« 清原・ノリという名の偽善 | トップページ | バレンタインデーという憂鬱 »

2006年2月 8日 (水)

堀江貴文と水野忠邦

堀江は叩くに(たかふみ)
もってこいの木魚だ
さあぶっ叩け、ぶっ叩け

この戯れ歌には本歌がある

水野は叩くに(ただくに)
もってこいの木魚だ
さあぶっ叩け、ぶっ叩け

1841年から43年までのいわゆる「天保改革」を主導した老中首座の水野忠邦が改革に失敗し、幕閣を追われた際に庶民から「ざまあみろ」との意を込めて歌われた。この忠邦と堀江貴文容疑者を似ていないかとの少々ムチャな推論。ご興味があらばしばしご笑覧。

10代将軍徳川家治の治世で権勢をほしいままにした老中田沼意次の失脚は史上最悪の凶作とされた「天明の飢饉」が最終的に引き起こした。全国統計はないが一部で人口が3分の1にまで減少する悪夢であった。「米がすべて」経済の江戸幕府は壊滅状態に陥ったといっていい。家治の死とほぼ同時に田沼も退場する。この辺をまず1945年の敗戦と一致するとしてみよう。

1786年に11代将軍に就いた徳川家斉の治世の冒頭は、この敗戦処理にあった。中心人物は松平忠信。世にいう寛政改革である。1787年から93年まで6年だから戦後に当てはめれば1951年までのGHQによる戦後改革の時期とほぼ一致する。彼の退場後は家斉の親政へとつながっている。
家斉の治世は1837年まで実に51年。将軍職を12代家慶に譲った後も死去した41年まで前将軍(大御所)として実権を握ってきた。合わせて55年。敗戦から21世紀までのすべての年月に相当する期間を治めてきた化け物である。
家慶はこの化け物のような父親を背後霊のようにして育った。将軍になった時点で44歳。父が死んだのがようやく48歳の時である。長い雌伏を味わった彼は父がこの世からいなくなってやっと自分の親裁を勝ち取る。そして改革を始めた。それが天保の改革だ。

雌伏が長かったことや家斉時代が太平と腐敗と大衆文化の花盛りだったこと、その結果として寛政改革の貯金をすっかり失って深刻な財政危機にあったこと、権力を握って急進改革を目指した点などで家慶は小泉首相とそっくりだ。先程来試みている戦後の時間尺とも一致する。
そして家斉時代の後半から野心むき出しで出世街道を強引にばく進したのが水野忠邦だ。唐津藩主の子ではあったが庶子であり、にも関わらず藩主の座を射止め、出世コースである浜松藩へムリヤリ転封する。転封は社名をライブドアに換えた堀江容疑者と似ていなくもない。
家斉の治世では水野忠成という田中角栄から橋本龍太郎までの旧田中派の頭目を全部合わせたような巨大利権政治家がいたが、忠邦は彼に取り入った。
ライブドアの躍進は橋本政権頃に進められた制度改革に追うところが大きい。そこにも類似点がある。

さて家慶と忠邦の構造改革は激越であった。忠邦のそれは株仲間の解散に象徴される。既存の段階的かつ封建的な商取引を解体してエンドユーザーを直接支配しようとしたのだ。日本史には欧州にみられる絶対主義体制がみられないが忠邦のしようとしたのはそれに似る。上知令は土地を封じられ安堵されるのを基盤とする封建体制への挑戦であった。
まさに既得権益に対する挑戦であり「すべてがインターネットになる」との堀江語録は株仲間の解散の目的に近い。それを47歳で忠邦は将軍の保護下で直進した。

その結果どうなったか。破壊はいたずらな市場の混乱を招き、忠邦の専横をあしざまにいう者が多発し、結局は家慶にも見放されて彼の栄華は3年で終わる。最後は石もて追われるように幕閣から追放されただけではなく減封されるは辺地への転封を食らうはの処罰を受けた。冒頭の戯れ歌はその頃の流行だ。小泉政権に持ち上げられ、世相がアンチに回るや見捨てられたホリエモンとどこか似ている。

忠邦の失敗はしょせんは既存の価値観で築かれた舞台で既存の価値観を覆そうとした矛盾にあると指摘されている。ライブドアの躍進も前述のように橋本政権以後の戦後営々と続いた保守の価値観で許された範囲内の自由で築かれてきたはずなのに、いつの間にかその範囲を超えそうだと少なくとも保守の価値観ではみなされた。一方の堀江容疑者の挑戦も先進的なようにみえて現代のアンシャンレジームの代表格とさえいえる民放地上波やプロ野球球団という方向に興味が傾いていった。

ちなみに家斉治世下の大衆文化における忌避される美意識に「野暮」があり水野忠邦はその代表格だった。今となっては「女はお金についてくる」といった堀江語録も野暮に聞こえる。だが一時期まで明らかに彼は正反対の好もしい美意識である「粋」として扱われていた。真心だ愛情だが野暮で「女はお金についてくる」は粋とね。それはいつの間にか「粋がっている」とにらまれ、最後は野暮に転落する。山東京伝ならばどう書くのかな  

|

« 清原・ノリという名の偽善 | トップページ | バレンタインデーという憂鬱 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 堀江貴文と水野忠邦:

« 清原・ノリという名の偽善 | トップページ | バレンタインデーという憂鬱 »