば当然だが、ミニコミ誌を多く扱う書店の店員さんは、そのへんには詳しい。

 店員さんにいろいろ話を聞くと、やはりミニコミを発行するような人にはヘンな人が多いんだなぁ、と思う。突然見たこともない人が入ってきて「これ、絶対面白いですから!」と自慢のミニコミをドン!と置いていく。納品書もなにもなし、そしてもう2度とやって来ない。私はそのエピソードを聞いて、それは幽霊ではないのだろうかと思ったがどうだろう。
 話がそれました。何が言いたかったのかというと、店員さんに聞けばミニコミ情報がいろいろ聞けますよ、ということだ。特集記事で紹介するため、05年、06年にできたばかりの新しいものを探していた。例によって新宿の模索舎で。「最近創刊されたものはありますか?」と聞くと、「例えばコレとか、」と店員さんが手に取ったのが『抵抗者』だった。

 表紙に「【小特集】戦争国家との拮抗線」とある。買って読んでみるとかなり気合の入った内容だった。
「私たちの日常が、この戦争を支えている。にもかかわらず、反戦運動の停滞は誰の目にも明らかだ。どうすればこのような日常を揺るがすことができるのか。それは、2年前と同じやり方ではないだろう。」
『抵抗者』の執筆者たちの座談会中の文言が裏表紙に、大きな明朝のフォントで書かれてある。ここでいう「戦争」は言うまでもなくイラク戦争のことだ。
『抵抗者』の編集者に創刊のいきさつについて聞いた。自衛隊の海外派兵を阻止する活動をするうちに、なんとなく顔見知りができ、「海外派兵をやめろ!抵抗者の会」という集まりが結成された。それが2004年。『抵抗者』は「抵抗者の会」の活動を知ってもらうため、また活動の連帯のために作りはじめたそうだ。
 編集に携わるのが20代の人たちだと聞いてちょっと驚いた。文章が軽やかなものでなく「浸潤」「盲動」「瞞着」という言葉がふんだんに使われている。なんとなく30代の人たちを想像していた。
 創刊のきっかけがデモの連帯の強化という側面もあるだけに、デモに関する記事が多い。「靖国弾圧に直面して」という記事では05年の8月15日にある団体が靖国神社に抗議行動を起こしたところ、仲間が機動隊に取り押さえられ、そのまま警察署に連れて行かれた。そのことに対する抗議活動(こう書くとちょっとわかりづらいが)の顛末が書かれている。

『抵抗者』の誌面にたびたび登場するのは「ビラ」「逮捕」「占領反対」といった言葉だ。彼らがアメリカのイラク占領政策や「政府機関化」する靖国神社に対し、最前線に立って活動した記録として『抵抗者』はあるが、このミニコミの面白いところは(といっては失礼な部分なのだが)カラ元気で「活動が上手くいっているぞ」とは読者に訴えずに、「なんかうまくいってないぞ」というテーマで座談会(「私たちの『反戦』は、いま?」)が行なわれているのだ。
 なぜ自分たちの活動が停滞気味なのか、そこまでを読者にさらけだし、そして自浄作用につなげようという意思はちょっとすごい。すべての記事を読もうとすると、こちらもそれなりの気合いが必要だ。牛丼でも食いながら読めるかというとちょっと難しいかもしれない。(宮崎)
(■A5 48P 定価400円 発行:海外派兵をやめろ!戦争抵抗者の会)

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2006年7月22日 (土)

香港在住の著者より

21日の編集部ブログを読み、少し驚愕。
編集部ではよくないことが起こっているようですが、当の著者の現状はというと、家の壁が崩壊してきているだけで、他は特にありません。
これまでを振り返ってみて、怪奇現象か!と思えるようなことといえば、靖国で縁結びのお守りを買った直後に、当時の彼氏と別れてしまったくらい。それ以外は特にありません。8月15日英霊の日を前に、靖国周辺が慌ただしくなってきているようですが、香港に住む私といえば、靖国からほど遠い環境の中でのんびりと暮らしています。「誰も知らない靖国神社」が8月5日刊行。どうぞご購入くださいませ。よろしくお願いします。(奥津裕美)

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2006年7月21日 (金)

靖国神社の英霊が怒った!? 怪奇現象ぞくぞく

 梅雨も明けぬうちに熱帯夜に襲われ、夏本番を前にすでに息も絶え絶えという読者も多かろう。そんなときに有効なのが、ご存じ怪談話。
 本誌編集部で実際に起こった奇怪談でゾーッとしていただきたい。

 コトの起こりは8月5日発売の『誰も知らない靖国神社』掲載の写真だった。『記録』で使った写真の写りが悪く、単行本用に靖国神社のお守りを4つほど買ってきて撮り直した。編集部の机にお守りを並べ、デジタルカメラで撮影する。ここまでは何の問題もなかった。
 ところがコンパクトフラッシュに保存した写真データが、どうしてもコンピュータに移せない。さまざまなコンピュータで試すもダメ。こんな不具合が起こったことは一度としてなかったのに……。コンパクトフラッシュやコンピュータが故障しているわけでもない。結局、1時間ほど試していたら、偶然なのか何なのか、いきなりコンピュータがデータを読み始めた。

 それから10日ばかりたったころ新たな問題が発生した。イラストレーターからメールで送られてきた靖国神社の地図が開けないのだ。最初、アドビ社のイラストレーター形式で送ってもらったら、すべてが文字に化け。仕方がないので、HPからダウンロードするサービスを試したがこれもアウト。ならばとネットでもよく使われるPDF形式にしたら、これもダメ。上がりだけでも確認したかったので、写真の形式である「JPEG」で送ってもらったが、これも文字化けする。編集部内にある他のコンピュータでも見られないときた。
 このイラストレーターさんは2日前もメールでイラストを入稿していたという。それなら当社の社内ランの具合が悪いのだろうと印刷会社に送ってもらったが、ここでも見られない。結局、改めて圧縮をかけて送ってもらったら、なぜか開けた。
「もう10年以上フリーのイラストレーターをやっているけれど、こんな事故は初めてだよ。こういう事故あると信用なくすから、けっこう気を遣ってるんだ」
 学生時代からの友人でもあるイラストレーターはそう話した。気の弱い几帳面な男である。彼の言葉に嘘はないだろう。ちなみに小社に送った後、試しに友人に同じデータを送ってみると、きちんと開けたそうだ。

 だが、問題はコレでは終わらなかった。ウィンドウズで開いた地図データを私のUSBフラッシュに読み込み、マックに移そう差し込んだら「このUSBは使えない」と警告が出たのだ。いつも同じ用途で使っているUSBなのに! 結局、別のUSBフラッシュで移すことになった。
 さすがに気味悪くなり、USBフラッシュに入っている靖国の地図を削除した。ところが選択して「Delete」を押すと、「ファイル削除の確認」が画面に現れ通常通り削除されるのに、別のフォルダーなどを開いて、地図のあるフォルダに戻ると消したはずのファイルが出現する。バイト数0キロバイト、アドビ社のフォトショップ形式の「yasukuni map」データがどうしても消えない。ドキドキしながら、このファイルを開けてみると真っ白な画面が現れた。さすがに見るのも嫌になり「幽霊」というフォルダーを作って放り込んである。
 ちなみにUSBに警告を発したマックは、この数日後『誰も知らない靖国神社』のデータを開けようとしたときに固まり、買って以来初めて「爆弾マーク」を画面に映し出した。理由はわからないが、マックにとって大きな危機が訪れたということだ。

 そのマップの騒動から2日後、関係会社の人から奇妙な話を聞かされた。新入社員が入ったので社員6人で靖国に参拝に行き人数分のお札を買ったら、なぜか1枚多くくれたのだと。その余分なお札を見て、関係会社の社長さんが「大畑さんにあげましょう」と言ってくれたというのだ。
 まあ、靖国神社の本を出版すると知っていたので、私のことを思いついたのだろう。しかし当社の社長でもなく、著者でもなく、奇怪な現象が起こっているさなかに編集者の私に靖国のお札というのも……。
 いずれにせよ、私の手元にいきなり靖国神社のお札が届くことになった。

 最後の怪談は昨日起こった。
 図書館などで原稿を打つ際に使っていたノート型のコンピュータに、「消えない靖国の地図」が入ったUSBを差し込んだらエラーが表示され固まってしまったのだ……。再起動するとエラー修復が始まり、「物理的なエラーが発生しました。ハードディスクが壊れるサインです。データをうつしてください」だと!?

 オイオイ、頼むぜ。USBが物理的にノートPCを破壊したのか。物理的ってなんだ~!!!!!

 先日、友人の霊能者にこの件を聞いてみたら、靖国神社にお祓いに行くように、と言われた。英霊が怒っているというわけではないが、挨拶は要求されているらしいです……。
 まあ、戦前生まれだし、礼儀には厳しいか。お祓い行ってきます。
 というわけで本を買ってください(笑) 8月5日発売です。(大畑)
Photo_28  

こんな画像を宣伝用に作ったからヤバかったの?
ちなみに靖国神社で12月24日サンタを見つけたイメージ画像ッス

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2006年7月20日 (木)

畠山鈴香と漱石と岩の坂もらい子殺し

(背負っている6歳の子どもは)「重いかい」と聞いた。「重かあない」と答えると「今に重くなるよ」と云った。(親は)「だからおぶってやるからいいじゃないか」(というと子は)「おぶってもらってすまないが、どうも人に馬鹿にされていけない。親にまで馬鹿にされるからいけない」(と答えた)。何だかいやになった。早く森へ行って捨ててしまおうと思って急いだ。(親は)分っては大変だから、分らないうちに早く(子を)捨ててしまって、安心しなくってはならないように思える。ただ背中に小さい小僧がくっついていて、その小僧が自分の過去、現在、未来をことごとく照して、寸分の事実ももらさない鏡のように光っている。しかもそれが自分の子である。(夏目漱石『夢十夜』より。一部補充および現代仮名遣いに変えた)。

畠山鈴香容疑者がわが子彩香さんの死との因果関係を認めたとの毎日新聞大スクープ(おめでとう)を読んだ瞬間にずっと昔に読んだ漱石の冒頭作品を思い出した。それが殺しであったとの続報を読むたびに関連性を痛感して仕方がない。
鈴香容疑者の供述が二転三転している現在、断定は禁物とわかった上でなお推察する。鈴香容疑者は9歳のわが子を「おぶってやるからいいじゃないか」ぐらいで育てた。それを批判する気はない。親は本来その程度でもよかろう。
犯行現場の橋に連れて行って魚を見せようとしたが見られずに彩香さんが「だだをこねた」のに「いらいらした」と報道されている。「だだをこねた」は「親にまで馬鹿にされるからいけない」と鈴香容疑者には聞こえたか。それで「何だかいやになっ」て「捨ててしまおうと思って急いだ」と。その伏線に「重かあない」と答えていたものの「今に重くなる」との予感があったのかも知れぬ。

何よりも彩香さんの存在が「自分の過去、現在、未来をことごとく照して」いたのは間違いあるまい。彩香さんの出産1年前に米山豪憲君殺害の現場にもなってしまった藤里町の町営住宅に越してきて結婚。出産まもなくして離婚。小学校にあがった頃に自己破産して生活保護世帯となる。乱れた生活振りも伝わる。
そのすべてをそばにいて「ことごとく照し」ていた彩香さんの目は本人が意識していなくても「鏡のように光ってい」たであろう。それが「いやになった」としたら十分に殺意へと転換する動機になりうる。

