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2006年2月21日 (火)

もはや小泉改革は極左である

衆議院の議席は480ある。小選挙区は300あって1選挙区で必ず1人は当選する。比例代表区は180あって政党にドント式で比例配分される。結果として総選挙をやれば確実に480人が埋まる。たとえタイゾーだとしても。
・・・・という当たり前のことが諸悪の根源のような気がするから日本の民主主義もどん詰まりだ。

先の総選挙で痛感したが小選挙区で勝てる公算は自民か民主の公認ないしは事実上の公認がないと不可能である。うち自民熱烈支持の人とは口も利きたくないので、この際除けて考えるとすると「よりまし自民」か民主のどちらかを選ばねばならぬ。どうやらこの「よりまし自民」が小泉改革らしい。
まずここでため息が出る。直近の各種世論調査で小泉内閣の支持率が下がっているが、それでも4割以上いる。ねえ読者の皆様。皆様の回りに小泉支持の人っていますか? いったいどこに4割もいるのだろうか。4%でなくて4割だ。
私が日本語を生業としている仕事でなかったらとっくの昔に海外へ逃げ出している。その意味では仕事の選択を誤ったと後悔しきりである。
確かに小泉登場以前のヨッシャヨッシャの油ギッシュばらまき金権自民よりはいいかもしれない・・・・といったんは思ってもおかしくはない。もう通用しない方法だし森喜朗前首相の数々の愚行を目にすれば誰だって勘弁してよと願う。だから当初の小泉ブームはわかるが5年経っても支持率4割は解せない。
要するに自民党内に小泉的でもなくヨッシャヨッシャでもない、別の魅力を醸す人物がいないということであろう。

今は格差社会かとの議論が国会で話題となっている。冗談じゃない。格差社会に決まっている。出版界だけでも大版元と零細版元、老舗版元と新参版元には歴とした格差がある。もともとある格差をウンと広げたのが小泉改革である。そうに決まっている。例えば女子学生が就職活動の時にどんな災いをこうむっているかを知るだけでわかる。
あらゆる切れ目に存在する格差を広げ、上と下にある者を反目させるのが格差拡大である。その「上」もまた真に上なわけではなく、さらなる上から見れば下である。
こうした微差のナルシシズムにつけ込んだのが昨年の総選挙だった。小泉自民に入れた社会的弱者は「郵便局員は公務員でのうのうとしているからバッサリやってくれ」とのデマゴーグに一杯食った。よくよく考えれば一介の郵便局員は別に豪勢な暮らしをしているわけでも怠惰なわけでもない。それでも劣悪な環境下にある契約社員やフリーターよりは恵まれていよう。その裂け目に塩を塗って反目させた。人間の尊厳を踏みにじる行為である。

政治とは不合理な存在である。市場原理は合理的である。ダメ人間をクビにするのが市場原理であり助けてやるのが政治である。だから「官から民に」が万能なはずはない。もし本気でそう信じていたら無政府主義である。かつて日本は「成功した唯一の社会主義国」と揶揄されたが今は理念なきアナキズムに走っている。その点で私はかつて述べたように小泉政権を左翼と位置づける。しかも極左だ。

公務員は本質的に泥棒である。人の財布からカネを取れば泥棒だ。国家はそれを税の名の下に合法的に行う。その税で暮らしているのが公務員だ。だから泥棒の一族である。ゆえに私は彼らを人類とは呼ばない。人類によく似た「吏類」という科である。
彼らを泥棒として牢屋にぶち込まないのは、そのお金で公務を執行するからだ。盗んだ金で暮らす代わりに金主のためにサービスしますとね。そこで人々は納得する。私もその通りにする「吏類」は必要だと判断しているし頭が下がる働きをしている「吏類」は尊敬さえする。無用論をぶつ気はない。
だから本来は「官から民に」ではなく官のサービスが税に見合っているかが大切なのだ。そんなことは期待できない。泥棒はしょせん泥棒だから減らしちゃえというならば合法的に盗んだ金を返すのが常道であろう。つまり減税すべきだ。だが基調は増税である。つじつまが合わぬこと甚だしい。

そこに遅れてきたシカゴ学派みたいな竹中平蔵大臣と「カイゼン」の奥田の爺さまが好き放題をやる。アングロサクソン流弱肉強食を背景にした「カイゼン」では心優しき青少年はニートになるかホリエを目指すかしか身を守り心を痛めない方法がない。
小泉改革は「世の中はジャングルだ」と宣言して人々に「ジャングルの掟を思い出せ」と鼓舞する。大昔のDNAを揺さぶればジャングルの掟ぐらいはイメージできる。それは食うか(ホリエ)食われるか(自殺)逃げるか(ニート)だ。
人類がもし進歩してきたとすれば「世の中はジャングルではない」を追求した点であろう。小泉首相は百獣の王ライオンだけあって人間社会がジャングルの掟で仕切られても平気だろうが、その行動は人類の進歩を否定して獣に戻れというに等しい。獣はより弱い者を餌食にしてしか生きられない。

冒頭に戻ろう。自民党内に人を得られぬ以上は民主党に期待するしかない。まったくもって絶望的だが実際問題としてそれしか選択肢はない。ところが・・・・。ああ随分と書いてしまった。この続きは後日。

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コメント

そうですね、いささか反語的ですが小泉がはぐれものであるのは確かに思えます。とマスメディアの質が本当に問われている時代とも。

投稿: じゅん | 2006年2月22日 (水) 09時34分

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