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2006年4月

2006年4月30日 (日)

ちょっとラッキー?

Dvc00072_1 最近はなじみになったミスタードーナツの100円均一。
疲れピークの私はふらりと中に入ってふとひらめきました。
「そういえば300円で1枚カードもらえたな」
今回のプレゼントはふわふわクッション。
疲れているとき「ふわふわ」って良い響きじゃないですか?(私だけか・・・)
買いましたよドーナツ3つ。
そうしたらなんと!スクラッチ部分であたりが出たのです。
カード8枚集めなくてももらえてしまいました。
ちょっと得した気分。というかちゃんと当たり入っていたんですね(笑)

(S)

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2006年4月29日 (土)

堀江貴文は山崎晃嗣か松永安左エ門か

「電力」といえば20世紀前半における最大のIT産業だった。その中心に君臨した事業家の松永安左エ門は34歳の時に贈賄容疑で逮捕され、未決勾留された。彼は最後まで容疑を認めなかった。

一方「光クラブ」の山崎晃嗣も逮捕容疑を徹底的に争い、起訴を免れているのは2月10日に記した通りだ。

堀江貴文被告が4月28日に保釈された。95日も拘置していたにもかかわらず初公判前の保釈だから「早期保釈」と報道するマスコミの鈍すぎる感性にはあきれてモノもいえないが、まあその点は28日に小誌・大畑も書いたことなのでいいとしよう。問題は今後の堀江被告の行く末である。

問題は今回取られた「公判前整理手続き」に基づく裁判の行方である。事前に検察側の立証方針と弁護側の意見書を裁判所が受け取っているために、いわば初公判で行われる主要部分を先取りしているために保釈も可能となったとされる。近々導入予定の裁判員制度に合わせた審理の迅速化の新基軸のようだが、だとしたら以下のような疑問が消えない。

おそらく初公判は検察・弁護人双方の冒頭陳述と裁判官による公判前整理手続きの説明となろう。だが整理手続きがどのようになされたのかはわからない。弁護人は堀江被告と十分に打ち合わせた上での意見書を提出しているはずだが(でないと筋が通らない)堀江被告はそもそも否認している。だいたい、こうした過程を明らかにするのが裁判公開の原則の趣旨ではなかったのか。

被告人否認のままでなされた整理手続きの手順に沿った迅速な裁判とはいかなる展開になるのか。被告人が裁判の席でこれまで話されなかった新事実を訴えたら整理手続きの内容を超えた審理ができるのか。できたとしたら論理的に奇妙である。といって、できなかったら裁判とはいえない。そこで待ってましたとばかりに検察側が対抗する証拠を出してきたとすれば、なぜ整理手続きの際にそれを隠していたのかが問題になる。

推定無罪の原則がどうなるかも知りたい。そりゃあ現時点で日本の裁判は推定無罪なぞ形がい化していると言い放ってしまえば身もフタもないわけだが、堀江被告の新事実や、それを裏付ける新証人がいたとしても公判前整理手続きとは文脈が違うと却下されないのか。どうも趣旨からいえば受け入れられないようである。ただでさえまかり通る暗黒司法にさらなる黒雲が覆うことになりはしないか。

・・・・などなどの問題点が初公判以降にドッと噴出したらどうなるだろうか。ムチャクチャのまま裁判の原則を無視した有罪判決が出れば暗黒司法極まれりとの批判は避けられないし、逆に新システムに基づく混乱で検察が公判を維持できなくなったらアッと驚く推定無罪に基づく判決が出るかもしれない。

もしかしたら堀江被告はこの辺の面白さをすでに感じているのかも。何しろ新しい仕組みには天才的な能力を発揮する人だからね。すき間を突くのも上手だし。だとしたらむしろ好ましい。実は私は公判前整理手続きを含む裁判員制度の運営自体に非常に深刻な懸念を持っている。その一端を明らかにしてくれたならば、そして取りやめも含む裁判員制度の改廃の一助となれば、堀江被告の罪よりも功績の方が大きいとさえ評価してもいいくらいだ。

ただし気になる点もある。保釈後に堀江被告が語ったとされる「自分は生き急いだのかな。拘置所生活はこれまでの人生をゆっくり振り返る機会になった」との言葉だ。これはどちらにも取れる。悪く取れば「光クラブ」の山崎のような「堀江貴文らしい結末」を彼自身が演出しかねない。周辺は彼の行動に目を光らせて決して自殺に走らせないようにしてほしい。彼はまだ死ぬにはおしい。

良く取れば身柄拘束を「いい経験だった」と回想した松永安左エ門のような心境だ。だったら裁判は堀江被告らしく勇敢に戦って、しかるべき日から再起を図るであろう。20代で命を絶った山崎ではなく100歳近くまで「鬼」と呼ばれた経済人だった松永になってほしい。もっとも、いずれにせよ平凡な結果だけは見たくない。それは堀江さん。あなたがすでに作ってしまった一種の期待感から来るのだから我慢してね。(編集長)

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2006年4月28日 (金)

第3回 当然だろ! 堀江保釈

 昨日、ライブドア事件の堀江貴文被告が保釈された。驚いたのは、その痩せ方! 巨人時代、清原和博選手の肉体を作ったことでも有名なケビン山崎氏の指導のもとトータルワークアウトという手法(まあ、格闘家みたいな身体になる方法です)で、必死にダイエットしていたのがバカみたい感じるほど細身だった。ダイエット本花盛りのいまなら『夏まで間に合う拘置所式ダイエット――動かないでも、絶対 痩せる!――』とか売れそうじゃない? 
 
 と、枕が長くなってしまったが、本題はダイエットではない。「保釈」だ。
Photo_9  堀江被告が保釈請求を出したのは今回で3回目。正直、認められないだろうと思っていた。報道によれば、堀江被告は容疑事実を否認していたからだ。で、驚いたことに私の友人などは「なんで犯人が保釈されるの!」と怒っていた。これはイカンと保釈について説明しておこうと思ったわけなのだ。

 まず、日本では起訴される前の段階、つまり逮捕・勾留時には保釈が認められていない。一応、勾留には裁判所の許可が必要になっているが、これはほとんどチェック機能を果たしていない。1960年には勾留請求却下率が3.74%あったものの(これでも少ないが)、87年には0.31%に、さらに00年には0.2%まで低下した。つまり逮捕されたら勾留までストレート、中高一貫の私立校より「振り落とされる」確率は低い。

 で、長時間拘束などの問題点も指摘される代用監獄(ブタ箱)などで耐え抜き、やっと被告人も保釈の権利を得る。ここで重要なのが保釈請求があれば保釈されるのが原則だってことだ。検察のお目こぼしで保釈してもらうのではなく、まだ犯人と確定したわけではない被告は大手を振ってシャバの空気を吸えるはずなのだ。ただ公判に出頭したり証拠隠滅されると困るので、「万が一約束を破ったら返さないよ」と被告人から保釈金を預かる。
 ところが検察側には保釈させない切り札がある。「罪証隠滅すると疑うに足りる相当な理由」だ。この「相当な理由」についても刑事訴訟法89条に細かく規定されているわけだが、法律に書いてない暗黙の「規定」が存在する。それは「容疑事実を否認するヤツは出さん」という決まりである。

 06年4月17日の『朝日新聞』には、次のように書かれている。
「起訴された後に保釈になるかどうかも、自白と否認で大きな違いがある。昨年、自白している場合には初公判までに67%の人が保釈された。一方で、否認すると、36%しか保釈されなかった」

 この状況を自分が被告になったと置き換えて考えてみると分かりやすい。
 ニタニタ笑いながら満員電車に乗ったら女子高生に痴漢と間違われて逮捕されたと。「女子高生が近くにいて嬉しかったので、ついつい顔がにやけましたが痴漢はしていません」と否認した。ブタ箱で厳しい取り調べが20日。やっと保釈かと思ったら「否認をしているヤツはださんよ」と検察から暗に示され、担当弁護士からも「否認をしている状況だと保釈は難しいので頑張ってください」と言われる。
 比較的、自由な出版社に勤務しているとはいえ、さすがにそろそろ仕事をしないとヤバイ。もともと女の子から人気があるわけでもないし、罪を認めても実生活に変化はない。とりあえず罪を認めて保釈してもらおうかな~。

 なんて考えてもちっともおかしくない。
 
 こうした思考がさらに危ないのは、自白が「証拠の王様」と呼ばれていることだ。保釈ほしさに事実をみとめ、検察の意図した通り自白をすれば有力な証拠を提供したことになり、トントン拍子に有罪へと向かっていく。そのうえ公判で待っているのは編集部で呼ぶところの「暗黒司法」。刑事訴訟の有罪率は99%を誇っているのを覚えておいてほしい。

 これらをまとめて書くと、警察に疑われたら逮捕されるし、やってなくて認めないと拘置所から出してくれない。まあ、頑張って否認し続けても、どうせ有罪。日本は裁判制度があるから民主的だと思ったら大間違い。疑われた途端、刑務所までの道はきれいに掃き清められ抵抗すらできないのだ。カーリングのストーンを思い出してもらえば分かりやすい。投げられた石はキレイに滑っていく。

 ちなみに一般的な事件での保釈金は200万円程度といわれる。保釈を認めてほしいなら最低でも200万円は貯金すべきということだろう。この保釈金は国庫に入り裁判が終わるまで国が運用するが、被告に戻ってくるときに利子はつかない。つまり運用がうまくいけば国家の利益になる。
 まさかとは思うが、これまでライブドア株で大もうけしていたりして。(大畑)

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2006年4月27日 (木)

日本の大きな変化をしっかり読み取るためなら、この本!

 先日、友人と食事をしたとき、最近の日本の急激な変化は誰が指示したのだろうという話になった。小泉純一郎首相? 大臣? 高級官僚? 

