« 市場のルールと戦争犯罪 | トップページ | 松下電器好決算への困惑 »

2006年2月 3日 (金)

小泉外交と聖徳太子

中国脅威論が与野党から出ている。だが中国が脅威かという問題提起はバカげている。なぜならば歴史上中国はずっと脅威だったからだ。
隣にどでかい領土とどえらい人民を持っている国があれば仮におとなしいとわかっていても脅威である。しかも中華人民共和国は国共内戦と朝鮮戦争でその力量を発揮した。その中国共産党に敗れた蒋介石の国民政府との「15年戦争」に我が日本は結局は敗北した。脅威に決まっている。
怖いとわかっているものに向かって怖いというはバカである。「お前なんか怖くない」というのが政治であろう。

その上わが小泉政権は靖国問題で中国と韓国を仲間にしてしまった。最近では当たり前のように「中韓」と呼びならわすが両国は朝鮮戦争で事実上血で血を洗う戦いをした仲である。
中国が脅威ならば韓国を味方に引き入れるのが上策であるに決まっている。要するに仲を裂いておいた方がいいのだ。こともあろうに手を結ぶよう手配するとは何事か。

小泉劇場を見ていると頭が悪くなると何度も書いた。「中韓」を敵に回すような妄動をして拍手喝采している国民をみると、いよいよその感を深くする。

「媚中」を批判する者が時折口にする存在に聖徳太子がいる。恐いものなしの独裁者だった隋の皇帝煬帝に有名な「日出ずる処の天子・・・・」で始まる「国書」を渡して対等外交を要求した。少しは見習えとの声だ。だが太子と小泉外交は全然違う。
その前に。『隋書』『日本書紀』からこの時の「使」すなわち遣隋使が大礼小野妹子であることはわかっているが使わした主体が聖徳太子とは確認できない。したがって主流である太子説を採った上での以下の記載という点を留保しておきたい。
大礼は冠位十二階の上位であり後に妹子は最高位の大徳になっている。小野氏は天皇を祖に頂く名族でもあるから外相クラスといってもよかろう。それが「倭王」の国書を持ってきた。煬帝は『隋書』の記述によると激怒したとされる。ここまでは確かに「媚中」批判派を大喜びさせる展開である。

だがその後はどうか。妹子は約半年間止め置かれた(死刑囚のような心境だったに違いない)末に隋からの国書を奪われたと帰国して報告している。おそらくは「倭王この野郎・・・・」みたいな内容だったので自主的に奪われたことにしたのであろう。しかも同伴した隋の答礼使の裴世清の官位は30階中29位の文林郎。要するに駆け出しの官僚である。どう考えても煬帝の嫌がらせだ。
「媚中」批判派ならば外相クラスを送ったのに駆け出し官僚を返してくるとは失礼だと追い返した・・・・とのストーリーを描くであろうが太子ら推古朝は何とこの小役人を驚くほどの大歓待で迎えるのである。歓迎されたら隋も怒るわけにはいかないから何となく成功したような感じとなった。
要するに太子らが欲しかったのは対等外交そのものではなく対等外交のように見せかける形であった。だからつつがなく答礼使を迎えたかったし国書紛失もどうでもよかった。むしろなくなった方が都合がよかったわけだ。

では何のために見せかけたか。それは当時の日本が領土的野心を持っていた朝鮮半島南部とりわけ新羅への牽制であろう。
新羅と同じく朝鮮南部の百済は北部から中国東北部に領土を広げていた高句麗を恐れていた。隋は建国した文帝と煬帝それぞれが高句麗を手中に収めんと戦闘状態にあった.。したがって新羅と百済は高句麗問題で隋と利害が一致している。その新羅と日本は対立している。したがって「我々日本はアンタがアテにしている隋が対等と認めている国だぞ」と新羅を牽制する目的であったと推察されよう。今でいうならば中韓分断をはかったのだ。

その後の東アジア情勢は推古朝の思惑通りには展開しなかったが7世紀初頭の日本人でさえこうした巧みな外交ができた。ところが小泉外交は正反対。敵は相変わらず敵のままで敵でもない相手を怒らせて手を結ばせている。
首相の靖国参拝を案外「熱烈歓迎」しているのは中国かも。だって続く限り韓国を味方にできるのだから。太子にできたことが小泉首相にできない。できないどころか逆をやっている。それに感動する国民さえいる。繰り返しになるが、本当、バッカじゃなかろか。

|

« 市場のルールと戦争犯罪 | トップページ | 松下電器好決算への困惑 »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 小泉外交と聖徳太子:

« 市場のルールと戦争犯罪 | トップページ | 松下電器好決算への困惑 »