« 2005年12月 | トップページ | 2006年2月 »

2006年1月

2006年1月31日 (火)

団塊ジュニアとしての堀江貴文

世代論のどれだけの意味があるかというと疑問なのは承知だ。ホリエモンと同学齢でもまったく違う人生や価値観を持つ者は多数あろうから。ただし彼よりも上の世代として単にけなしたり持ち上げたりするのは無責任との思いから一つの切り口として試みてみる。

堀江容疑者は1972年に生まれた「団塊ジュニア」である。すなわち第一次ベビーブーム(団塊の世代)の子ども達で同学齢の数が前後に比べて非常に多かった。加えて70年代後半から合計特殊出生率が2を割り込むので「最後の少子化でない世代」ともいえる。ワサワサ子どもがいた時代の掉尾なのである。
その前の世代、つまり私の世代の義務教育は「現代化カリキュラム」の真っ最中で詰め込みと追いつけ追い越せがスローガンだった。1979年にスタートした『3年B組金八先生』はその陰を描いて評判となった。
62年生まれの私は17歳。「3年B組」は15歳なので相当する。ただしホリエモンは7歳だから前の世代の出来事となろう。
いわゆる高度成長は1970年に終了したとされるので堀江容疑者はあの時代の勢いを知らない。一方で旧文部省が「現代化カリキュラム」と決別して「ゆとり」へと切り替えてきたのが80年代後半で79年で小学校に上がった堀江容疑者とは無縁である。
要するに詰め込みの弊害は「金八先生」に象徴されるように明らかになっていたものの次の手を打ちかねていた間に成長した世代である。

72年生まれの子ども達にとって画期的だった存在は何だったろうか。任天堂のファミリーコンピュータの登場は83年。ちょうど11歳の時だ。3D機能の付いたプレイステーションの登場は94年で22歳。ちょうど大学卒業の頃である。
つまり小学校高学年時から大卒時まで新たな遊具として「テレビゲーム」が台頭してきた世代ともいえる。

子どもの数が多かったので大学受験は熾烈であった。文部科学省は2007年を「全入時代」すなわち選ばなければ誰もが大学に入れる時代としているが団塊ジュニアはその正反対の運命をたどらされた。
ホリエモンが18歳となった1990年から3年間の18歳人口は200万人を超え、04年の1.4倍はいた。それまで平易とされていた大学の偏差値が60前後に集まり、偏差値50を割る4年制大学は東京圏では皆無であった。そのなかで彼は東大に合格したのである。ここでの「勝ち組」感は大きかったに違いない。

一方で72年生まれはバブル景気を体験していない。バブルは90年には終息したとみられているからホリエモンはバブルの熱波を感じたにしても遠く故郷の福岡でわずかに嗅いだにすぎない。
私の経験ではバブルに踊れたのは大学生以上の時間とお金の片方ないしは両方に自由が利く時期である。私自身、多少は踊ったのでわかる気がする。だが受験生の「全入時代」どころか3分の1が浪人するといわれた熾烈な競争を勝ち抜いて上京した堀江青年の周辺に聞こえたのはバブル崩壊の足音である。
彼が大学を卒業したであろう94年頃は崩壊のピークに達していて「就職氷河期」などといわれた。つまり団塊ジュニアは熾烈な受験戦争を課された挙げ句に就職難だったのだ。ここが就職には困らなかった元祖団塊とは違う。

バブル崩壊後の時代を後の人は「失われた10年」と呼んだ。しかしこの言葉は失った実感がある者だけが発せられる無責任な言葉で団塊ジュニアにとっては紛れもなく「奪われた10年」であった。ホリエモンが中退して起業に走ったのも氷河期の現実を考えると目先の利いた鋭い選択だったともいえよう。

政治に目を向けてみよう。91年にはソ連が崩壊した。それ以前から社会主義は左前だったが母国の消滅で決定的なインパクトを与えた。93年には非自民連立の細川護煕政権ができて新世代を予感させたものの短期で自民党に政権を奪回された。
94年の村山富市政権成立時に首相が吐いた言葉は「日本社会党が唱えてきた題目はすべて嘘っぱちだった」と満天下に公言する背信行為だった。多少は政治的な分析ができる者はおよそ非自民である。その代表格がウソ八百を並べていたとわかり旧世代はまるで信用できないとよくわかった。

一方で90年代に入ってWWWの開発され、95年にネットスケープが登場してインターネットへの接続は飛躍的に拡大した。「奪われた10年」のなかで先人が団塊ジュニアに与えた唯一の恩恵とさえいえる。改めて探してみると本当に他にみつからない。

ホリエモンをくさすのは簡単である。また悲しんだり激励したりするのも簡単である。だがそれらはすべて「オン・ザ・エッヂ」が軌道に乗り始めてからの評価ではなかろうか。

団塊ジュニアに対して先達は以上のようにいくつかの粗相をした。

1)1世が多かったから仕方がないとはいえ苛烈な競争を若年時から強いた
2)方針が定まらない中途半端な教育を課した
3)高度成長は生まれる前に終わり、バブル景気は高校生まで。燃え上がるような雰囲気を感じさせることなく無責任にも「失われた10年」などとほざいて彼らの青年期を「失われた」なかの出来事とした
4)猛烈な受験戦争と就職氷河期を味合わせた
5)イデオロギーなどすべて嘘っぱちだとばらした

そして堀江貴文世代に旧世代が与えたものはテレビゲームとインターネットぐらいしかない。ちなみに日本の古くさい体制に飽き飽きしてアメリカに脱出したイチロー選手は1973年、松井秀喜選手は74年生まれ。いずれもホリエモンと同じく団塊ジュニアだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月30日 (月)

鈴木宗男の個人情報保護法改正論(下)

前回に引き続き月刊『記録』06年1月号に掲載した鈴木宗男衆議院議員の「私が個人情報保護法改正を訴える理由」を転載する。

【以下本文】
●法律改正には世論の高まりが必要
 今、大いに不満を感じているのは、国会議員の中から個人情報保護法についての話題がほとんど聞かれない点です。言い換えれば「危機感を持っていない」といえましょう。もう少し関心を持ってもいいと思う。この法律に関するシンポジウムを開くといったアクションがあればいいのですが、今のところありませんよね。
 国会議員は自分を守ってくれる法律の何がいけないとの認識かもしれませんが、そこに大きな誤りがあります。国会議員であっても、場合によっては約3年前に私が受けたような画策と同じようなケースでおとしめられる恐れがあるのです。要するに権力を行使できる立場にある者同士の中でも排除する、されるといった状況が起こる可能性だってあるわけですよ。そのことにそれぞれが気付いて黙っているのかどうかは私にはわかりませんが。

 個人情報保護法は成立してしまいましたが私は改正をあきらめてはいません。なぜならばこの法律には「成立から3年後の見直し」が定められていて、それが今年(平成18年)だからです。
 もっとも衆議院の議席の3分の2を与党が占め、自民党の中でも政府が推進する郵政民営化関連法案が参議院で否決された直後の解散・総選挙の際に法案反対派が「刺客」を送られ、当選後も党規委員会で大半が離党勧告されるなどの「制裁」があったこともあり、同じ小泉純一郎政権が成立させた個人情報保護法に今さら反対の声をあげにくいのが現状ではないかと思われます。

 しかし希望を捨ててはいません。個人情報保護法が成立する前の平成15年4月に、法案をめぐる議論のなか、与党自民党の阪上善秀衆議院議員が「個人情報保護法案に反対する」と表明して内閣委員会理事の職を辞しています。阪上議員は法案について「官僚の発言力が増すだけ」「言論の自由が失われ、民主主義の崩壊につながる」と述べており、自分の考えを曲げることをせずに辞任を選びました。信念を持った判断だったと思います。
 これから1人でも2人でも反対に賛同する議員が増えていくのが望ましいですが、そのためにはまず世論の高まりが必要になるでしょう。

  私はこれまでにもメディアを通じて個人情報保護法に反対する意見を発信していますが、「3年後の見直し」でこの法律が改正されるためには法律についての世論情勢がまだ整っていないと感じます。
 個人情報保護法という名前が与える印象から国民を守るような法律に思われがちですが、結果的には国民を守るどころか、法律をかくれみのとして使い、情報隠しや操作で国民をだまし、陥れようとする悪法です。こうしたウラが見えづらい法律だからこそ、国民の皆様にはしっかりと「この法律は使われ方によっては大変なことになる」との正体を把握してもらうことがまず必要になります。
 私もそこから始めます。個人情報保護法の危険性をもっと多くの人に知ってもらうために機会を探してはこのようにメディアを通じて訴えていく所存です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月28日 (土)

鈴木宗男の個人情報保護法改正論(上

鈴木宗男の個人情報保護法改正論(上)

月刊『記録』06年1月号に鈴木宗男衆議院議員の「私が個人情報保護法改正を訴える理由」を掲載した。今回から2回にわけて転載する。
鈴木議員は北海道の地域政党「新党大地」を結成して05年9月11日の衆議院議員総選挙で当選、国会議員に復活した。それ以来「個人情報保護法から国会議員と指定職の公務員を除外すべき」など同法に対する批判的な意見を述べている。

【以下本文】
●公権力が結託して作り上げた悪法
 そもそも、個人情報保護法は個人情報の流出を防ぐため、いわば国民を守るためにできた法律であるはずなのです。全国の自治体をネットワークで結ぶ改正住民基本台帳法が成立し、社会全体が「高度情報化」といわれる中で、個人情報の利用機会が以前とは比べものにならないほど拡大し、それを法律で守ることが必要になった・・・・との論理でした。
 ところが現状では、国会議員やいわゆる高級官僚など国民に対して説明責任を負うべき立場にある人が、説明どころか都合の悪い情報を外に知られないようにするという目的でこの法律を悪用しようとしています。
 私は国会議員に加えて指定職の公務員もまたこの法律から除外せよとこれまでにもメディアなどで訴えています。「指定職の公務員」とは国家公務員の中でも事務次官や外局、試験所、研究所の局長といったエリート中のエリートで、彼らは国会議員と同じく権限があり説明責任を負っている。だから除外せよというわけです。
 国会議員は唯一の立法機関である国会で法律を作るという国権の最高機関を担う立場にあり、指定職以上の公務員は議員内閣制では彼らの上司に当たる大臣や長官のほとんどが与党の国会議員から選ばれるという意味で政府と一体ですから、お互い権力を握るもの同士で自己保身を図る、という魂胆がミエミエなんですね。

 私は平成14(2002)年に皆様ご承知のようにマスコミから激しいバッシングを受けました。もしあの時に個人情報保護法があれば私はあれほどまでには叩かれなかったでしょう。
 したがって平成17(05)年から再び議員として活動するにあたっても、同法があるということは自分を守るということだけを考えれば便利な法律であることは確かで、本来ならば「さらに強化したい」という立場であって当然だと国民の皆様はお考えでしょう。なのになぜ鈴木宗男は反対するのかと不思議にお思いになるかもしれません。
 しかし、そうした経験があるからこそ私は反対するのです。平成14年当時のいわれなき報道やバッシングに遭って、ご存じのように収賄罪で逮捕・起訴されて拘置所に保釈もかなわず長い間入れられ、私はつくづく考えました。
 それは「マスコミ、メディアも結果的には権力に使われていたのだ」ということです。外務省は改ざん文書、たとえば平成13(01)年3月にロシアのロシュコフ外務次官に私が歯舞、色丹の二島先行返還論を非公式に打診していたということまで、省内で恣意的に事実を捻じ曲げてリークし、マスコミはそれを鵜呑みにして報道しました。
 権力の立場にある者(私の場合は外務官僚)が情報を誘導してマスコミが利用され、さらにそれに検察などの捜査当局までが加わり、「鈴木をやるぞ、やるぞ」とヒートアップしていく。そして次第に何がもともとの争点だったのかさえもわからず仕舞いのままに、ただ単に「鈴木排除」だけで盛り上がっていってしまいました。
 すべて外務省、検察を始めとする公権力にある立場が情報を勝手気ままに自分たちの都合のいいように操作したからなのです。