 例えばビラを配れば逮捕できると決定したのはどこの誰なのか? 膨大な数の派遣社員やフリーターを増やした労働者派遣法の改正を決定したのは誰なのか? もちろん1つひとつ問題を調べていけば、官庁の担当部署や国会での会議にたどり着く。でも、数年前なら決定のハンコを押せなかった担当者の背中を押したものが分からない。
 世論なのか、雰囲気と書くべきなのか……。

『失敗の本質』(中公文庫)には「日本軍の戦略策定は一定の原理や論理に基づくというよりは、多分に情緒や空気が支配する傾向がなきにしもあらずであった」と書かれているが、戦中と同じように曖昧な意思決定があったような気がしてならない。本来厳格であるべき法律運用などが、「まあ、いってみます?」とか言いながら担当者が決定したような……。
 こんな国の全容を把握しようと思うなら、さまざまな問題に立ち現れる「雰囲気」を読み取るしかない。権力の中枢の誰が何を指向しているのかを分析するのではなく、国全体がどちらの方向に舵を切ろうとしているのかを感じ取るというイメージだろうか。

Photo_6  というわけで、このたび小社で発行する鎌田慧著『痛憤の時代を書く――人間らしい社会にむけて』(アストラ)をお勧めしたい。過去4年ほど、さまざまな媒体に書き綴った鎌田慧さんの時事評論83本を9つのテーマに分けてまとめたものだ。
第1章 かくして戦争が始まった
第2章 小泉内閣の罪状
第3章 日本の対米従属度
第4章 軍事大国への道
第5章 核武装への不安
第6章 とめどもないメディアの劣化
第7章 暗黒の司法
第8章 子どもたちの現在
第9章 労働基本法の強奪

 鎌田さんの視点で選ばれたさまざまな問題を通して、あらためて日本を姿を見直すと正直恐ろしくなる。マイノリティーの声を届ける本を出版し続けるわが社のような小さな出版社が取り締まりの対象になっても全然おかしくない。そう思わざるを得ないのだ。司法の暗黒化はますます進行しているし、警察はさらに強権化している。
 かつて鎌田さんが「年々日本が悪くなっていくのがイヤだ」と語っていたのを聞いたことがあるが、なるほど納得である。でも、今目をそらしたら絶対に将来後悔することになるだろう。覚悟を決めて現実を直視してほしい。

 さて、あまりにも暗い話を書いたので、ちょっと違った観点から本書のお勧めを!
 じつ小誌カバーに掲載している鎌田さんの書斎は本邦初公開! これまで書斎の撮影をお断りしてきたのだそうだ。また、これまでの鎌田さんの写真の多くは災害場所や事故現場など取材地で撮られた。そうした点でも原稿を書く鎌田さんの写真は珍しかったりします。
 というわけで内容はもちろん「ジャケ買い」としてもお勧めな本なのでした。

 書店に並ぶのはGW明けです。書店での注文は、もうお受けしていますのでぜひどうぞ!

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2006年4月26日 (水)

昭和天皇の陵墓を訪れた

JR高尾駅を降りて、徒歩20分の距離にある武蔵陵墓地へ向かう。

新宿から中央線中央特快で約50分。同じ東京とはいっても人ごみの慌ただしさもなければ喧騒もない。四方八方に見えるスギ山の緑が景色を豊かなものにしている。

武蔵陵墓地の入り口までは20分だが、昭和天皇のお墓である武蔵野陵(むさしののみささぎ)までは、入り口からさらに15分ほど歩く。

玉じゃりが敷かれた道を歩いたが、天気がよかったこともあってすごく気持ちがいい。道の両側は林になっていて、都市部ではまず聞くことのない類の鳥の鳴き声が聞こえてくる。

陵(みささぎ)とは、天皇、皇后、太皇太后、および皇太后のお墓のことをいう。約46万平方メートルを有するこの陵墓には、武蔵野陵(昭和天皇の陵)、武蔵野東陵(香淳皇后の陵)、多摩陵(大正天皇の陵)、多摩東陵(貞明皇后の陵)の4陵がある。

昭和が終わり、平成になりはや18年。

陵墓といえど、さすがにこれだけの月日が経てば訪れる人もいないのではないか……。「忘れられたる武蔵陵墓地」みたいな風景を想像していたが、まだ武蔵野陵に到着する前から、そうではないのだということが分かった。参道を歩く人が他にもちらほらといたからだ。

「来るのは初めてではないですよ。特に昭和天皇のところに、というわけではなくて、どちらかというと森林浴ですよ」と50代くらいの女性はいう。

Sho2_2 

他に歩いている人を見ると、ほとんどの人がウォーキングシューズを履いていた。たしかに散歩コースとしては絶好だ。

陵墓ではあるが、すれ違う人たちの雰囲気からは神妙な空気などはほとんど感じられない。 玉じゃりをザクザク鳴らし、「どっちから行くー? 昭和天皇と大正天皇ー。」という明るい声すら聞こえてきた。 

Sho4_1 武蔵野陵で参拝する。

しばらくあたりの様子を伺うと、少しずつではあるが途切れなく人がやってくることが分かった(あるいは参道が広いから少しずつやって来るように見えるのか)。

警備員によると、多い日は1000人もの人が来るという。武蔵野陵の周りには、昭和天皇が御愛好になった桜、アケボノスギなど、草木合わせて55種が植えられていて、桜を見にくる人も多いのだという。

ところで、来年から「みどりの日」(4月29日)が法改正により「昭和の日」に変更になるのを受け、八王子市は都、国と連携して遊歩道整備、記念碑配置などを実施することを今月22日に発表している。

高尾駅から武蔵陵墓地までの遊歩道整備などが進めば、ウォーキングコースとして密かな人気があるこの場所にさらに人が訪れるようになるのは必至だろう。(宮崎)

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2006年4月25日 (火)

あえて「騒音おばさん」を擁護すると

弁護士の竜嵜喜助氏には『裁判と義理人情』との興味深い著作がある。それによると隣人紛争では「敗訴者は、一生悪者の烙印を押されたまま暮らさなければならないので、当事者にとっても耐えられないことであろう。そしてこのことが忘れられない以上、いつかまた新たな紛争を呼び起こさないともかぎらない」とある。「騒音おばさん」の懲役1年の地裁実刑判決を聞いて深い思いを抱いた。

「騒音おばさん」こと河原美代子被告は2年以上にもわたって近所の住人に大音量を流すなどして睡眠障害などの障害を負わせたとした。「反省の態度はみじんも感じられず」というのだから判決文の通り「再犯の可能性もある」であろう。未必の故意による傷害という判断に私も疑問はない。ありていに言ってこんな隣人がいたら迷惑千万である。

だが懲役1年の実刑判決というのは微妙だな。量刑の感覚として検察官が求刑した懲役3年の実刑は明らかに重い。そこで3年の有罪を認める代わりに5年の執行猶予を付ける、いわゆる「3-5」の判決か、求刑を軽減しての実刑か。判断がわかれるであろう。執行猶予を保護観察付きにすればいつでも収監できる。しかし「再犯の可能性」を見越した上での執行猶予という判断には批判も集まるだろう。

だから本来ならば懲役1年の実刑は妥当なはずだが河原被告は昨年逮捕されてからすでに1年以上未決勾留されている。裁判長は、そのうち250日を刑に算入したので、このまま確定しても4ヶ月で刑期満了となる。
わたしは「だから執行猶予判決の方がいい」といいたいわけではない。最大の問題はこの未決勾留という悪癖である。未決での拘置所暮らしも、確定後の収監も日常生活とのギャップでとらえればたいした違いはない。「反省の態度はみじんも感じられ」ない被告はしばしば河原被告のように延々と未決勾留される。これは罪刑法定主義の原則を踏みにじる行為ではないかというのが私の最大の疑問だ。

まだ判決も下っていないのに不要なほど拘置され続けるのは基本的人権を踏みにじる行為である。報道では250日の算入そのものに疑問を差しはさむ声があるが、本来ならばそんなに長い参入期間が生じるプロセスに欠点があるのである。無期や死刑判決も想定される事犯ならばともかく「騒音おばさん」に証拠隠滅や逃亡の恐れはない。
ある意味笑っちゃう話だが証拠隠滅か逃亡をしてくれれば問題が解決する奇妙な事犯でさえある。別のCDラジカセをまだどこかに隠し持っていたとして、それを捨ててくれれば、また住まいからいなくなってしまえばトラブルはなくなるわけだから。

裁判はどうやら被告弁護側の控訴となりそうだ。となると未決勾留はまだまだ続く。その点で河原被告は正直な人ではある。ほめているのではない。計算をしない人だと言いたいのだ。最高裁まで突っ走ってしまったら未決勾留はすでに1年を超えているのだから、さらに続こう。裁判官の心証も悪くなって実刑が重くなる可能性もあるが、期間的にはそれをもしのぐ可能性が大きい。後4ヶ月で出てこられるものを自分で引き延ばしているのだから。

未決勾留という悪癖がある。それでもいいと自分で引き延ばす被告がいる。不条理やらキテレツやらが混じり合って「騒音おばさん」のキャラはさらに立ってくる。どれくらいか後になって、おそらく実刑判決確定即刑期満了で河原被告が出てきたら「再犯の可能性もある」人だから、出所後に即刻「引っ越し!引っ越し」を再開するかもしれない。だが一事不再理の原則上、捜査は再びゼロから事件にしていかなければならないのである。多くはこれを心配するし、被害者を思うと私も心配だ。

だが冒頭の竜嵜弁護士の指摘するルサンチマンが「反省の態度はみじんも感じられ」ない感情の持ち主に二重にかぶさったらどうなるのかとの考察はあまりされていない。今度は刑法犯の既遂者として地域に迎えられるのである。
ただのやっかい者ではなくて元犯罪者として。その時に竜嵜弁護士の書く「新たな紛争」はどうなるのか。音声による傷害を上回る重大な他害行為に走ったら司法の役割を根底から揺さぶる。未決勾留という一種の予防拘禁を用いた上での結果だから深刻だ。
もう一つは自殺などの自傷行為に向かう恐れである。自ら正しいと信じた行為が民事でも刑事でもコテンパンに打ち砕かれて平気でいられようか。「いっそ死んでくれた方が・・・・」との思いが回りに充満していると容易に予想できるだけに怖い。
司法には犯罪者の贖罪意識を喚起させて再犯させない懲罰かつ教育的役割がある。自由刑優位の原則だ。その点が長い間ないがしろにされてきて、今も変わらない。それを痛感させられる事件である。(編集長)

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2006年4月24日 (月)

チャーチル小泉に挑むアトリー小沢

衆議院千葉七区補欠選挙で民主党新人が自公候補を破って当選した。小泉政権が嫌いで嫌いで仕方がない私としては「ざまあみろ」と素直に欣然としている。
もしかしたら1つの時代の終わりを象徴した選挙なのかもしれない。わが国はバブル景気崩壊以降の経済混乱には伝統的なばらまき財政が効果を持たないのを森喜朗政権までに痛感していた。そこに小泉純一郎議員がデフレ下の引き締め政策を訴え、それが経済学上は最悪であると知りながら、あるいは知らずかのいずれかで5年もの長期にわたって政権を委ねた。
チャーチルは経済政策としては引き締め一辺倒であった。したがって失業や所得の低落などを招くと「大きな政府」派には疎まれていた。対外的には強硬一本やり。ゆえにチェンバレンら融和派に疎んじられた。ゆえに保守党の有力な政治家でありながら長い間雌伏を余儀なくされる。この当たりは総裁就任前の小泉首相に似る。
チャーチルが首相として高い評価を得たのは何といっても対外強硬路線を主にナチスに対して貫き、「バトル・オブ・ブリテン」などの戦闘を勝利した、本来は偏狭とさえ受けとめられて然るべき強烈な指導力と折に触れて繰り出す印象的なフレーズにあった。アメリカ大統領(F.ローズヴェルト)とは蜜月だった。この辺も小泉首相に近い。そして6年の間でイギリスを戦勝国に導いた。
私は昨今の「景気回復」そのものを疑っているし、仮にそうであったとしても小泉政権の政策が実を結んだとは評価しない。しかし彼が政権にある間に回復の芽生えがあったのは事実ではあろう。
にも関わらず終戦後に英国民がリーダーにいただいたのは最大の功労者ではなく反対党の労働党のアトリーだった。45年の総選挙で勝利したアトリーは組閣してチャーチル最大の果実の1つだったポツダム会談を引き継ぐことになる。