彩香さんの死から豪憲君殺害までの鈴香容疑者の不可解な言動はここでは触れない。しかし秋田県警の鈴香容疑者と同程度に不可解な捜査や記者会見内容に接すると嫌な感じがする。取材の一線にいない私でさえ「味が悪い」感触を持つのだから現場の記者は相当に首をかしげていることだろう。
実母を真っ先に疑うというならばわかるが「(実母が)まさか殺害しているとは思わなかった」との発言や「事件事故両面」の捜査がいったんは事故で片づけようとした経緯。事故を事件と疑うのではなくその逆だった。良し悪しではない。そうしたメンタリティーがサツにあるのかという疑問が解けない。アッと驚く展開はまだありそうだ。

2005年の国勢調査で2000年からの人口減少率が最も高かった秋田県。鈴香容疑者の生まれた旧二ツ井町や藤里町も人口減少と高齢化が進んでいた。二ツ井町が合併した能代市もかつては中核都市の趣があったが今や市自身が対策に乗り出しているのでもわかるようにシャッター商店街を始めとする衰亡が著しい。東京駅から計算すると能代市は空路を用いても札幌、鹿児島、那覇よりも到着までの時間がかかる。

1933年、世情を騒然とさせた「岩の坂もらい子殺し事件」が発覚した。東京都区内の通称岩の坂集落に蝟集して「こじき」などギリギリの生活を送っていた人々が身の不始末で表に出せない赤ん坊を養育費付きでもらい受け、その大半を死なせたとされる。極貧の岩の坂住人は世間相場からすれば大した金額ではない養育費に欣喜雀躍してドンチャン騒ぎを繰り広げたと当時の報道にある。
死んだ赤ん坊は数十人ともみられる。岩の坂集落の住民にとって「こじき」「よいとまけ」と蔑まれる不快感と極貧で自暴自棄となる道筋のなかで自分らより弱い存在であるはずのもらい子という名の事実上の捨て子の命を顧みなかった。

私は藤里町を岩の坂集落と同一視しているわけでは断じてない。そう推測させる事実も微塵もない。鈴香容疑者を除く住民は善良に違いない。
ただ鈴香容疑者に限ってはどうか。離婚、自己破産、生活保護に加えて伝えられる自暴自棄の生活が本当であるならば周囲からの視線を蔑みと勝手に解釈して憎悪を募らせ、子ども保険程度の低額の遺族保険が岩の坂の養育費のように感じたとしたら。そして外部要因である人口減少や高齢化が衰弱や絶望を間接的に助長したとしたら。鈴香容疑者は貧困の一方で散財も伝わる。
実子ともらい子の違いは大きく比較に飛躍があると我ながら思うが自分を唯一頼みとする子どもの命をあっけなく奪う精神構造を探っていくよすがにならないかと。

生活保護を受けている母子家庭は多い。それは無論母子家庭の生活が一般に厳しいがゆえの当然の公的扶助である。だが鈴香容疑者に限っては今となっては彩香さんの親権主張が生保の手段だったのではとの疑いを払拭できない。岩の坂でかろうじて死を免れたもらい子の多くが「こじき」の哀れみを買う小道具として使われたように。

「悲劇の母親」の役回りも鈴香容疑者の精神に何らかの変化を与えたかもしれない。志賀直哉の『正義派』は思わぬきっかけで「正義派」と称えられた市井の高揚と戸惑いを描いたが鈴香容疑者も実は自分の犯行ながら当初「悲劇の母親」として当たったスポットライトに酔ってしまったのかもしれない。
どん底状態と無関心のなか突如浴びた注目に高揚し、その状態を保ちたいがための自作自演をエスカレートさせた結果としての豪憲君殺害としたら彼女のとった彩香さん死亡以降の不可思議な言動も多少は合点がいく。むろんそれで罪が減じられるはずもないのだが。(編集長)

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2006年7月19日 (水)

小誌から有名作家登場か!?

Photo_26  書誌で連載をお願いしている塩山芳明さんが、自著・『出版業界最底辺日記 エロ漫画編集者「嫌われ者の記」』(ちくま文庫)を編集部に届けてくれた。1996年に刊行された単行本に最近の日記を加え、ちくま文庫から出版したという。
 いや、めでたい!
 98年4月号から連載をお願いしいたから、もう8年ものお付き合いになるが、もっともっとメジャーになり小社からも売れる本を出版してもらいたい、と陰ながらというか公然と応援している作家の方なのだ。

 しかし彼の書評となると、ちょっと難しい。
 ほめたら「何言ってだ。嘘くさいこと書きやがって」と怒られるだろうし、けなしたら小誌よりもこのブログより、はるかに影響力のあるホームページなどで徹底的に反撃されるだろう。その一方で塩山さんに「イジラれたい」てな願望もあったりするから困る。
 かつて塩山さんの編集している雑誌で、私の声がひっくり返る様子を「飛行機野郎」と書いてくれたことを思い出した。これがけっこう気持ちイイの。何でだろう。罵詈雑言が嬉しい。
 塩山さんに「これだけ悪口を書いていて、名誉棄損で訴えられませんか?」とたずねたことがある。それに対して「いや、大丈夫だよ。文句言われたことないから。コツがあるんだよ」と答えてくれた。たしかに「コツ」があるのだろう。本書でも、どの伝統芸のごとき罵詈雑言は健在だ。例えば飯田橋近くにある立ち食いそば屋について、次のように書く。

「もう一つの魅力が、男女を問わぬ従業員の質だ。全員眼光が鋭く、喜怒哀楽の表情変化が瞬時。控え室のロッカーにゃ、絶対貴重品は置けない雰囲気だ。経営者が、更正事業に理解を!? 今日も帰り際、ガラス戸を磨いていた白い割烹着のおばさんが『ありがとうございます!』言葉と裏腹な目付きに既視感」
 こんなそば屋あるよな、と笑った後に思った。スゲェー! よく見ているよな、と。

 日記であるから、そこに描かれているのはエロ漫画編集者としての日常生活と、大量の本(ディケンズや花田清輝を読みながら『日刊ゲンダイ』、『週刊新潮』、『AERA』などなどの雑誌・新聞まで目を通すらしい)と映画の映画の批評が満載となっている。
 もちろん通常の文芸批評の枠組みに収まるような書き方ではない。
 例えば『壊色』(町田康 著)については、「二章の『まだ時間どおりに来やがらぬ』は傑作。チンポの皮を根本までむかれ、天日干しされてる様な、ヒリヒリする面白さ」と。
 やっぱりスゲェー! ほめてるのにコレかよ(笑) 

 出版界の最下層と自らが呼ぶエロ漫画編集者の筆は、笑いとともにあらゆるモノを斬りつける。特に権力者には手厳しい。ただし本気で怒らせない程度に。
 弱者がケンカを売るのはけっこう怖い。自ら小さな出版社で働き、社会問題系(?)の月刊誌の編集部に所属しているから、その怖さは身にしている。そんな怖さを振り払い、自ら編集するエロ漫画やホームページで罵詈雑言を浴びせる塩山さんの姿に、正直ちょっと惚れちゃったりしているのかもしれない。
 こんなこと書いたら「気持ち悪いよ!」と怒られそうだが……(もともとゲイには人気らしいしwww)。

 でも、今回は怒られてもいいのだ!
 徒手空拳で独り筆をふるってきた男の本が、川端康成や金子光晴の本と一緒にちくま文庫に収まったんだから。売れたらウチの原稿も売れる本に化けるしな!(大畑)

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2006年7月18日 (火)

『誰も知らない靖国神社』発刊

やっとのことで『誰も知らない靖国神社』発刊の目途をつけた。おそらくは8月上旬には全国書店に並ぶはずである。副題は「通いつめたり5年間」。カバーにはびっくり仰天している大村益次郎像をフィーチャーしたイラストを置いてみた。
冒頭は以前にもこのブログで紹介した霊能者による英霊の霊視である。靖国に英霊がいなかったら大変だとの問題意識で大まじめに取り組んだ。霊能者が実名で出せないのが残念だが先生いわく「そんな企画で実名が出たら命にかかわる」とのこと。どの世界にもタブーはあるわけだ。

第1章は「ご利益」に関わるネタを並べてみた。まずはおみくじ。公正を期す?ために靖国のみならず明治神宮、大国魂神社、湯島天神、氷川神社の計5社のみくじを引きまくって「傾向と対策」を割り出してみた。
その結果として靖国はある点で確実なぎ利益が期待できる点や庶民的な面を紹介できた。みくじ製作は外注でシェア6割を握る恐るべき企業があるのも判明した。
正月の「福引き」は豪華景品に着目。「お守り」は携帯ストラップタイプの「開運 さくらまもり」にご注目セグメントもしっかりしていて「こどもおまもり」まであるなど熱心に分類してみた。「絵馬」では願掛けの内容を子細に追求した。「ECCジュニアがうまくいきますように」など鬼畜米英で散華した英霊にはどうかという内容から「三等海曹合格」など「そうでなくっちゃ」という願に至るまでテキパキと。
しかも靖国の絵馬には品切れ時期があることまでわかった。
クリスマスイブにも張り込んでみた。当然ながら無視の靖国に対して参拝者は意外にも・・・・。極めつけは益次郎像に現れたサンタクロースの正体だ。

第2章は「英霊を拝む人、愛する人、いじる人」を特集した。冒頭は戦後60年8月15日の靖国で起きた24時間ルポ。右さんの『チャンネル桜』から左さんの『しんぶん赤旗』まで総結集の狂騒曲をお聴き下さい。
次は掲示板で毎月公開される遺書の内容を分析した。一般にすごいとされる遺書の文言の背景に迫ったつもりだ。坂の上にあって高齢者が多く訪れる靖国のバリアフリー化にも言及する。そこに集う高齢参拝者の感想からわかったことも載せた。番外編としてシンガポールの英霊を海外で捜索。

第3章は「靖国ビジネス」。「桜うらら 花ゴーブレット」「靖國銘茶」「海軍カレー」「横須賀ドッグ」「おでん」「ソフトクリーム」などあらゆる靖国名産を食べまくり味わいまくる。最近は毎週となった青空骨董市では掘り出し物を見つけむと目の色を変えてみた。
「英霊にこたえる会」作成のカレンダーは月別に詳報。靖国名物の桜が東京の開花日の基準となっている謎も解明した。

第4章は何といってもモニュメント。世界一の大鳥居を初めとする4つの鳥居の違いはご存じですか?それ以前に赤い鳥居がないってことは? 益次郎像はさまざまな観点から激写してみた。あまり知られていないことで靖国は人以外にも馬、鳩、犬ら動物が祀られている。その理由の一端を紹介すると同時に600羽はいるはずの白鳩をふだん滅多にみかけない理由を追った。もちろん遊就館の展示物もカルトにご紹介。

最後の5章の大半を示すのは実は靖国最大のイベントである「みたままつり」。浴衣ギャルが益次郎像を囲んでの大盆踊り大会や針金を通す芸などが見られる見せ物小屋。懸けぼんぼりの意外な記載。いまや貴重となった故橋本真也が「破壊王橋本真也」と記名したかけ提灯も写真でお見せする。そしてクライマックスがつのだ☆ひろコンサート。

この本が出てからまもなく日本は小泉純一郎首相の8月15日参拝問題で大揺れに揺れよう。賛成派も反対派も怖い顔、難しい顔、厳しい顔などを作らなければならない・・・・というのは違うのだ。本当の靖国って実は庶民に親しまれているアミューズメントパークなんだよと紹介したいというのが主旨である。
定価は1400円。売れたら品切れとなり売れないと絶版になるという零細出版ならではの相変わらずの特攻戦術で敢行・・・・じゃなくて刊行する。確実に手に入れたければ小誌までメールを下さい。配達料がかかってよければ直接お届けします。そうでなければ最寄り書店で手に入るよう手配します。煽っているって?煽っています。身もフタもウイットもなく申し上げます。買って下さい。(編集長)

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2006年7月17日 (月)

禁煙ブーム・JT社員たちは何を思う?

