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2005年11月15日 (火)

同時多発テロで失った欧州の「ジェノバの自信」

2001年9月11日の米国同時多発テロで何もかも変わってしまったとよくいわれる。アメリカには同情が殺到してアメリカは報復を決意してアフガニスタン戦争へ。それでも終わらずイラクに出兵しようとして「ちょっと待て」とフランスなど欧州勢が止めに入ったにも関わらずに強行。
ほんのわずかの死者で撤兵したソマリアに比較しても2000人以上のアメリカ兵が死んでなおイラクに居続けるのは同時多発テロの後遺症がいまだに癒えないということであろう。

そこで思い出そうとふと考えた。「何もかも変わってしまった」テロ事件の直前の世界はどうだったのかと。

直前の国際関係で最大の話題は7月のジェノバ・サミットだった。ここでは深刻化する地球温暖化防止のため、1997年に採択された先進国に温室ガスの排出削減を義務づける「京都議定書」の批准をめぐってアメリカと欧州が激しく対立した。
去る3月に離脱を表明していたアメリカに欧州は批准を迫っていた。欧州がアメリカとの正面衝突も辞さない強硬姿勢は「アメリカべったり」のわが国民を驚かせたものだ。背景には欧州の逆襲とでもいうべき拡大EU(欧州連合)の存在があった。

思えば第二次世界大戦終了後の欧州はミジメだった。20世紀初頭まで世界は英国を頂点とした欧州の世紀であったのに2度の世界大戦の主舞台となって、いわば自滅した形で、第二次大戦後、欧州は事実上の世界一の座を米国とソ連に譲ってしまった。
以後、ソ連と東ヨーロッパ、米国と西ヨーロッパという軍事ブロックが出来上がり、分断されたまま1990年代を迎えた。
そこでソ連の崩壊という事態に直面し、必然的に東西ヨーロッパの軍事的対立も和らいだ。ソ連の崩壊は「米ソ冷戦の終了」という強いイメージを世界中の人に与えた。

「欧州の逆襲」はここからだ。93年にはEU(欧州連合)が発足し、99年からは単一通貨「ユーロ」が発行され、同時多発テロ直前では政治的にも統合もあと一歩という空気がみなぎっていた。
その時点でEUのめざす規模は、質量ともに日本人一般が想像するよりはるかに大きかった。質の点ではすでに加盟していた15ヶ国だけで名目GDP(国内総生産)はトップのアメリカと肩を並べていた。
量も見逃せない。それ以降に加盟を予定していた28ヶ国が本当の連合体となれば、人口は約5億人とアメリカの2倍となり、世界でも1位の中国、2位のインドに次ぐ多さとなる。もちろんGDPは世界一。「小さな国ばかり」の印象も払拭され、面積も世界7位に食い込んでくる。
唯一の超大国であるアメリカも拡大EUの完成は、その座を揺るがす存在と脅威を感じているはずだった。それが京都議定書への対応の違いに直接の関係があったかどうかはわからない。ただ背景に両者のつばぜり合いがあったのは間違いなかった。

ところが同時多発テロはイギリスをアメリカ側に引き寄せてしまった。さらにイスラームへの警戒心を欧州に呼び起こしてトルコ加盟問題やオランダの内政混乱を育んだ。
EUは自然と独仏「枢軸」の色彩を深め、その「枢軸」さえドイツはシュレーダー首相が敗北し、フランスの国民投票も「EUにNON」の方向に傾いてしまって再び分裂の遠心力がかかっている。平等を国是とするフランスにもイスラームへの不安が極めて抑制的ではあるが確実に力を増している。
9.11で「何もかも変わってしまった」のはアメリカだけではなかった。

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