アトリーは一部で変節を指摘される。マクドナルド挙国一致内閣で大臣となったが同内閣自体が労働党主流派との分裂の結果である。チャーチル政権でも連立して副首相の重責を担う。この当たりは逆に小沢一郎民主党代表と類似しよう。与党に出たり入ったりして政治経歴を高めていった。時に仲間を切り捨てる結果となる行為も成し遂げた。
そのアトリーがなぜチャーチルの後を襲えたかについては諸説ある。おおよそは大戦という有事にはチャーチルのような、ある種の偏執狂が有効だが、平時(戦後)には理念と政策のバランスを取れる政治家に委ねたかったといったところか。アトリーはチャーチルのこだわった経済引き締めを否定し、「雌牛」とまで呼ばれた植民地インドから撤退するなど社会政策に意を配った。小沢代表が最近になってしきりと唱えている格差の是正的な方針に近しい。

もしかしたら日本国民は教科書通りにやっても何ら改善しない経済停滞の打破をムチャクチャやる男にいったん委ねて活路を見出し、結果としてそれが成功すればササと捨て去ってまともな政治家にチェンジしようとしていた。その潮目が昨今の「景気回復」だ・・・・と言ったら国民を褒めすぎかな。

小沢代表は自ら変わると宣言したが、その変化は自自連立が崩壊して野に下った2000年の衆議院議員総選挙で感じた。小沢自由党党首は自らが殴られる役を演じるCMを引き受け同党は比例区で658万票も獲得した。大半が小党となって消えると見ていただけに創価学会票と遜色ない数字を個人技で集めた能力に皆が驚いた。次の参議院議員選挙ではロボットに扮した。「記者会見はサービス」と言い放った姿はどこにもない。民由合併後の2003年総選挙における民主党の飛躍は多分に「小沢エキス」が大きかった。かつて「みこしは軽くてパーがいい」と発言したとおり、新進党党首の頃の小沢氏は自らトップに座ると、これまた自ら「軽くてパー」になろうとしていたフシがあるが土壇場の経験で何が何でもリーダーとして引っ張ってやるという精気が感じられるようになった。

自らが地方出身のためか最近では小泉政権の地方切り捨てや雇用条件の悪化をしきりと批判し、民主党内の旧社会党系と連携している。アトリーの政治思想も前半はどちらかというと強面であった。小沢一郎も案外と期待できる政治家かも・・・・と最近思わないでもない。何だろう? 小泉嫌いの反動にすぎないのかとの疑いは消せないが・・・・。(編集長)

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2006年4月22日 (土)

2人目のアルバイトです

2人目のアルバイトです。
編集部には行ったり行かなかったり・・・。かなり適当な私ですがこれから宜しくお願いいたします。
編集部にいて好きなもの「本」っていうのはありきたりすぎてどうかと思うのですが、出版で稼いだ金を出版物につぎ込むというあほな生活を送っています。
その証拠として私の家にはS潮社のグッズが沢山あります。今回紹介するのはこれ。
100%ORANGEさんが書いた絵本ですね。
どんなストーリーかは貰った人の特権なので書きませんが一切文章は出てきません。
かわいい絵で特にライオンが素敵!ぜひ集めて読んでみてください。
Dvc00073

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2006年4月21日 (金)

第2回 グレーゾーン金利

 今年に入ってからニュースでよく見かける。しつこく「追い込み」をかけて借金を回収していたアイフルに対して、金融庁が全店舗に業務停止命令を出した最近の報道でも目にした単語だ。
 なんだろうと思って調べてみると、これ自体はさして難しくはなかった。違反すれば罰則を科す出資法が定める上限の年利29.2%と、罰則規定のない利息制限法の上限15~20%(借りた金額によって3つに分かれる)の間にある金利だという。つまりお縄ちょうだいにはならないけれど法律には違反してるぞ、っていう金利だ。

 じゃあ、どうして2つの法律ができたのかといえば、そもそも法律の性格が違ったのである。両法律が成立したのは1954年。出資法は戦後のヤミ金融を取り締まる目的で制定された。そのため当時の上限金利はなんと109.5%だった。一方、利息制限法は市民間のルールである「私法」に属する。分かりやすく言えば、個人間の争いが起こったときの基準になる法律なのだ。
 そして1983年新たに貸金業規制法が制定される。「サラ金」が社会問題化し利用者を保護しようとの声に押されてできた法律だ。取立ての具体的な内容を盛り込むなど、貸金業への規制を全面に打ち出した法律とも評された。ただし、この法律には業界が納得する「アメ」が仕込まれていた。それが「みなし弁済規定」。

 細かな決まりいくつかあるが、もっとも重要なのは借り手が任意で払うならグレーゾーン金利を認めるというルールだ。このみなし弁済規定によって消費者金融はますます発展していく。その裏で利用者が増え自殺者が増加するなど問題は深刻化していった。
 そうしたなかグレーゾーン金利に対する裁判も増加し、司法が徐々に利用者保護へとかじをきっていく。そして今年1月、最高裁は「事実上の強制があった場合は、利息制限法の上限を超えた利息分の支払いは無効」との判断を下した。

 そのうえ、この最高裁判決を受けた金融庁の「貸金業制度等に関する懇談会」は、出資法の上限金利を引き下げて金利の上限を利息制限法に数値に統一する方向でまとまった。
 もちろん業界は大反対。木下盛好・アコム社長などは「金利を下げると(審査が厳しくなり)借りられない人が出てくる」と発言。結果としてヤミ金融に頼る人が多くなると主張した。

 さて、ここで改めて考えみたい。
 そもそもみなし弁済規定が定めるように「任意」で高い金利を選ぶ借り手がいるだろうか? 通常なら選ぶわけがない。選ぶとすればよほど尻に火がついたか、貸し手側がきちんと説明しないかのどちらかだ。
 じつはもっと大きな問題がある。そもそも消費者金融の借金は返せるのかという疑問だ。50万円を借りて月々1万5000円ずつ返済する場合、出資法の上限金利29.2%なら利息が54万円にもなる。少しでも経済状況が悪化したら破綻してしまうだろう。

 実際、破綻の兆候といえる多重債務者はかなりの勢いで増えている。国民生活センターへの多重債務の相談件数は年間6万件近い。ちなみに最高裁による個人の自己破産件数は約18万にのぼる。また同センター調査によれば多重債務者の6割が年収300万円未満だという。

 大手消費者金融は先頃、利用者が計画的な返済ができるかどうかを自ら判断するためのチェックシートを無人契約機などに置く計画を発表したが、本当に返済能力をチェックしてもらいたいのだろうか? むしろ返せなくなるような人が「お得意様」ではないのか。

 年収300万円では生活はカツカツだ。そこに借金が加われば家計は破綻寸前だ。ただし家族が払ってくれたり、追いつめられて他の金融機関で借りて返してくれれば企業は利益を確保できる。いうならば破綻を見越した金貸し同士の「ババ抜き」である。もちろん独自の「資金回収術」を持つヤミ金にババがまわることに、消費者金融業界が痛みを感じているはずもない。金利を下げればヤミ金に頼る人が増えるのではなく、ヤミ金に行く前に金を落とす人がいなくなる。それこそ業界が危惧しているものの正体だ。

Photo_3

 金がなく尻に火がついた貧乏人を、みなし弁済という法の抜け穴に誘い込み金をむしり取る。ヤミ金融との違いを声高に主張しながら、行き着く先が結局ヤミ金だったりするのが恐ろしい。
 ちなみにヤミ金以上に消費者金融と近い関係なのが銀行だ。三井住友はプロミスを、三菱東京UFJグループはアコム、みずほグループは武富士を傘下に収めている。筋の悪い客には銀行の客を消費者金融に回しているとの噂もある。

 ゼロ金利と公的資金の導入で庶民からどんどん財産を搾り取った銀行が、消費者金融と手を組んで貧乏人を地の底に叩き落とそうとしている。
 ヒデェ話だ!
 銀行の連結決算の対象となる消費者金融に打撃を与えるグレーゾーン撤廃に、銀行側がどうやって反対に回るのかも監視する必要がありそうだ。(大畑)

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2006年4月20日 (木)

グッドモーニング ミスターブッシュ

「あんまりのぼせるとベトナムにやるぞ」
私がまだ幼い時にお痛をした際、おやじが繰り返した殺し文句である。そりゃあ堪らんとたいていは大人しくしたものである。大人になっておやじごときがガキだったオレをベトナム戦争に送れるはずはなかったのだと歯がみしても後の祭りである。
トム・クルーズ主演で1996年に上映された「ミッション・インポッシブル」では上司のフェルプスが部下を裏切るシチュエーションになっている。ネタバレを怒る人ごめんなさい。謝ったから書いちゃうけどフェルプスの動機は「冷戦が終わって敵から隠す機密はなくなりスパイ作戦は消滅した。時代は変わって諜報員は過去の遺物。飽きのきた女房と年金6万2000ドル」だった。
同映画の元ネタである邦題「スパイ大作戦」ではフェルプスは大ボスであった。その彼の裏切りとは、いわばドリフターズをいかりや長介が裏切るのと同じで「ありえねー」なのだが「諜報員は過去の遺物」の言葉には妙に納得させられた。

何がいいたいかというと1991年のソ連崩壊を頂点とする「東側」の消滅は日本を含む西側にいわゆる平和の配当をもたらしただけではなくて弛みも与えたのではないかという点だ。