今月1日からたばこ税がまた値上げされた。チェーンスモーカーの知り合いはカートン買いでちょっとでもお金を浮かそうという健気さを示したが、どこかの新聞には、これを機会にタバコをやめるという男性の声も出たりしていた。ただ、それでも日本のタバコの値段は他の先進諸国と比べてかなり安い。アメリカ、フランスでは1箱600円以上、イギリスはなんと1000円近く(!)もする。こうしてみると20円の値上がりでまだよかったという気さえする。
喫煙者がタバコをやめる理由にはどんなものがあるだろう。周囲の人も含めた健康のため、という人も多いだろうが、昨今至る所で吹き荒れる嫌煙の嵐、これを理由に折れる人も相当多いと思われる。要するに、バツが悪くなって、というやつだ。窓の外に追いやられていたホタル族が生きづらさを感じて、ひっそりとタバコのみとしての生命を終える……、それはどことなくもの悲しい光景である。

ここで気になったのが、現代ではウラミを引き寄せるような存在となってしまったタバコを製造するJTの社員はものすごーく肩身の狭い思いをしているのではないかということだ。キリスト教弾圧下での宣教師の立場にも似たJT社員は、この嫌煙体制において仕事へのモチベーションなど保てるのだろうか? また、自社商品であるタバコが存在から否定されるという状況についてどう思うのだろう。

この疑問を直接JTにぶつけてみた。質問状を出したところ、2日ほどで回答を頂くことができた。質問の内容をそのまま記載する。

1) 数年前から全面禁煙の駅ができるなど禁煙の流れはますます加速しつつありますが、この流れがJT社員様にとって「肩身が狭い」思いに至らせることは(正直なトコロ)あるでしょうか。
2) また、この禁煙ブームは実際としてJT様の自社商品を否定することも意味しています。どの業種・職場においても自社商品には誇りを持ちたいのが人のココロというものでしょうが、JT様は「自社商品が否定される」ことについてどうお考えでしょうか。

2つの質問は1つの回答にまとめられた。回答は、次の通り。

「たばこの煙は時としてたばこを吸われない方にとって迷惑となり、またマナーをわきまえない喫煙は社会の迷惑となることから、当社としては、たばこを吸われる方、吸われない方とが共存できる社会の実現のため、公共の場所などにおける分煙化の推進が必要であると考えています。その実施にあたっては……」

読んでいて気づかれた方は多いと思われるが、質問と回答がかなりズレてしまっている。
「……」の後にはどんな対策をしていくべきかが書かれてあったが、やはり質問とズレている。質問書の文面だけではなく、受けていただく際にも趣旨を説明したから読み間違いはありえない、要するに答えづらかったということだろう。こちらとしては「苦境に立たされた者の人知れぬ吐露」のような内容を期待していたから、ちょっと残念である。回答を頂いたことには感謝するが、いかにも役人を思わせる回答の文面には国の機関だった頃の面影を垣間見た気がする。

また、タバコのパッケージに関する質問もさせて頂いた。JTが運営する「タバコと塩の博物館」にはタバコの箱が展示されていることからも、箱が観賞品・美術品としての価値を有することは疑いの余地がない。少なくともJTにとってはそうであるといえるが、一方で2005年7月以降、出荷されるすべてのタバコの箱には面積の30%以上の「注意文言」を表示しなければならないと義務付けられている(文言は8種類もある)。この点はどうだろうか。洗練されたデザインに、「これを吸ったら死ぬ」という意味あいの文言を載せなければいけない心境。正直なトコロが聞きたい……のであるが。以下が回答。

「デザインはマーケティング上非常に重要なものであり、たばこのパッケージも、人々に親しまれながら、時代や世相を反映し、歴史的資料としても貴重です。一方で、注意文言は、大人のお客様が喫煙するかしないかを、ご自身で判断して頂くための情報提供として、大変重要なものであると考えております。」

コンプライアンス、というやつである。やはり歴史的資料として重要との認識であることは分かったが、本音は聞くことができなかった。
この質問を通して、社会的な立場としては決して「善」とはいえないJT社員のナマの声を聞きたかったが、それはできなかった。しかし、苦しい立場であることを何よりも物語っている事実がある。JTが04年度に行なった希望退職者の募集に、なんと全社員の3分の1以上が応じたという出来事だ。40歳以上59歳以下の社員が対象に行なわれ、退職金が3000万円も上積みされたこともあるが、去った社員たちには生活設計の観点意外にも「この業界は斜陽だ」と感じ取っていた部分もあるのだろう。

禁煙ブームは世界同時進行的な流れだから、とどまることはまずないだろう。嫌煙、健康、多いに結構だが、その裏側ではJT社員のどんな胸の内があるのやら。本音でいこうよ、本音で。JT社員の心境を知ってもらえたら、少しは硬直的な嫌煙体制も変わるかもしれないのに。それとも、斜陽のひと時を楽しんでるとか…、うーん、それはなくね?(宮崎)

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2006年7月16日 (日)

日曜ミニコミ誌! 環境NGO発・行動する人たちの声を聴け

Tane 『種まき』は環境NGO「A SEED JAPAN」がその活動をより多くの人に知ってもらうために作っている冊子だ。
1992年にブラジルのリオ・デ・ジャネイロで行われた環境と開発に関する国際会議「地球サミット」に若者の意見を届けるため、世界で約50ヵ国70団体がまとまり「A SEED国際キャンペーン」が行われた。「A SEED JAPAN」はその日本の窓口として91年に誕生した。以来、環境問題を中心に活動を続け、今日に至っている。

実際にどんな活動をしているかといえば、例えば「ごみゼロナビゲーション」である。94年から毎年行っているものだから中心となる活動のひとつといっていいと思うのだが、これは一般からスタッフを募集し、「フジロックフェスティバル」のような大規模な野外イベントで環境対策活動をし、ごみゼロを目指すというものだ。私はまだ「フジロック」に行ったことはないが(そのうち行きたいと思ってるんです)、「rockin'on JAPAN」に毎年フジロックの特集が組まれているのを目にしているから雰囲気は何となく分かる気がする。野外イベントで次々とアーチストが現れ、右手を突き上げたり激しくバンクする群集を横目にせっせとごみゼロを目指すスタッフたちの姿を想像すると(あくまでイメージだが)シンプルに「エラいなー」と思ってしまう。エラいなーとは思うが、では自分が早速その活動に参加しようと思うかというと、正直いって思わない。なぜかというと、今風の言葉でいうと金銭のみではなく時間的、体力的な「コスト」がかかる、要するに生活との折り合いがつかない。得るものはそりゃあるだろうが(ん?では折り合いがつけば参加するのだろうか?)。
しかし! 『種まき』編集部の鈴木さん(A SEED JAPAN 事務局長)によると、そんな低くないコストを承知の上でなんと年間1500人という膨大な人数がごみゼロ活動に参加しているらしい。まさかこんなに集まっているとは思わなかったからさすがに驚いた。フジロックなどのフェスに参加できるという理由から活動に加わる人は多いが、参加してもらったスタッフたちにはしっかり「エコの考え」を持ち帰ってもらうのだという。

「A SEED JAPAN」にはごみゼロのような手の届く範囲の活動以外にも、さらに巨視的なアングルで環境問題を捉えようという意識がある。『種まき』の誌面にはそれがよく現れている。
4月号の特集「今さら聞けない?環境問題」ではごみ問題、森林破壊問題に触れているが、メインとなっているのはWTO(世界貿易機関)やIMF(国際通貨基金)、ODA(政府開発援助)といった世界規模の機関のあり方についてのトピックだった。つまり、経済や実質的にさまざまな活動を規定する機関の存在を切り離しては、環境問題をはじめ現代の問題を論じることはできないといった澄んだ信念のようなものがそこにはある。これはとても重要だ。要するに、エコだ、クリーンだ、共生だと声高にノタマっても、カネや制度を視野に入れない限りそれは机上の何とかにすぎないという現実である。『種まき』を読んでいて、環境のみならず社会問題全般に本気で関わろうとするならば、現実的にどんなことを知っていなければならないのか、考えなければならないのかを改めて思い知らされることがあった。

電話に対応していただいた鈴木さんは大学生の頃から環境、農業、貿易などに関心があった。シアトルのWTO閣僚会議をきっかけに貿易と環境・南北問題について関心を持ち、初めて「A SEED JAPAN」にコンタクトをとった。今は専属のスタッフとして働いている。「世間一般の人たちの環境問題にたいする関心は高まってきていると思います。もう少し問題を構造的な視点を持って考え、日常で行動するようになれば、もっと社会は変わっていくと思う」という。
『種まき』の製作にあたってのおもしろい点といえば、企画を練る段階から印刷所に放り込むまで、95%の作業をボランティアスタッフで進めているということ。この時点で、ミニコミ誌の宿命である人件費問題からはかなり自由になっているといえる。スタッフは環境問題に興味がある学生からプロの編集経験がある社会人までいろいろ。イラストレータで割り付けされた誌面がとてもきれいだったので、ほとんどボランティアだと聞いて驚いた。
自分たちの活動と『種まき』が、一般の人たちにとって実際の行動につながるきっかけになればいい、と鈴木さんは言う。私もそう思う。なお、同誌は古紙配合率100%の再生紙で作られております。(宮崎)
(■『種まき』購入先 http://www.aseed.org/shop/index.html
■A5 36p 定価300円 隔月発行 発行:国際青年環境NGO A SEED JAPAN)

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2006年7月15日 (土)

大学での語学・インドネシア語

Selamat pagi.

