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2006年1月 4日 (水)

Gwen Stefaniが朝日新聞の元日1面とは

いやあデジタルデバイドってあるんですね。地方でも国内ならばノートパソコンがあれば更新できると考えたのが甘かった。地方ならではの格差と私自身の能力という格差がオーバーラップして更新に至らず。大つごもりの哀感やら元日の決意など、それを抱いたかどうかは別にして書くべきを逸した。気高き読者の皆様すいません。

しかし元日の朝日新聞は驚いたな。1面のど真ん中にGwen Stefani様の御真影が祀られているではないか。
朝日の1面にGwenがいる。何というかソープランドに行ったら(行ったことないけど)中学時代に憧れていた同級生がソープ嬢で出てきたというか、まあ例えとして適当でないのを分かって書いているのだが不似合いの感触はそんなところ。

以前にも書いたがGwenは私が最も好きなタイプの女性である。タレントかフェロモンの片方でも発散していればメロメロというのが私の単純明快な女性観である。それが感じられない女性は例え美貌でも興味は・・・・ある。
いけない。論理が破綻してしまった。角度を変えて申し上げれば、その両方を持っていて、しかもこれ見よがしに大爆発させるのがGwenのすごさなのである。
原宿の女の子にインスパイヤされたとか何とかのGwenの発言もまた「私はそんなところまで吸収できる天才よ」という見せつけの一端に過ぎない。あれもこれもを吸い尽くす神なのである。
だからGwenの「カワイイ」が偏見か否かを論じるのはバカげている。神の認識が正しいかどうかという視座はありえない。神がいうならば正しいのである。

この辺が理解できない「理知的」な人は多い。以前に神の座にあったジーコが審判の判定を不服としてボールにツバを吐いた際に新聞は「ジーコの行いは正しいか」を論じた。それと同じ。神がツバを吐いた以上はツバを吐くべき状態だったのだ。

今やリング上でも歌うが、かつてテレビの歌番組に矢沢永吉は一切出なかった。それが突如缶コーヒーのCMに出た際にも似たような議論があった。だが多くの永チャン信奉者は「永チャンがCMに出るならば俺も缶コーヒー飲みます」だった。これが正しい。

ところで心配が一つ。これも前に指摘したのだが大新聞が「流行」として紹介すると、その「流行」はしばしば終えんに向かっている場合が多い。新聞記者の成長過程が主におっさんとの触れ合いなので「はやりすたり」に鈍感な者を輩出する傾向がもともと強い上に、仮に「流行」を初期段階でつかんで記事化しようとしても頭コチコチのデスクがOKするはずがない。載せるだけの根拠なり実績があるかと跳ね返す。
でも根拠も実績もない段階こそが「流行」をつかむ唯一の好機だから、この問答は本来ナンセンスである。
Gwenの記事で元旦紙面の1面を飾れた(記者にとっては大変なことなんです)ということは「グラミー賞5部門の候補」などの実績を評価してのことだろうが、彼らが評価した頃とは早くても頂点から下火、ないしは大御所化する時期に一致しやすい。まさかGwenが、とその点だけ不吉である。
などなど書きつつ私は朝日のGwen Stefani様の写真に見入っているわけだ。いいですねえ。ゴチャゴチャ言わずに喜んでもいいのかも。記事がなくて写真だけだったらもっとよかった。

そうそう。記事中にGwenを「ポップの女王」としていたのには笑った。そんな言い方はせんだろう。

【お知らせ】更新しないまま再び三度で申し訳ありませんが明日から3日間程度休載いたします。生きるか死ぬかのハードスケジュールになるからです。その後生きていればつかの間の安心を、死ねば永遠の安心をそれぞれ得られるのですが前者だった場合に限ってまた書きます。今年もよろしくお願いします。一緒にひねくれましょう。

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