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2005年12月24日 (土)

アニマル浜口・浅田真央・ディープインパクト

アニマル浜口と娘の京子の二人三脚は美談なのだろうか。京子の心境はともかくアニマルの場合はあの「気合いだー」連呼を聞くだにルサンチマンを感じて仕方がない。
大半の人は「アニマル浜口は元プロレスラー」との認識しかない。それも道理で彼のレスラーとしての人生の大半はマイナーであった。
馬場の全日本、猪木の新日本が2大勢力をなしていた時代に国際プロレスという第三の団体に加入して苦労を重ね、国プロが経営危機に陥ると国プロの存続をかけるという名目(プロレスの名目はほぼ文字通り名目にすぎない)でラッシャー木村らとはぐれ国際軍団を結成して新日に挑むという形で立て直しをはかるも失敗。
その後は長州力らとジャパンプロレスを結成して今度は全日を相手に団体を維持しようとしたが失敗した。
国プロ時代から引退まで常に弱小団体に位置し、その団体でさえ主役を張るほどの実力はなく、あえていえば外連が売りの色物であった。「気合いだー」も国プロ時代からのくさいパフォーマンスの域を出ておらず、本来ならば見られた代物ではないのである。

結局は娘・京子がメジャーに扱っていいスポーツで(プロレスは違う)活躍し始めた際に調子に乗って現役の頃のようなパフォーマンスをしたら意外に受けたというのが真相だろう。
ほどほどの知名度というのも幸いした。仮に猪木の娘が京子の位置にいて猪木が「ダッー」を連発したら「また商売かよ」とさすがに取り上げなかろう。
ただしアニマル浜口は他にもプロレスラーを育てた名伯楽ではある。名伯楽にはルサンチマンの持ち主が多いというのは私の見解でもある。
ある高校野球の名伯楽(監督)は甲子園で歴史に残る大逆転劇で勝ったチームの主将だったことを自慢していた。しかしよく調べてみるとその試合でその監督は大逆転劇の回に代打を出されている。そのことは絶対に口にしない。ルサンチマンは育成での復讐を可能にする原動力になる。
だからアニマルがルサンチマンを抱いていること自体はプラスでさえあるといえるが、それが憶面もなくテレビ画面で流れ、それをストレートによしとする風潮はやはりゆがんでいる。

フィギュアスケートの浅田真央が年齢制限からトリノ五輪に出られないことであれこれ言われているが私にはすべて偽善に聞こえる。
医学的見地もルールは曲げられないとの意見もすべてデタラメである。医学的見地からダメならば五輪以外の大会やジュニアの大会を開くこと自体おかしいし、欧米を生誕地とする近代スポーツでアジア勢が活躍すると欧米人に有利なルール変更をするのは日常茶飯事だから気にすることはない。
となると浅田真央の出場に賛成かというとそうではない。賛成派のきれいごとの裏には「マオを出せば金メダルかも」との島国根性があるからだ。マオをダシにいい気分になろうとの卑しさが透けて見える。
もっと重要なのは15歳未満で全盛期を迎えているとしたら、そもそもそれはスポーツかとの疑問だ。身体が成熟するとトリプルアクセルが今のように簡単に飛べなくなるとの説をしたりと唱える輩がいる。語るに落ちたとはこのことで、ガキだからできる技を技術だ芸術だと持ち上げるルールにスポーツを名乗る資格はあるまい。

今やスポーツ番組もスポーツ紙も競馬の有馬記念一色である。注目はもちろんディープインパクト。でも競馬ってスポーツだったっけ。あれは単なるギャンブルでしょう。
東京三菱銀行の支店で顧客の口座から約10億円を横領していた元派遣会社の女性の夫(共犯で逮捕)は日に数百万円を競馬に突っ込んでいたという。基本的に社会悪なのだ。それを美々しく飾り立てる。偽善のにおいがプンプンする。
浅田真央の出場・不出場で生きるの死ぬのはないが有馬記念の結果として夜逃げや首つりをする人が出る可能性はあるのだ。それをシレッと報道してプロレスはスポーツじゃないと報道しない姿勢もまた偽善である。

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