 個人情報保護法がある現在では私が受けたそうした情報操作がさらに容易になったといえます。だから危険なのです。そういう意味ではまったく国民が守られない法律ともいえます。権力が説明責任から逃れられるわけですから国民の「知る権利」が侵され、日本が権力の座にある者の思うままに動かされてしまうということですから。
 日本国憲法の第43条には「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」とあります。国民を代表して国政を進める立場である国会議員が、自分たちの都合のいいように法律を作り、都合が悪いことがあっても個人情報保護法を盾に自分たちの身の安全をはかるという構造はとても健全とはいえません。
 国民の代表、つまり公人中の公人であるからこそ、一般の方では国民に知らせる必要のない言動でも公人ゆえに知られなければいけないこともあるはずというのが真っ当な国会議員のあり方であるはずなのに、むしろ現実ではその逆の道をたどりつつあります。

 個人情報保護法の法案はまず平成14(02)年に提出されましたが激しい反対があって廃案となりました。にもかかわらず翌年3月に再提出されて可決されるわけです。
 この時期の私は議員ではありませんでしたが、法案を冷静に読んでいくうちに、経験則からこの法律が公権力を守り、国民にとってはプラスにならないと判断しました。ですから、私がいつから個人情報保護法に反対なのかといえば、法案を知ったときから批判的だったということになります。
 また、この法律では新聞社や報道機関、政治団体などは適用から除外されることになっていますが、出版社はその中に含まれていないという点も大問題です。週刊誌に散々叩かれた私が言うのだから間違いありません。
 つまり大新聞はそれなりに守られてはいるけれど、週刊誌や少人数で作っているミニコミ誌などはすぐに潰されてしまう危険性もあるわけですよ。身近な週刊誌などを排除して国民にはわかりにくい形で言論を密かに制限しようとしている意図が見え見えです。ここにも権力の立場にある者が自らを守るという構図がありますよね。
 だから、逆に出版社などに聞きたいのは、なぜもっと法律が成立するまでに本気で反対の声をあげなかったのか、ということですよね。もっと本気になっていれば変わっていた部分もあるかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月27日 (金)

堀江貴文と江副浩正

ライブドア事件とリクルート事件。20年の月日を超えて両者の共通点は驚くほど多い。以下に列挙してみよう

1)若い
リクルート創業者の江副浩正氏は東大在学中に起業し、事件が発覚した88年の時点で52歳と堀江容疑者よりもずいぶん歳がいっているが、今日の同社のコア産業である求人情報の『就職情報』を創刊したのが41歳、女性転職の一般名詞にまで浸透した『とらばーゆ』は44歳時の発刊である。東大在学中からの若い起業家と呼んで差し支えなかろう。

多分急な呼び出しだったせいであった。その日の議会調査特別委員会でリクルートコスモス社(マンション・不動産業)の取締役に参考人質問が行われるのを取材せよと命じられ、時間ギリギリに議会のある階までエレベーターで向かった。
開いた瞬間に待ちかまえていたご同業からシャッターの嵐!その後すぐ「何だ毎日かよ」「今頃来るな」「エレベーターに乗るなよ」とブーイングを浴びせられた。そりゃなかろうと思いつつ「渦中の人」の心境を初めて知ったような気がした。
参考人の取締役は42歳だった。質問後あちこちから「若いねえ」と声が上がる。役所では50歳になるかならぬかで課長というのが通り相場だから、大企業に成長したリクルートグループの役員が40代前半となるとそう感じるのも無理はない。
一方のライブドアグループはホリエモンが33歳で役員も40歳前後である。もっと若い。

2)虚業
「元々虚業だったんだよ」。朝日新聞06年1月24日朝刊が伝える「検察幹部」の声だ。同じ「虚業」はリクルート事件の時にもよく使われた。広報・宣伝ではなく人事から広告を取り、メディアではなく自社媒体に掲載して売る。
雑誌は非常に安い上にオピニオンのかけらもないから「あんなの出版じゃない」と出版業から白い目で見られ「求人情報など広告ではない」と広告代理店からも冷たくされた「すき間産業」というのが当時の認識だった。
ライブドアの事業もポータルは先行社のマネで特長がなく、買収した会社も事業がうまくいっているところがほとんどない。物販は最近買収した弥生と中古車くらい。だから虚業だと。
しかし、では実業とは何だ。楽天はショッピングモールを持っているから、ソフトバンクはヤフーBBがあるから実業だとの解説を聞いたことがあるが、その差が私にはわからない。メーカーでも名前は伏せるが「マネばかりしている」と揶揄される巨大企業もある。

3)子会社から発覚
リクルート事件は同社子会社の「ファーストファイナンス」社の融資付き未公開株の売買疑惑ではじまった。ライブドア事件も子会社化した出版社「マネーライフ」が出発点だ。着手の視点がよく似ている。
もっといえばファーストファイナンスもマネーライフも言っちゃあ悪いが身もフタもない、それでいて事件のイメージを想起させる名前だ。贈賄が「さっさと融資」のファーストファイナンス、「儲ければ勝ち」の企業体がマネーライフ。

4)ITと民営化
江副氏が政財界に広く未公開株をばらまいた理由は複雑であるが、大きな目的に85年に民営化されたNTTの存在が大きい。活字媒体からの飛躍を狙ってNTTと協力し、当時「ニューメディア」と称された今でいうIT技術の先進者として電子化された情報のネットワークを構築しようとの構想が政財界への賄賂へとつながっていった。
ライブドア事件と郵政民営化は総選挙での堀江候補のお題目を除けば直接の関係はないが同社自身がIT企業であり、その可能性を盲信して事業拡大を図り、結果として墓穴を掘ったという点で両事件は共通する

5)検察を怒らせたお騒がせ体質
リクルート事件は当初、贈収賄立件の厚い壁を破るのは難しいとみられていた。ところが日本社会党(当時)の楢崎弥之助議員がコスモス社の社長室長からの贈賄工作を自ら撮影してテレビで放映させるという豪腕ぶりを発揮して生々しいやり取りを見せられた世情は騒然となる。
ライブドアの堀江社長はことあるごとに「儲けるが勝ち」「人の心はお金で買える」と公言した。『沖縄タイムス』06年1月25日付社説によると「脱法だとしても、合法だったら許される」とまで主張したとされる。そしてそのようにして実際にもうけた。
検察とくに特捜は意外なほど世論に敏感である。92年に金丸信自民党副総裁が5億円の政治資金規正法違反に問われて罰金20万円で済ませた時に「検察庁」と掘られた石碑にペンキがかけられるなどゴウゴウたる非難が検察に殺到した。それが翌年の脱税による金丸逮捕につながる。
同時に検察は、少なくとも主観的には自らを正義の執行人と信じている。だから公然と贈賄場面が報道されたり「脱法」は構わないと高言されれば「この野郎」となるに決まっている。

なぜ江副氏も堀江容疑者も黙っていられなかったのか。「爆弾男」と称されていた楢崎議員に賄賂を持っていくなど導火線にわざわざ火を付けにいくようなものだ。
堀江容疑者に至っては何もいわなくたって稼げたはずである。法網はあえて粗めに作られている。がんじがらめにしたら異様に息苦しい社会になってしまうからだ。そこを逆手に取ってずるく立ち回るのが脱法である。彼はそれが自分ならばできると自慢したかったのか。
しかし違法性の有無をトリミングして1つの構図を作り出して勝負する仕事が監視する側にもあったことを忘れていたようだ。秋霜烈日の存在である。

6)株バブル
リクルート事件はバブル景気という時代背景がなければ立件はさらに難しかったであろう。上場すれば値上がり確実な株の融資付き譲渡は賄賂になるという論理は「値上がり確実」という前提がないと成立しにくい。86年~87年頃から90年頃まで続いたバブル景気はまさに「値上がり確実」を担保していた。
ライブドアの錬金術も少なくとも事件性を問われている昨年の市場がバブル化していたから大いなる儲けをもたらした。実体経済がどん底ではライブドア株をはやす気にもなれない。

7)そして・・・・
気になる今後である。江副氏は堀江容疑者と同様に逮捕を機に経営を離れる。リクルート事件の場合は江副逮捕から14年後の2003年に刑が確定した。その間に大株主でもあった江副氏は1992年にダイエーに譲渡して同社の傘下に入る。事件発覚からダイエー入りまでにバブル崩壊があって事件の中核だったコスモス社やファーストファイナンスが経営危機に陥るが現在も健在である。
リクルートにとって幸いだったのは信用を供与したダイエーのトップ中内功が「君臨すれども統治せず」の姿勢を守ってくれたことだ。当初は社内でも批判が大きかった江副氏の株譲渡だったが結果として最高の時期に最適の人物に委ねたといっていい。
周知のようにダイエーそのものも21世紀に入って急速に転落するがその直前にリクルートグループはダイエーから離脱して今日に至る。
堀江容疑者が否認を続ければ裁判は長期化が予想される。10年ぐらいかかるかもしれない。そして実刑を食らい未決勾留分を差し引いて、かつ満了より少し早く出所したとしても15年ぐらい後のことだ。33歳のホリエモンも48歳になっている。
やはり彼が今なし得る最大の社業への貢献は20%程度の自分の持ち株を当時の中内氏のような人物に引き受けてもらうことであろう。お仲間のヒルズ族と外資は絶対ダメ。イオンの岡田卓也名誉会長に泣きつくというのはどうかな。ライバルのセブン&アイがミレニアムリテイリングとの経営統合を発表してカリカリしているだろうから。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2006年1月26日 (木)

堀江貴文は商人か革命家か

堀江貴文容疑者が否認を続けている。まだ拘置されて2日しか経っていないので軽々には判断しかねるが私は「ほほう」とちょっと注目している。

ホリエモン擁護の声は旧世代の価値をぶっ壊す革命家だからとの心象が少なくともネット上からはうかがわれる。おそらくは彼と近い世代に支持が多い。一方で彼を彼の言動通りのカネの亡者と考える人は年長者に目立つ。商人はもうけてもいいが阿漕はいけないとね。

さて彼の本性はどちらであろうか。私はこの否認をどこまで貫くかで結構判断できるのではないかと気になってきたのだ。

堀江容疑者が商人ならば、「儲けるが勝ち」ならば否認する理由はまったくない。
まず事実そのものに争う余地がない。事実を知っていたかどうかの認識の問題で争うことはできても特捜が証拠を突きつけてきた以上はアウトになるのである。そんなことは彼も百も承知のはずだ。
経済犯で経営者がつかまって身柄が検察に移されると検察官が明言するかどうかは別にして「認めないと損だよ」との空気が充満する。単にみじめな取り調べの日々がつらいというだけではない。認めなければ20日間の拘置期限まで出られないよと来る。
まあこれは今回の事件では認めても20日の拘置は堀江容疑者が避けられそうもないが起訴されて後の保釈さえ否認を続ければ認めてもらえない危険があるのは商人としてはつらいはずだ。下手すれば1年以上未決勾留されるかもしれない。
現在の逮捕容疑でそのまま起訴すれば併合罪の規定を目一杯適用して最長7年半を論告求刑する可能性がある。だとしたら検察が未決勾留する理由は十分に立つ。

要するに認めれば20日で取りあえず保釈され、刑が確定するまで自由の身とまではいかなくても拘置所にいるよりは遙かに融通が利く場所に戻れる。否認を続ければ未決勾留という名の事実上の懲役がいきなり始まってしまうのだ。
商人とりわけ経営者はその点をすばやく計算する。どうせ特捜の描いた構図にはまった以上は有罪は免れない。だとしたら認めた方が得である。仮に本当に身に覚えがなくてもクモの巣にからまって大グモが首筋にまで迫っているのだからうなずくべきだ。「頭を下げるのはタダ」「逆らわず従わず」が商人である。堀江容疑者の否認はそれに反する。やせ我慢は商人の道徳ではない。

