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2006年1月15日 (日)

私の始末書4

突然で恐縮だが私は不審人物である。
まず我が世代がいけない。同学齢で世に出た順に紹介すると宮崎勤、上祐史浩、前原誠司となる。いずれも世を揺るがしたか揺るがせる力のある団体のトップにいたか、現在もいる人物であるが揃って不審人物だ。
しかも後の2人はイケメンなのに不審人物だから救われぬ。

私の社会人生活も不審人物として始まった。ちなみに生誕より大学卒業までもそうであったのは以前に書いたから省略する。
ある日、家に戻ったら警察官がいた。近隣の誰かが通報したらしい。確かに新聞記者は勤務が不規則なのでとんでもない時間に帰宅したり、逆に深夜に車で飛び出したり、泊まり明けで帰宅して風呂に入ったり奇妙な出入りをしてはいた。
家のなかは男やもめに何とやらでメチャクチャであった。会社にもクラブにも置いてあったし送られてもくるので極左の機関紙だって持っていた。だから疑われたのであろう。

あんたは何をやっている何者だとお回りは聞く。何をやってるも何もアンタの上司にあたる署長や副署長のところをグルグル訪ねるのが仕事だといっても納得しない。仕方がないから威張るようであまり言いたくなかったが毎日の記者だと告げたら先方は猛烈に恐縮して蜘蛛の子を散らしていった。その恐縮が嫌だったのにと嫌な気分が募った。
断っておくがネタではない。本当にお回りは来たのだ。

後に宮崎勤の犯行と知れる幼女連続誘拐(後に殺害)事件の時も被害者宅の近くで聞き込みをやったら今度は少女が蜘蛛の子を散らすように逃げていく。まあしょうがないか。真っ昼間に警官でもないカメラをぶら下げた男が聞き回るのだから。
少女の去った先には母親らしきが野ネコの母親の如き訝しげな視線を送ってくる。腕章をしていけばよかったのか。いやよけいに怪しいか。

記者を辞めた後も取材活動はずっと続けてきたから不審がられるのは変わらない。むしろ毎日という大看板がないまま名もなき出版社の名刺で仕事をする分だけ度合いは増したといっていい。
これは小誌そのものにも当てはまる。1996年に「コ・ギャル世相を語る」という企画を実施した。渋谷にいる女の子達は硬派なニュースをどう考えているかを聞き回ったのである。

◎住宅金融専門会社問題・・・・自分のケツは自分でふけって感じ(高1・ユウコ)
◎薬害エイズ問題・・・・安部(英氏)が悪い。だって、ばっくれているから(高1・モエ)
◎従軍慰安婦問題・・・・スッゲーかわいそう(高1・タマエ)

などというコメントを集めて延々と10ページも特集したのだ。記者はお回りに誰何された。高校生に薬害エイズ問題を聞くと警官が誰何する国なのだ。ここは。

最近は編集の仕事が多いので社内にいる。当然カジュアルである。スーツを着て狭い事務所で引っくり返っていても仕方がないからだ。幸い会社を置く神田神保町は同業が多いので出歩いても違和感はないが丸の内あたりまで行くともういけない。昼間から何だという視線が突き刺さる。
広告の仕事を盛んにしていた時はプレゼンでスーツを着ていったがパートナーの広告代理店の社員からやめておけと言われた。代理店社員はスーツだからクリエーターはカジュアルでいいと。でもお堅い会社にカジュアルでいくと異様に目立つ。視線には明らかに「不審」が込められている。
といってスーツで行けばいいわけでもないらしいのだ。スーツといえば取次様にお会いする際に着込むが着慣れない様相はそれで不気味らしく取次様から温かい視線で迎えられたことはない。

世は不審者であふれている。少女をさらったり殺したりと親は心配で仕方がなかろう。だが不審人物が本当に犯罪予備軍かどうかを見分けるのは不可能に近い。
実のところ私は優生学の起源となった断種法のようなものが登場するのを心配している。同法は1931年までに全米30州で成立した。約1万2000件の「不審人物」に該当する面立ちなどの人々に去勢手術が施されたのである。そうなったらたまらないぞ。
前原誠司様。何とか我が学齢の面目を施して下さい。変なことばっかり言ってないで

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