聞いたことがあるでしょうか?
大学は今、試験と課題の季節です。
昨日はインドネシア語の試験でした。
上記の一文は、インドネシア語の「こんにちは」です。
フランス語やスペイン語に比べればマイナーな言語ですが、時制がない、敬語表現がない、目的語や所有格などの格変化がないなどの特徴をもっているため、比較的学びやすいです。
その背景には、多くの島々と民族からなるインドネシアという国を一つにまとめる役割を担ったからという事情があったようです。
もう少し語彙を増やして話せるようになったら、ぜひインドネシアを訪ねてみたいと思っています。 (M)

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2006年7月14日 (金)

世田谷一家殺人事件の犯人たちを追いつめたもの

「クリミナル・グループ」という言葉をネットでよく見かけるようになった。外国人の犯罪集団のことを指す。その発端となったのはベストセラー『世田谷一家殺人事件 侵入者たちの告白』(齊藤寅著/草思社)である。
 本書によれば、クリミナル・グループはアジア系の留学生を中心とした集団であり、インターネットで連絡を取り合い、金だけを目的として残忍な犯行を繰り返すという。しかも2000年末に東京都世田谷区で発生した一家惨殺事件が、同グループによって引き起こされたとされる。

 家中に血が飛び散っていたのに、犯行後にアイスクリームを食べ、インターネットに興じた犯人に当時多くの日本人が震え上がった。その犯行が恨みではなく、金が取れそうだという情報に踊った外国人によるものだと説明されれば恐怖は倍増する。いつ何時自分が彼らの標的になるかわからないからだ。

 この本を読んで、ついにそんな時代が来てしまったかと感じた。じつは1997年に1人のイラン人から私は警告を受け取っていた。

「自国で日本人に会ったら絶対に殺してやるって、みんな言ってるよ」と。
 
 ピルザン・マンスルと出会ったのは96年1月だった。まだ上野公園でイラン人が偽造テレホンカードを売っていた時代だ。彼は穏やかで善良なイラン人だった。米国の大学院を卒業し、5ヶ国語を操る知識人でもあった。86年に来日、大手の財閥系エレベーター会社に勤め日本人女性と結婚。しかし離婚したことで状況が一変する。ビザがおりなくなったのだ。日本には仕事もあり、友人もいる。それなのにビザが許可されない。離婚したという理由である。

 それでも彼が母国に一時帰国できたなら、これほど話が複雑になることもなかったろう。彼は兵役を無視して海外の大学に進学し、果てはイランの「敵国」である米国への留学を果たした。そんな彼が母国に帰ったらどうなるのか、想像するだに恐ろしい。イランが人権に配慮した国とは彼も僕も思っていなかったから。

 結局、彼はオーバーステイを選択した。避けられない選択であろう。ただし法律違反には違いない。会社をクビになり、住む場所を失い、新規の銀行口座すら開けなくなった。
「皿洗いとしてでさえ、日本には受け入れてもらえない」
 彼は離婚後の生活をそう回顧した。
 仕事は変造テレカの販売しかない。上野署管轄で偽造カードを売って捕まっても自宅に帰ることができるのに、一歩でも御徒町署管轄に踏み出して捕まれば母国に強制送還されるという理解不能なルールの中で、彼は生きるために偽造カードを売った。朝から晩まで働いても月10万円にも満たない稼ぎである。語学力を生かし警察署で通訳の手伝いまでしたことのある男が、離婚によって「お尋ね者」となってしまったのだ。
 私はその話を聞いて憤慨した。せめて路上販売から救い出したかった。そこで、イラン人仲間に教えている英語を日本人にも教えるようにアドバイスした。まず自分が最初の生徒となり徐々に友人を紹介していく。悪くない考えだと思った。
 だが、それは浅知恵だった。日本人の僕が彼に会いに来る姿を見て、警察は麻薬の売人だと勘違いしたらしい。彼を逮捕した。理由はオーバーステイ。売人の疑惑は晴れたが、目障りな「外人」を野に放つほど警察は優しくない。入管の収容所に彼をぶち込んだ。しかも逮捕時に通訳さえつけず、所持品の放棄を命じる漢字だらけの書類にサインまでさせたのだ。漢字を読めない彼は24時間一緒にいた子犬を警察に渡したという。「警察署員が犬は飼ってあげるから安心しろって言ったんだ」。そう僕に訴えたが、実際は彼の手を離れた数時間後に、犬は保健所へと収容されていた。
 犬が殺されたことを理由にハンストを決行したり、歯医者にかかれない苛立ちから体を壁に打ちつけ歩けなくなったりと、彼は入管収容所でも抵抗を続けた。私はたびたび面会に行き彼を慰め続けた。その度重なる面会で言われたのが、上記の言葉「日本人に会ったら絶対に殺して」やるというものだ。
 
 結局彼は収容所の劣悪な環境に耐えられず、強制送還まで待てないから渡航費をもらえないか、と私に頼んできた。母国の状況を考えれば死をも覚悟した言葉である。彼の意思を再確認し金を渡した。でも、たしかに帰国したはずなのに、それから手紙の一本さえ来ることはなかった。収容所からは英語の手紙が何通も来ていたのに……。

『世田谷一家殺人事件』にはクリミナル・グループに入る外国人の気持ちが詳しく書かれているわけではない。そのためだろう。中国人や韓国人の受けた反日教育が犯罪につながっている、といった記事をネットで書いている人もいる。
 しかし、おそらくそれは違う。
「米国人でありさいすれば英語の先生として簡単に就労ビザを得た例をたくさん知っている。ところがイラン人となると、最も教養の高い層ですらビザを持てない。いてもごく少数だろう。人種差別は日本にもあるのだ」
 96年2月号の『記録』に掲載したピルザンの言葉だ。この「イラン人」を中国人や韓国人やベトナム人に変えることもできる。

 欧米以外の外国人を私たちは軽蔑し、彼らの恨みを積み上げてきてしまった。時間は元に戻せない。
「大畑さん、可愛いでしょ、この子犬。奥さんの名前つけたんだ。だからいつも一緒にいるの。ジャンバーの中に入れて一緒に偽造カードを売るし、一緒に布団で寝るんだ。そうすると寂しくないからね」
あの知的で温和な僕の友人を、多くの日本人が追い詰めた。そこから10年をへて、今度は犯罪という形で日本人が追い詰められている。彼を追い詰めた1人でもある僕は今も昔も無力だ。
 情けない。心からそう思う。(大畑)

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2006年7月13日 (木)

2010年W杯にむけての秘策

プロフィールに「趣味:サッカー」と書きながらW杯にほとんど触れていなかったのは日本代表がダメだと最初からわかっていたのにわが国の惰民が「行けるぞニッポン」一色になっていたから。私は周辺にはずっと前から「日本は3敗」と予測を述べていたが書かなかったのは惰民の反発が嫌だったせいである。
怖じたのかって? その通り。他ならばともかくサッカーごときでギャーギャー惰民に揉まれるのはゴメンだ。
惰民が目覚めるのは原爆が落ちて敗戦の詔勅を聞いてからである。それ以前に何をいってもムダなのは今も昔も同じだ。あらゆる意味で「横綱」のコードネームを贈りたいブラジルのロナウドによる2発の原爆でわかったろう。で、まともな話をまともでない提案で行いたい。

1)バティストゥータを帰化させる
それで日本のFWを任せるのだ。FIFAの規定でバティが日本代表になれないのは知っている。でも大丈夫。FIFAなぞ支離滅裂・・・・間違えた。融通無碍であるから何とかなる。そもそもバティが2010年大会のアルゼンチン代表に選ばれる可能性は皆無だ。05年に引退しているしね。しかも10年には41歳になっている。
一度引退したバティがサッカー後進国の日本に請われて現役復帰して厳しいトレーニングを課して41歳になった。帰化もした。規定で日本代表になれないのはわかっているが後進国のために老骨にむち打ってW杯のピッチで死にたい・・・・なんて話になれば行けるでしょう。「バティストゥータ」を漢字に変換しただけで凄い名前になりそうだ。「罵血凄闘太」なんてどう?
私はたった今のバティの体調を知らない。それでもなお言える。現役復帰さえしてくれれば41歳になっていても日本人で彼を越えるFWは出てこないってことが。

2)アジア版スーパーリーグを作る
本当はJリーグでできればいいのだがアウェーといったって「新潟vs浦和」のテンションでは本格的なディスアドバンテージ体験はできない。そこで日本、韓国、中国、台湾、香港の有力クラブチームに加えて北朝鮮代表を入れたスーパーリーグを欧州に先駆けて結成してホーム&アウェイのリーグ形式で戦うのだ。
日本のクラブチームが特に韓国、中国で戦えば世にも貴重なアウェー体験が満喫できる。北朝鮮に至っては最高だ。私は06年W杯最終予選の北朝鮮戦が平壌でできなかったのを実におしいと悔やんでいる。球場を埋め尽くす「金正日将軍万歳」のマスゲーム兼任の北朝鮮サポーターと警備と称する物々しい人民武力に囲まれての「平壌の戦い」。やらなきゃ損でしょ。

3)Jリーグの外国人は中盤に限定する
日本3敗の予想はFWが点を取れないからまず勝てない。DFが相手攻撃陣を完封できないから負けるとの算段に基づく。だったらFWとDFを強化すればいいという簡単な結果をずっと日本は果たしていない。
ならばJリーグで日本人が主に占められるのはFWとDFにしてしまえばいい。サッカーのうまい子はMFという流れを断ち切り、いくら頑張ってもJで日本人MFの出番がほとんどないとする。
ただしこの構想には難点が。日本人FWを日本人DFが迎え撃っても強化にはならないという点だ。そこで次の方法で補強する。

4)男子バレーボールを法律で禁止する
日本人サッカーファンは二言目には体力でゴリゴリ押すのはサッカーじゃないというが体力負けしていては話にならない。オシム流「走る」で持久力はつくが高さだけはどうにもならない。そこで背が高くて身体能力もある少年が好む男子バレーボールを禁止してサッカーに人材を流し込むのだ。
男子バレーが強いならばこんな提案はしないが今やボロボロである。そんなところに人材を回す必要はない。しかも社会人男子バレーは弱いくせに女の子にキャーキャーいわれて大人気である。弱いくせに人気者。私を含む「もてない男」陣営最大の敵である。彼らをピッチに放り出し、ガツガツ削って痛い目に遭わせるべきだ。

5)南米のクラブチームを日本企業が支える
もちろんトトもだ。いっそのことJを止めてこちらにシフトしてはいかがか。南米のクラブは経済的危機に瀕しておりトップレベルの選手が欧州に移る原因にもなっている。それを経済支援するのだ。見返りに1チーム2・3人の日本人をレギュラーで使うことを義務づける。
欧州に移る前の南米の若手の方がJのトップよりは優秀だ。今回のW杯でもわかるようにJの選手では役不足だが欧州組もまた実は控えばかり。いくら欧州のクラブにいても控えでは実力が身につかない。だからこれは意味ある提案のはずである。
コーディネーターはジーコで決まり。監督としてはイマイチでもコーディネーターならば文句なしの超一流のはずだ。

6)コパ・アメリカかユーロ2008に参加する
あまり騒がれなかったが日本はコパ・アメリカ(南米選手権)1999に招待された。まあ集金が主な目的であろうがそんなことはどうでもいい。こうしたW杯に準じると参加チームが本気モードで争う大会を日本代表はカネにあかせても参加すべきだ。本気モードという点でコンフェデ杯はダメ。
一番いいのはユーロに出させてもらうことである。ユーロは南米と違って無理じゃないかって。そうでもないかも。案外とふところに余裕がないようからジャパンマネーは魅力である上に参加国のどこも自分のグループリーグに日本が入ってくれば喜ぶ(勝利はいただき)わけだから。グループリーグは国と地域の数がきれいに割り切れない方が多いから何とか理屈をつけて潜り込む余地は大いにある。

7)マスコミ各社が「共同宣言」を発表する
惰民の惰民たるゆえんは勝てるはずのないチームを勝てると踏んだ点だ。だがその後押しをしたマスコミの大本営発表翼賛報道の罪も大きい。サッカー先進国は自国代表に常に厳しいものだ。
ただマスコミは惰民の望むところの報道をしないと売れないとか観てくれないとのジレンマを負う。そこで60年安保闘争の際に新聞7社が出した「暴力を排し議会主義を守れ」という共同宣言と同様の宣言を出して厳しい報道に徹するのだ。「甘言を排し代表勝利を得よ」でよかろう。
何ごとも協定を結べねばおもねる報道しかできないのが最近のマスコミだからこれしかない。

8)日本サッカー協会最高幹部を刷新する
これだけは異論・暴論ではなく正論でしょう。「日本サッカー協会に残された最後のアマチュア」どもを追放するのだ。私のようにアマチュア時代を知る者にとって

川淵三郎会長・・・・早稲田→古河電工
釜本邦茂副会長・・・・早稲田→ヤンマー

であり残る3人の副会長は旧日本リーグ選手としての実績も皆無かほとんどない。早稲田か古河電工でつながっているのが2人もいる。
世界を見据えている時に国内の大学と就職先でナアナアを決め込んでいるトップの古色蒼然にはあ然とするばかり。一新が望ましいというより一新しかない。

さてこれらは的はずれだろうか。(編集長)

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2006年7月11日 (火)

【謹告】読者の皆様にメンテのお知らせ

ココログが7月11日の14時から13日14時までメンテナンスを実行します。ココログからの発表によるとメンテナンス中は公開処理されないとのことで無念ながら以下の日時の原稿をアップできません。驚くべきことにトラックバックやコメントの受けつけもできないそうです。

●7月12日付け原稿・・・・12日午前0時過ぎ頃に通常はアップするので思い切りメンテ時刻にバッティングしてしまいます。それが終日なのでどうにもなりません
●7月13日付け原稿・・・・13日午前0時過ぎ頃はメンテ中なので同日14時以降にアップします。ただし!「13日14時まで」というのは現時点での発表でココログの伝統芸から察するに同時間になってもダメということは十分にあり得ます。その際はココログ特設ブログ(http://cocolog.typepad.com/)でご確認下さい。もしトサカに来たらこの特設ブログに存分に批判コメントをお書き下さい。

とくに当ブログを恐れ多くもお読みいただいている相当数の識者や学者の皆様。お怒りでしたらぜひ実名肩書き付きで批判してやって下さい。他メディアでも結構です。先生方が動いて下されば阪神電鉄を上回る「不動の経営」株式会社ニフティも考え直すこと確実ですから・・・・確実かなあ

ああそれにしても腹が立つ。他社のブログは元気に更新できるのに何で私だけ・・・・って鈴香かお前はみたいな心境だ。システムの問題云々とココログを運営するニフティはウダウダ述べているがニフティが富士通の100%子会社だという事実を前にすると悪い冗談としか思えない。富士通って何している会社だっけ。もしかして出版社だったりするの。それならわかるがそんなわけない。
富士通のHPに面白いことが書いてある

●事業目標・・・・常に新しい価値の創造に努め、強いインフォメーションテクノロジーをベースに、お客様の求める高性能・高品質のプロダクト、サービスによるトータルソリューションを永続的に提供することにより、利益と成長を実現し、国際社会・地域社会との共存共栄を図ります
●お客様・・・・お客様の夢 私たちの夢をかたちにします

「強いインフォメーションテクノロジーをベースに」「高品質の」「サービス」を「永続的に提供」して「お客様の夢」をプロクシエラーの連発と最短で2日間というメンテナンスという名の中断で「かたちにし」てくれてどうもありがとう。
ずいぶん昔に先輩に聞いた話だが大阪府警が不祥事を連発した際に断続的に開かれた「緊急記者会見」の席で「定例記者会見じゃないのか」と突っ込みを入れた記者がいたんだって。私の今の気分そのままだ。

1927年 高橋是清蔵相が支払い猶予令を敷く
1946年 金融緊急措置令で預金を封鎖する
2006年 ココログが2日間のブログ封鎖令を発表する

受験生の皆さん。よく覚えておきましょう。(編集長)

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駅名がおかしい!? 大泉学園編

さて、駅名シリーズも第4弾まできた。今回は西部池袋線の「大泉学園」駅だ。
まだ西武池袋線が「武蔵野鉄道」という名前だった1924年に、大泉学園駅の前身、東大泉駅が開業した。「とうだい・いずみ」ではなく「ひがし・おおいずみ」です。大泉は明治からの地域名。

さて、1920年、後にコクドとなる箱根株式会社を設立し、1924年には衆議院議員に初当選していた堤康次郎は、既に買収を始めていた箱根の次に東京郊外の土地に目を向けた。今で言えば「東京郊外」といってもビル郡が立ち並んでいるが、当時は未開の地に近かったという。なぜ堤はそんな未開の地に目を向けたのか? 10万人以上が死亡、20戸以上の家屋が消失したといわれる1923年の関東大震災の後、新しい住居の土地として「郊外」が注目を集めていたのだ。
堤は、買収した土地(現在の国立、小平、大泉学園あたりの土地)を学園都市とする構想を練った。現在の一橋大学が東京商科大学という名前だった頃、初代学長だった佐野善作と堤が友人関係だったことが神田にあった大学の誘致につながった。ただ、東京商科大学は現在の大泉学園ではなく国立に移転。一橋大学と名前が変わった現在でも国立にある。
ここで不可解なことがある。東京商科大学が国立に移転したのは1930年のことで、東大泉駅の名が大泉学園駅になったのは1933年。東京商科大学の移転が国立に決定した後、「大泉学園」の名を決めているのだ。
東京商科大学の移転が決まった後も、他の大学を誘致しようとしていたのかも知れないが、かなり昔のことなので西武鉄道に問い合わせてもそのへんのことはよく分からない。なにしろ70年以上も昔のことなのだから。

バスで大泉学園駅に向かった。ネットで調べると、「大泉学園周辺は学園都市を目指していたころの名残か、整然と区画された面影を見ることができる」という記述が何点か見られたが、注意して見ていたののその名残は感じられなかった。
「大泉学園駅」なのに「大泉学園」がない、というあまりにもシンプルで且つ深い謎は解明されたが(いや、全てではないけど)、大泉学園の人々に聞くと、やっぱりいた! 5年前に引っ越してきたという子連れのオトーちゃんは「ウソ! 大泉学園っていう学校とかないの?」とシンプルに驚いた。
西武鉄道の職員によると、これまで駅名の変更については検討されたこともない(職員が知る限りでは)。学芸大学の場合は駅名変更の是非が問われた。都立大も問われていた。その結果、住民の選んだ結果が「変更はノー」だった。だけど、大泉学園の場合は、住民投票どころか、検討もナシである。これがまさしく、歴史がなせるワザというか。(ムリヤリなもっていき方だが……)
ひとつ心残りがあって、それは「俺は大泉学園に進学するぞー」的な御当地ギャグがあるかどうか、ということを調べ忘れたことだ。なんか、ありそうな気がするんです。詳細を知ってる方、情報お待ちしております。(宮崎)

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2006年7月10日 (月)

武士は食わねどテポドン発射

私は商人の家系なので「頭を下げるのはタダ(ロハ)」とのDNAを受け継いでいる。したがって小泉首相の「武士は食わねど高楊枝」風を見ていると西鶴が『武家義理物語』でほめ殺したような謂いをしたくなる。「意地(義理)のためには損得抜きなんて御武家はご立派」とね。
中韓に対する首相の強気発言を聞き続けていてつくづくからかってみたい衝動に襲われてきたし、そうもしてきた。彼がダシに使ってきたのは靖国の英霊である。なぜダシなのかは後半に述べる。
しかし彼自身は高楊枝でも食えるという点に多くが気づいていない。本当に困るのは中韓との関係が冷え込んで経済から安全保障に至るまで有形無形の損害を被る民草なのである。

アメリカは本土かハワイまで届くテポドンが心配なだけ。中韓は北朝鮮のミサイルが日本を狙っている限りは大嫌いな小泉首相率いる国に何が悲しくて助け船を出さなきゃならないかと本心で思っているに違いない。
ロシアは核ミサイルの実験を弾頭抜きではあるが今でも頻々と繰り返している。主目的は旧ソ連時代に作って耐用年数を越えたミサイルの「賞味期限延ばし」にあるがマスコミは報じない。報じないがやっているのでロシアは真顔で北朝鮮を非難できない。

かくして「ならず者国家」にねらい打ちされているのにご近所からちっとも心配されない国になってしまった。そうしたのは小泉外交のせいである。靖国問題で中韓との首脳との交流が途切れる一方で再三にわたって例外的に小泉首相が会談してきた金正日総書記からの贈り物が「7連発」だったわけだ。

ではそんなダメ首相を延命させてきた反対派はどうなのかというと輪をかけて的はずれだから涙が出てくる。まず最近「媚中」「媚韓」とこき下ろされている面々や小泉登場以前の日本外交は果たして「頭を下げるのはタダ」思想だったのかというととんでもない。
なぜならば「頭を下げるのはタダ」で下げている頭のなかでしたたかにソロバンを弾くというのが商家の習わしだけどそれをしていなかったから話にならないのだ。要するに「武家の商法」なのである。
以前にも書いたが私が広告の仕事を主にやっていた時に泣かされたのはスポンサーの逆転ホームランだった。今は付き合っていないスポンサーの例で申し上げよう。白だというから白にしたのに白を持っていくと「黒といったじゃないか」と怒鳴られた。
ここではまず「頭を下げるのはタダ」を発揮してなだめすかす。その最中に納期、白から黒にみせかける手段、また白と言を翻された際の言い訳、白から黒へ転換する費用と見積もりに乗せた粗利との兼ね合い・・・・などをすばやく計算する。そこでソロバンを合わせる方法を確認してから下げた頭を上げてニッコリと「お任せ下さい」と胸を張ってやればいい。そうした芸当は私ならずとも日本のいっぱしの商人ならば皆やっている。なのにことが日中・日韓関係になると途端にできなくなる。
例えば中国は台湾の国民党を丸め込むつつある。うまい手だ。だったら日本政府は韓国のハンナラ党に手を伸ばしたらどうか。
また中国内部では深刻な共産政権不信の暴動が起きている。ならば国費を投じてフリーライターに潜入取材を促しては? 命がけでスクープしたい気骨あるフリーは多数いる。しかもその行為は気高い。万一共産政権がフリーを虐待すればアメリカが黙っていない。そうした手管がまったく頭に浮かばない愚か者ばかり。
そこに「武士は食わねど小泉純一郎」が出てきたから拍手喝采。日本人であるとか日本国民であるという以上に誇れるものがないおバカさんと能なしが手の皮が破れるほどに猛烈に手を叩くの図だ。愚の骨頂対愚の骨頂。私はどちらにも肩入れできない。