しかも否認が続けば実刑判決を食らう危険性が飛躍的に高まる。起訴独占主義で検察官だけが刑事事件の公訴を提起できる。彼らの心証を害したら本当に懲役7年半をやってくるかもしれない。しかし素直に認めれば単独の最高刑5年当たりの求刑で判決が懲役3年執行猶予5年ぐらいに収まる可能性だってある。
勾留期間中に否認して起訴後に一転して認めるとは考えにくいから裁判所でも否認だ。となると裁判官の心証も悪くなる。万一裁判所で認めるならば今否認する道理がない。
つまり否認を続ければ重い実刑。認めればもしかしたら執行猶予という分かれ道なのだ。あんまり逆らうと別件での再逮捕・追起訴となる。さらに刑期は長くなる。

社会的な体裁も悪くなる一方だ。いかに創業者でも否認を続ければライブドアに残った側は迷惑と感じるであろう。カリスマとて不在が長期にわたれば、そしてその間に社業がそれなりの低迷で持てば、未決勾留された挙げ句に重い実刑を食らって出てきても以前の輝きを古巣で発揮することはできない。
逆に容疑を認めて保釈されれば、役員を退いていてもカリスマは隠然と維持できよう。大株主でもあるし。現に堤義明氏は復権しつつあるではないか。ロッキード事件の若狭得治も「執行猶予5年」のお陰で「全日空中興の祖」の座を失わずにすんだ。

以上のように商人ならば否認はソロバンが合わないからやらない。堀江容疑者以外の逮捕者が落ち始めたのも、こうした簡単なソロバンをはじいているからだ。その能力が堀江容疑者にないとは到底思えないから否認を続けたら彼は商人の感覚以外の何かで動いているとなる。
いかに法律上は罪でも「革命無罪」。だから否認を貫けばホリエモンは革命家であったといえるのかもしれない。だいたい革命家の行動は革命が成功しない限りはたいていは犯罪である。これを言うとアメリカ人は怒るがワシントンは独立革命を成し遂げたから英雄であって失敗したらイギリス史上に残るテロリスト(つまり大犯罪人)でしょう。だから当局と対決する。マジで「光クラブ」の山崎晃嗣と似てきた。まさか真似てるんじゃ・・・・
もっとも革命を目指しての反抗だとしても何に対してどんな革命を起こそうとしているのか。それに正当性があるのかはわからん。

・・・・とここまで書いて考える。私は良くも悪くも堀江貴文という人物を買いかぶってはいないか。例えば「彼も百も承知のはずだ」は本当か。検察の示す構図が「何が悪いの」「質問の意味がわからない」と得意の口調で、ただし本心からそう言っているだけかも。
偽計取引だ風説の流布だと責めれば「誰が損したの?」。株主だと答えれば「だって昨年末の株価で損なの?」。下手すれば「私を逮捕したのが一番の下げ要因じゃない。わけわかんない」なんてね。その観点から今回の事件を改めて考えると・・・・むむむ。頭が痛くなってきた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月25日 (水)

堀江貴文と鮎川義介

鮎川義介などは、まさに私がやっていることをそのままやっているようなものです。(中略)日産コンツェルンを築き上げ、満州にも乗り出していった。それが仇になって彼の事業は挫折しますが、それは鮎川が悪かったわけではなく、戦争に負けただけの話ですよ。日本政府のやり方がまずかったわけです(『文藝春秋』05年5月号)

冒頭は堀江貴文ライブドア社長(当時)の言葉である。これを読んだ時に私は奇妙な人だなと思った。自らを結果的には「挫折」した経営者である鮎川義介に擬する堀江社長の精神に、である。
普通は縁起でもないと避けるであろう。まして「私がやっていることをそのまま」とまで重ね合わせたら末路まで妙な想像が働くではないか。
などと思いつつ忘れそうになっていた頃にホリエモン逮捕の報に接し、改めて両者を重ね合わせてみようとの気になった。

鮎川の出発点は1909年の戸畑鋳物(現在の日立金属)創業から始まる。東京帝国大学で工学を学び、渡米して鍛造の新技術を学んでいた彼は29歳にして日本初のマルブル品(継ぎ手など)を世に送り出す。同じ東大に属しウェブデザインという新技術で20代にして「オン・ザ・エッヂ」を創業した堀江とスタートがまず似ている。最初は技術屋さんだったわけだ。

鮎川が広く知られるのは1928年に義弟の久原房之助が資金調達に行き詰まって投げ出した久原鉱業を引き受けて以降だ。
当時の金融恐慌のあおりで「久原財閥」も危機に瀕していた。とりあえずの借金返済をした後に鮎川は日本産業という持ち株会社を作って久原鉱業の鉱山製錬事業を日本鉱業という事業会社として虎の子の戸畑鋳物とともにぶら下げた上で日本産業の株式を公開する。
戦前に持ち株会社の例は財閥を中心に多く見られるが財閥家族が閉鎖的に株券を保有して、いわばその使用人が運営に当たるという形が大半だった。持ち株会社は金融恐慌後に大再編された5大銀行と密接不可分であり、各事業会社は持ち株会社=本社に経営権を握られ、銀行から融資を受けていた。
久原財閥のような新興財閥は第一次世界大戦による「大戦景気」で巨額の借り入れを銀行から行って対抗したが、この方法だと台湾銀行の7割の融資を受けた鈴木商店が倒産したように「親ガメこけたら」形式で恐慌時に激しく淘汰されていった。
鮎川はそのどちらも選ばず持ち株会社の公開という当時ではアッと驚く奇手に打って出た。三井・三菱などの従来の財閥が持ち株を公開するのは1931年の金輸出再禁止をにらんで悪どい為替差益を稼いで世間の大ブーイングを浴びた結果のアリバイ作りに過ぎない。

この金輸出再禁止以降の高橋財政による経済再建と同年の満州事変が鮎川にとって一挙に追い風となる。彼は日本産業傘下の事業会社の株式を続々と公開して資金を獲得し、そのお金を元手に企業の買収や自動車産業への進出など新規計画をぶち上げ、それがさらに日本産業の株高を呼び、株式交換でさらなる企業買収を進めてはリストラやら統合やらを駆使して優良企業に仕立て直して上場し・・・・というビジネスモデルを確立した。
世にいう「日産コンツェルン」の誕生で、現在の日産自動車や日立製作所を抱える財閥に急成長する。
無料プロバイダという当時は画期的発想で100万人以上の会員を集めたもののプロバイダ料金の急低下と広告料でまかなうとの戦略が陳腐化して民事再生法を申請して破綻したライブドアを受け継いだ堀江のその後と確かに似ている。
どちらも特定の金融機関からの間接融資に頼らず市場から直接調達して急成長した。既存の大企業がブーイングを浴びている点や金輸出再禁止という金融緩和局面にあったことなど時代背景にも共通項が大きい。

さて問題はその後である。日産は戦後に財閥解体の憂き目をみた。他の旧財閥は後に再度グループ化したが日産だけはバラバラになってしまった。鮎川自身も戦争犯罪人の容疑で巣鴨の拘置所に2年近く拘置された。出所後は国会議員を務めたり中小企業の振興に力を注いだ。
ホリエモンの「日本政府のやり方がまずかったわけです」の「日本政府」を検察に置き換えれば(検察は紛れもなく日本政府の一部)「鮎川が悪かったわけではなく」も同様に「堀江が悪かったわけではな」いとなろう。

鮎川も堀江も拘置所に放り込まれた。鮎川の場合はバラバラになる日産コンツェルンを惜しんで多くが戦後の再起を望んだが一説には「一度やったことはやりたくない」といって慈善家のようになっていった。堀江およびライブドアも同じ道をたどるのか。もしそうだとすれば冒頭の堀江発言は自己の破滅をも予感した恐るべき洞察ということになる。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2006年1月24日 (火)

堀江貴文逮捕とオウム事件の報道

ついに堀江貴文ライブドア社長が逮捕された。この件の分析は他のブログで大いになされようから脇筋を書いてみたい。それは東京地検特捜部などの強制捜査が入ってから1週間で起きたテレビと新聞の報道の大洪水である。
大マスコミの立場で本音を推せば特捜が出てきた時点で大安心でライブドアが叩けるからイケイケになるに決まっている。特捜が公然と捜査して事件にならぬはずはない。ならば書き得、転がし得なのである。
視聴者や読者は16日以来突如としてこれでもかこれでもかと「新事実」とやらが報道されるのを奇異と感じる人もいようが「特捜登場」は水戸黄門の印籠も同じで狙われた側はアウトに決まっている。ならば何でもかんでも書いて伝えて大丈夫なのだ。
取材の基本で申せば普段は「10を聞いて1を書く」のだが、印籠がある以上は「10を聞いて10を書く」でも不安はない。結果として1の報道価値しかないはずの内容が10になって押し寄せる。「新事実」でも何でもなく、これまでもわかっていたことを事件に絡ませてガンガンやっているだけなのである。

オウム真理教の事件に似てきたな。司直が公然と乗り出すまではマスコミはTBSビデオ問題のように憶病なまでにオウム側に配慮していた。TBSはワイドショーでオウム問題を追及していた坂本堤弁護士のインタビューの放送を教団幹部の抗議で取り下げたばかりか、あろうことか放送していない坂本弁護士のインタビュー内容を教団幹部にみせた。
それが95年3月に教団本部施設に強制捜査がかけられて以来、態度は一変。あれもこれもの大洪水が本当かウソかわからないまま津波のように報道された。

首魁の麻原彰晃以外のキャラが続々と登場したのもライブドア事件と似ている。村井秀夫、上祐史浩、新実智光、青山吉伸、早川紀代秀などなど。
今、多くの視聴者がオウムの時と同じくライブドア関係者の名前を暗記中であろう。宮内亮治、岡本文人、熊谷史人、山崎徳之、羽田寛各取締役に自殺した関連会社の野口英昭副社長、ついでに乙部綾子広報担当。これだけで7人。さあ何人覚えましたか。もう顔と名前が一致している方。あなたはすでにハマっている。
いずれも右腕だの片腕だの腹心だのといわれているがそんなに腕があったら千手観音もビックリとか、さほどに腹心を入れたら胃袋が避けちゃうといった突っ込みはこの際なしにしようぜと記者クラブで協定している・・・・はずはないが協定しなくても書き飛ばすまでなのだ。

だいたい以前の報道ではライブドアとはホリエモンのワンマン会社ではなかったか。テレビを見て笑うのは、この「腕軍団」の映像がプロ野球参入やフジテレビとの一連の騒動の最中にホリエモンだけをトリミングして使ったVの脇に映り込んでいたことだ。
下手したら取材者さえ把握していなかった某が実は「腕軍団」のなにがしとわかって再利用しているわけで。要するにその時点では「ホリエモンのワンマン会社」と取材側も認識していたに違いない。この辺もオウムの時とソックリである。

こうした印籠にすがっての大報道はもはや我が国マスコミの宿痾といっていい。印籠がない段階では憶病になり、出てきた途端に叩きに叩いて叩きのめす。それじゃあ権力の手先だろうよ。
今後比較されるであろうリクルート事件の時は秋霜烈日をもってしても事件化が困難だった「取引」を白日の下にさらしたのはマスコミの力が大きかった。対価を払って手にした未公開株の保有に賄賂性はあるかという難しい問いにバブル景気という時代背景から「値上がり確実な公開前の株」の存在を分析した。
ライブドア報道にはそのかけらもない。特捜が手にした情報を「わかりやすく解説」するのが関の山といった状態だ。

・・・・といって今回に限って、そのような報道姿勢からホリエモンを擁護しようとの気にもなれない。だって彼は『週刊ダイヤモンド』誌上で「いかに新聞、テレビを殺していくか」と明言しているから。新聞、テレビにしてみれば殺し屋を屠るのは正当防衛だと言いたかろう。わからんでもない。人を呪わば穴二つとはこのことだ。埴谷雄高曰く「奴は敵だ、敵は殺せ」。

