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2006年3月 7日 (火)

渡部恒三国対委員長という既視感

空席となった民主党の国対委員長に秘策があった。国民新党と合併して綿貫民輔先生に務めてもらうのだ。自民党もさぞかしやりにくかろう・・・・と書こうと思っていたら渡部恒三元衆議院副議長を充ててきた。「しまった。その手があったか」と悔しがった後に別に悔しがる必要が私にはないことを悟った。

渡部恒三73歳。確か元「東北のケネディ」にして竹下派7奉行の1人。当選実に13回。7奉行の内訳を見てみると
1)死亡・・・・奥田敬和、小渕恵三、梶山静六
2)引退・・・・橋本龍太郎
3)現役・・・・小沢一郎、羽田孜、渡部恒三

である。うち驚異的な賞味期限の長さを誇る小沢一郎議員を除くと羽田孜元首相は一部には体調不良説もあり、そうでなくても元首相を国対委員長というドロドロの現場に付けるわけにもいかない。

では渡部恒三議員ならばいいかというと本当はよくない。だって衆議院副議長は野党議員が就ける最高職なのだから今さら格下もいいところの国対委員長はありえない。だったら綿貫先生も同じだとなるが先生は復讐の場があれば何の役にだって就くはずだから(と勝手に想像)いいのである。

改めて渡部恒三という人物を考える。彼はかつて自民党の国対委員長だった。昭和の末である。それは私が社会人として新聞記者生活を始めた時期でもある。あれから約20年経った。私も渡部氏にも平等に月日は流れた。私は40歳を越えて今にある。そして渡部氏は月日を超えるようにして国対委員長に就任した。既視感でめまいがしそうだ。
何て言うんだ? 返り咲きというのともちょっと違う。復活というと落ちぶれていた期間があるようになるので違う。復帰というのは時間がたちすぎているし、そもそも政党が違う。やっぱりデジャヴとしか表現できない。
渡部氏や綿貫先生がすごいのは野にありながら、しかも上がり目がなさそうながら先の総選挙で小選挙区で勝ち抜いてきている点だ。多選・老害批判に加えて昨年の総選挙は自民に猛烈な追い風が吹いていた。それでも勝つからただものではない。

私はずいぶんと昔から渡部氏を知っている気がする。何といっても彼は竹下派7奉行以前に田中角栄擁護のスポークスマンとして角栄バッシングのなか1人逆風をものともせずにテレビに出まくっていた。しゃべりに味はあるが金権腐敗や刑事被告人という逃れがたいマイナスを背負った角栄を擁護する姿は実に奇異であった。
圧倒的不利のなかで何とかかんとか活路を開こうとしている。まだ私が中学から高校生になる頃だ。
あれだけの数がいながら何故渡部氏が得にもならぬスポークスマン役を買って出たのか、あるいは押しつけられたか。さほどに守った人物を見限って経世会に走ったのはなぜか。思えば不思議な人物である。

ゆえに今回の国対委員長就任も本人は案外と平気どころか実はやる気満々だったりして。考えてみれば彼が自民で国対委員長を務めてまもなく新生党結成に参画、細川護煕非自民連立政権につながるあたりでは「国対政治の否定」が非自民連立のうたい文句だった。みんな議院運営委員会で決めればいいとね。それがいつの間にか沙汰やみとなり与党も野党も国対を復活させて今に至っている。
だから渡部氏が「昔の顔で出ている」というのは誤りかもしれない。国対否定から復活まで振り子のように一端逆方向に触れて戻ってきた。その振り子の球と一緒に渡部国対委員長も戻ってきた。そういうことならば案外と活躍する可能性がある。

民主党の国対委員長が何をするかといえば党内では他党間との折衝で描いたストーリーを周知徹底させる役割がある。もう一つは他でもない他党間との折衝そのもので具体的には自民党と話し合って「民主党の出番」を演出する役割だ。そんなこんなは皆サル芝居と批判できるし事実として一時は止めようとしたが復活しているということは必要なのだろう。
というよりも「民主党の出番」を作ること。言い換えれば自民に花を持たせてもらうこと。その役に自民の国対委員長も務めた渡部氏はむしろ適当である。小泉首相も「頼むよ」と言われたら断りにくいし官房長官から「降格」された細田博之自民党国対委員長あたりは渡部氏から「オレに比べりゃマシじゃないか」と慰められればリップサービスとわかっていても大向こう受けする舞台の1つも用意しなきゃと考えざるを得ない。
それが何になるのかと問われれば言葉もないが残念ながら今の民主党は老練な渡部委員長の演出でサル芝居の舞台の1つや2つがないと崩壊寸前である。たぶん渡部委員長はそれくらいはやってのける。そして民主党は急場をしのぐ。でもそれで何かが改善したわけではない。
渡部氏が引き受けなければ民主党は自壊していたかもしれぬから救い主か。むしろ自壊すべきを中途半端に守ってしまったのではないか。いくら頑張っても角栄擁護論が空しかったように。

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