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2006年2月 2日 (木)

市場のルールと戦争犯罪

以下に述べる論理に錯誤や無知が入り交じっていたら是非ご指摘下さい。

ライブドア事件は市場のルールに反したという。法律論としては理解している。問題はそれ以前として「市場のルール」などという概念は正当か。単に笑っちゃう話なのではないか。

A級戦犯問題を調べる際に「戦争犯罪」という概念の把握は不可欠であるのはいうまでもない。私が初めてそれを知った時に軽いめまいに似た感覚を生じた。「戦争に犯罪はあるのか」と。
戦争とは殺し合いである。近代では主に国家同士、ないしは国家連合同士の、または国家連合と国家の殺し合いであった。殺し合いの総和は殺した方が勝ちで殺されたが負けである。

19世紀末から20世紀の初頭にかけて結ばれたハーグ条約やジュネーブ条約などで戦時国際法は整備された。捕虜虐待や非戦闘員への敵対行為、利敵行為、スパイ活動などだ。加えて第二次世界大戦後のニュルンベルグや東京での裁判で「平和に対する罪」「人道に対する罪」が考案された。
ここでは東京裁判やA級戦犯の正当性(または不当性)を争う気はない。それらも含めた戦時国際法の定めた戦争犯罪というのは概念として成立しうるのかという根本的な問いかけをしたいのだ。

殺し合いは人殺しである。平時において殺意を抱いた人殺しすなわち殺人は最も重い罰を科される。ならば戦争そのものが犯罪であり国連憲章もそれに近い認識を示している。
したがって戦争犯罪とは「犯罪である戦争での犯罪者」というわけだ。そんなものがあるのかね。
「よい戦争」「聖戦」の存在をAという国に認めれば、Aが勝っても負けても正義はAにあって戦ったBは犯罪国家だ。したがって戦時国際法の存在を認めるとしたら「よい戦争」「聖戦」はないとの前提が必要である。するといかなる戦争でも「正しい側」はあらかじめ存在しない。話が面倒になるので国連安保理が武力行使を容認した場合は不本意ながら例外としておこう。「正しい側」がないから戦時国際法は等しく適用される。だが戦争の実態は人殺しであるから戦争犯罪人とは悪質な人殺しとか、ルール違反の人殺しとなろう。だが殺したが結局は勝ちという戦争でルール違反の人殺しなどという概念は結局は虚仮ではないか。

「市場のルール」も同様である。市場とは要するにマネーゲームだ。弾丸をカネに代えれば戦争と同じだ。「儲けるが勝ち」の世界である。そこに透明性や公平性を持ちこむのは戦争犯罪と同じ滑稽さを感じてならない。
市場をばくち場、または鉄火場と例えて何かおかしいだろうか。鉄火場だってルールはある。いかさま賭博は仲間内から吊される。だがそもそもばくち自体が犯罪だから「犯罪行為の真っ最中の犯罪」にいくらの問題があるのか。
「市場は成熟した資本主義社会には不可欠だ。なぜなら云々」とのウンチクは聞き飽きるほど聞いた。その上でなお「市場は鉄火場とは違う」とハッキリ峻別する根拠が得られない。市場と競馬とパチンコが合法でバカラやルーレットや丁半ばくちが違法との線引きにストンと腑に落ちる説明を聞いたことがない。
風説の流布という。証券取引法のいうところの「風説」とは何かを知った上でなお一般名詞としての「風説」を問いたい。連日連夜テレビで流れているCMは風説の流布ではないか。偽計も同じような疑問を抱く。上場企業はすべて自分を実態以上に美しく強くたくましくみせようとしているのではないか。

戦争もマネーゲームもつまるところ本能である。しかも本質的に卑しい本能の発露である。卑しいが強烈な欲求でもあるから止めるに止められない。だから欲求を抑えられない一群は実は卑しい者は他にあると戦争犯罪人やら市場のルール違反という概念をでっち上げた。
したがって堀江貴文はいわば賭場荒らしであるとみなされた。東証という賭場でイカサマなサイコロを振ったとね。それまでは彼が丁といえば丁、半といえば半が出ていて参加者は「兄さん凄いね」と尊敬していたがサイコロに仕掛けをしていたとして「裏切られた気持ち」とやらを抱いているらしい。
でもね。そんなあなたもばくちには参加していたのだ。得々と「市場のルール」とやらを解説するチーフストラテジストやら経済学者やらの顔を見よ。何と賭博師のそれと似たことか。

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