ところで・・・・まだニュースでフォローしていないがホリエモンの行き先は東京拘置所だよね。逮捕時間が午後9時頃と遅かったので当日中に拘置所には入れないなんてことは・・・・ない。特捜の要請ならば勾留状を出す裁判所も小菅のドアも24時間チェックインOKだったはずだ。おめでとうホリエモン。24時間開いているのはマーケットだけではないとわかって。そうそう拘置所は建て替え中だけど堀江容疑者が入るのは新装なった棟なのだろうか。
ちなみに散々「人をバカにしている」と批判もされた彼のノーネクタイが遂にスタンダードになる日が来たともいえよう。被疑者のネクタイは自殺念慮から外されるのが当然だから。
殺すはずだったメディアから鬼の首を取ったように後ろ指を指され、ヒルズから建て替え中の拘置所に移り、ノーネクタイ当然BUT冷暖房なしの環境で何を思うかホリエモン

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月23日 (月)

女帝「中継ぎ」論のウソ

史上に女帝は存在するが、その役割は先帝から後代への橋渡しをする中継ぎに過ぎなかったというのが定説である。私はこの見方に疑問を持っている。
確かに史上の女帝にはすべて中継ぎ的要素はある。だが万世一系を信じるならば、ある時点で存在した天皇は常にその前後との中継ぎ役であることからは離れられない。すべての天皇がある意味で中継ぎであり、女帝だけを取り出してそうだとする言説は妙である。

それでも女帝のすべてまたは多くが文字通りの中継ぎ役、つまり先帝の衣鉢を継いで後代が育つまで遺訓政治にひたすら徹していたというならば「中継ぎ」といっていいだろう。
ところが古代の女帝の業績を調べると遺訓政治どころか回天の偉業とさえいえる大事業をなしたり、熾烈な権力闘争を仕掛けたり、受けて立っている「本格」派が多い。なかには「大帝」の名を冠してもおかしくない人物さえいる。

◎推古天皇
【中継ぎ説の概要】
時の権力者である蘇我馬子の意に逆らった崇峻天皇を殺害した後の操り人形。推古朝とは馬子と摂政の聖徳太子(天皇の甥)による事実上の連立政権であった。

【反論】
まず天皇在位が36年にも及んでいる。こんな長期を「中継ぎ」とすること自体が言語矛盾。また父は欽明天皇で夫は敏達天皇とピカピカの血統である。主に『日本書紀』の記載では敏達帝崩御の後の2代(用明・崇峻朝)でも容易ならざる存在感を示している。
むしろ皇親政治のホープである太子と絶頂期の馬子を操った手練の持ち主と考えた方がすっきりする。
太子信仰のせいか聖徳太子の後ろ盾というイメージも強いが太子死後の数年間も皇位を守っている。
なお『隋書』にある多利思比狐(タリシヒコ)が誰を指すかの論争について。太子とする説も有力だが根拠に欠ける。「王」や古訓のアメノタラシヒコ(大王)から推理すれば推古帝その人となるが、やはりこの音を女帝に当てはめるのは変。馬子説はほぼあり得ない。
多分『隋書』筆者が「倭王は多利思比狐という」との先入観で書いた記号であり特定の個人を指してはいまい。とは思うものの万一推古帝と特定できたら・・・・という誘惑はある

◎皇極-斉明天皇
【中継ぎ説の概要】
息子の中大兄皇子(後の天智天皇)が自らの権謀術数を正当化するために利用した人のいい母親

【反論】
むしろ蘇我氏を除いた大いなる黒幕であった可能性さえある。「大織冠伝」などで多分に美化されている中大兄皇子と中臣鎌足(死後に藤原の姓を賜る)の友情による蘇我氏滅亡物語の、いわゆる「乙巳の変」も入鹿殺害現場が皇居正殿であったことを考えると何らかの関与があったと考えた方がむしろ論理的だ。
書紀の「乙巳の変」から翌年の改新の詔までの記載は潤色である。後の天智天皇を殺人犯にしないための工夫とも読めるが、それ以前に天皇の関与を否定したかったのではないか。
重祚して斉明天皇となった時には百済再興軍を筑紫国博多付近まで率いて没する。齢70にもなろうかという年齢で没しなければ海を渡った可能性さえある。猛女の可能性極めて高し。

◎持統天皇
【中継ぎ説の概要】
夫の天武大帝の補助を務めた賢夫人。後継の予定だった息子の草壁皇子が早世したために孫の軽皇子(後の文武天皇)即位まで中を継いで天武帝が成し得たかった事業を引き継いだ

【反論】
天武天皇の治世はむしろ「天武-持統連立政権」ではなかったか。夫帝存命時から「天下を定め」る位置にあったとされる。
それ以前に彼女は天智天皇の娘でもあり天武帝が壬申の乱で雌雄を決した大友皇子と同じ天智系の血筋である。書紀などにはその点が不可解なほど記載されていない。問題の「草壁皇子(皇太子)に継げなかった」説も天武帝没が686年で皇子の死が689年である説明がつかない。
694年に遷都した藤原京に至っては近年の発掘で後の平城京を上回る壮大な規模だったことが確実視されている。これほどの大偉業を指導し得た人物がどうして単なる中継ぎ役といえようか。文武天皇の即位は持統帝なくしては難しかったし上皇に退いた後も死ぬまで後見している。

◎元明天皇
【中継ぎ説の概要】
707年に文武天皇が不意に崩御し、第1皇子の首皇子(後の聖武天皇)がまだ6歳だったことから祖母の立場で成人まで中を継いだ

【反論】
元明女帝は天智天皇の子すなわち持統天皇の母違いの妹で草壁皇子の妃で文武天皇の母とピカピカの血統である。子の文武帝の在位を挟んで果たした役割は姉の持統天皇と同じであるとみていい。譲位後も上皇として没年の721年まで相当な権力を有していたのは確実である。
何しろ治世の際に平常遷都を成し遂げて奈良時代の幕を開いた天皇である。とてもバトンの受け渡しだけが役目の中継ぎとは呼べない。

◎元正天皇
【中継ぎ説の概要】
元明帝から首皇子即位までの皇子の叔母として中継ぎを託された。それが証拠に聖武天皇即位と同時に退位している。

【反論】
むしろ母の元明天皇の名代として協力して何かを果たそうとしたと考えるべきだ。元明上皇は上記のように721年まで生存し、元正帝の在位は715年から724年である。
この間に重要な事件があった。右大臣藤原不比等の死である。代わって右大臣となったのは大納言で皇親政治を標榜する皇族の長屋王だった。長屋王は元明上皇の娘で元正帝の妹である吉備内親王を妻とする。
すなわち元明-元正コンビは不比等の子より長屋王を先んじさせ藤原氏をけん制したといえる。さらに元明没後の元正朝で長屋王は太政官の事実上の最高位である左大臣まで上り詰める。
長屋王は結局729年の「長屋王の変」で自殺に追い込まれる。巻き添えを食った妹への思いもあって元正上皇は藤原の勢力に支えられた聖武朝と疎遠になるが、737年に不比等の4氏が相次いで死去すると隠然たる力を発揮する。
『続日本紀』などによると元正上皇は4氏死去後の権力者となった橘諸兄とことのほか親しくしている。諸兄自身は反藤原ではなかったが政権下に非藤原系ブレーンを抱えていた。上皇死後の748年以後の藤原仲麻呂の台頭を考えると上皇の一定の存在感が藤原氏の頭を抑えていたともいえよう

◎孝謙-称徳天皇
【中継ぎ説の概要】
天武系から天智系に皇統が入れ替わる節目を中継ぎした。藤原仲麻呂や道鏡などに操られて政治的手腕には大いに疑問符が付く。

【反論】
天武系から天智系への交代は後世から結果論として「そうなんだ」というだけであろう。
確かに孝謙天皇は母であり聖武帝皇后の藤原光明子に頭が上がらなかった。即位も、藤原仲麻呂の任用も、淳仁天皇への譲位も光明子の振り付けであろう。
そもそも光明子の立后自体、藤原氏が前述のように当時の皇室で皇后が夫帝の死後に即位する慣例を我がものにするための画策であり、概念上光明皇后が聖武崩御後に即位してもおかしくなかった。だから光明子の序列1位はわかる。
余談だが、もし光明皇后が即位していたら今の女帝女系論争も何もなかったわけだ。
ただ光明子死後、衆目の一致するところの最高権力者は孝謙上皇であった。でなければ仲麻呂を逐うことも淳仁天皇を淡路島に配流することも、称徳天皇として重祚することもできるわけがない。
悪名高い道鏡の皇位簒奪未遂事件も、見方を変えれば称徳女帝が後ろ盾だったからこそ可能性があったわけで、それは取りも直さず称徳帝の絶対的権勢を意味する。中継ぎに務まるレベルではない。

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2006年1月21日 (土)

「九段の母」が見つからない

以前に述べたことだが小誌は「九段の母」を探している。といっても歌の通りのシチュエーションを求めているわけではない。

英霊の母親で靖国神社に参拝しているか参拝する意思はある人

であればインタビューをぜひしてみたいのだ。

思いつきは昨年8月15日、1963年から日本武道館で行われている「全国戦没者追悼式」で初めて戦没者の親の参列がゼロとなったとのニュースに接したからだ。
靖国の英霊は戦没者の一部分を占める。戦没者の範囲まで広げてもゼロということは「九段の母」はもっと少ないはずだ。
そして考えてみた。最も若い「九段の母」は何歳かと。1945年で20歳で生んだ子を20歳で失ったとして敗戦段階で40歳。それから60年以上経つから何と100歳以上が対象となる。

私は過去に息子が戦死した母親の取材はしたことがある。しかし「九段の母」の切り口、つまり靖国神社との関わりで聞いたことはなかった。だから「追悼式で親の参列ゼロ」の報を聞き「しまった!」と思って捜索を開始したのである。

まずは日本遺族会に聞くが担当者が「相当なお年ですよね?」と小誌の意図に驚かれた。すいません。そうなんです。そこで各都道府県の遺族会が名簿を管理していると知って東京都遺族連合会に当たると同連合会主催の拝礼式でさえ戦没者の親は姿を見せないという。
靖国神社境内にある献木に事務局連絡先が書かれていた某旧大隊に電話をすると戦友でさえここ数年で連絡をとれなくなった者が急増という状態とのこと。

仕方がないからいつもの手で開門から閉門まで居続けて片端から聞きまくる。だが「九段の子」はいても母はいない。「これは!」という出で立ちのお婆さまも聞いてみると祀られているのは夫の弟。
もう1人いたが英霊は兄で現在85歳。「九段の母」を歌って踊っていたという驚きの事実こそわかったが、やんぬるかな「九段の母」自身ではない
2人とも要するに九段世代だ。それでも十分に高齢者である。
神社の境内で営業をしている店員によると、一昨年までそれらしき人はいたというが昨年は見掛けなかった。連絡先もわからないという。

高齢者の施設などを訪ねればいいだろうと思われるかもしれないが、実は以前に取材をした際に戦死した息子のことは思い出すだけでつらいと多くに泣かれた経験があったので止めた。
思い出すだけでつらいということは靖国に来るのはもっとつらかろう。靖国を思い起こすのも苦しいに違いない。
「『誉れの家』なんて言われても内心はちっともうれしくなかった」と異口同音に話された。そうであろう。どう装うかとの身すぎ世すぎは全然別にしたとしても、人の真情というのは世代や時代が違ったからといってそうそう正反対になることはない。
したがって高齢者の施設で100歳以上の女性を教えてもらって「九段の母」であるかどうか聞くのは難しくはないが、以上のような理由で残酷な行為と採らなかった。

言い換えると、だから「九段の母」の声を今、聞いてみたいのだ。俗説ではあるが死地に赴いた兵士の最期の叫びは天皇陛下万歳ではなく「母ちゃん」だったという。英霊の悲しみを心情として最も忖度しうるは、したがって英霊の母ではなかろうか。
確かに戦友というのもあろう。だが戦後に生き残った者の多くは戦死した友に対して一種の引け目に似た感情を有する場合が多い。兄弟姉妹は母子ほどではない。
未亡人や遺児は口には出さぬが夫ないしは父の死で戦後の辛酸をなめた経験から怨みにさえ類する想いを抱くケースもある。むろん筋違いと本人は十分に知っていてなお、である。