靖国参拝反対派が決まり文句のように挙げる遊就館の「大東亜戦争」展示に関しても私には不満がある。確かにそこだけを切り取れば先の大戦は聖戦で日本は悪くなかったと読むしかない展示物ばかりだ。あれでは中韓どころかアメリカだって怒り出しそうな顕彰一本槍ではある。
だが靖国の他の展示物や建造物、そこで生計を立てている人々、年中行事などを通じてみると遊就館の一部展示は全体のごくわずかとわかる。靖国批判派はどうせ靖国神社が嫌いであろう。だから嫌いになれるスポットしか見ない。そこから発するメッセージはしたがって恣意的な何かを隠しきれない。
では日の丸を振るタイプはどうかというとある意味で反対派と同程度のオツムである。小泉首相は靖国神社の何を知っているというのであろうか。確信を持って述べるが反対派と同程度の知識かそれ以下であろう。
要するに靖国の何たるかを知らぬ同士が賛成反対の空論を騒ぎ立て、参拝を批判する中韓に対しては「お前に靖国の何がわかる」とわかったふりで反発するとの貧しくて虚しい言い争いなのだ。それを5年も続けている。

こういうことを書いていると結局は誰からも支持されない。でもそれで構わない。ひとりぼっちで死んでやる。私が唯一恐れるのは後世の評価である。私がバカの集まりだったと指弾してやまない先の大戦での指導的立場にあった世代と同じ評価を死んだ後に(もちろん生きている間にも)受けるのだけは嫌だ。
だから「奴だけは例外だった」との証拠を残しておきたい。なれるものならば矢内原忠雄のように。高橋亀吉のように。(編集長)

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2006年7月 9日 (日)

日曜ミニコミ誌! ミニコミ界・ゆったり級チャンピオン

Hibi なんといってもまず全体的なデザインがすばらしい。今回紹介する『日々』3号の表紙は、色とりどりの卵をケースに並べたもの、ただそれだけといえばそれだけだが何とも言えず温かみのある色彩に思わず手にとってしまった。だいたいミニコミ誌なんてものはデザインをハナから度外視した活字ワサワサの濃厚な誌面がほとんどなので、それらが棚にいっせいに集まる場所からはなんか不吉なエナジーのようなものをイヤでも感じてしまうのだ。その中で、『日々』は紅一点ではないが、わさわさの中から飛び抜けてわーっと目に入ってきたのである。
女性的な柔らかさがページのいたるところから感じられる。余白をおしみなく使ったゆったりした誌面のデザイン、フォントの選び方と行間の取り方、アクセサリ的なニュアンスで度々登場するイラストの繊細さと質の高さ。なんというか、肩に力が入っていない。
『日々』のHPによると(HPのデザインもすばらしい http://www.iihibi.com/)編集者の高橋良枝さんは出版社で編集を経験し、フリーの編集&ライターを経て40代で仲間と共に『日々』を立ち上げた。
この号のアタマの記事は高橋さんと仕事で関わってきた料理家、飛田和緒さんの三浦半島での暮らしぶりを伝えるものだ。飛田さんは海辺の暮らしについて
「初夏に引っ越してきて、一番びっくりしたのは湿気の多さでしたね」
と語り、除湿器の重要性、東京に比べて虫が出てくるが慣れたことなど話す。読んでいて感じたのは、まるで友人と食事を共にしながら話し合うようなテンションが『日々』の全体を流れていることだ。強烈なメッセージがあるわけではない。というより、何かを伝えることを目的としているわけではなく、休日の過ごし方の「地図」のような役割を果たすのにピッタリの雑誌ではないだろうかと思う。
三浦半島は佐島漁港の鮮魚屋を紹介するあたりはまさにそんな感じ。特別な情報が書かれているわけではない。だが「これは今日の魚ではないよ」と教えてくれる魚屋さんのエピソード、漁港のステキな写真を眺めていると、この地域に住む人たちの暮らしぶりがぼーんやりとではあるが浮かび上がってくる。

(■B5変型版 40P 定価735円 株式会社アトリエ・ヴィ)(宮崎)

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2006年7月 8日 (土)

「おいでよ どうぶつの森」

最近、ニンテンドーDSのゲーム「おいでよ どうぶつの森」に夢中です。
今までゲームなんてテトリスくらいしかしたことがなかったのですが、これにははまりました。
ゲームの内容は、引越し先の村で気ままに楽しく暮らすというもの。本当に、ただそれだけです。
村の住人であるどうぶつたちとおしゃべりしたり、魚やくだものをとって"たぬきちさんのお店"で売ったりできます。
おもしろいのは現実世界と同じように時間が進行することで、季節や時間によって現れる昆虫も違います。
最近は蚊が多くて、昨日は二度も刺されてしまいました・・・。
ほかにも植物を交配して別の色の花を咲かせたり、お部屋を改装したりと、様々な設定があるためまったく飽きません。
一度始めてしまうと、没頭してやめられなくなります。 (M)

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2006年7月 7日 (金)

テポドン発射と自民党国防族の反応

 北朝鮮のミサイル発射問題の記事を読んでいて、オヤっと思った。
 7月6日付『毎日新聞』によれば、「石破茂元防衛庁長官は『強硬姿勢は、それによって起こり得るあらゆる事態を想定し、国民に犠牲を生じない態勢を整えてから行うべきだ。武力攻撃事態もあり得ることを念頭に置くなど、リスク回避策を十分に講じないと重大な結果を招きかねない』との持論を展開した」という。自民党内で強硬論が吹き荒れているなかで、である。

 おいおい、本当か!? 目を疑った。

 石破議員といえば軍事オタクとしても有名で、風呂でイージス艦を浮かべて遊んでいるという噂まで報道された人物でもある。自民党の防衛族の中心的な人物でもあり、防衛庁長官時代にはミサイル防衛システム導入のために予算増額を強硬に主張した。さらに「専守防衛」と「集団的自衛権の不行使」を真っ向から批判する「新世紀の安全保障体制を確立する若手議員の会」などにも所属していた。
 つまり、これまでは北朝鮮の脅威を利用して防衛力強化に躍起になってきた人物ともいえる。

 どうして??? と思って、ミサイル発射以降の自民党防衛族のコメントを調べてみた。すると久間章生総務会長が「(経済制裁の必要は)別にないんじゃないかと思う。実験をしたんだと思う。日本を狙ったわけでもないし」と語っているではないか。久間議員といえば、ミサイル防衛と武器輸出三原則の撤廃に力を入れていた人物なのに……。強硬論が党内で渦巻いている状況なのだから、その「上げ潮」を利用して一気に「実力行使」を主張しそうなものだが、どうも事は簡単ではないらしい。
 
 問題は、なぜこのような慎重な発言が防衛族から出されているかだろう。利権を考えたら、かえって平和の方がいいのだろうよ、とうがった見方もあろう。しかし、こういった状況で政治家が慎重姿勢を出すのは勇気がいる。多くの国民が怒りを持って事件を見つめているなか、国防に強いはずの議員がどうして弱腰なのかという批判を受ける可能性があるからだ。タカ派的な発言を続け、それが評価されてきた場合は当然反発も強まる。
 国会議員は選挙が命。選挙民からどう評価されるかは大いに気になっているはず。そう考えるとリスクを取ってまで慎重な発言をする真意は案外まじめなものではないかと思う。

「ある防衛庁幹部は『極度の緊張が続き、部隊にもやや疲れが見えている。北朝鮮との我慢比べなのかもしれない』と話していた」(『朝日新聞』7月5日)
 同記事によれば、北朝鮮のミサイル監視は5月から続いていたという。たかが2ヶ月。だが、これは演習ではない。実戦の緊張感をともなった2ヶ月である。現場の自衛隊員に疲れが見えるのは当然だろう。

 かつて私は戦場報道に憧れていた。本誌でも連載をしていただいた石川文洋さんや、沢田教一さんのベトナム戦争時代の話はえらくカッコイイ。いつか経験したいもんだな、と漠然と考えていた。しかし、そんな感想は現場にいない者の感想であることを後に知った。
 すでに国連軍が駐留して治安が回復していたコソヴォでさえ、草むらに入ったときに通訳兼ガイドから「まだ地雷の可能性がありますから気をつけてください」と真顔で言われ膝がガクガク震えた。
 空爆された建物を撮影するために立ち入り禁止の札を無視して入ったとき、「ストップ」という声とともに兵士から銃を向けられ体が固まった。おそらく彼らは銃を撃つ気などなかったはずだ。ただの威嚇。それでも日常より死が一気に目前迫ってきた感じがして、泣きたいほど怖くなったのだ。
 
 いつ来るかわからないロケットのために、打ち落とせるかわからないシステムを導入する話など、しょせんは空騒ぎ。いくらでも推進することができる。しかし実際に死を目の前にした兵士がいて、その人たちの命運を握っている実感がわいてくると軽率な判断はできなくなる。
 イラク戦争のとき、元軍人でもあったパウエル国務長官が戦争に慎重姿勢を示したとして話題になった。戦場を知っているだけに軽々に出撃命令など出せないのだろうと。もちろんネオコンとの権力争いのさなかだっただけに、そんな理由だけで慎重路線を主張したわけではあるまい。しかし現場を知る者の慎重姿勢は貴重である。
 石破議員や久間議員がパウエルと同じとは思わない。2人とも実戦経験があるわけでもない。ただ防衛庁を通じて実戦の緊迫感を知り、それゆえ慎重な発言をしているなら耳を傾ける必要がある。
 戦争の発端となるような行動を軽々に起こすべきではない。まして国の方針を決める国会議員が自身の怒りや人気取りのために対抗処置を講じるのは最悪だ。

 確かに北朝鮮のミサイル発射行為は愚かすぎる。いきなり7発も撃つなど正気の沙汰とも思えない。ただミサイルの方向を、日本というよりロシアに向けるなど、日米を刺激したくないギリギリの「理性」は感じられる(ような気がする)。そして何より日本国民はこの状況に恐怖していない。それは平和ボケというより、北朝鮮の威嚇ポーズを見抜いているからだろう。

 先日、友人から「天才バカボン」の替え歌「人災テポドン」を教えてもらった。

西から昇った爆弾が、東へ沈む。
それでいいのだ~、それでいいのだ~。
人災テポドン、テポドンドン♪

 正直、けっこう気に入っている! 不謹慎だと怒るなかれ。こうした国民の余裕はきわめて重要なのだ。政治家も沸騰した世論に押されることなく、判断を下すことができる。だからマスコミも政治家も国民を煽ってはいけない。(大畑)

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2006年7月 6日 (木)

版元が訴える「在庫免税」の正当性

返品。

ふふふ。私はこのブログをかなりの御同業が読んでいると知っている。であれば冒頭の一行というか一言を見ただけで慌ててアクセスを止すか、止す前に吐き気を催すか、もう吐いてしまったバカヤロウという人が多数いるのもわかっている。それほど御同業にとって大嫌いな言葉なのだ。同業だからそうと私が知るは当然だ。
返品のヤマを倉庫で見上げる。驚くほどの高さである。もしかしたら刷り部数よりも多いのではないかと疑うほどだ。

問題はこれが資産だということだ。
資産であってほしいとは願う。皆が皆やっとの思いで世に送り出した私にとっては子どものような大切な作品ばかりだから。だがほとんど動かない作品も残念ながらある。
ふぐ料理チェーン店「下関ふぐ」はピクピク動くトラフグが売りだが当方はモノによってはピクリとも動かない。すると「これは資産ではなくゴミではないか」と悩まざるを得なくなる。いや借り倉庫代がかかっているわけであるからもしや負債かとまで思い詰める。
あれほど頑張って送り出したのにヤマを作るとは何ごとだと最後は叫びたくなる。火を付けてやろうとすら怒るが愚の骨頂極まるからやらない。かわいいはずの我が子を虐待する親の心がわかったような気に勝手になる。
お金を払って下さる神様である取次様からの計算書に「書籍清算後返品」という種目がある。マイナスのお支払いというあってはならない概念だ。考えてみれば「書籍清算後返品」という日本語も本来はあってはならないはずである。だがある。書店様および取次様が精一杯をしてくれた結果であるから甘受するしかない。