ソ連は敵だった。しかも強敵だった。西側のボスであるアメリカとタメを張れるほどに。
ソ連というと完璧なイメージがあった。何だかすべて機械化されて感情が論理に支配されていて、しかも文句なく強い。その国をリーダーとする共産主義圏もまたアナロジーでとらえていた。北ベトナムがアメリカを相手に最後は勝ってしまったのにも舌を巻いた。何しろ日本をボロ負けさせた強国を打倒してみせたのだ。
「相手は強いぞ」との危機感は身を引き締めるのに便利だ。冷戦構造自体は望ましくはなかった。それは確かだが一部を除いて世界的な「熱戦」すなわち第三次世界大戦を引き起こさなかったと知っている今になって振り返ると、結果として1945年の第二次大戦終了から約45年間の日本国民の緊張感はそれで保たれたと推察するのだ。
たとえば今時の父親に「あんまりのぼせるとベトナムにやるぞ」に匹敵する殺し文句があるかと想像するに思いつかない。

そして日本の高度成長もまたこの時期にあった。最近美化されている昭和30年代も含まれる。繰り返しになるが今になって結果論として「冷戦のままだった」という地点から振り返れば「夢と希望にあふれた昭和30年代」もあり得ようが当時はいうまでもなく核のボタンに何となく、でも確実におびえてはいたのだ。米ソが核戦争に突入すれば人類が何十回も滅亡するなどというナンセンスなシミュレーションが真顔で語られた。人類は1回滅亡すれば十分だという真っ当な突っ込みさえ入れられなかった。

ソ連崩壊から15年が経ち、世界はアメリカのみを唯一の超大国とする一極構造に変わった。それは冷戦時に望んでいた構図のはずだった。少なくともソ連一極支配よりいいに決まっている。それは変わらないが、「世界中が西側だけ」という言語矛盾の状況で決定的に怖い相手を失った我らは明らかに困惑した。

中国でさえ当惑していよう。覇権国家ソ連とでは100年たっても大丈夫・・・・もとい解決しない予定だった中ロ国境紛争が21世紀に入って5分5分条項で解決してしまったから。この紛争で孫子の代まで食べる予定だった中国人は多かったと思うよ

今でも世界中に紛争が起きているじゃないかとの反論もあろう。ただそれが導火線となって米ソ二強の最終戦争突入!との緊張感はない。もしや少子化も下流社会も少年犯罪も皆この緊張感のなさが陰に陽に関係しているのではないかとの疑念を当今抱くのだ。

アメリカは相変わらず敵を見つけては叩いているが最初から圧勝気配で賭けが成立しないほどである。
「テロとの戦争」はレトリックにすぎない。テロとは相手国と戦争ができない程度に貧弱な武力しか持たない程度の集団が仕掛けるゲリラ戦である。言い換えれば戦争に打って出られないからテロなのであって「テロとの戦争」もまた言語矛盾である。

ソ連崩壊後、アメリカは結局フェルプスの「諜報員は過去の遺物」と同様のカラの巣症候群に陥ってしまった。だったらファイティングポーズも降ろして「飽きのきた女房と年金6万2000ドル」で暮らせばいいのにフェルプスができなかったように米軍は自らを過去の遺物にはできない。
だから全然話にならないほど弱い集団をソ連並みに扱って叩きつぶしてきた。ここに根本的な倒錯がある。冷戦終了後のアメリカは「vs実は偽ソ連」の茶番を見せてきたのだ。「敵から隠す機密」などなくなったのにあるがのようにみせかけて最近では主に中東でケンカを売っている。それに日本も付き合ってきた。イラク戦争の時にサダムに命を預けた精鋭の共和国防衛隊と特別警護隊が油断ならないなんて情報もあったよね。どこにいたんだ警護隊。

今度はイランの核だってさ。それにおののいて見せる日本人よ。我らの方が核技術はイランより数段上なんだぜ。
だが本質的に茶番で倒錯している世界観である。倒錯や言語矛盾も10年続けば何となく当然に感じてくる一方で人はいくら洗脳されても倒錯や言語矛盾に不快感を覚えるのだ。そのギャップ、いわばウソくさーい雰囲気が当然視される世論。腐臭の中で生まれ育つと言い換えてもいい。まともに人が育つわけがない。

解決策はいくつかある。まずはアメリカが仮想冷戦ポーズをやめることだがやめられないからバツ。次に本当の新ソ連を見出す方法があるが中東や東アジアの1つや2つの国では茶番が見抜かれるのは時間の問題だから多分「対イスラーム」に持っていこう。結構いい勝負?にはなるが冷戦と同様に不幸のなかの結果的安定が必ず得られる保証はない。

いっそ宇宙人に攻めてきてもらってはどうだろうか。アメリカもイスラームも金正日もウサマも手を取り合って団結しよう。ハリウッドとNASAで提携したら。(編集長)

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2006年4月19日 (水)

こんなときにゃ、この本だ! 第2回 「新しい季節だから・・・変わりたい! ~ブレークスルーへの入り口~」

100_1  『100億稼ぐ仕事術』 (堀江貴史/SB文庫)

「時代の寵児」だったはずが、コトが発覚した途端に、恐ろしい速さで波は引いていった。
いま思う。堀江貴史となんだったのか?

彼のエッセンスが注がれた本書を今、改めてひも解いてみる。
「ハジメニ」でいきなり「私はメールを1日平均5000通読んでいる」ときた。
だからなんなんだ、やってたのは結局サギまがいのお祭り騒ぎじゃないか、という声が聞こえそうだが、果たしてそれが全てだろうか?
たしかに違法スレスレの株式分割、完全にアウトな粉飾決算を行ったのは事実だが、たった7畳しかない雑居ビルの小部屋から始まったオン・ザ・エッヂを破竹の勢いで成長させたこともまた事実だ。

本書の見出しをざっと挙げていく。
「だらだら会議は経費のムダ」「絶対に必要なリフレッシュ時間」「今すぐ役に立たずとも、いつか役に立つ」「自分で考える」。
ぱっと見、とてもシンプルだが、確かになにか「仕事ができる」雰囲気が漂っている。いったい、自分でものを考えることのできる人間がどのくらいいいるのだろうか?
「資本主義なんだから、儲けようとするのは当たり前」と堀江は言い放った。
たしかに挑戦的な言葉ではあるが、嘘ではないし、このフレーズを打ち負かすくらい説得力を持つ言葉を、私はまだ聞いていない。

ためしに騙されたと思って、このホリエ流仕事術を実践してはどうだろう。案外、「きみ、なんだか見違えたね」とか言われたりして。

Shissou 『失踪日記』 (吾妻ひでお/イースト・プレス)

著者自身の体験から、2回の失踪とアル中生活の様子が描かれたマンガ日記だ。
「89年11月 わたしは某社の原稿をほっぽって逃げた」から始まる失踪、その生活描写はなかなかにリアル。
「欝と不安と妄想が襲ってきて」自宅の部屋から逃げ出すが、失踪とはいっても街から遠く離れず、ちょっとした林の中でホームレスをしている。

野鳥をとるための仕掛けにあったみかんを「ジューシー」と口にし、冬の夜を腐った毛布にくるまってやりすごし、拾った生タマゴと天ぷら油を混ぜ合わせて「マヨネーズ!」とはしゃぐ。
淡々としたシーンの連なりを読んでいてふと気づいたのは、著者は「なんとかしてこの状況を脱出したい」などとはカケラも思っていないとういう点だ。(自殺未遂はあったけど。)
たらればになってしまうが、シケモクをあさっている途中に警官に捕まらなかったら、もしかして著者は今でも失踪生活を続けていたのではないか?

そして今でも一斗缶で焚き火をし、水場を探して歩き、食パンを日光消毒しながら食す日々……。うーん、なんというたくましさ!
「生きられない」などとヤワな言葉をつぶやく前に、「失踪日記」を読むことをお勧めする。
生き方の選択肢は決してひとつなんかじゃない。日常からよりリアルな生存へのブレークスルーがここに記されている。

Takeshi 『たけしの死ぬための生き方』 (ビートたけし/新潮文庫)

著者については説明不要。94年8月、彼はかの有名なバイク事故で重態に陥った。

「原チャリにまたがった、そんなような気がする。だけど、その前後の記憶は全くないんだよ。」
そう振り返っているが、彼の意識はある映像を捉え、それは忘れられることがなかった。自分が、自分の形をしたボロボロになったヌイグルミを持っているという映像だ。

「ようするに、肉体と精神が分裂して、肉体ってのは精神が借りてる着物だっていうのがバーンと見えちゃったんだね。」
語り口は軽いが、どうしようもなく深い淵を見下ろすような、底なしの遠近感がこの文章にはある。

なんとか意識を回復し、著者は思った。
「今までどうしてこんな生き方したんだろうって反省が猛烈に襲ってきた。(中略)自分に対する自己嫌悪。」
テレビを撮って、スシを食って帰って寝る、という機械的な日々を省み、いろんなことを考えた。
私たちはよく、風邪をひいて寝込んでから健康のありがたみを知った、などというけれど、そういうスケールではなかったはずだ。

「顔はぐしゃぐしゃにしたけど、脳だけは損なわないようにしてくれた。どうも神様が、『たけしよ、自分で答えを出せ。そのために脳は残したんだぞ』といってるような気がした。『一所懸命考えろ』って。」

いったん生から死へのブレークスルーを果たさなければ、本当に自分自身を省みることはできないのだろうか?

とにかく、ベッドの上で著者はいろんなことを考えた。ここにはその足どりが記されている。
バイク事故を起こさなくても、本書を読むことで病室での深遠な、ときおりバカバカしくもある思索を追体験できるだろう。
たけしは、「変わった」のだろうか?
とにかく数年後、あの名作「HANA-BI」が生まれたことは事実だ。(宮崎)

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2006年4月18日 (火)

永田元議員の事務所は今

あまりにもお粗末な「偽メール問題」で、紆余曲折経たものの3月31日に辞職した民主党の永田寿康元議員。

メール問題で民主党内はゴタゴタが続き、前半国会では耐震偽装問題で自民を追及するはずが「偽装メール」と逆に返されてしまう有様。
結局、3月31日に前原前代表は半年という短命で辞任、党執行部も退陣。今月13日には偽メール騒動の舞台となっていたライブドアが株式市場から退場。
小沢一郎新代表の就任が政治の話題を総ざらいした一方で、永田氏に関してはほとんど報道されなくなった。

どこで何をしているのかもわからない永田氏だが、いま、その議員事務所はどうなっているのだろうか。
千葉2区で選挙活動を行った永田氏の事務所は千葉県八千代市にある。4月14日の午後、その事務所に足を運んだ。

Photo_5 京成線の八千代台駅から線路沿いに徒歩15分。
たどり着いた事務所のすべての窓にはブラインドが下ろされていた。

玄関横の表札に「永田寿康」とは書かれてあるものの、人の出入りはおろか人の気配さえない。
道路を挟んだ向かい側にある日本IBMのグラウンドから飛ばされてきた桜の花びらが玄関辺りに薄く積もっている。

辞任後、永田氏は事務所に訪れていないのだろうか。
近くにある美容室「キヌ」の従業員さんに聞いてみるが、永田氏のことに関しては何も分からないという。
事務所は選挙活動の拠点だったにもかかわらず、永田氏がこの美容室に訪れたこともないという。ご近所なんだから、顔くらい出しましょうよ!