そうなのだ。それが戦争なのだ。誰も幸福にしはしない。そして最も深い悲しみを抱えているであろう「九段の母」の世代は気づかぬうちにヒッソリとこの世から退場しつつある。

こうした悲しく、か細く、表には出さない、それでも厳然と存在した人の心を首相の靖国神社参拝に賛成している人も反対している人も汲んで発言しているのだろうか。ワッショイワッショイと軽い言葉で英霊をもてあそぶのはよすがいい。
その魂の叫びをほんの一滴もらしてもらいたいがために小誌は「九段の母」を探す。気高き読者の皆様。どうか心当たりがあったら私ないしは小社までご一報下さい。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年1月20日 (金)

前原代表は豪雪地帯で体を張れ

前原誠司はどこで何をしているのだ。

18日の自民党大会の神がかった様子を見て、やはり誰がどう言おうと現状では民主党に頑張ってもらうしかないと痛感した。約5年にわたって日本人をバカに誘い続けた、あのライオンとその股肱は得意の絶頂にあって緩み切っている。本当は今こそチャンスなのだ。

前原誠司はどこに居る?まさか東京じゃあないだろうな。北陸に行け。そこにしばらく住み着いて豪雪地帯の人々を救うべく陣頭指揮を執るべきだ。なぜそんな簡単なことがわからないのか不思議でならない。
昨年末からの大雪で既に100人以上が死んでいるのだ。人は必ず死ぬが雪の重みで死にたいという人は少なかろう。ということは100人以上が不幸な死を遂げているのである。
そしてこのままでは死者数の上積みは避けられそうもない。

前原代表よ。あなたの好きな言葉で言ってやる。日本は今、有事なのだ。脅威に覆われているのだ。自衛隊が必要とされているのだ。アンタの出番でしょうよ。
アメリカ軍でもかなわない「自然の摂理」という脅威が雪という爆弾を我が国に投下し続けている。被害は死者100人を超えた。ところが政府・与党の動きはやるせないほど緩慢である。だから野党第一党の出番・・・・のはずではないか。

自衛隊の活動の様子を見て驚いた。さっぽろ雪祭りでデカいモニュメントを造る能力がある災害救助隊としての自衛隊はさぞかしハイテクで雪に立ち向かうかと思いきや、スコップやロープといったレベルにある。これを大問題といわずして何なのだ。
株価が落ちても人は死なぬが屋根が落ちれば死ぬ。繰り返し述べるがそんなこんなで100人以上が不慮の死に至っている。まぎれもない先進国で、冬に雪が降るというだけで、そんな悲劇が起きている。夏に降っているのではない。冬に降っているのだ。
耐震計算を偽装したマンションで100人が死んだら、鳥インフルエンザで100人が死んだら、サマーワで自衛隊員100人が死んだら、大騒ぎであろう。人の命は等価である。民主党は何もかも放り出して切迫した状況にある国民を救い出すために尽力すべきである。そうに決まっている。

前原誠司さん。中国が脅威だとして、たった今の我が国で豪雪と中国人民解放軍のどちらが脅威ですか?国民の生命と財産を守るのが政治の基本である。雪国ではその両方ともが脅かされている。だったら政治家が取るべき道は1つしかない。
「それは政府・与党のやることだ」と野党第一党が口にしたら最後である。それに気づかない政府・与党とは何だと身をもって国民に分からせてこそ民主党を価値ある集団だと価値付けられよう。
前原誠司さん。豪雪地帯であなたは党内でも批判が多い、お好きなフレーズを存分に叫ぶことができるのだ。有事だ!自衛隊が必要だ!脅威だ!国民を守るのだ!そのための予算が必要だ!・・・・とね。何なら米軍の助けを得る努力だってしたらいい。
「自然の摂理」という強敵に対する日米の集団的自衛権発動を叫べばいい。それでは「集団的自衛権」の定義とは違うって?こちとらそんなことは百も承知で書いている。そんな細かいことはこの際どうでもいいのだ。人が死んでるんだぞ!

ライオンを気取っていても60歳を超えた首相に豪雪のなかでの陣頭指揮はできまい。その点、松下政経塾で100キロ行軍をしたはずの前原代表ならば、まだ40代前半のあなたならば颯爽と成し得るはずだ。

そしてそれは何よりも必要とされている。小泉改革という名の下でアホ教育を施され続けた国民の多くは100人以上が死に、さらに死者数の激増が懸念されている国内のたった今の「有事」をそうと思っていない。信じがたいモラルの低下である。
そこに敢然と立ち向かう政治家があると知れば、タイゾーやマドンナや郵政民営化などがいかに下らない空騒ぎであり、実の政治家とは身を呈して国民の生命と財産を守ってくれるのだとわかるであろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月19日 (木)

山折哲雄説で考える宮崎勤の闇

山折哲雄氏が『文藝春秋』03年5月号に寄稿した「麻原彰晃 宗教への不信と恐怖を煽った教祖」と題した論文に「近代科学の方法を隠れ蓑にした傲慢きわまる人間観」として以下を紹介している。

そもそも人間の行動は正常なものであれ異常なものであれ、客観的に説明することが可能であり実証的に分析することが可能であるはずだ、と考える人間観のことである。そしてそれが「異常」である場合は、その異常性そのものの根拠もまた、精神医学的立場から客観的実証的に診断することが可能である、と考える

山折氏によると、そうした人間観に安住すると

「人間この未知なるもの」という人間認識を風化させ、腐食させる元凶

となる。それは

人間という存在にはもともと客観的な分析を超える生のエネルギーが埋蔵されている、科学的な証言を拒むたぐいの怖ろしい闇の世界がそこには横たわっている

との認識が忌避されるようになるという

1988年から翌年にかけて世情は騒然とした。リクルート事件、昭和天皇の御不例、そして後に宮崎勤の犯行と知れる幼女連続誘拐殺人事件。新聞記者も右往左往した。
短い夏休みを終えて仕事に戻った88年8月、幼女がにわかに姿を消したとの報が埼玉県警広報課からもたらされる。それから間を置かずに幼女や少女がいなくなったりケガを負ったりする事件が相次いだ。そこから宮崎勤逮捕までのいきさつは以前に書いたので割愛するが、1つだけ再掲したいことがある。
それはまだ事件か事故か判然としない段階で、筑波大学の小田晋教授が私の電話取材に対して「異常性愛の持ち主による犯罪に違いない。多分少女は殺されている。もしかしたら食べられているかもしれない」と断言されたことだ。
つまり犯罪精神医学の分野では88年の段階でこうした事例はすでにあり、言い当てるのも専門家ならばできたというわけだ。「闇は解明されぬまま」と1月17日の最高裁判決を受けて一斉に報じられているが宮崎のような人物がいて、彼がやったような犯罪が発生する危険性は17年前にすでにわかっていた。したがって、その意味での「闇」は大した問題ではない。

一番知りたかったのは、本来誰もが少しずつは持つという「異常性愛」がなぜ最悪の形で実行されたかである。「私は違う」などと他人事にすべきでないのだ。
じゃあお前は幼女をさらって殺したいかと問われれば答えは無論NOだ。偽善ぶる気はない。自分のなかにそうした動機がかけらも見当たらないからNOといえる。ただ、そうした異常性愛が存在しないのか、存在するが何らかの理由で不活性化しているだけかと問い直されたらどうであろうか。「ない」という証明ができる人もまた稀であろう。
宮崎勤の場合、専ら精神医学の鑑定のみが問題とされたのが山折氏のいう「傲慢きわまる人間観」での裁きに偏った最大の理由ではあるまいか。私は精神医学を軽んじる者ではないが、先の小田先生の分析のように、この分野からのアプローチでは異常な行動を、ある個人が実行に移すかどうかといった分岐点までは探り得ない。
厳密にいえば「ある個人」を特定して観察すれば可能かも知れぬが全国民をそうした監視下に置くことは不可能だ。

法廷で刑法39条の心神喪失を争うという点に限れば大審院の判断以来の「精神に異常のある者」の識別は専ら精神医学に委ねるしかない。それはわかるが、それですべてを知り得ようとした感覚が本来誤っているという疑念が消えない。
現在、法律と精神医学の連携をはかる試みがなされている。しないよりはずっといいが「客観的な分析を超える生のエネルギー」はそれだけでは片鱗に触れるのがやっとであろう。

第二の宮崎を出してはいけないというのは誰もが賛成する。彼の死刑もやむなしであろう。だが彼をこの世から消し去れば同時に闇も謎のまま残る。
暴論のそしりを覚悟で書くが、彼は今こそ逃亡の恐れがない範囲で世間にさらされるべきである。刑法32条の時効は死刑の場合は30年。しかも平沢貞通死刑囚の時効完成を争った裁判で「刑の執行を前提とした拘置」は年数に含めないとの判断があるので(それはそれで大問題だが)宮崎勤は今こそありとあらゆる分野からアプローチされるべきなのだ。
例えば冒頭に述べたように彼の犯罪は世情が騒然としているなかで行われた。世はバブル景気のなかにあった。私と宮崎は同学齢で「新人類」と呼ばれ、バブル以前の円高不況では就職難を味わった。聞いてみたいことはたくさんある。
例えば彼が逮捕、起訴される過程でメディアは考えつく限りの罵詈雑言を浴びせた。一方で同時期に礼宮(現在の秋篠宮)殿下との婚約を発表された川嶋紀子さんには思い当たるすべての美辞麗句を並べた。
私は当時その両方を見て読み比べてめまいがした。こんなにも正反対の存在を神とやらは同じ「人間」としてこの世に生を受けさせるのか、と。まずそんなことから質問してみたい。

日本は刑事被告人に対して公判維持のためか外部のメディアとの接触に異様に厳しい。死刑囚ともなればなおさらである。でも医師や法曹といった「専門家」では「闇」に迫れないのは宮崎裁判をみれば明らかだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月18日 (水)

堀江貴文と「光クラブ」の山崎晃嗣

「女はお金についてきます」(堀江貴文)
「女は機械だ」(山崎晃嗣)

「完全に予測の範囲内です」(堀江)
「私の合理主義からは契約は完全履行を強制されていると解すべきだ」(山崎)

すでに多くの識者が試みている堀江貴文ライブドア社長と「光クラブ」の山崎晃嗣との比較を改めて私がする必要や能力があるのかとは思った。これまた多数の識者が指摘するように両者の連想は容易で魅力的だが実のところ違いもいっぱいある。それはわかるのだがライブドアの強制捜査の報を聞いて両者の比較という誘惑が断ち切れない。

ライブドアに証券取引等監視委員会(SESC)の調査が入っていることは昨年から報じられていた。しかも異例の長さで、途中からは内偵でも何でもなく公然と調べていた。ただし何をどうしようとしているかはつかみきれないでいた。何しろライブドア自身が「何をどうし」ているのかわからない会社だから。
犯則などがあればSESCは行政処分を勧告するか、悪くても東京地検特捜部に告発するかだろうとみられていた。特捜が告発を待たずにSESCと合同でガサを突っ込むとはなあ。証拠隠滅情報などよほど切迫した内部告発などがあったのだろうか。
しかも堀江社長のヤサまでさらっているのは明らかに狙いを社長本人に定めている証左であろうよ。

報道に接する限り決算短信の虚偽公表があったとすればライブドアは大打撃である。投資家の基礎的な判断材料を偽ったとなると上場廃止ならばいい方でアメリカの巨大企業エンロンのような運命をたどらないとも限らない。

「光クラブ」の山崎晃嗣社長は堀江社長と同じく東大在学中から起業した人物であるが、山崎の場合は「嗜好、気まぐれに相当依存さる」観念的な合理主義が「馬鹿らしくなっ」て行動的で数量的な合理主義を目指し「遊金利殖・月一割五分」で出資者を募って「月三割」で貸すという商売を始めた。「確実と近代性をほこる日本ただひとつの金融会社」を謳って大成功を収める。
山崎自ら高利貸しと名乗ったせいか「光クラブ」は一般にヤミ金融とカテゴライズされているが今風にいえばファンドであろう。一方のライブドアも実態はファンドであるといって差し支えあるまい。
山崎は物価統制令と銀行法違反容疑で逮捕されるも銀行法違反はいわば形式犯で物価統制令違反も借り手の中小企業主などが大被害を訴えているわけでもない。山崎自身の弁舌もあって処分保留で釈放される。

