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2006年5月12日 (金)

戸塚ヨットスクール・戸塚宏と世界一周レース優勝者・多田雄幸の接点

――「戸塚ヨットスクール」解説――

 1991年3月、1人のヨットマンが自ら命を絶った。1983年、世界一周レースに手作りの「オケラ5世」号で参加し優勝した多田雄幸氏である。60歳の早すぎる死だった。8年ぶりに挑戦した世界一周レースで転覆を繰り返し、気力・体力の限界を感じてリタイアしたことが原因らしい。

 この翌年、名古屋地裁は1人のヨットマンに懲役3年、執行猶予3年の判決を下す。この後実刑判決が確定し、先月末に出所した戸塚宏氏だ。
 戸塚氏が校長を務める戸塚ヨットスクールは情緒障害児を矯正できるとして、一時期は100人もの生徒を集めたという。不登校や家庭内暴力、無気力などの「症状」をスパルタ教育で「治療」する。その手法が受けたのだ。

 しかしヨットスクールの「教育」は大きな事件を引き起こす。
 80年11月には21歳の学生が暴行により死亡。82年8月には体罰を逃れようとフェリーから海に飛び込んだ15歳の少年2人も死亡し、同年12月には暴行などで体力が衰えていた13歳の少年に海上訓練を強制して死亡させる。戸塚氏はこれらの事件により傷害致死や監禁致死で起訴された。
 とはいえ現在でも戸塚ヨットスクールは7名ほどの生徒を持ち経営を続けている。戸塚校長も来月からの現場復帰する予定で、出所後の記者会見では「体罰は教育。正しい教育論がないから教育荒廃が起こる」と持論をぶちあげた。

 そんな戸塚氏がヨットマンとして名をあげたのが76年に行われた単独の太平洋横断レースだった。このレースにかける戸塚氏の意気込みは半端ではなかった。積み込む食料を制限して船の重さを軽くする。睡眠は必ず15分ごとに取るようにしてタイムロスをなくす。湯をわかす時間を短縮するために水で戻る乾燥食品を口にする。そんな努力の結果、2位に大差を付けて優勝した。この勝利がヨット教室のスポンサーを得ることにもつながったのである。
 そして、このレースに出場したのが当時45歳の多田氏だった。同じレースに出場した4人の日本人がすべてスポンサーを付けていたが、彼はマンションを売った金で費用をまかなったという。しかも船は仲間と造った自前のもの。もちろん戸塚氏とは勝負にならなかった。というより勝負をする気もなかったのだ。船でゆったり酒を飲み、ハワイでは応援者のためにスピードを落として岸に近づいたほどなのだから。ゴールは戸塚氏より10日も遅かった。

 戸塚氏は「レースはレースのように戦うべきだ」と多田氏を批判したという。さもありなん。

 あまりにも違う人生観を持った2人が一瞬交錯した。それが76年のヨットレースだった。

 その後、2人に接点はない。ただし2人の人生はこのレースを境に大きく波打っていく。
 レース後、戸塚氏はヨットスクールを開校、多田氏は個人タクシーの運転手へと戻る。しかし2年後の78年、多田氏は故植村直己さんの北極点・グリーンランド縦断探検のサポート隊長を努めることになる。その2年後に戸塚ヨットスクールで暴行事件が発生。そして83年、大きく明暗が分かれる。多田氏は世界一周ヨットレースで優勝し、戸塚氏は逮捕されたのだ。

 これで多田氏が幸せに暮らしているならば、ひたすら目標達成に集中する戸塚氏の人生観を批判すればよい。しかし多田氏は自殺してしまった。一方の戸塚氏は自分は間違ってないと公言し、一部の人々から熱狂的な支持を受けている。

 ホームページ掲載された「戸塚宏の人間学」には、「安定させるのは意志なのだから、まず何よりも意志そのものを強くし、安定させることが必要なのだ」と書かれている。こうした思考の先には「レースによるリタイア」も「リタイアを苦にした自殺」もない。戸塚ヨットスクールがどんな厳しい訓練も体罰も逃れることを許さず、スクールの子どもに手錠をはめ、格子つきの押し入れに閉じ込めたようにだ。

 しかし豊かな人生を送ったのはどちらなのだろうか? 
「束縛されるのがいやだ」と個人タクシー運転手となった多田氏は油絵や俳句をたしなんだ。特に絵画は二科展に何度も入選するほどの腕前だったという。また戸塚氏と一緒に出場した太平洋横断レース後、同じくレースに出場した日本に身よりのない米国人を半年間も世話していたと伝えられている。こうしたエピソードに表れるのは多田氏の余裕だ。遊び心と言ってもよい。
 お湯を沸かす時間を短縮し、脇目もふらず目標達成に突き進んできた戸塚氏にとって不登校の児童など根性をたたき直す対象だろう。しかし多田氏ならどうか。

 出所後、戸塚氏は「教育の基本は精神論。正しい精神論を作って普及させていかなければ」と語っている。ただ自分の作る「精神論」が「正しい」かを疑っている様子はない。だからこそ刑務所について「人権侵害だ」あるいは「教育論を持っていない」と、真っ向から否定したのだ。外部からみれば戸塚ヨットスクールも刑務所も「人権侵害」の「矯正場所」という意味で全く違いはないのに、である。

 こうした直線的な思考・行動は分かりやすい。だからこそ一定の支持を得られる。ただ方向性が間違っていてもブレーキがかからない。戦中の日本のように。

 「もしかしたら多田さんは頑張る人なのかもしれませんね」という沢木耕太郎の質問に、次のように答えたという。
「『そうだねえ、そうかもしれないねえ……』
 多田はひとりで納得するように頷くと、いくらか遠くを見るような目つきになって言った。
『あの頃……予科練に行った時も……』」(『オケラのカーニバル』文藝春秋)
 残念ながら予科練での出来事を、多田氏はこれ以上語っていない。予科練を志願した軍国少年が敗戦のなかで立ち止まることを知ったことは間違いない。それこそが人としての豊かさ作り上げ、だからこそ人として悩みも深まったともいえる。

「戸塚ヨットスクールを支援する会」の会員は約3000人だという。立ち止まらない「教育者」はいまだ強い支持を受けているわけだ。一方、立ち止まることを知るヨットマンはすでにこの世にいない。
 それが現在の日本を象徴しているようで怖い。

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