Jitennsha_1 事務所の周りを歩くと、選挙活動に使われたものなのか、同じ型の自転車が何台も置かれているのを見つけた。
いまどき選挙活動に自転車を使うものなのだろうか?

しばらく事務所付近にいたが、やはり動きはまったくない。人通りが少ない場所にあるせいで、余計に静まり返っているというが印象的だった。
打ち捨てられた感のある事務所と自転車。再び使われることはあるのだろうか。(宮崎)

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2006年4月17日 (月)

写研に取材を申し込んだのだが

以前に何度か写研書体について当ブログに書き込んだ。日々の時事問題を書き連ねていてアクセスも当然ながら新しい書き込みに多いなかで、その記事だけは古びることなくアクセスされている。こういう点でアクセス解析というのは意味があるね。
そこでアクセスして下さる方への情報提供と私自身の興味と実益から06年4月10日、小誌は写研に電話で取材を申し込んだ。

質問の内容は「写植全盛期には他の追随を許さないほど発展した写研の書体だが、DTPに移行してからは、モリサワなどが対応しているにもかかわらず、写研は対応しないまま今日に至っている。DTPでも写研の書体を使いたいという声はあると思うが、いまだにDTPに移行しないのはなぜか聞きたい」ということだと取材の趣旨として伝えた。

電話で対応した女性が「少々お待ち下さい」というから5分くらい待った。その結果「社長が現在会議中なので、折り返し電話する」ということでいったん切る。
2日後の12日、電話がかかってきた。「取材などは方針として受けないようにしておりますので、今回は失礼させていただきます」とのこと。対面ではではなくせめて電話取材ならばどうかともちかけてもダメであった。
写研は不思議な会社である。帝国データバンクの情報にも入っていない。あれほどの会社だから帝国データや東京商工リサーチは対面取材を断られても決算書などから調べそうなものなのに。今回の取材拒否も不思議である。まず「取材などは方針として受けない」企業などあっていいのだろうか。零細ならばいざ知らず写真植字のリーディングカンパニーの言葉とは思えない。
「社長が現在会議中」というのも腑に落ちない。たかがいったら自虐になるが小誌ごときの取材の是非が社長を通さないと決まらないのであろうか。それともDTP関連の質問は社長以外は答えられないトップシークレットなのだろうか。

以上は写研という会社をくさして書いているのではない。むしろ逆で私は写研書体を偏愛していて使いたいのである。だから愛するあまりの質問なのだ。ならば旧来の方式で使えばいいだろうとなるのか。それだとDTPよりもコストがかかる。愛の代償に支払うコストということか。
もしかしてこの論理で写研を使い続けている人が今でもかなりいて、それゆえに写研はDTP化をせずにやっていけるということであるのか。聞きたいことはヤマほどあるが取材拒否ではどうしようもない。
写研コンバータを使うことも考えたがジャギーの問題などが大きすぎて出力してみないとわからない。しかもいかに高解像度のレーザープリンターといっても普通紙出力を版下にして商業印刷をする勇気はないから印画紙となるが今さら印画紙出力機を買うのは明らかに時代錯誤である。古手の組版屋さんが印画紙出力機を捨てたという話を一昨年に聞いてフーンそういう時代なんだと隔世の感にとらわれたほどである。だいたい今のパソコンのDTP環境とうまく連動させる自信がまったくない。

写研コンバータは著作権の侵害にならないかとの疑念もあるから使わない。コンバータ自体は写研が出しているものではないから写研書体そっくりの出力(という表現になろう)をした場合には著作権侵害で訴えられかねない。
民事の損害賠償請求となれば得べかりし利益論が問題となろうが書体こそ売れるか売れないかの根幹を握っているとの主張に立てば100%を請求することも可能だ。少なくとも私が原告ならばそのくらい吹っかけてやろうと思いつく。しかも被告があえてコンバータを使っているという事実は取りも直さず写研書体が必要不可欠と被告が考えていた何よりの証拠だという論法は説得力があるしね。

では外注といっても写研を扱う製版屋さんが激減している。以前から付き合っていた3社は3社とも止めてしまった。

ならば印刷屋さんに頼もうとしても「対応していない」との返事ばかり。大日本や凸版ならば何とかしてみせるのであろうが、この二大印刷企業はかゆいところまで手が届く素晴らしいサービスは提供してくれるものの対価が高い。一刻を争う雑誌コード付きの週刊誌や分厚い月刊誌ならばともかく単行本の世界で二大印刷企業に頼るのは少部数しか売る力のない我ら零細版元には荷が重すぎる。

書店で本を片端から開いて見ると写研の書体がみるみる減っているとわかる。ここ2・3年に顕著に感じる。もはや私のような偏愛者自体が編集の現場では少数派なのか。いやそれはあるまい。確かに若手には写研に何の愛情も感じないだろう。私が凸版に何も愛を感じないように。ただ写研世代の現役はまだ多数いるはずだし美意識も共有しているはずだ。結局はコストの問題および時間短縮の問題に行き着く。
今や中堅どころか大手まで内製化を進めている時代である。本文レイアウトのデザイナーは製版業を自動的に兼ねている。いやそれ以前に編集者が本文レイアウトのデザイナーになっている場合も多い。
写研様。なぜDTP化しないのか。理由だけでも教えて下さいよ。(編集長)

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2006年4月15日 (土)

『編集部の女の子』第1回 「わたしのお気に入り」

今日は私のお気に入りを紹介します。それは、

20060411172253_1



新しいノートパソコンのVAIOくんです。
昨年の末にうちにやって来ました。
ちょっと重いので移動には向きませんが、それまで愛用していたThinkPad x40の"マキちゃん"は購入から2年が過ぎてずいぶん動きが遅くなってしまったため、今では毎日VAIOくんを使用しています。容量もたっぷりで、Illustoratorもすいすい使えるよい子です。

2年前大学に入学し、PCを多用するようになって以来、インプットとアウトプット の手段がぐっと増えました。

大学の課題を提出するために利用するだけでなく、写真を加工したり音 楽を聴いたり、こうして書いた文章を公開したりしています。
私にとってPCは単なる道具ではなく、大切な相方なのです。

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2006年4月14日 (金)

教えて! タロー人形――時事問題用語解説――  第1回 壊し屋

 「壊し屋」といえば、いまや小沢一郎・民主党代表をおいてほかにない。また、そんなあだ名を授かるのも当然と感じるほど、さまざまな彼は政治集団を壊してきた。

 1992年には政争に敗れて竹下派を裂き、翌年には自民党を割って新生党を結成、ついに自民を下野させた。その非自民連立政権では社会党をたたき出しす。このときの小沢氏への恨みが自民・社会・さきがけの連立政権を生み出したともいえる。天敵とも思われた(そうではないという噂もあったが……)社会党と自民党に手を組ましたことで、小沢議員の「壊し屋」としての知名度は一気に高まったといえる。
 ところが彼の破壊は止まらない。96年12月には一緒に竹下派から飛び出した朋友・羽田孜氏を新進党から追い出し、翌年12月には新進党自体が6つに分裂する結果となった。その後自由党を結成し自民党と連立するも、自分の存在感が薄くなると自民との連立を解消、連立続行を主張する議員と袂を分かつ。

 見事だ! よくぞこれだけ集団を叩き潰してきたものである。
 ただ面白いことに、小沢新代表に対する国民の期待は高い。読売新聞の4月11日の記事には次のように書かれている。
「小沢一郎氏に『期待している』人が『どちらかといえば』を含めて計56%に上り、『期待していない』計40%を上回った。民主支持層では90%の人が期待感を寄せていた。民主党の支持率は、14.0%で、3月の前回調査(11.1%)よりも2.9イント上昇した」
 改めて言うまでもないが、すでに民主党は壊れている。政党としての信頼も地に落ちた。もし小沢新代表が「壊し」専門なら、ここから何を壊すのかとの疑問も浮かぶ。

 小沢議員に初めて「壊し屋」という“肩書き”を与えたのは92年12月26日の『毎日新聞』だろう。この記事は現状打破への思いこそ強いが青写真を持たない政治家であると小沢氏を一刀両断し、「小沢氏への“期待”は『破壊』であって、新しい何かを作り出すことではない」と断じている。その後の小沢議員の「活躍」を考えればこの記事の先見性には驚かされるが、彼への期待が常に「破壊」だけだったとは思えない。

 そもそも「壊し屋」という言葉は「破壊」だけに力点を置いた言葉ではないのだ。新聞を繰ってみると、80年代後半の「壊し屋」は小沢一郎氏ではなく、神戸製鋼の林敏之選手だった。激しいタックルに由来するニックネームだが、「壊し屋」と名付けられた本当の理由はその活躍にあった。80年代にはフォワードリーダーとして世界でも注目され、91年当時は最高の全日本キャップ数を誇っていた。
 同じく80年代、F1ではアンドレア・デ・チェザリスが「壊し屋」と呼ばれていた。マシンをよく壊すことで付いたあだ名だが、荒い走りながら何度も入賞してポイントを獲得。優勝こそないものの208戦もF1に出場した。実力がないと分かれば、すぐに解雇されるF1の世界において、この出場回数はスゴイ。
 破壊を強烈にアピールするならプロレスや格闘技でこそ「壊し屋」がよく使われそうなものだが、調べてみると意外に少ない。最近では総合系の格闘技・修斗の川尻達也選手だろうか。少しさかのぼっても、パンクラスに出場したマット・トライへイ、WWFプロレスのスティーブ・オースチンぐらいしかみあたらない。正直、いまいち大物がいない。やはり「壊し屋」という言葉のニュアンスと「破壊」が完全に一致しないからではなかろうか。

 では「壊し屋」という言葉が含み持つニュアンスとは何か。それは「スクラップ&ビルド」だ。確かに壊す。ただし「壊し屋」はゲームを作り、レースを作り、新政党を作る。そこに観衆の期待が集まる。

Photo_4  さて、小沢一郎新代表が何を作るのか、それは分からない。ただし何も作ることなく、ただ民主党を壊しても国民の誰も文句は言わない。そんな時期に代表になったことだけは確かである。(大畑)

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2006年4月13日 (木)