堀江社長の場合は本人に責任が波及すると証券取引法違反だけでも有罪は免れまい。何しろ特捜が出てきちゃったからね。ただし執行猶予が付く可能性は大きい。要するに捜査で身柄を取られること自体が大打撃になるわけではなさそうだ。
問題はそうした事件を起こした会社が生き残れるかである。「光クラブ」事件で山崎は最終的な破綻が来る前に自殺した。

ライブドアも最悪は倒産するかもしれないが問題は堀江貴文という人物の「やる気」であろう。
堀江氏自身が意気盛んならばライブドアでなくても立ち直ってくる。それだけの能力はある人物だ。彼は「自分が楽しくやりたいから」お金儲けをしていると公言している。そのために株主を幸せにしている、と。
ただし本来の意味でライブドアの株主は幸せではない。分割で価値をどんどん減殺される上に無配となれば不幸な株主であろう。ただホリエモンの「劇場」を楽しむ木戸銭としてライブドア株は高くない。そういう意味での幸せはある。何だか小泉劇場に似ているな。不幸だけれども幸せってところが。
そこに官憲が手を突っ込んできた。堀江氏がいうところの「アメリカ軍によってすっかり牙を抜かれてしまった」戦後のように。その最中でアプレ・ゲールの代表とみなされた山崎は(本人は否定)やる気を失う。
堀江氏はまさか自殺するようなタマではあるまいが「もうやめた」となるかもしれない。すでにフジテレビ乗っ取りが挫折した頃から彼には以前のようなやる気が感じられなくなったのは私だけか。

「経営者って若くないと出来ない」は彼自身の言葉である。その言葉はやがてそのまま堀江氏自身に跳ね返ってくる。国家権力によって嫌も応もなく裁判闘争に費やされた時間の後の堀江氏は堀江氏の時間軸でいうところの「若い」に相当しているか。
山崎の不可解は釈放を勝ち得るまでは実に精力的であったのに、その後の身の始末が意外なほどあっけなかった点だ。我らと異なる時間に住む者の感覚は我らにははかりかねる。ライブドア崩壊などという事態を迎えたら堀江社長はソロスのように案外と慈善家にでもなったりして。それはそれで面白いけどね。
なお山崎晃嗣は三島などの作品の影響で多大に誇張・美化されているフシがある。ホリエモンも今後のあり方によっては後世の小説家がいじってくる材料になりそう。というかやっと小説の題材になるような陰影が生じてきたといった方が正確かな。松永安左エ門の言葉じゃないけど「逮捕・投獄」がないと経営者としてドラマチックとはいえない。

なお「光クラブ」関連の記事は

http://gekkankiroku.cocolog-nifty.com/edit/2006/04/post_27bd.html
http://gekkankiroku.cocolog-nifty.com/edit/2006/02/post_79ad.html

も書きました。ご笑覧下されば幸いです。(編集長)

| | コメント (1) | トラックバック (2)

2006年1月17日 (火)

「靖国は総裁選の争点か」とは下らない

小泉首相が1月11日に述べた今年9月の自民党総裁選についての感想が非常に引っかかる。まず総理総裁の地位にある者の靖国神社参拝は「靖国は心の問題だ」と争点化を否定するような発言を記者団に示した。
その本命と目されている安倍晋三官房長官も記者団や報道ステーションなどのテレビ出演で「議論を深めていくのが本当にいいのか」といった発言を繰り返す。これは卑怯ではないのか。

まず靖国参拝が争点かどうかという設問自体がナンセンスである。争点に決まっているでしょう。本来はどうでもよかった話を小泉首相自身が01年の総裁選で争点に掲げて、以後今に至るまで知っての通りの大騒動になっているのだから。いいとか悪いとかではなくて問題としてある以上は問題なのである。騒ぎの火付け役が争点化を否定するのは後ろめたいからでしょう。
「心の問題」とは何だ。総理総裁の「心の問題」は争点そのものである。何をどう考えている人物か知らないで何を基準に選ぶわけ?
本当は「プライバシーだ」と言いたいのだろうが首相の靖国にかける想いはそれでよくても「参拝」は公人としての行動(つまり心の問題ではない)だからプライバシーであるはずもない。

自分で散々あおっておいて、今さら争点化に消極的というのはなぜか。
首相はまた「(靖国参拝を)批判される方も、靖国参拝自体がいけないのか、中国、韓国がいけないからいけないのか、今後はっきりして頂きたい」と捨てぜりふを吐いている。
上手なすり替えである。でもすり替えにすぎない。なぜそうかというと以下の通り。

「靖国参拝自体がいけないのか」・・・・これを「そうだ」というと「日本のために命を落とした英霊に対して何と冷たい」との反論ができる。
だがそもそも「靖国参拝自体がいけない」などという命題を立てている日本人はほとんどいない。存在せぬものにケンカを売ってケンカをしているように見せかけているだけの言葉だ。

「中国、韓国がいけないからいけないのか」は「そうだ」という人もいよう。だが「靖国参拝自体がいけないのか、中国、韓国がいけないからいけないのか」との二分法が成立するかというと別である。
中国、韓国がいけないと言っているのは靖国にA級戦犯が合祀されているからだというのはもはや常識であろう。この点に引っかかっている日本人も数多くいる。本来は「A級戦犯が合祀されているからいけないのか」という選択肢を入れて始めて意味をなす。
そこを故意に落とした上で戦没者の一部に過ぎない英霊を戦没者一般にすり替えて「心」というあいまいな概念で逃げようとしているだけだ。

「中国、韓国がいけないからいけないのか」と言い放つと、外国からの内政干渉に屈してもいいのかという響きとなる。そのレベルまで下げると腹が立つ人が多いに違いない。
さて、そこで問題である。この言い方だと「中国、韓国がいけないからいけない」でいいのかと小泉首相は挑発している。だったら俺は違うという実績がなければならない。当の小泉首相自身が「中国、韓国がいけないからいけない」という態度であったならば笑い話にもならないはずだ。本来は。
そこで01年以来の首相の靖国参拝を追っておくと、嗤うべし、彼自身が「中国、韓国がいけないからいけない」と「はっきりし」た行動を取っているのだ。
前述の01年の総裁選の公約は「8月15日に参拝する」だった。それを01年から04年までは避けた。8月15日以前に参拝して争点からそらした。その理由は何だ。「中国、韓国がいけないからいけない」以外の何があるのだ。
05年だけは8月14日まで参拝しなかったから15日はあり得た。だから小誌は24時間張り込んだのだ。世界で唯一、アンタの公約が果たされる瞬間を見るために24時間待ったんだぜ。そして来なかった。
最大の理由は9月11日投開票の総選挙を前に国民の関心を「郵政民営化賛成か反対か」に釘付けにしたかったからであろう。そこに靖国が絡むと面倒になる。ああ面倒くさ・・・・。この態度のどこに英霊への真摯な想いがあるのか。
「今後はっきりして頂きたい」のはこっちのセリフである。幸いにして首相の任期切れ前に8月15日はやってくる。「中国、韓国がいけないからいけない」のではないのならば参拝しに来いよ。小誌は待ってるぜ。安倍官房長官も当然来なきゃね。彼は05年も来たのだから総裁選に手を挙げておきながら今年は見送りなんて話はないよね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月15日 (日)

私の始末書4

突然で恐縮だが私は不審人物である。
まず我が世代がいけない。同学齢で世に出た順に紹介すると宮崎勤、上祐史浩、前原誠司となる。いずれも世を揺るがしたか揺るがせる力のある団体のトップにいたか、現在もいる人物であるが揃って不審人物だ。
しかも後の2人はイケメンなのに不審人物だから救われぬ。

私の社会人生活も不審人物として始まった。ちなみに生誕より大学卒業までもそうであったのは以前に書いたから省略する。
ある日、家に戻ったら警察官がいた。近隣の誰かが通報したらしい。確かに新聞記者は勤務が不規則なのでとんでもない時間に帰宅したり、逆に深夜に車で飛び出したり、泊まり明けで帰宅して風呂に入ったり奇妙な出入りをしてはいた。
家のなかは男やもめに何とやらでメチャクチャであった。会社にもクラブにも置いてあったし送られてもくるので極左の機関紙だって持っていた。だから疑われたのであろう。

あんたは何をやっている何者だとお回りは聞く。何をやってるも何もアンタの上司にあたる署長や副署長のところをグルグル訪ねるのが仕事だといっても納得しない。仕方がないから威張るようであまり言いたくなかったが毎日の記者だと告げたら先方は猛烈に恐縮して蜘蛛の子を散らしていった。その恐縮が嫌だったのにと嫌な気分が募った。
断っておくがネタではない。本当にお回りは来たのだ。

後に宮崎勤の犯行と知れる幼女連続誘拐(後に殺害)事件の時も被害者宅の近くで聞き込みをやったら今度は少女が蜘蛛の子を散らすように逃げていく。まあしょうがないか。真っ昼間に警官でもないカメラをぶら下げた男が聞き回るのだから。
少女の去った先には母親らしきが野ネコの母親の如き訝しげな視線を送ってくる。腕章をしていけばよかったのか。いやよけいに怪しいか。

記者を辞めた後も取材活動はずっと続けてきたから不審がられるのは変わらない。むしろ毎日という大看板がないまま名もなき出版社の名刺で仕事をする分だけ度合いは増したといっていい。
これは小誌そのものにも当てはまる。1996年に「コ・ギャル世相を語る」という企画を実施した。渋谷にいる女の子達は硬派なニュースをどう考えているかを聞き回ったのである。

◎住宅金融専門会社問題・・・・自分のケツは自分でふけって感じ(高1・ユウコ)
◎薬害エイズ問題・・・・安部(英氏)が悪い。だって、ばっくれているから(高1・モエ)
◎従軍慰安婦問題・・・・スッゲーかわいそう(高1・タマエ)

などというコメントを集めて延々と10ページも特集したのだ。記者はお回りに誰何された。高校生に薬害エイズ問題を聞くと警官が誰何する国なのだ。ここは。

最近は編集の仕事が多いので社内にいる。当然カジュアルである。スーツを着て狭い事務所で引っくり返っていても仕方がないからだ。幸い会社を置く神田神保町は同業が多いので出歩いても違和感はないが丸の内あたりまで行くともういけない。昼間から何だという視線が突き刺さる。
広告の仕事を盛んにしていた時はプレゼンでスーツを着ていったがパートナーの広告代理店の社員からやめておけと言われた。代理店社員はスーツだからクリエーターはカジュアルでいいと。でもお堅い会社にカジュアルでいくと異様に目立つ。視線には明らかに「不審」が込められている。
といってスーツで行けばいいわけでもないらしいのだ。スーツといえば取次様にお会いする際に着込むが着慣れない様相はそれで不気味らしく取次様から温かい視線で迎えられたことはない。

世は不審者であふれている。少女をさらったり殺したりと親は心配で仕方がなかろう。だが不審人物が本当に犯罪予備軍かどうかを見分けるのは不可能に近い。
実のところ私は優生学の起源となった断種法のようなものが登場するのを心配している。同法は1931年までに全米30州で成立した。約1万2000件の「不審人物」に該当する面立ちなどの人々に去勢手術が施されたのである。そうなったらたまらないぞ。
前原誠司様。何とか我が学齢の面目を施して下さい。変なことばっかり言ってないで

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月14日 (土)

ニコンのフィルムカメラからの撤退

報道によるとニコンが一眼レフのフィルムカメラをやめるという。全8機種のうち6機種から撤退し、残りの2機種も新規の開発はしないという。時の流れとはいえ淋しさを禁じ得ない。
かつてニコンの一眼レフはキヤノンのそれと双璧であった。私より前の世代はペンタックスが加わるようだが。
毎日新聞に入社した際には会社の勧めるままF301を買った。まだオートフォーカスではなかったからマニュアルの操作を身に付けるのにずいぶんと苦労をしたが、それでも前世代の機械式よりはハイテクであった。

