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2006年6月28日 (水)

チベットのモーツァルトでもうダメポ

 いや~、本を読む暇すらない……。その理由は前日編集長が示したのと同じ。毎日、毎日、靖国神社の原稿が襲ってくる。もう止めて~と言いたいが、言ったら出版できん。
 というわけで2週間ほどカバンで眠っている読みかけの本を書評したい。何が面白いのかではなく、どうしてページを読む手が進まないのかをグチャグチャ書くのだ。
 へへへへ。寝てないオイラって、ちょっとワイルドです。

Photo_24  まずは『チベットのモーツァルト』(中沢新一/講談社学術文庫)。以前かなり話題になった本だし、それなりに評価も高い。でもね、バカは読まなくていいって彼の文章が叫んでる。
「ではスカ(楽)はどこにあるのか。それは現前と遅延の『間』、死と死の経済である生との「間」、もしこういう言い方ができるとするならば遅延の形成性の場、つまりデリダが「差延」という言葉でしめそうとする絶妙な運動にあるのだ」
 なんだ~、それなんなんだ~??? 
 この文章を読んでいて、デリダの朗読会に呼ばれたことを思い出した。読んでもわからんのに、それ朗読ッスよ……。眼テンなのでした。でも、知人の主催者は僕にも感想を求めるわけです。「さっぱり分かりません」とも言えず、「なぜか爆発するようなエネルギーがありました」とか答えてみた(笑) 
 哲学オタクの友人は「中沢新一はわかる人だけを対象に書いてあるからズルイ」って言ってましたが、どこらへんから「わかる人用」なのか、それもわからねぇー。
 てなわけで電車で座って読もうものなら速攻で寝ちまう。ただ挫折するのも悔しいんだよね。デリダを読めないのはあきらめがつく。でも中沢新一はどうよ? 結局、くだらないプライドと眠気に闘いつつ読み進めているわけです。

Photo_25  もう1冊は『「できる人」はどこがちがうのか』(斎藤孝/ちくま新書)。
 あー、こんな本を読んでいること自体公表するのが恥ずかしいッス。「できる人」に憧れているだけでもどうかと思うのに、その本が読み進めないなん……。
 この本のツラさは読めば読むほど「できる人」と自分が違うことなのだ。「どこ」が違うかって全部違うじゃん! いや、生活の一部を矯正するなら可能でしょうとも。でも、37歳になって生活すべてを改善って、どうするよ。
 いや、そもそもこの発想こそがダメ人間なのかもしれない。「そうか全部矯正すればいいんじゃん」って思えれば、きっと私はあんな人になり、こんなこともしちゃって、そんでもってアレだって手に入れて、スッゲー大変なそれだって楽々手に入れちゃうのだよ、君!
 で、全部矯正を受け入れられない自分はこう思うのだ。
「まあ、僕に本が合ってないんだな。もう少しだけ楽に『できる人』になる方法もあるんじゃない」って。
 しかし編集者も頭いいよな。「『できる人』は全部ちがう」だったら絶対に買わなかったのに……。
 というわけで靖国神社の原稿に戻ります!
 発売8月上旬です。よろしくお願いします。

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