やっぱり資産とは言えんわなあと落とす肩を叩いて励ましてくれる存在が1つだけある。税務署だ。「もちろん資産です」と断固として主張し税務調査の際には舐めるように調べていってくれた。でもなあ。唯一励ましてくれるのが税務署では・・・・。
「太鼓判を捺す」という表現は「確実な保証」を意味し税務署がいうならば税務上資産であるのは確実であろうが「太鼓判」という言葉に秘められた安心感とかポジティブなイメージがまるで感じられない。何ていうか。税務署の保証は「太鼓判を逆さに捺す」って感じかなあ。

だったら廃棄すればいいのである。事実として泣く泣く廃棄している。でないとばく大な資産の持ち主になってしまうから。妙な悩みだが事態は切実である。
ただここからが重要なのだが、なかにはピクリぐらいは動く商品や時機至れば再出撃可能な、少なくともそんな気がする商品があるにはあるのである。年にわずかでもその本を読みたいという人がいるのに、かもしれないのに廃棄して版元の面目は立つであろうか。
いったん廃棄してブームが来れば再刊すればいいじゃんとの助言もあろうが事は簡単ではない。例えば最近になって急に『オシム語録』が売れ出して版元はうれしい悲鳴という。でも大喜びして大増刷した頃に「オシム急な辞意表明」なんてニュースが流れたらどうなるか。寄せては返す波どころか津波となって返品が来る。ブームとは常にそうした危険をはらむから大版元でない限り決心するのは骨が折れる。まして小社の如き零細版元においてをや。

長々と書いてきたが私が是非提案したいのは返品などの書籍在庫は一定割合「資産」とみなさない税制改革をしてほしいということだ。これでも文化財として国会図書館に納めているのだ。売上はもちろん計上する。
でないと良い内容ではあるが細々としか出ていかない本は片端から廃棄されていく。現に廃棄されている。小社の内情を申し上げているのではなくあらゆる版元がいまやそうせざるを得ない状況に追い込まれているのだ。
改造社が円本ブームを巻き起こして以来、日本では「本は廉価で買って読む」文化が定着した。それが風前の灯火になっている。何とかしてくれと叫んでも本を読まないことで有名らしい彼の首相には聞こえまい。つくづくヤな奴(編集長)

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2006年7月 5日 (水)

「子どもが危ない」は本当か? ある視点からのブックガイド

私が小学6年生のとき、戦争が起こった。1992年のことだ。ただ、戦闘機が飛んだりマシンガンをぶっ放したりするソレではなく、隣町の小学校との戦争だったんだけど。いまだにはっきり覚えている。ものすごく天気のいい土曜日の夕暮れ、神社横の公園に双方60人は集まった、が、なぜか対決は代表がひとりづつ出てきて殴り合ういわゆるタイマンだった。私は数人の仲のいいダチと、遠巻きに「代表戦」をどきどきしながら見守ったのだった。いい日だった。
Ose_1  2006年、少年が同級生を殺す、親を殺すといったケースは珍しくなくなった。すでにその類のニュースに対する耐性のようなものができてしまっている。「なぜ子どもたちは殺人という一線を飛び越えるようになったのか」。これまでにも数え切れないほど取り扱われてきたテーマだが、『脳内汚染』(文藝春秋)の著者・岡田尊司は脳の働きのメカニズムと、メディアが子どもに与える影響についての豊富なデータをもとに論理的な展開でメディア、特にテレビゲームの危険性を訴えている。
著者の岡田尊司は京都大学と同大学院で高次脳科学、脳病態生理学の研究にあたった脳の専門家だ。現在は医療少年院に勤務。「子どもはなぜキレる」系の本といえば、どこかからデータを引っ張り出してきてなにか指摘しておきながら、最終的には筆者の持論の展開に終わるというヒデエ本を読んだことがあって、それ以来あまり近づかなかったのだが、本書はそうではなかった。そしてさすがにテレビゲームが子どもに及ぼす危険性に少し怖くなった。
「あらゆる動物には、同種のものを殺害することに対する強い抑止力がかかる仕組みがプログラムされている」と著者はいう。では、なぜこの抑止力(禁止プログラム)が働かなくなったのか。筆者は続ける。「人間に本来備わっている行動のプログラムを変えてしまうことができるのだろうか。行動主義心理学者は、その問題を長年にわたって研究した。そして、行動のプログラムが変更可能であることを実証した」。
その方法としては「古典的条件付け」と「オペラント条件付け」があるが、ここでは古典的条件付けと組み合わせることによってさらに効果的となるオペラント条件付けについて引用させていただく。
「オペラント条件付けは、一定の刺激に対して一定の反応が起こるように訓練することで、思考や感情に影響されない、反射的な反応回路を作ってしまうのである」。
条件付けが成功すると、一定の刺激→一定の反応の回路が完成され、ためらいや葛藤の余地なく反応が起こることになる。実例としてフォークランド紛争においてのアルゼンチン軍とイギリス軍の訓練と実践が比較されている。アルゼンチン軍が射撃訓練時に的として使ったのは黒い円だった。紛争でのアルゼンチン軍の発砲率(敵に対して発砲した割合)は10~15%に留まった。人を殺すことに対する抑止力が働いたのだ。それに対し、イギリス軍は訓練用にポップアップ型の人型シルエットを的とした。発砲率はなんと90%を超えた。「一定の刺激→一定の反応」のメカニズムが作り上げられていたのだ。
寝る間を惜しんで子どもから若者までが熱中する現在のテレビゲームではかつてないほどリアルな画像が使われている。そして、現在普及しているシューティングゲームはアメリカ軍が射撃用のシュミレータに用いているものと大差がないという。
脳のメカニズムを中心として、現代という時代の危険性を切実に訴える姿勢も印象に残る一冊だ。

No_1  『少年裁判官ノオト』(井垣康弘/日本評論社)は、1997年に起こった土師淳君殺害事件の「少年A」を担当した少年事件担当裁判官が、7年を超える少年Aとのやりとりをはじめ、多くの少年裁判のケースを記した一冊。Aの逮捕後、シャバでは事件を前代未聞の少年犯罪と位置づけ揺れに揺れたが、そのころ当人は「疲れた。どこか静かなところで死にたい」とこぼしてばかりだった。担当裁判官であり面会を重ねる著者は、Aの落ち込みぶりについて、逮捕されてすぐ死刑になるつもりがすぐに死ねなかったことに対するの身勝手な落胆の他に、警察官、検察官、弁護士、調査官、そして裁判官と同じことを延々と聞かれること、半ばだまし討ちのようにして不仲だった母と対面させられたことなどを原因と考える。甘やかしているわけではない。本書では現在の少年裁判制度の問題点、また著者自身の判断を反省含みで取り上げ、どのような少年裁判のあり方が更正、社会復帰への近道なのかを論点としている。Aは面会を重ねていくうちに生きる意欲を取り戻していった。関東医療少年院のスタッフの暖かい姿勢もあって前向きな姿勢も見られるようになった。Aは淳君の父親・土師守さんの手記『淳』、彩花ちゃんの母親・山下京子さんの手記『彩香へ』を何度も読み、少年院の教官と遺族の苦しみについて語り合い、「身をよじるようにして苦しんだ」。母子関係がうまくいっていなかったAだが、やがて「いつか、分かり合えるようになりたい」と思うようになる。本書では、他の多数の少年裁判のケースを紹介し、人は環境によって変わることができることを訴える。少年Aはとりかえしのつかない過ちを犯したが、それはAが生まれながらのモンスターだったからではない。この2冊を読むことによってそれが実感できるだろう。
本書のメインである「少年Aとの7年5ヶ月」の結びには考えさせられると同時にちょっとシビれた。
「これから中学、高校の教育を受けさせ、加えて大学教育を受けさせれば、自分の言葉で、自分のことを説明できるようになるのではないか。事件の前の経過から、今後どうしたいのかまで、あらゆることを本人の口、あるいは文章でもいいから語ってほしい。そのために、勉強する時間を何年間か与えてやりたい。(中略)そして、十年後でもかまわない。自らの言葉で綴った「手記」を発表してほしい。そのとき、わが国の「少年司法」は勝利する」。
(宮崎)

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2006年7月 4日 (火)

武藤日銀副総裁の総裁就任を許すな

福井俊彦日銀総裁が村上マネーに目を付けたのは日銀を追い出されて富士通総研に迎え入れられ、いわば「官から民に」なった際だ。ではなぜゆえに彼が日銀副総裁の座を追われたかというと一連の大蔵・日銀スキャンダルに対する監督責任を問われたからだ・・・・と一応マスコミはおとなしく書くが要するに新宿・歌舞伎町の懐かしき「ノーパンしゃぶしゃぶ・楼蘭」で破廉恥接待を受けていた結果である。
最も不思議なのはそうした人物がなぜゆえに日銀総裁へ返り咲いたのかである。一般社会ではまず考えられない。破廉恥な行動をして社会の指弾を浴びて失脚した副社長が社長に返り咲くなんてね。もともと適格性を欠いた人物が適格性を欠いた行動を再びしたというのはある意味で論理的である。

で本題。もはや福井総裁が辞めるべきかどうかなどを議論する余地はない。辞めて当然である。問題は次期総裁最有力候補に武藤敏郎日銀副総裁が挙がっている点だ。悪い冗談だと思ったら大本命というから驚く。
武藤敏郎とは何ものか。旧大蔵省の官房長時代に福井総裁もはまった大蔵・日銀スキャンダルの責任を取らされて前職の総務審議官にUターンさせられた・・・・といえば聞こえはいいが要するに降格である。
この時に武藤官房長は何をしたか。官房長とは一般社会では人事部長みたいなものだ。だから当然スキャンダルが本当かどうかを精査する役割を担ったが、あろうことか否定してみせた。それは東京地検の捜査で覆される。要するに身内大事のためならば平気で国民にうそをついて仕事をさぼる人物だったとなる。

だからここで消えて当然なのだが同期のトップ級がもっと悪らつだったので何となく組織に残ってしまった。では飼い殺しになったかというと正反対で結局は事務次官にまで上り詰めた後、次期総裁含みで日銀に出たというわけだ。

ということは福井から武藤への総裁交代はいずれもノーパンしゃぶしゃぶスキャンダルで叱られた者同士のたらい回しということになる。

ノーパンしゃぶしゃぶ。私がこの名を聞き、そのサービス内容を知った時に率直にいって別段面白い風俗遊びではないと思った。これが面白いとか民草の実情を把握?しているつもりだったならば途方もない勘違いである。風俗にだって工夫もあれば文化もある。ノーパンしゃぶしゃぶはそのなかでも貧困の部類に属すであろう。それを接待で楽しむという退廃。合わせて貧困な退廃。
どうせ退廃するならばソープランド貸し切りぐらいであってほしいし、どうせ貧困ならばソープランド貸し切りぐらいであってほしい。いずれにせよソープランド貸し切りの方がいい・・・・と当時は感じたし今もそうである。最近の言葉で表現するならば接待がノーパンしゃぶしゃぶぐらいで萌えるなということ。わかるかな。福井総裁と武藤副総裁にはいまだわかるまい。

