ニフティサーブのパソコン通信最後の日
今日をもってニフティサーブの「ワープロ・パソコン通信」サービスが終わる。同時に長年愛用していたNIFTY MANAGERも使えなくなる。午前0時をもって「大きな古時計」みたいにつながらなくなるんだろうな。その瞬間を見送るつもりだ。
そのNIFTY MANAGERを開いて各種サービスを回ってみる。主立ったものはなくなったかネットに移行していて既にサービス自体はガラーンとしている。すでに引っ越しが終わった後のように。
ワープロ・パソコン通信はいろいろなものをもたらしてくれた。今ではE-mailまたは単にメールと称する存在を「電子メール」として普及させた。文書がリアルタイムで送受信できる快感はすばらしかった。
電子メールをファクスに送る機能も便利だった。何せメールが当たり前の時代ではなかったので相手方がファクスという場合も多かったから。ニフティからのファクス送信は鮮明だとほめられて我がことのようにうれしかった。
仕事柄でいうと朝日・読売・毎日の新聞検索は画期的であった。もう縮刷版と格闘しなくて済むと思うと時間に応じる従量制料金という魔物のような制度を差し引いても便利だった。毎日時代の自分の記事を検索してヒットした時は子供じみているがうれしかったなあ。日外アソシエーツや帝国データバンクの資料の活用も便利だった。
アクセスギフトという現在の電子マネーのような存在やフリーないしはシェアウェアがダウンロードできるライブラリ機能も楽しかった。当時はギガだテラだなど予想だにせぬキロからメガへの時期であるから今から思えばオモチャみたいなソフトも多数あったがアマチュアが遊び心で作った付随ソフトが洒落ていた。まるでゲームの草創期のようだった。
フォーラムで話し合われた内容はログとして保管されてきた。フォーラム自体も次々と開設されて電子会議室に集った。チャット機能はリアルタイム会議と言った。
こうした機能のほとんどは今ではネット上で再現できる。しかし失ったものもある。それはニフティサーブに集った者である同士の連帯感や安心感である。多くが実名とハンドル名とプロフィールを公開して自己紹介していた。フォーラムのオフ会で初対面同士が個人宅にお呼ばれするのも当たり前にあった。牧歌的だったのだ。
遡って推し量るにタダの民間企業が提供するサービスに参加しているというだけで実名とプロフィールを知らせてしまうのは危険だったはずだ。でも当時は平気というか当たり前だった。
買ったパソコンが陳腐化したので何とか改造したいと思えばそうしたフォーラムが機種ごとにあって改造のあの手この手を熱心に教えてくれた。チャチャは1つもない。信頼感と安心感が満ちていた。ワープロ・パソコン通信だからなのか、時代がそうだったからなのか。
とにもかくにも一世を風靡したワープロ・パソコン通信は終わる。代わりが巨大化、匿名化、無法化したインターネットである。そこには漠然としながらも確かにあった信頼に委ねる安心感ではなく絶えず荒らしやウィルスにさらされる恐怖を避ける「自己責任」が要求される。「安全はタダ」から急速に「自己責任」を問われるようになった世相の変化に一致しているようでもある。
考えてみればニフティ株式会社による情報独占を無邪気に信じていたのも不思議な話だ。だがあらゆるパソコン通信の融合体との側面があるインターネットにはニフティ株式会社のように悪さをすれば責められる主体さえない。これがドンドン肥大化してやがて通信と放送をも飲み込んでいくであろう。
今日はワープロ・パソコン通信最後の日だ。だが「最後の日」はここに止まるまい。いずれ多くの既存の通信・放送・報道分野の「最後の日」が続く。その先に何があって何が起こるのか誰にもわからない。
| 固定リンク
「パソコン・インターネット」カテゴリの記事
- 不景気でスパムメールが……(2009.10.20)
- 黒船スパムがやってきた(2008.06.18)
- 泰山鳴動しない読売・朝日・日経の提携(2007.11.21)
- 初音ミクが増幅させたグーグルへの不審(2007.10.26)
- 池内ひろ美が語る「市橋容疑者への推理」を嗤えるか?(2007.06.01)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント