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2005年12月17日 (土)

大連立は憲政党か大政翼賛会か(下)

全政党が解党して大政翼賛会に集結して1国1党となり政党は戦争遂行協賛機関に成り果てた・・・・こうした認識を持たれている方が多いが大政翼賛会とはそうした組織ではない。

兆しは国民の政党不信発生にあった。民政党の浜口雄幸内閣が断行した1930年の金輸出解禁=金本位制復帰の失敗である。
輸入超過分の金流出に合わせて通貨発行を減少させて(兌換保証のため)マネーサプライを引き締めて物価を抑制し、国際競争力を回復しようとの浜口の決断は政策論としては正しいともいえたが不幸にも間が悪かった。前年のウォール街のストック暴落が大方の見立てと相違して世界恐慌として地球規模のデフレに成長したからだ。
適正な物価下落を見越しての金本位制復帰は世界恐慌のバイアスが乗っかって「適正」が「ものすごい」に変化し「適正な物価下落で国際競争力回復」にシナリオは「ものすごい物価下落で企業倒産」に変わった。
政党政治を中核で支えてきた都市の中流層や自作農は「下流」へ追いやられる一方で近づく禁輸出再禁止を見越しての財閥のドル買いによる大もうけが国民の怨嗟を買った。
それを国賊的行為と目の敵とした井上準之助の金輸出解禁死守方針も結果的に意固地となって政策転換の好機を逸した。

中流の没落、財閥の焼け太り、経済的弱者の死活的状況を一挙に生み出した、この「昭和恐慌」は政党の支持を一挙に失わせた。浜口は右翼に狙撃されて翌年死亡、後継の2次若槻は満州事変を止められずに瓦解、犬養は5.15事件で殺害されて政党内閣は終止符を打つ。

といって即刻軍部独裁となったのではない。ただ政党の主導権は回復することなく日本版挙国一致内である斎藤実海軍大将を首班とした内閣を始め、軍部の存在感が強まる中での短命内閣が続いて、その間に日中戦争が始まったこともあって、より強力な政治体制が希求されるようになった。
この当たりはバブル崩壊以後の日本に似ていなくもない。

政党が最初に目指したのは政友会と民政党の2大保守の「大連立」であったが親軍的メンタリティーの議員と飽くまでも議会制民主主義の伝統を守ろうとするオールドリベラリストの歩調が合わずウダウダしているうちに一層国民の支持を失う悪循環となった。
そんな時に近衛文麿が新体制運動を始める。「誰の言うことも聞いて決断しない」近衛らしく優柔不断の態度を取っていたが1940年6月に「新体制確立のために微力を捧げる」声明を出したのを機に政党は片端から解党して近衛新体制への参加を熱望する。
ところが10月の発会式で近衛は「本運動の綱領は大政翼賛の臣道実践に尽きる」「これ以外に綱領も宣言もない」と言ってのけ、のっけから意味不明の団体となった。合流して主導権を握るつもりだった旧政党は議会局という一局に閉じこめられて腹を立て、さっそく翼賛会攻撃を始める始末だった。
翼賛会自体も「1国1党」を左翼思想と非難する観念右翼におびえて単なる「公事結社」で政治活動は禁止となった。

つまり大政翼賛会は最初から政党ではなく途中から政党的機能さえ失っていたのである。左翼とさえ攻撃された存在だ。だから政党同士の「大連立」と比較する対象では本来ない。

むしろ大政翼賛会を「1国1党」イメージにしているのは翼賛選挙の存在だろうが、翼賛選挙と大政翼賛会に直接のつながりはない。翼賛会に大不満の旧政党は41年に翼賛議員同盟を結成した。
翌年に近衛の後を襲った東条英機内閣が翼賛政治体制協議会を結成して、この協議会を隠れ蓑に自分の都合のいい議員だけを推薦する選挙を画した。翼賛議員同盟は協議会に強力に働きかけて相当数の推薦を確保し選挙の結果、協議会の推薦候補が8割以上当選した。
これが翼賛選挙で協議会推薦候補の圧勝とそれを中核とした翼賛政治会の結成をもって東条独裁の元での「1国1党」がなったといえよう。「翼賛選挙」の「翼賛」は大政翼賛会のそれではなく翼賛政治体制協議会からの命名なのだ。
まとめると大政翼賛会は結成時点で機能不全であり、「1国1党」の翼賛政治会も結成後から内紛が絶えなかった。翼賛政治会と大政翼賛会は終始いがみ合っていた。それらも敗戦で、つまりわずか数年で瓦解する。

要するに大連立は口で言うほど簡単ではなく「1国1党」を東条のような独裁者でもクリアに成立させるのは難しかった。大連立とは当然のことながらライバル同士の寄り合いだから足の引っ張り合いが生じやすい。
マクドナルド内閣もまた切り捨てた形の労働党に総選挙で敗北して崩壊する。イスラエルの大連立も「コアビタシオン」も十分な成果があったかというと首を傾げざるを得ない。

とはいえ懸念も大きい。政党政治に対する不信が既存政党の存立意義を危うくし、それに危機感を持った政党が自らの存在再定義のために近衛が作るらしい新体制なる何物かさえわからぬ集合体に期待して大政翼賛会結成前に解散した。
何かをなすための手段としてのグループ結成ではなく結集自体が目標となる恐れがある。
小沢一郎党首が率いた自由党が自民と連立をはかったは内部から自民を割ってやろうとの明白な目的があった。にも関わらず失敗した。自由党が無勢だったとはいえ小沢氏でさえできなかったことが前原代表にできるかとの疑問も大いにある。

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