« ガス田開発のカードは日本にあり | トップページ | サイコロの丁半バクチはまだやっているのか »

2006年3月13日 (月)

上杉隆さんへの濡れ衣

上杉隆さんの「『日本一のイエスマン』武部勤の正体」が『文藝春秋』06年4月号に掲載された。なるほど。こうした取材を精力的に続けていた結果、上杉さんは「堀江送金メール」の「ガセ記者」と疑われてしまったのか。

しかし上記の上杉記事は丹念な取材に基づく興味深い内容である。彼を「ガセ記者」とにおわせたのは私がかつて所属していた新聞社の社歴では先輩に当たる人である。仮に「ヒゲの殿下」としておこう(寛仁親王ファンの皆様ごめんなさい)。殿下は私をお忘れでも私はよく覚えている。
殿下は政治部閥であるが一時期系列の週刊誌に出されていた。その時に連綿と日本全国にピラミッドがあるがごとき記事を書きまくって政治部の大ひんしゅくを買ったのをお忘れか。殿下の先輩から話は聞いている。千鳥ヶ淵での花見の際に惨劇があったってこともね。もっとも直接見たわけではないからネタかも知れぬがピラミッドの記事を書きなぐったのは事実だ。
上杉さんはNHK記者の経歴があるから大マスコミのインサイダー経験がある。そこを飛び出して独力でノンフィクションを書いているのを有名になった今でも社にしがみついている殿下は不快だったのか。それとも上杉さんが政治家秘書になったことがあるのを胡散臭いと感じたのか。

どちらにせよ殿下からは大マスコミの幹部クラスが持つ特権意識を感じてならない。だって上杉さんは「ガセ記者」じゃなかったんだよ。何を根拠ににおわせたんだ。ちゃんと謝ったという話を私は聞いていない。
そもそもピラミッドの件を考え合わせると殿下に「ガセ」云々を指弾する資格があるのか疑問である。

大マスコミにいると政治の動向はフリーとは比較にならないほどつかめる。これはフリーが無能だからではなく大マスコミは記者クラブを背景に情報を独占し得る特権があるからだ。
特権を与えられている以上は知り得た情報をすべて書くわけにはいかない。そこで書けないネタをフリーに流すこともある。要するにフリーの有力なネタ元の1つが政治部記者そのものになるのだ。だから大マスコミの記者はフリーに対して時に尊大になり軽侮の念さえ生じる。
だがこの構造は本当はおかしいのだ。政治家と政治部記者の関係が、そのまま政治部記者とフリーの関係のアナロジーになっている。だったら記者クラブで情報を独占する形態自体が元来はおかしいのであってフリーの能力が低いのではない。内閣記者会など特権の温床である。
マスコミは情報独占でなく情報公開を使命とするはずだ。そこがクラブで閉鎖的に暮らしている記者には永遠にわからない。知られざる情報を握る虎であるような気分でいるが本当は政治家に餌を与えられて喜んでいる猫にすぎないってことがね。

だから自分らが猫じゃないかと感じさせる上杉さんのような敏腕フリーが本当は怖い。特に大マスコミを辞めてのフリーは自分たちが粘着している組織を自ら離れた存在だから本当ならば食っていけないという帰結が望ましく活躍などもっての他である。
それが活躍しているとなると事実を直視する代わりに「彼らはダーティーな方法でネタを取っているに違いない」との思い込みにすり替えて安心しようとする。残念なことに上記のように大マスコミの記者が情報源になる場合もあるので、この思い込みを正当化する一定の根拠はある。
しかも重ねて残念なことに「ガセ記者」がフリーにいるのも事実だ。でも大マスコミの正社員でも「ガセ記者」はいる。いい加減な記事を書き殴るという意味でガセ(ニセモノ)という言葉を使うならば前述の通り殿下にだって前歴はあるのだ。

フリーによって成立し、フリーの立場を最も理解しているはずの大版元の雑誌が、このところ「送金メール」のフリー記者を叩いている。そのこと自体は構わないが、一方で「フリーは皆いい加減」との悪印象を自ら振りまいている結果になっているのを案外と大版元は気づいていないようだ。
ガセ記者を叩く一方で良心的で腕利きのフリーも多数いるという論陣をそろそろ張るべきではないか。大版元がやらないならば私がこの場で後日展開してみるつもりだ。

|

« ガス田開発のカードは日本にあり | トップページ | サイコロの丁半バクチはまだやっているのか »

ニュース」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 上杉隆さんへの濡れ衣:

« ガス田開発のカードは日本にあり | トップページ | サイコロの丁半バクチはまだやっているのか »