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2006年3月23日 (木)

すいません

いろいろな意味で一杯一杯。

朝から何も食べずに日付をまたいで午前2時をすぎても、やるべきことが終わらない。終わらないうちに明日(じゃない!もう今日だ)やるべきことが迫ってきている。
このままでは終電車を出す前に始発の時間が来るぞ。そんなことがあるかって?JR車掌の斎藤典雄さん(小社スター作家)によると実際にあったんだって。だからありえない話ではない。でもあってはならないのも事実だ。

時間は正確か不正確か。ロミオとジュリエットのように永遠の一瞬もあれば無意味な50年というのもあり得よう。
事実として私は30代後半から40代前半の、働き盛りだか何だか知らないが、とにかく多分何かの盛りだったに違いない時期、日本の東京で過ごした。その間の日本の首相は小泉純一郎という人で東京都知事は石原慎太郎という人だった。
ああ何という無為。「人間は獣だ」首相と「人生は差別だ」都知事を二重に抱えて、しかも2人とも人気者で、私は始発の時間が迫っても終電車が出せない。

だからどうしたって?時間は不連続だという概念は以上のように証明し得るが・・・・いや証明ってほどの文章でもないから「あり得る」とはいえようが、一方で容赦なく時を刻む「正確な時間」もまた厳然と存在すると痛感している。

中身が全然ない文章を書き殴ってすいません。要するに今日は連日の駄文でさえ書けないほど追いつめられているってことを回りくどく書いただけです。明日からは立て直します。今日はこれで勘弁を。

そういえば先日の強風で腰を打ってしまった。文字通り吹けば飛ぶような男にいつの間にか成り下がっていた。吹けば飛ぶような会社とともに重量感はゼロ。そのくせやるべきことは山。生きるってのはそういうことなんですかね。

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