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2006年5月 1日 (月)

カルガモ親子のお引越しはどうなった?

大企業や官庁のビルが立ち並ぶ千代田区・大手町で、カルガモの親子の「お引越し」が最初に話題になったのは昭和591984)年のことだ。

三井物産のプラザ池で卵を産み、孵化して1ヵ月後に内堀通りを渡って皇居のお堀に引越してゆく。

東京のど真ん中にもかかわらず、親カルガモを先頭に、子カルガモたちが必死について行こうとするユーモラスな光景が脚光を浴び、翌60年からはテレビ局や新聞社が引越しの様子を撮影しようとプラザ池に殺到するようになった。

しかし、ここ2、3年はカルガモ親子が話題にならなくなっている。もしかすると、もうプラザ池にはカルガモは来ないのだろうか?

三井物産の「カルガモレディ」を8年勤める前島さんによると、今年はまだ池には来ていないとのこと。最近、カルガモ親子が話題にならなくなったことについてはっきりした理由は分からないという。

卵を産む前のこの時期、例年ならば親カルガモは皇居のお堀にいるらしいが、今ではそれも定かではないだろう。4月28日、実際にプラザ池に行ってみることにした。

Ike_2

初めて訪れたが、あまりにも殺風景な池なので驚いてしまった。はっきり言って、ここに卵を産むカルガモの神経が分からない。写真のとおり、脇には大型トラックが駐車され、隣の丸の内消防署からはけたたましいサイレンと共に消防車が出発したりする。いちおう野生動物なのだが、こんな場所に住んでいることからも相当ズ太い神経の一家だということが察せられる。

しかし、親カルガモはここには見当たらなかった。前島さんの言うとおり、皇居のお堀だろうか。それとも、もうこのあたりには来なくなってしまったのか?

Toori_1

カルガモ一家は写真右手のプラザ池からこの内堀通りを渡って、左手のお堀に向かう。見ての通り、片側4車線の大通りだ。この交通量の多い危険極りない通りを渡ろうという神経がやっぱり分からない。「ライオンは子どもをガケから」的な試練かもしれないが、轢かれてぺしゃんこになってしまっては試練も何もない。

調べてみると、カルガモ親子の歴史は思っていたより波乱含みだった。90年には3羽のヒナのうち2羽が野ネズミに襲われて死亡。92年には6羽の子カルガモ全部がノラ猫(と思われる)に襲われて全滅、子カルガモは池に浮かぶという壮絶さ。99年もカラスに襲われて全滅している。

野ネズミ、ノラ猫、カラスという難敵から逃れるために、やはりどこか他の場所で卵を産むようにしたのではないだろうか…、と皇居のお堀を歩いているとき、しげみでじっとしている親カルガモを偶然発見してしまった。

Kamo_1

とりあえず写真を撮ったが、マスコミ慣れしているのか、近寄っても微動だにしない。このズ太さである。野ネズミ・ノラ猫なにするものぞ、である。このズ太さがあるかぎりはカルガモ親子の歴史は続くだろう……、といきたいとことだが、ここで気がかりなことがある。

最近、日本で年々認知度が高まっている「ジビエ」である。

ジビエとはフランスの食文化で、野獣、野鳥の肉を食することを指す。野生肉料理ならではの独特のくさみと濃厚な味を海外旅行で覚え、「国内でも」とニーズが高まってきているが、カルガモもジビエの食材としてフランスでは当たり前のように食されているという。

グルメ人たちは「やっときたか、このブームが」と思うかもしれないが、カルガモ当人にとってはハッキリいって不吉な兆候以外のなにものでもない。

野ネズミ・ノラ猫に次ぐ新たな天敵の出現…! 飽食ニッポンの料理人たちが、アミを持って夜な夜な皇居のお堀をうろつく…。そんな光景を目撃された方、ぜひ編集部までご一報を!!(宮崎)

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