民主党議員必読の「Ron Woodという生き方」

来日公演が大盛況だったThe Rolling StonesのギタリストRon Wood。この人ほど控え目な名人はちょっといない。

Ronのスタートはギターの神様Jeff Beck率いるバンドの何とベーシストとしてであった。ボーカリストは言わずと知れたRod Stewart。私はRonの今日のありようはBeckとRodの関係と切りはなせないと推測している。
BeckとRodは2人とも前置き不要の天才である。それはお互いに認めている。そしてそれゆえにくっついたり離れたりしてきた。案の定のけんか別れをしたRodにくっついていったRonはThe Faces(フェイセズ)のメンバーとなりギタリストとして名をはせた。
ブリティッシュ・ロック・シーンにおいてFacesは決定的ともいえる金字塔だがアメリカでは受けなかった。同時に若き日のRod Stewartが常にそうであったように独裁ぶりが目に余りだしてメンバー脱退が相次ぐ。75年にはついに解散してホトホト困り切っていたRonに助け船を出したのが、かつてのボスのJeff Beckである。

The Rolling Stonesはその頃リードギターのMick Taylorが脱退して困っていた。Stonesにおけるリードギターの位置づけは難しい。絶対的存在のKeith Richardsがあえていえばリズムギターの形で参加するからだ。このスタイルはそもそもバンド結成当初はKeithやMick Jaggerより上位にいたBrian Jonesがリードを取りたがったから原型が固まった。
Mick Taylorの脱退理由はハッキリしない。ケンカ別れではないからだ。ただKeithとの立ち位置が非常にややこしかったのは想像に難くない。おそらく「自由になりたい」であったろう。
実はBeckの紹介もBeck自身がStones入りの打診を断った代わりに誰か・・・ということらしい。そんなこんなで1976年からRon Woodは転がる石の1つになったのだが93年まで正式メンバーにしてもらっていない。

仮にもFacesのリードを張ったギタリストである。いかなBeckの代役とはいえ、いかなStonesとはいえこの扱いはないだろう・・・・と誰でも思う。だがRon Woodは耐えた。その一番の原因はStones加入までBeckとRodの友情と確執に翻弄され、かつ結局はこのどちらかに頼らなければならないという自分の限界を肌で感じたからであろう。StonesにもMickとKeithという両雄がいる。この片方が辞めると言い出せばバンドは終わりである。その危機は何度かあったと推察される。

私がかなり重要視しているのは1985年に出したMickの初ソロアルバムShe's the Bossの存在である。もしこのソロが大成功していたらMickは飛び出したのではないか・・・・と疑うしかない豪華キャストで作成した。しかもギターにJeff Beckを迎えているのがきな臭い。Beckに「やっぱ一緒にやんない?」と声をかけたと想像しない方がおかしかろう。
この雰囲気は同年開催されたLIVE AIDで鮮明な記憶がある。中断しまくる中継と南こうせつの意味のないMC?にうんざりさせられながらテレビを見ていたのだがアメリカ版のトリがMickだった。彼はShe's the BossのJust Another Nightなど4曲を歌って退場した。
そして大トリがお決まりのBob Dylanだったが、彼の向かって右にKeith、左にRonが従ったのだ。明らかに不自然である。
この時のRonの気の配り方は半端ではなかった。Ronは左隣のDylanとKeithを見っ放し。横を向いて演奏をしている。DylanとKeithはいつものごときマイペース。
とその時が来た。Dylanのアコースティックギターの弦が切れたようなのだ。横を向いていたRonはすぐさま自分のギターをDylanに差し出し、Dylanのギターを受け取って取り替えに走る。しばらくして戻ってきても調弦しながら演奏。いうまでもなくKeithは自分の世界に酔いしれて例のジャラジャラを弾いてご満悦あるのみ。
な、なにもそこまでと当時は思った。だがShe's the Bossが大ブレークしなかったこともあってThe Rolling Stonesは何もなかったかのように今日に至った。

近年のKeithは、まあ昔からそうだといえばそうだが、ライブでの弾き間違いや場をまるで読まない突然の演奏開始など、ほとんど晩年の古今亭志ん生の域にある。これを支えてつつがなくライブを締めくくる重大な役割を一番果たしているのはRonだ。いわば彼の献身がThe Beatlesとタメを張ったStonesの接着剤となり、この偉大なバンドをいまだに見られるように支えているのである。
だがライブで飛び交う声援はKeithとMick。Ron Wood はどう思う。ひそかな自負があるのか。それとも本質的にそうした性格なのか。実はこの当たりを過去のRonの言動から探るのがほとんどできない。わからないように巧妙に発言してきた。その1点において芸術的でさえある。そうした生き方もあると教えてくれる。

さて話は飛ぶようだが民主党議員に言いたい。皆がBeckやRodやKeithやMickになれるわけではない。というかなれそうもない人に限って大物ぶった言動が目立つ。あなた方は野党。つまりまだ前座なんですぜ。仮にRod Stewart並みの才があったにせよ彼のように振る舞えば同様の能力がある仲間と内輪もめになる。
むしろ中堅・若手はRon Woodを見習ってはどうか。せっかくBob Dylanみたいのが新代表になったのだから彼に気持ちよくBlowin' in the Windを歌わせてあげよう。彼は弦を切りそうだから危なくなったら自分のギターを差し出そう。浮かぶ瀬もあるってもんだ。(編集長)

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2006年4月12日 (水)

こんなときにゃ、この本だ! 第1回 春を便りを本で味わう

 春である。
 私にまっ先に春を知らせるもの、それは友人たちからの電話。回線がつながった途端に聞こえる涙声である。精神の不安定な友人が掛けてくるものだ。
「だって、洗濯機が回っているの見たら何だか泣けてきて……」
 理由はよく分からんが、とにかく春は精神的にツライらしい。そんなときに洗濯機の水流を見れば切なくなり、通販番組が目に入れば「みんな仕事を頑張っている」と泣きたくなるとか。

Photo_1  もちろん医者でもない私は話を聞くぐらいしかできないわけだが、少しは心に効くコミュニケーション方法がないかと思っていたとき『イン・ザ・プール』(奥田英朗 著/文春文庫)に出会った。注射フェチでマザコンの精神科医が患者の妄想や衝動にとことん付き合うことで精神病を治療する物語だ。妄想や衝動が突き抜けたとき、本当に人は正常に回帰するのかという疑問を抱きつつ、「正常」という固定観念を乗り越えていく伊良部医師の姿にちょっと憧れる。まっとうとは言い難い自分の生活を棚にあげ、ついつい電話相手を「正常」な方向へと誘導してしまうから。
 本当は「洗濯機、泣けるよね。渦潮だったらもっと泣けるんじゃない。一緒に鳴門海峡に行ってワンワン泣こう!」とか、悩める女性を旅行に誘ってみたりしたいんだけど……。

 もう1つの春の便りは花粉症。
 ひどいのは目のかゆみなのだ。早めに眼科を訪ね、目薬をもらってくればいいのだが、忙しさにかまけて薬をもらうのが遅れると、ついつい目が真っ赤になるほどこすってしまう。こんなとき本など読みたくないが、泣ける話ならついでに花粉も流せて都合がいい。
 

Photo_2  で、ここ数年でもっとも泣けた本が何かといえば、恥ずかしながら『いま、会いにゆきます』(市川拓司 著/小学館)だったりする。先の読めるストーリー、読みやすく素直な文章。で、大ベストセラー。少しひねりの利いた本でも紹介しろよ、と読者に怒られそうだが仕方がない。
 だって号泣したんだもん。
 フッと気付くと、主人公の妻が居なくなるシーンでスーっと涙が流れ始め、「オイオイ、36歳中年オヤジの泣く本でもないだろ」とか思っているうちに、涙ドカン! 独身で淋しい身の上が涙を誘ったのかのかと考えたら、悔し涙まで追加していました。
 歳を取って涙腺が緩んでいるとはいえ、この本で泣くのはやっぱり恥ずかしい。というわけで、これまで秘密にしていたのだが泣ける本の紹介となれば触れないわけにもいくまい。まだ花粉症に悩んでいる方は試してみてほしい。

 春でまとめたのにろくでもない話ばかりで恐縮である。せめて「さわやかな春」を感じさせる本を最後に紹介しようと思ったが、春と結びつく「さわやかな」記憶がないと気付いた。
 ではと、三木谷浩史・楽天社長の妻の店「hAru」(間違いで「A」と打ったのではないのだ)に引っかけて、『“教祖”降臨―楽天・三木谷浩史の真実』でも読もうと思ったが、書店で手に取った途端ゲップが出て買う気がうせた。春の陽射しのなか、何が悲しくて「ヒルズ族」の人生を噛みしめなくてはいけないのか!

 仕方がないので、ネットで見かけて以来気に入っている春らしいフレーズを書いておく。
 牧場で若草をはむ牛を想像しながら読んでもらいたい。

 むしゃむしゃしていた。
 草なら何でもよかった。
 今は反芻している。

 さわやかでしょ。(大畑)

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2006年4月11日 (火)

小沢一郎の決起と原敬

鋭いカミソリでヒゲを剃った直後のような面立ちであった前原誠司民主党前代表は残念ながら鋭いカミソリのような頭の持ち主ではなかったようだ。代わりに小沢一郎氏が新代表に就いた。
小沢代表といえば真っ先に思いつくのは以前にも書いたが異様に長い賞味期限である。彼が頂点に限りなく近づいたのは1989年の第1次海部俊樹内閣時で自民党幹事長に就任してからだ。以来実に16年余。何度となく政党・政派の創設と破壊を繰り返しながら、いまだに「小沢首相ありかも」との期待を持たせている。

小沢代表自身が尊敬する人物と述べている同郷の原敬と比較すると楽しい。小沢氏の1989年を原が1900年に結成された立憲政友会結成の幹事長になった時期に重ねると、原が政権を取る勝利を収めるのは17年後だから似てはいる。原首相誕生は62歳。小沢代表現在63歳。年齢的にも似通っている。
先ほどさりげなく「政党・政派の創設と破壊を繰り返しながら」と書いたが戦前・戦後の立憲政治史上、こんな繰り返しを行った人物を私は知らない。床次竹二郎のように遊泳しながら出世をねらうタイプはいる。その結果としての混乱で政党・政派が破壊されることもある。だが自ら築いた集団を破壊する、しかも一再ならずとなると別だ。