野球の取材をする時はボールがバットに当たる瞬間を狙ったつもりが現像してみるといつも振り切った後の選手の背番号が真ん真ん中に来る始末。接写リングをつけて被害者の顔写真を懸命に写したことなども思い出される。
フィルム代はさすがに会社支給だったが毎日は貧乏だから長巻きフィルムを買ってきてパトローネに巻き付けて使用していた。現像の際にも全部ではなく写した分だけを切り取って残りの先端をベロにして再利用していた。

決定的瞬間を押さえたと意気揚々と会社に引き上げて暗室に飛び込み、現像液に浸してみたら何とほとんど写っていない!ムダな努力と知りながら現像液に延々とつけて何か浮かび上がってこないかと四苦八苦し、定着させた後も印画紙に焼き付ける際に強く強く現れるようにした。
それでも見えてくるのは言うまでもなく特ダネとはほど遠い輪郭めいた模様ばかり。デスクだ三席だが暗室の外から「まだか」と怒鳴る。最後はノックをしてくる。当方は脂汗しきりである。
快適にシャッターを切っていた。正確には妙に快適だと不審がりつつ喜んでいて暗室で開けてみると恐ろしいことにフィルムを入れ忘れていたこともあったな。あの時も青かった。
まだ新聞の写真が白黒であった頃であるから自分で焼き付けまでするのが当たり前であった。技量もプロにはほど遠かったが、それを補ってくれたのがニコンの能力。もっともフィルム入れ忘れでは補いようもなかったのであるが。
そんなこんなの銀塩の記憶も社内で暗室を持つより外に出した方が安上がりになる時代となって徐々に薄れていった。実際問題として小社を興した頃に暗室を設けようとは思わなかった。現像-焼き付けの値段が劇的に下がったからである。

デジタルカメラが普及してもしばらくは一眼レフと併用していた。100万とか200万の画素数ではまだまだ銀塩にも利があったからである。ただしどのように写っているか、そもそも写っているかどうかを確認できるデジカメの利便さへ次第に引き寄せられたのは事実である。
最初にポラロイドを使ってシャカッと引き抜いていたフリーのカメラマンがデジカメに持ち替えたのもこの頃だ。画素数が300万を超えた時点でプロの世界でも劇的に広まったような覚えがある。自前のスタジオを持つプロの部屋の一角から暗室が次々に消えていった。現像終了後のフィルムを天井からぶら下げておく光景も次第に見かけなくなった。
出版に関していえばデジカメの優位性はもはや揺るがしようがない。DTPでは直接取り込めてしまうからである。いかに銀塩の方が写りがよくてもスキャンして読み込んでいては優位性が保持できない。
デジカメの能力はさらに驚異的に向上し遂にはデジタル一眼レフの登場をみた。価格も性能に反比例して信じられない勢いで下がっていく。もはやフィルムの一眼レフを使う理由はなくなりつつある。
あるとすれば愛着のみであろう。私もデジタル一眼を買おう買おうと思いつつ、まだきちんと動くF301に遠慮して購入せずにきた。しかしもはや限界である。

残念ながらフィルムの一眼レフを使い続ける理由はなくなったのだ。あらゆる意味でデジタルの方が上回る時代になってしまった。先に「まだきちんと動くF301」と書いたが、ではメーンで使っているかというと違う。このニュースを期に私もデジタル一眼に乗り換えるであろう。
不思議なものである。私は前述の通りフィルムカメラには泣かされた思い出ばかり。一方でデジタルで嫌な経験をしたことはない。なのにニコンが一眼レフのフィルムカメラを止めると聞いて感じる空しさは何であろうか。銀塩に込めた無数のカメラマンの想いを、かすかながらでも感じているからだろうか。

「カメラのドイ」という会社があった。03年に倒産したのだが、同社は「カメラ」を名乗る同業他社が家電量販店として生き残りを策するなかでフイルムカメラの販売に特化しようとした。そこにデジカメブームが風雲のように巻き起こり手を尽くす暇なく社業が傾いたという。
時代の移り変わりの激しさに改めて驚く。出版界からは以前に書いたように写研の書体が消えて久しい。写研書体とフィルムがなくても本が作れる・・・・とタイムマシンに乗って90年代前半の同業者に告げたらきっと大笑いするだろうな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月13日 (金)

私は日本の人口は多すぎると教わった

くわしいことはわからないが少なくとも私の世代の前後、かなり広い範囲で子どもの頃、以下のように教わったはずである。

「日本国は狭い。その上に平地や平野が少ない。ところが人口は1億人以上いるので人口密度が高い。また地下資源にも乏しい。食糧自給率も低い。よって加工貿易で生きていく以外の術はない」

ウソだったのか。

この論理によると諸悪の根源は「日本は人が多すぎる」である。ただ小学生の頃でさえ「だったら殺せばいい」とは思わなかった。と同時に多すぎるならば減ればいいとも感じた。そしてそれが05年度から始まったという。いわゆる人口減少だ。
もしあの時の教育が正しければ人口減少社会は願ったりかなったりのはずである。ところが現実には大問題と騒がれる。いろいろな根拠を持ち出すが要するに減るのはまずいという。
人口密度の問題は諸外国との比較まで教わった。国土が広がらない以上は人口減でしか過密を和らげる方策はない。そして現に減り出した。万々歳でないのはなぜだ。
江戸時代後期の人口は約3000万人で推移している。それで何とか食ってきたのみならず多くの文化も生み出した。今の約4分の1まで減っても本来はどうってことはないのではないか。

地下資源に乏しいという話は歴史を学んでいくうちにウソだとわかった。正確にいえば日本列島は豊富な地下資源が埋蔵されていたが先人が目ぼしい物資を掘りまくって蕩尽してしまったために現代はなくなったのであった。
ここで2つの教訓を得る。一つは先人も基本的には「我が亡き後に洪水は来たれ」の姿勢であるだけを好き放題に使いまくってきたこと。だったら我々も後世のことなど考えずに好き勝手をすればいい。
もう一つはプレートに押し上げられた列島に地下資源がないはずはないこと。確かに金銀などは掘り尽くしたかも知れぬが先人が価値を見出さなかったり現代の科学技術で新たな意味を吹き込める資源はきっとあるはずだ。

加工貿易しかないという刷り込みに至ってはマンガである。確かその方法について「原材料を海外から輸入して付加価値をつけて外国に輸出し、そのサヤを稼ぐ」といった論理だった。
確かにその方法は一部、または一時期成功したが、だからといって唯一の成功方程式とはいえない。たまたま当たっただけかもしれないのである。日本と同じく資源がなくとも観光や金融、待遇などで生き抜いている小国はたくさんある。例えばなぜ日本は観光立国にはなれないのか。答えを聞いたことがない
また世界一の長寿国であるのはそれなりの理由があろう。長寿は人間の憧れである。だったらメカニズムを解明するだけで大発見である。ゲノム解析などは逆立ちしてもアメリカにはかなわないが、その行き着く先は結局は長寿の獲得である。まさか不老不死ではあるまい。だったらすでに実現している日本にヒントがあるに決まっている。

食糧自給率は本当にそんなに低いのか。農林水産省の統計はあてにできない。統計によるとブタは食糧だがブタの餌は食糧ではない。だが食糧の自給が本当に問題になるのは飢えが国を覆った時であろう。その場合でも人はブタの餌はブタの餌と見向きもしないのか。
そんなはずはない。その時にブタの餌は食糧になる。なるもならぬも食って生き延びようとするに決まっている。だから現在の自給率計算は信用できない。

何にせよ戦後の世代はかなり長い間「日本は人が多すぎる」と教わってきたのだ。したがって子を産まぬという選択をするのは教育に正しく反応した結果である。それが間違っていたというならば、どこがどう間違っていたかを改めて教示されたい。ウソを教えた責任も取ってもらわなくてはなるまい。

| | コメント (1) | トラックバック (2)

2006年1月12日 (木)

日本橋の青空は逆さ富士

ナポレオンは凱旋門を、金日成はチュチェ思想塔を建てた。独裁者は最後には自分の偉業を形にして後世に残したいと願う。わが国の独裁者、小泉純一郎首相の場合は日本橋であるらしい。
それにしてもこの首相はタフである。荒木飛呂彦の言葉を借りれば「ちっぽけな根性が実にタフ」なのだ。靖国参拝、ムダな道路も造れる道路公団民営化、結局は国債を買うしかない郵政民営化、ワイドショー向けの刺客騒ぎ、ほんのわずか切り込んだだけの国債30兆円の公約。
どうです。ちっぽけな根性が異様にタフではないですか。その極点が「日本橋に青空を」なわけだ。数千億円ともいわれる経費は道路特定財源から捻出。標的はまたしても有料高速道路。

そして青空作戦の首相の私的懇談会のメンバーが振るっている。
中村英夫武蔵工業大学教授は道路関係四公団民営化推進委員会で国土交通省側と思われる慎重論に終始した委員で、奥田碩日本経団連会長は経済財政諮問会議の民間議員として「改革」の旗振りをしていたくせに出身母体のトヨタ自動車を守るために道路特定財源の一般財源化には反対する変節漢である。
要するに「日本橋に青空を」構想はモニュメントを残したい独裁者と御用学者と利益を1兆円以上あげているのに飢えが収まらないガリガリ亡者の集合体。そこにムダの根源である国土交通省の小役人とゼネコンが群がる醜悪な構図が透けて見える。

といって鈴木俊一東京都知事が新宿に猛烈豪華な都庁を建てて「バブルの塔」と批判されたようなことを小泉首相はしない。あくまで清廉な改革者を装うにはハコモノは避けたい。といって独裁者の証しは残したい。
そこで日本橋に青空を戻す。文化だ伝統だとの修飾を施すのはハコモノと同じだし血税を注ぎ込むのも土建国家の政治家と変わらないが小道具と手法を変えて目くらます。タフでしょう!ちっぽけな根性が。
日本国民が豊富に有する島国根性と首相のタフでちっぽけな根性はたいそう相性がいいらしく内閣支持率は各種調査で5割を越えている。どんどんバカになっている。もはや小泉批判は聞こえない。

富士5湖の「逆さ富士」を想起する。かつて我々は富士山の頂上を目指していた。だがその正体は現実の富士がそうであるようにゴミだらけで醜悪であった。ヨッシャヨッシャの油ギッシュな角栄まがいのオッサンに連れられて目指した場所はシャンバラでも何でもなくただの経済敗戦の焼け野原。
そこに清潔そうな男が指を下にして呼号する。これまでの指導者の助言はすべてウソだ。我らがシャンバラはあそこにある、と。上へ上への営みではもはや得るものはないと感じ取っていた人々は彼の指さす方向を見た。するとそこにこそ、目指したはずの富士山があるではないか。
新たな指導者は戻れという。伝統や文化を思い出せと叫んで自らそれらしき振る舞いをしてみせる。大衆は湖に飛び込んで真の頂をめざす。どんどん深く潜っていく。そして窒息死するのだ。
途中で息苦しくなった国民のなかには水面をふと顧みる者もあろう。そこには青空が広がり指導者のワンフレーズが轟く。安心して改めて下を見ると自分が止まっている間にさらに深く潜っている同僚がいる。ヤバイ。私も潜らなければ・・・・

私たちは気づかなければならない。その指導者は地上にいてありもしない逆さ富士の頂に殺到する国民の衰弱を待っていることを。彼と彼の眷属だけは青空のなかで堂々と呼吸をしている。こんなことをもう5年近く続けているのだ。青空が必要なのは日本橋ではない。崇高を求めて実は堕落と無為に一直線の国民である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月11日 (水)