本来は武藤敏郎氏がいまだに日銀副総裁でいることを本人が恥ずべきなのだ。
破廉恥にも身内をかばって嘘をつき、それがばれても組織に残してもらった時点で辞表を出すのがまともな人間だ。それが居残った(恥知らず1)上に断ってしかるべき昇進話を受けて事務次官にまで出世し(恥知らず2)、組織として位人臣は極めたのだから辞職後は草むしりでもして暮らすのが当たり前のところを総裁含みで日銀に転身し(恥知らず3)た。
すでにして顔に大きく「恥」という文字が書かれている人物なのだ。

恥知らずとは本当に恥を知らないらしい。このままでは武藤日銀総裁誕生という「恥知らず4」の幕が開く。ここまで恥知らずをのさばらせておくと国民全体が恥知らずだと諸外国から不審に思われよう。この交代劇を認めてはならない。(編集長)

ブログ内関連記事:武藤敏郎日銀総裁NO!は当然である

http://gekkankiroku.cocolog-nifty.com/edit/2008/03/post_6fde.html

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2006年7月 3日 (月)

なぜか「ビバヒル」。その後、彼らはどうなった? 後編

さて、ケリー役のジェニー・ガースについてはどうだろう。ケリーはブレンダ、ディランと三角関係になり、後にブランドンと恋仲になる恋多き女だ。
1972年生まれ、15歳のときに美人コンテストでタレント・エージェントにスカウトされたジェニー・ガース。その後、ロサンゼルスに移り、演技の勉強をはじめ数々のオーディションを受けた。そして、バーバラ・エデン主演の「A Brand New Life」(テレビドラマ)でエリカ役を獲得したのは17歳のとき。その後、テレビドラマの端役として出演はするものの、ぱっとする存在でもなかった。しかし、「ビバヒル」で一気にブレイク。ブランドン演じるジェイソン・プリーストリーが降板してからは主役的な存在になった。「ビバヒル」終了後は04年からNHKでも放送された「恋するマンハッタン」にバレリー・テイラー役で出演していた。今年3月には夫で俳優のピーター・ファシネリとの間に3人目の子どもができたことが報じられている。「ビバヒル」ファンは役者としてのジェニー・ガースを見たいかもしれないが、最近はどうやら女優としてではなく動物愛護団体、社会奉仕団体の活動などにいそがしいようだ。いらぬ世話かもしれないが、社会奉仕活動の現場にいきなり有名女優が入ってきてびっくりされたりしないのだろうか? 

そして、ケリー(ジェニー・ガース)と恋仲になった悪童キャラ、ディランを演じたルーク・ペリーはどうしているのだろう。調べてみると、先月から『Windfall』というテレビドラマに準主役として出演しているようだ。宝くじで当たった3億8600万ドルを共同購入仲間20人で分け合う、という妙に心惹かれるストーリー。ルーク・ペリーは労働者階級の妻子持ち役。どうもこの人はセレビィな役には割り当てられないのか…、と思ったら2001年に公開された映画『バミューダ 呪われた財宝』(ルイス・ティーグ監督)では青年実業家役でしかも主役を張っている。ルーク・ペリーは他のビバヒル出演者と比べて映画にちょくちょく出演している。1997年の『フィフス・エレメント』(リュック・ベッソン)にも出演してる(ちょい役らしいが)。2005年にも『スパーノヴァ』(ジョン・ハリソン監督)なるパニックもので主役を張っているからかなり活躍している、といっていい。

スティーブ役を演じたアイアン・ジーリングはテレビドラマのゲスト出演はいくつかあるもののメインキャラ、映画での出演はない。2003年にはアニメ版『スパーダーマン』で声優となったりしている。アンドレアを演じたガブリエル・カーテリスはテレビドラマにコンスタントに出演。
日本の視聴者をも熱中させた「ビバヒル」。こうして見てみるとその後の活躍はそれぞれ。この中から再ブレイクを最初に果たすのはだれだろうか?(宮崎)

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2006年7月 2日 (日)

■日曜ミニコミ誌! 炎上するイラクからの便り

Riv_2
新宿の模索舎でミニコミあさりをしていてこの冊子を見つけた。ちょっと目を通すつもりが、途中でやめることができなくなっていた。
「今週は2006年第1週目。‘6’を象徴するものといえば? 1時間電気が来て6時間来ないなんていうのは? それとも・・・2005年のガソリンより3倍高いガソリンを買うために6時間並ぶというのは? さもなくばこの地域で起こっている1日に平均6回の爆発は?」
2006年1月4日の書き出しである。書いているのはイラク・バグダッドに住む現在27歳の女性、もとコンピュータプログラマーのリバーベンド。
『イラク女性 リバーベンドの日記 2006年1月〜5月』(著者・リバーベンド 翻訳・細井明美)はリバーベンドが市民の側から見たイラクの現状を詳細に記したブログを翻訳したものだ(オリジナルは英語で書かれている)。ミニコミ誌、というよりは冊子だがこのさい細かいことは言いっこナシで。
内容がめちゃめちゃにリアル。ふだん報道で知ることのできるイラク情報は主に政治指導者の動向、もしくは「バクダッドのドコで爆発があった」といった類のものがほとんどだが、そこからは現地に住む人々の生活の様子、不安、考えていることなどは知ることができないのだ。その点、本書は100%「住民の声」による。
3月18日の日記。「3年たって電力状況はこれまで以上にひどい。治安状況はますます悪化した。国は、再び混沌のきわみにある信心深い民兵と狂信者によって導かれ、あらかじめ計画され、作られた混沌。学校、大学、仕事はあったりなかったり。2日間は仕事・学校に行き、残りの5日間は状況が良くなるのを待って家で待機する」。
電気がなく、ビルは崩れかかり、道路は破壊されている。そんな中での生活を親戚など身近な人々を中心に記しているが、それだけではなくリバーベンドが乏しいメディア環境の中から、人との会話の中からより多くの情報を得ようとする姿勢が文章からうかがえる。今年1月に国民議会選挙の結果が出てシーア派の「統一イラク連合」が第一党になった。この結果に驚くイラクの人々について彼女は「何を今さら驚いているのか」とため息をつく。「イランの影響を受けた聖職者は2003年から強い権力を持っていた。新生イラク治安部隊を創設する動きがあったとき、彼らの民兵は即座に内務省と国防省に組み入れられた」と選挙の結果が開票前から分かっていたことなどについて書く。

2月11日の記述、リバーベンドが訪れていたおばの家が米軍とイラク軍の共同部隊による深夜の家宅捜索を受けたくだりは圧巻。
「……一人の男は私たちにカラシニコフを向けて立っていて、もう一人がキャビネットを開け、ドアの後ろでチェックし始めた……」
イラクの現状をより深く知るためにぜひ多くの読んで欲しい一冊だ。
翻訳にあたった細井明美さんがリバーベンドのブログを知ったのは2003年の11月(ブログ自体は同年8月に開始)。まだブログというツール自体が知られていなかったころだが、細井さんの友人がはじめに見つけ、「ねえ、これホントにイラクの人が書いてるのかな?」と持ちかけてきた。興味を持った細井さんはすぐさま「リバーベンド・プロジェクト」という翻訳チームを結成し、2004年1月からウェブサイト上で公開し始めた。2004年7月に出版社アートンより『バグダッド・バーニング イラク女性の占領下日記』として出版されるが、諸事情によりその後出版はされなかった。今回紹介した『リバーベンドの日記』は細井さん自信が翻訳し、ブログで公開してきた内容を冊子にまとめたものだ。
『リバーベンドの日記』は書店では模索舎でしか手に入れることができない。(細井さんのHPから注文することはできます。300円という低価格!
http://blogs.dion.ne.jp/hope/)細井さんはジャーナリストの松井やよりさんの秘書をしていたことがあるが、現在も講演を受け持ち、高遠菜穂子さんの集会などに参加し精力的に活動中。イラク関係の集会で置くと『リバーベンドの日記』はたいてい売り切れになるそうだ。「日本の人たちはもしかするとイラク=テロ国家だと思ってるかもしれない。少しでも現実を知ってもらいたくて冊子を発行した」という。
炎上する国からのリバーベンドの便りだが、実は今年6月10日から3年近く続いていたブログが更新されないままになっている。これについて細井さんは「リバーベンドはスンニ派です。立場が悪いスンニ派で身の危険を感じ、少しでもお金がある人の中にはヨルダンやモロッコに脱出する場合もあるようです。もしかしたら彼女もそうじゃないかしら」と推測する。
「バグダッド」はもともと「平安の都」という意味を持つ。この首都が平安を取り戻すのはいつになるのか? なお、リバーベンドのブログは2005年にルポルタージュ文学賞ユリシーズ賞3位、2006年にはサミュエル・ジョンソン賞にノミネートされている。Don’t
miss it!!(宮崎)

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2006年7月 1日 (土)

『私は偽悪者』・山崎の独白を聴く

Gi 戦後・混乱を極める東京で一瞬の輝きを放った光クラブ社長・山崎晃嗣の独白で綴られる『私は偽悪者』(山崎晃嗣著/牧野出版)。まず驚くのは、山崎が中野区鍋横マーケットに光クラブの看板を掲げてから自殺までの期間がわずか1年と1ヵ月という事実である。
しかも事業立ち上げの直前には中野の財務協会で10万円を騙し取られる、いわば「カモ側」だった。
はじめから光クラブの成功を確信していた山崎ではなかったが、最初の客が訪れた後どんどん運転資金が膨んでゆく。店を訪れた客に金を置いてもらうためのやりとりが記されているが、これがおもしろい。相手の口上に乗ってやり、相手の信用を得ながら金を引き出す。
「人を疑る人ほど、私にいわせれば騙しやすい」との山崎の弁に思わずドキリとしてしまうのだが、資金がみるみる集まっていったのは営業力がずば抜けていたからだけではない。私企業に対する政府支払いの遅延といった時流的な影響もあり、光クラブは設立から2ヵ月で運転資金を約600倍にまで膨らませたのだ。
一見、中野の財務協会で10万円を騙し取られたことが山崎を駆り立てたように取れるが、戦中に所属していた部隊での食料隠匿の際に仲間に裏切られたこと、また学徒兵時代に友人が私的制裁によって死に、その事件が訓練中の事故とでっち上げられ、葬られた経験などを経て、徐々に「義理人情などもう信じない」という姿勢が形作られた可能性はあるだろう。
時流に乗り切った虚業の勢いは十分に感じられるのだが、光クラブを共に作り上げた三木、久野、鳥田たちとのやり取りが詳細に描かれていない点は残念。例えば創業当初からのパートナーである三木は、光クラブが大蔵省に目をつけられたときどんな態度を取ったのか、その態度に対して山崎はどんな反応を示したのか。気になるところではある。

本書は一人称形態が取られているが、「人より数学を信用せよ」「女は道具だ」といった内容が山崎の本心をダイレクトに写しているのならば、そこまで徹底した意思の持ち主である山崎が自殺に至るまでの心の在りようについて興味を抱いてしまうのである。(宮崎)

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