彼はまず権力の絶頂にあった自民党竹下派の有力幹部として肥大化を進めながら壊した。自ら率いた新生党も加わった細川護煕非自民連立政権を作って古巣の自民党を野に追った。ところがこの非自民連立政権から社会党を追い出して精神に異常をきたした社会党が自民と組むという集団ヒステリーを決行したため政権を奪回された。
それでも巨大野党の新進党を結成して党首も務めたが最後は旧公明などの党内派閥解消の合い口を突きつけて空中分解した。自らは自由党を率いて今度は自民党と手を組むが最後には「オレらも解散するから自民党も解散して新党を作ろう」などと誰が考えても飲めない要求を自民に突きつけて案の定のゼロ回答。ここで自由党は政権残留グループ(後の保守党)と袂を分かつ。事実上の破壊だ。
この自由党残党を率いつつ2003年に民主党と合併してできたのが今の民主党である。

長くなった。だが驚くのはこうした経歴が長く書けるという事実そのものにある。ぶっちゃけていえば何が面白くてそんなことしたの? の連続なのだ。だから民主党もぶっ壊すに違いないと不安がよぎって当然だ。

だが。きわめて逆説めくが今の民主党には小沢代表の破壊エネルギーが正の作用をもたらす可能性がある。なぜならば既にして民主党はぶっ壊れているからだ。小泉純一郎首相が自民党がぶっ壊れかかっていた時に登場して「自民党をぶっ壊す」と叫んで再生したようにマイナスのマイナスからプラスを生むのだ。

民主党の中堅・若手には「逆杞憂」があると以前書いた。政権を取る前から取った後の心配をしている点だ。彼らの多くは小沢代表に警戒したに違いない。何しろ「我らが代表」前原氏の後を襲ったのだから。オレらを疎外したら目にもの見せてくれると執行部人事発表まで変なテンションで盛り上がっていた? に間違いないのだ。だから居抜き人事には仰天したろう。何もなくていいのかと怒るわけにもいかないしね。

体育会系の自由党とは体質が違うとの中堅・若手の声もチラホラ聞くが小誌の取材体験では案外と似通っていると感じる。
党の基本政策の説明を求めてたらい回しにされてなかなか答えてくれなかった党が2つだけあった。一つが小沢自由党で、もう一つが岡田民主党だった。自由党は最後の最後に答えてくれたが民主党はいまだ回答なしである。

靖国問題でも小沢新代表の発言はうまい。首相は靖国に参拝すべきだしA級戦犯という言葉は戦勝国が勝手に作ったから認めないと、ここまでは右のイデオロギーである。この国は右というか保守のメンタリティーがないと多数派になれない。だからいいとする。その上で「戦争を指導した人たちは靖国に本来祀られるべきではない」ともいう。日本国民に対して責任があるからだ、と。その通りであって靖国問題は詰まるところ東条問題なのだ。だから分祀論争になるわけだが小沢代表は具体的方策について「政権を取ったらすぐやる。その時教える」と具体策を示さなかった。
ご本人が謙遜するほどこの人は寡黙ではないとわかる。首相の靖国参拝もできるし中国との関係も改善できる方法を小沢代表は知っていて「政権を取ったらすぐやる」というならばやらせてみようと有権者を誘引するしたたかさ。「逆杞憂」には陥らずに権力奪取を最優先にした言い回しだ。実際には「昭和殉難者神社」の新設といったショボイ案かもしれないが、そうであるかどうかも政権を取らせてあげないとわからないのだ。
考えてみれば靖国問題はある意味、小泉首相のいう通りの心の問題だ。だから「こう思える」という装置があれば(またはなければ)解決する。

小沢代表を称して「剛腕」「壊し屋」が一般的だが「バカ」に類する否定的なネーミングを冠されたことは一度もない。道化のような振る舞いはかつてあったがシェークスピア劇などで見られる道化は愚かではない。頭の中身を疑わずにすむトップを失ってこの国は何年たつか。出てくる人が出てきたという感がある(編集長)

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2006年4月10日 (月)

「あの事件を追いかけて」第1回 「タマちゃんにまつわるエトセトラ」

Tama2_4  2002年8月に東京と神奈川の県境を流れる多摩川に突如現れた、アゴヒゲアザラシの「タマちゃん」。
 報道されてからは丸子橋付近に連日数百人の見物人が集まるほどのフィーバーぶりだったが、8月下旬には横浜、川崎両市を流れる鶴見川に移動。さらに翌9月には、横浜市西区の帷子(かたびら)川で目撃され、タマちゃんはしばらくこの場所に住み着くことになる。

 帷子川に住み始めてから5ヵ月が経った頃から、これだけ長く住んでいればもう区民だとの声が多数寄せられるようになり、西区は特別にタマちゃんの住民票を発行した。しかしその後、2003年の5月頃からは埼玉県朝霞市の荒川で目撃されるようになる。

 住民票を発行されたのであれば、移転をするときにはタダシイ区民の義務として転出届けを出すという手続きが取られたはずだが、実際のところはどうだったのだろうか。
 西区の職員にたずねた。
「タマちゃんの住民票の場合、転入届の手続きは行いましたが、転出については特に手続きを行っていません」。
 それではタダシイ区民とはいえないのではないだろうか。
「タマちゃん用に発行した住民票は宣伝用のものなので、書式だけは整っていますが正式なものではないんです。ですから、始めから終わりまで通常の手続きをすることもないだろうということになったんです」。
 たしかに、タマちゃんの住民票は正規のものよりやや大きい。登録の氏名「ニシタマオ」、住所は「横浜市西区西平沼町 帷子川護岸」。ここまではいいが、本籍地は「ベーリング海」、生年月日に至っては「不詳」だ。

 住民票を発行すると発表した後、「タマちゃんの住民票がほしい」という問い合わせが殺到。住民登録した日には住民票のコピー1000枚があっという間になくなった。現在でも住民票を手に入れることはできるのだろうか。
「タマちゃんの住民票のコピーは、西区役所にお越しいただければ現在でもお渡しすることができます」。

 ただ、タマちゃんの住民票を発行した頃の戸籍課の職員は現在では他の課に移ってしまい、当時の盛り上がりを知る職員はもういないという。そしてタマちゃんはいつしか行方知れずとなった。
 万物は流転する。住処を転々とするのはアザラシだけではないようだ。(宮崎)

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2006年4月 7日 (金)

村上春樹の問題提起とさくら出版問題

『文藝春秋』4月号の「ある編集者の生と死」と題した村上春樹さんの一文が頭から離れない。
こうした事態について編集者として指摘したい例がいくらもある。とくに手書き時代の生原稿の扱いについては。ただこのブログは実名で書いているために読者のなかに多数いらっしゃる(らしいのだ)私が編集者として関わった書き手の皆様に妙な勘違いをされては困るという問題があって珍しく何度も書いては消す作業をしていた。そして結局書けなかった。最近更新できなかった最大の理由である。

なぜ書けないか。例えば「無名の書き手の場合」という例を私の頭のなかではXさんを想定していたとしてもYさんやZさんが「もしや私のことでは」と疑われるとか、「著名な作家の場合でも」でも同様な問題を抱えるのである。といって名指しで書くわけにもいかない。したがって村上さんの原稿はかなり勇気のある行為であると同時に彼の抑制が効きまくっている文章力なくては表現できない内容なのだ。

私が本当に書きたいのは編集者の「なくす」「忘れる」「突然発見する」「価値を見誤る」「誰にもいえない」「古いタイプ」などの問題だ。ご同業は大いにうなずいて下さるだろうが、そうでない人には皆目わからない話で、そこが表現できない自らの無能を恥じる。
とはいえ少しは書けそうだ。私の自宅に1通の手紙がある。私が関わった出版物の連載が著者の都合で突然中断することになった際に著者がよこした自筆の詫び文だ。それを今なぜ私が自宅に持っているか全然記憶がない。ここで私が頓死して親族が遺品を整理している過程で流出する恐れはないか。もしそうなったら件の筆者は私をいぶかるだろう。
もう一つ。掲載できない旨を伝え返却を申し出たところ筆者から「置いておいて下さい。そしていつか出版する気になったらお願いします」と頼まれた原稿が会社にあった。その人は後に相当有名になるがペンネームが違っていたのでしばらく気づかなかった。すると数年たって返してほしいと連絡がある。大探しして見つかったからいいようなものの以上のような経緯の原稿だったからなくしていてもおかしくなかった。

ここまでが限界。そこで我ながら卑怯な手だとも思うが03年のさくら出版問題を引いて一助としたい

村上氏も指摘しているようにこんにちはヤフオクのようなネットサービスが著作権をめぐる権利問題に直結して、出版や報道などにおいてもトラブルが続出してきた。だが2001年末に事実上倒産した出版社「さくら出版」での生原稿流出問題自体はデジタル化と直接関係はない。
 同社が出版・発行していたコミック雑誌・単行本用の漫画家の生原稿が大量に古書店に流出したことは03年に問題視された。なかには『課長 島耕作』などの人気作品で知られる弘兼憲史氏の原稿も含まれる。
 マンガの生原稿とは漫画家が描いた原稿そのものだ。それをもとに出版社は印刷用に製版・印刷して、雑誌や単行本として販売・流通させる。一方の手書きの原稿は手書き時代には編集者が朱を入れて筆者と往来し、ある程度の段階で活版や写真植字に起こして多少の手直しの上で校了となる。その違いを若干意識しつつ考察を進める

【ポイント1】生原稿の所有権は本質的に作者にある
 かつてマンガの世界は、出版社に所属する編集者が素人同然の漫画家を育てるという文化があったせいか、「買い取り」が主流だった。生原稿の所有権もろとも出版社に渡して対価を得ていた。しかし現在では、「買い取り」の契約を特別にしない限りは、生原稿の所有権は漫画家にある。出版社はそれを使用する一時的権利を漫画家から買って対価を支払う。いわゆる印税(著作権使用料)だ。
 たとえばあるコミック誌に掲載することを前提として執筆した作品は、その掲載分だけの制限を受ける。単行本の場合は特別な定めがない限り、三年間の制限を受ける。それ以降に同じ生原稿を用いた出版をする場合は、新たに印税を支払わなければならない。生原稿は再活用して新たな収入を得る可能性がある漫画家の財産であり、たとえ再利用ができなくても漫画家の所有物である。
 文章の場合も村上氏の例のように生原稿が財産を生む可能性がある以上は所有権は明快にする必要があり、あるとすれば筆者以外に考えられない。

【ポイント2】出版社からの流出は業務上横領の可能性
 所有権をもたない出版社が保管している生原稿を出版社の人間が売り飛ばしたとすれば、他人の物を許諾なしに売ったわけで、横領罪の可能性が出てくる。さくら出版の場合は出版社と作者という業務上の関係から発生しているので、業務上横領になる可能性が出てくる。
 村上氏の場合も同じで盗みというよりは横領であろう。
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【ポイント3】現行法では古書店に所有権とするのが妥当
 それでは、その生原稿を買った古書店はどうか。
 古書店が直接出版社から買ったのか、第三者に一度渡った物を買ったのかで違いはある。しかし現行法においては、民法192条の「平穏且公然ニ動産ノ占有ヲ始メタル者カ善意ニシテ且過失ナキトキハ即時ニ其動産ノ上ニ行使スル権利ヲ取得ス」の判断となるのが妥当だ。
 仮に、出版社員が古書店に生原稿を許諾なしに売ったとする。その取引はおそらく「平穏且公然」であろうし、「過失」なく進んだことだろう。問題は「善意ニシテ」が成立するかだ。
 出版社員が大量に生原稿を持ち込んだ際に、古書店が「これは漫画家の所有権を横領した行為だ」と感じつつも取引に応じた――もしそうなれば、古書店の所有権は認められない。しかし、その立証は難しい。
 出版社員が原稿を手にすること自体はむしろ自然であり、出版社員だと名乗らなければ名乗らないで悪意かどうかもわからない。
 しかも生原稿が盗品や遺失物ではなく、あったとしても横領で流れているのも問題だ。盗品や遺失物ならば、民法193条の「特則」で所有権者(筆者)が「回復ヲ請求」つまり取り返しを請求できる。しかし横領の場合、筆者が出版社に生原稿を預けっ放しにしていたまま特段の定めをしていなかったら筆者の責任も多少はあると見られてしまう。
 ただし、出版業界は出版社とクリエーターとの信頼関係で成立している部分が大きい。大家とはいえないフリーの筆者は社員編集者より弱い立場にあり、その責任を問うというのは現実問題として酷ともいえる。
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【ポイント4】古書店から買った人には明らかに所有権
 古書店への所有権移転に関しては、前述のように争う余地がある。しかし、古書店から生原稿を買った人には明らかに所有権があるとみていい。ひそかな取引をしていると疑われる店でなければ、そこでの売買は「平穏」「公然」「善意」「過失なし」であることはほぼ疑いない。生原稿を買った人から筆者が作品を取り戻すには、応分の対価を支払うしかない。
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【ポイント5】知的所有権への無関心が無策を許す
 さくら出版事件では、まず倒産した出版社側が故意に生原稿を所有者である漫画家に断らずに販売した事実を突き止め、それが横領罪に当たるかどうかを刑事で問うことから始めざるを得ない。実際に、そういう方向を漫画家は模索した。
 漫画家にかぎらずクリエーターの著作物であるコンテンツの知的所有権について、この国は先進国のなかでは例外的というくらいに遅れた分野ともいえよう。音楽作品をはじめあらゆるコンテンツがデジタル化していくなかで、大げさにいえば、ここでの対応の如何は将来の日本経済の基盤を左右しかねない問題でもあるはずだ。しかし音楽CDの輸入制限など、どうも見当違いな施策ばかりがまかり通っているようにも感じてしまう。

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2006年4月 4日 (火)

民主党に茫然自失

突然お休みしていて申し訳ありません。

仕事が詰まっていたことも大きいのだが、やはり民主党の前原誠司代表辞任にともなう執行部の総退陣と永田寿康議員の辞職のショックが隠せなかった。正直言って何もかもバカらしくなった。
このバカバカしさがまた幾重にもあるのが深刻で自分で整理がつかなかったのだ。順を追っていくと以下のようになる。

1)自民党なかんずく小泉政権は引きずり下ろさなければならない。どこから何を考えてもこの答えは正しいとしか思えない。しかし辞めたのは小泉政権でなく野党第1党の執行部だ

2)私は民主党支持である。理由は「支持政党なし」などと無責任をいえる年齢ではないし1)の目標を達成するには民主支持しかあり得ないからだ。だが民主党の政策は支持できない。という以前に民主党の政策がわからない。わけても前原代表のめざす方向が意味不明。それでも支持してきたのに汚い言い方をすれば勝手に辞めやがった

3)前原代表は同学齢だった。政界ではどうやら中堅・若手に属するらしい。
だから前原代表のことは感覚的には嫌いなタイプだったにも関わらず、要するに同じクラスにいたら絶対にケンカしていたタイプであるにも関わらず、だから必ず失敗すると確信しつつも、同学齢の象徴として見守ってきたのだが最悪な形で予想通りに失敗して我が世代はまだ若くて役立たずのレッテルを貼られつつある

4)永田寿康議員は国会の役職辞任ではなくて辞職である。院内の発言で辞職するのは表現の自由を犯す悪例になると何度も書いたのに辞めた。辞めさせられた。永田議員個人への応援ではなく表現の自由を守る1点において反対していたのに辞めた。
そしてその点を問題視する声がまったく上がらない。ということは私は間違っているのか。だが何度反すうしても自分の誤りが見出せない

5)3月31日というタイミングでの総退陣と議員辞職は明らかに4月4日に予定されていたガセメール記者の喚問つぶしである。つぶしにかかったのが民主党というのが切ない。
ガセメール記者に議院証言法に基づく喚問を受けさせたくなかった理由は何か。それは1つしかない。そうであれば、否そうであればなお「民主」を党名にいただく政党ならば身を切る覚悟でガセメール記者にしゃべらせるべきだった。
それを逃げた。そして自民党は逃がしてやった。これで民主党が分裂やら解党やらが防げるというならば必要性のない政党である。それでも民主党が野党第1党であり他の野党が遠く及ばない勢力であり続ける以上は私は民主支持を変えることができない

昨年の自民圧勝以降の日本は自民の失点続きだった。いわゆる4点セットに加えて日本歯科医師連盟の献金事件での一審判決は元首相の疑惑と検察の誤りという致命的な内容だった。本来ならば何人もの大臣の首が飛び、ガセメール記者の代わりに元首相が喚問され、政権は大揺れになっていたはずだ。べきだ。
なのに4点セットに比べてはるかにどうでもいいガセメール問題が話題の中心に居座り、大揺れなのは政権ではなく野党で、飛んだクビは大臣や首相ではなく野党党首。メチャクチャではないか。倒錯している何もかも。

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2006年4月 1日 (土)

ヘンテコな朝日新聞の組織改革

この世の終わりもかくやというほどココログが重い。何だか当たらない釣りをしている気分である。管理場面を指示してはや21分。やっと「新規記事の作成」が開いた。これからアップするが終了までどれだけかかるやら。釣れないものだから待っている間に一本原稿が書けそうだ。
実はこの記事は「はや21分」の部分を空欄にして開くのを待って書いている。15分経過。まだだ。日付はすでに4月1日に突入。「混み合っています」の恒例の? 画面にさえ行かずにプロキシエラーが何度も表示されては再チャレンジしている。20分経過。おお何か進展があった!

さて本題。3月31日付朝刊に掲載された朝日の改革だが何がどうよくなるのかサッパリわからない。

1)紙面モニター制度
記事の評価を約350人のモニターにネットで評価してもらうというがアンケートの内容や設問でいかようにも解釈できる。第一、モニターがシンパだったら吸い上げる意味がないしアリバイ作りにさえ利用されてしまう。逆にアンチだったら記事を読者の意見で恣意的にねじ曲げるか無視するかになってしまおう。
時に報道は読者の声など無関係に記事を書かねばならない。それ以前に現在の新聞は十分に読者におもねった作りをしている。今さらモニターの声を吸い上げても効果は期待できない。
朝日によると「意見を集約し」「現場に責任を持って伝える」というが、それでどうするの? 伝えて何になるの? 徳川吉宗の目安箱の例を思い出す。民草の声を反映するにも大半がクズだった。より多くは密告めいた内容だった。それをわかっていながら吉宗が実行したのは幕閣の監視に逆手利用したとの説もある。存分に反映しようとすると恐怖政治が敷かれかねない危険な制度である。

2)特別報道チーム
「新たに」「発足させる」というほどに賑々しい「態勢」なのだろうか。「調査報道型取材」のためというが調査報道か日々のニュース速報かという課題はずっと前から新聞が解決できない問題である。具体的にいえば後者を縮小しなければ、つまり記者クラブの発表記事に割いた人間を大幅に減らして「特別報道チーム」につぎ込まなければ「調査報道型取材」もまたアリバイ作りになってしまう。
そんなことは現場の記者さんは皆知ってるでしょう? 頭で考えただけの実効性が疑わしいチームである。だいたい同じようなことは東京新聞がずいぶんと昔からやっているが紙勢に貢献したとは聞かない。
「調査報道型取材」は理想である。しかしそこに踏み切れない理由はただ1つ。部数の大幅減が予測されるからだ。記者は調査報道中心の活動をして主だったニュースは共同から買うというアイデアは毎日がずっと前から抱いているが果たせない。コアな新聞は高級紙の栄誉を得る半面で数十万部程度への部数減になるのは明らかだ。
本来800万部の高級紙などあり得ない。そんなたくさんの高級な人がいないからだ。しかし朝日人は自分の新聞を高級紙と信じている。だったら本気で調査報道型に移行する覚悟などあるとは信じられない。

3)2人編集局長体制
意味不明である。朝日はこれまで紙面作りと人事を1人の編集局長が負っていたのかね。そうでなければ(多分そうではない)2人にする理由が不十分だ

4)「部制の枠組み」廃止
そんなことできるの? 確かに部閥の弊害は大きいが政治部と社会部ではカルチャーが違っていて時にぶつかり合うところに弁証法的な利点があるといえばある。のっぺりした組織改編をしたって元に戻るが関の山だ。
朝日によると「呼称は当面変えませんが、年内に組織を再編し、名前を変える予定です」と腰が引けた記載となっているが無理もない。呼称だけ残してというならばNHKの部みたいなものだが何が悲しくてNHKの報道を見習う必要があるのか。
七社会に生粋の政治部育ちが行って内閣記者会に斬った張ったの事件記者を送り込んでも仕方ないでしょう。そういう人事交流は新聞各社で時折発作的に行われるが効果があったと聞いたためしがない。片道切符をつかまされた人身御供が泣いてお仕舞いとなろう。
それより何より記者クラブとの関係はどうするのか。部をなくしたら面倒になるのは請け合いだ。聞いたこともないような名前の組織に再編されて他社も朝日人に合わせろといわれてもブーイングの嵐である。だったら抜けるか記者クラブ。その勇気があるならば拍手喝采だが。

5)ジャーナリスト学校
新人や中堅記者を対象にした研修・教育を行うとすれば先生はベテランである。自慢話と古いしきたりに基づく今や通用しない手法を聞かされて終わりのはずだ。これも研修を1度でも受けたことがある記者ならば全員予測がつく。「意味なし」ってね。
朝日によると「ジャーナリズム志望の学生」にも利用してもらうという。新手の青田買いか? 焼け太りはダメだよ朝日人。

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