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2006年3月30日 (木)

06年フランス雇用紛争と「フランシーヌの場合」

ブログを書き始めてから「今日は何の日」を何となく意識するようになった。今日は3月30日だ。3月30日といえば「フランシーヌの場合」である。
「フランシーヌの場合」は1969年6月に発売された作詞いまいずみあきら、作曲郷五郎のフォークソングで新谷のり子が歌って大ヒットした。私はこの年7歳。それでも覚えている理由は歌詞の「3月30日の・・・・」が強く印象に残っているからだ。また曲の合間に挿入されているフランス語のニュースナレーションも耳に残った。
歌詞の背景は以下のようである。フランシーヌ・ルコントという30歳の学生(女性)が1969年3月30日にパリで焼身自殺をした。自殺の際にナイジェリアのビアフラ飢餓に関する記事の切り抜きを持っており、また死んだ場所がヴェトナム戦争当事者が話し合っていた拡大パリ会談の付近であったことからヴェトナム戦争およびナイジェリアのビアフラ内戦に抗議しての自殺とみられる。
いわば樺美智子さんのフランス版だと認識していたら調べてみると樺さんが亡くなった6月15日をあえて発売日に選んだというのが真相らしい。

ヴェトナムはフランスが旧宗主国だからフランシーヌが心を痛めていたのはわかる。ビアフラ飢餓はイボ族を中心としたビアフラ共和国設立という分離独立運動を認めないナイジェリア政府軍などとの戦いの結果として大量に発生し総数約200万人ともいわれる。フランスのドゴール大統領はビアフラ側に好意的で武器の供給などで支えた。

フランシーヌは精神に障害を負っていたとも推測され真意は今ひとつハッキリしないが焼身自殺までして政府の対応を指弾する雰囲気がフランスに充満していたと想像するにかたくない。前年の68年はフランス5月革命が発生している。労働差別や反戦、大学の自治などを要求した学生と労働者が1千万人規模でストライキとデモを打ち、ドゴールは軍を治安出動させる一方で要求のかなりを受け入れた。
似た動きは日本でも70年安保闘争でみられ、アメリカのWoodstock Music and Art Festival(ウッドストック)の原動力にもなった(69年)。

そして2006年の今、この「5月革命世代」の子ども達が再びフランスで大規模ストライキおよびデモを連発している。原因はドゴールならぬドビルパン首相が打ち出した若者向け雇用制度(CPE)への大反発だ。26歳未満の雇用者は2年間理由なしで解雇できるという内容で雇用刺激策ではあるが対象になる若者や労組からは悪法以外の何ものでもなく5月革命と同様に差別的労働環境打破がキーワードにある。
フランシーヌの年齢から計算すると現在のフランス雇用紛争は彼女の子ども世代より若干下かもしれない。だが自由や自主が脅かされる時に街頭に飛び出して抗議するスタイルは変わっていない。
フランシーヌの場合はビアフラ戦争が大きな動機とみられるが現在ならばさしずめイラクの超政情不安だろう。これはフランスの隣国イギリスで開戦3周年をきっかけにイギリス軍撤退を求める大規模デモが発生した。
イラクはいうまでもないがドビルパンの政策もアメリカ様式(グローバリズム)の採用だ。それに反対する欧州の民がいる。五月革命のテーマは「反グローバリゼーション」だった。現在使用されているグローバリズムとは若干の意味が異なるが世紀を超えて音と情熱はつながっている。

不謹慎を承知でいえば「うらやましい」。わが国の就職および労働環境は小泉政権に入って劇的に悪化したのに政権打倒の大規模デモやストが起きる気配がない。ないどころかストの1つでも打てば袋だたきにされそうな世相だ。打倒小泉の代わりに小泉が打倒せよと指し示した「抵抗勢力」をいたぶって喜んでいる。
では私はデモやストの発起人になったり参加者になるべきかと何度も自問した。だが私は編集者である。だから紙つぶてや文章で抵抗するのが正しかろうとの結論に達している。私は独身子なしだが子ども世代から後になって何やってたんだと言われたくないので

「フランシーヌの場合」に戻ろう。ビアフラ戦争は結局フランシーヌの死の翌年にビアフラの無条件降伏で終わった。その処理にあたった1人がイボ族に比較的近いキリスト教系のヨルバ族出身のオルシェグン・オバサンジョ。現在の大統領である。
オバサンジョは現在は民政を率いてナイジェリアの小康状態を生み出しているが軍政時代の圧政と民政下での腐敗、民族間、宗教間の衝突は収まっていない。

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