赤ちゃん誘拐と吉展ちゃん事件

仙台市で生後11ヶ月の赤ちゃんがさらわれた事件は発生当初の報道後に脅迫文が送り付けられて身代金目的誘拐と断定されマスコミ各社と「報道協定」が結ばれた。事件は犯人が身代金を手に入れる前に逮捕され赤ちゃんは無事と、最悪の事態は免れたが「報道協定」に関わる一連の捜査とメディアのあり方が話題となっている。
私も似たような経験をしているのだが、そこに照らしても今回の展開はやむを得なかったと考える。

1987年12月28日午後9時半ごろ、山梨県勝沼町の産婦人科医院から生後1時間あまりの男子が何者かに連れ去られた。山梨県警捜査1課と塩山署は誘拐事件と断定して捜査本部を設定した。
29日になって事件はマスコミ各社の知るところとなり直ちに報道が開始された。その時点で身代金の要求など犯人からの連絡がなかったからだ。
この時点で身代金目的誘拐の線が消えていたわけではない。この年は群馬県で5歳の男子が誘拐され殺害される悲惨な事件が起こっている。しかも未解決のままだ。ただし、そうでなくても割の合わない身代金目的誘拐をわざわざ手間ひまかかる嬰児をさらって実行する根拠に乏しかった。

赤ちゃん連れ去りはまた子どものいない女性が発作的に行う「えい児略取」である場合も多い。その場合は公開捜査をして事件がすでに明るみになっていることを犯人に知らせ、さらわれた子の親族の悲痛な叫びを聞かせるのが効果的でもある。
もともと子ども好きが高じての犯行だけに赤ちゃんが殺される危険も少ないからだ。

もっとも発生当初、浦和支局に所属していた私には関係がなかった。ところが31日になって捜査本部が犯人の女性が埼玉県上尾市の親類宅に居るところを発見して逮捕してから突如関係してしまった。
年末年始の支局は大騒ぎとなり私は赤ちゃんが保護されている上尾市内の産院に元日に派遣された。元気な様子を確認するとともに院長の声と被害児の顔を取ってくるのが使命であった。かくして私のこの年の元日休みは消えてなくなったのだ。

取材してわかったのだが数日といえども新生児が連れ去られている状態は生命に大きな危険がある。えい児略取容疑で逮捕された女性は87年秋に死産したらしく、また犯行のあった12月には男子を出産したと公言していたという。子ども欲しさが放言につながり、引っ込みがつかなくなったようだ。
この事件は前科のあった犯人の指紋が犯行現場近くで採取されていたために早くから身柄が特定されていたのが大きかった。ただ何しろ担当が山梨県警だけに当初「大丈夫かよ」との観測もあったが、この事件はみごとに解決して山梨県警の実力を示すことにもつながった。

とはいえ取材現場も誘拐をまったく考慮しなかったわけではなかった。ただ前述のような理由で嬰児をさらって身代金を要求するのは犯罪の筋が悪すぎる。
人質は犯人の武器であるが嬰児ではハンディになってしまうし目的を達する前に死んでしまい、益なきまま未必の故意による殺人罪に問われる危険性も大きく、現に嬰児を対象とした身代金目的誘拐の例はほとんどない。有名な津川雅彦さんの例もふくめてほんのわずかで皆失敗に終わっている。
だから今回の事件で宮城県警が当初「目的は身代金ではない」と考えたのは犯罪心理から当然であった。だから逆に今回の犯人がなぜ赤ちゃんで身代金を要求したのかが知りたい。

ところで今回の事件では逆探知が大いに発達しているのが役立ったとされている。犯人にとっての人質はカネを取る取引材料に過ぎず、目的を達するか無理だとわかったか、いずれにせよ明白になった時点で殺す確率が高い。そこが誘拐という犯罪の残虐非道な所以だが、報道によれば犯人は犯行を遂げるための画策中に既に人定が進んでいて観念していたフシがある。
でないと解放する理由がない。身代金は取れない。といって飛ぶこともできない。となるとせめて殺人罪には問われたくないという意識が初めて生じる。変な話だがパクられるのが確実とわかった上での一種の「余裕」がないと解放という発想は生まれにくいからだ。

1963年の「吉展ちゃん誘拐事件」を想う。あの時の失敗から日本電信電話公社(現在のNTT)が警視庁の要請を発端に逆探知に協力するようになったからだ。村越吉展さん。生きていれば46歳になるあなたの死は決して無駄ではなかったのですよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月10日 (火)

まだやっている「成人式」

「成人式で暴れる」事件はもはや事件ではない。定番と化した年中行事である。今日(9日)も沖縄で逮捕者が出ただのグレートサスケがどうしただの・・・・・。

くだらない。幾重にもくだらない。沙汰の限り。だから止めてしまえという単純な論理的帰結に至らないのは不可解である。世にある不可解はすべてメシの種である。まずはルーツを分析することから始めてみた。

成人式が行われる「成人の日」とは「国民の祝日に関する法律」によると「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」ことが目的で1月第2月曜日を祝日とする。
このことは私も知っていたが、何で「成人の日」だけ成人式をやるのかが不思議でもあった。勤労感謝の日に全労働者を集める式典を自治体がやったりはしないから。

ところが歴史を調べてみるとこの疑問は因果関係が逆であることがわかる。現在の成人式のルーツは、埼玉県蕨市が敗戦の昭和20(1945)年の直後に行ったあるイベントにあった。
同市のホームページによると

「蕨市は成人式の発祥地です。終戦直後の混乱と虚脱感が大きかった昭和21年11月22日、当時の蕨町青年団が、20歳を迎えた成人者を招いて、今こそ、青年が英知と力を結集し、祖国再建の先駆者として自覚をもって行動すべき時と激励し、前途を祝しました。その趣旨と意義が高く評価され、昭和23年7月、国民の祝日として成人の日が制定されました」とある。

要するにまず成人式があって、その意図をくんで祝日が生まれたという順なのだ。

まず成人式は敗戦からの「再建の先駆者として」若者が「自覚」し「英知と力を結集」すべきであるとの客観的背景があったという点を考える。今の日本を経済成長が挫折した、ある種の敗北状態であるとすれば、若者の「英知と力」は敗戦時と同じように必要とされていると判断できなくもない。そう考えれば、成人式は意味を持つはずである。
ただ敗戦時は若者と対置される大人、とくに実力者の大失敗という状況が焼け野原、連合国軍による占領、戦争犯罪人の逮捕や公職追放などという目に見える形で存在し、否応なく若者は「再建の先駆者として自覚をもって行動す」るしかなかったのに比べて、今日はどうか。
少なくとも若者に将来の日本を委ねようという気持ちが大人の側にあるとはいえまい。そういう構想を明確に掲げた政治が行われているとも思えない。むしろ威張りくさっている。
敗戦時の若者が幸福であったとは客観的にはいえまい。少年犯罪も非常に多かった時期でもある。ただそんな時に、「バカをやっている場合か。こっちに力を貸せ」という構想だけはあったわけだ。この点は非常に重要で、「成人式でバカをやる」という心理とは正反対といえよう。

成人式が誰のために、何の目的で開かれるのかがもはや明確でないのが根源ではないか。例えば私は1982年に成人したが、成人式には行かなかった。先ほどの「誰のために、何の目的で開かれるのか」がわからなかったから。もう20年以上前からわからなかったのだ。少なくとも私には。
式典には今と変わらず自治体の首長などの演説があったが、小役人とB級タレントの説教を聞かせられるなどゴメンであった。かといって遊びのイベントを小役人に用意してほしいと望みもしなかった。「成人」といっても、成人の日は誕生日ではない。20歳は個々の誕生日に達成されるわけだから、日を決めて一斉に何ごとかを祝ってもらう必然性に至っては全く理解できなかった。

その意味で私は暴れる新成人と近いメンタリティーを有していた気がする。違うのは私がアホらしくて行かなかったのに対して、暴れる新成人は暴れに行くとはいえ、行くには行くという点であろう。行くということは何かを期待しているからだ。
それは案外、「私の存在意義を認めてほしい」ということではないか。ただ今の成人式がそれを満たしているかというと疑問である。

もちろん式典の内外で犯罪的な行為を犯すなどは愚の骨頂だし、素直に喜んでいる大半の新成人に嫌な思いを与えることは批判されねばならない。ただ、何を求めて出かけていくのかはぜひ知りたい。私には、わざと出かけて暴れる新成人も驚きだが、素直に喜んでいる新成人の方が圧倒的に多いという事実の方が、個人的にはより不可解でもあるからだ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年1月 4日 (水)

Gwen Stefaniが朝日新聞の元日1面とは

いやあデジタルデバイドってあるんですね。地方でも国内ならばノートパソコンがあれば更新できると考えたのが甘かった。地方ならではの格差と私自身の能力という格差がオーバーラップして更新に至らず。大つごもりの哀感やら元日の決意など、それを抱いたかどうかは別にして書くべきを逸した。気高き読者の皆様すいません。

しかし元日の朝日新聞は驚いたな。1面のど真ん中にGwen Stefani様の御真影が祀られているではないか。
朝日の1面にGwenがいる。何というかソープランドに行ったら(行ったことないけど)中学時代に憧れていた同級生がソープ嬢で出てきたというか、まあ例えとして適当でないのを分かって書いているのだが不似合いの感触はそんなところ。

以前にも書いたがGwenは私が最も好きなタイプの女性である。タレントかフェロモンの片方でも発散していればメロメロというのが私の単純明快な女性観である。それが感じられない女性は例え美貌でも興味は・・・・ある。
いけない。論理が破綻してしまった。角度を変えて申し上げれば、その両方を持っていて、しかもこれ見よがしに大爆発させるのがGwenのすごさなのである。
原宿の女の子にインスパイヤされたとか何とかのGwenの発言もまた「私はそんなところまで吸収できる天才よ」という見せつけの一端に過ぎない。あれもこれもを吸い尽くす神なのである。
だからGwenの「カワイイ」が偏見か否かを論じるのはバカげている。神の認識が正しいかどうかという視座はありえない。神がいうならば正しいのである。

この辺が理解できない「理知的」な人は多い。以前に神の座にあったジーコが審判の判定を不服としてボールにツバを吐いた際に新聞は「ジーコの行いは正しいか」を論じた。それと同じ。神がツバを吐いた以上はツバを吐くべき状態だったのだ。

今やリング上でも歌うが、かつてテレビの歌番組に矢沢永吉は一切出なかった。それが突如缶コーヒーのCMに出た際にも似たような議論があった。だが多くの永チャン信奉者は「永チャンがCMに出るならば俺も缶コーヒー飲みます」だった。これが正しい。

ところで心配が一つ。これも前に指摘したのだが大新聞が「流行」として紹介すると、その「流行」はしばしば終えんに向かっている場合が多い。新聞記者の成長過程が主におっさんとの触れ合いなので「はやりすたり」に鈍感な者を輩出する傾向がもともと強い上に、仮に「流行」を初期段階でつかんで記事化しようとしても頭コチコチのデスクがOKするはずがない。載せるだけの根拠なり実績があるかと跳ね返す。
でも根拠も実績もない段階こそが「流行」をつかむ唯一の好機だから、この問答は本来ナンセンスである。
Gwenの記事で元旦紙面の1面を飾れた(記者にとっては大変なことなんです)ということは「グラミー賞5部門の候補」などの実績を評価してのことだろうが、彼らが評価した頃とは早くても頂点から下火、ないしは大御所化する時期に一致しやすい。まさかGwenが、とその点だけ不吉である。
などなど書きつつ私は朝日のGwen Stefani様の写真に見入っているわけだ。いいですねえ。ゴチャゴチャ言わずに喜んでもいいのかも。記事がなくて写真だけだったらもっとよかった。

そうそう。記事中にGwenを「ポップの女王」としていたのには笑った。そんな言い方はせんだろう。

【お知らせ】更新しないまま再び三度で申し訳ありませんが明日から3日間程度休載いたします。生きるか死ぬかのハードスケジュールになるからです。その後生きていればつかの間の安心を、死ねば永遠の安心をそれぞれ得られるのですが前者だった場合に限ってまた書きます。今年もよろしくお願いします。一緒にひねくれましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年12月 | トップページ | 2006年2月 »